蛙声爺の言葉の楽園

. 出会いの門は開けておきたくて


 もうひと月以上になりますか。ランキングから離れていましたが、或る日、ランキング一覧画面から時々訪問していた他所様のブログを見たいと思って「はて?」とつまずきました。
 結局、「プラグインの設定」から入って消去しておいた「がんばるシニア」のバナー部分の「表示する」をチェックするしか方法が見つかりませんでした。ブログ画面左端のフリーエリアにバナーを復旧させたわけです。
 バナーを押して一覧に入ると自分の「ランキング」に入れる「とびら」が出てきましたので試しに入ると「IN」ポイントが10と出ていました。自分がバナーを押しても1日1回だけはカウントされるんですね、思い出しました。
 そこで思ったのです。順位そのものよりも「知らない誰かが訪問してくる」可能性を維持するために、低位でもいいのでランキング欄に顔を出しておこうと。自分で毎日1回バナーを押していれば1週間で「IN70」になります。「がんばるシニア」だと15位から20位の間ぐらいに載る勘定ですね。これで「お客様用の門」の完成です。
  こういうランキングの利用法があってもいいと思うのですが、いかがでしょう。

 いま伊東は夏祭り「按針祭」の真っ最中です。8月10日まで続きます。
 ただ変な台風5号が邪魔をしに来そうで心配です。
 私は決めた運動と散歩しかせず、あとはパソコンに向かってひたすら長編小説執筆に勤しんでいます。もともとがアウトドア派なので『お祭り』が気になるのですが(^^♪ 
 



     城ケ崎

     吊り橋の上から撮影するとピントの狂いは私ではなく「橋の揺れ」が責任を負います(^-^)/


. 宛先の無い手紙


 お元気ですか。僕も元気です。
 10代のころ、こんな出だしで便りを書いていたような気がします。相手に質問しておいて返事の内容が分からないのに「私も」って書いている不思議。でもそれは「元気に決まってるよね」という願いにも似た想いだったのかもしれません。手紙を受け取った相手も「元気」を前提にされては、否定的な返事は書き難いでしょうから「まいったなぁ」と笑顔になれますし。

 思い出の中のあなたの顔が年をとっていません。鏡の中の今の私は無残な年寄り(^^♪ですが。
 これでは「逢いませんか」などとは言えませんね。一緒に歳を重ねる相手というのはごく身近な人なんです。遠くなった人は、最後に会ったその時のまま心に仕舞われています。
 自分だけが戻れない歳月って綺麗です。もっともこれ、お互いさまかも(´・Д・)」

 じつは絵を描くの、やめてしまいました。もう半世紀にもなります。いえいえ反省期でなくて50年。あのころは年賀状に一人ひとり淡彩画的なカットを描くほど好きで、得意だったのにね。全国防火ポスターコンクールで特選になって六大都市で展示されたことがあって、勘違いしたのか工業高校のグラフィックデザイン科を希望したりして。美術の先生に連れられて受験先を訪問したら一言で門前払い。「赤緑色弱ではどんなに軽度でも駄目です」・・・以後絵はうらみの対象になったようです。
 この間孫に女の子の絵を描いてかみさんに手渡したら「これパソコンのを真似して写したの?」と。上手と言われたのかズルイと非難されたのか。いずれにせよオリジナルとは思わなかったようで( ̄^ ̄)ゞそう、彼女は私の絵心を知らなかったのです。

 最近頭が少しトンチンカンになっていますが、ものの本によると「自覚しているうちは軽度」だそうで少しホッとしています。でも、と私。「重度になると自覚もできない」なら苦痛も感じないでしょうから軽度のうちが一番本人としては「苦しい」わけで、「なんか納得いかない」のですが、どう思いますか?

 あ、そうだ、用件忘れていました。
 50年前に返すの忘れていたハンカチを郵送しました。複雑な柄があったはずなのに漂白してしまったのか白くなっていました(^-^)/ご容赦ください。
 万一私と同じ歳になっていたら、くれぐれもご自愛を。



      伊東大川

              遠くは輝いて見える

. 雲には何も問わない

 


       朝陽

        「鏡」さえ手にすれば人も、独りで二人になれる
        いま在るがままの自分と、それを見詰めるもう一人の自分と



     朝陽に訊く
     輝き続ける自信はあるのか

     夕陽に訊く
     これきりだという不安はないのか

     雲には何も問わない
     泣いたり怒ったり消えたりと自在だからだ

 

. 近況と言う名の記事にてご容赦


 メールチェックをしていたら中学時代の同窓サークルから「ゴルフコンペ」の連絡が入っていた。私はゴルフをしたこともないし当然サークルにも入っていない。何かの手違いなのだろう。それにしても、「老人格差」を目の当たりにしたようで思わず「フッ」と笑った。人生には自分の道と他人の道の二つしかない。その都度の選択を否定したら過去にさかのぼって「自分」そのものが消失してしまう。肯定して「いま」を生きようと、想いを再確認した。

 昨日で、執筆しだした長編の原稿が400字詰め101枚に達した。13日間の進捗度ということになる。日々の執筆時間と前日までの原稿再読時間がほぼ同じくらいになっている。結果、1日の「自由時間」の大半が小説のために費やされることになった。少しでも頭のためになるだろうとアルコールも完全に断った。
 「情熱で書いて理性で推敲する」 あれこれ悩まないで心が命ずるままに、とにかく書き綴る。プロットは2年もの間、迷いながらも創り続けていた作品なのだ。
 日々実行度がバラバラだった散歩と筋トレが綺麗に整った。
 目の健康のためにパソコン画面を見詰めるのを必須のものに限定し始めた。結果としてブログの更新度は、やはり減ってしまった。

 5000から10000という歩数の多い散歩はできるだけかみさんと行く。仲が良いからではなく(^^♪お互いにだが、途中で体調が崩れたときのことを考えてのこと。あれこれ話し合うことで、会話能力の減退を遅くする効果も期待している。
 それにしても、進む「カレンダー」の速さが怖い。
「老い」とはこの「時を失う速さ」のことなのかもしれない。



     木の根

               人の根も老いて露わになるという

. 頭の中の海の馬



            海の馬


    確認してしまうことの恐怖
    勇気をふりしぼって再開した小説

    初日、400字詰め10枚執筆
    二日目、 前日の原稿を読み返したあとで5枚執筆
    三日目、15枚を読み返してから6枚
    四日目21枚を読み返して6枚
    五日目も同様に27で9、六日目36で15
    きのうは51枚の筋を確認して12枚を書き足した

    創る作品は600枚近くのもの
    この調子で行きつ戻りつ進んで200枚300枚になったときは
    どうなる
    かなり、辛い
    
    仕事上で前頭葉を強打すること3回
    高齢による老化に委縮が足されたのか頭の中の海馬

    これは自分との戦いだと知った
    かつての「自分」は死んだのだ
    いま続けている執筆は「リハビリ」なのだ
    そう思った

    頭の中は他の誰にも見えない
    記銘できない
    自分だけが分かっていることの恐ろしさ
    それでなくとも
    よく見えない
    ほとんど聞こえない
    噛めない
    うまく話せない
    ・・・
    
    耐えられるのか本当の死が来るまで
    つくれるのか笑顔
    分からない
    でも今日もまた書く
    いま居る自分自身のために。    
 

 

       また咲いた

                咲きたい。その意志の力の強さを感じる

 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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