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蛙声爺の言葉の楽園

. 亡き母の「煮しめ」


 食卓で正月の「おせち」の話があって、ネットで、調べるという感じではなく、ちょっと覗いてみました。こどもの頃から世間様で言う「ちゃんとしたお節料理」など近くで見たこともない私ですから、数万円もする3段のお重などびっくりはしても欲しいなどとは思いません。
 ただ「おせち」は或ることを思い出させてくれたのです。亡くなった母のことを。

 昔、母は暮れが押し迫ってくると、れんこん、人参、ゴボウ、椎茸、こんにゃくなどを買い、それらをコトコトと煮たのです。「昆布やサトイモもあったかな」
 何が「正規の煮しめ」のラインナップなのかは知りませんが、淡い記憶をたどれば、毎年入れる種類は同じだったような気がします。ところがそれを全部詰め込むと大変な量になるわけです。
「そんなにいらないじゃん」と私。7人兄弟姉妹とはいえ、正月にまさかどんぶりに盛って食べさせるわけでもあるまいと、そう思ったのです。何にも言わず作業を続ける母。煮方が終わると、深めの大皿に各種均等に盛り、カバーをかけてどこかに出かけ、それを何回か繰り返します。どうやら近くに住むおしゃべり仲間に「おすそわけ」をしているらしいのです。
「めいわくしてない? 大丈夫?」と生意気な口をきいた私。

 「人様の口を可愛がっていれば、先々自分も食べることには困らないっていうからね」
 だれに教わったのかは知りませんが、何かの折に母がボソッと言いました。
 折に触れて大量に何かを創っては配っていた母の、おまじないにも似た動機。
 「ふぅーん」としか、10代の私は反応できませんでした。

 そういえばこの12月で、母が亡くなってから30年の歳月が流れたことになります。



      時と地蔵
    

        時計と地蔵は、時の流れと道しるべ

. これらイブ? なんとか聖夜


 どちらかと言えば団塊世代には本当の意味のクリスマスは縁遠いです。幼少の頃は年代的にそれどころではなかったですし、「サンザンクロース」などと自嘲していましたでしょ、大人も。さらに、高度経済成長期は祈りなどとは程遠い盛り場の夜全開という感じでしたから。で、今は? 70歳の私に限ってでしょうけれど、家でボーッとしていました。宗教というものに比較的潔癖症が無い日本では、神道、仏教、キリスト教などにつき「楽しむイベント」として取り入れています。イベントなら「チケット」を買わずに不参加でいいわけで。第一、孫とか幼子が居るなら別ですが、ローソクなど灯そうものなら法事のムードに近づいてしまいます。
 ちなみにクリスマスにデートなどという若い時の素敵な記憶もないので、浸る思い出すらありません(泣)。

 というわけで、24日は午前3時起床と折角早起きしたのに、たまった「睡眠負債」を支払うべく炬燵猫のようにゴロゴロが基本の私でした。唯一、らしかったのは580円で買った赤ワイン。何気にイタリアでしたが、美味でした。
 いえいえ、忘れていました。実はYouTubeで偶然『1万人の第九』という動画を見つけました。2013年のものでしたが、総監督・指揮は佐渡裕(さど・ゆたか)、全国から集まった1万人がドイツ語でベートーベンの交響曲9番『合唱』を歌い上げます。最初は邦訳の無いものを鑑賞、次いでシラーの詩を理解したいので字幕で邦訳を入れている同日のコンサートも、別途探して鑑賞しています。耳でドイツ語の歌詞、意味は目で邦訳を。感動は2倍になりました。クリスマスキャロルではありませんが、「神」を想起させるこの日にふさわしい曲です。
 『喜び一杯に自分の道を歩め♪』、これにはしびれました。

 キリスト教と言えば、クリスマスには絡みませんが、女性に絡む思い出はありました。10代の頃、ペンフレンド(ペンパル)というものが流行っていました。「○○時代」とか「○○コース」とかいう雑誌が隆盛を極めていたころで、若かった私も長崎の女の子と文通を始めたわけです。あるとき手製のカードをもらったのですが、その中に『心貧しきものは幸いである』という言葉が入っていたのです。彼女はクリスチャンでした。私は人間性を批判されたと誤解をしました。「最低の心をもっている人って何か幸せよね」という意味にとったのです。のちにマタイ福音書5章にあるこの言葉がまったく違う意味なのだと知りました。この件はのちの文通にも暗い影を落とすことになりました。
 数年後のアルバイト先で、ある老人から『バイブル』を贈られました。クリスマスの時でした。辞退する私に彼が言った台詞は、いまも記憶しています、「『教養の書』としてどうぞ」でした。たしかこの直後にも前記ペンパルの件を思い出しています。
 私は無宗教主義ですが、人様の信教如何には興味がありません、つまり偏見をもったり非難をしたりしないのです。「だから私もほっといてくれる?」という意味もあります。それでも『教養の書』という言葉に感動して、布教とか折伏とか勧誘されてパンフを渡されると、新興宗教のものまで一応読んでしまいます。

 おしまいに、「クリスマス。今年もなーんにもなかったなぁ(笑)」



     城ケ崎

       「新しい写真が載せられるようになりました」贈り物かな


. 追憶の中の友と「語る」(1) 光を追った写真


  二十歳の頃、夜勤のアルバイト先でカメラマン志望の学生と知り合った。高額なカメラと附属機器を必要としていたらしく、精力的に働いていた。明るくて長身、前向きな男だった。
 写真や絵について語り合った記憶はあるが、直接撮影の手ほどきを受けてはいないと思う。私はただ、彼のとった写真から教わったに過ぎない。それは「光」の扱いだったような気がする。それとて、ブログ記事に添える写真を撮るようになって気が付いたにすぎないのだが。
 素人なりに景色を切り取る作業の面白さに興奮した。

 写真機が誕生していない時代、人物や景色を残したのは絵画だった。そう、歴史に残る名画の数々…。写実を極めようとしていたら突然カメラが出現したというとき、特に洋の画家たちは何を思っただろう。そんなことを想像してみる。
 世の中というのは不思議だ。優れたカメラが世に溢れ、デジタルカメラが一世を風靡してプロ並みの写真が誰でも撮れるようになったとき、今度は写真家が慌てただろうことは想像に難くない。
 かくして、写真は「絵」を目指すようになる。
 はたして写真と絵画はライバルなのだろうか(^^♪


     暗い川

       光を強調したくて真っ昼間なのに暗く撮ってみた




     月光になぞらえて

      月はいなかったが払暁の空の明りが助けてくれた


 その友人が、著名な写真家ジョニー・ハイマスのサイン入りの本を贈ってくれた。タイトルは『たんぼ(めぐる季節の物語)』1997年第8刷、整理を続けている書棚に、それは今も残っている。旧友も農村地帯を自費で訪ね続け、土地と人との自然な関係を撮り続けていた。現地でハイマス氏にも出会ったそうな。旧友は景色だけではなく人やその生活を絡めて撮る。しかし私は思った。肖像権が云々される昨今、発表自体に足かせがかかるだろうなと。
 先般、旧友に私の新刊『キルリーの巣窟』を送った。返信も届いた。
 ふと思ったものだ。「もう、つきあいが半世紀に近い」と。
        

     

. 自費出版は終活の一里塚(4)『キルリーの巣窟』


 数年前からの構想で、すぐにでも執筆できたはずが、二年間もストップしていた。「もう書けないかもしれない」、その恐れが確かなものとして実証されてしまったら、これから先、何をして、何を目標にして「老い」を生きていけるというのか。自分の中で、行きつ戻りつの葛藤が続いた。正直なところ、前頭にあり短期記憶をつかさどる海馬がこれほどまでに重要な「器官」だとは夢にも思わなかった。高齢化による自然な劣化はあるだろう。しかし症状の悪化は数回の事故による頭部強打に原因があることは確かなのだ。記銘したことを再生できないという障害ではない。見聞したものを一時的にでも脳に記銘する機能が極度に劣化してしまったのだ。

 今年の七月、ぐずぐずしている自分に飽きが来た。「だめならハッキリさせよう」と覚悟を決めた。人物関係図を作りパソコンの先に貼り、プロット一覧を巻物にしてパソコンの脇に置いた。エクセルに記録している日々の記録欄は、その後の三カ月間『キルリーの巣窟』の執筆、読み直し校正、執筆という記述で埋まった。大辞典、資料、法律関係図書はパソコンの周囲に積んだままになった。「こんなことを覚えられないんだ」「きのうここ書いてるじゃん」…衰えた記憶力を毎日、これでもかとばかり突き付けられた。三十人以上いる登場人物の氏名を散歩の際に復唱した。氏名が出てこなければその人物につき繰り返し手書きをして記銘を図る。眠れない日が続いた。情けなさに焼酎のお湯割りをあおった日も多い。脳の劣化とはこれほどまでに辛いものなのか。それは実感だった。

 四百字詰めで五百二十二枚。「完」となったときは、実際目頭が熱くなった。まだ全文の校閲や第三者に依頼する校正、さらには版下作りや表紙作りが残っているのに、数日間ボーッとしていた。
 自分との戦いには勝ったが、海馬の改善は成らなかった。そもそも、文章作成力は海馬とは違った脳の部位が担当する力なのだそうな。スタート時に医者の話として知ってはいたのだが、それでも大いに落胆をした。

 12月の上旬、各方面に寄贈として本を送付をしながら、「この先どうするんだ」と自分に問い続けた。心臓の停止は別として、「健康年齢の終末」は目に見えて近くなった。ウジウジしながら「そのとき」を待つことだけはしたくない。
 師走も半ばを過ぎて、ようやく何をすべきかを決めている。
 『キルリーの巣窟』を「最後から二番目の本」にすべく次回作に取り掛かると。
  


      キルリーの巣窟

 キルリーとは羽ばたいても後ろにしか飛んでいけない伝説の鳥。表紙の絵は筆者の姉の作品。
 この作品も引き続き伊東市のサガミヤ書店で扱ってもらうことにしました。
     

. 自費出版は終活の一里塚(3)『孤往記』


 あと四か月ほどで六十七歳になるという晩秋に、自費出版をした二作品を「ネットで販売できる途があるがどうか」という話が入って来た。結論から言えばペンディングにしたのだが、「制作」担当者が私の関連作品を縦書きで読むためにと、ホームページ蛙声庵からデータをとってPDF化したものを寄贈してきた。二百六頁に及ぶ『弧往記(こおうき)』がそれだった。作者のくせに恥かしいのだが、同人誌『岩漿(がんしょう)』に連載という形をとっていたせいで、全編を通読するのは初めてだった。公休日に五時間を費やして精読した私は、知らず知らずのうちに「校正」もしていた。「自伝ではないが、たしかに私は小説の中に居る」とかつて語ったこの作品。いつしか一読者として目頭を熱くしていた。「何だ、この感覚」。私の人生を決定づけた青春時代が否応なしに蘇えった。

 真直ぐな主人公が味わった孤独、囚(とら)われた悩み、求めた人のぬくもり、突き進んだ遠い夢。もしかしたらこの奥底にあるものは普遍的なものかもしれない。我田に水を引いた私は、第三の上梓を決意した。
 もともとこの作品は、親族、友人知己など縁(えにし)を結んだ人たちに遺すメッセージとして考えたもので、『岩漿』初出は平成十一年、連載の終わりは平成二十三年、東日本大震災の春に当たる。こじつけではなく、実は『岩漿』もこの年で終焉を迎えると思っていた。それから丸三年の春、小説『孤往記』がネットを使って一つになった。

 こうしてみると、上梓に向けた行為は進めていても、理由は区々だが躊(ためら)いがあって、歳月がいたずらに過ぎていったようにも見える。もう一つ。この障壁を乗り越えるための「引き金」は、比較的小さな「きっかけ」という点も共通である。このカミングアウト的なエッセイを書き終えて、ふと思った。私の上梓は「終活」の色彩を帯びていると。
 


       misakiblog 0583

 おびえて縮こまった子犬にも見えるこのパン。この程度のものさえ口にできなかった青春という名の過去がある。
 『孤往記』(平成26)が載ったネットはAmazon。私にしては珍しい一里塚になった。


. 自費出版は終活の一里塚(2)『夢の海』


 東日本大震災と津波、さらには原発事故をみて、自分の人生までもがほとんど終わったような気がした。事実、生活を極限まで縮小しようと試みた。それから一年経った頃、受けた衝撃と多少の余裕を回復した心が複雑に絡んだ末、「もう一冊出したい」との結論に達した。選んだのはラブサスペンスの『夢の海』。ただ、この作品には入力済みのデータがなかった。まずはベタ打ちを岩漿会員のY氏に依頼、帰って来たデータを版下までもっていく自らの作業がさらに半年近くかかった。コツコツと積み上げていく中で、迷いも生じた。齢六十五、老後の貴重な蓄えを印刷代に回してよいのか、それほどの意味が「上梓」にあるのかと。日々の労働と蓄積する疲労が漸(ようや)く作業ペースを落としていく。ではなぜ数十頁に及ぶ追補作業まで可能になったのか。

 皮肉にも原動力になったのは、日々摩耗を続ける精神そのものだった。それでも揺らぐ心。ところが或る日、大きな力が働く。三人の旧知の「友」が職場に来て泊まったのだ。彼らは、私が「受験時代」に中学校の管理員をしていた当時、新任の教師として赴任をしてきた。美術を、部活を、教育を、真剣に語り合った人たちだ。聞けば三人とも学校長まで昇りつめて定年を迎えたという。ただそれだけの話だが、これで二回目の「上梓」は、私の中で確定となった。

 『夢の海』の評価は結果的に二分された。途中で読むのをやめた人にとってはゲテモノ作品、最後まで読んだ人にとっては愛憎を深く抉(えぐ)った文芸作品と。批評文を寄せてくれた数十人の読者は後者だった。藤沢市在住の常連読者は言った。作品としては良い、「あとは好き嫌いの問題」だ。

 二回目の上梓が私に教えたもの。それは、小説は出版を経て、作者の想い如何にかかわらず一人歩きをする数が爆発的に増えるということだった。だからといって、風当たりを恐れて表に出なければ、温かい日差しを受けることもない。この理はきっと胸に仕舞っておきたいと思う。



     img1041.jpg

装丁は姉と私のコラボ。大きな写真は残っていない。
因みに『夢の海』(平成24)は、いまも伊東市のサガミヤ書店に在庫がある。嬉しいやら哀しいやら。


. 自費出版は終活の一里塚(1)『小説太田道灌』


 『小説太田道灌』の場合、創作自体ではなく本にする動機に限って言えば、死後に遺すものが欲しかったからと断言できそうだ。対物で済んだが、交通事故に遭(あ)った。以後、運転中に対向車と正面衝突する可能性に怯(おび)え始めた。いつ死ぬかもしれないのに、自分には生きて来た確かな証が何もない。まだ「息」をしている間にできることはないのか。今にして思えば特異な心理状態だった。しかし契機はともかくとして、上梓(じょうし)するための「版下」作りに没頭している間に、「還暦の記念に」という健康的な動機付けに変化してはいる。素人が自分で未熟ながらも本を編むのだ。多少の異常性は必須条件かもしれない。

 同人誌は、言うなれば仲間の作品を載せるものだ。文章の巧拙や内容の誤謬(ごびゅう)についても、多少の甘えは許される。だが、上梓となれば違う。歴史に絡むとなればなおさらのこと。刷り上がり、図書館に寄贈し、友人知己に送り、ネットで販売し、さらには書店に並べたあと、戦々恐々とした日々が続いたことを告白する。
 結果は、本は完売し、数十通の批評・感想のお便りを頂戴した。太田道灌の末裔の方々との誼(よしみ)も生まれた。望外の喜びとはこういうことだろう。

 しかし、道灌研究家の方々から拝受した資料の数々は、筆者の身を竦(すく)ませるには十分なものだった。唯一の救いは、それらが私の『小説太田道灌』執筆時には書籍化されていなかったという事実。逆に言えば、当時存在していれば、あれほど史料収集に苦労はしなかっただろう。いずれにせよ流通させてしまった本は、銃から発射された弾丸と同じなのだ。
 単行本『小説太田道灌』は私に、上梓する喜びと怖さを同時に教えてくれたことになる。



      太田道灌

       神奈川県伊勢原市 太田道灌像

 江戸城を築城した稀代の軍師太田道灌は、主君の命を受けた自らの部下の手により、この地で暗殺される。
 300冊刷ったこの本『小説太田道灌』(平成18)は全て配本。私のホームページ(左最下段)に全文PDFがあるのみ。



. 「この目で見ている」は、本当に見えているのかな?


 『私はただみなさんのために・・・』と、視覚障害者のバリアフリー活動をしている音声ガイド制作者の若い女美佐子(水崎綾女)が言うと、弱視の元著名カメラマンの雅哉(永瀬正敏)が苦笑して彼女に斬りこみます。台詞をメモしきれていないので、ここでは彼の主張の主旨だけを爺なりに「翻訳」しておきます。『他人(ひと)の「ために」なんて思い上がりだよ、誰でも自分自身のために創作しているんだ。「ために」なるかどうかは他人が決めることだ』と。爺もまた、あらゆる創作に対する印象や評価は、鑑賞者それぞれのものでいいと思っています。さらに『いまのあなたの音声ガイドでは観る人の邪魔になるだけだ』と雅哉。言われた美佐子は内心憤り、方向を見失います。爺は観ていてこう思いました。美佐子さん、あなたは自分のためにやっているんですよ、それでいいんだ。ただ、やるなら質を高めないとね、やっている「自分自身のために」と。

 カンヌの常連になっている映画作家河瀬直美監督の『光』は、次のような特色がありました。①ほとんどの場面が暗い②台詞が少ない③顔(表情)のクローズアップが多い④説明らしきものが無い。②と④の特徴については樹木希林、永瀬正敏主演で元ハンセン氏病患者の社会復帰を扱った『あん』でも同じでしたね。①は光を失いつつある世界を描いている点③は人の目を扱っている点から納得しました。
 美佐子がやっているバリアフリーの映画ガイドは「ディスクライバー」というのだそうですが、これを前面に出して創ったこの作品は、2017年カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞しています。
 映画は①面白い②美しい③ためになる、のどれかに該当しなければ、爺は観たこと自体を後悔するのですが、この作品は、声を大にして③で、非常に良かったです。

 観ていくうちにいくつかの考えさせられる言葉がありましたので、爺なりの解釈でご紹介します。
 『見ていると見えない。見ていないと見えてくるものがある』
 自分が見えている人だという立場で映像のガイドをしていくと、視覚障害のある鑑賞者の邪魔になることがあるというのです。爺はこの言葉の後で自分なりに味わってみました。「目」って一体何だろう、映像を結んでいるのは、網膜ではなく実は、脳という名の心なのかもしれないと。そうでなければ映像の音声ガイドそのものが成り立たないからです。

 「失うことの美学、消えていくことの美学」とは、ある評論家の映画『光』のテーマ論。
 『生きたいと思っても死んでしまうこともあるし、死にたくても生かされてしまうことがある』
 どちらも「美」なのかもしれない。
 『老いてくるとね、生と死の境界がわからなくなるんだ』
 この二つは、音声ガイドの対象になった「劇中劇」としての映画の中から。俳優は藤竜也でした。
 境界がわからなくなってはじめて、人間は従容として逝けるかもしれません。

 ラスト近く、走り寄ろうとした美佐子に、ほとんど失明してしまった雅哉が叫びます。
 『俺は追いかけなくても探さなくても大丈夫だから。ちゃんとそこ(君の居るところ)に行けるから!』
 このときは既に、二人は心の目でつながっていたのでした。
 ちなみにこの作品、脚本も河瀬監督です。

 『説明はしない。(映画は)それでいいんだよ』(黒澤明)
 昔、北野監督との対談での北野映画への評の中で。 
 

. 自然に接して想う、人間界の「晩秋」


 払暁に月、スーパームーンを山の端に観た。
 月とは、こどもの頃にはかぐや姫が爺と婆のもとから帰っていく所だった。ところが今は、日本人も月面歩行を夢見ている。科学では進歩と誰もが思う。では「情操」ではどうか。どこかの本にこんな記事があった。外人が不思議がった。野外で日本人グループがにぎやかに談笑していたところ、雲が切れて月が顔を出した。とたんに喧騒がぴたりと止まり、月を見上げて誰も言葉を発しない時間が訪れたのだそうな。外国人にはこの感性が乏しい。日本人にとっての月は、科学だけの対象ではないのだと気づいたと。
 それでも最近は、日本人も欧化主義者になっているような?

 並木道の銀杏が黄みを増して、舗装路に落ち始めた。
 発芽、開花、深緑、結実、紅黄葉、落葉と、草木は年毎の自らの「出処進退」を熟知している。人間界はどうか。「大木」になればなるほど、この美を忘れて、ただただ醜く立っているような気がする。公私の区別もつかず法案の一つも創らずの国会議員、不正を看過し会社を貶めてしまう上場会社役員、仁王立ちが妙に似合う大横綱、内容の乏しい某TV局のコメンテーターなど如何に。「え? 家庭内の老人も、ですか」、『いえ、それはありません、そもそも大木ではないので』

 木枯らしが冷たい、向かい風が特にきつい。
 ところで、世間の風はもっと「冷たい」もの。今夏今秋、都議会や議事堂に吹き荒れた「風」は、あっという間に止んだ。風の起こし手の身から出た錆とはいえ、「風」とはかくも軽いものか。人は有頂天の時がもっとも危ないとは良く言ったもの。彼女は何を成そうとしたのか、また風の受け手は何を期待したのか。両者ともことの「総括」などはすまい。過った「風」が、自然に力を失うだけのこと。
 豊洲での追加工事をゼネコン3社が辞退したそうな。これも1年前の同じ「風」のせいだとか。博識の彼女も「男たちのプライド」はご存知なかった様子。

 寒風に「頭にもっとモコモコした毛糸の帽子が必要だったね」に。(老妻はすでに大自然)
 2刀流の選手がメジャーリーグチームの選別をしたとの報。彼は思いあがっているのか?
 入団交渉の相手は、東ではなく西海岸のチーム、大手ではなく「弱小」のチーム、しかも日本人が在籍していないチームがいいというのだ。大騒ぎをされ30チームが食指を伸ばしたと言われて調子に乗ったのか?と誤解されそうな内容だ。しかし彼は、もともと少し待てば大金が手に入るのに、金よりも早くメジャーでプレーしたいというのが渡米移籍の動機だったのだ。何かわけがある。それが出た。オフシーズンや「米ペナントレース」で日本人の諸先輩方の邪魔をしたくないのだという。早く契約したいのも同じ理由だという。泣かせる話だ。しかし、「日本の若造」に交渉資格をあらかじめ奪われたメジャーチームのプライドはおそらく傷つくに違いない。彼の発想は欧米にはないものだからと専門家は危惧をする。プライドなら諸先輩方にもある。善意の彼が誤解されることが無いよう祈りたい。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』ともいうので。 

. 一つのことしかできない自分に気づいた


 これではいけないと、人形まで使って更新の無さを嘆いていたブログですが、結果的に10日経っても状況が変わっていないとしか受け止めてもらえないと思っています。

 この間の日々はかなりせわしないものでした。
 昨年親族向けのデータノート『親族の譜』を制作したのですが、26日からその更新版第2号に力を注ぎ、30日に自作の小説『キルリーの巣窟』が本になって印刷所から届くと、130冊分の発送事務にとりかかりました。さらにそれが終わるとすぐに、年賀状の完成へ向かうことに。そして今日師走の4日…今朝、というには早すぎる時刻に目覚め、こうして「自分に言い訳」をしていると、哀しいかな或ることに気づきました。
 それは、自分がもう、複数の「事務」を同時進行させられない人間になったという事実。時間的にとか、体力的にとか、そういうことでは無さそうです。たぶん頭、もしくは心の問題でしょう。大雑把に「能力」と言ってもいいようです。
 「でもね」と老いた自分が言います。「もういいじゃん、それで」と。

 もう一つは「自分の身の回りに起こることはみんな意味がある」という昔からの、私のとらえ方。ブログやホームページ関係で起こったイライラ原因も、「おまえブログを始めた所期の目的を忘れてるだろ」との忠告ではないのかと。ぶろぐ村にも参加せず、写真も皆無で訪問者も数人、拍手も毎度0から2つ。それでも文章修行と心得て、確実に読んでくれる相手をしっかり見据えて注力していました。いま、何かを失っているとの警告、そうではないかとの。

 何か寂しいですね、年をとるって。それを「いいじゃん」と納得させている自分自身も。
 急げないかもしれませんが、今度ブログに取り組むときは、別の自分に還っていたいと、そう思っています。
 でもこれって何度目の気づき? …(^^♪
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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