蛙声爺の言葉の楽園

. 何ごともなきことの幸せ


 65歳になる妹が電話口で興奮していた。どこぞのテレビ番組で5-7-5より短い俳句の色紙が何十万円かで落札されたのだそうな。「あれって何」と吃驚している様子に私は、それが「自由律の俳句」だと当たりを付けた。であればおそらく種田山頭火だ。そう応えて調べてみるように助言した。もちろん番組を視ていないのだから私の想像にすぎない。
 『水飲んで尿して去る』(山頭火) ふざけた文だが、じっと見ていたら「人間の一生」の凝縮かと腑に落ちた。人間の体重の何%が水分だったか忘れたが。「生まれて生きて死ぬだけ」の世界と軌を一にする。同じく『まっすぐな道でさみしい』も人生だと解せる。生き方をまっすぐにと貫けば、きっと経済的な貧しさは保証されよう。さみしい。精神的自由は経済的不自由を伴うのだ。奥が深い。なかなか『空へ若竹のなやみなし』とはいかない。迷解釈にうぬぼれてつい顎を撫でた。

 悪天候などのせいで、しばらくかみさんと出かけていなかったので、秋の自然の中をゆっくり散歩しようと思い、修善寺の虹の郷へと車を走らせた。ところが門前の看板いわく『本日定休』。自分のうかつさを棚に上げて「何で今日なんだよ」と私。「土日の観光客があちこち立ち寄りながら帰る日だから月曜定休はないよ」とかみさん。「だからかよう(火曜)」とダジャレで返す私は「涙目」。結局ただ引き返すのは癪なので、達磨山、戸田、三津浜経由でドライブをすることにした。日米海戦に敗北したのに大本営が敗走・退却と言わず転戦と称したのに酷似か。やれやれ。

     戸田

 総まとめ中の小冊子『親族の譜』の系統図や情報整理がほぼ完成した。
 結果として父と母2人から出発した親族関係者総数は88名に達していることが分かった。故人である父母からみた呼称で言えば、子、孫、曽孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)までとなる。もちろん玄孫を除きそれぞれの配偶者も入っているが。
 こども以外何も遺さなかった両親だが、「無から有」の連鎖は見事なまでに開花していた。
 『ともあれ生涯赤貧洗うが如しであった母が逝って丸二年が過ぎた。この作品の読者の目から見れば母の一生は悲惨であり、また凡そ無価値に思えるかもしれない』(母の自伝に付した私の編集後記より)
 目の前の系譜は、この文章が危惧したものを消し去った。
 「無価値どころか・・・」絶句。 



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. 「あなた」にとって結婚て何でしょう


 恋愛中のお付き合いが「点」だとすると結婚生活は「線」ですかね。よそ行きのカッコイイところばかり見せていればよかった恋愛中と違って、何せ婚姻届提出という或る点から片方が亡くなるまで継続される付き合いなのですから。ところが結婚生活って夫婦のそれぞれがもっている親戚や仕事関係の人間や地域活動に伴う人間関係までひっくるめて、ペタッと「面」で付き合わされるもの。この「煩わしさ」は、ずっと独りで生活してきた男女には耐えられないかもしれません。さらには経済生活というのが「愛」とか「心」などという曖昧なものを蹴散らして結婚生活を仕切るというのはご存知の通り。

 え? 柄にもなく何を言い出したのか、ですか。いえね、このところ著名人の離婚報道が続いているからです。とくに昨日知ったテニスのクルム伊達さんの離婚には仰天しました。レーサーのクルム氏に見染められて一緒になり、「公子のテニスが見たい」という彼の希望で一念発起した由、結果40代で世界的レベルの活躍をしていた彼女。元テニスの女王グラフをして「私には絶対不可能」と言わしめたその努力と成果。しかしついには足の故障。離婚はかなり長期にわたる夫婦の別行動が原因だったのでしょうか。結婚生活が財力だけではもたないことを教えてくれました。伊達公子さんの隠れファンの私としては残念でなりません。

 先ほど結婚生活は少なくとも「線」の付き合いと言いました。「あなた100までわしゃ99まで・・・」それが夫婦の理想像だとすれば、現代の結婚は、人生の或る点から或る点までを結ぶ「線分」なのかもしれませんね。そう思えてきました。少し偏った言い方をすれば、「いいときだけ一緒ね。お互いに」がベースにあるような気がします。換言しますと「ウィン=ウィン」の間だけの夫婦。幸せを共有できる期間限定の結婚。ええ、極論です。でもふと、そんな想いにとらわれるのです。

 例えば「年の差婚」。25歳違いだとして片方が50歳になったとき片方は75歳なのです。25歳の女性が愛を感じて50歳の男性と結婚するとき、老後の段階の年の差など考えているでしょうか。彼女が30歳で初めて出産、この時の夫は55歳。いえ、この選択を否定するお話ではないのです。ただ、上記「線分の結婚」としてこれをとらえると、大幅な年の差婚の困難やリスクは念頭から外せるのではと、推測するだけです。
 「無理も我慢もしない結婚という期限付きの人間関係」、これはこれから一瀉千里に突き進むように思います。かつては嫁いだ女性が離婚するには諸々困難がありました。世間の目と「出戻り」の言葉にに代表される社会的制裁。今では「バツイチ、バツニは女の勲章」に変りました。離婚・再婚・再再婚にたいする非難はほとんど雲散霧消です。さらに男の収入で女が生きるしかなかったという社会は終わり、いまや「女性の時代」なのです。「男女共同参画」です、女も資格をとって参画しようなどという幾何学的な社会なのです。
 「やれやれ、大変な時代に・・・」そんな年寄りの声も霞がちになりました。
 今後も離婚率は確実に上昇すると予想されます。

 この程度で驚いたり、たじろいだりしてはいけません。結婚が上記の意味に変化していくと、終には二人で暮らして幸せ感、ぬくもり感を期間限定で満喫する人間関係というところに到達します。結婚の、男女の営みで子を生し育て「種族保存」を図る合法的制度としての役割が薄らいだとき、この社会的単体が男女である必然性が揺らいできます。男と男、女と女の「同性婚」が市民権を獲得する日がきっと近づくでしょう。こどもをつくらない夫婦、こどもをつくれない夫婦の存在が「婚姻」として合法的である以上、「同性婚」は私たち年寄りの心配をよそに、きっと闊歩していくに違いありません。

 妙な展開になってきたので、この辺で失礼します。
 それにしても結婚て、何なのでしょう。



訪問してくださった人の結婚観がこの記事の分析に反発する内容であればあるほど爺は嬉しいのですが。
信頼とか安らぎとか思いやりとか、どちらかというと「心もとないもの」に結婚生活を預けたい気がします。



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. 私という名の雲に聞く



     雲


     お前に「かたち」はあるのか
     「重さ」はあるのか
     そこにいる必要があるのか
     「青空」や「陽」や輝くものを隠すのが趣味か
     游(あそ)んでばかりいるお前に
     「価値」があるのか
      ・・・
     安心しろ
     俺に向かって言っているだけだ。
 


  
 今日久しぶりに太陽を見ました。
 あれほど陽の光を待っていたのに、まぶしすぎて雲を呼びたくなるという不思議。
 屈折するのは光線だけじゃないようですね。



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. 「愛」についての1ページ


 諸々整理をしていたら、40年ほど前に「カットと言の葉を合わせて創ろう」と計画した分厚いノートが綺麗なままで出てきた。
 なつかしさのあまり表紙を開き「巻頭」を見たら、作家気取りのこんな短文が目に入った。

          くぐつ


 ひとつの愛から
 次の愛へと移ることは難しい
 あなたは
 珠玉の想い出の数々を
 全て消さなくては
 ならないのだから

 ひとつの愛から
 別の結婚へとたびだつことは易しい
 あなたは秘めた想いをそのままに
 傀儡になればいいのだから・・・


 『傀儡(くぐつ=あやつり人形)になればいいのだから・・・』
 不思議なことに2ページ目から最終ページまで白紙だった。
 根気が無かったのではなく、たぶん自分が創った文章に自分の心がつまずいたからだと思う。

 こんな昔から筆名「蛙声(あせい)」を使っていたことになる。
 もう少し読みやすいように明るく撮れればよかったのだが何度トライしても結果は「暗かった」。なぜなのかはわからない。
 古ぼけた記憶なので、真っ白な実物の紙より雰囲気はありそうだ。


いつも応援ありがとうございます

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. 16号が来るか里山にもと思ったが


 台風16号の予想進路の真っただ中にある山梨の里山に、9月18日に入り、今日秋雨前線の雨の中を伊豆の伊東に戻った。電子メールもブログもネットも無い自然の中の丸7日間は、青少年のころの気分にひたれたような気がする。もっとも雨風か曇天ばかりの日々は、いささか鬱陶しくはあったのだが。
 少なくとも目には良かったようで、ずっと涙目にもならず、霞目にもならなかった。

 夏に1週間ほど滞在して実施した山荘の改良工事の続きで、資材・食品の買い出し運搬、簡易「おさんどん」、モルタル練り、床の地ならし、現場・倉庫の整理整頓、サッシ窓のカビ取り洗浄、植栽の剪定から屋上のドングリの実落とし等々、作業は多岐にわたったが、多少雨に濡れることはあっても、あの夏の高温多湿さに比べれば、かなり「さわやか」。きれいにするための作業がほとんどだったせいか、成果が「かたち」として目に見えるので気持ちよかった。

 15時か16時に作業を終えて車で「べるが」まで走り、公設の温泉に入れたのも「ご利益」か。
 ご利益と言えば台風の被害が皆無だったこの「里山」。停電を予想して卓上ランプも持参したのだが、幸いにも「荷物」なだけに終わっている。
 齢70近く、まだ手足も『心臓』もシッカリ動いている有り難さを、改めて実感できた1週間だった。 



 今朝の5時半過ぎ、「帰路」につくときの南アルプスの山を2枚ご覧ください。同じ場所からの2方向です。上は甲斐駒ケ岳、下は鳳凰3山です。 

     アルプス1

     アルプス2


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. 今は懐かしい亡き母の「迷言」


 ときどき思い出しては微笑してしまう、いまは亡き母の「迷言」を集めてみました。
 母は漁師町で産まれ育って自分のことを「おれ」と言う女でした。険しい時代のなか、小学校卒だけで女中奉公にだされ、長じて職人の男と出逢って結婚し、8人の子を生(な)して、一生のほとんどを貧しさの中で暮らしました。
 子どものころはあんまり良く思っていなかった私ですが、69のこの年になると彼女の「偉大さ」が見えてきます。

 ①寝起きの状態ですぐ朝飯に手を付けると、『お膳で顔洗うんじゃない!』 (さしづめタオルは台布巾か)
 ②テレビで真っ赤な口紅を付けた女を見ると、『いま人喰ってきたって口だな』 (いまもトレンド女は肉食系)
 ③母が創ったものに食卓で注文を付けると、『やなら喰うな。べつに頼んでないよ』 (うちは食堂じゃないよ、ですね)
 ④男を小馬鹿にするドラマの女をチラ見して、『女の利口は男のバカといい勝負』 (ふと顔が浮かぶ、いま噂の国会議員さん(^^♪)
 ➄次々に日本にやってくる台風にあきれて、『番号なんてつけるからだよ』 (いっそホステスさんの名前でもつけたら)
 ⑥タイトスカートと生足を見たらしく、『年がいくと女がだめになるよ、冷えで』 (男の子だった私には意味不明でした)
 ⑦なぜ作った「煮しめ」を知り合いに配るのと聞くと、『人の口におごってりゃあ、一生食べ物に困らないから』 (ふぅーん)
 ⑧内職大変だねと言うと、『針のケツおっぺしても、たいした足しにはならないけどね』 (もうお祭りでも50円おくれって言わない)
 ⑨膝を擦りむいて痛いと騒いでいたら、『かまどの灰でもなすりつけときな』 (なぜか理由は聞きませんでした)
 ⑩『あ、いけない。3男のこと忘れるとこだった』 一所懸命書いていた「じでん」の中で、なんと私のことを。

 晩年の母を介護し独り看取った長兄の依頼で編んだ平仮名ばかりの母の自伝。私は『しきみのように』と名付け、編集後記でこう括りました。
 『母の一生は、常に葉を繁らせながら目立たず、花を咲かせて小さく、また実を結んで人知れず、焼いてほのかに香煙を放つ、まことにしきみ(樒)のようであった』と。合掌



            母が逝き二十八年彼岸花 蛙声 
          ヒガンバナ





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. 後ろから撃たれるのも、いいかも


 秋だというのに最近良いニュースに接しない。国際情勢はまるで「戦争前夜」のよう。テレビが報せる我が国は「犯罪大国」のよう。元気なのは多産系の台風だけのよう。もっとも「夏」も今年は来なかった気がするが。大黒摩季ちゃんの歌『夏が来る』が消えて久しい。
 爺自身、目にはさやかに見えねども「風邪」の咳(せき)にぞ驚かれぬる、状態で人生の「秋」を目いっぱい感じている。季節の変わり目には体中のセンサが調子を悪くするのだとか。もっとも人によるからセンサ万別かも。

 先日文芸の会合があって参加したのだが、目の前の媼(おうな)が「頭を強く打つと認知症になるから気を付けないと」と、どこかで仕入れてきた医学知識をかなり長いこと紹介していた。私が労災で頭部を強打した結果の症状で、編集長を辞したことを知ってのことだから、むしろお礼を言うべきか。実際は仲間に後ろから撃たれたようで、全身「快感」でしびれていたのだが。もっともこれが世の中、これが人。いい方向で咀嚼(そしゃく)させていただくことにした。「咀嚼」と言えば歯が溶けて無力化しているので、誰を相手にしても「歯がたたない」。

 それにしても、終活にともなう物の整理は比較的進んできたが、人間関係の「整理」は至難である。理由は二つ。まず、整理したくないのにしなければならないという心の問題。もう一つは相手があるということ、つまり相手の心の問題。前者は自分の本音が明確だが、後者は本音と建前があって判別が難しいのだ。
 しかし何を急ぐか、である。老いた身を時の流れにさらしていれば、自然に自分が周囲から「整理」されるのだから。「老い」はすべからく自然体がいいのかもしれない。それに・・・

 そのつもりもあって久しぶりに便りをだした友人から「40年ぶりに会おう、今年中に」と返信が来たし(うれしい)。
 『親族の譜』の資料送付願いの返信が相次ぎ、思いもかけない人からの私信もあったし(すこしびっくり)。
 いいことだってあるじゃない。
 『いそがずば濡れざらましを村人のあとより晴れる野路の村雨』 (道灌)
 




     芙蓉
      『月の出を芙蓉の花に知る夜かな』 (鳴雪)


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. 受忍限度


 少し時間が欲しい。
 こころが彷徨(さまよ)っているのかも・・・
 パソコンの機能劣化とネット機能低下にイラついている自分に、とうとう耐えられなくなった。
 「ごめん」
 



     ひとりぽっち
      「独りが好きなのかい?」

      シャッターをきったあとで、牧水の
      『白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあをにも染(し)まずただよふ』
      が頭をよぎった。


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. 嵐が去り青空が熱いから

 
                       
     【想い人の肌はかくも遠い  言葉より唇の動きに見入る】


『恋せずば人は心もなかりしもののあわれもこれよりぞ知る』
             ―永井秀尚「身を尽くしてや恋い渡るべき」より―

『ケイタイより糸電話がいい君にしかつながらない線1本欲しい』(春澄)
                 ―俵万智「考える短歌」より―

目の前に、出会った頃よりずっといい女がいた。けれども、
私の香が好きだと恥ずかしげに囁いた女は、もう、どう捜してもみつからない。
                 ―すすき野愛子「ためいき」から―

『咲きつつもなにやら花のさびしさは散りなん後をおもう心か』(吉野太夫)
                 ―吉川英治『宮本武蔵』より―

『君ゆえにわれは休まず
 君ゆえにわれは仆(たお)れず
 嗚呼 われは君に引かれて
 暗き世をはつかに捜る』
                 ―島崎藤村「落梅集」より―


・・・若いっていいですね。・・・たまにはそれを羨ましがるのもいいものです。


無題
     朝日
         橋の上から朝日を見ていたら、なぜか目頭が熱くなってきた


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. 「親族の譜」・・水は血よりも薄いか


 『血は水よりも濃い』という諺(ことわざ)がある。
 私はこれを逆さにして「水は血よりも薄いか」と問いかけるところから始めたい。
 肉親も、それぞれの生活に追われ、交流することも協同することもなく長年月を経ると、「血のつながり」も希薄になり、たまに出会うことがあっても「水臭さ」が目立つようになる。
 しかし私たちは「血」を口にして生きているわけではなく、普段は人との縁(えにし)を含む「水」を口にして生を全うしているのだ。水臭いのも「親しき仲にも礼儀あり」だと思えば、そう悪くもない。
 それでも時には血や血の流れを意識して、互いに心を温めあうことには味わい深いものがある。

 少しく「わたくしごと」になるが、これを強烈に意識したのが、7年も前になる「2番目の姉」の葬儀のときだった。姉の娘(姪)3人はしっかりと覚えていたが、その配偶者、その子どもたちとその配偶者、さらにその子・・・ほとんどを把握できていなかった。民法は「6親等内の血族(直系と傍系がある)、配偶者、3親等内の姻族」を「親族」と規定しているが、このことと人間関係としての「身内意識」は必ずしも一致しない。後者は日常的な交流があって初めて育つ感覚だからだ。私は大いに恥入ったのを覚えている。遠ざかっていたのは私の方だからだった。この後、亡くなった姉の親族との行き来が活発になり、若い姪たちの力を借りることも増えている。
 
 そもそも8人の兄弟姉妹の「いま」を知らなすぎるのだ。これは「互いに」なのだと思った。
 もう「いまさら」と笑われるかもしれないが、私は互いの情報を「交換したい」と思い立った。実際にはそれほど交流しあえる時間は残されていないかもしれないが、それぞれの情報を集め『親族の譜』という小冊子を親族のもとに配ることにした。
 そこから始まる何かがあることを信じて。
 今日兄弟姉妹と姪宛に投函する予定の封書8通が、机上から私を見ている。
 「あきれた」か、「がんばれ」か、「かれら」の感想は、どちらだろうか。



 「何かが建っていくって、なんかいいよね」

     建設の足音
      伊東の「なぎさ橋」手前から銅像と一緒に「工事現場」を望む


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. ネットトラブル


 私のパソコンでトラブルが発生しました。ネット関係なので素人の私では原因がわかりません。治るまで休止します。

結局知らない間にアップグレードされたアプリに因って引き起こされたトラブルで、ウイルスの自動排除など一連の機能がストップしてしまったことが原因のようでした。9月6日、ようやく原状回復が成りました。
明日から更新を続けられますので、よろしくお願いいたします。

ところで「お願い」も注文もしていないのに、勝手に「アップグレード」とやらを強行するの、やめてもらえませんかねぇ。
このところ大手の身勝手、「思い上がりに」頭にきています、ハイ。 

. 大江戸から吹いてきた小気味いい風


 『親父と娘。筆2本、箸4本あればどう転んでも生きていける』
 久しぶりに観たDVDは、フリーランスの林恵一監督のアニメ『百日紅(さるすべり)―Miss HOKUSAI 』だった。2015年5月公開で話題になっていたころぜひ観たいと思っていたのだが、うっかりしてしまい、今秋10月米国での上映が決まったというニュースをみて慌てて鑑賞したという次第。

 原作は、江戸風俗研究家でもある杉浦日向子(ひなこ)の漫画である。長屋のような貧しい家で絵筆三昧の浮世絵師葛飾北斎と彼の後妻の子で3女のお栄(えい)や弟子たちが織り成す「狂気」と人情の物語になっている。
 「この親にしてこの子あり」で、北斎から『あいつは何でも描くよ』とかなり絵の才能を認められているお栄だが、男の顔で北斎はぼそりと言う。『女は上手に描くが、男は借り物』と。浮世絵師は枕絵(まくらえ=春画)も扱うが、すでに23歳だというのに生娘(きむすめ)のお栄は男性との「実践」経験がなかったのだ。映画ではそこそこの器量になっているが、どうも男親の目から見てお栄は不細工で色気がなかったらしい。

 花魁(おいらん)は出てくるわ、化け物、幽霊は出てくるわ、火事場のシーンはあるわで、かなり刺激的ではある。「すわ、お栄の処女喪失か」と思しきシーンもあるが、ぷつんと曖昧に切れるところが何とも惜しい。
 爽やかなのは北斎の末娘で盲目のお猶(なお)とお栄の心の交流である。驚くなかれこの末娘は明眸皓歯(めいぼうこうし)という設定。北斎はなぜか少しもこの子に会おうとしない。私は北斎の「父親としての哀しさ」をそこに見たのだが・・・

 この映画、実は国内ではコケたという。ところが興行成績と作品の評価は全く別らしく、仏国のアヌシー国際アニメーション映画祭の長編アニメーション審査委員賞をはじめ5種類の賞を獲っている。そして今度は全米公開!

 ただ、個人的な印象を述べれば、ドラマの展開が平坦で言わばエピソード重ね、演歌で言えば「さび」の部分が弱いと思う。あえて言えば、冒頭のシーンにあった北斎の代筆として1晩で「龍」を描き上げるシーンや、男を知って生きた枕絵に開眼するシーンでラストを締めくくってほしかった。
 いやむしろ、これでいいのかもしれない。駘蕩(たいとう)たる江戸の風情がそうなのだと思えばだが。
 ジブリ映画を見終わったときと同じ爽快感を味わったアニメではあった。

 『どってことねえくらしだけど、けっこう楽しくやってる』(お栄の言葉)


     北斎
     画像を拝借しました。「プロダクション・アイ・ジー様、宣伝にもなるから許して」。



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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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