蛙声爺の言葉の楽園

. ボケ防止になるのか「漢字検定」


 『漢字検定』という名の200頁前後の問題集がある。このタイトルの言葉、意外にも登録商標だという。
 当初この問題集の私の中での立ち位置は、通常使われる漢字を反復練習して忘れないようにという言わば「同人誌小説家」としての基礎トレーニングだった。その証拠に少し前に使用済みになった『2級』はなんと4冊目、大いに役に立っている。もっとも最後の1冊だけは、役割が1つ付加されている。ボケ防止の「常備薬」というのがそれだ。「まだ古い記憶起こし」は大丈夫だという試験紙、「精神安定剤」でもある。『2級』ならまだ正答率85%は保持できている。

 それはそれでいいのだが、新しい記憶の試験紙にはならないと、最近気が付いた。飛んで行って近くの書店で『準1級』を購入した所以だ。このクラスは、正直言って日常的な文章にはなじまないものが多い。難読漢字、高度な当て字など、一種漢字オタクの世界だからだ。しかしそこには「再生」ではなく「新しく記憶」しなければならないという新課題がある。これが試験紙になるのだ。採点で誤答なら正答を書きだして頭に「記銘」する必要が出てくる。全くわからない。間違えた。どちらも悔しいからだ。気が向けば「意味」も調べるだろう。『準1級』はきっと爺の高慢など完膚なきまでに叩き潰しにかかるだろう。リタイアして刺激が激減した脳味噌を直視して、そこに期待をかけたのだ。

 ここで爺が早速つまずいた漢字の一部を羅列してみたい。
 赫怒(かくど)汀渚(ていしょ)釜中(ふちゅう)弘誓(ぐぜい)巽言(そんげん)牝牡(ひんぼ)。
 本来つまずかなくても、つまり意味が不明でも読みだけはなんとかなったはずのものを挙げてみた。「赫」は威嚇(いかく)を思い出せばすぐに出たはず。同様に、「汀」も「渚」も(みぎわ)(なぎさ)だが部首を取って「丁」と「者」で音にすれば何ともない。「釜」をどう音ずるかが勝負なのに地名の「釜山」(ふざん)を想起出来なかったのが致命的だった。京浜急行の駅「弘明寺」(ぐみょうじ)と「誓約」の音で、この仏教用語「弘誓」も何とか読めたはず。ただ何をどうしてもたどり着けないだろうというのが「巽」(たつみ)を(そん)と音ずること。「巽言」の意味が『やさしく柔かで人に逆らわないことば』というのも皮肉に近い。最後の「牝」は競馬好きならすぐ「牝馬」(ひんば)でわかるはずで花好きなら「牡丹」(ぼたん)が頭に浮かぶはず・・・・この反省と後悔が頭を刺激してやまないのだ。
 ちなみに訓読みの失敗を2例。「泥む」(なずむ)と「忽せ」(ゆるがせ)。
 特に前者はボケだった。武田鉄矢の『贈る言葉』の「暮れなずむ街の光と影の中♪』を出すまでもなく、即答しなければならなかった類だから。私にとって後者は「忽ち」(たちまち)しか無かった。忽ち間違えた、はシャレにならない。

 最後に、上記の『準1級』のとっかかりに等しい部分での得点が、残念ながらというか予想通りというか、65%の正答率にとどまったことを「告白」しておきたい。負け惜しみに「お楽しみはこれからだ」と言いたい。
 脳学者によれば、画数の多い手書きの漢字練習は、頭にとても効く妙薬だそうな。
 「パソコンは変換の手間だけだものね」何年やっても。 

 時間を空けて校正したら、「訓ずる」を「音ずる」に、また「返還」を「変換」に、それぞれ直すことになりました。
「うーん、やっぱりきてるなぁ」というのが実感です。編集、下りて正解でした。自分の頭を責めずに、自分を責めることにします、 はい。13:32


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. 夢で遭いましょう、災難に


 「夢」が無くなってからの夢は恐ろしい。
 きのうも、かなり酷い夢をみた。

 ***私が中型のトラックを運転している。とくかく慌てている。坂の途中で停めて車を降り、小走りに向かった先は工事現場風のプレハブ。入口の引き戸をを閉めるのを忘れていたのだ。「すみません」と言いながら飛び込むと誰もいない。出払ったらしい。突然足元の床がみるみるうちに膨らみ始めて、白煙を出し、終には発火した。私は独り騒いで外の水栓からのホースがとぐろを巻いているのを引っ張り、火を消そうとするのだが、出てくる水はほんのチョロチョロ。あまりの熱さに負けて外へ。道路が渋滞している。急に響いてきた運転手たちの罵声に、ペコペコと頭を下げながらトラックに戻る私。ドアが開けっ放しでセンターラインを侵していた。クラクションにあおられて走り出す。この時点から原因不明の火事のことは抜け落ちている。そもそも何のために、どこへ行くために運転し始めたのか。それすら分からない。だからどこまで走っていけば良いのかも分らない。街の景色がむなしく後ろに飛んでいくだけ。
 「何がどうなってんだよ⁉ 」*** ――ここで目が覚めた。
 Tシャツが汗でびっしょりになっていた。

 パソコンの前に座って、しばらくの間呆然としていた。
 「いったい何を教えようとしているんだ、この夢は」、その想いに囚われた。
 夢の中での仕事は失敗ばかりしていると、誰かが言っていた。

 もう近いのだろうか、夢の中の俺・・・いわく言い難い寂しさに包まれた。
 



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. 数日間のあれこれの中から得たもの


 せっかく書いた記事『転がる石につく苔…』を自らの「反省」により2日間で削除しました。今更気づいてもなんですが、削除してもブログ村の記事タイトルはそのままなんですね。注目記事5位になっていて、大変申し訳ないことをしたと、こちらでも反省をしています。削除した理由は、扱った車の名前でメーカーが特定できることを結局「好し」としなかったからでした。命名した人たちが私の記事を見るとも思えないのですが、万一見たらいやな気持になるだろうなと思ったのです。また「そこだけ削除」としなかったのは、そうすると記事全体が妙になるからでした。難しいものですね。

  このところずっと、60年も前の「既往症」の再発かと、言わば怯えていました。爺は爺なりに文献を調べて「病の姿」をある程度掴んでいましたが、先ずは遠方にいる中学時代の同窓生(医師)にメールで相談しました。忙しいところを詳細な助言をくれました、受診の手順まで教えてくれたのです。言い換えますと「立ち向かう勇気」をくれたのです。
 訪れた病院のベテラン医師の診断は確信に満ちていました、「再発はしてないよ」と。夜、事情を知ったかみさんと乾杯したことは言うまでもありません。

  偶然ですが、有料プランのブログとホームページの支払いポイントが無くなりました。あれこれあってなかなかポイント追加に行けませんでした。と言うより2年以上前に行った有料化手続きの仕方を忘れてしまったのです。その調査方法も同時に。やはり爺は爺でした。不思議なもので記事の更新も3日ほど出来ずにいました。今日やっと完了したのですが、さてこの段階で写真がアップできますかどうか。

  ふと思ったものです。これからは多くの人の助言や援助なしには人生を全うできないのだなと。同時にこのことも。少なくとも「積極的老害」で人様に迷惑を掛けないようにしなくてはと。
 控えめに、静かに、ゆっくりと・・・本当の意味の「引退」を、甘えずに大事に。




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. 独りで生きるということの過酷さ


 私には緑内障で視界の4分の3を失って標高800メートルの里山で独り暮らしている兄がいます。齢77歳、今年の5月に喜寿の祝いを親族有志で行ったばかりです。片眼は失明、もう1方の目は昨年の晩秋に大学病院で手術をしました。その経緯は事前承諾を得て兄をモデルにした短編小説『朴の葉の落ちるころ』で「発表」しています。術後経過は当初良好だったのですが、そもそも完治不可能な眼病なので、次第に「見にくい」状態になってきたと言っています。定期通院中です。
 その兄が7月に入って山荘の未完部分を整備し始めました。

 本人は「片付け」と言っていますが単なる整理整頓のことではありませんでした。清掃と、配管、電気、木(もく)の各工事、そして屋根の張り替え工事、さらには電気機器の追加購入と、各月手伝っている私もびっくりの、かなり大規模な改良なのです。
 直近の9月の屋根工事の際、私は改めて動機を聞いてみました。応えは『新世代にマイナスの遺産を遺さないためさ』でした。近いうちに突然に全盲になるという虞(おそれ)の中で、兄の「覚悟」は理性的なのでした。
 私の車は玄関先までは入れません。200メートルほど林の中を、石やセメントや木材を担いだり、1輪車で運んだりしなければ準備もできません。何回も何回もです。息が切れ、肩が張り、胸がはちきれそうになりました。齢70間近の私でさえそうなのですから、7つも年上の兄は推して知るべしです。私は早々に兄の執念に「共振」しました。身内ながら感動したのです。「兄は自分の心とも闘っている」


 毎回思います。兄の心をここまで追い詰めたものは何だったのかと。
 福祉の役所はこういうとらえ方をします。重度の緑内障と言っても、自転車で20キロ近く通院したり出来る人は、要介護でも要保護でもないんです、もっと起居すらできない人が沢山いますからと。文字通り必死で眼病と戦っていても「その程度では」何もできないんですと。平たく言えば「全盲になってからいらっしゃい」ということなのでしょう。これでは「全盲になっても生き続ける」という選択肢に望みをかけられないだろうと、兄は言います。自転車でそうですから、家の改良をしているなどと聞いたら、役所はあきれるかもしれません。
 役所には役所のルールや優先順位があるのでしょう。また、確約など難しいのでしょう。しかしこれくらいは訴えた者に教えてもいいのではないかと思います。万一の時はここのこういう担当に直接連絡して来てもらいなさい。こういう手続きで、こういう施設があるので、そのときは一緒に頑張りましょうと。それだけで、どれだけ当人は安心できるでしょう。少なくとも生き死にの二者択一の可能性が生じるわけです。
 もちろん本人にではなく私など面識のある肉親に「そのとき」の手続きなどを教えてもらってもいいのです。当の本人は少なくとも一時的に動けなくなるのですから。
 今回は私の方から、大学病院に来てもらった係の人に同趣旨の書簡を出すことにしました。

 兄の場合の独りは里山という環境がかぶさっていますが、「独り」は大都会でも当然起こります。つまり老後に共通の「環境」と言ってもいいでしょう。あえてこの記事を書いた所以です。
 兄は自分自身のブログで長年「訴えて」きました。

「たたかう」77歳の兄



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. 原発の賛否が新知事を決めた新潟


 「自公の慢心か」とどこかの報道記事にあったが、クソジイチャンの私見では、「原発是か非か」の新潟県民の投票が「非」と出ただけではないかと。返す刀で言えば、「野党統一候補」という選挙戦略の勝利というのでもない。野党側も「慢心」しないことだ。野次馬レンズをグッと引いてみると、かつて小泉内閣が「郵政民営化是か非か」と打って出た国政選挙の結果に酷似している。新潟だと農業立県でもあるわけで、いわゆる「TPP是か非か」も影響しているとは思うが、これは基本的に国政選挙の争点・課題である。前回より9%アップの投票率53%は、東京電力刈羽原発再稼働に絡む浮動票の「貢献」と見るのが正しいように思える。(それでも半分近い選挙民が棄権しているという現実がすごいのだが)

 不思議に思う。東日本大震災後、安全基準の見直し・再点検も兼ねてだろうが、国内の全ての原子力発電所は2年ほど停止していたのではなかったか。つまり「無くても日本は動いていた」。巨大地震到来が確実視されているいま、なぜまた次々と再稼働なのか。「福島を経験して学習していないのか日本」といった沢山の論調にも接して疑念は強まるばかりである。もしかしたら電力会社の利益や日本経済の隆盛のために、という理由のほかに「既定路線」を変更できない大きな理由があるのではないか。そんな気がしてくる。

 やや時をさかのぼらせるが、米国副大統領が中国の現首相に「囁いた」とされる注目すべき記事に接した。趣旨は、軍事的に日本を追い詰めると、日本を核武装させるはめに陥るぞ、日本がその気になれば「一夜にして核兵器を作れるのだから」というものらしい。「一夜にして」は「短期間で」と解釈すべきだろうが、我が国の専門家も数か月あれば不可能ではないと云う。これはまた別の本に依るのだが、「核」の扱い、保存、運用は高度な知識と熟練した技術を必要としていると語っている。つまり常に「原子力」に接している人材が必須だということになる。日本はもちろん核兵器を所持していない。それでも「すぐに造り、使える潜在力」があるというだけで、他国に侮られることがない、つまり抑止力が得られるという理屈だ。副大統領はそこを利用したのかもしれない。いずれにせよ思い切った発言だが。こう考えると、原子力発電所にはエネルギー経済に貢献するという狙いのほかに原子力技術者の確保と養成という「果実」が見えてくる。

 もしそうなら、日本の軍事的な安全を確保する狙いがあるなら、原子力発電所はすべて国が管理・運営すべきだ。そうして生まれた電力は各電力会社に売却する。今回の福島原発の始末が遅々として進まないのは、一次的には当然「東電」が処理すべきという方針が国側にあるからだと思う。一方の私企業東電の方には、国の原子力発電化という国策に従い国の安全基準をクリアして稼働していて、未曽有の大津波で事故が起こったのに、自力で責任をとれと言われても理不尽、という思いがあるようだ。だからこそ「電力料金に上乗せる形で後始末費用を需用家・国民の負担で」という発想になるのだ。

 選挙民の「原発no!」には国のやや曖昧な立ち位置への抗議も含まれていると思う。
 だいいち、原発の「リスク」は地方の現地に、生まれた電力は「東京、首都圏に」では間尺に合わないわな、新潟も。



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. ちょっとお礼を


  留守中のご訪問、ありがとうございました。
 9月10日から本日9月15日の間、山梨の里山に、電気工事・屋根工事の手伝いで行っておりました。私にとってはブログもパソコンも無縁の空間でした。
 土曜日とあって常より30分多い4時間の連続走行となり、少し前に伊東に戻ってきました。なんとなく両脚が「エコノミー症候群」もどきになっていて車から降りた際、よろけました♪ 齢70近く、歳のせいかもしれませんが(^^♪



 留守中のデータを記してみます。なんだか「蛙声生活」みたいなものがボーッと浮かんできそうで。
 来ていたメール数      88通
 着いていた書簡         3通
 定時株主総会通知      1通
 寄贈されていた文芸誌    1通
 
 伊東に戻ってスーパーに立ち寄り、「久しぶりに醤油ラーメンを」と買い物をしたのはいいのですが、メンマ・ネギなどトッピング類をそろえ帰宅してから気づきました、肝腎の「むかしながらのラーメン」を買うの忘れたと。
 結局台所にあった即席サッポロみそラーメンに落ち着くことに。「なんだかなぁ」(^^♪
 


   

. 「教育勅語」この部分だけは今も生かして


 「明治23年10月30日御名御璽」で発せられ昭和23年国会で失効・排除された『教育勅語』。良くも悪くもタイトルは有名、その目的こそ新憲法下の日本に当然合致しないが、下記のこの部分だけは口語化して遺し、伝えていって欲しい。そう思うのは私だけだろうか。

父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ
恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ
以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ
進ンテ公益ヲ広メ世務ヲ開キ
常ニ国憲ヲ重ンシ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ

 「今がこんな時代だからこそ必要」と思っていたら、どこかのテレビCMでちょうどこの部分が正確に使われていた。きっと同じ想いなのだろうと、ちょっと嬉しくなった。 (誤解を避けるために、私は昭和22年戦後生れの爺)
 この文章は年少のうちから「素読」できるよう、音読しやすいように創られている。仮名で確認してみよう。

ふぼにこうに けいていにゆうに ふうふあいわし ほうゆうあいしんじ
きょうけんおのれをじし はくあいしゅうにおよぼし がくをおさめぎょうをならい
もってちのうをけいはつし とっきをじょうじゅし 
すすんでこうえきをひろめせいむをひらき
つねにこっけんをおもんじ こくほうにしたがい 
いったんかんきゅうあればぎゆうおおやけにほうじ

 ちなみに今では一般的でない2つの言葉。「徳器」は徳行と器量、「世務」は世事・世の中のつとめ、である。
 たぶん異論は多いと思う。
 「言葉」に纏わりついた時代背景はそう簡単に払拭できないと思うから。



 手製の『親族の譜』10月4日に完成。10月6日の今日には関係各位に届くと思います。

     親族の譜      
 

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. 映画「SCOOP」、それでも観たほうがいいよ

 糞溜(くそだ)めに落ちているダイヤをあなたは拾いますか、しかも絶対に換金できないと知っていて。この映画は観客に応える、「ああ、拾うよ」と。 だってどこに落ちていようが、光るものが偽物だなんて思いたくないから。
 福山雅治が汚れ役に挑んだ大根仁監督の『SCOOP』、久しぶりに昭和のガチ映画を観たような気がする。
 作品のキャッチコピーは確か『ごめん、馬鹿で悪かったな』だ。

 前半は猥雑、下品、ゲスの極み。スクリーンからアルコール臭やタバコの煙や女や男の体液臭が観ている側に迫ってくる感覚に陥る。『ガリレオ』シリーズでみせた物理学者湯川准教授の面影のひとかけらも無い、容貌も心も行為も汚い福山のパパラッチ静(しずか)がいい。のっけから体当たりで絡んでくるど素人記者の野火(のび・二階堂ふみ)もかなりの役者だ。うっかり「かわいいな」と見直してしまった。先輩・後輩の言行の不一致とハイテンポの罵りの応酬は、小気味が良く「脚本の腕」を感じる。伝わってくる静の愚痴は「ばか育てるのも命がけだな」というところか。しかし野火は、終には「仕事馬鹿」に成長(変態)していくのだが。

 主役の福山を気遣い、「いやらしさ」を手加減しないところが監督の本気を物語っている。
 それでいて「しごと」を通して、隠れて見えない人間性が光る。上に掲げた「糞溜めのダイヤ」だ。これを拾うのが、モトカノの副編集長定子(吉田羊)、「とっくに冷めているのに、これって愛なの」といった風情だ。グラビア担当副編集長の馬場(滝藤賢一)が静への評価を口にするのはラスト近く。情報屋のチャラ源(リリー・フランキー)は腐れ縁そのもの。そして最後に気付くのが、ちょっぴり女として大きくなった野火。この変化の様で私は浄化された。聞こえない野火の気持ちをセリフに変えれば「男に魅かれるって、こういうことなんだ」となる。

 まったくの偏見だが、恋は片想いが、友情は腐れ縁が、一番「純粋」だ。共通点はギブアンドテイクからどこかで必ず外れている。見返りを求めない感情があると踏んだのだ。静とチャラ源はこれだ。リリー・フランキーの怪演は化け物的でさえある。
 ネタバレを避けてここまで来たが、禁を犯しそうなのでここで封をしたい。

 ズルさ汚さや、人間の最低なところを貫いて描くと、不思議なことに、そこから綺麗なものが見えてくる。
 そういう落差「感動」をあなたにもお勧めしたい。
 これは大ヒットはしない映画だと思う。けれど。
 仮に上映中の館内に自分1人しか居なかったとしても、いい映画はいい映画なのだ。
 「違いますか・・・」


 【つぶやき】 このレビュー、1日置いて読んだけどクソわかりにくいね、自己満足かい? 「イヤ、クソマジメだって」  それにしても観客20人ぐらいで寒かったなぁ。小田原だよ、伊豆の伊東じゃなくて。なんだか哀しい。例によってかみさんは10分は寝てたし。ネットでは「大コケか」と予測しきり。福山雅治結婚したからこの役できたんじゃないかな、女性ファンが観に来るかね、この静キャラで。でもなぁ、ヒットしないからって「出来が悪い」とはイコールじゃないし、報道ではジブリの「レッドタートル」もコケたらしいし、反対に大ヒットロングランでも駄作は駄作だし。こんな気分のときは・・・タバコのみなら一服だけどあいにく吸えないし、コーヒーもう一杯飲むかぁ。エイガオタク万歳! ちょっと孤独感・・・


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. ニッポン大好きブームの中で


 「あーあ、また本買っちゃったよ」
 一方ではせっせと「終活」の「断捨離」をして、蔵書も整理しているというのに!です。
 本の名は『JAPAN CLASS』、なんと今回8号なんですが、創刊号から全部持っています。「ひとくち」で言ってしまえば、ネットの「海外の反応」をテーマ別、項目別に紹介しながら、「なぜ日本が世界中で礼賛されているのか」を編集部独自の視点と徹底調査で解析した、楽しくてためになるシリーズです。(あ、わたしこの本屋さんの回し者ではありません(^^♪)
 いかに自分が、私が、「日本」や「日本人」や「日本文化」を知らなかったか。ショックを受けての全巻読破なんです。

 「よその国のひと」から見た日本は素晴らしい。国民1人1人にしてみれば、一所懸命自分の仕事をこなしているだけという感覚なのでしょうが、個人の場合と同様「評価は他人(他国の人)がする」わけです。 一体が日常の中で、外国人の日本に対する評価コメントを聞くなんて滅多にありませんものね。ものの本によりますと、いま国内でも「日本礼賛系の本」がベストセラーなのだとか。なんだか分るような気がします。口の悪い隣国のネット・コメントには『日本人が自信を失っている証拠で、団塊の世代以上の国民にその傾向が強い』なんてのがありますが、「手が届かない果実をアレは酸っぱくて不味いんだ」という類のものなので、無視しましょう。
 ただ、これだけは言えるでしょうね。日本人は自分の国をけなしがちだということ。しかしこれも要求水準がきわめて高いことによる「現象」で、国に対するだけではなくて、「味」にも「品質」にも「安全性」にも「マナー」にもと、全てにわたってそうなのでした。そしてそれが、小さな国なのに「世界一」をたくさん創りだした要因だったのです。

 今回の8号に日本人のノーベル賞受賞者の「分析」が載っていました。1949年湯川秀樹氏から2015年大村智、梶田隆章両氏に至るまで総数22名が受賞、さらに国籍が米国であるためこの中にカウントされなかった「日本人」南部陽一郎、中村修二の両氏を加えれば24名となります。特筆すべきは2001年以降の国別受賞者数ランキングでしょう。なんと15年間で15人、米国の45人に次いで世界第2位なのでした。ヘッドハンティングが得意で多民族国家の米国はさておき、常連のイギリス、ドイツ、ロシア、イスラエルを後順位に押しやったのは、やはり「快挙」でしょう。
 明日10月3日から順に今年のノーベル賞が発表されます。今回は日本人3人が候補者の中にいる由、また喜ばせてくれるに違いありません。あたかも自分のことのように。

 いろいろありますが、やっぱり「ニッポン礼賛」でいいと思う、爺でした。  


     ニッポン礼賛


 10月3日、大隅良典東京工業大学栄誉教授、ノーベル医学生理学賞受賞。「オートファジー現象を分子レベルで解明」
 おめでとうございます(^^♪。


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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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