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蛙声爺の言葉の楽園

. 愛車との別れが近づく


 いよいよか。そんな感じでいます。
 現在の愛車はマツダのデミオ、新古車として購入してから約10年になります。この間、本当によく働いてくれました。走行距離は約19万キロ。箱根の住込み勤務では公休に伊東との往復、同所で嘱託になってからは毎日のように往復110キロの通勤。箱根と山梨での仕事や改修作業ではトラック代わりにと工具類はもとよりセメント・砂・砂利・材木に至るまで載せてしまいました。走行中、社内で荷崩れしないようにと荷にシートベルトを掛けてやったこともあります。70歳になり完全にリタイアしてからはかみさんの「アッシー君」、気がつけば愛車のそこここが相当劣化していました。そして今回、エンジンに関わるセンサ異状も見つかり修理業者に持ち込んでいます。
 劣化は運転者である私も同様です。加えて昨今の高齢運転者の事故多発報道、あちこちで免許証等で年齢が判明するたびに「もうそろそろ」という顔をされるようになりました。ということでついに、廃車と免許返納の具体的な時期を決めました。来年の2月上旬です。車関係の出費は統計上、年間25万円に達します。この先1年で見てみると、車検が1年後、定期点検が半年後、自動車税が5月末、免許の更新が72歳になってすぐの4月、JAFの更新も4月、自動車損害保険の更新が3月ということで、それらをすべて終わらせてしまうには2月が最適というわけです。すでに市内での買い物に使っているだけですから、安全性の上から言えばすぐの方がいいかもしれませんが。とにかくあと2カ月で車のある生活を「卒業」するわけです。
 正直に言えば寂しいですね、地方の生活では車は必須に近く、素敵な相棒ですから。
 



   デミオと富士山

        このころはまだ凛々しかった「デミオ」


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. 「保険のトイレ」という発想


 唐突ですが、夫婦は高齢になるにしたがって「男女関係」から「人間関係」 に移行するのかもしれません。それを顕著な感じで受け取ったのは、うちの中で排泄の話を自然にしていると気づいた時でした。「やっと快食快便に戻ったよ」「わたしも調子いい、野菜たくさんたべたからかなぁ」から始まって話はもっと具体的な処まで進みます。最初にこういうことを口にしたときは、何かが終わったなと妙にしんみりとしたものです。
 『人は産まれて生きて死んでいくだけ』とは或る高僧の至言ですが、この「生きて」の部分で最重要なのが「食べる」と「排泄する」の二つです。若い頃は考えもしなかったほど自然にできていたこと、それが60歳を過ぎたころからでしょうか、周囲で「胃瘻(いろう)」や「人工肛門」の話が飛び交うようになり、これができなければ命にかかわることが鮮明になってきました。ところが普段「食べる」は公然としかも声高に語られますが、「排泄する」は裏に回され、広い意味の羞恥のベールで覆われているように思います。エチケットという「壁」もありますし。
 考えてみれば、何事もなく飲食し排泄していること自体、すごく有難いことなのでした。
 
 食のことはさておき、排泄について一つのことを思い出しました『保険のトイレ』がそれです。高齢になると毎日のように感じるのは排尿関連のこと、「頻尿」や「尿漏れ」は頭が痛いですよね。症状がきつくなると睡眠、外出、仕事、交友・交際にまで影響が及ぶのですから。睡眠の質の問題以外は全て、自宅の外での問題ということになりますし。
 以前同学年だった人の葬儀で7人ほどの同窓生と遠方に出向いたことがありました。当然皆高齢です。移動の所々で私は「保険のために入れるときに入った方がいいよ」とトイレ行きを勧めました。まぁ、余計なお節介ではありましたが、皆笑ってそうしてくれました。綺麗に整った施設があるときは特に『保険のトイレ』は必須です。ちなみに膀胱は500ミリリットルで満杯、300ミリリットルで尿意を感じ始めると、ものの本にありましたが、高齢になればこの数値通りにはいきません。少量でも過敏なくらい切迫した感じになるわけです。いい施設があったら入れる時に利用しておく。そうすることによって心理的に楽になり、尿意不安から意識を遠ざけられるのです。人に勧めるだけでなく、うちでは私もかみさんもだいぶ前から実行しています。
それで、どこが保険?と言われそうですが、たとえ「そのとき」に行きたくなくても見つけたときに入って膀胱を空にしておけば安心という、ただそれだけのことなのですが(^^♪ かなり効果があります。  


   
   道の駅にある幸せの黄色いトイレ

         山田洋次監督も仰天のネーミングではありますが…
 
   
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. 突然襲ってくる死を鳩が教えてくれた


 図書館に向かう途中、松川に架かる岡橋の小さな交差点近くでのこと、低空飛行でフラフラ飛んできた鳩が舗装路に下り立った。いつも街中で見ている鳩の色よりも黒ずんでいて痩せこけていた。傍を通り過ぎた後、気になったので振り返ると、黒い軽自動車が路上で動かない鳩の手前で停止している。鳩が逃げないためで、運転しているおばさんの優しさが感じられて思わず微笑んだ。数秒後、さすがに呆れたのだろう、彼女がクラクションを二回連続で鳴らした。それでも動かない。のろまなのか、人間をおちょくっているのか、少し興味が沸いたので引き続き鳩を見つめていると、三回目のクラクションが鳴り響いた。ここでようやく飛び立った鳩。しかし私の後ろまで路面すれすれで飛んできただけでまた動きが止まった。
「俺もヒマだな」と自嘲して歩き出し、交差点脇で車の流れが止まるのを待った。
 先ほどの黒い軽自動車が右折して私の前をゆっくりと通ったときだ、おばさんが笑顔で私を見て手を振った。何となく和むしぐさだったので私も深いお辞儀で返した。「鳩を轢かないでありがとう」という意味もある。

 図書を借り、来たときと少しだけ違う道から岡橋に戻る途中で、前方の路面に黒っぽい大きなゴミが落ちているのが見えた。
「また誰か、車から投げ捨てたな」と少しばかり腹を立てながら歩を進める。
 二十歩以上進んで老人の目にもようやく事態が把握できた。
 横たわっていたのはあの鳩の轢死体だった。
 …そもそもが何らかの病気だったのかもしれない。



    松川河畔の鳩
 
       松川河畔のこの鳩の像が死んだ鳩の「慰霊碑」になる日が来るとは



※以前記事にもしたような気がしますがデジカメが不調で撮れたり撮れなかったりします。過去写真をアップすることがありますが、なるべく記事に合うものを探していますので、ご容赦願います。(蛙声) 
 
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. 耳が聞こえなくなった、そのことの意味


 数日前老妻とファミレスで食事をしていたとき、私が口にした言葉を妻が3回も聞き直しました。周囲の席が混んでいて声が重なったからと弁解していましたが、彼女もだんだん耳が遠くなっています。そのとき自分の中に生まれた小さな「いらだち」が、あることを思い出させました。1年ほど前のこと、友人宅でテーブルをはさんで会話をしていたのですが、難聴なので大きな声でないと聞こえないから会合に参加できないと説明したところ、彼は率直にこう言ってくれたのです、『耳が遠いって宣言されるとけっこう言われた方も負担になるんだよね』 そのときは、負担ならおしゃべり相手として呼ぶなよと、少し不快でした。ところが、このファミレスでの老妻への「いらだち」が、「あのとき」の友人の言葉の裏側を理解させてくれました。確かに「負担」なのでした。
 この友人とはそれからも呼ばれれば会って話をしていますが、距離を縮めるために、まるで恋人のように隣に付くようになりました。そうしないで真正面に座って距離だけを近づけると唾が飛んで迷惑をかけるからです。気遣って工夫して近づいても、いまは6割程度しか聞き取れません。4割の部分は自分の中で補足して「聞き取る」のです。

 横浜から伊東温泉に旅行に来た友人から会おうと誘われ、居酒屋で盃を交わした時もある意味「地獄」でした。昔から穏やかな口調でしたから彼の話が佳境に入れば入るほど聞き取れないのです。終始笑顔で「聞き役」として対応していた自分が偽善者のようでたまりませんでした。さらに1年後の同様の誘いの際は、補聴器を試しに使ってみました。現場で耳に挿入するときに難聴であることを告げています。確かに音そのものは大きく聞こえました。しかし彼の話の半分も分かりませんでした。店の喧騒の方が彼の言葉より大きくなったからでした。

 私はすでに聴覚障害者になっていたのでした。
 それは職業病プラス老化として冷静に受け入れようと、このごろ思うようになりました。これからどのように健常な人に対応していくのかだけを真剣に考えることにしたのです。
 聞こえない部分は相手の心の音を聞くしかない。それが結論でした。なぜならいま私の周りに居て話しかけてくれる人は、ある程度私という人間を理解してくれている人だけだからです。その人との人間関係が創った「音声」が自分の中にあり、それが補足してくれると信じるからです。
 逆に言えば新しい人間関係を作り難いということになります。難聴が相手の負担になるのなら自制するしかありません。先々のある若い人なら別ですが、もしかしたらそれが「老後」というものなのかもしれませんし。
 相手の心の音を聴く。ちょっと素敵だなと思いつつも・・・。 



    小室山公園の亀 

       「ねえ、聞いて聞いて」


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. 更新不可になっているホームページを閉じました


 昨日、1年以上の長期に亘り更新していなかった私のホームページを閉鎖しました。もう訪ねても何も出て来ません。
 更新できなくなった理由は、新しくしたパソコンにホームページビルダーを移せなかったという、どちらかと言うとやむを得ないものでした。更新する意欲がなくなったというわけではありません。また、それでも有料契約で引き続き大容量を維持してアップしていたのは、絶版になっている拙著『小説太田道灌』を、PDFでページ設定そのままに全文掲載しているからでした。この本、書店にはいまだに照会電話があるそうですし、直接自宅で注文電話を受け、私自身の分1冊しかないので売るわけにはいきませんが内容はホームページでどうぞと、お応えしたこともありましたので。

 「ではなぜいまこのときに?」なのですが、うっかり有料掲載のためのポイントを切らしてしまい、しかも更新を長期間していないことが重なって、広告が随所に挿し込まれてしまったのです。こう言っては何ですが、その広告が見るに忍びないほど嫌なもので、一気に撤退に傾きました。太って垂れたお腹を締め付けて見た目を改善する絵面で、ごく短いとはいえ動画、しかも何度も繰り返されるものでしたから。

 私個人のホームページでしたが、元代表をしていた同人誌のことも紹介していた関係で、新しくビルダーソフトを買って、構想も新たに創り直そうかと思案中です。即実行できないわけがあります。今回閉じたホームページも相当苦労して創作しました。老化した現在の頭で、それが可能なのかということです。それともう一つ根気でしょうか、不安なのは。いずれにせよ、永久的撤退なのか今月中に決断する予定です。体だけでなく、これで頭を使う分野までどんどん縮小していったとしたら、認知症へまっしぐらなのではと危惧もしています。この3年ほどの間にいったいどれだけ劣化し、衰えたことでしょう。そのスピードには恐ろしささえ感じます。

 ホームページ、その継続の可否は自分の中の何かを大きく変えてしまうかもしれません。
 100%私事ですが、記事にしてしまった所以です。また、万一ホームページを訪ねてくださった方がいた場合の弁解と言いますか、説明でもあります。



    松川のサギ

        暗いところで思案投げ首( ^ω^)・・・いまの私です

 
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. 図書館通いって案外いいかも


  図書館で本やDVDを借りると貸し出し内容やら貸出日、返却予定日などを記載した小さなカードをくれます。きのう、整理して古ノートに記録として貼り付けていましたら、なんと1か月の間に7回も通っていたことを知り小さな驚きを感じました。いつから読書家になったのかな(^^♪と。でも、すぐに気づきました、調べたいことがたくさんあったにすぎないのだと。

 直近の執筆で細部(ディテール)の確認に手間取りました。心房細動、心室細動などの原因や危険性、心不全など突然死への過程について専門医の手になる本が必要になった(ちなみに私自身不整脈)のですが、書店に適当な参考図書がなく、ウィキペディアでも専門用語の紋切り型が多くて物語の中に取り込む知識としては不適当でした。それで「もしや」と思いつき、市立図書館に出向いたのです。ありました、図解の多い専門書が。それからでした、書店に行く前にまず図書館に行くことにしたのは。若い頃、東京と横浜で住み込みで働きながら高校と大学の勉強をしていた私でしたから、「勉強部屋」は常に公立図書館でした。長い間、それを忘れていたことが不思議と言えば不思議。とにかく図書館は大変役に立ったのです。

 きっかけは辞書的な求めからでしたが、気軽に読める本も借りてくるようになりました。寝る前に布団に入り、腹ばいになりながら読むのが目的の本なので、役に立つけれど肩は張らない、さらに大き目の活字であることが必須条件です。借りた記録を見ると「高齢者もの」が多いようです(^^♪
 きのう読み終わったのは、曽野綾子と上坂冬子の『老い楽対談』(196頁)でした。「老いらく」と言えば「恋」なのでやわらかいと思いきや相変わらず「老い」に辛辣な内容でした。もっともそこが心地よいのですが、ええ、綾小路きみまろやちょっと前の毒蝮三太夫のように。もっとも以前読んだ『引退しない人生』(曽野綾子)が厳しい「口調」だったので、それほど驚きはしませんでした。いろいろ自分の「味蘇帳」にメモしたことばがありますので、その一つをご紹介します。これ、曽野さんのほかの著書でも観たような気がしますけれど。『ふと考えたの。自分にはまだ一つ、「死ぬ」という大きな仕事が残っている』

 …有り余る時間…図書館通いって案外いいかもしれません。



    伊豆半島富戸の海岸

      荒波を防ぐ消波ブロック、人の道を護るためにも欲しくないですか?

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. 高齢になりハッピーエンドの作品が嫌いになった


 自分のことを「嫌な年寄りになったのかなぁ」と思うときがあります。
 小説でもテレビドラマでも映画でも、ハッピーエンドがうそ寒くて苦手になったのです。実際に自分が生きて来た道も、その間に見聞した世の中の犯罪、出来事もアンハッピーで山盛りだったからです。だからこそ創り事の世界ぐらいはハッピーに、そう思っていた時期は確かにありました。でもね、と思うのです。不幸なことに、思い通りにならない苛立ちと絶望に、精神面で慣れて抵抗力をつけておかないと、現実の世界で無残な局面に立たされたときに抵抗できなくなります。

 年寄りなので大昔の話になりますけど、未成年の頃に読んだコミックや小説、観たドラマ・映画で一番疑問に思ったのは、主役や「いい者」がどんな目に遭っても必ず勝つ、周りがどんどん死んでいくのに最後まで死なないということでした。「これ、うそだぁ」という、一つの「白け」でした。つまりそれは創作における約束事だったんですね、それが「疑い」の始まりでした。
 ところが、白土三平の『カムイ伝』という劇画がこれを覆してくれたのです。作品の中で、綺麗なお嬢さまと元乳母らしき二人が旅の途中で無頼の男たちに無慈悲に犯され殺されてしまいます。しかも裸のまま野に遺体を置きっぱなし…その絵面は凄い衝撃でしたから、その時の感覚はいまでも蘇ります。弱ければ、いい人間も負けて殺される、言わば野獣の世界を垣間見たのでした。「これが本当だよね」世の中のことなど、よく知りもしない年齢でしたが哀しくもそう思った記憶があります。
 そしていま、70年以上生きて来て、「本当だよね」が体験済みになったわけですが、決してハッピーでない現実をそのままに描く作品に評価を与えている自分がいます。鑑賞していて居心地がいいのです。創作物の中の虚構と体験している現実との落差が少ないからでしょう。

 自分が創る方も同様になっているようです。私は自分のこの心理現象を、「本音は美しい」とキャッチコピーのようにして胸に仕舞っています。小説を書く時も、人間関係を執筆前に図化しますが、互いの心の中の方向性を多角的に押さえています。激しい葛藤の結果生まれる人間関係や事件の方が真実味があり、うっかりすると美しく見えるのです。50歳を過ぎて、ようやく気付いた私でした。

 残念なことにもう、美しすぎたり、優しすぎたり、温かすぎたりする作品は心地よくないのです。ただ、ほんとにこの頃ですが、自作は当然ですが人の作品もラストシーンがハッピー、アンハッピーどちらにでも解釈できるものが好みになりました。昔の作品で例えるなら、彼と彼女が二人とも勤務先の会社を揃って辞め、失業して結ばれる『アパートの鍵貸します』のような。
 自分の心身がよほど弱って来たのかもしれません。 

  

   散る前に見せる妖しさ

     散る前に見せる燃えるような妖しさ、人間もかくあれば…
 

. 私見ながら今年のテレビ連続ドラマ3作品を選んでみた


 師走まであと10日あまり、今年もたくさんの連続テレビドラマが放映されました。全部視たわけでもないのにとは思いますが、私的に非常に良かったものを3つ選んでみました。もっともかつてご紹介した作品が顔を出すことになってしまいますが。それは今年の前半に力の入ったドラマが集中したせいではないかと思っています。ちなみに視聴率ランキングではありません。私的にと申し上げる所以です。

 『アンナチュラル』(TBSテレビ)
  脚本野木亜希子。主な出演者は石原さとみ、井浦新、市川実日子。不自然死の謎を解いていく「UDIラボ」所属の法医学者たちの活躍を描く作品。1話完結の事件と全10話を通しての謎解きが巧みに編まれている。
 ほとんどスッピンに近い石原さとみ、井浦新の怪演など話題性にも富んでいた。
 東京ドラマアウォード2018連続ドラマ部門で優秀賞、脚本賞、演出賞、主演女優賞などを受賞し、主題歌賞では米津玄師の『Lemon』が選ばれている。
 脚本の勉強になるので各回2度ずつ鑑賞している。この脚本には原作が無く野木亜希子のオリジナルだが、作品の出来不出来は脚本で決まるという黒澤明の言葉を思い出させてくれた。ドラマ舞台の性質上専門用語が氾濫しているのだが、それを登場人物の台詞の中に包み込んでいて、素人でも知らず知らずのうちに納得させられる。小説でも脚本でも、細部(ディテール)がきちんとしていなければ「ドラマ」は崩壊してしまう(新藤兼人)という教えを確認できた作品でもある。

 『anone』(あのね)(日本テレビ)
 脚本坂元裕二。主な出演者は広瀬すず、田中裕子、小林聡美。稚拙な偽札造りを絡めて社会的弱者の蠢きを描き、家族とは何かという問題点をも浮き彫りにする。正直なところ「重い」印象である。
 広瀬すずがこの作品のために髪をショートにして「よごれ役」に挑んだとして注目された。
 この主演女優を使った4枚組ポスター写真に、広告写真家協会アワード優秀賞が贈られた。ネットでポスターを見たがなるほどと思った。夢を持てない虚ろな目、人を癒す優しい目、内に秘めた攻撃的な目、それらを括ったのが少女ハリカなので。 
 2018年3月度月間賞(ギャラクシー賞)受賞。すこし珍しい賞だが、カンヌで開催された国際見本市(MIPCOM)でグランプリもとっている。これは海外のトップバイヤーが買いたい、リメイクしたいとして選出するもの。
 この作品は平均視聴率6.1%と伸び悩んだ。視聴率と作品の質は必ずしも一致しないことを教えてくれたように思う。軽々に主演女優叩きなどはしないことだ。いずれ恥ずかしいことになるからだ。
 ただ偽札造りを絡めたのは感心しなかった。街の印刷屋が流通を前提とした日本銀行券を作れるわけがない。世界で最も偽札を作りにくい紙幣として有名なのだから。

 『ブラックぺアン』(TBSテレビ)
 脚本丑尾健太郎。主な出演者は二宮和也、内野聖陽、竹内涼真。『患者は生かすが、医者を殺す』とまで評された天才外科医渡海征司郎。未熟な医者の執刀時の危機を救う代わりに退職を迫り、その退職金をせしめる謎の医師を二宮が怪演している。見たたことも無いような最新医療機器が視られるのも加点材料だ。
 ただ、病院の「裏側」をえぐった作品には秀作が多い。『白い巨塔』や『無影灯』、『孤高のメス』などがそれだ。今回の作品の意義は手術に関して、医療の機械化か医師の技量かという選択について問題提起をした点に特質があるように思われる。
 それでも筆者は毎回2度、鑑賞をし続けた。もちろん見逃しの「TVer」(ティーバー)でだが。

 ちなみに今年後半の連続ドラマでは、まだ未完ですが、新垣結衣主演の『獣になれない私たち』であることをお知らせして、この稿を閉じたいと思います。(3作のご紹介の部分は、です・ます調の文にしていません、ご了解ください) 
 
 

      柿
 
        狙った構図、ミスしてカメラアングル少し下げ過ぎ



. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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