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蛙声爺の言葉の楽園

. どうすれば円満に? 席を譲る敬老マナーの行方


 あるコラムでお年寄りに席を譲ろうとしたのに断られ恥をかいた、なぜ善意でしたことが「トラブル」化してしまうのかという趣旨の問題提起がありました。社会常識としての敬老精神と、個人としての矜持や遠慮という美徳がバッティングしてしまうわけで悩ましいことではあります。
 じつは私も若いころ十回は経験しているのです。譲ったのにハッキリ断られたり、遠慮されたりで、周囲の失笑まで感じてその場を去ったということが。以来私はガラガラに空いているときを除き、車内で立っているようになりました。気まずい思いをするのは「もうたくさん」ということが動機でしたが、柔道部出身だった私はトレーニングにもなるからと悦に入っていた記憶があります。そんな「元気だった私」も何と71歳、譲られる側の人間になりました。もっともいままで譲っていただいた経験は1度もありません。もちろん「なぜ譲らない」と腹立たしく思った記憶もありません。まだ体力がそこまで落ちていないことを喜んでいる感じです。
 とはいえ、この間東京・横浜に出て行ったときはさすがに疲れ果て、立っているのがかなり辛くなりました。私もそろそろ、ですね。

 譲っている人の行為と勇気に想いをいたさず断っている人の理由は「そんな齢じゃない」「まだ元気だ」「すぐに降りるので」などいろいろでしょうが、一方では譲らない「若者」「自分より年下の者」に対して「優しくない」「マナーも知らんのか」「躾がなっておらん」と憤る人もいて、現場では小さいながらも「精神的な葛藤」があるような気がします。

 まったくの私見ですが、車における「高齢運転者標」と同様の観点から公的な「徽章」制度を創り、「譲ってもらえたら嬉しいマーク」として、付けたその人が高齢、妊娠、負傷、障害などで「譲られたい人」であることを任意で表示するというのは如何でしょう。現在でも電車やバスにはシートないしスペース、つまり場所として「譲られたい人」が優先であることを明確にしています。本来ならそこに座れば上述の徽章を付けたのと同様の「告白」になっているわけですが、問題はその場所が埋まっていたり足りなかったりしていることからも生じているようです。ただ、視点を変え「人としてのあるべき姿」から考察すれば、車内の全ての座席は「弱者優先席」なのです。そうなると「弱者優先の気持ちとして譲ったのに拒否された」は、1対1の問題ではなくなります。
 母の日に赤いカーネーションを胸に付けたこの国のこと、「思いやりを感謝します」として、例えば小さな黄色い花などを胸につける、それも受け入れてもらえるような気がするのですが。目で見て分かれば安心して譲ることができます。

 最後に。「席を譲られたら、いろいろあるでしょうが、受けてあげるのが相手に対する優しさ」ではないでしょうか。「次の駅で降りるから」そうだとしても。そうしないと善意の輪、マナーの輪は広がらないように思います。
 「笑顔で譲り、笑顔で感謝」「安心して善意を、安堵して着席を」、そうなることを願いつつ。
 えらそうに、失礼しました。



      松川湖畔

       伊東市内でホタルが棲む場所の一つ。白や黄色の「花」が「ほたる祭り」に協賛か


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蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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