蛙声爺の言葉の楽園

. 本の整理は心の整理かもしれない

 はやりの「終活」の中身は、なにも墓を造ったり生前葬を行ったりすることばかりではないように思う。こちらはもっと小さな準備に取り掛かっている。
 長いこと蔵書の整理が続いている。「片付けるとは捨てることと見つけたり」に従えば、せっせと「再生ごみ」として出せばいいのだが、ことはそれほど簡単ではない。いつぞや片付けのプロの方がテレビで、「整理するものを手に取って心が何も感じないものから捨てましょう」と、「残す」と「処理する」の判断基準を語っていたのだが、これが私の場合、かなり難しいのだ。手に取る本のほとんど全てに心が動くのだから。

 本には、それを初めて手にした時の事情や動機、読後の想いなどが染み込んでいる。今回はその最たるものとして寄贈本は整理の対象外とした。また20年も続けた同人誌『岩漿』や自著の類も同様だ。
 しかしそうやって諸々「心」に聞いて処理をためらっていると、なかなか減っていかない。
 とりあえず、①絶対に保存②古書店に持ち込む③資源ごみ行き、の3種に分別して先に進むことにした。
 いまは地元の書店でさえ、再販売できそうなレベルの古書は引き取ってくれるので、ささっと選んで30冊は移動した。もう1度見も知らぬ誰かの本棚で暮らしてほしい。そんな気持ちでいる。

 作業の途中にふと、かつて処分した書籍たちのことを思い出す。独学・受験時代を終えて早35年。この間にした引っ越しは数回に及び、荷物減らしの必要から何度も蔵書を「整理」したが、次の2回にはある種の「未練」が伴った。1つは立てて並べて1メートル半はあろうかという法律書群の廃棄、もう1つはこれも1メートルはあろうかという社会保険労務士系の加除式書籍類の処分。
 樹木に木霊が、言葉に言霊があるように、書物にも精霊がいるのではと、そう思う。
 しかしいまは、「過去の墓標本」ではなく、これから「先に役立つ本」のみを残そうとしている。この基準なら峻別しやすいかもしれない。

 過日、里山でも済ませてきたこの作業、自宅でも8月中には済ませるつもりでいる。
 台風10号はもうすぐ去る。明日は本を運べる上天気になるだろう。きっと。




 『巻貝の曲線が、微分学に現れる精密な曲線であるからといって、巻貝が微分学を知っているとするのは誤りである』 (数学者 遠山啓)
 自然は本など読まないけれどすべてを知っている。人間は試されているだけだ。そう想う。
 
     川面の光
     「光」が撮れるだろうか。木や水の自己犠牲の「黒」がそれを可能にした。


にほんブログ村  いつもありがとうございます

. 俳優とてただの職業と思え


 中堅女優の息子が「2世俳優」となり、酔って見も知らぬ女性に対し性犯罪を犯した。まだ「容疑者」の段階だが、容疑は刑法181条2項の強姦致傷で、法定刑は『無期または5年以上の懲役』である。この場合、強姦そのものが既遂である必要はなく未遂でも対象になり、「致傷」が加わることで『告訴がなければ公訴を提起することができない』(同法180条)という親告罪の扱いはできなくなる。報道では母親である女優は、早々に自ら被害女性に謝罪し示談の話をしたいと動いたらしいが、たとえ被害者が告訴を取り下げたとしても刑事訴追は免れないことになる。
 もっとも民事としての示談成立は量刑段階では参考にはされるだろう。それよりも何よりも、「ためにする行為」ではなく、同じ女性として、「犯人」の母親として純粋に「せめてもの償い」としての行動だと思いたいのは私だけではないだろう。もちろん内心のことは当人以外不明だが。

 こういった場合、行為者が成人していても「親の責任」が問いただされるのが常である。芸能界では「親の不祥事」が子の人気や仕事に影響してくることもある。双方とも確かにネタとしては有用だろうが、少しく疑問が残る。難しくとらえれば、これは事実上「連座制」に近くなり、近代刑法の流れでもある『刑罰の純化』に反するからである。刑罰は犯罪者にのみ科すべきであり、他者にこれを及ぼすべきではないという考え方だ。一番卑近な例は、犯罪者が妊娠していた場合、国家はその出産を助けるために特別な計らいをする。胎児には罪がないからで、犯罪者を優遇しているわけではない。

 犯罪者の親はどうか。「育て方が悪かった」から責任があるという議論がある。では「良い育て方をしたのに、なんらかの理由で子が悪く育ってしまった」場合との違いをどう立証するのかという因果関係の問題がある。そのまえに「良い」「悪い」の基準・内容の吟味はどうするのか。
 私は、犯罪行為者のみに限定して罪の深さを論ずるべきだろうと思う。
 もっとも親に「共謀」「教唆(きょうさ)」「幇助(ほうじょ)」などがあれば別だが、これは「親本人の刑事犯罪」として語ることができる。

 話が少し飛んだが、世の中は刑法だけでは動いていない。容疑者本人は当然として、女優である母親も、職業的な「制裁」を受けざるを得ないだろう。すでにあちこちの番組で緊急対応が迫られてもいる。その損害も多大だろう。
 母親の長時間にわたる謝罪会見は痛々しいものがあった。
 思いあがっていたのだろうか、息子は。俳優とてただの職業でしかないことを知るべきだ。

 おそらく彼女は、これからも息子の罪を背負って生きていかねばならないだろう。
 そう、あくまでも「母だから」。
 『母たることは、地獄のごとく苦しい』 (フランスの作家 メリメ )
 けっこう気が滅入る事件だった。




 8日間ほど雑木林の中の家で、もろもろの作業をしていました。
 下の写真はその内容の一つです。
 汗みどろになりながら、いろいろなことを考えることができました。心の更新もできたようです。

     トイレ工事
      「え? 見えちゃうって」 「安心してください、まだ途中です」


にほんブログ村

. しばらくお休みします


 都合によりしばらくの間ブログを休みます。
 顔を洗って出直します。

 何か道に迷ったような気がするのです。こういうときは「原点」に戻るのが一番かもしれませんね。
 過去記事をたどってくださると嬉しく思います。



     名もなき花園
        名もなき花園。何度も泥水に浸かったのにそのたびに立ち上がった君たち。




にほんブログ村

蛙声爺=馬場駿の小説中心のホームページ 

. 「柔道 」と「JUDO」、「勝ち負け」と「目指すもの」


 早朝に目覚めて散歩に出かける前にNHKを視るとオリンピックの重量系の「JUDO」をやっていた。
女子の決勝戦で開催国の選手が勝利した。私が驚いたのは日本人が金メダル争いに絡んでいないということではなかった。勝った彼女は狂喜乱舞の体で、フロアの関係者とハグを繰り返した。ここまでは見慣れた「風景」。そのあとだった。彼女はそのまま観客席に上がり、応援してくれた人たちと延々と「勝利と祝福」のハグを繰り返したのだ。しかも係員にフロアに戻るように注意されてもなかなか客席から降りない。金メダルを獲った嬉しい気持ちは誰でも想像がつく。しかし彼女の中には「自分」しかなかった。そうした騒ぎが収まらない間は、次の男子の競技が始められないということを失念している。国民性とはいえ私は首を傾げた。彼女はたったいま「JUDO」の世界チャンピョンになった人だからだ。
 私は思わず「柔道じゃねーな」とつぶやいた。

 昨日は男子の「JUDO」でこんなシーンがテレビで紹介されていた。勝利した話ではないので個人の特定は避けるが、負けた選手が「こんなのはJUDOじゃない!」と言って勝者にも審判にも礼をせずに、言い換えれば2重の無礼を働いて会場を後にしてしまったのだ。しばらくして誰かに注意されたのだろう、戻って来てこれまた勝手に畳の上に上がり、し残した礼だけをして去って行った。私は思わず「こんなのこそ柔道じゃない」とつぶやいたものだ。
 礼に始まり礼に終わる」。敗者にも尊敬の念を忘れずに接する。畳の上ではこれ見よがしに自分の勝利をアピールしたりしない。これらは柔道では自明の理になっている。それは「柔」が目指す「道」だからだ。

 柔道着の襟や袖を持たれることを嫌がり続け、まるで小さい子が喧嘩でもするように試合を進める。「指導」とか「有効」で、ちょっとでも自分が有利になると、腰を引きまくったり、技とも言えない動作で積極性を演じたりして時間切れ勝利を待つ。
 日本の「柔道」が1964年オリンピック種目の「JUDO」になって、次第に捨てられていったもの。それは「道」、だったと思う。
 不公平だからと「体重別」になり、どうしても時間内に勝ち負けを決めたいところから「指導」、「有効」などが判定基準の中に入ってきた。ちなみに「柔道」では「柔能く剛を制す」といってもともと体重別ではない。チビもデカも小兵も巨漢もハンデなしに技を競い合うのである。戦う姿勢、闘争心で「指導」されるなどその時点である意味「負け」とみなされる。また「柔道」には「技あり」と「1本」の2つしか勝利判定の基準はない。所定の時間に決まらなければ、試合時間を延長したりする。

 「日本の選手はなぜ銅メダル、銀メダルで喜ばないのか」、「笑顔がない」「哀し気に映る」「世界で2番、3番になっているのになぜ申し訳ないと謝る?」と、かなり変に思われているらしい。また「ほかの銅や銀のメダリストに失礼じゃないか」との指摘もあるようだ。
 しかしこれは海外の誤解だ。「JUDO」競技の大本の「柔道」が日本のお家芸であり、選手は世界1位の金メダルだけを目標に置いて日々努力している。国民もそれを当然のことのように期待している。「目標にたどり着けなかった」、だから心からは喜べない。残念な結果だ。そして「すみません」、なのだ。
 そういう自分に対する気持ちを海外の人からとやかく言われる筋合いはない。

 この、「積極的自虐性」、「不足感」「未熟感」が新たな克己心を呼び醒まし、さらなる高めを目指して努力していくという国民性が、小さな国土の日本を経済大国、技術大国にし、国民の民度、レベルを高くしてきたのである。
 本来の柔道は小さな体で大きな相手に勝つという武術だった。まさに日本そのものの姿であることを知ってほしい。だから礼を尽くし、目標をもって正々堂々と戦い、勝って上に行かなくてはならないと、こうなるのだと思う。
 しかしまぁ選手にとってはなんと過酷なことか。
 ということで、報道に接するたびに拍手している、そう「銅メダル」でも、メダル外でも。彼ら選手の強烈な「想い」に対して。


  
  「柔道」の精神部分をも学び取りJUDOで金メダルをとった海外の柔道家もいますが、最も記憶に残っているのは、オランダの巨漢アントン・ヘーシンクです。彼は1964年、日本の雄・神永昭夫を決勝で破ったのですが、寝技で1本をとって無差別級優勝が決まった瞬間、祝福するため門弟が畳の上に上がろうとしたのを、大きな掌で制しました。無礼になるという理由だったと記憶しています。彼は、この勝負には勝ったが、神永の上に立ったということではないとし、同等なだけだと言って「侍のように」(Like a Samurai)と付け加えたといいます。
 結局は、その人の人間性、人格なのかもしれませんね。柔道を「道」ごと学ぶかどうかは。


     埋めつくす勢い
       野生の勢いの凄まじさ



にほんブログ村     

. 和太鼓を観る海外のお客様


 昨晩6時から9時までの3時間、伊東海岸のなぎさ公園で、8組の和太鼓が競う「太鼓合戦」を鑑賞した。
 写真にあるように開演からしばらくの間は、まだまだ明るい。かみさんと陣取った場所はかなり後ろの方で、会場全体が見渡せるのだが、否応なしに目立ったのが20才前後と思しき、デジカメを手にした外国人女性だった。会場を動き回り、いろいろな角度で太鼓の打ち手を撮影している。その熱心さは素人とは思えないものがあった。ただ、痩身で薄着、短パン、黒縁眼鏡と、服装や雰囲気は丸々ふつうの「お客様」だ。
 いやいや彼女の紹介をしているわけではない。私が注目したのは、彼女持参のリュックサックが芝生の上に置きっぱなしにされていたということ。時々そこに戻ってきては必要なものを取り出しているので「所有者」であることは間違いない。私はそこに日本の安全さと日本人そのものに対する「信頼」を感じたのだ。さすがに2時間近く経ってからは背負ったが、彼女は暗くなってからも撮影を続けていた。観客は最終的には千人は超えていたと思う。
 ネットで『海外の反応』をよく観るが、海外では荷物を肌身から離すのはタブーだとされている。即刻盗まれるからだ。いや、うっかりすると身につけている物すら普通に強奪されるという。
 つまり、彼女には「日本では大丈夫」という想いがあるのだろう。
 この感じは、和太鼓の演奏に勝るとも劣らない心地良さだった。


     DSCN1106.jpg


 会場で目の前に座っていた4人組の外国人が、「天城連峰太鼓」の演奏が終わって拍手する際、「アンコール」と叫んでいた。なんとなく嬉しかった。解かるんですね。
 (※掲載写真は別の、自衛隊の和太鼓チームです)


にほんブログ村

. 言葉の楽園らしく遊んでみました


 鰻のぼり
   『板さん、暇そうだね』
   「ああ、高くなっちゃったからね」
   『じゃあ俺もいつものヒマツブシ』
   「櫃(ヒツ)マブシだろ!」

 むなしい
   『セミってみんな仰向けになって死んでるんだね』
   「ああ、最期に青空見たいんだろ、ポエムじゃねーか」
   『そーか、ウツセミって空に蝉だもんね』

 気骨
   『法案ですが総理、野党の反発厳しいようですね』
   「ああ、だからって小骨一本抜かないよ」
   『じゃ、お骨折りだけということで』

 ひやかし
   「お客さん、入湯券はこちらのフロントで」
   『入らないよ、ここ立ち寄り湯だろ 』

 P.S. もうここまで来てしまいました。

     


     話しかけてみた

       話しかけてみた。 「こんなところで咲いても君はきれいなんだね」



にほんブログ村
 ありがとうございました

蛙声爺=馬場駿のホームページはこちらです

. 伊東の「按針祭」始まる

  
   夜明け

       江戸のころ三浦按針(ウイリアム・アダムス)が家康の命を受け、洋式帆船を
       建造した「松川河口」付近の夜明け。


 今日8月5日正午過ぎに伊東駅で「按針ウィークオープニングセレモニー」が催され、11日までの7日間にわたる第70回「按針祭」がスタートします。
 実は私20年近く伊東に住んでいるのですが、勤務先が伊豆高原、熱海、箱根と、この祭りの開催地と離れたところで観光ハイシーズンを働き続けていたため、催し物を観たことはほとんどなく、無知に近いんです。それだけに今回は、あたかも観光客であるかのように、少し弾んだ気持ちで祭りに接してみようかと思っています。

 昨今は肖像権やプライバシー権が必要以上に?やかましく、また撮った撮らないと力の入った争いも報道で散見しますので、人で賑わう場所でのいわゆる「スナップ写真」は撮れないのですが、なんとか祭りの雰囲気が伝えられる良いショットをと考えています。
 産まれたばかりの台風が心配ですね。夏祭りに雨は似合いません。
 とくに10日、メインの「海の花火大会」は晴れであってほしいもの。

 『花火あがるどこか何かに応へゐて』 (細見綾子)
この句が一番好きですね、引き出しが多くて。

 花火、たとえばひとりで見ていると、「自分の人生って何だったんだろう」などと柄にもなく考えてしまいそう。
 「確かにいっとき輝いたかもしれないけれど、それは白一色で地味、大輪でもなかったわな」
 そんな感じ(^^♪


     祭りの準備

       8日の「松川-海上灯籠流し」に使うのだろう。まだ工事中だ。     


にほんブログ村     

. 無風という名の風


        和風1
          右上のビルの「端っこ」、アップしてみて初めて気づいた。「一緒に写りたかったの?」

 また断りもなしに新しい「朝」が来た。

 先日薬局で待ちのソファーの横に体脂肪率測定器があるのに気づいた。器械の指示に従って試してみたら「18.3」と数字が出た。普通だそうな。いわゆるBMIは「23.6」でこれも適だそうな。なのにヘモグロビンA1cは「7.0」、食後高血糖なのだそうな。いま食を細くして胃を縮めている。すぐに満腹になり自然と過食がなくなるからだ。徐々に実行するとなんの苦痛も、不満も感じずにいられる。同病の方にお勧めしたい。ゆっくりやらないとストレスがたまるのでご注意。
 あらゆるものを減らして最期がくる。そう思っていれば日々が気楽だ。
 
 暑中見舞いを書いて1週間後に投函した。曇天・冷気で「何が梅雨明けだ」の伊東、出しようがなかったのだ。ゆっくりな話だ。そのせいか誰からも返信がない。きっと伊東のこの脳「天気」がばれているのだろう。
 岩漿同人から新刊本を寄贈された。「拝受通知」は出したが、まだ完読できていない。失礼な話だが、急げない。人様への「すごいな」が自分の「がんばるべえ」に直結しない齢。そうなのかも。

 安倍氏の再改造とやらが実施された。二階幹事長(親中)と稲田防衛相(嫌韓)の取り合わせの妙。その「こころ」はと与太で考えてみたら「親安倍」だった。当然か。昔辛口の評論家が「日本には戦略的な外交というものがない」と嘆いていた。「相手国」の顔色を窺い右往左往するだけという非難だったと記憶している。この首相(外交顧問も含めて)には、あるらしい。国の内外をハラハラさせるくらいに。諸々のペン情報を読んでみても「ドラマ」を感じる。

 松川で産まれたばかりのカルガモ数羽を見てから、散歩のたびに気にするようになった。成長が早いのには驚嘆。いったい何を食べているのか。少し高いところから「餌」らしきものを川面に投げている老人を何度か見たので、たぶん理由はそれか。今朝はだいぶ下流で5羽が遊んでいるのを見かけた。もう親と子の見分けがつかない。
 彼らは毎日何を考えているのだろう。はしゃいでいて楽しそうに見えた。

 なんだか今日の記事も取り留めが無い。
 風がないのも「無風」という風。「穏やか」と訳される。


       和風2

        昔の映画監督の本に「映画は枠だよ」というのがあった。古都で撮ったって嘘つこうかな。



 暑中見舞いの記事をアップしたとたんの夏空で「暑っ暑い!」
 しかも返信が二つ来ました。やはり、ゆったり、ゆっくりが一番ですね(^^♪
 入道雲を久しぶりに見ることができました。

 2枚の写真は伊東市内の「東海館」です。元旅館で今は記念館、伊東にいらしたときは是非どうぞ。 
          


にほんブログ村

. 都知事選戦国物語


 今回の都知事選、じつは『国政選挙』でした(^^♪ 
 爺になり老眼が進むと、細かなことが見えなくなり、雑音も聞こえなくなり、世の中の動きも大雑把に見ることができます。もしかしたらこれ、とてもいいことかもしれません。で、今回の都知事選挙についての新聞・テレビ・雑誌・ネットの過熱報道というか間引き報道というか、暇なのでそれを追いかけていたら、ふと気が付いたのでした。これ、群雄割拠した戦国時代そのままだと。
 謀(はかりごと)、脅し、裏切り、勘違い、なりすまし、・・・肩書と下の名前を取ってしまって「氏」をつけて語ると、戦国の北条氏、上杉氏、織田氏、徳川氏など豪族諸侯に擬(なぞら)えることができるので、なおさらです。
 ほんとに「妄想」しやすいのです。

 隠居を選んでいる方も含めて天下国家を憂える諸氏は、実はこぞって東京を小池氏に治めさせようと動いたのです、きっと。もちろん、傍目に「結果的に」だとは見えますが。
 まず石原氏(子)は党公認にしなかったことで小池氏を「ひとりぽっち」にしました。これで都民の同情と勇気への称賛を与えてしまいました。と同時に党公認の増田氏へ来るはずだった票を間接的に減らしてしまったのです。
 さらに都連の内田氏は石原氏(子)と図り、党公認候補以外の候補に応援・加担した党員は「処分」すると発表。これでプライドの高い現与党議員と、もともと党の支持者だった人の一部を小池氏側に追いやってしまいました。反発されるとは思わなかったのでしょうか。与党議員といえども与党の傀儡(かいらい)ではないでしょうに。行きすぎましたね。

 戦も終盤にかかったころ、今度は増田氏応援を買って出た石原氏(親)が、最有力候補の小池氏を『大年増の厚化粧の女』と表現しマスコミに載りました。これは作家でなければ考えつかない「応援方法」です。この発言で多くの女性選挙民が小池氏に走ったのです。じつは小池氏は過去に、国際的な情況によっては「核保持も考慮」に入ると発言していて、この言葉尻をとらえられ、イメージダウン方向へ引かれかかっていました。彼は、抽象的な過去の「核発言」よりも「厚化粧」など女性蔑視発言の方が刺激が強いことを知っていたのです。増田氏には気の毒でした。報道によれば石原氏はかつて小池氏に都知事選立候補を促していたとか。そんな彼が、本気で文学者にあるまじき文言を使うわけがありません。

 安倍氏は自党候補の街頭応援には行きませんでした、映像では応援しましたが。勝手に忖度するに、そうなったらなったで「小池氏でもいいな」と思っていたのではないでしょうか。何しろ安倍氏の第1次内閣のとき小池氏を防衛大臣にしているのですから。また二人は同じ時期に総理総裁だった小泉氏の薫陶をうけていて、小池氏は特命担当大臣(沖縄と北方対策)に就けられていました。安倍氏、小池氏には小泉氏の政治手法に似たところがあると感じています。
 その小泉氏が、小池氏立候補を知って「勇気あるな」と笑みをたたえていた映像が印象的でした。
 安倍氏の懐刀役の菅氏も、党則違反に因る小池氏除名の可能性を問われた際、小池氏の処分云々は「都連の問題」として避けて通っています。じつに「うまい応答」ですね。

 もう一人側面から、結果的に小池氏を支援することになった候補がいました。11万以上の票を獲得した桜井氏です。内外の「反日」に対する体を張った「過激」という名の率直演説が、小池氏の公約や演説を「マスキング」したのです。激辛のあとでの辛口の味は見事に薄まります。それでいて現在する問題点は網羅的に彼の演説現場の都民に伝わったのですから。

 ちょっと考えてみましょう。当選した小池氏は『政界渡り鳥』と揶揄(やゆ)され、『嫌われ者』のはずでしたよね。ではなぜ、今も小泉氏、石原氏、安倍氏、菅氏などから「隠れた支援」を受けられるのでしょうか。いえ、今回は登場していませんが、元総理細川氏、元防衛相石破氏にも「近い」ようなのです。爺は無い頭を絞ってこれらの人と小池氏の共通点を探してみました。
 それは国の安全保障、広義の国防方針だと、そこにたどり着いたのです。
 都知事選挙は首都の知事とはいえ国政選挙とは違います。しかしです、国と国民の安全を護るには、政府と首都の知事が真逆の方を向いていては叶いません。そして彼らにとっては、枝葉末節はともかくとして、これがきっと最重要・最優先なのでは、と思うのです。
 『婦女子の貞操と国の安全を守るための嘘は許される』
 含蓄のある格言ですね・・・
 
 小池氏の対立候補の陣営でも、かなりの「戦国の世」を見させてもらいました。
 でも、長くなりましたのでこの辺りで。
 「妄想」って、結構疲れるんです。
 こういう時の締めくくりは、これです。失礼しました。
 『妄言多謝』




にほんブログ村
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
3155位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
創作日記
134位
アクセスランキングを見る>>
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR