蛙声爺の言葉の楽園

. 真に先生と呼べる人

 学ぼうとする人や頑張る人に対して特に優しい「先生」だったのではないか。反対に戦争を憎み、権力の横暴や社会の矛盾に対しては鋭い目で批判する。それを「左」というなら左で結構と、森山俊英氏はそういう人だと感じた。

 「出会い」は先生から拙宅への電話に始まる。『岩漿2号』の奥付を見て番号を知ったようだ。初対面なのに、その日のうちに地元のサガミヤ書店と豆州新聞社を直接に紹介してくれた。その後も先生の紹介施設は増え、さらには執筆会員まで、とご厚意は続いた。「伊東に同人誌が生まれても、残念なことになかなか続かなくてね」。当初の支援の動機は郷土愛だった。
 何を隠そう、このときの先生の応援が無ければ、我が『岩漿』も、文字通り「3号雑誌」で終わっていただろう。創刊20周年記念の『岩漿24号』発行を前に亡くなられたが、「よくがっんばったね」と褒めてくれる気がしてならない。
 ちょうどこのころ先生は、准看護学院で教鞭をとり、1年35時間の「一般教養・歴史」を担当していたようだ。当時の生徒と先生のやり取りがネットにあったのでご紹介したい。今回のブログタイトルはこれを読んでから付けた。

東豆社会科ネットワークサークル・ゆい

 先生から見れば、私も文芸面での「生徒」だったのではないか。
 8年ほど前、伊東が観光を主幹産業にしていながら市議会に旅館・ホテル関係者が一人もいないことに矛盾を感じ、市議会議員選挙に立とうとしたことがある。きっと何かに憑かれていたのだろう。幸い立候補届出前に理性が働き、取りやめている。そのとき先生から、「考え直して正解」という意(いい)の、長文の「指南書」が届いた。恐縮しながらも嬉しかったのを憶えている。やはり私は「生徒」だった。

 
 『豆州歴史通信』は先生の偉大な業績だと思う。 完全な手作りで何の掣肘も受けずに研究を発表している。400号を目指しての「森山俊英先生を励ます会」(2006年10月28日・伊東市はるひら丸)には私も参加したが、この催しを報じた11月3日の伊豆新聞によれば、この時点で『377号を配布済み』とある。『元気なうちは発行し続けていきたい』が当日のコメントとして残っている。
 この何年か後、山平旅館で開催した岩漿文学会の会合でお顔を拝見したときを最後に、会の催しからは退かれた。4冊の日本史資料本を頂戴したそのときの印象では理由は「健康面」かなと、推察をした。それでも2009年の『岩漿』には意欲的な『二・二六事件と伊豆』を発表している。
 2012年のコミカルなエッセイ『おしっこ放浪記』が、『岩漿』における最後の発表になった。 

 手元にある先生著の『続続わかりやすい伊東の歴史物語・近世編』(1990年)の著者紹介欄に拠れば、1930年生まれで、明大日本史卒、立命館大学院日本史科中退。北海道公立高校教諭を経て、伊東市公立中学(宇佐美中)教諭」。上記『豆州歴史通信』は、退職後に執筆し始めたとみられている。著書には上記著作の前2作として、『わかりやすい伊東の歴史物語・古代から中世まで』(1986年)、及び『続わかりやすい伊東の歴史物語・中世』(1987年 )がある。研究論文は多数。
 2015年8月14日逝去。86歳。ご冥福を祈りたい。
 

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2015-09-01 09:23:10 | [編集]

243. 蛙声爺 さん
 戴いたコメントが私的な通信で、しかも私以外の人のプライバシーに関することでしたので、非公開のままにいたしました。
 ただ内容に関しましては、優しいお人柄がしのばれ、心があたたまりました。
 今後は下記メールでお願いできましたら、幸いです。
2015-09-02 11:16:57 | [編集]

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Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
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