蛙声爺の言葉の楽園

. おしゃべり『フォースの覚醒』


「お久しぶりーぃ、シゲル」
『愛子、少し老けたか、今度のレイア姫よりは綺麗だけど』
「先制パンチかさ、いい度胸してるじゃん。きょうは泣かされないぞ、スペースファンタジー如きで」
『正直どうよ、スターウォーズの最新作。一言で観た印象表現してみて、得意だろ。あ、ここの欅(けやき)カフェ入るよ、なんだかんだ言っても師走で寒いや』
「まったくの好みかもしれないけど。ルーカス監督の前6作と違って人間の描き方が粗削り。その意味でだけど、初めての観客、置いてけぼり。旧作品からのSWファンなら感涙もの」
『全然ひとことじゃねーや(^^♪ 俺エスプレッソ。愛子は?』
「無難にブレンドでいい。何よ自分は何て表現するのよ、つまんなかったら、ここシゲルのおごりね、ケーキも付けて」
『ははははは、おごるよ、電話したの俺だし』
「もう負けた宣言してる。オヌシらしくもない。でも、ごちそうさま」
『スターウォーズ8、9への、高価で壮大なる予告編』
「なるほど、そーきたか。わたしでもそこまで言わないわ。今回のエイブラムス監督もルーカスに敬意を表したり、旧作からの熱烈なファンにサービスしなきゃならなかったんだから、創るの案外苦しかったんじゃないかな。どう創ってもあっちこっちから批判や要求が来るってルーカスが言ってたって、どっかの記事で読んだことある。本家でそうだとしたら、ね?」
『それでかな、次回は監督やらないらしいね、彼。いや俺もねべつに、貶(けな)してるわけじゃないんだ。2時間20分程度ですべての観客の要請に応えるのは無理だしな。字幕版のせいかもしれないけど、あのひと誰で、あの飛んでる乗り物は何みたいなところがないと分りにくくないかな。ちょっと心配した』
「たしかにね、この作品の【時代設定】は帝国のデス・スター破壊後30年後だったわよね。作品に対するオマージュなのかもしれないけれど、新しい悪の帝国ファースト・オーダーの兵士の格好も、電子鉄砲みたいなブラスターだっけ、あれも。十字にしてちょっと変わったけどライト・セーバーも不変て、違和感ありだったわ。何よりもポンコツなはずの30年前の宇宙戦闘機、ファルコンていったっけ、ハリソン・フォード扮するハン・ソロやチューバッカが乗ってたやつ、それが宇宙空間でワープできちゃうとかも。しかも初めての操縦で。ま、ファンタジーだからいいか」
『でたね、ワープ。懐かしい。それにしても苦情が細かいこと。何をどう創ってもっていう監督の嘆きがよく解かる。あの、十字のライト・セーバーだけど、相手と戦っているうちに自分の体を斬っちゃったりしないのかな』
「たしかに、危なげな武器。シゲルだって細かいじゃない、なによ」
『ただね、新機軸の悪役【カイロ・レン】が実の父親ハン・ソロをブリッジの上で、突然ライト・セーバーを点灯して刺し殺すシーン。 刺すって使い方初めてのような気がするんだけど、どう?』
「そこまでは・・・そうそう、あのシーンでもカイロ・レン、マスク取って素顔さらしてたわよね。あそこ、胸がきゅんとした。 父親に対する強い愛憎の一端が垣間見えたもの。でもマスク2度も外しちゃまずいわよねぇ、ダース・ベイダーを見習えって」
『マスクの中の顔があれだけイケメンのアダム・ドライバーなんだから顔見せたくもなるよな』
「色男金と力は無かりけりってね、ベイダーは絶対的に強かったけど、レンは弱すぎるわぁ、ヒロインとチャンバラしてもモタモタしてたし」
『ま、役の想定が未熟な、迷いの抜けない悪役なので、そこをよく演じたというべきかもよ。あ、そうだこの映画ではね、善も悪も観客の気を引く【主役】なんだと思う。悪から見れば善は【悪】だしね。これは現実の世界の政治でも、国内の政でも同じ。もちろん経済の面でも。貧しさは必ずしも善ではないし、富は悪と簡単には括れない。もしかしたらこれって、人類普遍のテーマ?』
「大きく広げたわね。スターウォーズがそういう映画だって言いたいの?」
『いや、そこまでは・・・もしかしたらルーカスという映画作家が、抱いてる? 彼が尊敬する故黒澤明がね、記者から、監督、世界中のお金を集めたらどんな映画を創りますって変な質問をされたときにね、【映画なんか創らないで世の中を変えます】って応えたんだと。その想いと同一線上にあるような、無いような』
「ふぅーん、そんな見方もできるの」
『見方って言えば、最初に戻るけど、この映画ルーク・スカイウォーカーの居所を捜すストーリーとも言えるよね。ファーストオーダー側にしてみれば唯一残っているジェダイ。レジスタンス側にしてみれば中心に置いて求心力を高める役にと』
「キャリー・フィッシャー扮するレイアはレジスタンス軍の総帥だったわよね今回。ハン・ソロの「元妻」にして、ダークサイドに落ちてなったカイロ・レンの母親。この関係からくる愛憎や逡巡というのかな、描いてほしかったなぁ」
『これからじゃないかな。愛子がいま感じてることの内容が、ソロやレイアの死後に解き明かされるとか』
「何で死後なの、レイアは生きてるのに」
『そうじゃなかったら、ソロを死なせなかったと思うよ、今回。もう回想以外に二人の出番はないと断言するね。楽しみと言っては何だけど、今度は誰がダークサイドに落ちるんだろうね』
「今回出てきた登場人物で?」
『そう。俺は黒人のフィンを推薦するけど、どうだろう』
「コーヒー来たけど、ちっともケーキ来ないわよ、シゲル先生」



にほんブログ村

. 「嘘」の中に在る「真実」


 最近年配の医師から「目から鱗」の話を聞いた。ほとんどの薬の服用時機指定が「食前」「食後」など食事に絡んでいる本当の理由についてだ。私は「胃の保護ですよね」と先走ったが医師は、「患者が絶対忘れないこと、それが食事だからだよ」と微笑した。100年以上も前に高名な医師が発案したのだとか。もちろん「善意」で。服用忘れの防止、それ以上でもそれ以下でもないと言うのだ。私は感心したが「それ言ってもいいのかな」と内心訝(いぶか)った。医者の多くが胃腸の保護と称して「胃薬」を処方箋に加えることが多いからだ。口外しないだろうという私への「信頼」だとしたら大いなる誤解だ(^^♪(このマーク何か好きで)。

 指定薬局に行っても、「ん?」と感じることがある。わたしは境界型の糖尿病で月に1度通院しているのだが、当初「お薬手帳は?」とよく聞かれた。「家にありますけど」と言うと(つまり単なる不携帯ですという意味)、「じゃこれを手帳に貼っておいてください」とその日処方された薬品名を記載した細長い紙片をくれた。他の病院へ行って他の傷病で処方を貰った場合でも、薬局でお薬手帳を出せば「薬の併用による悪い結果を避けることが出来る」というのが、この仕組みのウリだとか。1年もしないうちに今度は「お薬手帳、出しましょう」と言う、何回も。かなり熱心だった。その後私はものの本で、この手帳を交付するだけで健保上の点数が付くことを知った。してみると同様に熱心に所持を勧める無償の「ぶどう糖の携行箱」もそうなのか。「一度も使ったことありませんし、すでに2箱いただいてます」と固辞をしている。当たり前だけれども、べつに私の健康を心配してのことではなさそうだ。

 昨今の会社では、昔では夢想だにしなかったことが起こっているらしい。女子社員の肩に手をかけて「がんばれよ」と言ったらこれが「セクハラ」。遅刻を繰り返し反省もない男子社員に大声で「バカモン」と注意したらこれが「パワハラ」。やる気もなく、成果もなく、反省もない社員を再三指導した後で諦め、やむなく斬ったらこれが「不当解雇」。その社員の上司は「指導力不足」と評され「降格」。いまは社員のメンタル部門をケアしない会社は「遅れている!」らしい。
 法的保護は当然必要だけど、企業の「国際競争力」は、こんなことで大丈夫だろうか。
 「いいからお前は自分の頭のハエを追え」、かな?。はい、ごもっとも。でも今のあなたの台詞、もしかしたら「侮辱罪?」。

 昨日かみさんを映画に誘った。このところ2カ月以上、老夫婦間で小さな「イベント」一つなかったのだ。それはいいのだが、私が選んだのは「よりによって」スペースファンタジー『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』だった。「遠出」自体は喜んではいたようで、伊豆スカイライン・箱根新道経由小田原というコースを走る間中、お喋りをしていた。しかし、なのだ。冒頭のジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲がしっかり終わるまで、隣で眠っていた。やはり、ファンタジーでも「戦争」は禁忌だったらしい。
 「ま、これで久しぶりに映画・レビューは書ける、かな」


 ********
 編集手帳 『岩漿24号』
 12月26日 佐木・小説『恋歌』 手直し後の原稿メール受信。
         桂川編集委員から『恋歌』の校正とルビ増加提案メール受信。
 12月27日 総ページ数予測立ち、馬場・小説『現姥捨(いまうばすて)』の枚数も決定。
         1月15日ごろ印刷業者に版下・データなど一式送付の予定。



にほんブログ村

. クリスマス


 子どものころからずっと、いわゆる「クリスマス」にはほとんど「縁」がありません。「仕事」で人様のためにツリーの飾りつけをしたことは数知れずあるけれども。その範疇に入りますかどうか、保育園の先生をしていた同窓生に頼まれてかなり大きい水彩画を描いたことがあります。サンタクロースがトナカイに乗って空を走るお馴染みの「内容」ですが、想いのほか喜んでもらえて嬉しかったことを憶えています。ずっと近くなって現在の職場に入り3年目ごろだったと思いますが、住み込み社員が多いので「皆クリスマスにお出掛け」は無いだろうと予想、「きっと君は来ない🎶クリスマス」を勝手に企画したことがあります。もちろん自費で飲み物など持ち込み形式です。初めは3-4人だったのですが、しまいには12人ほどに膨れ上がりました。山下達郎も満足でしょう(^^♪
クリスマスもまた、いや、だからこそ寂しい人の心を温めるのは「人の体温」でした。
 JRの『きっと君は来ない』 シリーズのテレビCMは、若い男女2人を扱ったものですが、このことを見事に伝えていました。ちなみに私は、深津絵里の一本が一番気に入っています。

 保育園を併営している仏教のお寺さんが園児のためにクリスマスパーティをやる時代で、いくらクリスマスがキリスト教という宗教を離れて「行事化」したと言っても、さらには「商業化」したといっても、本家本元はキリスト教でしょうにねぇ。
 しかしこれは、もともとが神道(しんとう)のお正月、もともとが仏教のお盆などと一緒のこと。いまでは新興宗教も、行事としてのクリスマスをうるさくは言わないと思います。そうでないとこの時季、街中も歩けず、買い物もできませんから(^^♪。

 『ホワイトクリスマス』をはじめそのどれもが美しいクリスマスキャロルも、世界中の作曲家が腕によりをかけて創ったそうな。私でさえ歌詞カードがあればですが、かなり歌えます。
 クリスマスにはつきものの「プレゼント」では、短編小説で有名なオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』が心を温めます。貧しい夫婦が互いにクリスマスプレゼントをしようとして、自分が大事にしていた物を「処分」してお金をつくります。ところが贈り物を交換してみたら、互いに「処分」した物が無ければ台無しの物でしかなかったのです。贈り物は皮肉にも交叉してしまいますが二人の心はしっかりとつながります。ディケンズの小説『クリスマスキャロル』も、<クリスマスと人の心>を扱っていましたね。

 それにしても、ですが。街がにぎやかにクリスマスを謳い、心を通わせる二人が笑顔で闊歩すればするほどさびしくなる。そんな人もいるわけで。そう、大昔、若かった頃の私のように。
 そんなクリスマス当日の人にお勧めします。人の手を借りて雰囲気だけでも味わいましょう。
 このブログの左下に「リンク」欄があります。そこの『花のように』をクリックしてください。本日クリスマス限定のブログ記事が出てきます。とても綺麗な構成で、詩も味わえ音楽も聴けます。とくに上記山下達郎の『クリスマス・イブ』がBGMになっているJRのCM綴りは秀逸です。どんな人のクリスマスプレゼントなのでしょう。
 
 え? 見て余計寂しくなったらどうするって。困りましたね
 街中に出てイルミネーションに文句言いましょうか。たとえば「キラキラしてんじゃーねー、おまいらLEDはよぉ、節電のために生まれたはずじゃねーか」とか(^^♪。


 ポチ、でやる気がでます。感謝です

にほんブログ村

. たとえ誰にも理解されないとしても


 68歳、この歳になってようやく解かってきたことがある。自分の想いのために損得を超えて行動しなければならないときがある。自分の背骨と頭脳のためにも。
 きっと今回私が選択したことは誰にも理解されないだろう。「対立」するAとB、双方からの「攻撃」を受けるかもしれない。それでも決断すべき。誰にでもそういった時機、事柄があるのではないだろうか。そう、称賛とは無縁の「独りの道」。
 ――カタバミの実はみずから弾けて飛ぶ。

 もともと「私」は理解しにくいと言われ続けてきた。人は皆、自分の想いと経験の中でしか「他の人」を診ることができないものだ。それを前提にしてみると「私」が解かり難いというのが良く判る。めったにいない「変な人」だからだ。問題なのは、その「変人」部分を自分自身が大好きだということなのだ。私が人生の上で「損」ばかりしてきた原因は、何を隠そうこれだった。ただこれまでと違うのは、それが「反発」や「憎悪」からは出ておらず、建設的な想いから出ているところだろう。
 年を取るというのは、悪いことばかりではない。
 きっと『行動の意味』をいつか誰かが解かってくれるだろう。それを信じていたい。

 成長するために蛇は自ら脱皮する。美しくなるために蝶は変態する。人や組織にもメタモルフォーゼ(転生)があっていい。むしろ必要不可欠なのだ。そう思う。
 新旧の相克の中で「世の中」も動いてきた。結果の良し悪しはその後の「歴史」が評すればいいことだ。まして「極小な世界」においておや。
 『この時この場所から、友にも敵にも、次の言葉を送り伝えよう。すなわち、炬火(きょひ=たいまつの火)はアメリカの新しい世代に引き継がれたということを。その新しい世代は、今世紀に生まれ、戦争に鍛えられ、冷たく苦い平和の規律の中で生き、われわれの古い遺産を誇りにしている世代だということを』 
 あの、ジョン・F・ケネディの言葉である。



**********
      応えよ、老木にも力ありや
    老木
     連載写真「道端あんじゃろか」3でした。  何の変哲もない写真をご紹介しています。


*********
 編集手帳 『岩漿24号』
 12月21日 佐木『恋歌』の校正結果をメール送信。
 12月22日 桂川『爬虫類と暮らす』をメール受信。校正。
 12月23日 桂川『爬虫類と暮らす』推敲版受信。確認と再校正に移る。
 12月24日 午後。深水委員に長編もの2編をレターパックで送る。

ありがとうございます。励みになります

にほんブログ村

. 万歩計、体重計、血圧計の「ぼくらの時代」


万歩計「このごろ、今日は何歩なんて気にする人多いなぁ、家でゴロゴロしてて何が万歩だって」
体重計「お前、何で一万歩になる前から数字出してるんだ? 万歩だろうが」
血圧計「万てたぶん出来るだけたくさんて意味だと思う、だから1からでも出ていいの。だいいちそんなことしたらほとんどの人、数字出る前に歩きが終わっちゃう。買う人もいなくなっちゃう」
体 「なんか、階段1つ上がりでも脚立1段上がりでもカウントするんだって? なら万歩の数値は偽りありだな」
万 「まあ矛盾は感じてます。たくさん歩きたくないから数字見てたりして。それがまた購買動機だったりして。糖尿病の対策としては僕の数値は多い方がいいけど、勤務中の数値はできれば少ない方がいいですからね」
体 「それでも数字が多いほど医者に褒められるお前はいいよ、こっちは多すぎると医者に叱られるし、女からは嫌われるし。こっちはさぁ、正確に測って出してる数字なんだよ、責める相手が違うだろ」
血 「あなたはよく疑われるしね。中年のオバサンなんて、変ねえとか言って何度もあなたにのっかるし。それこそ正確無比に数字出してるのに可哀想。ヘンなのはどっちだって、ねえ」
体 「サンキュー。若い女の子も理解できねー。下から見ててもけっこうスマートなのにもっと痩せたいとか渋い顔で、俺の上で地団駄踏むんだから」
万 「下からっていいですねえ、そう言えばお風呂場にも居るんですよね、君は」
体 「骨皮筋子さんも、百貫デブちゃんものるけど! それが何かぁ」
血 「エッチな発想はやめてさ。どう考えても鶏ガラなのに、わたし太ってるぅってさわぐ心理、わたしには分らないわ。男の人ってもすこし女らしい体形の方が好きじゃないかしら、柔肌とかグラマラスとかいう」
万、体 「うん!」
血 「それとBMIの管理は美容のためにもたいせつなのよ」
体 「え? ハイハイ。で、お前には悩み無いのかい」
血 「とうぜんあるわよ。わたしだって正確に数値出してるんだけど、この前なんかね、お年寄りが管理人に採用された後で健康診断書の提出を求められて、わたしが測ったわけよ、そしたら「190-90」なの。彼はね、これじゃ採用取り消しになります先生、普通の数値を書いてくださいって。それこそ泣くのよ、必死。先生は結局20分おきにあと2回測りましょう、その中で一番いい数値をってね。医者としては出てない数値は書けないわけよ。2回目から私の方が緊張しちゃったわよ、分るでしょ」
体 「はーあ、大食いやスケベの世界とは無縁の悩みだな、それ」
万 「そもそもぼくたちはさぁ、健康管理のために居るんだよね。それが何か妙な方向へ行ってない? このごろ」
血 「使う人だけじゃないわ、それ。糖尿病ひとつとってもね、Ⅱ型の糖尿病と境界型の糖尿病の判断数値を変えちゃったでしょ」
万 「そうですってね、万歩計業界にも影響したらしい」
血 「HbA1cの数値をいじっての患者減らしかも」
体 「何で医者がお客さん減らすの」
血 「健康保険財政の健全化?」
万 「ああ、そっちですか」
血 「血圧だって、高血圧症の判断基準で学会がもめてる感じだしね。現行基準では降圧剤の投与が早すぎて血圧が低く保たれてしまってね、高齢者についていうと末端の血管まで血が届き難いっていう訳よ。だから昔の基準の<年齢プラス「90」>でいいんだって言い出したの、学者さんが」
万 「それもお金がらみ? 健全化狙いとか」
血 「さあ、そこまでは。わたし、しがない血圧計ですから、そんなに詳しく知りません」
万 「そんな、怒らないでくださいよ」
体 「そうそう、難しいことは考えずに、エッチな話に戻そうぜ。俺なんか問題は重さだけだ」
血 「その重さだけど」
体 「え? 何かあるの、こっちも」
血 「最近の体重計凝り過ぎよ、マニアック。いろいろ設定しないと測れないタイプ。旅館とか公衆浴場には向いてません。とくに前の人が変な設定しちゃうと全く役に立たない体重計になりはてるやつ。とくにデジタル設定の苦手なお年寄りなんか、あれこれやってるうちに冷えてくしゃみが出ちゃう」
体 「すみませんね、でも俺はすこぶる単純」
血 「はい、それはさっきからわかってます」
万 「くくくくっ(^^♪、では、この辺でお時間です。続きは後日。コーヒー冷めちゃいましたね」

ランキングは励みになっています

にほんブログ村

. たった二行に囚われた蒼かった「時代」


 正直に言えば、いつ開高健の『夏の闇』に出遭ったのか、明確には憶えていない。ベトナム戦争を描いた『輝ける闇』から3年後の1971年頃の出版というから、私は24-5歳ということになるが、実際には数年経ってからだろう。それなのに自分の中では卒論『猥褻物頒布販売等の犯罪性に関する批判的一考察』を書いていた頃と一致すると、故意に「錯覚」させている。もう40数年も前のことだ、どっちでも大勢に影響はなく、誰も困らないので、それで通そうと思う。

 そう考えたい理由はある。1972年のいわゆる『四畳半襖の下張り』裁判の弁護側の有力な証人の中に開高健がいたからである。雑誌『面白半分』の編集長だった野坂昭如が、伝永井荷風作のこの刺激的な文章を掲載したことが刑法175条の罪に該当するとして起訴された事件で、特別弁護人は作家で評論家の丸谷才一だった。開高健は、証言の中で<「わいせつ」を言うなら自分の名前開高健こそ、それである、女性が高くて健やかということなのでまさに>と言い放ち、文学作品を罪に問う愚かしさを揶揄して見せた。それでも最高裁は一審、二審を支持して有罪としている。ちなみに、下張りの文章の創り手の名を荷風は「金阜山人」としているが、金は男、阜は女を表していると理解したい。ここでも洒落ていると思うのだ。

 「まくら」が長くなったが、開高健の小説『夏の闇』は私の度肝を抜いた。小説の8-9割が「食らう、寝る、交わる」だったのだ。これが小説? これが文学! 当時の私は頭が変になりそうだった。何度も読んでみた。ただひとつ判ったのは、最後の数ページで、それ以前の自堕落を全て意味のある耀きに変えた凄さ、だった。
 さらにいつまでも興味を繋いだのは物語の中に出てくる『朝の寝床は 大理石のひつぎ』の詩の冒頭のような二行。この続きは確か「エンドマーク」が出るまで現れることはなかった。私は感覚的にではあるが、<男と女の人間関係では性など大きなものではない、それが虚しい>とつぶやいたのだと捉えた。つぶやきの詩が続かないのは、確信が持てないからだろう。そうも思った。
 ただ、私の中ではこの2行が、数年にわたって生き続けることになる。

 『朝の寝床は 大理石のひつぎ
 赤き陽光(ひかり)は 素肌に遊び
 乳房の翳(かげ)りに  心ふたぐ
 白蝋(はくろう)の指は うつろを求め
 紫煙の糸も 縺(もつ)れ乱れて
 終(つい)には消えぬ
 堆(うずたか)きもの まとう儀式に 
 身はすでに 死屍(しし)と知る』     
      (昭和53年)

 誰の目にも止まらないことをいいことに、勝手に補った蒼き暴挙。それでも、朝「独り」目覚めた女を前提にしている。冒頭はいただいたが、シチュエーションが違う別物の詩である。当時、男女間の性にはまだ、憧れが残っていたらしい。



にほんブログ村

. 心はよれよれ疲れでよたよたの朝

 
 未明の4時に「よいしょ」と寝床から起き上がりました。
 <早すぎません?>ですか、「はい、無駄に早いです」、でも私小学生時代が新聞配達、独学時代の10年が牛乳配達、ということで体内時計が早起き設定になっているものですから。ご心配ありがとうございます。というか、家人とか近隣に迷惑? それは言えそうです。

 ブログサーフィンしました、5時から。久しぶりです。12月に入ってから「心は繁忙、体は辛抱、時間は欠乏」で、ゆっくり人様のブログと「対話」できませんでした。とは言っても、訪ねて頂いたブロガーで「訪問者リスト」で分る人のブログには入り、拍手やランキングの「ポチ」は押していました、お詫びとお礼を兼ねまして。 

 ところが今朝、ハッと気づいてしまいました。ということは、いままでの私の訪問も「返礼」でしかないのかと、先様は解釈するのではないかと。特にこの間、何かの都合であまり「拙宅」を覗いてくださらなかった方には、こちらも「訪問」していないわけですから。もう遅いかもしれませんが、「すみませんでした」。
 今日は1日かけて、ご無沙汰気味だったブログやHPに伺ってみようと思います。

 小説『孤往記』をアマゾンに出す際に大変お世話になった「オフィス・ミュー」さんのHPに出向きました。自費出版のお手伝いをなさっている女性の方で、新しい本が何冊か発行されていました。『小説太田道灌』の表紙をデザインして下さった『有為』さんのHPは他のプロバイダに引っ越されたようです。「ほんとうにご無沙汰してました」。

 なぜか急に散歩に行きたくなりました。最近はかなり派手な格好をしています。オレンジ色のタートルネックに、裏地が赤の黒い上着を羽織ります。上半身を動かすと裏地がちょこっと顔を出すのです。白と赤のロゴも入っています。外人さんを真似て「年寄りだからこそ明るいいでたちを」、です。ただし似合うかどうかは、・・・人様が決めてくれます。


 では、コンビニまで散歩です。『道端あんじゃろか』の写真も撮りたいですね。

残念ながらデジカメの動作不良で道端の花は撮れずじまい。
 まだ咲いている花は「偉い」?。紫の琉球朝顔、白の朝鮮朝顔,、黄色の石蕗(つわぶき)、名も知らぬ四つ葉の首の長い、小さな黄色い花(じつはアスファルトの裂け目に根付いたこの花を撮りたかったのですが)。穂綿の飛び去ったあとの尾花。

*********
 編集手帳 『岩漿24号』
 佐木・小説『恋歌』 精読と校正をする。

 励みになります。ありがとうございます。

にほんブログ村

. 『貧乏人は麦を食え』再び、か


 昔、池田勇人という政治家が『貧乏人は麦を食え』と言ったとか。これは白米が上で麦は下という偏見に基づくのでしょうが、この頃は麦焼酎とか、とろろご飯に不可欠とか、パスタの台頭とか好材料が揃ってきて、かなり立ち位置が上がってきたように思います。さらに話題のTPP交渉でも重要品目の一つに挙げられて、米や牛肉と肩を並べるところまで来ました。いえいえ、今回は「麦さん」を持ち上げる話ではありません。このTPP(環太平洋経済連携協定)で国内の農産物生産者の保護ということが言われているので、ちょっと感想を書こうと思ったのです。

 日本の農産物、各種食材、加工食品の安全性や高品質、美味、利便性などは、諸外国でつとに有名だとか。一番「日本」に批判的と思われる中国や韓国のネットを覗いても、あまた称賛されていました。特に富裕層はこぞって日本のものを購入し、賞味しているといいます。先ごろベトナムの青年にも聞いたところ、彼の国でも余裕のある人は価格が少々高くても「日本」だそうです。これは現在の全TPP参加国でも同様でしょう。これが関税撤廃となったらどうでしょう。もしかしたら、現在国内で流通している安全で美味しいものは国外に流れ、国内での品薄を埋める形で外国の食品類が押し寄せてくるのではないでしょうか。たしかに値段は下がるでしょうが、はて日本人の評価基準に適合するでしょうか。かつてコメ不足に陥った際、緊急輸入したカリフォルニア産や、東南アジア産のお米(外米)を食べた人には、実感としてお分かりになるでしょう。少なくとも白米ご飯としては正直「参りました」。炒飯やドライカレー、リゾットなどにしてやっとという感じでした。

 これがコメに限らず農産物や魚介類にまで広がっていく「恐怖」。銘柄米が空を飛び、寿司店から本マグロが消え、美味しいホタテが行方知れずになり、霜降り牛肉に何か月もお目にかかれない日々。もちろん国内のお金持ちもガッバッテ押さえるでしょう。想像もしたくない食生活。それは確かに、いまでも高価な国産品は「目の保養」だけですけれど。

 「あんたらはこれ食べてなさい」
 来るんでしょうね、きっと。「貧乏人は麦を食え」社会。
 生産農家や漁民の方々は、国際食料品質競争に勝って、たぶん安泰だと思います。自信を持ちましょう!


 
にほんブログ村

. 消費税減税のミステリー


 マスコミが連日報道している消費税減税という政党間の「妙な」騒ぎ、流れをボーッと診ていたらなにやら裏に「シナリオ」があるような気がしてきた。
 そもそも税収が足らないから2017年4月から消費税を8%から10%への増税なのだった。これによる税収増の推定は14兆円。したがって掛ける網に当初は例外が無かった。ところが前回の選挙で与党公明党が庶民の負担を軽減するために食品などを8%に据え置くという公約をした。ここから例外の認否が両党の間で繰りひろげられた。自民党は当然財務省寄りなので抵抗したが、次の選挙、次の次の選挙と公明党の協力が不可欠なのでついには歩み寄る。そこで始まったのが網をどこまで外すかの議論、交渉だ。網外しに因る予定税収の減額は、「生鮮食料品」で3400億円、「加工食品」を加えれば1兆円となる(数字は日経新聞)、加工食品も飲料・菓子類を含めるか否かでもめたが「どっちも」で合意したようだ。さらに減税方法でもめるが、技術論なのでここでは触れない。

 はす斜めから見たとしても、ここまでは「低所得者」への配慮として、与党2党が「一所懸命」知恵を出し合っているという印象はあった。ところが「外食」も含めたらどうかと、何と自民党から動きが出たという。「ん?」となった。結局「金持ち優遇」と誤解されるとか、いわゆる「技術論」からの問題もあって「外食にも減税」は引っ込めた。もしも含めていたなら、推定1兆3000億円の減収だという。

 『ほんとうに消費税増税は必要なのか』
 不要論を唱える経済学者の言がよみがえってくる。詳しくは書店で本を探してもらうとして、1.5兆円前後で国政は右往左往しているが、安倍首相はインドへ飛んでさっさと1.5兆円の借款を約束してきている。『何だよ、お金、あるじゃんよぅ』が庶民感覚ではないか。
 この増税分は年金や社会保障等に使うと報じられている。その通りなら「目的税」で他の用途に使えないので少し嬉しいが、何年か前に財務官僚が言ったとされる名台詞を想い出した。「入った金は自由に使わせていただきたい」。さぁほんとのところ、どっちだ。
 自民党議員がどうせなら「外食も」的に動いた点に引っかかっている。
 はじめに「シナリオ」ありき、ではないかとの邪推だ。「本当は庶民のために食生活は全部ほっておいてあげたいんだよ」というメッセージだけは出しておこう、だったのかも。
 全て自民党の4段、5段構えの選挙戦略。「政府・与党の支持率アップで、さあ16年夏の選挙だ」とか。
 もともと景気後退下の増税って、かなりまずいと思うのだけれど。

 ・・・・こういう内容の記事が、そもそも「蛙声」(あせい: とるに足らない者の言う言葉)なのだ。


*********
 編集手帳 『岩漿24号』
 12月14日 佐木・小説『恋歌』及び「埋め草」2題、メール添付で受信。
 12月15日 椎葉・小説『夏つばき』の校正に関し深水委員と電話連絡。



にほんブログ村

. 里山にて、そこはかとなく


 大学病院から山荘に戻ってすぐ、兄と弁当を食べた。人里離れた場所で、人様が働いてつくった折詰を食べる。考えてみれば不思議なこと。スーパーな味がした。

 昼食後、体を動かしたくなって屋上に出た。熊手と竹箒をさがす。落葉樹林の中に在る山荘なので、陸屋根部分を掃除しようと思ったのだ。枯葉を落葉に変えたのは「むかわの風」、落葉をあたかも雪のように積み上げ、さらには掻き回して幾何模様を創ったのも同じ風。掃き落そうとすると葉っぱたちが、からかい半分に逃げ回った。これも「風」?
 大きな鳥に襲われたのか、ガラス戸にぶつかったのか、白と黒の「服」を着た小鳥が一羽死んでいた。別の場所には、もはや毛皮と化した小動物の骸(むくろ)。悪臭が鼻をついた。のどかな「空気」の中に潜んでいる、あまりにも自然な残酷。

 冬木立の向こうに八ヶ岳が見え、首を横に振れば甲斐駒ヶ岳が居た。どちらも淡雪を頂いている。景色の綺麗な所は生活が厳しい。・・・フッと笑いが出た。『景色の綺麗な女は性格が厳しい』。語呂が似ている。

 夕暮れを待つ所在無い自分。敷地内の小さな沢に降りて小橋にしゃがんだ。十数分は動かない。浅い流れを凝視する、何の意味もなさそうな時間。『いた!』。山女魚が水を弾いて消えた。三十年前と同じ「沢の水」だった。変わったのは、今もしゃがんでいる自分。

 夜、読書の後で炬燵に入ったまま眠ってしまった。真夜中に目覚めて小用に立つ。音をたてないように廊下を歩いていたら、老化がどんどん前の方に延びていくような気がした。歩いている自分が誰なのか不安になった。
 怖くなって立ち止まると「シィーン」と、静かさの音がした。


********
 編集手帳 『岩漿24号』
 12月12日 椎葉・小説『夏つばき』 精読と校正をする。 →結果を他の編集委員にメール添付で送る。



にほんブログ村

. 結果的に1週間の「ブログ休暇」


 帰宅後すぐに伊東図書館近くの立ち寄り湯(緑風園)に出掛けた。3時間半連続の運転でやや欝血気味の足を内湯でもみほぐし、伊東市街では珍しい青空天井の野天風呂に身を移して大岩を枕に寝そべった。野鳥が十数羽、何やら樹々の間を行きかいピーピーと騒ぎまくっている。一番近くに来たやつが、滝が造った水溜りで「行水」を始めた。名前は知らない。この前覚えた「イソヒヨドリ」クラスの立派な容姿をしている。せわしない性格なのか、羽でバシャバシャと水面を叩いて飛沫(しぶき)をあげている。のどかで、時間が止まっているような気がした。
 
 箱根の仕事、岩漿の20周年記念の会、仕事、仕事、山梨、山梨で6日間。こうして生まれた何も書けない、何も書かない「ブログ休暇」。この間も毎日のように訪れてくれた方々に感謝したい。私はこの結果を得て、今更ながらに気が付いた。私の場合、『ブログは心の余裕が書かせているのだ』と。・・・書きたいから書いているのだと思っていたのだが。

 左目の手術は緑内障と白内障、すでに視力を失っている右目の手術は眼圧の急上昇を停めるもの。12月9日の兄の退院は晴れ晴れとしたものになった。山梨大学医学部付属病院の方々に心から感謝したい。山荘に戻った兄は言う。「片目だけでも小さな活字が良く見えるよ」と。離れた場所を見るのは眼鏡をかければ済むから、と。
 立場の交換をしてみればわかる。全盲に向かう「恐怖」の大きさがどれほどのものか。
 
 山梨からの帰途、雪を頂いた大きな富士の全容を見て、すそ野の自動車道の路肩に停まった。車内でウエストバックからデジカメを取り出し、構えたまではよかったのだが、何と電池が切れていた。
 あのときの自嘲気味の大笑いは霊峰富士に届いただろうか。


********
 編集手帳 『岩漿24号』
 12月6日 岩漿文学会創立20周年記念の集い 伊東市『奥の坊』にて昼食会。中編小説組の進捗度分る。
 12月11日 椎葉・小説『夏つばき』メール添付で到着。ページ設定をする。

 
にほんブログ村

. 恐怖のカタルシス


 19歳の「少年」が父親を数回刺して殺してしまったニュース。なんとも悲惨でやりきれない想いに囚われる。何をやっても順調に行かなくて精神的に追い詰められている息子と、それを心配し、また情けなくも思い、繰り言のようについつい「責めてしまう」父親。恋人や肉親に対する衝動的な殺傷行為なら、1度刺した直後に正気に返って救済に走ることもできるだろう。また、それが普通の心理だと思う。狂ったように何度も刺すと言う心理、そして行為。そこには哀しいまでの何か、「カタルシス」を感じる。行為者の「自己救済」と分析できるかもしれない。かといって許される行為でないことには変わりはないのだが。
 本来「愛すべき」対象を自分の手で、自分の前から消し去る。それに「自己解放」と「無自覚な歓喜」があるという、この人間の不可解な恐ろしい部分に戦慄せざるを得ない。
 最近この種の犯行が、多いような気がする。報道機関が日に何度も、また何日も続けて扱うからかもしれないが、そのたびに目を瞑りたくなる。かみさんなどは「やだ視たくない、ほかに回して」と、チャンネルを変えるまで言い募る。ところが、どこに回しても同じ報道をしている。結局テレビを消すことになる。
 もしかしたらこれ、「行為者」の心理と同じ? 意味内容は違うけれど。
 激しく首を振る自分が、なぜか嬉しい。哀しさに包まれる自分に、きょうも安堵する。
 昨今の世の中、ほんとうに大丈夫か。


********
 編集手帳『岩漿24号』
 12月2日、小山会員の作品、編集作業全て終わる。本人の校正確認のメールあり。
 12月3日深水編集委員と電話で打ち合わせ。
 12月4日『岩漿23号』3冊、レターパックにて深水委員へ。

  
にほんブログ村

. タイトになったスケジュール


 勤務先の出勤要請が急増し、箱根、山梨の用事と『岩漿」の編集事務、応募小説まとめが重なってしまいました。岩漿文学会創設20周年記念の会もあります。日程がタイトになってしまいましたので、ブログ更新が疎らになると思います。とくに11月27日から12月16日までは。
 それでも時々は覗いてみてください。なんとか週3回は頑張ってみたいと思います(^^♪
 きょうは脱稿していた応募小説の最終見直しもしました。
 最近には珍しく「文芸三昧」でした。



 編集手帳 『岩漿24号』
 小山「老詩人と黒いゴム長靴』ページ設定と編集部校正。
 小山『境界線/侵略者』ページ設定。
 えびね『昨日のように朝が来て』ページ設定。
 小山『四行詩抄』ページ設定とファイル合併。
 上記四作品、著者本人に送信。確認へ。
 岩越・ひらた編集委員に校正・再校正依頼。埋め草2編執筆とファイル併合依頼とも。

**********
連載写真「道端あんじゃろか」
何の変哲もない道端の写真をご紹介しています。 

  彼岸花の葉っぱ
    わたし曼珠沙華の「葉っぱ」です、たぶん。 「最近自分が分らなくなってきました」




にほんブログ村
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR