蛙声爺の言葉の楽園

. 男の顔は本当に「履歴書」か


 ひと頃、『男の顔は履歴書』という言葉がもてはやされた。意味内容の解釈は人によってそれぞれだろうが、そんなに悪いものではなかった。また、こんな言葉もある。『男は年をとると魅力的になるのに、女はバァさんになる。不公平だわ』(デイー・ウォーレス)。今回、自分はその例外だと、鏡に「告知」された。どこぞの魔女が鏡に聞いたという童話の話ではない。

 所用で甲府市内のビジネスホテルに宿泊した時のことだ。バスルーム前に姿見、化粧台兼デスクの前に800×1000ミリほどの大鏡と、何と二つも容姿を映す立派な「道具」が配されていた。新築らしく極めて綺麗な部屋だったのだが、私はこの「鏡」に、したたか打ちのめされた。
 薄くなった頭頂部の髪。一年前には蟀谷(こめかみ)だけだった白髪が、いつのまにか頭全体にはびこっている。広くなった額(ひたい)、深くなった皺(しわ)、多くなったシミ。ちらりと覗く鼻毛もツートンカラーになりつつある。「イーッ」とやってみると、上下の歯がなぜか溶けて小さくなり、もはや「歯並び」の体(てい)を成していない。歯医者が診て狂喜乱舞しそうな「患者」になっている。口辺に縦皺が並ぶ、歯っ欠け「おちょぼ口」になる日も、そう遠くはない風情だ。
 これらを見つめている目も生気が無い。白目なのに黄味が目立ち、耀きを失っている。あの、侍(さむらい)然とした、一部の人からは「凛々しい」とまで評された目は、その面影すらない。この日に限って目ヤニが付いていないだけ、まだマシか。『履歴書』どころか目の前の男の顔は、「劣化の証明書」でしかない。

 比較的長い時間をかけたあとで、自分なりの結論を出した。
 「もうこの顔をぶら下げて会合に出るのは止そう。もちろんまだ、社会生活を続けている以上[できるだけ] が頭に付くけどな」
 もし春になっても新しい髪が芽生えてこなかったら、いっそ男の中の男「ユル・ブリンナー」にしよう。丸坊主にして、少し気の利いた帽子をかぶるプランだ。絵が好きなので本当はベレー帽がいいのだが、昔大久保某という連続殺人犯が愛用していたこともあり、いささかこれは人目を憚る。
 化粧台の鏡の隣に贅沢なほど「でかい」液晶テレビが居る。「この子」がニュース番組を放映していた。ちょうど年寄りの政治家の「先生方」が並んでいるシーン。いまの私の顔と似たり寄ったりなのだが、スーツを着ているので「劣化感」はある程度減殺(げんさい)されている。私はといえば、もうスーツを着る機会もない。
 仕方がないので帰ったら、DVDで『アナと雪の女王』を見直そうと決めた。『ありのぉままで(^^♪』いいよ、もう。そんな感じだ。第一ブログでとっくに蛙声『爺』って、カミングアウトしているし。


 用事を済ませて帰り記事を見直したら、肝心なことを描き忘れていることに気が付きました。
 顔の劣化とか老化とかもさることながら、「年を重ねているくせに自分は良い表情(味)を出せていない。それが哀しい」ということを表現したかったのでした。11:23


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. ブログお留守の4日間


 久しぶりに、かどうか定かではありませんが4日程「ブロクお留守」をしました。兄の手術の関係で山梨に飛んでいたのです。昨日の夜に帰宅して、今日は午前中のみ箱根で勤務、諸々済ませた後でパソコンの前、というわけです。
 記事らしい記事は明日以降ということで、今日は武田神社を中心にした写真を5枚アップします。手術前日、長い自由時間が生じた際に訪れた武田信玄ゆかりの社。和装の若い新郎新婦が境内を「独占」して記念撮影をしていたので、言わば個人的趣味に走った周辺部の「ボケ写真」で、かつ、今にも泣き出しそうな曇天でしたので、少しく冴えないところはご容赦ください。
 ちょっと「疲れ」も見える「キレ」の無さです。「風林火山」の幟(のぼり)にも後ろを向かれました。


  武田神社
  能舞台なのですが、「観客」はどこに座るのでしょう。おお能! 佇んで数分考えました


  舞台横
   鏡板を撮らないで能舞台を横からとは。無知? いえ、人が写らないよう配慮していたら


  水汲み
    面白いと思ったのですが、背景がゴチャついてしまいました。水に流して・・・


  石垣と旗
    石垣的には左側が良かったのですが「風林火山」が多すぎて。旗迷惑なこと 


 24日の往路、乙女峠の下りでは富士山も見えたほどの天気だったのですが。弁解と愚痴に満ちたフォト紹介でした。

  富士道路

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. 爺パンデカの叫び「なんだこりゃーあ」


 のっけから引用は当然文章のタブーですけど、この記事の性質上やむを得ないと踏んだのでご容赦ください。
 『高校全入だの、大学全入だの、そんなことになったら、それはもはや「高等」学校でもなければ「大」学でもないのであって、すでに全入に近いような異常な進学率が、さらに上昇するということは、教育の貧困、とりもなおさず文化の低下に他ならない』(ヤン・デンマン:名編集長の故斎藤十一の『週刊新潮』コラム担当名。複数人担当説もある)
 この週刊誌のコラムは数十年も前のものです。いまの日本はまさに、事実上この通りになっています。しかも高校は無償でしょう。原因としては個人の問題だけではなく、教育予算増、少子化、学問の多様化、世相の変化など教育環境の変化があります。そうなのでしょうが、「時代だよね」とつぶやき、羨ましいやら情けないやら、すでに死語になりつつある「苦学」時代を複雑な気持ちで振り返っている私です。
 「質」を指摘したデンマンへの応えになるかはわかりませんが、分数計算のできない理数系の学生がいるとか、およそ文章を書けない文科系の猛者がいるという報道に接すると、「失礼な予想だ」とも言えないようですね。

 こうなると「大学出」のランク付けの鮮明化と激化が採用者側に起ってきます。大学そのものがA・B・C・・・と枠として区別され、なんでも「就職戦線」での「面接・採用基準」として定着しているとか。そうなれば、昔からありましたが「いい高校、大学へ」の競争もより先鋭化してきます。昨今の家庭教師・予備校・学習塾が全国規模で展開され、それらの会社は何と証券取引所一部上場会社にまで。つまり「優良企業」なのです。まさに「びっくり、ぽん」です。
 その人気株を買って、配当金を頂戴し、「クオカード」で今期「優待」をゲットした私の「C調」加減はどうでしょう(^^♪

 一方では「漫画なんか読むんじゃありません、勉強しなさい」と親から激高された時代は「終わり」、コミック、アニメやそれらの亜種といっていいのかコスプレ、ゆるキャラは大流行。その勢いは止まらず、欧米はもとより途上国にまで「拡散」したとか。それらの、ゆるくて温かい文化が、これまた何と「クールジャパン」の一翼を担っているとのこと。
 もう、何がいいんだか、悪いんだか、どうなっているんだか。「なんだこりゃ―あ」ですね。
 ではまた。 


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連載写真『道端あんじゃろか』 
なんの変哲もない道端写真をご紹介します。

   塀1
       ブロック塀が語る「秋」  塀曰く: 「おツタ、お前を抱いてて良かった」

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 編集手帳 『岩漿24号』
 深水編集委員に、短文系入力済み原稿を全てプリントアウトし、レターパックで郵送。
 桜井『シベリアに抑留された伊豆の作家』ページ設定。
 橘『映画オタク』ページ設定と校正。


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. 最悪の予想で「臆病」に 拙劣な嫌疑で「容疑者」に


 今日も黄昏時がやってきました。
 パソコンの前で少し背中を真っ直ぐにすると、サッシ戸の向こうに山の端。橙色と薄墨色の筋雲が仲良く並んでいます。

 きのう写真家志望だった旧友の記事と彼が撮った「田園と子供たち」の写真を2枚、ブログにアップしました。数時間後同人仲間から、十数年前の写真でも子どもの顔が写っているのでプライバシー保護の見地から止めた方がいいとの忠告を頂戴し、すぐに「削除」しました。最悪の事態を想定して心配してくれたようです。
 それから丸一日、心がどんよりしています。
 なんと窮屈な、不安に満ちた世の中になってしまったのでしょう。 

 お聞きします。たとえばあなたは、
 道に迷ったとき、通りすがりの小学生ぐらいの女の子に道を聞けますか。
 「おじさん、せなかにドロついてる」と小さな子に教えられ「ありがとう」と頭を撫でられますか。
 ブログやフェイスブックに自分の写真を公開できますか。
 夜、車で山中を走っていて大男が一人車を停めて「助け」を求めているときに、応じて車の外に出ていけますか。
 早朝薄暗い道路上に散歩中らしい老女がうずくまった。ぐわいが悪そうだと感じたときに体に触れて「看護」できますか。
 激しいにわか雨です。地続きの隣家の人が留守の場合、洗濯物を緊急に取り込んであげることが出来ますか。
 きりがないので止めますが、感謝が感謝の行為として見られない。いいと思っても悪用を恐れて代替手段で処理するか、回避する。善意が曲解され善意にならない。ふつうの日常の人間関係がうとんじられる。

 たしか警察の常識に「第一発見者を疑え」というのがありましたね。これ、捜査上では当然なのですが、これでは誰も通報したがりませんよね。人のことで面倒をかかえこむのは、それでなくともつらいのに。小さな子が帰れなくなって困っているのを我が家に入れて食事も与え、手がかりを捜したけどだめで、困って警察に連絡したというとき。保護なのか、これなら美談。幼児誘拐ないし監禁なのか、これなら犯罪。みなさんならどっちの解釈を真っ先に採りますか。
 
 昔は、お互いにといいますか、人間関係をといいますか、もっと信じていましたよね。
 たしかに、パソコンもケータイも、その他もろもろの便利なグッズはなかったけれど。
 なぜか、この一日、ずっと寂しい気持ちでいました。
 あ、もう外は真っ暗ですね。それでは。 



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 編集手帳 『岩漿24号』
 馬場『追悼・森山俊英先生』完。岩越・平田委員に校正依頼。
 日吉『老いの悲しみ』入力終わる。校正につき同上。


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. 若き日の妄想花


 『妄想花』

「あれは何て花?」
「れんぎょうよ」
逆光があなたの髪に遊びます
言葉は唇許(くちもと)から五線譜に。そのまま、そのまま
「あの白くて、ごちゃごちゃした、ちいさいのは?」
「ユキヤナギっていうの」
「じゃ丸くて、白くて、ほらあれは?」
「・・・コデマリ」
「じぁあ」
「待って! 何か知ってる花ないの」
「え、ああ、モモ、サクラ、ウメ――」
「やだ、みんな食べられる」
「はははは・・あれは知ってるかも、サクラと梅の合いの子だろ?」
「どれさぁ、あー、カイドウなの、あれ」
土塀に影が並びます
あ、影だけ一つになりました
「なーんにも、知らないんだから」
――知らないからやっと、話が続いてるって、知ってるのかな

シュンとして、だまりそうな、古都の道

 
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 『詩はでっちあげるものだ』 (ヴァレリー) 


 

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. 自分の知っている「形」でしかとらえることができない


 『人間の目は、物事を自分の知っている形でしかとらえることができない』
 フランスの思想家モンテーニュの言葉です。
 私はなぜか、「目」を「心」に置き換えてみたくなりました。
 「人間の心は、物事を自分の知っている形でしかとらえることができない」と。

終着駅
      小さくても終着駅。それが始発駅でもあることを人は、どうしても忘れがち。

 いままでに、自分の未熟な「心」で、何人の友を遠ざけたでしょう。
 その傲慢な「おもいやり」で、どれほど人を傷つけたでしょう。

 それを十分省みたうえで、いままた沢山の人たちから離れようとする、自分がいる。
 そうしなければ生きていけない、「老い」という小さな「心」のゆえに。

 縮こまった「心」で大きなものを見る術を、誰か、教えてください。



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編集手帳 『岩漿24号』
  深水『てつびん』平田委員とメール協議。校正完了。
  流流子の短編3作を併合掲載する方針、固める。再入力が必要になる。 



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. 伊豆の秋を求めて、戯言を添え


  ito 059
   池に浮かぶ菊花の筏。「松」のは、あまたの「鯉」か、「水面」揺れる。


  木漏れ日
   『この道より我を生かす道なし。この道を歩く』(実篤) 陰日向は人の道に不可避なれば。


  黄紅葉
   赤ありて黄色活き。黄色ありて赤も映え。ただ日差しの力、さらに上なり。


  プラタナス
   揃って育ち共に萌え、時を同じくして色づき落ちるの、くり返し。「一緒に」の美、極まれり。


  ポプラ
   まだ遥かに遠い「空」。さらに高さに比して幅のなき、あたかも人の青春の如し。



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. とりとめもなく、日曜日に


 私の勘違いに気付いて日曜日は始まった。
 エコール・ド・パリの画家藤田嗣治(つぐはる)を描いた映画『FOUJITA』を観に行こうとかみさんを誘っていたのだが、何とまだ上映されていなかったのだ。中谷美紀ファンとしては必見と意気込んでいたのに。

 やむなく昨日の日経新聞で「経済」に触れた。株をやる人にとっては「何をいまさら」だと思うが、たまたまこの銘柄は私の対象外だったので、やっと「確認」したというところか。「天下の」と敢えて言うが「東芝」(6502)が『特設注意』銘柄として1社のみで括られていた。不名誉極まりないポストだ。金曜日の終値は295.2円。ネット解説に依ればこれは、不正会計発覚時に比し40%の株価下落になるのだとか。さらにこの下落に因る損害の賠償請求を個人株主70人から集団提訴されている由、目を覆うばかりの「凋落」ぶりではないか。ふと、想い出したのは「メザシの土光さん」だった。かつて東芝が傾きかけたときに、当時のIHI(石川島播磨重工)にいた土光敏夫が乞われて経営トップに座り、建て直しに貢献したという話だ。言ってみれば準国家ともいえる巨艦企業がなぜ何度も傾くのか。何代にもわたる社長が犯したとされる過ちの源をたどれば「保身」に突き当たると言う。何と「個人の保身」?
 
 落ちた経営者の質、企業理念の欠落・・・最近叩かれているのは殆んど「著名企業」ないし「大手」だ。
 『杭打ち業界、改ざんの連鎖』。そう、「旭化成建材」、「ジャパンパイル」も似たり寄ったりだった。建築業界の現場常識らしい。さらにはその以前から「罪」に問われている車の不良エアバック問題の「タカタ」。免震ゴム、防振ゴムで性能を改ざんした「東洋ゴム工業」。当用漢字に無いので公共機関は「改ざん」とひらがなを当てるが、この「ざん」の漢字は「竄」、穴の下にネズミだ。 生じている事態の本質を突くものがある。こうみてくると「もう中国をわらえない」気がしてくるのは私だけだろうか。

 事件が発覚すると必ずと言っていいほど、担当者個人に「責任」を負わせて非難を最小限にしようと企図するところも同じだ。お詫び会見の口調が「第三者」的になるのですぐ分かる。「上」や「経営者」の指示ないし承認無しには不可能な「不正」までもだ。これは何なのだろう。多くの場合現場の社員たちは、「社風」に逆らっては身を保ち経済生活を維持することができない。すなわち「期待可能性」が極めて低いと知るべきだろう。では誰の「責任」か。推して知るべしとは言えまいか。
 世の中の、何かが可笑しくなっている。そんな気がする。

 映画鑑賞がなくなったので、長い日曜日になりそうだった。
 同人誌『岩漿24号』の原稿を校正した。文章にも体があり、心がある。『文は人なり』を再確認した。

 「あ、そうだ」ともう少しで全編を観おわるDVDの『龍馬伝』にも「映画ロス」状態を助けてもらった。
 このドラマについては改めて記事にしたいと思っているが、ここでは一つだけ記したい。私欲が無く、常に先を見通し、「日本」という大きなものを考えていた坂本龍馬がなぜ暗殺されなければならなかったのか。それは周囲のほとんど全ての者がこれと反対の、私欲に満ち、いまだけを見つめ、自分が現在する領域のことのみを考えていたからだと言えるだろう。彼は日本中の武士の嫉妬や怨嗟の対象になったのである。不幸なことだが、暗殺は起こるべくして起こってしまったと言える。
 私はここで一つの言葉を想起した。『およそ他人(ひと)の想うことは止められない』 

 午後遅く、部屋の中で負荷をかけた筋肉トレーニングをした。
 この負荷をかける道具が「自慢」だ。白菜漬けに使う5キログラムの白い「リスの重石」なのだ。なぜ「リス」なのかは知らない。銘板をみると、内容物はコンクリートだった。飽きずに続けるなら「コンキリート」の方が良かったかもしれない。
 この後の入浴剤は、「ゆず」にした。べつに意味はないのだが。
 「あーあ、長かった」


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. ランキング割り振り変えました


 「あれっ」と思われる方がいらっしゃるといけないので、あえて記事にしました。
 蛙声爺は「にほんブログ村」のランキングに参加しています。カテゴリと割り振りは、「映画評論・レビュー」が60%、「がんばるシニア」が40パーセントでした。今回はその割合を自分の「実際の記事」内容の割合に近づけたのです。
 姪っ子とも話し合ったのですが、「映画評論・レビュー」は、時間をかけて、工夫もして、何とかその映画の良さを「表現」しようとしても、観ていない人の心には響きにくいんです。加えて、難聴が進行するにつれて、家庭内でのDVD鑑賞も📺ドラマの視聴も控えるようになりました。と、いうわけで爺は爺らしく「シニア」の世界から、なるべく広い読者に発信しようと考えなおしました。
 「それでも時には映画について書きたいし、書いたら映画ファンに読んでもらいたいし」で、30パーセントを残したのです。
 300回超えのリニューアルでカテゴリ「小説」も視野に入れましたが、自分のしたいことに合致する細分「カテゴリ」がありませんでした。これが「事情」の全てです。


     ホウの木と飛行機雲
      秋の空から枝に落ちてくる、飛んでもない虫、ヒコーキグモ。

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 編集手帳 『岩漿24号』
 到着原稿 日吉・エッセイ『老いの悲しみ』、手書き原稿の入力に着手する。
        流流子・エッセイ『今』『作家』『書く、描く』の3作、校正に着手する。
 平田編集部員から、歌集『媼空蝉」のルビを増やす提案がくる。作者の了解を前提に賛成する。


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. この小鳥、脳震盪でも起こしたかな

 
 山梨から帰った翌日の出勤日のこと。業者さんの見積り下検分の事前確認のため、中庭に出るガラスのドアを開けて外に出たんです。すると、足元に小さなものが丸まっているではありませんか。「ん?」と良く見ると、何と野鳥。「おい、どうした」と顔を覗き込んでも、微動だにしません。「立ったままの最期は弁慶だけにしてくれよな」と、羽の付け根にあたるから「肩」と言っていいのかどうか、ま、とりあえず肩を、右の人差し指でチョンチョンと突いてみたんです。「もしもし?」という、あの感じです。ところが小鳥は1回目をパチクリさせたあとも、動かないまま。雀とは色が違います。大きさは同じぐらいですね。
 「捕まっちまうじゃねーか、おい」と再び人差し指で肩をチョンチョン。
 「だめだ、この子、半分気を失ってる」と立ち上がった私。
 「さてと仕事、仕事」と現場を離れ5分ほどして戻ると、ハッとしたかのように飛び立ち小鳥は、近くの庭木の小枝にとまりました。
 「名前ぐらい言っていけ」と笑ったものです。たぶんガラスにぶつかって軽い「脳しんとう」が起こったのでしょう。
 ちいさなことですが、生きた野鳥の肩を「叩ける」なんて、たぶん一生のうちに1度あるかないかの「事件」じゃないでしょうか。
 以前、ちょうど反対側のガラスですが、同じ場所で番(つがい)の小鳥のうちの1羽がぶつかって死に、もう1羽の小鳥が去らずにずっと傍にいたという記事を書きました。フロントの女性が大きな鷲の絵をガラスに貼って、「激突事故防止」を図ったのですが、今回はそちら側ではなかったのでした。
 ま、「結果」は何よりでした。


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. 秋色の里山


 11月10日から3日間山梨県北杜市の里山に出掛けていて、「ブログルス」をしていました。とりあえず5枚の写真をアップします。

 車と雑木林
   車止め。ここからの先の100mは熊、猪、猿、鹿、兎に遭えるかもしれない山道。

 岩と苔
   コケ(苔)にされても意志(石)は強固。彼は(枯葉)笑って「葉、葉、葉・・・」


 雑木林1
   下草無しの雑木林。赤や黄色の落ちない葉を横目に、早々と舞う褐色の葉潔し。


 沢
    昔産卵のために山女魚が遡上してきた沢。今は日差しだけが跳ねている。

 
 雑木林2
   足音が聞こえる、背後にあなたの。いえ、それは舞いながら落ちる枯葉のつぶやき。
 



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. いよいよ記事300回

 ようやく記事執筆300回になりました。感慨無量です。
  テンプレートが何たるかをはじめ何も分らず、おずおずと書き始めたブログ。山奥の庵でひとり書に遊ぶ感覚でした。「色気」ゼロでモノクロームのページが150回ぐらい続いたでしょうか。「FC2ランキング」にも参加せず、「ブログ村」にも入らず、数人の、親しい限られた人だけが覗いてくれる程度のブログでした。
 それでも、自分の文章感覚を維持、向上させることを目標に、「少しはまともな記事に」と片意地を張って、書きつづけていたものです。

 兄の再三の勧めで、テンプレートを借りて色彩が入り、「ブログ村」のシニアに参加して「世界」を広げたのは極最近。ランキングカウンターの設置にいたっては、今年の9月26日でした。現在皆さんがご覧になる数値は1か月とちょっとの間のものです。この間の訪問者数は1日平均15人。以前記事にしましたカウントされない方々の数は、もちろん不明です。
 コメントで広がった交流は大きな励みであり、また「勉強」そのものでした。
 昔捨ててしまった絵やイラストの世界の端っこに身を置けたのも、楽しくて幸せでした。

 ブログ交流の「副産物」として、「Facebook」や「Twitter」に登録することになりましたが、こちらは殆んど意味が分かっていません。コメントを入れる必要から、相手のページの求めに応じたというのが「真相」なのです。
 300回を超えて自分のブログに何が生まれるか、自分が何を産めるか。いまはそれが問われている。
 そんなことを想っています。

 読者の皆さん、「commentator」の方々、ありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。


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. 大きな湖に笹舟

 4日に上場された日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社。当日は箱根のバイトで「郵政祭り」の賑わいすら知りませんでした。「かんたんに買えないものだ」とすら想っていましたし。

 明けて5日、一気に100円、200円と3社株は相次いで上昇しましたが、素人の私の予想はみごとに外れ、いわば「その程度で」上昇は止まりました。印象は「へーぇ」でしたが、高額になったかんぽ生命以外の2社につき100株ずつ「カイ」ました。いとも簡単にというのが不安でしたが。郵貯には口座がありましたし、娘のだんなは郵便局勤務なので、「持ちたいな」と思っていましたので、「ゲット」は何となく嬉しかったものです。動機が主婦みたいで気が引けますが。
 それにしても桁がちがいますね、この株式。売買回数は22万回/日に及んだと書いてありました。時価総額など、コンマが多くて天文学的です。上の方のコンマを読み違えると億単位で「把握」が狂ってしまいます。

 さらに明けて6日金曜日、のっけから下がってのスタート。「ふーん、利確に走ったか、案外セコイな」。一般投資家が多いというところから、とりあえず「儲け」を確保、なのでしょう。なにせ100株持っていたら、たった一日で労せずして2万円の儲けなのですから。というより、「思ったより高騰しなかった」という落胆の表明なのでしょうか。だからとりあえず利益確定へ。またまた主婦的?
 しかしです、これも初日や翌日の初めにかけて例えば1万株買い集めた人ならどうでしょう。1日未満で200万円の利益なのです。日本には年収200万円以下の人も多いのです、真面目に汗水流して働くの、嫌になりませんか。
 ネットによれば、日本郵政とかんぽ生命が4%、ゆうちょが3%の下落。専門家はこれを「小反落」と評していました。

 それはさておき、最小単位の株主の爺は、いわば「大湖に浮かんだ枯葉」、良くて「笹舟」。
 ゴミ同然なので、ユラリゆらりと揺れて楽しみましょう。ながぁーく持っていましょう!
 なんといっても、「世界最大の金融機関ゆうちょ」の株主なんですから(^-^)/ 
 ・・・「主婦」どころか「こども」みたいヽ( ´_`)丿

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. この「奇」何の気、気になる奇

 サァーッとカーテンを開けたら真っ青で冷たい空。青と言えば今度借りた爺のテンプレートもかなりの「青」。英語で「I'm blue」なら「私、ユーウツなの」。のっけから脳の歯車カチ割れな感じですが、最近「うん?」と思うことを、壊れながらも羅列してみたいと思います。爺にしては飛んでいます。

 ハロウィンとやらはカボチャですが、すでに商戦が始まったクリスマスと言えばケーキ。いつもケーキ屋の店先を通るときに心配することがあります。生ものが「ウリ」のケーキが売れ残ったら、どうなるのだろうかと。お店の関係者で食べる? それにしては超肥満の店員さんはついぞ見ないし。福祉施設に寄贈? 血糖値高くしちゃだめでしょうね、とくに介護施設。はて・・・ヽ( ´_`)丿
 こう考えると「予約のクリスマスケーキ」、実は凄いアイデアだと思いません? 

 コンビニで買い物をしてレジでいつも思うこと。「なぜ店員さんは、レシートを渡そうとするのかしないのか、妙なためらいをするんだろう」。たぶん「いらない」と言って受け取らない客がかなりいるからでしょう。それにしても不審な行動に映るわけです。レジの近くに「レシートの要らない方はここに」と書いて、手作りの小箱を置いていたコンビニがありましたが、こっちの方がエレガントです。最初、税でもごまかせるのかななどと、不謹慎な憶測をしたものです、ハイ。

 次はテレビでやっている家電の通販です。これを買うと何とこれも付けます、あれも付けますと得意顔。それでも儲かるなら、付けないでもいいから、買いたいものをもっと安くして、と想いませんか。いまから何時間以内に申し込んだ方には何と、もう1袋付けますなんて商法も同じです。それでも通販会社の電話は鳴りっぱなしとか。もちろん抗議ではなくて(´・Д・)」

 テレビと言えば、化粧品のコマーシャル。すっぴんでも綺麗そうな女優さんを使って「誘惑」していますが、あれは「ズル」です。さらに美容のプロが寄ってたかって創り上げた女優さんの顔の超綺麗なこと。男から見ると「ふざけるな」ですよね。「失礼。ただいま不適切な言葉を吐きました」

 値付けの不思議となると、野菜や果物も「??」です。相当昔の話で恐縮ですが、70円で仕入れたスイカが900円ぐらいになるそうな。理由は売れ残った場合の損失回避でした、「商い」ですから。ドライブ中かなんかでスイカ畑を見つけたら「おじさん、これ売って」と大きなスイカを指さしてごらんなさい。嘘みたいに安く「買えます」から。若くて綺麗な女性なら、「いいよ、持っていきな」もありです。この場合最初から「チョーダイ」と言わないのがコツです。「おいしそう」と付け加えるのを忘れないで、どうぞ(^-^)/

 ちょっと尾籠(びろう)な話ですが、おっとこの「びろう」、もしかしたら死語ですよね、どっちかというと「不潔な」とか「エッチな」とか、そういう感じで使われるようです。お尻の毛、邪魔だと思いませんか。拭きにくいという理由で。昔から何とかならないものかと思っていましたが、紙は見捨てずTOTO解決策を与えてくれました、ウォシュレットの登場です。温水洗浄便座は、いまをときめくどこぞの国の「爆買い」の中でもトップクラスのターゲットだそうな。もめてる同士で「尻り合い」になれたという、オチですかねぇ。(。>ω<。)ノ

 家の近所に某「靴センター」さんがあるのですが、しょっちゅう「閉店セール」をやっています。悪びれもせず、いっこうに店を閉める気配がありません。「開店」「改装」「決算」などはどこでも「セールの頭」にしますが、「閉店」は言葉からしても1回ですよね( ̄^ ̄)ゞ 商いは「あきないで」、はい、恐れ入りました。

 最後にレンタルビデオ屋さんが、人気ありと見込んで棚に沢山並べた新作映画のDVD、ついには1,2枚にまで減るのですが、あとのDVDの行先はどこなんでしょうか。アマゾンあたりに流すのでしょうか。
 知っていたらおしえてください。



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. 35年前のノートの中にまだ生きていた言葉

 『あるべき自分と、いま在る自分との食い違い。それがお前にいらだちをもたらす。いま在る自分をそのまま受け容れるか、さもなければ、あるべき自分に向かって、先ず一歩を踏み出すことだ。歩んでいれば或る日お前は、自分の中にいらだちが棲(す)んでいないことに気付くだろう。
 自分の中に「自分だけ」というのは哀しい。人の間(はざま)に生きて、はじめてお前が活きるのだから。
 他人(ひと)の非を一つ赦すこと、それは自分を一つ鞭打つのと同じだろう。しかしそれによって鍛えられるのはきっと、赦すことができたお前だ。
 他人の打擲(ちょうちゃく)に耐えること、それは消極的な忍従ではない。自分の心の核心部分に対する信頼を、外部に向けてはっきりと示すことなのだ』

 背がボロボロになり一部醤油色になったノートは、なんと35年前の大学ノートだった。
 当時の自分に何があったのか、どんな気持ちでこれを綴ったのか。
 何一つ思い出せない。
 「歳月は名医」だという。ならば私は確かに彼を主治医にしていた患者だったと言える。
 でも、だ。長年生きてきた老人ならば口にするだろう。「誰でもそうだよ」と。だからこそこうして、白くなり、細くなり、脆くなり、・・・それでも一つだけは、ほどよく丸くなれたのだと。

 叱られるかもしれないが最後に、柴田翔の小説『されどわれらが日々―』の一節を引用させてもらおう。
 『年をとってから、若い時のことを想い出して、それだけ幸福になれるとは限らないと思うよ。想い出さない方が幸福な若い時だってある。それから逃れて漸く老いてきたっていうのに』


葬
   15年も前、「葬る」に積極的な意味があることをこの寺で知った



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. 発想の転換について、つれづれなるままに

 このところ合間を見て、NHK大河ドラマ『龍馬伝』をDVDで少しずつ鑑賞している。昨日は箱根でバイトをしていたので一昨日に、なのだが、ちょうど坂本龍馬と武市半平太が袂を分かつ場面に出くわした。まだ確たる自信がないまでも「土佐藩」という枠組みに縛られず「日本」という全体を考え出した龍馬と、藩内で従来の藩政の仕組みを通じて「攘夷」運動を実現しようと考えていた半平太との「相違」が面白かった。半平太は「白札(しらふだ)」、龍馬は「郷士(ごうし)」でいずれも、直接に藩政にタッチできる上士(じょうし・山内家恩顧の武士)ではなく、下士(かし・旧長曾我部家の家臣)である。
 この回のラストは象徴的で、参政吉田東洋暗殺を指示しこれを果たす半平太に対し、龍馬は大きく羽ばたくために脱藩し単身長州に向かう。

 半平太は暗殺の首謀者であることをひたすら隠し、一時は重用されるが、京では岡田以蔵などを使って「反対派」を惨殺し、さいごには土佐藩主山内容堂の逆鱗に触れて死を迎える。秀逸な人財だった彼は「暗殺」というダークサイドのために「志」を歪めてしまったと言えるかもしれない。自らは暗殺されてしまったものの、終世人を殺さなかった龍馬との差は大きい。龍馬は北辰一刀流の免許皆伝であったのに、である。大きな「仕事」を成すものは「明るく」なくてはならないのだ。

 ちなみに(今回の記事はつれづれなので、あちこちと飛ぶ)龍馬を演じた俳優は多いが、爺の好みは上川隆也だ。今回の福山雅治は2番目になる。萬屋錦之助は年齢的にも容貌的にも無理があったし、武田鉄矢ではイメージが違い過ぎる。真摯・学ぶ・明るい・優しい・無欲、これらがドラマの中の龍馬を表す言葉だといえるだろう。
 半平太との対比では、「発想の転換」という点が大事だと思う。「いま」を凝視した半平太と「さき」を見据えた龍馬の違いも、ここから生じているのである。
 長州征伐で反目した薩摩と長州を繋ぐのに、互いに不足している物を交換し補いあうという「経済」からのアプローチをするなど、当時の武士の誰が発想できるだろう。もともとが商家だったという坂本家のDNAなのかもしれないが。

 1970年前後に『水平思考』という言葉が流行った。ある問題を解決するのに斬新な発想を生み出すことが出来る思考法で、デボノという外国の学者の提唱だった。論理的な思考や伝統的な分析法からは生まれそうもない局面で有効である。龍馬の「海洋学問の師」勝海舟もこの思考法が多い。もちろん小説に依ればだが。

 長州といえば、思い出すのが高杉晋作。この人の組織した「奇兵隊」なるものは発想的にも凄い。武士だけではなく、農民、商人、相撲取りまで一緒くたに集めた軍隊は、士農工商みな平等という、のちの「四民平等」の考えの魁(さきがけ)ともいえるからだ。
組織する目的が何なのかを、強烈に意識していないと実現できるものではない。

 「発想の転換」を織田信長に求めよう。天下無敵と言われた甲斐は武田の馬上軍団を、家康軍と共同で迎え討ったいわゆる「長篠(ながしの)の戦」がそれである。馬を通させない長柵を造り、その狭間から無数の鉄砲で撃ち続ける。当時としてはタブーの「馬を射よ」も難なく実行させている。これもまた戦の真の目的が何なのかを明確に意識しているからできたのだ。「やーやー、我こそはぁ!」の時代は終焉を迎えた。

 西軍にのほほんと付いてしまった関が原での島津軍も、東軍に歴史的惨敗を喫し命からがら薩摩に戻ってからが凄かった。徳川に敗北したのではない、「情報」の無さが過ちを産んだのだと分析したのだ。これはなみの発想ではない。のち薩摩藩は、100年以上もかけて天下の情報収集につとめ、一方で自国の秘密保護にも力を入れた。江戸幕府の隠密など他国の侵入者は絶対に薩摩から出られないところから「薩摩飛脚」と呼ばれたという。

 書いているうちに所期の方針と違って「時代もの」ばかりになってしまった。

 太陽が地球の周りを回っているのではなく。地球が回っているのだと唱えた人。あらためて素晴らしいと思う。
 この1行でお許しを。


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蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
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