蛙声爺の言葉の楽園

. 爺と孫の対話で「大衆迎合主義」


孫 「爺ちゃんは大損したの、もしかして。イギリスのEU離脱騒ぎで暴落したでしょ」
爺 「なんだよ、のっけから世の中の話か、珍しいな。いつもなら映画の話題だろ、君は」
孫 「うん、なんかバカみたいでさ、いろいろ聞いてると。離脱と決まったらリーダーたちがすぐ、莫大なEUへの拠出金がなくなり、その分国内で有効に使えるようになるとか、難民・移民を拒絶できるとかいうメリットが不正確で、まあ嘘だったと告白するとか、それって罪にならないのかよ、なんてね」
爺 「まあ、踊らされた方も、EUって何って、そもそもそこから知らなかったり、どうでもいい話だな結局。ああ、損はしないよ含み損は膨らんだけど、日本株は大丈夫。信じて持ってりゃいいだけだ」
孫 「へえ、愛国者なんだね爺ちゃん」
爺 「おい使い方違うだろ(^^♪ 自分の国信じないでどうするんだ。いま世界中の投資家が虎の子を注ぎこめる先は日本とアメリカだけだ、時間はかかるが必ず戻る。離脱で混乱した中で日本の円が集中的に買われたのがその証拠だ」
孫 「ふぅーん。ところでさ、ポピュリズム(populism)って何。トランプ候補のニュースで出てきたんだけど、フィリピンの何とかいう新大統領の選挙の時も、彼のがそうだとか何だとか」
爺 「調べたのか、大学の図書館かなんかで」
孫 「あ、いいや。ちょっと気になっただけなんで。ポピュラーと親戚かなって程度の疑問だから」
爺 「今どきの子だな(^^♪ もともと19世紀末ごろにアメリカで起こった運動なんだけどね、いま使われている意味内容でいくとね、中間層や低所得者層、つまり大衆の求める改革に合わせて政策を掲げ、選挙民の関心と支持を得ようとするやり方を指してるみたいだな。大衆迎合主義と訳されてる。ま、厳密な概念は自分で調べなさい、学生なんだから」
孫 「いいじゃんそのやり方、何か不都合があるの? マスコミの論調だと困ったみたいなニュアンスあるんだけど」
爺 「これは爺ちゃんの私見にすぎないけど、大衆の求めに応じて、これを利用する側が使う手法が単純な二者択一になりがちなんだ。AとBの選択を迫るときにね、それぞれの案にいろいろなメリット・デメリットがあるはずで、それが問われるのに、AとB、さぁどっちだ⁈ って単純化させるんだ。例えばだ、だいぶ前の選挙だけど小泉内閣が衆議院を解散して選挙民に迫った二者択一は何だったかおぼえてるかい」
孫 「たしか郵政民営化、是か非か。ああ、たしかにこれ1本みたいだったね、教えてもらった記憶あるある」
爺 「そうだ郵政選挙と呼ばれているんだが、これをきっかけに自公が衆参で過半数を占めることになる」
孫 「じゃEU離脱の国民投票も、イギリスの主権回復と難民・移民の拒否 、是か非かで二者択一」
爺 「結果としてそうなるね、EUの意味も離脱がもたらすマイナス面もよく知らずに投票って人も多かったって言うんだから」
孫 「効果覿面(てきめん)の二者択一なら、けっこう使えるね、爺ちゃん。とくに政治で」
爺 「言わばタイトルや大見出しだけで、選択の結果の検討無しに是非を投票してしまう弊害があるわけだ、それを利用する政治手法も含めてポピュリズムの消極的側面だな。君は去年の、自公言うところの安全保障法案の野党側の大見出しを憶えているかい」
孫 「そうか、うん。戦争法案
爺 「このどちらの大見出しで選挙ないしは国民投票をするかで結果に大きな差ができる。これって怖いことなんだ、実は」
孫 「安全保障法案、是か非か。対して、戦争法案、是か非か。はぁー確かにねぇ」
爺 「この弊害は国民投票でより顕著になるんだ。或る法改正をしたとするよ。与党は、国を守る自衛隊、是か非か。一方の野党は、戦争参加、是か非か。まったくイメージが変わってしまうわけだ」
孫 「いま思ったんだけど、言葉で操作できるとしたら、マスコミの報道姿勢でもだいぶ変わるよねぇ」
爺 「いい視点だね、太平洋戦争における大本営発表とそれを報道し続けたマスコミ。国民はすっかりだまされた。いくら独裁者でも最初から独裁が出来たわけじゃないからね。何百万、何千万という国民が一定方向に走ってしまう何かがあったわけだね。多くの場合、それは国単位の経済的困窮じゃないかと私は思うけど」
孫 「そういえばナチスドイツもそうだったね、それは習った。ヒトラーは最初から独裁権力があったわけじゃないって」
爺 「1929年からの世界恐慌、大量の失業者、日本でも農村の女性が役場の紹介で身売りされたという時代。社会的な大混乱から興奮状態の大衆が生み出した、国民崇拝の総統ヒトラー。いま世界のあちこちでポピュリズムが喧伝されているってことは」
孫 「国民がしっかりしていなきゃ、ヤバイ?」
爺 「そんな気がするけどねぇ。的外れかなぁ」 



 迷ったあげく、こういう会話形になりました。長くなりましたので、続きは明日にします。

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      「こんなのオルカ?」 「爺ちゃん言うなら、こんなのイルカ? オルカはシャチだよ!」  


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. 老いの白日夢?


 「老いの白日夢?」

  歯磨きが歯茎みがきになる不思議
  地獄耳が空耳になった幸せ
  目利きが目危機に変じた一つの革命
  空は晴れ頭は霞の不可解
  嗚呼、青春の自慰、爺の凄絶
  預貯金のみが余貯金のみになる余生。

  それでもいいことあるさ
  ひどい心が広い心に。
  自分勝手がお勝手係に
  酒豪が酒乞いに。
  眠れない? もうすぐ永眠、気にするなよ睡眠負債、
  生を増やす眠れぬ夜に乾杯、冷めない夢に完敗。

  最期に婆が爺になって毒書三昧。
  どこかで極楽蜻蛉が誘ってる、
  笑えよ、『身一斗室の中に在るも眼は全世界を通観す※』?
  泣いてオヤスミ。。。

  


これ、理性でなく感覚で読んでください。
「もしかしてこの人ヘンじゃない」なんて思わないでくださいね(^^♪ 創作なので。
※印、中江兆民『三酔人経綸問答』からの引用です。
また削除した記事があります。お詫びします、タイトル残っているんですよね。

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      「きみ、かわいいね」 「へん! 欲しがったって、やんないよぉ」   
 

 
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. 猫の格差社会


 猫好きの人の豊かな家庭で子猫のころから「乳母日傘(おんばひがさ)」で何不自由なく育った猫は、毎日何を想い何を感じて生きているのだろう。長ずれば美食で「成人病」さえ心配されるメタボになったり、獣医の不妊手術を受けたり、中には美容院に通うお姫様もいるらしい。

 大の字になって寝たり、顔だけ出してコタツに入ったり、段ボール箱に首を突っ込んで抜けなくなったり、二重ガラスのサッシの間に挟まれて身動きできなくなったり、飼い主の布団に潜り込んだり・・・それらのすべてが「かわいいー」で許されてしまう信じがたい環境の中に居る。いやむしろ、犬とは違い取り立てて人間の役に立つミッションを与えられておらず、存在やしぐさそのものが飼い主の癒しになれば評価される猫なのだからそれで十分なのだが。
 彼らは「社会的な地位・評価」も高い。昔は「なめ猫」と呼ばれ学生服を着て一世を風靡。いまは「駅長」になって世界中の人を呼び込み外貨獲得に貢献している。驚くべきことに「ぶさいく」でもテレビCMのスターになれるのだ。
 加えて、確かに生後間もない猫の可愛らしさは、他の動物の追随を許さないものがある。
 では爺は何を言いたいのか。
 
 それは恵まれた彼らの対極にいる野良猫たちとの「格差」だ。もちろん前記「家猫」たちのせいで生活が苦しいわけではない。人間が作り出したともいえる「格差社会」なのだ。しかしこれも個々の愛猫家のせいではない。では「なに!」
 猫の世の「不条理」とでも言おうか。いわれなき「さだめ」なのか。それでも、野良になったとたん保健所の係員に追われて捕獲され、一定期間内に引き取り手がいないと殺処分にされる犬よりは恵まれている。猫には「狂犬病」がないからだ。
 
 「外に居るから野良」とは限らないが、不思議なもので、毛並みや「立ち居振る舞い」で飼い猫はそれと判るから、控除法で野良が野良と分る。今朝、リュックを背負った小太りのお婆さんが貸し駐車場で猫と「話」をしていた。爺は「この子はどこかの飼い猫」とすぐにわかった。所作が野良とは違う。心温まる「風景」だったが撮影はできなかった。いや別に、猫に配慮したのではないのだが。
 そしてついに見つけた。今年の冬に、温泉排水管のマンホールの蓋の上で暖をとっていた猫の元気な姿を。


     DSCN1063.jpg

       「おまえ、外で無事に一冬過ごせたんだ、えらいな」
         
     暖をとる野良猫

      「この子です、だいぶ前にアップしてます」

 何を言いたかったのか、爺も不明。自分の人生が「野良」だったからかもしれない。妄言多謝。     


 写真の子に話しかけたのですが、無視されました。野良のプライドかい? 「良き哉!」
 この子の目、生きるために何かを耐えているのでしょうか。じゃれたり、なついたりとは無縁の世界に棲む気迫を感じました。


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. 街中でにっこりホッコリ


 市内の道路で見つけた心温まる「標識」です。どこの町にもあるんでしょうが、とりあえず5つ撮ってきました。未明や薄暮にフラッシュをたけば「不審者」、万一そばに婦女子がいれば「変質者」、どっちにしても疑われては立つ瀬がないので、こういう写真、けっこう気疲れするものだなと知りました(^^♪


     工事注意
      あんまりかわいいと、君たちが誘拐されないようにガードマンが必要になるよ


     飛び出し

      公的なものじゃなくて、「寄贈」っていうのがいい。思いやりの方は色あせないからね


     津波

      どうやって海抜測るんだろう。何にせよ津波が来てから見ても遅いからね


     工事現場

      できれば女の子のヘルメット姿がいい。意外性こそが人目を引く。今回は君でいいよ


     駆け込み

       これ、きっとあちこちに居るね。これを撮った後でオリジナルのパンダも見つけた



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 6月24日、伊東市役所で期日前投票を済ませました。
 テレビのニュースでいつもより投票者の訪れが早いとか。関心が高いのでしょうか。 
 



     
    

. 選挙と聞いて、爺のあれやこれや


 6月22日参議院議員選挙の公示となって、あれこれ綴ってみたくなりました。とは言っても爺のこと、大上段に「政治」を語るなど無理の3乗、「茶飲み話」にすぎませんが。
 突き詰めると「はてな(・・?」の重箱を差し出す程度で「お茶を濁したい」と思います。

 今朝雨の中を足腰のために歩きだしたらすぐに立候補者用の立て看板が目の前に。「あれ、公明がいない」が最初の気づきでした。これは自民に譲った結果だなと即推定しました。次に、5人立候補したはずなのに「ポスターが4枚しかない」のも奇異でした。公明が遅れるわけがないので、あと1枚は無所属かと、これも推測しました。
 ところで今回の「野党共闘」、少々落胆しました。議席欲しさに何でもありというのはいかがなものかと。結党理念も政策も違うのに、しかも機動力のある共産主導なんでしょ。批判票の行く手に濃い霧がたちこめませんかねぇ。個人的にはいつかものの本で読んだ『共産党香辛料説』が好きなんですけど。中央官僚の評価としては「一番勉強している」という党なんですが。 
 それにしても「この掲示板、選挙のたびに作るんでしょうか」。それとも国政選挙、地方の選挙共用で「左端の説明板だけを付け替えて使いまわしているんでしょうか」。数人の立候補者と分っているのに20も貼る桝(区画)があるところを見ると後者だなと・・・。
 少し勢いを増した雨に、「かなりヒマ人だな俺」と思わず苦笑しました。

 マスといえば元都知事の○添氏(辞職してもう公人ではないので一応伏字です) の疑惑、予定調和で解明無しでしたね。いくら「実質大統領制」だとはいえ、都民と都議会に恥辱と損害を与えたのですから、ふつう賞与と退職金は不支給ですよね。会社という組織の就業規則の「懲戒免職」相当ではないのかなと愚考しますけど。百歩譲っても本人の「辞退」は常識だと思います。
 彼はたぶん「今でも、自分は悪くない、いじめられた」と思っているでしょう。
 中国のネットにこんな主旨のコメントがありました。「あの程度のことで知事が辞職だなんて、この国では考えられない。彼はまだ清潔だと言われるレベルです」と。視点の違いというものは面白いですね。
 要職に就いた人の思い違い、思いあがりをたしなめた名言を見つけましたのでご紹介します。
 『権力や地位やカネは人間を変える。その怖さを知る心、自省の念があるうちはまだ救いがある。本当に恐ろしいのは、権力の怖さを謳歌し始めるときだ』(昭和55年3月の天声人語から)
 これ、国政段階でなら「なおさら」ですね。

 そもそもなんですが、参議院て要らないと思いませんか。政党政治としてとらえてみると、両院ともにほとんど同じ政党で構成されていますよね、しかも双方とも選挙で選出。つまり2重の手間と金をかけているんです。明治憲法下では選挙によって議員を決める衆議院(下院)と、そうではない貴族院(上院)があったのですが、この二院制を戦後の新憲法で引き継いでしまいました。参議院の独自のチェック機能は次第に失われ、所期の目的はどこへやらの状態です。もし憲法改正がいつか成るなら、参議院を廃止すべきだと思います。国会議員1人に係る歳費をはじめ年間の費用は1億円とどこかの資料に出ていました。ですから選挙や参議院の運営費用等を加えると、少なく見ても年間数百億円の節約になります。お前ごときがと言われそうなので、名言を引くことにします。
 ここでいう「第二院」が参議院です。
 『第二院が何の役に立とうか。もしそれが第一院と同じなら無用であり、第一院と異なれば有害である』(シェイエス)
 ね。
 どうしても残すなら、経済界、教育界、文化芸術部門等々から報酬無しの名誉職で参議院議員というのはいかがでしょうか。
 あ、空が明るくなってきましたね。15分ほど前に鶯が鳴きました。野鳥は雷雨があがるのを本能的にとらえるようです。
 来るべき名誉職議員の議会には鶯嬢もおきましょう。和みますよ、きっと。

 え? 爺はどこに投票するのか、ですか。政党政治ですから、国政段階の選挙では立候補者個人では選びません。
 明日あたりはかみさんと、期日前投票に参ります。


     スミレ

             独りでもいい。 身も花も小さい。 けれど、それでいい(^^♪


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. 行く川の流れは絶えずして


 松川(伊東大川)の河畔に比較的大きな観光ホテルがあり、近くに「岡橋」というきれいな橋が架かっている。かつてこの橋でつながれた道路の片側に7軒ほどの飲食店があった。間口が狭く奥行きもさしてない観光客や旅館勤めの人相手の「赤提灯」だったと思う。いまは無造作に閉じられ「寂寥感」をつのらせている。
 観光旅行の質が変わり、顧客のニーズが変わった。旅館や観光ホテルがこれに対応して営業スタイルを変えていく。低価格、バイキング形式の食事、部屋出し激減・・・必然的に板前、仲居、内務などの職域の需要が極端に少なくなった。
 散歩で通るたびに、「彼らはどこに行ったのだろう」と想う。
 呑み屋だけではない。各種の大型店の進出で品数や価格で争えない個人商店は、次々にシャッターを閉めていった。「店主だった人、その後はどうしているのだろう」とまた、想う。
 今年4月の数字だが、伊東市の人口は70,500人でだいぶ減っている。このうち65歳以上の高齢者は27,800人で、さらにその半分が75歳以上で占めている。時代の流れの中で「変貌」していく観光地伊東。変わらないのは松川の水の流れだけか。

 その高齢者の1人の爺が早朝の街中を歩いている。しかも速足で。何とか体力、体調をもとに戻そうとして。
 肝機能、腎機能、血圧も「所見アリ」とはならず、脂血検査もクリアし、現在治療中の糖代謝異常だけで済んだ今回の特定健診。しかしいまだ精密検査をしていない自覚症状だけの「爆弾」がある。「検査をする前に気になる身のまわりの整理を」と考え始めたゆえんのものだ。「爆弾」だけに落とさないようにと抱えたまま暮らしている。
 必死に気楽を装い、笑顔をつくりながら。

 リタイアしてから読み続けた本の数とその種類の多さ。何にも知らなかった自分が愛おしくなった。
 4年以上も前、同人誌の同人の1人が「山に籠り晴耕雨読の生活に入った」との便りをくれた。昔読んだ本を読み返しているのだが、まったく違った受け取り方をしている自分に気づいたと。その手書きの文字が小躍りをしていた。
 その彼も、便りをくれた2年ほど後に、癌で亡くなった。どうやら病巣は本人も知っていたらしい。

 またカモの番(つがい)を見つけた。「ふたり」して羽の手入れをしていた。かわいらしいので腰のデジカメに手を掛けたが、すぐ思い直した。フラッシュがたかれる撮影環境だと気づいたのだ。邪魔をしては悪い。
 「そっとしとこう」
 ・・・1周して同じところに戻ったが、くだんの「ふたり」はもう居なかった。
 「ま、そんなもんだ」
 昨日の雨で濁っていた流れが、ようやくきれいになった。川の回復は速い。
 『もとの水にあらず』か・・・




     朝鮮朝顔

        河床の琉球朝顔の隣に咲いていた朝鮮朝顔、・・・地政学でも学んでいたのか?



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. 削除したのに「注目記事」


 昨日の日曜日、医師から聞いていた国保の「特定健診」の結果に基づいた記事を、かなりの長さで書いてアップした。3時間ほどしていつも実行している「第三読者」の目で記事の推敲をしたのだが、訪問者も拍手もポイントもゼロだと気づいた。「当たり前だな、人の健康状態を見たい人なんて、そうざらにはいない」と、「記事の管理」から「削除」を選んでクリックした。

 今朝「マイページ」を訪れて諸々確認をしていて驚いた。削除したはずの『特定健診の結果から診る』が「がんばるシニア」注目記事の4位に入っていたのだ。その獲得数は記事の空振り回数にほかならない。確認したら、削除しても最初にアップしたタイトル情報だけはそのままなのだった。シニア独特のものかもしれないが、改めて健康や病に関する記事の注目度を思った。
 何か申し訳ないことをしたかなと、少しく考え込んだ。加えて削除した記事は再生不能だ。
 そういえば私自身、「タイトル案内」をクリックして同じ経験を何度もしていた。
 その時の印象は必ず、「あれっ、何これ」だった。



       新築工事

           新建築の「槌音」は何となくうれしい。どこの誰のものでも。これってヘン?


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. 日本では無宗教もまた宗教


 時々ではあるが「宗教」というものを考える。古来話題にしない方がいいとされていることを列挙した和歌にも、『我が仏  隣の宝  婿舅(むこしうと) 天下の軍(いくさ) 人の良し悪し』(肖柏) とあるが、あえて記事にしてしまった。
 
 ものの本によれば、現在日本で特定の宗教を信仰していない人の割合は7割以上だという。ところが全国の神社仏閣などの宗教施設数は何と18万を超えるらしい。しかも、どうやら日本の「無宗教派」はほとんどの人が「反宗教派」ではない。特定の信仰を持つ人を排斥したり攻撃したりしないのだ。それどころか、むしろ国内外の宗教を日常の行事を通して生活の中に取り入れて喜々としている。おそらく特定の宗教を持ち敬虔につかえる諸外国の人から見れば、奇異に映り滑稽にさえ感じられることだろう。いや、もしかしたら逆に、懐の深い宗教観と、日本文化に敬意を払ってくれているかもしれない。

 クリスマスを歓び、お寺で除夜の鐘を聴き、初日の出に合掌、神社に初詣に出かけ、商店街の道端にある稲荷の狐に手を合わせ、753を祝い、セントバレンタインデーで盛り上がり、釈迦誕生の花まつりに参加して、クリスチャンの友人の教会での葬儀に参列、また地元の夏祭りで神輿を担ぎ、お盆には菩提寺で父母の墓前に立つ。さらにはハロウィンも喜んで参加だ。考えようによっては自然崇拝者であり、仏教徒であり、神道(しんとう)の崇拝者であり、クリスチャンでさえあるのだ。ヒンズーもイスラムも排除したりはしない。果たして日本人は傑物なのかいい加減なのか。悩むのは海外の人だけだろう。わが国では誰も本気では不思議がらない。宗教は尊重するし、どの宗教行事にも抵抗無しに参加する。攻撃や差別などは論外なのだ。
 この日本人の「特定の宗教を持たない姿勢」は、世界で唯一の、相対主義をとる「無宗教」という名の「宗教」なのだ。
 もう、そう考えるしかないと思う。

 周知のごとくあらゆる既存宗教は、自らを「正宗」(しょうしゅう)とし他宗を「邪宗」(じゃしゅう)とする絶対主義をとる。ここから他を自らに取り込むことを義務とし善とする強固な姿勢が生まれる。この自己貫徹性は宗教の宗教たるゆえんとして「是認」されてきたと言えよう。そのためには武力も使う。従わなければ殺戮も辞さないとなる。世界の歴史を顧みれば大多数の戦争、紛争、植民地化はここに端を発しているとも言える。「正宗」も「邪宗」もない「自」も「他」もないと、ひっくるめて尊重し受け容れてしまう「ウルトラC」的な「相対主義の宗教」などなかったのだ。
 ところが海外の目は、今の「日本」がそうだと気が付いた。日本人は言われて初めて「へえ、なるほど」と腑に落ちたのだ。無意識、無自覚だからこそ凄いと言えよう。

 「相対主義」の好例はいわゆる民主主義だ。『私はお前の言うことには反対だ。しかしお前がそれを言う権利を、私は命をかけて守る』(ヴォルテール)。 少数派を含めた全ての意見に耳を傾け、最後の手段として多数決を採り、少数派はこれに従うというルールで表される。この相対主義の理念を、宗教を観るうえで応用したとも言える快挙なのだ。そう思う。
 もちろん信教の自由があるので「多数決」はありえないのだが。存在を認め合う視点では通じるものがある。
 こうも言えるだろう。宗教の教化法には、相手を破折せしめて取り込む「折伏」(しゃくぶく=父の愛)と、相手を受け入れて教化する「摂受」(しょうじゅ=母の愛)があったという。この「摂受」という考え方が、日本の「無宗教」という名の「宗教」を流布させたのではないかと。
 とてつもなく「クール」であることは確かだ。


    
      布袋

        布袋さまは、実在した禅僧だそうな。風呂の前なので袋じゃなくてタオルを肩に?
  


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. どす黒いどんより雲の下で



 テレビを点ければあの都知事の顔、都議会ライブ中継風の真っ暗な話題が何日続いたのか。「恥の文化」の中に居ない人は視ていて辛いものがある。夕方、辞任が決まったと知って、ホツとする自分がいた。うんざりしていたのだ。毎日首を横に小さく振っていたので、疲れたし。

 ここ数日、もろもろの整理に「忙殺」された。どこかのCMでよく使われる「終活」はけっこう大変なのに、なぜか老化が進んでからするんだよね、「何かヘン」じゃないか。いや、事の性質上当然か。それにしても、月日が去るスピードがまるでリニアモーターカーのようだ。これでは開業のころ爺は千の風だろう。「あたりまえだろ、ずうずうしい」って? ハイ(^^♪。

 サッシ戸の向こうでウグイスが終日、下手な歌を歌っていた。散歩で出かけた先でも下手だった。そういえば、いつかの城ケ崎でも。
 誰か、地域の防災スピーカーで、きれいに鳴く「鶯の声」、流してやってくれないかな。彼らにも先生は必要だ。でないと、ずっと独身のままだ、きっと。世渡りならぬ谷渡りはうまいんだけどなぁ。

 アマゾンで1冊本を買って「ファミマ受け取り」にしていたので取りに行った。名前を告げたら、「あの、問い合わせ番号と認証番号必要なんですけど」と店員。忘れた。家に戻って用事を済ませてから、再び店へ。「よかったですね、偶然ちょっと前に着荷しました」
 それって、「え?」

 熊が人間を食べ物として認識しだしたとの報道。ということは、鈴もラジオも死んだふりも「逆効果」ってこと? 「人を食った人は世の中にごまんといるけど、人を食った熊ねぇ」 「今こそクマモンの知恵借りるベア」
 こうなったらみんなで熊肉食うしかないか、脅しで。

 きょう、こんな天気なのに6月の15日なのだ。「年金払い込む人」はシッカリ者です。その証拠に彼らの耳は、「もっとほしい」というみんなの声が聞こえないんです。いまにも泣き出しそうな空・・・
 もう、暗くなりました。



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. 「火山」の活き死に



 『大室山がラベンダーの上に載っかってるな』

     大室山と花

 「ああ、大室山が活火山て知ってた? お前」
 『うん、今休火山て分類ないじゃん』
 「火山も活きてるか死んでるか、ふたつにひとつなんだよなぁ」
 『だから何』
 「いや、オレもさぁ…」
 『…そうだね』
 「おい、そのそうだねって、活き死にどっち選んでの、そうだねだよ!」
 『そうだね、ごめん』
 「あやまるってのは、やっぱりかよー」

 
 何か手違いをしたらしく記事バナー設置もピング処理も出来なくなったのが昨夜。
 「ブログ村」メールの回答・指示に従って、新しいブログ記事を書いてGO!だったのですが、このところ記事書きを夕食後にと切り替えたので言わば「時間切れ」、今朝になってようやく回復してもらいました。「やれやれ」
 爺にとってパソコンは、いまだに魔法の小箱。開けるとときどき煙が出ます。



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. 紫陽花と「おいね」を追って


 青空に誘われて今が盛りの紫陽花を追った。隠れ目的は足腰の鍛えだ。
 なぜか伊東市内での勤務が少なく、十数年市内に住んでいるのにこの土地に詳しくない。だからだろうか、時として驚くほど近くに、新鮮な印象を受ける場所がある。

     アジサイ3

 伊豆半島の海岸近くの山林には各種アジサイの原種である「額咲き」のガクアジサイが自生している。これが欧州に渡って品種改良され逆輸入されたのがセイヨウアジサイ、日本で改良した「手まり咲き」のホンアジサイと区別される。紫陽花を特徴づける妖しい色彩のひらひらは、実は花びらではなく「萼(がく)」である。土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤に染まる。落ち葉が窒素肥料に変じる山野山林では従って、青い紫陽花が主流になるようだ。もっともヤマアジサイのように緑色という例外もある。
 わたしはアジサイの別名の「七変化」が気に入っている。つぶらな蕾から小さく白く咲き始め、長じて色気を増し、あろうことか微妙に装いを変えて妖艶になる花。「花言葉はもしかしたら、移り気かぁ」などと口に出したくなるではないか。
「それにしても美しい」、うっかり食すれば毒にあたるというのも魔性の女のままだ。くわばらくわばら。

     アジサイ2

 紫陽花といえば江戸のころオランダ人と称して長崎に居たドイツ人医師で植物学者のシーボルトの話だ。彼は日本で初めての女性産婦人科医楠本いねの父親だが、日本で新種の紫陽花を発見したとしてその名を「ハイドランジア オタクサ」としたらしい。ところがこのオタクサは、自分の愛妾楠本「お滝さん」の名だったというのだ。なんという粋な、お茶目な(^^♪
 内心「ふざけるな」なのだが、昔TBSの朝ドラでやっていた『オランダおいね』の、あの若き、綺麗だった丘みつ子にめんじて許そう、「エラソー」だけど。だいいち、そのときすでにほかの学者が命名登録していたそうな。こういうドジなところ案外カワイイ。それにこの先生、江戸末期に「日本の蘭方医」を育てた人なのだから。

     アジサイ1

 『あじさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見る』 (定家)
 『あじさいや藪を小庭の別座敷』 (芭蕉)
 おあとが宜しいようで。




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. 人生劇場?


 俳優にもいろいろなタイプがいるのだが、同じような役しか回ってこない人は何となく気の毒な気がする。例えば北林谷栄(たにえ)は若いときからお婆さん役ばかりだったというし、往年の俳優進藤英太郎や原健策(けんさく)等は、時代劇で悪役ばかりだったと記憶している。もっとも「悪玉」の場合は、孫ができると不思議に「善玉」に移行する。かわいい孫が幼稚園や小学校でいじめられないようにとの配慮かもしれない。古くは月形龍之介、もう少し近づいて室田日出男、川谷拓三といったところだ。

 役といえば、人生も一つの舞台劇だと解すると、これまた一生同じ役ばかりというのも辛いものがある。ちなみに私の場合、冴えない貧乏人役でしかお呼びがかからなかった。橋田寿賀子作のテレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる野村昭子(あきこ)という女優もそうだった。巨匠黒澤明監督の映画にも数回顔を出している名脇役だが、例外なく貧乏人だった。演技力もさることながら、丸顔で貧しさが似合うという「個性」が買われたのかもしれない。しかしこの人も最近では、役の上でも生活が向上した。きっとかわいい孫がたくさん出来たのにちがいない。 



 ここは夜になると蛍が舞う極小の滝。
 晴れていれば、この日のようにせせらぎに陽の光が跳ねる。
 しばしたたずんで、夜昼双方の静けさを想う。

     ほたるのいる滝




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. 「たばこ取締法」とアンタッチャブル?


 報道によるとタバコの箱の有害表示を「強化」するんだそうです。一方では嫌煙権が一般化して愛煙家は嫌われ、喫煙する場所探しでかなりウロウロウしています。可哀想なくらいです。人が吸うのはさして気にならない私ですが、実は煙草の煙を深く吸い込むことができません。若い頃無理やり吸わされて30分近く咳が止まりませんでした(^^♪。健康に悪いことは誰でも知っています。いっそ「たばこ取締法」(仮称)でも制定して、麻薬や覚醒剤のように禁止したらと思う人も大勢いるかと思います。売り手自らが「有害宣言」をしてるって矛盾してますしねぇ。

 性格的に変なのでしょうか、「なぜ」全面禁止しないのか、考え始めました。まず思いつくのが財政上のデメリットですね。国や都道府県にたばこ税が入らなくなります。これ1兆円を超すそうです。愛煙家は税金を紙に包んで火を点けているようなもの。目に染みるわけです。この方面の「貢献」は財務的には「シメシメ」なんでしょう。
 「あ、もしかしたら禁酒法の轍を踏まないためだ」と、私は別のことを「妄想」しました。アメリカは1920年から約13年もの間、アルコールの製造、販売、および輸送を禁ずる法律を施行しました。もちろん罰則もあり、専門の警察「連邦禁酒法捜査官」が置かれました。年配の方はご存じでしょう、エリオット・ネス率いる『アンタッチャブル』です。
 ところでこの法律、家庭内での飲酒は禁じませんでした(※1)。国外で飲むこともです。お金持ちはきっと、法律が施行される前にしこたま酒を仕入れて「倉庫」に 貯えたり、国外に旅行したり別荘を建てたりして、自由に飲酒したことでしょう。ザルですね、理想に血迷ったこの法律。巷には闇の飲酒店が溢れ、法施行前の店数より増えたのです。そして予想通りギャングが資金源として利用し始めました。密造、密輸、密売で大儲けをしたのです。その代表格がアル・カポネでした。上記FBI捜査官とカポネの戦いはTVドラマとして観ても凄絶でしたね。実際に捜査官も数百単位で殉職したそうな。
 「だからタバコとどうつながるの?」ですか。「たばこ取締法」による全面禁止は税収を減らすだけでなく、日本の「カポネ」を喜ばすからです。人間の本能に根差したものを禁止する法は、必ず「地下犯罪」を育ててしまいます。結果、現在の「健康のためになるべく吸わないように」的なものに落ち着いたのかもしれません。

 だいいち、「問題の行為」自体を禁じないで、その周辺部分の「犯罪」を対象にする取締法規には、致命的な限界があります。
 上記※1の自宅での飲酒を取り締れなかったのは、立法目的の一番重要なところを「或る弊害」を恐れて除外したことになります。たとえ妄想の法律「たばこ取締法」が作れたとしても「自宅での喫煙」は対象外にせざるを得ません。なぜでしょうか。もしプライバシーの聖域たる自宅での「行為」を犯罪とするならば、です。警察官が「犯罪ありと思料して」、個人宅、私室にいつでも踏み込めることになるからです。これを許す国家、社会に基本的人権はありません。
 実はこの理屈、ご存じ日本の『売春防止法』(昭和33年完全施行)でも採用されています。売春行為者自体は刑事罰の対象から外したのです。法にいわゆる『売春』は男女を問いません。例えばセレブママが男性を買っても『売春』です。「ゆるさない売春」の行為者なのに外したのは、警官が個人の寝室に売春嫌疑ありとして踏み込めることになるからです。法は「残念ながら?」売春の助長行為のみを対象にしたのでした。
 考えてみれば江戸吉原に代表される『岡場所』も明治以降の『赤線』に代表される公娼制度も、みな当時の「お上」が創ったものなんですね。しかもそれらは或る程度「必要悪」だったと言われています。
 酒、たばこ、性欲など本能に根差す行為の取締法は、結局非合法組織を産み、あるいは大きく育ててしまうのかもしれません。立法化も悩ましいといえるでしょう。日々のニュースの中でその証を見ると、その思いを強くしてしまいます。

 話があちこちに飛んで、「何書こうとしたんだっけ」と。しかたがないので、頭をかいてます。


 
 6月8日、伊東市指示の国保系「特定健診」に行ってきました。実施医療施設の中から行きつけの内科病院を選びました。昨今の自覚症状から推すと、あまりいい結果は出ないと思います。
 翌9日、『岩漿』編集長を降りたので、その引継ぎのため大室高原にある発行人K氏宅を訪れました。20年前一緒に会の発起人になった人で、詩人です。数時間に及ぶ二人きりの文芸談議が楽しかった。
 


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. 脱力の淵で見た自分というもの


 山一證券自主廃業の顛末を扱ったドキュメンタリー小説「しんがり」(清武英利著)を読んだからでしょうか、少々脱力気味だった爺の胸にスイッチが入りました。その仕上げは読み終えてから改めて味わいなおした「帯」のコピー『会社が消えても誇りは消えない』ということになりましょうか。「そうさ、その通りだ」と心の中で反芻したものです。

 赤貧洗うがごとしの家庭に生まれ育った爺は、高校と大学の課程をアルバイトをしながら修め、さらに同様の貧困生活を続けながら無謀にも法曹を目指し、最終的には1年半の山籠りのあと、司法試験二次論文式にたどり着きました。昭和54年6月、齢すでに33、食う金も無い状態で「青雲の志」は、ここで終焉を迎えてしまいます。

 この特異な履歴と「高年齢」が、就職先を狭め、いや就職自体を困難にして、結局これが一生を決定づけたのでした。いえ、悔いたり、嘆いたりはしていません。むしろできる限り頑張れた自分の「青春」を肯定しています。ただ、この後の職歴が「志」のツケとして記録されています。爺が就職した先を顧みれば、不動産会社3社、警備会社1社、観光ホテル会社5社が現存していません。もちろん自主廃業、倒産、営業全部譲渡とその態様は様々で、且つ会社の規模も小さな同族会社から資本金80億の会社までいろいろです。自分でいうのも何ですが、ほとんど全ての会社で買われました。それでも会社経営者はいつも爺を警戒し続け、あるいは嫌ったのです。取締役以上の地位にある人に「追われた」のが8社あることがこれを雄弁に物語ります。最近になって一人の経営者の方からその原因について、至言をいただきました。
 『きみは正しいと思ったことを正しいと口にしてしまうからねぇ』
 その含意は社会的不適合者ならぬ『会社的不適合者』ということだと理解しました。要するに損得勘定も、世間の阿吽も知らないガキということでしょうか。なんとなく納得しました。(もしかしたら読者にもこういうタイプの人いらっしゃるのでは)
 確か爺はこのとき、笑顔で「はい」と応え、好きだったその人と一緒に笑ったような気がします。


    みずとり
              鳥違えたまま、交わらぬ2派

 そんな反発ホッピングな爺もすでに古希ですから、自分の気持ちを奮い立たせるには苦労します。とくに労災で前頭葉を強打してしまい、唯一の救いだった頭に、なかんずく短期記憶力に障害が出始めた現在、より強い刺激が必要でした。「刺激」といってもいまさらどこへ行くでもありません。採った手段は、骨太な主人公が売りの刺激的な映画と読書でした。先週ご紹介した①本国の指示に従わず数千人にビザを発行してナチスからユダヤ人を救った外交官の話『杉原千畝』を皮切りに、②老婦人を護り異国相手に法的に名画奪還を遂げた弁護士の話『アデーレ』、③自行融資の不正を暴き銀行業の何たるかを言動で示した銀行員の話『株価暴落1-3』、④アニメに限らず創作するものの姿勢を問い続けた宮崎監督の話『もののけ姫はこうして生まれた。1-3』、さらに➄読書では宮崎駿『風の帰る場所』。最後に余った時間は日経新聞を隅々まで読み続けました。
 週末の3日間を籠り続け、昔の自分を回顧し続けた爺。
 これで本当に何かが変わるのかとの疑いもありますが、ある意味心は燃えました。
 疲れ果てて松川湖畔の公園に出かけて深呼吸をしたほどです。
 たった3日間の「爺の青春回帰」でした。
 ま、爺のやる気出しなんてこの程度です、はい(^^♪
 いえ、真面目にスタートです
     
 

    ヒペリカムカリシナム
               数の力には、花から圧倒されていた


 下の写真の花ですが、「オトギリソウ(弟切草)」の仲間には、キンシバイ(金糸梅)、キンシトウ(金糸桃)、ヒペリカムなどがあって、現場ではどっちか判定できませんでした。行きずりの美人の名は問わないで感激。ならばこの花も、「ただ綺麗」と。  


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. 「あさって」という名の近未来


 『THE DAY AFTER TOMORROW』・・・・ 
 北海道で7歳の少年がヒグマも出没すると言う山中で親から置き去りにされ、7日間水だけで生き抜いてようやく救助された。安堵を通り越して驚愕した。何という胆力。私見だが2度目に車から降ろされたときこの子は、親に捨てられたと感じたのかもしれない。そう考えなければ彼の大人をさえ超える「強さ」が理解できない。
 何が起こるか分らない。「災害」列島日本、小学生は皆、ボーイスカウト、ガールスカウトに入って危機への対応力を養おう。いや、親からの被災はごくまれだが、地震、津波、豪雨、洪水、寒波、竜巻など自然災害はこれからも多発する。小中学校の教科に「サバイバル」を加えたらどうだろう。生きていればこその「勉強」なのだから最重要だ。いや、冗談でなく…。

   水鳥2羽

     君たち餌がなくなったらどうするの?
     水飲んで、卵産んで、その卵食べて、また卵産んで…。
     なるほどいいねぇ、でも人間は卵産めないんだ、真面目な話。

     日本の食料自給率知ってる? 君たち。
     世界中ですごい異常気象があってさ、凶作で、
     自分の国でできる食料だけで生きていかなきゃならない時、どうするって話よ。
     難しいこというとさ、カロリーベースで39%。生産額ベースで言うと64%。
     半分近くの人が「餓死」なのよ、早い話。
     空いてる田畑全部使って、工場でも農産物作ろうよって、誰も言わないんだ。
     いいよ、君たちがうなだれなくても…。
     話聞いてくれてありがと


   水鳥3羽
       「子どもじゃあるまいし、バカにしてるよね」「あっち行こ、行こ」   

 もうすでに北極の氷が溶けたり、欧米で豪雨・洪水が起きたり、海水の温度や海流が異常になったり、夏なのに雪が降ったりしている。「終りの始まり」は勘弁してほしいと、心から思う。  



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. オバマ氏の未来志向の演説に想う


 2016年5月27日、現職の米国大統領であるオバマ氏が被爆地広島を訪ね、世界に向けての演説を行った。いわずもがなだが、米国は有史以来初めて核爆弾を使用した国であり、日本は核兵器による初めての被爆国である。しかし彼の演説は、71年前の悪夢を踏まえつつ未来に向けて核廃絶を唱えるという内容に終始した。はじめから日米だけを対象にしている演説ではない。それは冒頭の数行で明確になった。
 『空から死が降ってきて世界は変わった。閃光と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した』(日経新聞訳文記事から引用。以下『』内につき亦同じ)

 誰がその『手段』を造り誰が使い誰が瞬殺されたのか。71年後のいま、それだけを錐のような鋭い舌鋒で咎め、償わせる。この演説はそういうことに対応するものではないと、明確に示したのだ。過去のことではなく、いま人類が抱えている危機に想いを致していることになる。
 この姿勢に不満を抱く人たちには、許せない文言だったかもしれない。しかし例えば【広島・長崎】を謝罪し、賠償しろと責めればどうなるだろう。【不意打ち真珠湾】はどうなのだと反論が来る。現に答礼として安倍首相のハワイ訪問を求める声も米国にはあるという。戦端を開いたのは日本ではないかと。その反論で【無差別的な東京大空襲】は? さらには【バターン死の行進】は? 等々とお互いの攻撃が際限なく続くだけだ。そう71年も前に遡って口汚く罵りあい、無間地獄に陥ることに。
 大統領に、つまり米国に、謝罪など日本人と日本は当初から求めなかった。これはこの演説原稿の作成にきっと寄与したことだろう。内容を前向きでグローバルなものにできるからだ。言い換えれば、彼の「ノーベル平和賞受賞演説」に匹敵するような。
 今回の日本側の姿勢はきわめて適切だったと思う。

 27日当日のテレビの同時通訳では分りにくかった演説の内容が、翌28日に日本経済新聞の英文対訳の全文掲載記事で明らかになった。私は3回ほど読み返して想った。この演説は国内外四方八方に気を遣い、練りに練られた流麗な「叙事詩」だと。
 科学の発達は人類に福利をもたらした。しかし
 『同じ科学の発見が、効率的な殺人の機械を生み出すこともある。近代の戦争や広島(での原爆被害)はこの真実を告げている。科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破滅が訪れる。原子核の分裂を可能にした科学の進歩と同様、道徳の進化も求められている。だから我々はこの場所を訪れる。広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いをはせる』

 人間は結局、欲と恐怖でしか重大な意思決定ができないのだろうか。その人間というものによってできている民族、国家という集合体も。核軍拡は相互の「猜疑心」の連鎖からとまらなくなったと、括っていいと思う。
 米ソの東西冷戦に端を発した核兵器開発と核拡散は、第2次世界大戦後、科学の発達とともに激しさを増していった。航空機で運ばない核兵器、そのための核爆弾の小型・軽量化とミサイル・大陸間弾道弾の開発・増産、核基地監視システムとしての軍事衛星・打ち上げロケットの開発、最終的反撃兵器としての潜水艦からの核弾道ミサイル発射システム。いったいどこまで続くのだろうか、使えない、使わないための、『人類が自らを滅ぼす手段』としての大量殺戮兵器の増量と高度化の合戦。
 大量の核兵器保有国は、その更新に驚くべき高負担を強いられている。反対に軍事力も小さく経済的にも富裕でない国にとっては最も安上がりな防衛力となっている。この不思議な側面を持つ核兵器。

 『普通の人たちは、これ以上戦争が起きることは望まない。彼らは科学は、生命を奪うためではなく、生活をより良くするために使われるべきと考えている。国家やリーダーの選択にこのシンプルな知恵が使われる時、広島の教訓は生かされる。ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった』
 オバマ氏は外交の力で紛争を防ぐ、起きてしまったら紛争を終わらせる努力をすることが大事だと言い、さらに
 『国と国が関係をはぐくむのは、暴力的な競争のためではなく、平和的な協力のためだ。兵力によってではなく、何を築くかで国家を評価すべきだ』とつなげた。そして結びでこう括っている。
 『世界中の子どもたちが同じように平和に過ごせるようになるべきだ。それが我々が選びうる未来だ。そしてその未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう』

 オバマ氏の演説は、一瞬にして溶けて壁に「シミ」となって焼き付いた肉体も、焼けただれた顔も、のどの渇きに水を求めてさまよう被爆者も、尾を引いた放射能被害も語らずに、全てを教訓として「これから」を模索し「未来」に核廃絶を託した。彼個人の演説ならもう少し踏み込めたであろうが、現職の大統領としては諸々の制約があったろう。
 またそうであるならば、現実のこの国際情勢の中で、自らの理想と信念に従い、核廃絶を率先して行うことはきっと許されないだろう。米国が「世界の警察の顔」を抑えたとたんに世界のミリタリーバランスが崩れたのがその証左である。

 それでもいま、しばらくの間、この堆(うずたか)く積まれた美辞麗句と快い理想論に酔っていたいと想うのは、私だけではあるまいと、そう思う。
 

    リュウキュウアサガオ
             松川川底の野草群、今季さきがけの1輪。 リュウキュウアサガオ


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文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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