蛙声爺の言葉の楽園

. 「詩」はおしゃべりでなくていい


 岩漿会員の詩人偲憂一(しのぶ・ゆういち)は2月1日に発行される同人誌『岩漿24号』の中の小説で、詩壇の高位にいた恩師からの言葉を書いています。「言葉をたくさん知っている必要はない」、「難しい漢字なんか使わなくていい」と。また世に知れた詩人茨木のり子はこうも言っています。『言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とは言えません』(『詩のこころを読む』岩波書店)と。
 意外に思えるこの「詩の神髄」に疑問を抱く人が多いかもしれません。かつての私もそうでした。
 今回は、金子みすゞとラングストンの詩をご紹介して、読者の「なるほど」感を引きだしたいと思います。
 詩の読者のためという目的ですから、お二人とも著作権云々はおっしゃらないでしょう(^^♪

*********

  子供が
  小雀
  つかまえた。

  その子の
  かあさん
  笑ってた。

  雀の
  かあさん
  それみてた。

  お屋根で
  鳴かずに
  それ見てた。
                 金子みすゞ『雀のかあさん』

*********

  みんな、云っとくがな、
  生まれるってな、つらいし
  死ぬってな、みすぼらしいよ――
  んだから、摑まえろよ
  ちっとばかし、愛するってのを
  その間にな。
                 ラングストン・ヒューズ/木島始訳『助言』



 我が家に「赤ちゃん招き猫」が雄雌で「ふたり」居る。
 一定の明るさになると首を振り、「右手 」を左右に振る可愛い子たちだ。
 オスは「成功」を、メスは「福」を招く約束になっている。
 少し前、河津の車屋さんから愛車を引き取って帰り、薄暗いので部屋の灯りをいっぺんに点けた。
 勢いよく動き出したのはいいが、なぜか振っている「右手」が 「バイバイッ」に見えた。
 低気圧のせいか、気のせいか(^^♪


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. ドラマ創りの奥義、「シャレード」


 最近暇ができると懐かしさでつい、古本で入手した著名なコミック『タッチ』を見てしまいます。この作者あだち充は実はシャレードの名手なのです。脚本でいくと黒澤明と倉本聰の得意技、映画ではO・ヘップバーンの『シャレード』が有名ですね。

 『タッチ』は一世を風靡したコミックで、一見すると野球漫画ですが、実は「ほろ苦い青春の物語」なのです。ご存じヒロインの浅倉南の素敵な容姿と性格は「みなみちゃん」ブームを呼びおこしました。岩崎良美が主題歌を担当したTVアニメとしても知られています。この南と和也、達也の双子の兄弟との心の触れ合いがメインなのですが、私は、この作品ほどシャレードを駆使したコミックを知りません。この、感じる「ぬくもり」と「やさしさ」、心が溶けるような「空気感」は、他の作品では味わえません。
 気軽に読める「教科書」だと思って、何度も鑑賞している所以です。

 シャレード(Charade)は「ごまかし」とか「茶番」などというダークな意味もある言葉です。映画の『シャレード』は、こちらかなと思います。「身振り」、「しぐさ」でもあります。いわゆるジェスチャーです。
 でも、今回扱う「シャレード」 は、映画やTVドラマで『視覚的な面で鍵』(舟橋和郎『シナリオ作法四十八章』)となる、『何かを象徴として示すことによって、その言わんとする意味が伝達される、その何か』のことで、「何か」の中には小道具、景色もあれば人の動作もあります。
 一番身近な例は、【床に臥している危篤の母親が居て、手を握って母親をジッと見つめている娘がいる。カメラは玄関にある花瓶に移り、花ビラがゆっくりと落ちるのをとらえる】(=母親の死)というもの。
 また登場人物の関係を台詞でもナレーションでもなく語る例をあげてみます。【窓辺に立つ男が振り向き煙草を吸うしぐさをしてうなずくと、女がハンドバッグから自分の煙草を出して口にくわえ火をつける。口紅がついたまま男に渡すが、男はそのままためらいもせずに煙草を唇に挟む】(=二人は深い仲)。
 言葉に頼らない分、観る人の心の中で自由な形と温度で広がっていく手法なのです。

 コミック『タッチ』の作者はこういうシャレードを撮影ではなく、自らの手で数多描くわけです。じつに抽斗(ひきだし)の多いコミック作家といえるでしょう。かれの創る「空気」は読む人の心を爽やかにする「風」です。
 上記の舟橋は、黒澤明の『酔いどれ天使』と倉本聰の『北の国から』を挙げて、シャレードという分野でも絶賛しています。私見でもまったく同じで、特に『北の国から』のシナリオが単行本になったときなど、文字通りすっとんで買いに行ったものです。ふつうなら脚本は手に入りませんので。



 今朝、寝起きの顔で朝ご飯を食べた。
 少しの間を置いて、すっと出た糞(胃-直腸反応)。
 パソコンに向かう前に、ブラックでコーヒーを飲んだ。
 いくらかの間を置いて、透明なたくさんの尿が出た(利尿作用)。
 これがどれだけ凄いことなのか。ありがたいことなのか。
 たぶん、大勢の人が知っている。
 老いた身の健康面で、欲張らないと、心に決めた。


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. 「相撲道」が消えたか、大相撲


 このところ続いている「国産横綱誕生への期待」報道を見聞きしていたら何となく 、かつて「相撲道に邁進いたします」と昇進の挨拶をした新横綱がいたことを思い出した。
 琴奨菊関が日本出身の(帰化による日本人を除く趣旨らしい)力士として10年ぶりに優勝と、歓喜して騒ぎ立てるマスコミ。心のどこかで「もっともだ」と思っていたら、「心が狭い」とか「相撲の国際化をむしろ喜ぶべきなのに日本出身にこだわり過ぎだ」と自省や反発も出てきた。これらの報道から栃若時代、柏鵬時代、若貴時代と、かつて大好きだった大相撲に、ほとんど興味がなくなった理由を考えてみた。

 第一に日本の「国技」大相撲が、いわば「モンゴル相撲」になってしまったことだ。三役や横綱がほとんど外国人になった。そういう国籍や人種的なことも確かにあるのだが、私が決定的だと思った理由は違う。結果が全てと言う「合理的な外国人気質」からなのか、勝ち負けだけになったような気がするのだ。「美しさ」とか「潔さ」とか何かこう「人の道」に通じたものがなくなった。
 土俵を割って勝負がつき力を抜いている相手をドンと突き放すような横綱が誕生して久しい。当の負け力士だけではない、土俵下には控えの力士も審判員もいる。砂被りには一般のお客様もいる。分っているはずなのにあえて、強さや勝ちを誇示する。怪我、故障が力士の将来にどれだけダメージを与えるか、100も承知のはずの、承知していなければならないはずの幕の内上位の力士たちが「強い」だけの横綱に倣っていく。観ていて何度愕然としたことか。かつての横綱大鵬や横綱貴乃花は違った。自然な形で土俵から落ちそうになった相手でさえ、手を添え支える「分別」や「大きさ」があった。これは一例に過ぎない。「心技共に」他の力士の模範となるべき最高位が「横綱」なのだ。大関で何回優勝したら横綱に、などという算数ではないと思う。

 「相撲道」に限らず日本の伝統的なものには「道」という字が付く。剣道、柔道、弓道、空手道、さらには茶道、華道と。ここには技、強さ、勝ち負けだけではなく、「精神」「心」が加味されていると思うのだが如何に。
 ともあれ、日本出身の横綱が求められ、期待されている理由が、失われた「相撲道」の回復というものであれば幸いである。



 今年初めての図書館。
 お目当ての漱石『門』が見つからず書架を巡って小半時。自分の著作3冊も確認した。
 借りてきたのは『金子みすゞ花と海と空の詩』、柴田トヨ『くじけないで』 とDVD『マザーテレサ』。
 帰り道で苦笑した。
 「これって文芸好きの女子高生の選択?」
 
 

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. いまさらだけどブログってもともと何?

 
 いつぞや里山に住む兄と雑談をしていたら「ブログは新聞記事と同じだからな」という台詞が飛び出した。私は虚を衝(つ)かれたような気がした。その意味は多角的だが、前日の新聞記事を読む人は少ない、前々回の記事は、1か月前のは? 1年前なら! 頭の中で矢継ぎ早に攻められたのだ。賞味期限が極端に短いブログ記事だとしたら、それに時間をかけている意味って何だろう。
 この頃は肩の力を抜いたのでそうでもないが、記事250回頃までは「創作日記」というカテゴリの「日記」にではなく、「創作」の方にこだわり、かなり調べて記事を構成することが多かった。たまに純日記風の記事に陥った日などは、妙な「罪悪感」に浸った記憶がある。「なんだよ、もうネタ切れかよ」と。
 ・・・そう、ブログ本来の意味も知らずに。

 今朝がた思い立って調べ始めた、「いまネタは3回先までメモっているが、これが先だ」。あれこれアプローチしたが結局、4000頁ほどの手元の大辞典に頼った。
 何と『ブログ(blog)』は、合成語で且つ略語だった。
 元は『ウェブログ(weblog)』、つまりウェブ上の『ログ(記録)』だったのだ。辞典に依るとこうなる。『個人の日記などを簡便な方法で作成し、公開できるウェブサイトの総称』
 「公開できる」を「後悔できる」と変換ミスすると、背中にタラりと汗が落ちる意義に変化する。
 それにしても、「略すなよ、こんな短い単語をさぁ!」
 
「うーん」とうなった。まんまの「日記」でいいのだ。他所様の文字通りの日記ブログに、たくさんのアクセスがある謎が解けたような気がする。これなら、過去記事にさかのぼらなくてもいい。むしろ自然だ。しかしそうなら、である。個々のブログ内に「カテゴリ」があるのはなぜだろう。もちろん「カテゴリ」の選択、分類は各ブロガーの自由なのだが。
「うーん?」



 昨日1月26日、愛車デミオが車検のため、購入した会社の工場へ車を届けました。
 伊東から河津町までのちょっとしたドライブ。太陽がいっぱいで海真っ青、まぶしすぎてサングラスをかけました。
 ちなみに早咲きの河津桜も、その根元の菜の花も、連日の寒さで蕾のままでした(これがメイン情報)。
 帰りは伊豆急リゾートの「黒船まつり記念仕様車」 で、真っ黒な電車が何ともクール!
 「ほんとに観光地のど真ん中に住んでるんだよねぇ」

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. 命にかかわる雪に想う


 太平洋側を走る強い低気圧(昔のニックネームは「台湾坊主」)と南下してきた寒気で、昨日今日の大雪が報道されています。3年前箱根で記録した1m10㎝を超える「積雪記録」を思い出して若干恐怖なのですが、これも「異常気象」なのでしょう。かつて新潟の友人が「、東京では積雪10㎝で大雪なんだな」と苦笑していましたが、つまるところ雪国のような準備が出来ていないからなのです。彼の地では、屋根の勾配がきつく、歩道には「雁木(がんぎ)」があり、道路には融雪装置が施されていますし、除雪車の配備も関東に比べたら天と地の違いなのですから。
 私にも箱根での雪掻きや、越後湯沢で固まった積雪3m超えの歩行など、いくらか大変な目に遭った経験がありますが、日本海側の豪雪の本当の恐ろしさ、言い換えれば雪掻きが命を護る唯一の途などという体験はありません。

 実は書店で見つけた単行本で初めて知ったのです。しかもこの本、新潟生まれのごく普通の主婦が書いたものでした。
 もちろん描かれた著者の記憶は戦前のものなので、上記のように現在の雪国とは事情が違うのですが。

『冬場の母の仕事は、早朝の道つけに始まり、子供たちを学校に送り出すと同時に、屋根の雪下ろしが待っている。茅葺きの大屋根、裏二階、表玄関まで下ろし終えるのに、母の力ではまる二日かかった。一周り終える頃には、大屋根の雪が始める前以上に積もっているという、まるでいたちごっこの毎日だった。
 どんよりと暗く、降りしきる空に向かって母は手を合わせ、「かんさま、どうかお許しください。前世に己(お)がどのようにわりいことしたのか知らんども、今は本の気で生きています。どうか助けてくらさい」と言っていた。』(辻葉子『輪かんじきの跡』) 

 この後母親が過労で寝込み、幼かった著者は、母親の代わりに家から道(往来)までの間を小さな手で泣きながら、凍えつつ雪掻きをします。父親は戦争にとられ男手がなかったのです。この先の述懐が全てです。『道は村人たちの命でもあった』(同書)幸い彼女は、大きな輪かんじきを履いた近隣のおばさんに助けられます。
 この本の読後感を私は、地元『伊豆新聞』に寄稿しています。それがご縁で、伊東に居を移していた著者と文通をすることになりました。現在84歳ぐらいになっておられると思います。
 いまでもきっと豪雪の村では互いの命を護るために地域で共働しているのでしょうね。著者の幼児期とは異なり、いろいろ通信手段は揃っているにしても。これもきっと「大きな輪」。 

 大雪の予報で、ふと思い出しました。



 昨日テレビのアドマチックで「伊東温泉」をやっていました。その影響ではありませんが、昼ご飯を食べに道の駅「伊東マリンタウン」へ。日曜とあって広い駐車場は満車状態。ようやく停めて歩き出したところ、雀が2羽車の列の前でチョンチョンとはねて遊んでいました。「雀の子そこのけそこのけ車が通る」と声に出してシャレましたが、理解したかどうか。
 食後、ヨットハーバーから車へ向かうときの真っ青な空と紺碧の海。それは最高でしたが、肌を刺す強い寒風に震えあがりました。
 帰りに予定していた「むちゃくちゃ市」行きは、即刻中止で合意。年寄り2人はすごすごと帰ることになりました。



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. まだ明るい黄昏(たそがれ)の先にあるもの


 昨年は、個人的に診ればジェットコースターに乗っているような1年だったような気がします。
 新しい年が来て早3週間、文字通りの「大寒」の中で静かに「いま」を考えました。
 何か妙な感じなのです。伊豆に住んで30年、初めてと言える「心自由な正月」。お屠蘇気分なしの小説三昧で七草までを過ごし、賀状を何度も読み直し、心ゆくまで本の活字に触れました。どこにも行けない分、海外の人が撮影した「美しい日本」の数々をネットで堪能もしました。

 「初めて感」の極めつけは、夫婦で一緒に居る時間が多かったことでしょうか。
 職種こそ違え観光産業に身を置いていたので、「お正月」は無いものと諦めていました。ええ、30年近くも。「運命、のようなもの」に流されて伊豆にたどり着き、ゼロ未満の中で夫婦になった2人でした。当時周囲は、「1週間ももたないで離婚」と評したものです。妻の連れ子を養子にして、その娘が成人し、結婚してできた女の子が孫で6歳。その孫に自分が描いたイラスト風の絵を贈ったのも、この正月でした。
 「歳月は名医なり」とは至言です。生きるために身に着けてしまった諸々の「汚濁」を浄化し、いたずらに角張った「石(意志)」を丸くしていきます。このチロチロとした穏やかな暖かさは、薪が燃えて燠(おき)になったもの、でしょうか。いずれ灰になって消えていくまでの短すぎる「安穏」でしょうか。

 一方で、この「名医」をあざ笑うかのように忍び寄る「健康不安」。『1病息災、2病息災、無病息災は無い』とは、同窓生の医師の言葉ですが、いま通院して「付き合っている病」のほかにも劣化している部位に何かあるのがこの年齢です。そしてその存在を意識しているのは自分、恐れているのも自分。言い換えれば、いま明るく感じていても黄昏は、黄昏なのです。
 だとすれば、少しでもこの明るさを堪能したい。そう思わずにはいられません。

 唐突ですが、黄昏た老夫婦とその娘の心の触れ合いを描いた映画でヘンリーフォンダ主演の『黄昏(たそがれ)』(アカデミー賞受賞作品)をお勧めします。心の「湯たんぽ」になること請け合いですので。

 あ、いつのまにかサッシ戸の外が、明るくなってきました。




 平成18年に自費で発行した『小説太田道灌』を、前回の『夢の海』に続き、私のホームページ『馬場駿と岩漿文学会』に全文アップしました。ちょうど本の「版下」をそのままPDFにしたようなもので252頁分あります。
 現在神奈川県伊勢崎市と東京都を中心にして2020年東京五輪の年の大河ドラマに江戸城築城の太田道灌を!という署名運動が活発化しているのですが、そのせいでしょうか、かつて売ってもらっていたサガミヤ書店や、我が家に在庫の照会が来るのです。もう完売なので、寄贈した44の図書館などをお教えしているのですが、いっそネットに公開してしまおうと考えたのです。完成までに15年かかった時代小説です。その分私も思い入れが強くて。(画面左下のリンク欄から入れます)



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. 消えた?ジャーナリズム


 「消費増税新聞代は8%で据え置き」をきちんと扱わなかった新聞。SMAP騒動はじつは経営者側の問題だったのに、そこを回避して報道を続けたマスコミ。そんな批判を雑誌やネットで読んだ。「でも、ジャーナリズムが脆弱化したの、ずっと前からじゃなかったっけ」という声が、どこからか聞こえてくる。営業最優先、「落ちた木鐸(ぼくたく)」、権力者べったり、そんな批判もどこへやらといった風情だ。「時代」、なのかどうか。

 『他紙が扱えばスキャンダル、本紙が扱えば社会学』と、新聞ニューヨークタイムズは胸を張る。確たるプライドの表明だ。
 テレビ社会の到来に『一億総白痴化』と警鐘を鳴らした批評家の故大宅壮一は、ジャーナリズムとは何でしょうかと記者に問われてこう答えてる。『難しい問題だが、反対語はすぐ思いつく。それはマンネリズムだ』。曲学阿世とは真逆の道を歩んだ彼の面目躍如たる台詞ではないか。

 ジャーナリズムという言葉で思い浮かぶのは『週刊誌の鬼』とよばれた故扇谷正造だ。壮年時代に読んだ『現代ジャーナリズム入門』(角川文庫)は電車の中で読み耽った記憶がある。東京帝大(現東京大学)文学部卒で戦後はジャーナリスト、評論家として活躍をした。『週刊朝日』の編集長としても有名である。
 古びた私の大学ノート『味蘇帳』(みそちょう)に、この本の抜萃が残されている。いくつかご紹介したい。「記事」に関する至言が多くマスコミ系の研修にも使われていそうだが、ここでは生活や人生に関するものを引きたいと思う。
『小さい約束は守りたい。大きい約束はひとりでに守らされる』
『つねに少数派の意見にも耳を傾けていなければならない。たとえその意見が公正でないとしても』
『進歩的とは、つねに野党的ということである。何となれば、与党的な立場には、いつも不公正が伴いがちであるから』
『セールスの際、情報提供は十分に。しかし、意見はひかえるべきである』
『女性の年齢は必ず意識し、そして、そのままには決して口走るな』
『足で調べて、頭で交渉にあたれ。頭で調べて、相手の足もとを見て交渉したとき、しばしば裁判沙汰になる』
『読み返せ。書き終えたら出す前に、必ず読み返せ』
『感情に激して書いた手紙は一日寝かせろ』

 私の本棚にはすでにない本。ノートに遺していたのでいまも語りかけてくれるのだ。
 印象深い言葉は必ずノートに書き写す。この良き習慣を捨ててしまったのは、…いつごろのことだろう。もしかしたら、目標や夢を見失ったとき。だとしたら、哀しすぎる。
 文字や文章を捨てることは、たぶん「自分」を捨てることだから。



 スタジオジブリの『思い出のマーニー』が今年の米国アカデミー賞長編アニメーション部門でノミネートされました。
 丸顔の米林宏昌監督、おめでとうございます。宮崎駿『風立ちぬ』、高畑勲『かぐや姫の物語』につぎ、3年連続の同部門ノミネートなんです。さっそく鑑賞し直してみました。
 やはり大人の鑑賞に堪えるアニメですね、奥が深いんです。


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. 自作ホームページの更新


 嬉しい速さでした。今日の午後、印刷屋から連絡が入り、同人誌のゲラ刷りを送るというのです。土日挟みでまだ4日しか経っていないのに。
 それはさておき、このところご無沙汰を決め込んでいた私のホームページ『馬場駿と岩漿文学会』を2日間かけて更新しました。もちろん終日取り組んでいたわけではありませんが。
 以前このブログでもご紹介した小説『夢の海』(A5判250頁)もPDFで全文アップしてあります。
 お時間がありましたら、お立ち寄りください。
 馬場駿も蛙声も筆名で同一人なのでよろしくお願いします。

      
ホームページ『馬場駿と岩漿文学会』

 なお、左の常設リンク欄にもこのHPの入り口があります
 


 偶然見つけた『パンドラの憂鬱』(海外の反応) というブログに集められた
 日本、日本人、日本の事件、日本の風景などについての海外の反応を読んでいると、
 日本人も知らない「日本」がみえてきます。
 日本が、諸外国から期待され、夢見られている「日本」であり続けるために、
 「まっすぐで美しい国」であるために、
 どうしたらいいのかも、見えてきます。
 ぜひ、お尋ねください。
 


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. 「よくわからない」という優しさ


 じつは『現姥捨』という小説を書いてから心が少し弱っていまして、優しいものに飢えていました。これが載っている同人誌を見たら、読者もそうなるのかなと思いつつ。そこで早朝からDVDの『博士の愛した数式』を、1年4か月ぶりに鑑賞しました。故黒澤明監督に師事した小泉尭史のメガホンで深津絵里と寺尾聡が出ています。
 どんな映画かご存じない方は下記の私のブログ記事をご覧ください。
『博士の愛した数式』
 ここで若い数学教師を演じる吉岡秀隆が生徒を相手に、数学の不思議さと面白さを伝えます。その過程で自分の母親杏子と、一部記憶障害を患う元大学教授のことを語るのです。
 
 「e」であらわされる「ネピア」に、円周率と虚数iをかけて出た数値を乗じると「数字の無限のつながり」が出てきます。ところがこのあとで「1」をプラスしたとたんに答えはゼロ、つまり「無」になるのです。これが博士が愛した数式でした。聞いていても何が何だかわからないのですが、私なりに「無限の可能性をゼロにしてしまう、この【1】とは何なのか、いや誰なのか」、と解釈したのです。「教育」とか「指導」「差配」というものの神髄をついた見事な数式でした。
 この映画では、浅丘ルリ子扮する博士の義理の姉が「1」だと言っています。博士はこの数式を、心でしか感じ取れない数式として愛したのでしょう。良かれと思って博士を閉じ込めてしまったと感じた義姉は、ラストで「改心」をします。めでたしめでたしです。
 ところで「e=ネピア」は無限に出てくる数字です。この名がティッシュペーパーに使われたのもむべなるかなですね。

 またこの博士は杏子に本当の意味の「直線」は心の中にしか描けないと教えます。実際に紙に書き、黒板に引いているのは直線ではなく、引き始めと引き終わりがある「線分」にすぎないというのです。このシーンで私は「若さも線分、愛も線分、命も線分」と感じ取りました。この映画は、ほんとうに心優しい映画でした。数学は最後まで分りませんでしたが(^^♪
 この映画を、いっとき心が弱ってしまった人にお勧めします。




 すでに故人になられた会員で詩人の方が、何年か前の合評会でこんな発言をしました
 こんな時代に文芸なんてやっていて、いいんだろうかと
 私は確か、文芸には分相応の役割がありますと、返したような気がします
 今回彼の問いに応えるかのような近未来社会の高齢者問題を、小説という形で描きました
 でも思うのです、200部の同人誌で社会に何を発信できるというのだろうかと
 愛や性や人間性を描く小説がやはり、私の分際だと確信をしました
 書いている間も、書き終えて読んでも、自分の心が泣き続けているから
 せめて小説ぐらい、「楽しい方がいい」



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. 熱海梅園、いまはただ


 昨日、あまりに好天気なので熱海の梅園に行ってきました。往きは相模灘の海展望、遠く房総まで見えました。還りはもちろん伊豆スカイラインで、富士山から遠州灘のパノラマを眺望です。

 小さな渓谷に沿ったこの名園は現在「梅まつり」の最中で、472本の梅は、さすがにまだ満開とはいきませんが、白梅、紅梅、黄色い蝋梅とかなり色鮮やかに咲いていました。万両の実の赤や、木瓜(ぼけ)の花の赤、水仙の花の白も捨てがたい味です。なにより嬉しかったのは無料だったことです(感慨無量ならぬ園内無料(^^♪)。もちろんずっとではなく、1/23-3/6の間は有料になります。つまり今年は暖冬のせいで見頃が早く、私たちは得をしたわけですね。
 
 園内には売店、滝、コリアンパーク、舞台、中山晋平記念館などもあって楽しめます。トイレもきれいです。「あれ、何売り込んでるんだろ(^^♪」日陰はやや肌寒い感じでしたが、露店で「おしるこ」を売っていたので、かみさんと食べ、いわば暖をとりました。日向はポカポカでしたけどね。偶然でしょうが大道芸もやっていました。

 熱海梅園は坂、階段の「宝庫」なので高齢者にはいい運動になります。
 ただ、乳幼児を乗せ乳母車を押して来たお母さん2人にはビックリ。内心「登るか、これで?」と、はい。その応えは赤ん坊の笑顔にありました!
 運動と言えば、伊東に瓶山(かめやま)という別荘地があります。この坂が急勾配で、脚と心臓の鍛錬には絶好なんです。年頭に試しましたが、バクバクするので途中で止めました。もっとも私は、心臓が「学習」をしてだんだん慣れていくことを知っていましたので、3日ほど距離を伸ばしつつ続けたんですね。4日目には普通に上り下りできるようになりました。ことが心臓にかかわるので臆病になりがちですが、「アプローチ」一つかなとも思います(閑話休題)。

 お近くの人今度の土日に梅など、いかが。ご案内はこちら。
  熱海梅園・梅まつり



        川底に根を張る琉球朝顔がいます
        豪雨で何回も水底に沈んだやつです
        まさかと思いながらも覗き込んだら、1輪だけ残っていました
        寒の風はつめたいのに
        独りなのに
        青紫の顔に泥をつけて
        おまえもがんばるな、…な                              


ご協力、感謝します

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. 「あさ」の娘さんと同じで「何でぇ?」


 今朝、朝ドラを見て「あさ」の娘さんが可愛かったので、というわけでもないんですが、このちっちゃな子の得意が「何でぇ?」だったのを思い出して、常日頃不思議に思っていることを紙に列挙してみたんです。もしかしたらこれ、「当世ぼやき節」かも。しかも今回は、その第一弾です。
 と、いうことで、お気軽にお読みください(^^♪

「売れ残ったケーキはどうなるの?」
 以前にも書いたような気がしますが、手作りをする洋菓子屋の前を通るたびに思い出します。読者にお店の人はいませんかねぇ。例えば中華料理屋なら、白米が残ったら翌日炒飯にとか、再生できるものもあるでしょうが。「うーん」知りたいですね。

「お刺身にしちゃったスーパーのマグロなど、どうするんでしょう?」
 「さく」でトレーに載っているのと違って、また冷凍するとは思えないんです。「大昔」の話で恐縮ですが、母は残り物で鮮度の落ちたマグロを古根(生姜)と一緒に煮て、食卓に出していましたっけ。商業ベースではどうなのでしょうね。ご存じの方、教えてください。

「最近の夜のテレビ番組がお笑いとかトークショーとかバラエティばっかりになったのはなぜ?」
 予想はつくんです。本来コマーシャルが入るべき枠に局の番組宣伝が入ることが多くなりましたから。スポンサー不足ですか。メディア端末が多様化して、テレビの広告媒体としての「能力」が相対的に下がってしまったのではないかと。番組で「植木棚」に並んだ大勢の顔。ギャラを全部足してもなお、きちんとした番組を創るより安いんでしょうね、きっと。違ったらごめんなさい。

「朝っぱらから殺人、放火など見たくもない凶悪な犯罪報道を、30分おきに繰り返してるテレビって何?」
 ひとつ前の疑問に重なりました。きちんと報道番組を創ると時間とお金が掛かり過ぎるからでしょう。警察の発表を色付けするだけなら制作は簡単じゃないですか。しかも現行犯以外は「容疑者」、有罪が確定するまでは無罪の推定を受ける法制なのに、有罪扱いした挙句、身内から何から周囲の個人情報まで公共の電波でばらまく。昔のマスコミはそれでも、「警察の発表によりますと」という局側の「免罪符」を、報道の頭に付ける知恵がありました。いまはただの垂れ流しで、推して知るべしです。
 朝ですから、もっと爽やかな、前向きなニュースをお願いします、ぜひ。

「詳しくはウェブ(web)で、と言うコマーシャル、多すぎませんか?」
 何となく聞いている各種のコマーシャル、もちろん高齢者用の商品や「告示」も沢山あります。そんな中で締めくくりに使われる「詳しくはwebで」という言葉ほど不思議なものはないと思います。大多数の高齢者(視聴者としても可)がweb端末を持ち、操作もでき、かつ利用しているという前提なのでしょうか。それって「うーん? 投げやり的」ですよね。 
 webの意味はもともとが蜘蛛の巣。ワールドワイド-ウェブ(WWW)のことでしたよね。この傲慢とも思えるコマーシャル・メッセージが破る「蜘蛛の巣」は半端じゃないと思います、老婆心ながら。



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編集手帳『岩漿24号』
 1月13日 全作品のプリントアウトとノンブル照合と全作品のデータメモリ照合
        デザイン、カット類とデータ照合
        一式梱包の上、印刷所にレターパック郵送
        深水会計担当と電話連絡

 昨日はブログ更新をする日だったのですが、上記同人誌データの一式送付が済んでぐったりしました。夜はボケーッと所さんのSP番組などを視ていた次第です、はい。刷り上がりは2月1日の予定。
 24号の編集手帳は今回で終了です。お目汚しで失礼をしました。



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. 陰の「苦労」、いいえ隠れた小細工


 同人誌といえばコミック系と思われる昨今ですが、私たちの『岩漿(がんしょう)』は文芸です。若い人はご存じないでしょうが、現在「文豪」と称される作家のほとんどは同人誌から出発したのです。「でもきみたちは違うだろ」ですか、おっしゃる通りです。ど素人作家の集まりなんです。でも、ですが、文章を通して自己表現をするというこの1点では何ら変わらないのです。
 このことを唯一の支えとして20年、24号まで来たわけですが、この間、各号とも本にするプロセスで諸々がありました。その中で「え?」と思われそうな代表格は「厚さ」の確保です。背表紙に岩漿の文字がきちんと入る幅がそれです。だいたい100頁以上だと判ったのが、平成14年の『9号』のときで、93頁でした。『2号』、『14号』がそれぞれ212頁でしたから、半分未満の薄い号だったわけです。窮屈そうで、誌名が可哀想でした。

 実は編集過程で58頁しかなかった号があります。創刊した翌年平成10年の上記『2号』でした。「3号雑誌」にもなれないで廃刊の危機かと、当時一人で編集をしていた私はあわて、懸賞小説に応じるつもりで書いていた自作『夢の海』を回して発行しました。後悔はしていませんが、長年月をかけた私の代表作品はこれで応募資格を失ったのでした。会に支払うことになった頁割り負担金は14万5千円、現在までのところ会の最高記録になっています。ちなみに、自分の貯金から出したとはいえ、かみさんには内緒でした。はい、今もです。
 
 編集の最終段階で厚さを考慮して、段組みや活字のポイントを変えたこともあります。もちろん抗議の出ない自作をいじります。
 『7号』では小説『薪樵る(たきぎこる)』を、2段組なら9頁で済むところを1段にして18頁にしました。『15号』の『戯れる木霊』も同様に段組みを変え5頁を10頁に延ばしています。自分の頁割り負担金が2倍になること、ご推察の通りです。
 『15号』は長編を得意とする会員から小説『海神記』が来て、最終的には150頁を超えましたが、いったん組んでしまったので延ばしたままにしたと記憶しています。

 少し変わったところでは『10号』があります。編集者として会員に『記念増大号』にしたいと発表したのです。当時10号は夢のような号数だったので。結果的には195頁で、誌の歴史上2番目の厚さに止まりましたが、「言い出しっぺ」なので責任を感じ、『兵庫無慙(ひょうごむざん)』、『孤往記(こおうき)』、『以訛傳訛(かをもってかをつたう)』と掲載作品を増やすことで対応しました。3作とも仮名を振らないといけないという、実にいやらしいタイトルなんですけど。
 
 会員の作品が概ね出揃ってから自作の長さを考え掲載作品を書きだす性向は、こんな小細工の「歴史」の中から生まれたのかもしれませんね。
 ときどき書棚に並んだ23冊の『岩漿』、幅20センチを見て、いろいろ思い出している私です。
 ちなみに今年の2月初めの発行を予定している『24号・岩漿文学会発足20周年記念号』は、200余頁です。


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 編集手帳 『岩漿24号』  最終段階に入ります。
 1月10日 岩越編集委員 『作家と作品』執筆と最終校正チェック
 1月11日 馬場編集長 ノンブル(頁番号)打ち開始
今回の24号が『岩漿』史上最も優れた作品群であることを確信しています。
        ありがとうございました。


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. 草花から臭い話にシフト


 爺のごひいきのブログに「春の七草知ってますか」とありました。
 『せり(芹)、なずな(薺)、ごぎょう(御形)、はこべら(繁縷)、ほとけのざ(仏の座)。すずな(菘)、すずしろ(蘿蔔)、これぞ七草』
 歌えるように調子よく並んでいるので記憶しやすいですね。
 ところでこの七つの草花、順番に違う名前もあるのです(芹は単一ですが)。ご参考までにどうぞ。
 『セリ、ペンペングサ、ハハコグサ、ハコベ、タビラコ、カブ、ダイコン』です。これだと音読しても調子が整いません(^^♪
 秋の七草もついでですから、調子の出る順番で憶えておきませんか。
 『クズ(葛)、ハギ(萩)、キキョウ(桔梗)、オミナエシ(女郎花)。オバナ(尾花)、ナデシコ(撫子)、フジバカマ(藤袴)』の七つです。オバナはご存じススキ(薄)です。
 ちなみに「古典」で「アサガオ」が七草に入っていることがありますが、ものの本によりますと、キキョウのことらしいです。どなたか明確にご存じの方、教えてください。

 「新年らしく、きれいな記事ですこと」などと、早まってはいけません。
 ここでは特別に?四季を通じた「七臭(ななくさ)」をご紹介しましょう。申し訳ない話題なので調子は整えます。口に出してご確認ください。
 『お口、吐く息、汗、うんこ。おなら、ゲップに足の裏』
 これらはみんな人間の健康に深くかかわっている大事な項目です(安心してください、ホントです)。
 「お口」→口腔内自体のものは歯槽膿漏も懸念されるのだとか。だとすると糖尿にも認知症にも悪影響があるといいます。
 「吐く息」→胃の重大疾患からくることもあるそうな。くわばらくわばら。
 「汗」→大事な体温調整機能をもっているのに嫌われ者。でも青春の汗は男女とも、ちと違うようですよ。性的な要素があるのだそうな。動物も一緒でしょ。それに臭いのは汗の出だしだけで、大汗の後はそれほどでもないという人も。ただね、昔柔道着に沁みついた臭いは吐きそうでした。
 「うんこ」→辞書によれば「うん」は息張る声で「こ」は接尾語などと味気ないことが書いてありましたが、爺はこう思います。「うん」はもともと糞(ふん)で、「こ」が付くのは大切なものにつけて、子どもでもわかる愛称にしたいからだと。「おしっこ」もそうですしね。あと二つぐらい例示したいのですが、やめておきます(^^♪
 「おなら」→飲食物と一緒に胃腸に入ってしまった空気が出るものです、と。いわば体の防衛反応、あなどってはいけません。たとえお嬢様でも淑女でも必要不可欠。言ってみれば配管のエア抜きなのですから。『出物腫物ところ嫌わず』
 「ゲップ」→或る文化圏では、招いた客がこれを出すまでご馳走し続けるのだとか。「もう満腹で、これ以上はいけません」というサイン。日本では、『腹八分目に病無し』
 「足の裏」→狭い靴の中での発汗。お疲れさまです。水虫も飼っていますし? でも、ですね。一見間抜けな顔のここは内臓の危険信号を受け取るところだそうな。足裏マッサージと足湯をよろしく。


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編集手帳 『岩漿24号』
 1月8日 馬場・『編集後記』 執筆完了。

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. 記事とも言えない記事だけど


 伊豆に移っておよそ30年、そのどの年の正月とも違う7日間だった。
 目覚めはほとんど2時、3時と言わば「丑(うし)三つ時」。化け物でも幽霊でもないのに夜な夜な「立ち上がった」のだ。頭の中が忙(せわ)しかったのか、深夜小用に立つと眠りに戻れなかった。自分の膀胱の名誉のために言い添えるが、べつに病ではない。朝、昼、晩、深夜の区別なく物語の筋と言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えして、止まらなかったせいなのだ。特に物音のしない「草木も眠る」頃は、おどろおどろしい場面を描くのに最適だった。
 かくして今度の正月は執筆する方の「小説三昧」で終わってしまった。
 
 どこにも出掛けず、御節も食べず、他所行きの服も、お年玉も、その他正月に伴うあれこれも、全て無縁の7日間だった。一つだけ例外を探せば、近所の神社に赴き、「初詣」らしきことを行ったことか。忘れてはいけない、来た賀状数十枚はとても嬉しかった。
 この奇妙な正月がくれた「贈り物」が、小説「現姥捨(いまうばすて)」だ。400字詰め原稿用紙58枚相当の作品だが、脱稿は昨日6日の午後だった。1月4日だけバイトで箱根に行ったので、1日平均で10枚ずつ書き続けたことになる。
 生まれて初めての経験だった。無から有を創る快感の連続。
 この感触と、自分との約束を守れたという自信を、忘れないようにしたいと思う。
 さ、今晩は「七草粥」ならぬ「永谷園の海苔茶漬け」で、今年1年の健康を祈念しよう。

 誰か偉い人が言っていたっけ、「小説なんか書いてると、まともな生活ができない」と。
 でもこれって、プロの話だよね。



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 編集手帳 『岩漿24号』
 1月6日 馬場・『現姥捨』 脱稿。
       同上小説を岩越編集委員と平田編集委員にメール添付。校正依頼。
 1月7日 同上小説を深水編集委員にレターパックで送付。深水会計委員と電話で発行予算打合せ。
       馬場・同上小説を読者の目で検証。
       橋本印刷所に電話連絡。15日に版下一式送付の件。OK。

 
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. 眠い目パチクリの株式


 また午前1時に目覚めた後元の睡眠に戻れず、頭が回転しはじめ、結局午前2時に起きだしてそのまま株式の取引が始まる午前9時へ。そこで眠い目がパチクリする出来事が起こった。手持ち100株のドローン(小型無人飛行体)関連株式「I.O.」が「+100」のストップ高になったのだ。何と9時台で。初めての経験なので「S」マークの意味も知らず、とりあえず「ウリ」に入った。そのまま売れれば14200円の利確になる。ところが株価表示が固定して動かず、待っていても「約定済」にならない。つまり私はストップ高になった株式の何がどうなるとウリが確定するのかを知らなかったのだ。ビギナーの悲哀である(^^♪

 いろいろ株の本は買ってあるのだが、読み調べている時間が惜しいので兄に電話をした。
 15時の大引けまで株価は固定されること。そこで「カイ」が「ウリ」を上回っていれば、15時に決済されて約定になることを教わった。つまり私の利益も14200円で確定するというのだ。
 この株式、自分で研究して早めに目を付けたが、目論見が外れ低迷を続けたので一旦「損切り」をした。それでも自分の目を信じなかった自分に腹が立って再購入したものだった。自分の株式売買ノートをさかのぼってみると、昨年12月24日の株価は取得時よりも14300円も下がっていた。ということは2週間ほどの間にマイナスからプラスへと、28500円も含み損益差が出たことになる。金額もさることながら自分の目が「合格」と言われたような気がして、無性に嬉しかった。

 午前2時から動いていたこの日は、『岩漿24号』に載せる小説『現姥捨(いまうばすて)』もはかどった。昨日が勤務日だったので、当然頑張らなくてはいけないのだが、眠い目はここでもパチクリだった。話のクライマックスで思いのほか筆が進み、400字詰め10枚分となった。小説はこれで44枚に達した。目に良くないのでパソコンから時々離れたが、珍しく「板」から離れない「かまぼこ」な日になった。
 こうしていると、今も眠い(^^♪



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. 「3が日」の「3」について想う

 お正月も、もう3日。今年はカレンダーに嫌われてお正月は今日でおしまいです。
 そこでこの『3日』と『3』に因(ちな)んで「小さなお話」を短めに。

 お正月ですか。何か一念発起で始めましょう。で、『3日坊主』
 そんなに有頂天になっていていいんですか。明智光秀が残した歴史的教訓。で、『3日天下』
 働きすぎでしょう。ブラックですか。『3日3晩』。ところで、縁起でもないことですが、災害のときの行方不明者の生存可能限界は、ちょうど3日の72時間でしたかね。
 長続きするかどうかは節目で分るよ。で、『3日3月3年』
 強くなっていまはもう完全に死語 。何それ、『女3界に家無し』
 同人誌の終わるのが早いこと。で、何号で。曰く『3号雑誌』
 母の教育熱は昔から。で、『孟母3遷』
 お似合いの凄いやつが揃って、『3羽烏』
 優れていたら採ろうよ、諸葛孔明みたいなら何としても。で、『3顧の礼』
 まだまだスターってすごい。で、『背番号3』
 もう別れましょう。で、『3行半』(みくだりはん)
 「お後が宜しいようで」

 ついでみたいで叱られるかな。少しぐらい参考になるものないとね。お正月だし。
 ありがたいけど妙なもの。何って、ヤタノカガミ・アメノムラクモノツルギ・ヤサカニノマガタマで、『3種の神器』
 行ったことないけど凄そう。どこって、神殿・賢所(カシコドコロ)・皇霊殿。で、『宮中3殿』
 


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 編集手帳 『岩漿24号』
 1月3日 馬場・小説『現姥捨』執筆。本日までの合計400詰32枚。あと20枚になりました。

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. 一番近くで初詣


 2日の午後1時にかみさんと、直線距離500mと最も近い神社を目指して歩き出した。
 一体が罰当たりの無神論者が変じゃないかって、私を知っている人なら首を傾げそう。
 当然ながら「お願い」の作法も我流。「賽銭」に百円をと握っていた硬貨を、過って2枚とも入れてしまったのはご愛敬か。神社では合掌と言わずに拍手と言うそうな。なにやらブログに似ている(^^♪。
 地域の人たちなのか、小さな神社なのにかなり混んでいた。
 それにしても、「賽銭箱」のすぐ隣に「おみくじ100円」とすぐ金額が書いてあるのは、あまりに世俗的でいかがなものか。「ありがたい空気」が、体の周りから一瞬にして消えた。
 帰り道、かみさんに私見を述べた。
「1年に1回ぐらい人間の知恵や力を超えた存在を意識するってことはいいことだよ。神でも仏でも富士山でもいいんだ。べつに宗教宗派は何でもいい。自分という人間の傲慢さの消去かなぁ、初詣の意義」
 誰だって自分の「小ささ」を意識するのは嫌だ。だからこそ必要なのだと、そう思う。
 「小ささ」を恥じるのとは違う。委縮するのとも、違う。ただ認識する。そこから始まる何かがある。 きっと。


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編集手帳 『岩漿24号』
 1月2日 馬場・小説『現姥捨』 執筆。この日400字詰20枚相当。これ、記録かも。
       平田編集委員からメール連絡あり。



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. ものしずかな元旦を歩く


 いつも通りに朝早くに起きる。
 空が明るくなるのを待って元(はじめ)の旦(あさ)の街に出ることにした。「旦」という字は水平線に太陽が丸まる姿を現した形だが、まだそこまでにはなっていないだろう。散歩する格好はどちらかというと「黒ずくめ」、闇に溶けて自分を見失いそうなので時間を選ぶのだ。ドアを開けると、やわらかくも冷たい空気が間髪を入れずに寄ってきた。

 松川の瀬音がいつになく高く聞こえる。
『浅い川ほど音が高い。おまえ、まだ修行が足りない』
 いつものように「独り言」を連れて歩き出す。
 すれ違うジャージに運動靴姿のお年寄り。新年そうそう病(糖尿)に挑みかかる、その意気や盛ん。引きつって余裕のない顔が、少し寂しい。『楽しもうよ、今日ぐらい』

 真っ直ぐに進めばキネマ通りに突き当たる道で、野鳥のダンスを見た。白っぽい「美人」の2羽が、電線の高さで向かい合って羽ばたいている。『新年に羽ばたきか、いいな』。鳴き声が異常に高い。喧嘩なのかどうか。立ち止まって見ていると、すっと別れたはいいのだが、電線にとまった奴が、シラッとした顔で白い糞を落とした。『クソッ、興ざめな』 

 伊東駅に向かう電信柱が一つも無い道路。タクシーが群れて停まっている。と思ったら会社の敷地だったようで頭を掻いた。夜っぴいての勤務が終わるので洗車をしているのだった。『大晦日の夜か、いつになくアガリが多かったんだろうな』。ちらほらと笑顔が見えた。
 
 伊東駅前。交番の横で1人歩く女性を見た。その人の前後左右どこを見ても人影は無い。『7時過ぎてるよなぁ』と腕時計を見る。『さすが元旦、眠れる観光地』。褒めてどうする、この寂しさを。

 湯の花通りから「還路」になる。杖をつく老人とすれ違ってすぐ、路地から飛び出して駆け続ける青年を見た。『え、郵便配達? この時間に』。年賀状配りは特別なのかもしれない。夜更かしして朝寝坊を決め込んだ正月休みの人には、まったく想像もできないだろう、この青年の吐く白い息。と言っても薄いから、目立たないけれど。

 橋を渡って松川河畔の遊歩道に出る。渡り鳥だろうか、白い水鳥が数羽、川面に浮かんでいた。『おまえら、寒くないのかよ』と余計なお世話。視線を上げたらなんと、狂い咲きなのか桜の花が数輪。『ウソだろ、河津桜の仲間にしたって、元日だぜ』

 伊東図書館近くの、川に面した駐車場。モコモコした毛を持つ猫が2匹、マンホールの鉄製のフタの上で身を寄せ合うようにしている。毛が汚いから飼猫ではない。眠っているのか、寒さに耐えているのか、無防備に目を閉じている。『お前らも大変だな』。明日は我が身か、ふたり連れ。
 
 この散歩、携帯の万歩計が5000を超えていた。『でも、それが何』


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 編集手帳 『岩漿24号』
 12月31日 馬場『現姥捨』継続執筆。
 1月1日 馬場・小説『現姥捨』 継続執筆。


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. 除夜の鐘


 「大晦日」はご存じの通り、各月にある晦日(みそか)で特に「12月の晦日」を言うのですが、実はこの日を「大蔵」や「年越」とも言い、さらには「除夜」とも言うそうなんです。私は長い間12月31日の「夜」の別称だと思っていました。
 「除夜の鐘」は108回梵鐘をついて、人間の『煩悩(ぼんのう)や罪障(ざいしょう)の消えることを祈る』ものですが、この煩悩とは何なのでしょう。大晦日に手元の『仏教辞典』を紐解いてみました。
 『心身を乱し悩ませ、正しい判断を妨げる心の動き』で、これは『自己中心の考え、それに基づく事物への執着から生まれる』とありました。なるほどと、思わざるを得ません。同時に凡庸な人間(自分)がこれを「消す」ことの困難さを想いました。
 吉田羊さんのポカリのCMのパクリになりますが、「除夜の鐘聞きに行かなくちゃ」とあわてるところです。
 では「108回」というこの数字は何でしょう。次には、ここに引っかかりました。
 実は何十年も前に「引っかかって」調べたのですが、何と忘れてしまったんです。今の今まで「煩悩」が消えずに残っているわけです。せっかくですからこれも改めて調べてみました。
 まず出てきたは、6大「根本煩悩」でした。これは漢字だけで意味内容の「雰囲気?」が伝わってきます。並べてみます。
 ①貪(タン)むさぼる②瞋(シン)いかる③癡(チ)おろか。この3つを「心をくらます3大毒」として括ります。一つずつみると「この字何!」と、それこそ腹が立ちますが、単語にして例示すると「見たことあり」になります。「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんい)」、でしょ。③は「=痴」ですから例示は「痴呆」。後の3つは④漫⑤疑⑥見です。
 「108の数字、出てこないじゃん」、ですよね。私も少し慌てました。なかなか見つかりませんでしたが、或る手元の事典に載っていたんです。ただ、数説ある中のひとつということですから、ご承知ください。「何通りある」という場合の掛け算で108通りになります。目、鼻、口、耳、舌、意(これは心のこと)で6。苦、楽、不苦不楽で3。貪者、無貪で2。過去、現在、未来で3。
 これを掛け合わせて、「6×3×2×3=108」、だそうな。
 これも算数風に読めば「なるほど」なのですが、心のどこかで「うーん」なのです。
 いずれにしても大晦日の私は「ヒマ」そうですかね?


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 編集手帳 『岩漿24号』
 12月29日 作品の「ページ割り案・エクセル」を岩越・平田委員にメール送付。
 12月30日 同案を深水委員にFAX送付。平田委員より掲載順位・場所に関し提案メール入る。返信。
         小山氏、短文作品追加につき携帯メール連絡あり。返信。
         馬場『現姥捨』脱稿に向けて急ぐ。
         印刷所への「版下」一式送付は1月15日の予定。

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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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