蛙声爺の言葉の楽園

. 若いときの目で70歳の自分を見るとユーモラス


 ネットで「認知症の兆しに新指標 本人や家族がチェックすべき33項目」という記事を見つけたので、早速自己診断から始めました。意外や意外、該当して○印をつけた項目は2つで済みました。「いやいや自分の贔屓目(ひいきめ)ということもあるかも」と、炬燵にあたっていたかみさんにもチェックを頼むことに。記事でも家族の目が大事と書いてありますしね。「このとおり2つでいいんじゃない」との結果にニコリ。どうやらいまのところ短期記憶を掌る脳の海馬劣化だけで済んでいるようです。もっともこれが1番ショックなのですけれど。
 該当した「2つ」って何だと興味を持つ人は特別いないとは思いますが、今回の記事の都合上、記します。「自発性や行動性が乏しくなってきた」「モチベーションが低下してきた」がそれです。ブログの更新がどんどん疎らになっていることでもお判りでしょう。
 とにかくこの記事の項目、詳細で素晴らしいと感じました。
 ぜひ「検索」してお試しください。記事によれば「兆しの有無」判定ですから40代後半から必須、ということでした。

 数日前のことです。朝起きたら足腰がふらついて、自分の体でないような状態。筋肉で言えば大臀筋と大腿筋が力なくフニョフニョなのです、しかも激痛。恐怖で脂汗ものでした、「脊椎に何か異常が起こったのか」と。トイレまで歩くにも、人型ロボットのアシモ君そっくりな感じにしないと痛みます。いつものように「散歩して来れば治るかも」と2500歩ほどのコースに出ました。結果は「恐怖」が増しただけでした。それから丸2日沈鬱な時間を過ごしたものです、「これが年を取るということか」と。
 3日目の午後、ふと気が付いてインドメタシン配合のパップを大型のまま2枚尻に張り付けておとなしくしたのです。翌朝だいぶ良くなっていました。「なんだ筋肉痛かよ」と拍子抜け。それなら原因は、負荷を付けたトレーニングのやりすぎだと腑に落ちました。
「年寄りの冷や水」とは良く言ったものです。それにしても「あーあ、あの程度の運動でなあ!」
 急にかみさんの言葉を思い出しました。
 「いったいいくつの時の自分と比較しているの」
 皆さんもできたら、去年とか一昨年とか近年の自分と現在の自分を比較して暮らしてくださいね、「危険」です。
 「尻に膏薬、あと3日は覚悟です!」



  考えなしにシャッター押してしまいました、何がメインだか不明です

      春だね


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. 相撲レスリングを相撲道に戻してくれそうな稀勢の里


 千秋楽、新横綱稀勢の里が優勝するためには、大関照ノ富士を本割(ほんわり)で破り、かつ優勝決定戦で勝利する必要がありました。日馬富士戦で負傷した「左肩悪化のリスク」と闘いながらです。力士生命を大事にして休場するよう勧められていたはずなのに彼はそうしませんでした。その理由は今場所の最終結果を見れば想像に難くありません。横綱は4人になったのにモンゴル出身の3人のうち1人は早々に休場、あとの2横綱は揃って10勝5敗という成績でした。ここで彼が休場したら「恥ずかしながら今場所は崩壊」となってしてしまったに違いありません。
 この日の2戦の勝利に場内はどよめきました。テレビの向こう側で誰かが、「こんな歓声は初めてですね」と仰天。
 彼の今回の言動は、貴乃花親方がよく口にする「相撲道」を思い出させてくれました。稀勢の里への観客の激励と驚喜はそれを証明しています。

 偏見や人種差別ではなく率直な想いを言わせてもらえば、10数年続いたモンゴル相撲上位の流れは、伝統的な、国技としての相撲道から外れていました。「横綱相撲」という概念が消失したと言っても過言ではありません。一言でくくれば「勝てばいいだろ、文句を言うのは差別だ」となりましょうか。立ち合いで格下の力士に対しても醜く横に跳ぶ、どっしりと胸で受け止める器量に欠けるといわれても仕方がない姿勢です。「横綱」が3役を超越した別格の地位だということの意味を理解していないのです。勝ち負けもさることながら「相撲内容」が問われる存在なのです。下位力士の模範となるべき地位なのです。軽量力士の真似をして猫だましを使ってみたり、前に出ず引きまくって醜く頭を押さえこんだり、すでに土俵を割らせて勝っているのに相手力士の胸をドンとついて土俵下に落としてみたり等々「道」を失った相撲は美しさも失ったように思います。一番のマイナスは、こういった上位力士の相撲が番付の下方へと伝搬していく流れでしょう。上がそうなら当然下もそれに倣っていきます。
 仕切りが大事、前へ前へと出て引き相撲はしない、脇を固める、擦り足が基本…中学校の相撲部でも教わる内容ですけど、来場所で結構ですから確認してください。現状はかなりひどい状態だと思います。

 爺ですからご勘弁願いたいのですが、あの「栃錦・若乃花時代」「大鵬・柏戸時代」「千代の富士全盛時代」そして「貴乃花・若乃花の2代目時代」が懐かしいのです。水入り相撲・ガチンコ相撲の数々、度肝を抜かれた大技小技、小兵が巨漢を下す相撲の醍醐味、倒れた力士に手を貸す勝者、寄り切って勝ったあと相手力士が土俵下に落下しないよう支える横綱たち…そういう相撲道が返ってくることを切に願います。
 今場所の稀勢の里は、その相撲道復活の予感を与えてくれました。



  こういう「何様よ、エラソーに」と突っ込みを入れたくなる記事がお好きな方にお勧めの過去記事20発を、新しく設けたカテゴリ <「偉い人」気取り?> に集めてみました。興味のある方は左下のカテゴリ欄の一番上から入ってください。容赦のない口撃、歓迎です。



     城ケ崎海岸に現れたキングコング? 「シン・ゴジラも海からでしたね」 

      岩の顔


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. これって「詩」なのかな


           これってもしかしたら


  なあ、ずーっと小さくした「欲」でもって過ごさないか

  けっこういい夢3本もみた 夜中のトイレ2回のお陰か
  サッシ戸の向こうの小枝に 白黒はっきりした可愛い小鳥が長いこと止まってた
  きようの薄手のトックリの色柄 じつに春らしい
  アスファルトの割れ目の野草 このあいだよりかなり伸びてる
  くるくる寿司のマグロ いつもより少し厚かった

  アメリカが決勝戦の相手を「8-0」でコテンパンにした
  侍Jは準決で2点しか取られてないんだよな

  ――自分のより「よそ」の活躍が気になる齢。
  これってもしかしたら「幸せなのか」

  夜食でのふりかけ お茶漬けでもけっこういける♪    




    1つ前の記事『日本のロケットをICBMだという国がある?』 を削除しました。興味や評価を得られない「面倒」な長文はひかえることにします。
     
   なんで2度使うの? この写真だけどこかの「誰か」が記事とは別に注目してくれたから。

 超えられない壁があり、しかも長年月を経て苔むしている。自分はそれを横目で見ながら、人生の急坂をハァハァ苦しがって上がっている。気が重くなるのはその苔が時々日差しを得、輝いて見えるからだ。しかも目の前のカーブの先に何があるかは、いつだって見えなかった。
 この写真を撮るときに、自分の来し方行く末をこんなふうに思って魅かれた記憶がある。
***3月29日、この記事の写真が「壊れました。カウンタも1の位が消えてしまいました。以前にもあったのですが何が原因なのかまったく解かりません。とりあえず写真、醜いので削除しました。

     

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. いじわる爺ちゃんの「テレビの番人」?


 うっぷん晴らしではないけれど、日ごろテレビに向かってブツブツ言っていることを少しだけ並べてみたくなりました。

 早朝4時からやっている某テレビ局の番組なんですが、時計代わりに視ていると首を傾げることがいくつかあるんですよ。いえね、この時間帯に幼児は起きていないと思うのですが、どう見ても学齢前の子ども相手と思われる超短編のクイズアニメをやっていました。たぶん穴埋めの再放送なのでしょう。それと真逆になるかもしれませんが、1分間のトレーニング枠があって、どう考えても高齢者が指示通りにためしたら膝などが痛みそうな「レッスン」をどうぞと進めています。「けっして無理はしないで」とか、そういう「注意」も無しにです。この雑な感じ、番組そのものが局の1日単位でみての穴埋め枠なのでしょうか。

 各局の昼間のワイドショーに多いのですが、男女のキャスター(MC)や居並ぶゲストのバックになる「壁」の装飾類とその色彩のゴチャゴチャ感が半端ではありません。画面の中心はこれらの「人」のはずで、「背景」はそれを活かすためにあるべきでしょうに。MCの後ろの花が無駄に豪華で、可哀想に手前の若い女性は霞みがちです。色使いも極端な時はまるで「色盲検査」の図柄のよう。「仕事」をしすぎないという「仕事の妙」、「思いやり空間」という考え方も必要ではないでしょうか。どこそこに限らず何か担当の人が「空白恐怖症」なのかなと思うことがあります。
 これは映画やドラマで最初から最後までBGMを流している音楽担当さんにも言えることです。かえって「邪魔」をしているんですね。みなさんは、こんなこと感じたことはありませんか。

 ワイドショーだけでなく食レポ「専門コーナー」とも言うべきものが頻繁に登場します。「食べる」という行為が、これだけ大量に画面に出る「時代」ってあったでしょうか。世の中のニーズの変化に各局が対応しているだけなのかもしれませんが。文字通り食傷気味です。ろくにコメントも出せず、ただお腹を満たしているだけというゲストもチラホラ。低予算番組の必要性、無尽蔵にある取材対象、簡易な制作など、局側のメリットはいっぱいあるとは思いますが、「ちょっとねえ・・・」
 昔読んだ雑誌のコラムにこんなのがありました。彼は言います、食べることと排泄することはどちらも人間の欲望と生とに直結するがゆえに本能的にも極めてプライベートなもの、だからこそ男女の親密さのスタートが一緒に食事をすることになるわけですと。大口を開けたテレビの食レポ番組は、視る人の微妙な「羞恥心の開放の効果」を減殺させてしまうのではと憂えるのですが。
 「ちょっとこの爺ちゃん古すぎー」っていわれそうでいけどね(^^♪

 ニュース番組についてはこれだけは言いたいですね。いつも感じています。日本国、日本人、日本政府にとって良いこと、嬉しいことは簡単に扱い、さらには報道をスルー。この逆の場合は詳細に、拡大して、反復継続してと至極「ご丁寧」。隣国のことはさして知りたくもないのに毎日毎日扱い続けて、誰かさんではないけれど「いったいどこの国のマスコミだよ」。
 3月17日でしたかね、国産ロケットH2A33の発射が成功したことをネットで知りました。宇宙科学の先端を走るこのニュース、どこかの局でやっていましたかね。すくなくとも爺は見つけられなかったのです。まあ、打ち上げ成功率97パーセント以上を誇る日本の場合、たとえ海外で騒がれようとも、ニュースにするほど大したことではないのでしょうか。それなら、また「地味にすごい」とは思いますが。
 もうこの辺りで止めておきますね(^^♪


  春の証拠は「柳に風」。 実際の世間では「さらりと受け流す」のは難しいけれど
 
      柳


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. ハゲマゲドン-それは或る日突然に


 『冬の或る日、海辺のファミレスの階段を上がっているときに喜劇は始まった。「ちょっとその髪どうしたの」と妻が慌てて、手梳きで私の髪を撫でた。人目をはばからぬ仲の良さ。外目にはそう映ったらしく、見上げるとガラス越しに大勢の人が笑っていた。一時間後に自宅の鏡で「引導」を渡される。後頭部に「巨大な」円形の脱毛があったのだ。しかも二つ。幼い時からの海苔好き、今もワカメサラダ狂、ヒジキの煮物など永遠の晩酌の友という私が、こともあろうにハゲ? 「髪は長いお友だち」、私にとっては裏切らない友だった。それが何故。齢六十四にして激変する日常。日に何度も見る鏡。手放せない櫛。洗髪時の恐怖。職場でも、街を歩いていても、テレビ画面でも、心なしか探している「仲間」、つまりハゲの人。あるは居るは心因性らしい禿髪。今まで感じたことがないこの連帯感、安心感。これは心理学的には何なのか。もう旧知の誰とも会えないと深刻になってみたものの、進歩なのかヤケなのか、いつしかあるがままの自分にハゲ増された私。嗚呼』

 仕事の強いストレスとイライラから実際に起こった「事件」を笑い飛ばそうと創ったエッセイ。この地方では有名な「ハゲ薬局」の店主は「心因性ですね、間違いなく」と冷めた口調で言うと、かなり高価な2種類の塗り薬を出して見せてくれた。「治るんですか、これで」と私。「心因性ですから、貴方しだいですね」と、さすが薬剤師。聞かずもがな、とはこのこと・・・納得。
 結局薬で、ではなく気持ちを入れ替えただけで産毛が生まれ、順調に育って完治。要半年の「治療」だった。 


   「もう春だね」『そうカモ』。のどかすぎて眠くなりそう。

     春カモ
      *小室山公園にて*

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. 『3.11』に頭を叩かれた3月11日


 世界保健機構の定義だったと記憶している。「健康」とは精神的、肉体的かつ社会的に健全であること。老いれば、これらの全てが衰え損なわれる。それは生物として仕方がないこと。高き者にも低き者にも、富める者にも貧しき者にも、等しく迫ってくる「死」の前触れでもある。せめてこのことが心の救いか。
 ところが、そんな「生」の平等性も、「若さ」の特権も無関係に突然かつ無慈悲に襲ってくる死がある。
 すぐる3月11日土曜日、私は何か強い力にでも引かれるように『東日本大地震』の記録画像の中に入った。「YouTube 東日本大震災」を検索し、なんと3時間も見続けたのだ。報道カメラ、固定カメラ、個人の撮影機器、それらでとらえられた被災の映像は凄まじかった。

 2011年3月11日14時46分、最大でマグニチュード9という3つの巨大地震が東日本近海で発生した。恐怖の360秒とその後に襲来した大津波。15000超の死者、2500超の行方不明者。海水にもてあそばれる車、陸にあげられる船、浮かんでは砕かれる家屋、逃げ惑う人と車。高台で『はやく! 逃げろ‼ 』と必死に叫ぶ人たち。重油による大火災 、液状化、そして原発事故。『だめだあーこりゃ、壊滅だよ』『ああ、あの人だめだぁ…』東北訛りが胸に迫りくる。
 気が付いたら、何年ぶりだろう、涙が流れ出ていた。悲しさとはあえて言わない。大自然の前では為す術が無い人間。育てた知恵も築き上げた科学技術も粉砕する圧倒的な、力。「命ってこんなにかんたんに奪われるのか」 は目の前の真実。

 さらに被災後の日本人の姿と言葉。海外の報道はこぞって讃えた、地獄絵に近い被災現場の中でも自分を抑え、ルールに順い、他者をかばい労わる国民性、民度の高さを。
 合計3000億を超えたという国内外の支援金。地震と津波を「敵」とみなして編成され大活躍をしてくれた米国の「オペレーションともだち」と各国の救援隊の動き。SNSでの内外からの激励。そして復興への道・・・。
 再び私の目を潤ませたのは被災した婦人の、この言葉だった。
 『わたしたちは、他人の幸せをねたむほど落ちぶれてはいません』
 そしてこの老人の言葉。奥が深すぎる。
 『日本人で良かった、ほんとに良かった・・・』

 私が視た大震災関係の記事の中で最も再生回数の多かったものは6129万回だ。世界がどれだけ関心を持ったかが分かる。
 集中豪雨、洪水、台風、豪雪、地震、津波・・・。
 日本を取り巻く大自然は災害発生装置をもっている。そう、日本人と日本という国を試し鍛えるために。
 迷惑な話だが、そんな気がしてくる。

 いまさらながら突然襲われ来る命の終わりを想った。大自然だけではない、自分の肉体の中にも「発生装置」は常設されているのだ。いつ動くかは知る由もない。
 と、すれば「備えよう。やり残したことをやる、これを生活の中心に据えよう」
 あらためてそう思った。「3.11」に頭を叩かれたような気がする。
 終わりの備えが最優先とは皮肉なことだが、老境とはまさにそういうことかもしれない。



 老木に明日はあるのか。そんな木がする、何をする?

       老木
         *この写真すらぼけている。小室山にて*


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. すこし不調にてご容赦

 
 木の芽時には早いのですが、少し体調不良にて「記事空間」が6日になりました。
 自薦で恐縮ですが既出ながら、自分自身が気に入った写真をご覧ください。
 寝込んではいないという証です。


       電柱に蔦
        樹木と間違えて登った粗忽な蔦。 *四季の花公園近くにて*



       ヒガンバナ
        出処進退を決して間違えない曼珠沙華。 *近所の空き地にて* 

       

       カンナ
        必死に輝くことで朝日を讃えるカンナ。 *伊東市街の小さな公園にて*
        


       大室山と花
        昔火を噴いた山を「落ち着け」と宥めるのかラベンダー。 *大室山さくらの里にて*



       ヒペリカムカリシナム2
        薬効あった弟切草(オトギリソウ)の仲間か、群れて支えあう黄色。 *松川湖畔にて*


  以上、自然の中で暮らしている生活に感謝しつつ、自画自賛5枚のお気に入り写真でした。        
         



  
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. 春。動き出した街に


 春3月。ようやく日の出が早くなり朝そこそこの時間に外に出られるようになった。
 土曜日なので日経新聞を買いに近くのコンビニに向かう。往復で2000歩の勘定だ。

 真っ先に出会う「よねわかの足湯」、利用開始時間前なので排水溝だけから白い湯気が出ている。おそらく地上でコックひとつひねれば温泉が浴槽に流れる仕組みになっているのだろう。時間外はその温泉が直接に排水されているのではと推測した。温泉の街らしくていい。伊豆半島で最も温泉井戸数が多いとされる伊東なのに、揚泉してすぐに配管経由でホテルなどに行ってしまう温泉。街全体に湯気がたなびく伊豆熱川や別府、草津などとは趣が違う。これも温泉の温度が45℃から55℃と比較的低いためで熱損失を惜しむ工夫なのだから仕方がない。排水溝のグレーチングから出る湯気なのでさすがに胸いっぱい吸ってみることはできないが、これだけでも湯の街の雰囲気は感じられる。

 しばらく進むと、由緒は正しそうなのだが小さな神社がある。竹箒で地面を掃く音。チラッと見ると痩身の好々爺然とした人が脇道に散らかった桜の花びらを集めている。うっかりだが「朝の挨拶」を忘れた。「ああいう人に日々護られているんだ神社」と、通り過ぎて数分経ってからしみじみと思った。神社の周囲はきっと、空気まで清しくなるに違いない。

 コンビニで新聞のほかに色の濃いどら焼きを2個買ってから家にもどり始めた。同じ道は避ける。そよ様の庭の木の花や道路脇のプランターにひしめく花を観賞しながら歩を進める。こんなときの私の「仕事」は名前を思い出すことだ。咲いていたのは10種類。ほぼ半分しか出てこなかった。もっとも名前をしらなくても綺麗はきれい。これは都会ですれちがう女性でも同じ理だろう。

 松川沿いに出て、河畔の緋桜をじっと見る。8分咲きか。ほぼ満開に感じられる。少し離れたところに2本ある染井吉野の花芽はまだ固いので、種が違うのだろう。年配の女性が路地から顔を出したが、ちょうど私がデジカメを取り出したのでかどうか、すぐに引っ込んだ。
 桜はすごい。蕾の間でも人々は期待を抱き、少しでも開花すれば大騒ぎになる。 満開で「雪積む木」、舞って「花吹雪」、川に落ちて「花筏」、地に落ちてさえ積雪初めに例えられる。今朝見た種は色が色だけに「雪」のイメージはないが、そのかわりに艶めかしさがただよう。柄にもなくしばらく花の下にたたずんで楽しんだ。
 いよいよ待ちに待った「春」だ。 


 もしも蟻になったなら花びらに乗って海に出る。アリえないけど。

       桜2
         * Q「水鳥は何羽いますか」*
 


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. 一人で通学させたら虐待って何?


 ネットでアラビアの面白いおじさんが日本に学ぶための紹介番組で「これはすごい」と感心し、しかるべき立場の人に勧めて1校で「実験」、その成功に気をよくして終には国が動き出したという話をしていました。何って小学校の児童のときから自分たちで教室の清掃をすること。私たちにとっては何の不思議もない見慣れた光景ですが、ところ変われば何とやら、海外の反応コメントをみると、むしろ日本の方が独特で「異常」なのだとか。「強制労働」とかそっち方向でとらえるのでしょうか。清掃人の職を奪ってしまうなんて発想もありそうです。
 で、アラビアではその「教育効果」が抜群で、自立性、協調性、衛生観念の上昇などいいことづくめだったようです。そのうち彼の国では、児童による教室での給食の配膳も全国的に実施されるかもしれませんね。

 行列を作って順番を守るなども幼児期からの躾、教育の賜物で、はやりの言葉で言えば「日本人は息をするように行列してルールを守る」とか評されるのでしょうか。
 こちらにしてみれば海外の事情として紹介されることが「びっくり」ばかり。小学生を1人で通学させようものなら保護責任遺棄だとか虐待の罪で警察に通報され親が逮捕されるとか。ましてや電車で通わせるなど狂気の沙汰らしいですよ。ま、誘拐、性犯罪から子供を護るという配慮が国家的なレベルで必要とされているのでしょうけれど、外国人の、驚愕・非難はすぐに「安全な国日本」への憧憬・称賛に変じるようです。
 ふっと思ったのですが、諸外国の感覚からすると某テレビ局の人気番組『はじめてのおつかい』などはやはり「公開虐待」に近い印象でしょうね。もっとも親はついていきませんが撮影隊と言う、いざというときは「保護者」になる大人が数人そばにいます。それでも何か非難されそうな気がします。

 そんな、人も羨むわが国の事情ですが、「豊か」になればそれなりに「大丈夫かな」と心配になることはあります。幼児のときから蝶よ花よで無条件で大事にされ、物心ついた頃からお出かけは親と一緒に自家用車、家に居るときは独立した自分の部屋、どこに行くにもどこに居てもスマホにどっぷり。そうなんです、人と人との良好な距離感や相互配慮がだんだんなくなっていくような・・・。爺の杞憂だといいのですが。



 小さな船も大海に出ます。でも、船自身の力だけでは海の上にのれません

      船
        *稲取港にて*      *前回QのA「カラスは3羽」*


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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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