蛙声爺の言葉の楽園

. ブログって 食堂みたい?


 ふと思った、「ブログって食堂(お店)に似ていないかな」と。
 もちろん店主とお客さんの間に「実際のお金」のやりとりは無いのだが。

 暖簾(ぶろぐタイトル)に魅力がないとお客さんが入ってこない。敷居が高い(難しいとか面倒な予感がする)と感じると敬遠される。何回か入ったけれどメニューが少ない(いつも同じだ)と足が遠のく。いろいろ食べてみたけど味が薄い(記事に魅力も味気もない)と思われると来なくなる。食後(読後)満足すれば「おいしかった」(拍手)をくれる。「お世辞」も中にはある(「立ち寄ったからね」というだけの拍手)。でもこれは「また来るよ」だとも言える。よその人にも良いって口コミ(ランキングポイント)してくれる人もいる。反対に来店して食べたのに無反応で帰る(拍手もポイントもくれない)人もいる。しかしこれも励みに転化はできる。
 旧来の人間関係で来てくれる人(固定客)がいる。そういう人でさえ、来て「お休み」(無更新)が多いとしだいに去っていく。

 店主は案外店の経営に(記事の内容や反響、カテゴリの正誤などに対して)自信が無い。しばらくはガンバルのだが、「休業」(長期無更新)や「閉店」(ブログ撤退)をする人がかなりいる。店の住所(カテゴリ)の移転を考える人も。
 更新がないからといっても全くこれらに当てはまらない場合がある。店主(ブロガー)の闘病や体調不良に代表される「執筆環境の変化」がそれだ。そしてこれは高齢のブロガーの「休業」「閉店」については最も顕著な理由だろう。そうならお客は再開を待ち続けてくれるに違いない。

 これらのことは私自身(蛙声爺)にも私の店(ブログ)にも当然当てはまる。
 気を引き締めなくては・・・と思うのだが、なかなか。
 これ、自虐ネタなのかもしれない。



  急流の横に水が止まっているようなところがあった。流れに負けない底にある石(意志)・・・みたいな(^^♪

     川の底
         *伊東大川中流にて*   



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. 是非が問われる高齢者の運転


 『中国道20キロ逆走・70代』『自転車はねる。何にぶつかったのかわからない・75歳』『若狭自動車道で逆走。軽トラ死亡・79歳』・・・毎日のように、日に何度も繰り返される高齢者の引き起こした交通事故のニュース。まるで、高齢者の運転免許をこのままにしていていいのかと言わんばかりに、全国の該当事故を探し回ってのことかと疑われるレベルである。超の付く高齢化社会、たしかにあらゆる角度で対策を検討すべきだとは思うが、「ネガティブキャンペーン」ではないかと疑う視聴者もでそうな扱いだと思う。

 道路で「動く凶器」とも言われる自動車を走らせることは一般的に禁止されている。この禁止を「解除」するのが国家試験としての「自動車運転免許」だ。ところが現在ではこれ、死ぬまで持ち続けることができる「終身免許」なのだ。これを何とかしようとする思惑が透けて見える。
 ただ注視したいのは事故「原因」だ。高齢者が起こす交通事故比率は、ものの本によれば全体の12-13パーセントだという。この中には「高齢」そのものが「原因」ではないものも含まれていよう。飲酒運転や薬物使用運転などをしたり、違反点数オーバーでこの終身免許を停止されたり取り消されたりするのはそれが罪罰だからだが、高年齢は全ての人間に科せられた課題ではあるが、いやそうであるがゆえに、それ自体は「罪」ではない。
 
 現行の諸制度はここに立脚している。法的には、たとえば自動車運転免許は70歳までとし、それ以後は原則の「一般的禁止」とすることも「公共の福祉」という観点から不可能ではないだろう。たぶん「違憲訴訟」は起こされるだろうが。
 今は高齢者の定型的交通事故惹起につき、「高齢者講習」「免許更新時の認知機能検査」「専門医の臨時適性検査」や「医師の診断」を経たりして自覚を促し、「自主返納」にもっていく方法を採っている。つまり「終身免許制度」を堅持しつつ対策を講じているわけだ。昨今の報道の底にあるのは、それが「もう限界ではないか」ということかもしれない。もちろん源は関係官署だろう。
 2012年の推計では認知症高齢者は『462万人』、団塊の世代が75歳以上になる2025年にはこれが『約700万人、65歳以上の高齢者の約5人に1人に達することが見込まれている』という。つまり下地はこれだと解する。
 たとえばだが、認知症と診断された人の運転免許を取り消すと法定したとする。700万人に受診させられる専門医数が期待できるわけがない。試験場の検査員が機械的に診断できる「病」でもない。たぶん医師に頼る現行の対策すら無理になるだろうと言われている対象者数なのだ。

 ひるがえって、「自主返納」制度もさほど実効が上がるとも思えない。すでにご案内の通りだが、原因は
①高齢者が自分の老化・劣化を自覚できていない。
②自覚したとしても「返納レベル」だと認めたがらない。
③同じく自覚はしているが返納したら不便、ないしは生活が成り立たない。
 ちなみに69歳の私の場合は②と③になるかもしれない。②の判定には自分自身、自信がある。 じつはこれが②の本質。
 
 立法と行政がいつ自動車運転免許の「終身免許」制を廃止するかは不明中の不明だが、段階的にというか、なし崩しにというか、その方向に動かざるを得なくなるだろうと踏む。たとえば75歳までの高齢者は現行通りの対策だが、75歳で全員「仮取消」とし、それ以後も運転免許が要る場合は一定期間内に特別再試験を受ける必要がある。これを逃せば自動的に「免許失効」となる、と言ったように。同じように感じられると思うが、自動的失効と試験不合格の総和で、実効性は全然違うと思う。

 ただ、公共交通機関が一定レベルで存在し、車が無くても日常生活に支障がない地域、生活圏に居る高齢者はいいが、鉄道も遠く、路線バスもないに等しく、かつ運転できる家人もおらず、辺鄙な場所に居住する人はどうするのか。また、老夫婦と嫁の「3ちゃん農業」を通り越し老夫婦だけの「2人ちゃん農業」、さらには「老寡婦農業」にまでに至った農家の「仕事の足」はどうするのか。
 こう考えてくると「運転免許」は「生存権」にまで関係してくるように思えるのだが。
 如何に。

 
   枯れているように見えても、花。

     太陽と芒
        *松川湖畔にて*


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. 綺麗なものを見ていたい、老いを得てなおさらに


 ビデオレンタル店で長編アニメを借りるたびに、聞かれもしないのに「孫に頼まれましてね」などと「弁解」しそうになって、首をすくめる。もともと好きなのだが、リタイアして時間が出来た昨今は特に、綺麗なもの可愛いものを見ていたい、観てみたいと思うようになった。写真、絵画、コミック、アニメーション、映画に至るまでそれは貫かれている。自分自身にそのわけを聞いてみると、「青春時代の想いへの回帰」だとすぐに答えが返ってきた。 

 この中で「コミック、絵画、アニメ、映画」が一体となっている芸術がある。長編アニメーション映画がそれだ。
 「崖の上のポニョ」「思い出のマーニー」「千と千尋の神隠し」「かぐや姫の物語」「風立ちぬ」などスタジオジブリの長編は劇場でほとんど鑑賞しているが、DVDになっているので過去に遡って鑑賞したものも多い。「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「おもひでぽろぽろ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」など挙げていけば20作近いのではないだろうか。
 大前提が「絵」なので、アニメというカテゴリでもオールCGの、ディズニーものは殆ど観ない。オール手書きは当節望み薄なので部分CGなら仕方がないと納得はしているのだが。ところでAKB48ではないが、今年「ジブリ総選挙」なるものが行われた。過去の全ジブリ作品の中で1つ選ぶとしたら何?と投票させた結果、栄冠はアメリカのアカデミー賞長編アニメーション部門賞も獲得している「千と千尋の神隠し」に与えられた。気持ち的には私も同作品に1票だ。10月に全国5館で1週間再上映されたという。ちなみに私はこの作品、劇場で1回、DVDで4回鑑賞している。ほぼオタクに近い。

 「風立ちぬ」のあと自らの高齢を最大の理由に「長編アニメ」引退を表明して1年経った巨匠宮崎駿が復活しそうだと、11月13日放映のNHK番組「終わらない人宮崎駿」がほのめかした。いや事実映像では彼がプロデューサー鈴木敏夫に「長編企画覚書」と題された文書を手渡していた。いったん解体させたジブリ組織が宮崎駿のために再生できるのかどうかは不明だが、彼は死ぬまで描き続けるのが宿命ではないかと思えてくる。

 少し話を跳躍させるが、いますぐ飛んで行って観たい劇場用長編アニメが二つある。
 すでにロングランを続けていて興行収入200億円も視野に入り「千と千尋の神隠し」の記録308億円に次ぐアニメ2位を狙う新海誠監督「君の名は。」と、いまだ数十館と劇場こそ少ないものの大きな注目を集めている片渕須直監督「この世界の片隅に」がそれだ。後者は主人公のすずの声をのんが担当し絶賛を浴びていることでも注目度が高い。

 私はこの2作品ともユーチューブで予告編各種を繰り返し鑑賞した。両作とも作画・背景の美しさが印象的で、どことなくジブリ作品を思わせた。もしやと思って資料を漁ると、確かに。
 「君の名は。」の作画監督安藤雅司は宮崎作品でも作画をやっていた。「この世界の片隅に」の片渕須直は若くして宮崎駿に実力を認められ、「魔女の宅急便」の演出補を担当していた。詳細に調べていけば、二人の「アニメ修行」の重要な部分で「ジブリ」が絡んでいたことが分かるだろう。いまアニメ業界で活躍しているアニメーターや映画作家が宮崎駿から学んだであろうもの、それは作品の完成度を高める執念なのではないかと、そう思う。
 知るのが遅すぎた。早く観たい。「どうせなら1日に両作品共」と胸が躍っている。 

 そういえば「エヴァンゲリオン」の総監督で「風立ちぬ」では堀越二郎の声優まで務めた庵野秀明も宮崎駿とのつながりが深い。今年ロードショー初日に観に行った庵野総監督の「シン ゴジラ」は、圧倒的に「美しかった」。「美」の感覚は実は「眼」だけでは感じ取れず、「心」が伴う必要があるのだと、遅ればせながら気が付いた。表現としての破壊や混乱や戦闘、はては会議にすら「美」がある。
 


  調べましたら「君の名は。」の直近の上映館は神奈川県小田原市の鴨宮、「この世界の片隅に」は同じく神奈川県湘南地区の辻堂 。私の居る静岡県の伊東からはかなり「遠い」。横浜に住んでいた昔と比べればホントに「田舎」。

11月23日、遠い上映館は少し先送りしてとりあえずDVDで、新海誠監督「秒速5センチメートル」(2007年)を夕餉の友として鑑賞した。タイトルは桜の花びらが地面に向かって落ち行く速度だそうな。キャッチコピーも「どれほどの速さで生きればきみにまた会えるのか」とおしゃれだ。映像美が半端ではない。スタートと同時に食事中なのに明かりを消した。
 私見だが、切なさのない恋は空疎でしかない。このアニメはそれを証明してくれている。これは大人の映画だ。もう一度芸術作品として鑑賞することにした。



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. 「高齢者支援に郵便局網」の報道に接して


 経済情報をいろいろ検索していたら『日本郵便は自宅で暮らす高齢者向けの生活支援サービスに参入する』(日経電子版11/18・以下同じ)にぶつかった。記事によれば、日本郵便グループが新会社の資本金の過半(約40億とか/紙面)を出し、来年2月以降からサービスを開始、順次その他の共同出資会社共々その範囲を拡大していくという。協同するのは『操作が簡単な高齢者向けのタブレット端末を開発する』日本IBM、同端末のシステム開発をするNTTドコモ、健康づくりの支援と新しい商品開発を担当するかんぽ生命と第一生命、高齢者の体調不良時に駆けつけ緊急対応をするセコムなどである。

 この動きは『高齢者が急増するなかで医療・介護施設に頼ると、希望者が入りきれなくなるうえ、社会保障費が膨らむ』ことに因る。この「みまもりサービス」分担の中で一番コスト的に苦しいのは地域の郵便局だろう。定期的に訪れて高齢者の健康状態を確認し、『買い物代行や健康管理も担う』予定だというのだ。それと、タブレット端末の操作を高齢者に教えることもかなり難儀なミッションだと思われる。
 いや、最終的には各社とも営利のためだとはいえ、新機軸の高齢者サービスに頭から疑問を呈することは止めよう。たしかに昨年度でさえ75歳以上の高齢者は1600万人だ、今後は介護保険だけでは賄いきれないに決まっている。地方の拠点を求めるとしたら郵便局の力を借りるしかないのも事実だ。実現性、実効性のほか、信頼度でも妙案と言える。高齢者側から見ても定期的な自宅訪問者が郵便局員というのは受け容れやすい。
 いわわゆる「官」の主導だと推定できるが、「提案」した人に敬意を表したい。
 
 と、ここまできてフッと思った。上記8社の役割分担案、親族間でも実現出来ないだろうかと。いやむしろ、実現できる親族があるのではないかと、言うべきか。高齢者の父母、兄弟姉妹だけでは新しいシステムは無理なので、甥姪やさらに若い親族まで「みまもりグループ」に「参入」してもらう必要があるだろう。
 もちろん、それが可能なら、はじめから「官や公」が動くこともないのだと、言われそうだが。
 とりあえず要注視のニュースだ。

 高くて険しそうな山。見上げるところから始まる

     甲斐駒
        *甲斐駒ケ岳の朝をとらえる*


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. 熱狂的な支持者を持った「政治家」のリスク


 米国大統領選挙については、爺には珍しく新聞、テレビ、ネット、雑誌などで経過を追い続けていた。結果は予想外だったが、この解析をするほどの知識も「資格」もない。ただ、素人なりにこれだけは思った。彼は、もともとの強烈な不支持者だけではなく熱狂的な支持者からも「身の安全」を脅かされるのではないかと。しかも今後も「米国に相応しい大統領」になろうとすればするほど、である。
 彼はこの選挙で、国内の不平不満層にアクセスをした。その極端な言動は「熱狂」を呼び支持者を拡大、閉塞感を抱く一部の支配階級までも取り込んでいった。結果は僅差ながらもまさかの当選。当初「共和党の泡沫候補でしかなかった」彼が、米国の、いや「世界」の頂点に立ってしまったのだ。アメリカンドリームの体現なのか「恐怖の序曲」なのか。この辺りは生じたカオスの中で誰しも先が見えないだろう。

 当選後、次期大統領として現実的な指導者として歩み始めたかに見える彼だが、しだいに選挙活動中の「暴言」が足枷(あしかせ)になっているのを否めない。なぜなら彼への熱狂的支持は、「暴言」によってもたらされたのだから。その暴言内容の「否定」「撤回」「緩和」「修正」は、支持者から見れば軽くて「失望」、重ければ「裏切り」になる。熱狂的支持と「裏切られた」の間の落差は大きい。彼はそこから来る「リスク」と闘う羽目に陥るのではないか。「これ以上はないという立志伝中の人」になった彼と彼の周囲が、「身の安全」を危惧し始めたのがその証左であろう。
 
 この理は米国の政治家に限らず起こることではないか。
 隣国でも、わが国でも、いや首都でも、地方でも・・・。
 当選しなければ自分の政治的理念を実現できないのは確かだろう。そのために極端な形で行う「大衆迎合」。それはしかし結果的に、当選者にも選挙民にも「政治の闇」として跳ね返ってくる。
 そんな気がしてならない。

    

 直に太陽。眩しいからじっと見る

     太陽
       *伊豆スカイラインにて*


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. 里山から戻って(日記みたいで恐縮ですが)


 11月4日夜明け前に伊東を発って山梨の里山に着いたのが午前8時半、ほとんど走り通しだったので車を降りたときに脚がふらついてしまいました。『歳、歳!』と自嘲。エレメント共々オイルを全交換したのと新しいノーマルタイヤに履き替えていたので、17万キロも走行している愛車なのにかなり絶好調でした。中央道ではうっかりすると節度のないスピードになるのでブレーキに足をかけたことも・・・。歳をとってもメンテナンスひとつで機能が好転するというのは車も人も同じらしいと、妙に納得したものです。『あやかりたい、蚊帳吊りたい』??

 初日は長年の雨漏りで傷んだトイレ窓枠部分の修理が主でした。サッシを取り外しての木工事でしたが、コンクリートに木枠を固定する必要からドリルで穴をあけなければならないのでした。「脚立」に乗って足を踏ん張るのがきつくて参りました。ただ、筋肉の痛みはいずれ治まります。結果的に筋肉の強化に資するわけで耐えなくてはなりません。ただし脚の「スジ」や軟骨を損傷しては元も子もありません。自己診断で「年寄りの冷や水」になりそうなら止めましょう。
 それにしても77になる兄の頭は驚異的に元気です。その兄の指示・監督の下、70歳の私は肉体労働に徹しました(^^♪

 2日目、電気工事のアースのために深さ1メートルほどの穴を4か所掘りました。スコップではなく足場に使う単管というパイプを小ハンマーでひたすら叩くのですが、これ、ストレスの解消法として優れものかもしれません。
 この日、別棟の土間に40袋ほど白い石を敷き詰める作業と、コンクリート屋根のモルタル補修をやりました。いずれも気持ちのいい?肉体労働でした。初日の脚と違って上半身の筋肉を使い続けた感じで、絶妙の作業バランスです(^^♪
 途中、いまは亡き上から2番目の姉の子(姪)を迎えに日野春駅まで往復しました。これで清掃と「おさんどん」は万全になります。夕食後のひととき、この56歳になった姪と「文芸談義」ができたのは『おまけつきグリコ』でしたね。

 3日目。小田原から来た電気屋さんの接地工事をヘルプ。途中11時ごろの上り電車に乗る姪を日野春まで送り、兄の越冬準備である18リットル入り灯油を数缶購入して戻りました。
 帰る前に姪が作っておいてくれた焼きそばと親子丼が旨かったこと! やっぱり人が料理してくれたものは格別です。
 『人の心を捉えるには、先ずは胃袋から』は至言かも(^^♪

 最終日。兄の目の治療のため車で韮崎市立病院までの送迎をしました。
 診察と投薬が終わるまでの間、私は駐車場に愛車を置いたまま徒歩で、街の探訪に出かけました。中央線のガードをくぐり、川沿いの道を韮崎駅方面へと進んだのです。『知らない街を歩いてみたい♪』と永六輔作詞の歌を口ずさみながら。
 歩くのはいいですね、壊れかけの頭が機嫌よく動いてくれました。

 里山の山荘で兄を降ろした後、またまた帰りも休まずに運転してしまいました。
 降車したら脚がふらふら。『せわしない男』(^^♪とまたまた自嘲。

 この4日間のすべてが晴天でした。


        韮崎散策中の1枚 

     韮崎市内の川で
 


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. すり寄ってきた、冬


 外に出たとたん上着のチャックを上げて亀の首にした。
 一夜で形作ったらしい蜘蛛の巣が外廊下で大きく揺れている。

 川沿いの道を歩き始めると、ついこの間まで涼し気に感じていた瀬音が寒かった。
 道端に群れていた濃い緑色の葉に目を奪われる。いや、そのそばの白い布切れにかもしれない。
 「花を取らないでください」と書いてある。
 あ、彼岸花。華がしぼみ、散った後に顔を出す「癖」があるこの子たち。それを護ろうとする近所の人の温かさがほの見える。
 見上げた空はあたかも雪国のそれ、墨絵の趣。
 見知らぬ散歩叔父さんの「おはよう」に、寝起きで重たい口が開く。
 「おはようございまぁす」
 返事をしたご褒美なのか、生け垣の1輪の白い山茶花が目の前に出てきた。
 垣根の垣根の曲がり角♪

 豪華なホテルの前の朽ちた居酒屋。はがれたベニヤが小刻みに踊っている。
 大きく曲がって道を進めば、赤みを増した柿の葉、まだ黄色くない蜜柑、足元で揺れる白いネコジャラシ・・・垂れながらも膨らみ始めたツワブキの蕾。
 さらに歩けば
 白い葉裏を見せて震えている崖の樹木。

 いつの間にかすり寄ってきた、冬。
 朝の散歩が、変った。


 明日11月4日早朝に山梨の里山に向かいます。
 きっと伊東よりも冬に近い景色になっていることでしょう。
 タートルネックの温かい衣料も2枚、荷物の中に入れました。


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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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