蛙声爺の言葉の楽園

. 心の音(6)


 カチャッと音がして羽月刑事ともう一人の若い刑事が、出て行ったときと寸分違わぬ顔つきで入ってきた。そして若者は坐り、丸顔は檻の中の熊よろしく室内をウロウロとしだした。
「おい、そろそろいくか」と熊の方が言った。
 若い刑事がビニール袋に入った栞を、掌で延ばすようにして志津の前に出した。
「事故車にあったんだその栞。それに付いていた指紋とさっき採った指紋が一致した。運転していたのは奥さん、あなただですよね」
「栞はお礼状と一緒に郵便で送ったものです。わたしの手作りですから当然わたしの諮問は付いていると思いますけど。それとも事故車にわたしの指紋でもあったのですか」
 志津は表情も変えずに言った。
「皮の手袋でもしてたんじゃないんですか。常識の部類だよね、何かやる気なら」
「事故っておっしゃったばかりですよ」
「奥さん」と言ったあとの間が長い。
「はい? 何でしょう」
 まったく身に覚えがないというのは強いはずだと、志津は落ち着いて、穏やかな顔を羽月刑事に突き出した。
「観光会館の駐車場ねえ、車のキー、預けますよね」
「え、ええ」
「そのとき車のナンバー告げるでしょ、係の人に」
「はい、確かに」それが何だというのか。
「二十六日の日、三人のおばさんに会いませんでしたか? 被害者と一緒に万葉公園の独歩の湯に行く途中の散策路で」
「ええ、その前に紫陽花についても聞かれていますし、憶えています」
「その三人も実は車で来てましてね。それが口を揃えて言ったそうです。あなたと被害者は男と女の関係に間違いないと。偶然の出逢いなんてムードじゃなかったとね」
 志津はあきれて首を振った。
「あなたも運が悪い。ナンバープレートの下の数字だけでいいのに、おばさん、上も下も全部書き写して係に渡したんだなこれが」
 確かに志津は言われるままに大きな数字だけを申告している。
「ま、あなたほどの美人だ、年配といってもおばさんたちも女性、ジェラシーも手伝って強烈な印象を受けたんでしょうな。どうです、浮気してたんでしょ、被害者と。別れ話、痴話喧嘩、それとも旦那さんにばらすとか言われて脅かされた? もう言ってしまったらどうです、真実ってやつを。警察はねえ奥さん、事故じゃないって見方も捨てちゃいないんです」
 「女性」という言葉に志津は引っかかっていた。刑事は志津のことをモータースの主任から聞いたと言っていた。あの日、脱輪した車をミニクレーン車で引き上げてくれた男で金田の飲み友だちだ。しかし刑事は金田に出した手紙の内容をあらかじめ知っていた。金田自身が警察に手渡すことはないのだから、そこには誰かがいる。
「あいつ、三十八で独身、しかも一DKマンションに一人暮らしでしょ、酒飲むよりほかに暇のつぶしようがないんじゃないかな。あのルックスでそこそこ教養あるし、女にゃもてますよ確かに、ええ」
 料金のほかにお礼をはずむと、男は金田に関する情報を分けてくれた。そうか、一人暮らしの男には必ず女がいると発想すべきなのだ。志津は自分の鈍さに腹が立ってきた。
「刑事さん、わたしが金田さんにお出ししたお礼の手紙、いったいどなたから手に入れられました?」
 若い刑事が音を立てて椅子から立ち上がり、テーブルをドンと叩いた。
「奥さんは質問できる立場じゃないの!」
 志津はあえて若い刑事を無視した。
「たとえば現在は独身だとしても前の奥さん、急を聞いて駆け付けた彼のお母さま、あるいは妹さん」志津は戦いが始まっていることを知った、誰だかは知らないがよその女との間で。「それとも、四月二十四日の日、彼の車の助手席にいた女の方」
 羽月刑事がピクッと目尻を動かしたあとで、若い刑事に坐るよう促した。
「いいでしょう、あなたが上品なだけの奥様でないことは納得しました」
「その方の犯行という見方はなさらない」
「ええ彼女は妊娠六か月、その子はむろん被害者の子だ。しかも彼女の年齢は三十、僕らの感覚から言えば結婚前の女性としては一杯一杯の立場に立たされている。そういう女性が相手の男をあんなふうに置き去りにしますかね」
「でも事故はありうるでしょ、彼女が運転しての、現実にわたしも脱輪したくらい」
「彼女は無免許だ! それだけじゃない、車のハンドルすら握ったことが無いんです」
「なぜ言い切れるんです、そこまで」
「複数の人がそう言い切ったからですよ、いいですか奥さん、七月四日、あの車の運転席に居たのはあなただ、僕はあなたのその、きれいな顔に似合わない太々しいほどの自信を突き崩して見せますからね」
「夫に連絡していただけませんか」
「来てくれるかなぁ、こんな事件起こして」
 若い刑事がこれ見よがしに首を傾げた。
「弁護士を付けてくれます、きっと」
 来てくれない可能性の方が確かに高い。志津は情けなさでさすがに目頭が熱くなってきた。
「ああ、そうでした、その妊婦さんにあなたを確認してもらいました、椿ラインでの被害者との出会いと万葉公園でのデートの相手がまさにあなたであることを。いましがたのことです」
 万葉公園の偶然の出会いのときも? 彼女が身を隠しながら見ていたのいうのか。金田は仕事の途中だと言っていた。確かに平日の昼日中公園をうろついていて営業というのは変だ。彼女とのデート中に姿を見つけて追ってきたという方が自然かもしれない。その金田の後を彼女がそっと追う、そしてあの二人のやりとりを隠れて? 
 志津は頭が混乱してきた。
「あわせてください、その女性に。いったい何の恨みがあって」と立ち上がり、「まだ署内にいるんでしょ」とドアに向かおうとした。
「奥さん!」と事務椅子に座ったまま移動した羽月刑事が志津の左腕をつかむ。
 志津は前のめりの勢いを体の一点で止められる形になって刑事の足元に転がった。
 スカートがめくれ太股があらわになっている。
「羽月さん、まずいですよ」
 若い刑事が志津を抱き起そうとする。
「さわらないで!」
 それはもう、絶叫に近かった。



にほんブログ村
にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村
comments
. コメントの投稿
  • コメント
  • パスワード (入力すると、コメントを編集できます)
  • 管理者にだけ表示を許可する
この記事のトラックバックURL:http://aseijiiji.blog.fc2.com/tb.php/540-faec331d
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
3155位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
創作日記
134位
アクセスランキングを見る>>
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR