蛙声爺の言葉の楽園

. 真に先生と呼べる人

 学ぼうとする人や頑張る人に対して特に優しい「先生」だったのではないか。反対に戦争を憎み、権力の横暴や社会の矛盾に対しては鋭い目で批判する。それを「左」というなら左で結構と、森山俊英氏はそういう人だと感じた。

 「出会い」は先生から拙宅への電話に始まる。『岩漿2号』の奥付を見て番号を知ったようだ。初対面なのに、その日のうちに地元のサガミヤ書店と豆州新聞社を直接に紹介してくれた。その後も先生の紹介施設は増え、さらには執筆会員まで、とご厚意は続いた。「伊東に同人誌が生まれても、残念なことになかなか続かなくてね」。当初の支援の動機は郷土愛だった。
 何を隠そう、このときの先生の応援が無ければ、我が『岩漿』も、文字通り「3号雑誌」で終わっていただろう。創刊20周年記念の『岩漿24号』発行を前に亡くなられたが、「よくがっんばったね」と褒めてくれる気がしてならない。
 ちょうどこのころ先生は、准看護学院で教鞭をとり、1年35時間の「一般教養・歴史」を担当していたようだ。当時の生徒と先生のやり取りがネットにあったのでご紹介したい。今回のブログタイトルはこれを読んでから付けた。

東豆社会科ネットワークサークル・ゆい

 先生から見れば、私も文芸面での「生徒」だったのではないか。
 8年ほど前、伊東が観光を主幹産業にしていながら市議会に旅館・ホテル関係者が一人もいないことに矛盾を感じ、市議会議員選挙に立とうとしたことがある。きっと何かに憑かれていたのだろう。幸い立候補届出前に理性が働き、取りやめている。そのとき先生から、「考え直して正解」という意(いい)の、長文の「指南書」が届いた。恐縮しながらも嬉しかったのを憶えている。やはり私は「生徒」だった。

 
 『豆州歴史通信』は先生の偉大な業績だと思う。 完全な手作りで何の掣肘も受けずに研究を発表している。400号を目指しての「森山俊英先生を励ます会」(2006年10月28日・伊東市はるひら丸)には私も参加したが、この催しを報じた11月3日の伊豆新聞によれば、この時点で『377号を配布済み』とある。『元気なうちは発行し続けていきたい』が当日のコメントとして残っている。
 この何年か後、山平旅館で開催した岩漿文学会の会合でお顔を拝見したときを最後に、会の催しからは退かれた。4冊の日本史資料本を頂戴したそのときの印象では理由は「健康面」かなと、推察をした。それでも2009年の『岩漿』には意欲的な『二・二六事件と伊豆』を発表している。
 2012年のコミカルなエッセイ『おしっこ放浪記』が、『岩漿』における最後の発表になった。 

 手元にある先生著の『続続わかりやすい伊東の歴史物語・近世編』(1990年)の著者紹介欄に拠れば、1930年生まれで、明大日本史卒、立命館大学院日本史科中退。北海道公立高校教諭を経て、伊東市公立中学(宇佐美中)教諭」。上記『豆州歴史通信』は、退職後に執筆し始めたとみられている。著書には上記著作の前2作として、『わかりやすい伊東の歴史物語・古代から中世まで』(1986年)、及び『続わかりやすい伊東の歴史物語・中世』(1987年 )がある。研究論文は多数。
 2015年8月14日逝去。86歳。ご冥福を祈りたい。
 

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. 映画のカタログ

 兄から譲り受けた映画のカタログを、化学の雑巾「サッサ」を使ってクリーニングして、1箱の中に収納した。所要2時間、総計101冊に及んだ。最近はシネコン(複合映画館)に行っても売っていないが、一昔前まではロードショーといえば、このカタログ購入はコレクターやフィルムマニアの「必須行動」だったような気がする。行って観て自慢、帰って見せて得意、という段取りだ。逆にそういうミーハーでないのが映画マニアという主張もあった。雑誌『ロードショー』や『映画ファン』を買うのがミーハーで、『キネマ旬報』の購読者がマニアというのと大差ない「カテゴリー態度」なのだが、思い起こせばひたすら懐かしい「議論」ではある。

  映画のカタログ

 とても全部は並べられないので、大分写真のボリュームも落ちたが、『聖職の碑(いしぶみ)』、『天平の甍(いらか)』、『砂の器』、『楢山節考』等々、懐かしい邦画ものが次々と出てきた。それでも15冊程度で、あとは洋画のカタログだった。兄はどうやら洋画ファンだったようだ。35年以上も前、兄弟で「年に100本」 ほどレンタルで映画を鑑賞していた時期があった。当時はデジタル・ビデオ・ディスク(DVD)は無く、大型で丸い形のビジュアル・ハード・ディスク(VHD)だったような気がする。何分にも高齢なので、遠い記憶は定かではない。
 22歳ぐらいの時だったか、徹夜バイトで学生の映画オタクと一緒になった。その彼が穿(うが)ったことを言っていたのでご紹介しよう。「映画は観始めると癖になって止まらなくなるのに、しばらくお留守をしているとあんまり興味がなくなってくる。これってセックスに似てるよなぁ」。当時は『知るか、バカ』と、腹の中で「反発」したのを憶えている。

 話を戻して。シネコンは新作7-8本の映画を同館内で上映しているわけで、カタログ販売が消えていった理由(わけ)が分るような気がする。私は仕方がないので、月刊の『TSUTAYA CLUB MAGAZINE』や折々の『TOHO CiNEMAS MAGAZINE』を貯めておき、機会あるごとに資料の一つとして利用させてもらっている。
 今回の101冊は、この意味で貴重なものになってくるだろう。

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. 「マグマ」の動き

 『岩漿』とは地下のマグマのことです。私が編集を担当する文芸同人誌の誌名になっています。昨日は会員から三つの報が、ハガキ、メール、生電話という異種の伝達方法で私のもとに入りました。

  最初はお葉書で、伊東市一碧湖畔に1人住んでおられる80代のご婦人Zさん。初挑戦の小説で公募に応じたいという意欲の表明と、自作の詩が応募先で2次選考を通過したとの嬉しいお報せ。読んでいて「68歳の若者」も頑張らなくてはと、ある種励まされました。
  電話は、20数号に亘り『岩漿』の表紙デザインとカット絵を描いてくださっている小田原市のK氏からでした。次号の締切が11月ごろになっていることの確認。そのあとで打ち合わせたことは、24号の扉に「20周年記念号」の文字を入れるかどうかについて、でした。いつもながら元気いっぱいの声で、こちらも自然明るい大声になったものです。

 メールは、会の重鎮で大仁町の歴史研究家S氏からで、その内容は衝撃的でした。
 『岩漿』創刊後、すぐに直面した販路の欠如と会員不足という問題。その両方でご協力を頂いた、いわば会の恩人のM先生が今夏、8月の14日に亡くなったというのです。このお盆の最中に行われた葬儀にまったく気が付きませんでした。かみさんに、資源ゴミ出し用になった伊豆新聞の束を出してもらい訃報を順次確認していったところ、確かにあったのです。日経新聞完読とバイトにエネルギーを費やしていた当時のこと、ほとんど伊豆新聞はスルーでした。
 S氏に先生のご自宅を教えてもらい、せめて焼香をと、うなだれた私です。

 昨夜、と言っては適切ではありませんが、30日0時半、小用で目覚めた私は再度の眠りに就くよう努めましたが、結局いったん起きてパソコンの前に坐ってしまいました。
 この夏は、いろいろなことが重なり、ある意味忘れられない夏になりそうです。
 今回は文字通りの「日記」になってしまいました。

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. 「博士と彼女のセオリー」

 なぜ心は肉体を必要としているのか。心だけでなぜ立てないのか、歩けないのか。ここで言う心を「愛」と入れ替えてもいい。
 爺は原題「The Theory of Everything」という珍しい映画をDVDで鑑賞した。サクセス・ストーリーでも、いわゆる病気ものでも、純愛映画でもない。かと言って伝記映画とも言い切れない、どちらかというと感情移入しきれない「厄介な映画」である。見ながら想起したのは、ご存じの方もおられるだろう『ジョー・ヒル』という作品だった。「省略法」を駆使した、乱暴な言い方をすれば独りよがりの素っ気ない物語だ。
 実在の人物でしかも存命中、さらには高名。この主人公のもてるものが、そうさせているのかどうか。理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を受賞したのに、ノミネートされていた同作品賞を逃したわけが解かったような気がした。

 レッドメインは凄かった。筋委縮性側索硬化症という難病を抱えた主人公の肉体を表現しつくし、知性と悲しみを綯(な)い交ぜにしたいわく言い難い眼差しを最後まで見せてくれた。妻にジェーンを得、子を3人も成し、ケンブリッジ大学博士号をとり、同大学教授になり、「ブラックホールの特異点定理」などで学問上の栄誉を恣(ほしいまま)にしながら、ついに「癒される」ことがなかった瞳。うっかり涙ぐんでしまった。

 作品の中でも友人との会話で明るく示しているが、筋委縮性疾患でも子作りのための支障はなかった。勃起は筋肉で起こるのではないからだ。このシーンは、観客の「はてな」に応える役割をもつ。もう一つ、最初に倒れた際に、「運動ニューロン疾患」と判定した医師からも言われる事実が重要だ。この病気で「脳は影響を受けない。思考力も」がそれ。さらに「余命2年」と宣告された彼は、途中で進行がとまり、長い「生」を享受している。医師の判断はあくまでも、「その時点での医学的見解」だと言うことは、しっかりと抑えられるべきだ。不治の病も難病もいつか、『普通の病気』になるときがくるのだ。これは「尊厳死」を議論する際に忘れてはならないことだろう。映画の中でも、妻のジェーンは医師にその実行を勧められている。もちろんジェーンは激しく首を振ったが。

 物語はラストに近づくにしたがって観客を「困惑」させる。妻のジェーンは音楽をよくする神父ジョナサンに心惹かれ、声を失ったスティーヴンもまた、無声伝達法などの介助役の女性エレインに恋をする。結果博士夫妻の離婚が成立し、ジョナサンは「ジェーンの二番目の夫」に、エレインは「スティーヴンの二番目の妻」と化する。
 愛の「宇宙」について語るとき、博士の台詞をパクれば「唯一の、シンプルで、エレガントな方程式」はないものか。
 それともこの映画はこう言うのだろうか。「愛しているから苦難も辞さない。それは結婚についても、夫婦生活についても、さらには離婚や再婚についても貫かれている」と。 
 『ホーキング、(愛の)宇宙のすべてを語る』
 ――それでも、ぜひ観て欲しい映画の一つである。


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. 無謀な男?

     img2392.jpg

 確かカメラを岩の上に置いた。何故かモノクロームの写真になっている。活字を追うのに疲れて、何の計画も装備もなしに鳳凰(ほうおう)三山や北岳の方へと林道を歩き出したあの日。途中、湧水を啜(すす)り、鹿に出遭い、 岩魚(いわな)釣りの中年男性とおしゃべりをした。苔生した薄暗い滝への道を独り歩き、名も知らぬ花々の美しさに歓声をあげた。ツキノワグマに遭遇するかも、などとは考えもしなかった。いまにして改めて思う。無謀な男だったと。その後の人生を象徴するかのような一日だった。
 引き返したのは富士山の次に高い北岳が目の前に聳え立っている場所。さすがに理性が働いた。文字通り「来ただけ」だった。

 *******

 短編小説『くぐもり声』

 4
 『――まだ生きてた』
 枕元の二リットル入りのウーロン茶がカラになっていた。コッヘルの水も無い。タオルの水気も無かった。砂漠を歩いた後もこんな感じなのか。唇が渇き切っていて、上下で擦り合わせるとザラッと音がした。胃も腸も空っぽ。空腹の音さえ出せないだろう。
 不思議に想いが透き通ってきた。
 小屋中に満たされた冷気すら俺の周りには寄って来ない。そんな気がした。上半身を覆っていたウインドヤッケを摘まみ、中の臭いを嗅いでみる。鼻がまがりそうで、顔を顰(しか)めた。
『百年の恋も興醒めだな』
 心が嘲(あざわら)ったあとで『フン!』と言った。
『女もいねーくせに』か。
 のそのそと起き上がると、ふとももから下を目がけて寒さが襲ってきた。慌てて登山用のレッグウォーマーを穿(は)く。
 両足の脹脛(ふくらはぎ)までが覆われた。
 入り口の扉が外の強い光で縁取られている。
 あらかじめ目を細くしてから体ごと押してみた。
 すでにに日は高かった。
 下り傾斜の径(こみち)を挟んで、幹から梢(こずえ)に至るまで、全身を雪化粧した落葉樹が並んでいる。どこからか来た大型の野鳥が止まりきれずに、枝に積もった雪に突っ込んだ。羽ばたきが創った微細な雪片が、柔らかな風に乗って宙に舞う。葉も花もつけていない冬木立が、まるで満開の桜のように、その妖艶さを競っている。近いものは、陽光を受けて結晶を輝かせ、花ではなく雪であることを知らせてくる。波打つ白の濃淡の彼方にある空の色はどうだ。どこまでも均一な、耀(かがや)きに満ちたコバルトブルー。心で引き寄せれば、つかみ取れる気がする。
 ――「満開の桜ってね、雪積む木って言うの。だけどこれ、桜をほめてるの? それとも雪? 壮太はどっちだと思う」
 ――『そういえば京(みやこ)、文学部出だったっけな。桜を目の前にして言うんだったら、雪が格上(かくうえ)に決まってるだろ』
 俄か雨でこの小屋に一緒に避難したあのとき、確かワンゲル部のもう一人の女学生は桜だと言い張った。傍らで微笑していたのが京。この子、気立てもいいと、そう思った。「私は雪が格上だと思う」と、言葉ではなくて微笑みで知らせていたから。いま極上の景色を味わいながら、それは確信に変わった。
『花もなく葉っぱもなくて美しくなれる木々、か。そんな道もあるかもな』 
 京は俺にとっての雪。今日のこの雪。
『だといいな。もう、遅いけど』
 とりあえず水だ。脱水症状が出ていると自覚して、沢へと歩き出した。
 とたんに、思わず苦笑した。
『何だ、生きようとしてるじゃん』
 滑っては転び、吹き溜まりの雪に足を取られては前にのめった。そのたびに自分の情けない格好を見て雪を叩き、大笑いをした。
『高熱も下痢も身体が勝手に治しちまった』
 もう失うものは何も無い。これを笑わないでどうする。顔色もかなり酷(ひど)いにちがいない。たぶんムンクの「叫び」状態だろう。
 這いつくばったあとで立ち上がり、雪を払い落していると、前方に人の気配を感じた。幻を見た。いや、本当に人が見えて、目をこすった。
「やっぱりここだったのね」
「みや、こ?」
 一体何日声を出していなかったのだろう。久し振りの発声が彼女の名、京だった。なぜここにいる。なぜ俺がここだと判った。きっちりと山歩きの格好までして。出遭ったあの日と同じだ、山スカートの色まで。
「何しにここに来たのぉ…壮太」
 近づきながら半ベソをかいているのが分かる。
 むねが張り裂けそうになった。
 言葉が口をついて出てこない。
「家電(いえでん)にかけた…家出したって、おかあさんが…どこにいるか捜してって…泣いてた」
 汚いじぶんの顔が、さらに歪んでいる。そんな馬鹿なことを、ゴトゴトと心音を大きくしながら思った。
「ここよね、すぐわかった。私がいまの壮太なら、同じ発想をするもの」
 立ち止まった、京。
 近づけない俺。
「生きよ、一緒に、ね?」
 そう言ってゆっくりとうなずく、京。この上もなく、きれいだと思った。
「……うん」
 急に噴き出した涙で、京の顔が揺れた。
 それが笑顔だと分るまで、心も揺れていた。
 立ちすくむ二人の間を、雪の子が風に乗って、騒ぎながら通り過ぎていった。

                                (完)

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. 法律学に無いもの?

   下の写真を観て、小さなブドウパンではなく、縮(ちぢ)こまっている子犬に見えますか?
 六法全書をにらみ、判例を紐解いてうなっていたころなら、私にとっては「床に落ちたパン」でしかなかったでしょうね。生き方も、考え方も、感じ方も、「遊びの無いハンドル」だったのですから。小・中学生時代は絵心もあったのに、コミックもたくさん見て楽しんでいたのに、です。いつの間にか、「余裕のない自分」を愛おしく思うようになったんですね。法律を学んでいる。ただ、それだけのことで。
 40歳をこえた日々は、立てた志を全(まっと)うできなかったことで、世の中に負け、この「子犬」のように震えていたとも言えます。それを、気づかせてくれ救ってくれたのが、この1個のパンでした。                

                     misakiblog 0583

 いまは、有り難いことに程好く年をとり、可愛いぬいぐるみや少しばかり難しい本が「好物」で、おちょこ数杯でほろ酔いを愉しめる、フツーの爺さんになりました。

                     こんな人

   *********

 短編小説『くぐもり声』

 3
 急に腹が痛みだした。食料が切れて二日目になる。登ってきた当日は昼、夜ともにコンビニ弁当を食った。二日目と三日目はチビあんパン一個とウーロン茶のみ。食あたりするほどのものを胃に入れてないのだから、考えられるのは「冷え」か心因性だ。
 予想外のことだったが、幸いにも小屋には寝具があった。おそらく長期に亘る森林の下刈りか何かで、休息用に置いていったのだろう。捨ててもいいという粗末なものだったが、氷点下で体温を保持できるだけでも有り難かった。
 午後になって熱も出てきた。それでも今のうちならまだ、歩ける。
 近くの小さな沢に下りてタオルを濡らし、コッヘルに更新用の冷水も入れた。
『え、誰?』
 ふっと人の気配を感じて、振り返った。
 ――「いまね、お魚がいた。小さな岩のところ」
 膝に掌を当て川面を覗きこむ京(みやこ)の髪が、雑木林を潜(くぐ)ってきた風に揺れている。
「山女(やまめ)だな、だとすると、枯葉の塊(かたまり)の下に隠れてる」
「ほんと? 獲れたらいいね」
 真っ直ぐに背を伸ばした京。その顔が、俺の数十センチ先で微笑んだ。瞳(め)がきらきらと輝いている。
 撓(しな)う篠竹につかまって、右足を斜面に、左足を小岩に掛けて、両掌を、枯葉をつかむようにして下ろしていく。
「逃げちゃうよ、そんなに近づいてぇ」
「シーッ、山女は見つかりっこないって思ってるよ」
「うそばっか」と、声を殺して弾むように笑う京。
 水に浸かった枯葉を丸ごと掬(すく)い、高々と放り投げた。
「あー、お魚ぁ」
 抜けるような秋の空をバックに、尾鰭(おびれ)を大きく振って山女が飛んだ。
 ――体中がゾクゾクして、思わず額に手を当てた。
『たったままで夢かよ。熱のせいだな」
 せせらぎが急に耳に響いた。どうやら嘲(わら)われているらしい。

 下痢が始まった。トイレが無い小屋なので、入り口の扉の脇に雪を固めて和式の便器を造った。もちろん囲いも糞溜めもない。
 ろくなものを食べていないので水のような便しか出てこないが、一人前に体力の消耗は、一回ごとに激しさを増した。
 食べ物も薬も、無い。看護してくれる者もいない。いや、俺がこの小屋に居ることを誰も知らないのだ。出来ることといえば、自分の治癒力を信じて、傷ついた獣のようにジッとして、体力の温存を図ることだけだ。そう、眠ることだけだ。
 その大事な眠りが、しばしば下痢で妨げられた。
 意識が遠くなる。眠りなのか、気絶なのか。それとも『このまま死ぬのか』。
 ふっと笑いが来た。
 死にに来たのに、望むものを恐れてどうする。
 ――丸ノコの回転音が聞こえる。木材を刻む高い音に変わる。そのとき俺の目に、長い角材を持ってよろけながら傍を通るアルバイトの姿が映った。
「バカ、危ないったら、おい、学生! 離れろ学生!」
 ほんの一瞬のことだった。顔中に血しぶきを浴び、あとから右の指先に激痛が走った。心臓の弾ける音が聞こえた。救急車のサイレンを聞いたのは、それからずっと経ってからのような気がする。
 よそ見をして木材の切断を続けていた俺。
 結局利き腕の、親指を除く四本の指を、第二関節から失った。
 憶えていないのだが、俺は地べたを転がりながら、飛び散った指先を捜していたという。痛みに耐えかね、泣きながら、何かを喚(わめ)きながら。
 同僚は病院で同情をあらわにしてそう言うと、「なあ壮太、ミヤコってお前の彼女か。何度も何度も呼んでたぞ」と、俺の顔を覗いた。
 ――『ああ、宝だった』
 腹がまた、グググルッと不気味に鳴りだした。
『もう過去形、だけどな』
 布団を跳ね除け、外の「トイレ」を目指して扉へと走り出す。と、その瞬間、足がもつれて前のめりに倒れた。
 股間が生暖かくなってきたとき、京とは別の世界に心を移し、大声を出して嘲(わら)った。

 外が明るくなってから目が覚めた。
 どれくらい眠っていたかは分らない。素早く起き上がる力がないことは確かだ。それでも肛門の騒ぎは大分治まってきている。
 ブリーフもズボンも汚してしまった俺は、直に半ズボンを身につけている。布団の中で自分の男をしっかりと握ってみる。
 京の女の襞の手触りを想う。
『抱きたかった。実際にこの手で』
 この手で? 指の欠けたこの手で?
 飛び散って赤い斑点になった自分の血。その血の雀斑(そばかす)をいまも洗い流せずにいるこの顔では、京の唇さえ奪えない。もう手紙も書けない。あなたが褒めてくれた、好きだと言ってくれたきれいな文字が、一文字も書けない。唯一残されていた糧を得る仕事、木工もできない。家具も家も造れなくなった。
 自分の歯で、強く唇を噛んでみる。まだ生きている証か、淡い塩気の、血液の味がした。
 ――「…壮太、あなたは言いましたね、目が色弱で大好きな絵を捨てたって。それでも何かを創りたかったから高校を出てすぐに、木工の親方のもとに弟子入りしたって。それなのに、事故で指を失って、今度は生きていくためのジョブを、昔の宮大工にも負けない仕事をしたいって夢を、捨てるって? …それってずるいよ、自分の能力に対する裏切りだよ。絵を見失ったときに次の目標を立てたように、壮太なら今度もきっと何かを見つける。京はあなたの、ぜったい負けないっていう心の底力を信じているから、貴方が好きだから、同情なんかしない。いますぐ飛んで行って一緒に泣きたいけれど、そんなこと、しちゃあいけないんだ。そう思う。今度のお給料でノートパソコン買って送る。だから、苦手だなんて言わないで、キーボードを心で叩いて、お便りをください。あなたの元気な声、待っています。
 壮太の居るところから少し遠い長野から。みやこ」
 ――『さすがペンパルだよな。距離を置いたんだろ京、結局…』
 そこから先は、口にしてはいけない。たとえ心の中だけの声でも。いま一番。いや、俺の人生で一番、言葉にしてはいけないことなのだ。
『やっぱり京だけは、最期まで信じていたい。そうでなくっちゃ俺って、寂しすぎる』
 水っ洟(はな)が鼻から垂れた。溢れ出た涙が、それに追いついて重なった。 

  

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. 山籠もりは原点

   img068_1.jpg
      40年ほど前山籠もりした頃の武川村里山の山荘。季節は初冬

  今にして想えば、かなり無謀な計画だった。一カ月の全生活費が3万円足らずなのだ。しかも厳しい季節に入居している。あまりの「暴挙」に、心配してくれた人が軽自動車スズキのキャリーを譲ってくれたのだが、これが「命の綱」になった。ただし雪が降れば、食料調達は徒歩になる。村の直近の「よろず屋」までの道は場所にもよるが現在(いま)と違って、河原と大差が無い山道だった。飲み水は沢から汲み上げて保存。トイレは大小とも小屋の外で済ませた。真夜中の小用がすこぶる気味悪かったのを憶えている。不思議だったのは視覚、聴覚など五感が鋭くなったことだ。言い換えれば野生動物に近くなっていく感じ(もっとも排泄はまさに野生そのものなのだが)。入浴はほとんど無し。二た月に一度程度、比較的近い鉱泉藪の湯に行くだけだった。普段は沢の水を汲んで来ては、堅絞りにしてタオルで全身を拭いていた。
 季節が良い間はよく野草を食べた。「食える草を憶えるより、食えない草だけを憶えた方が賢い」と人に聞いて、「なるほど」とうなずいた。採って来てはお浸しか天ぷらにする。空腹でものを食べる「しあわせ」をこの時に学んだ。体が欲しているかどうかにかかわらず、時間で食事をしていた過去しかなかったからだ。
 いまでも、「贅沢な欲求」に支配されそうになると、当時の経験を思い出して自戒している。 

 *******
 短編小説『くぐもり声』

 2
 小屋を出て五十メートルほど雪中を歩行しただけで、全身が汗みどろになった。
『なぜこんなに道が狭い…』
 雪を積んだ篠竹が重さに負けて、全員がお辞儀をしているからだと、すぐに気付いた。目の前の「一人」が耐えかねて、頭の上の雪を振り落した。曲がっていた背は真っ直ぐに伸び、勢い余って隣の背高な仲間を叩いた。
 細かく分かれ飛び上った雪が、風に乗ってやってくるのを、避(よ)けもせずに顔で受ける。
 ――「これ、長野じゃ美篶(みすず)って言うのよ」
 急に京(みやこ)が頭の中で喋った。『美篶刈る信濃の国の千曲川』。そこから先の歌詞は知らない。形のいい唇を自在に動かして、京は澄んだ声で唄った。
 彼女に見惚れたときから先は、記憶が欠落している。
 ――気が付くと、篠竹が雪を振り落す連鎖は、遥か彼方まで続いていた。飛散した雪の子らが景色を切り取って、霧の中へと誘(いざな)ってゆく。
『引き返そう。先が見えない』
 踵(きびす)を返す俺の目に、熱い涙が噴き出した。
『もう食い物なんて必要ないんだよ、バカが』
 
 
 深さ一尺の雪の上を普通に歩ける。氷点下五度という気温が積もった雪を凍らせせているからだ。
 静けさにも音がある。暗く沈んだものを抱えこんでいない人には聞こえない音だ。
 夜空には無数の穴が開いている。心清らかな人たちはそれを星と呼ぶ。
『月も? いや、月はどこまでも月だ』
 しかしそれも太陽が出るまでの主役。間違って空に居並ぶときに、月は恥じ入って赤くなるから。
 不覚を取って滑った。
 大事に持っていた便箋の束が氷の上を走る。
 回る。冷たく固まった雪の上を。ジタバタして、イヤイヤをして、グルグルと手を回して。
「燃やせ、未練の紙くずを」
 誰かが言った。いや、自分だ。ごまかすな、俺自身だ。
『もう手に持っているんだよ、偉そうに指図するんじゃねえ』
 ライターが光を、くれるんだ。心を縛り、絶望のどん底へと突き落す、美しい文字からの解放を。
 火が付くと、紙は黒ずんで縮み、紫煙を放って、苦しみだす。爆発的な炎上はそのあとだ。自ら燃えることで宙に浮く。飛び立つのだ、手紙が。京(みやこ)の香りが。優しさが。
 手紙を重ねておいて横から火を放つ。
 何枚も何枚も、燃えて飛ぶ、を繰り返す。舞っているのは紛れもなく紙の上の恋。
『よし、一緒に回ろう』、立ち上がって、『立ち上がってだ!』
 叫びながら、突っ伏して泣く。涙が止まらないのだ。何が哀しいのか、俺自身が分らない。 
 白く冷たい雪と赤くて熱い炎の狭間に。いま、この真っ黒な景色の中に――独り、俺がいる。  

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. くぐもり声

   くぐもり声

      2015 里山の山荘の庭からの朝陽

  8月23日早朝、兄の住む山梨は「むかわの山荘」でサッシ戸を開けて床に腰かけ、かなり長い時間中庭を見ていた。40年ほど前、横須賀の中学校で学校管理員を3年8カ月ほどやって貯めた僅かな貯金を頼りに、独りこの里山に籠った。6畳と12畳のプレハブ小屋だけしか建っていなかった頃のことだ。電気は引いてあったが、トイレも風呂も水道もなかった。郵便物は局留め扱い、宅配などはもちろん無い。テレビも電話も無い。外部との通信手段は皆無だった。1年3か月間、文字通りカツカツの貧乏暮らしをして法律の勉強を続けた。独学で最後の挑戦だった。山を下りる少し前、原因不明の下痢と高熱で寝込んだ。患者と看護者を一人二役でやったことになる。食料も乏しく、薬一つ無い。水だけを補給し、獣のようにジッとして回復を待った。しだいに意識は朦朧としてくる。「このま死ぬのかな」と恐怖を感じる力もなく、そう思った。幸い4日ほどで回復に向かった。下山して受験。この年、初めて二次論文式試験に辿り着いた。そして「青雲の志」は、既定の事実のように、ここで終わった。

                 ********

 この時の死を見詰めた経験をもとに、年をとってから短編を書きました。
 今週は、『岩漿22号』に載せた自作の小説『くぐもり声』を何回かに分けてご紹介します。幻想的な感じで、普通の小説のような書き方をしていないことを、あらかじめ申し上げておきます。自死を図って独り里山に来た青年の心裡が主題で、冷たく輝く「雪」を描きたかった記憶があります。記事が「映画のレビュー」のときは別ですが、記事の末尾に続き物として「ぶら下がり」ます。

                 ********

短編小説『くぐもり声』

1
 苔生(こけむ)した広さ一平米程度の岩が目の前に横たわっていた。ただ一番上の部分は、絨毯のような感触とは程遠く、垂らした白ペンキが平らに広がったとしか言えないもので、岩肌の凹凸が掌にそのまま伝わってきた。しゃがんで微妙に違う白の境目をジッと見つめていると、淡い灰白色の何かが目の前を落ちていく。
『え? もしかしたら』と、急いでピントを合わせると、紛れもない――雪。笑顔でもあげようとしているうちに、岩の白に吸い取られて、消えた白。小さな湿り気だけが、ぽつん。
 もうひとひら降りてくる、きっと。
『見上げるな、空がバックだと雪の白が汚れる』
 ゆっくりと左掌を差し出してみた。案の定、雪は待っていたかのように、ふわりと着地した。一瞬結晶が見えたような気がした。温かい俺の手が雪を――消した。今度は跡形もなく。水気さえ残さず。


 一尺ぐらい積もった雪が黙(もだ)している。気が遠くなるほどの数で、億兆の単位で結晶がここに集まっているのに。
『狂いそうに、静かだ』
 何か突き刺してみようと思った。雪の似非(えせ)お上品は醜い。里山の作業小屋だったらあるはずだと思い、半周したところで平スコを見つけた。手に取って振り上げると、目の前の雪が避(よ)けて左右が盛り上がったように見えた。
『ありえない』と頭を強く左右に振った。次いで突き刺して雪の傷口を抉(こじ)る。すると、確かにキュッと泣き声がした。裂け目の右側に泥が付いた。左側は赤茶の錆び色に染まっている。
『汚い――悪かった』
 雪に謝ると、何かに憑(つ)かれたように、ウインドヤッケの裾でスコップをこすり続けた。
 二度目は滑るように雪に入った。平スコの柄を少し揺すってから引き抜く。 目を見開き、ヒッと息を吸った。雪の裂け目がピュアな水色に染まっていたのだ。
『何と澄み切ったブルー』
 愛おしげに右手をさし伸ばし、蒼(あお)に触れようとしたそのとたん、雪が掌を挟んだ。親指だけが 丸ごと雪の外で蠢(うごめ)いている。
 慌てて反り返り、全身で右手を助けようとした。
 ……抜けた。
 その瞬間、誰かの絶叫が雪の山野に谺(こだま)した。誰か、が自分だとは思いたくなかった。
 親指以外の四指が雪に奪われていたのだ。

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. ジェイソン・ボーン

 身辺にというか、心理的にというか、微妙な出来事が続いたこのお盆。バイトも8日間のうち5日ほどあって、しかも炎天下、雨天下。体力の方も消耗気味だった。朝の2時間を利用してやや古いアクション作品(DVD)を鑑賞したのも、安静にして、頭を使わなくてもいいと踏んだからだった。
 
 主役にマット・デイモンが出てくる「ボーンシリーズ」は3作である。各タイトルの頭に『ボーン』が付いて『アイデンティティ』(2002年)、『シュプレマシー』(2004年)、『アルメイタム』(2007年)がそれで、この名作を大雑把に括っては失礼だとは思うのだが、「俺はいったい誰なんだ」の物語だ。しかしこのテーマが、別の意味で現代人の誰もが抱えている疑問であるために、観ていると次第にボーンに同化していき、ドラマにのめり込んでいくという現象を生む。

 主人公のジェイソン・ボーンはアメリカが大金を費やして育成したCIAでナンバーワンの「人間兵器」だ。もちろん架空の人物だが。その彼が「心因性の健忘症」に罹る。その病因は、殺人マシンの彼が「ミッション」の中でふと人間性を回復したこと。ターゲットのそばに幼い子どもがいたのである。彼はターゲットを射殺できず、逆に撃たれて海に捨てられる。救助されて「自分は何者なのか」と過去を追えば追うほど、自分がCIA差し向けの暗殺者に追われ続けることになる。過去の自分を思い出せないボーンの困惑と、ボーンが生きていては不都合だという組織の困惑のぶつかり合いが、観る者にも或る種の葛藤を与えてくる。

 2作目で彼は自分を助けてくれたマリーという女性の「遺言」から、たとえ敵でも人を殺すことを控え始める。マシンから「人間」への回帰である。しかし組織は執拗に彼を抹殺しようとする。その組織のボス、アボットらのいう「国家」とは何か。「機密」とは何で、誰のためか。ドラマは伝えてくる、大義は希薄で、その実は自らの欲と保身だと。この手の人間が「権力」を握り、それを私(わたくし)するとどうなるのか。この映画は痛烈にそこを皮肉る。良いシナリオだと感心した。確認してみると原作小説(ロバート・ラドラム著)が存在していた。

 組織の腐敗化の原因は「私欲と保身」。ここへ来て爺は1冊の本を思い出した。『なぜ会社不祥事は、無くならないか』(日本経済新聞社刊・2005年)がそれだ。ついでにで申し訳ないが、我が国屈指の会社東芝の不祥事も。職務・任務(ミッション)の実行、それは時として担い手を「悪魔」に変える。小さな枠の中の「正義」に浸り、自己正当化が図られる。これは何もCIAのエージェントに限られた話ではないのだ。
 追いつめられ銃口を向けられたアボットは言う。「殺せ」と。ボーンは「マリーが望んでいない」とその銃を置いて部屋を出ていく。
アボットはその銃を使い、CIA後継指揮官のパメラの前で自決する。胸の閊(つか)えがとれる場面ではある。 

 映画はシナリオとテンポで決まる。まさに3本立ての秀作である。
  所期の目的に反して、「頭使いっぱなし」の映画になってしまった。

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. おバカな友だち

「おバカな友だち」
 
 あなたの大事な友人のこと? いいえ、近頃のテレビ番組のことです、ハイ。連日連夜、猟奇事件、殺人事件、交通事故を各局競って放映するので、私たちの社会は真っ暗だと錯覚しそう。昔は、ニュースといえば、国際問題、国内の政治経済、次いで社会問題と重要なものから放映した。「三面記事」など余程特異なものしか扱わない。それがマスコミの良識だったように思う。いまや、何かの間違いで一旦被疑者にでもなろうものなら最期だ。犯人として扱われ、近親者から隣人・友人まで興味本位に暴かれてしまう。職を失い、家族を失い、希望を失うはめに陥る。ああ、恐ろしや。この国には確か「無罪の推定」とやらが法定されていたはずなのに。これらの原因たる視聴率とは広告効果つまり「金」だ。大勢の人間に視てもらうには質を落すべしとなる。他人の不幸は蜜の味? てのもありそう。
 「独り暮らし」が増えて、テレビが友だちになったのはいつからか。「独り」は一般家庭の中にもある。子供は部屋に籠って独り。妻は夫と子を「見失って」独り。夫は管理社会に押しつぶされてこれまた独り。習慣でテレビを点け、バラエティという猥雑なおしゃべりを部屋に招じ入れて寂しさを紛らわす。そういえば、昔は大家族、テレビの応援を頼まなくても身の回りは賑やかだった。出てくるタレントの顔がどこの局でも大差ないのは、「兄弟姉妹」の代用だからだろうか。昔、大宅壮一という白髪のおじさんがテレビの普及を憂えて、『一億総白痴化』を予言したっけ。テレビというおバカが友だちになったのだから、当たりだ、きっと。

       (高島京の筆名で『岩漿15号』に掲載。平成19年)

このエッセイ、だいぶ前のものですが、現在テレビの「症状」はもっと深刻になっていると感じます。今日も「殺人」「事故死」で「真っ暗な夜明け」でした。掲げたエッセイを思い出した所以(ゆえん)です。
 それと「視聴率」で確認したいのは分母は何ということです。世帯数、設置テレビ台数、現実の調査時点のテレビ視聴している総人数、のどれなんでしょうね。パソコンとスマホに食われてテレビ視聴者は情報端末的には全体の4分の1強だとか。もっと正確に把握する手立てはないのでしょうか。分母が正確で小さくなれば、視聴率の数字は上がり、いたずらに阿(おもね)らなくても良質の番組にチャレンジできるのではないでしょうか。
 私は、知りたい情報の9割はパソコンから得ています。
 ジャーナリズムという観点から見れば、いまはテレビより週刊誌の方が上ではないでしょうか。

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. お盆。この一日

 お盆の間のヘルプ要請を受けてのバイトがあり、今日は「中間点」のような日。「毎日が日曜日」になれ始めた身だと、少しだけ新鮮に感じられる「休み」だ。いつもどおり散歩に出ると、白、濃墨色、オレンジ色の3色に別れて浮かんでいる不思議な空の雲。上ばかり見て歩いていたら、出合った散歩中の老人に、すれ違いざま小さく笑われてしまった。

 戻って珈琲を一杯淹れる。起き抜けに訪問したブログを再度出して、女性シャンソン歌手のきれいな歌声を聴いた。
 「朝…って、感じ」を満喫する。
 そのあと、なぜか東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』のCDを探し出して、歌詞を味わう。曲も素敵だが、詩が気に入っている。暗い言葉や後ろ向きな詞が一切無いのだ。

今朝訪問したブログで墓参りの話をしていた。我が家系には代々の墓というものが無い。亡父も亡母も別の寺で眠っている。以前は同じ宗派だったのだが、袂(たもと)を分かって久しい。ただ、爺は考える。想い出して故人に心を預けている時間が「墓参り」なのではないかと。

 サッシ戸の外を見ると、崖に垂れ下って群れている葛の葉が、秋めいてきた風に揺れている。以前記事にした崖下の竹は、予想どおり植木職人の手で伐り倒されて、いまは居ない。駐車場をメインにした庭といえども、「庭」である以上植木は調和を保ってそこに在る。新しい竹はそのバランスを崩してしまったのだ。職人の目にはそう映る。だから取り除く。そこには全体のために個への感情に目を瞑る一つの決断があったと思う。一生懸命に育ち、独り立っていた若竹の姿を見て何も感じなかったはずがないのだ。

 午前9時、医者に行くにはまだ早かったので、「墓参り」からの連想で自作の短編『雪積む樒(しきみ)』を読みだした。母の書いた自伝を編んだときの「編集後記」をきっかけに、母親と三男の心の歴史を辿る私小説である。お盆に読み返すのは、思い付きにせよ時機を得ていた。不思議だった。読み進むうちに目が潤んできたのだ。「まさかな」と、内心うろたえた。椅子を蹴るようにして姿見(すがたみ)の前に身を移した。確かに、潤んで、光っていた。…お盆だからか。

 午後、野暮用で車を走らせて、朝の散歩道を通ったときだ。先日ブログで写真を載せた件(くだん)の「芙蓉」の花のそばでブレーキをかけた。いつもは白っぽい花が全て、薄紅色に染まっていた。艶やかで、凛としている。
 「酔芙蓉(すいふよう)だったのか」
 …お盆だからか?
 
 もう少しで山の端に日が沈む。結局一日中晴れていた。直射日光は厳しいが、盆の風がそれを和らげていた。いい一日だった。

 明日8月15日は「終戦記念日」、テレビもこれに因んだドラマやアニメの番宣に忙しい。映画館では『日本の一番長い日』を上映している。もちろんその日は1945年8月15日を指している。
 昔「終戦」ではなく「敗戦」記念日にすべきという議論があった。爺の解釈では、「もう2度と戦はしない、戦そのものを終わらせるのだ」と解するならば「敗戦記念日」では想いが小さすぎる、となる。「記念日」という言葉もその解釈を補強してくれる。
 「終戦記念日」でいいのだ。そうであるべきだと、強く思う。

 ああ、落日。あわてて空を翔ける「はぐれ雲」ひとつ。

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. 或る子猫の死

 或る子猫の死

 通勤路にある廃屋の傍らで、野良猫が子どもを産んだ。親は日浅くして立ち去り、子猫だけが残された。確か三匹ほどいたはずなのだが、いつの間にか配色の悪い不細工な一匹だけになった。
 ある日私はフッと気づいた。「こいつ4か月も経っているのに全然大きさが変わっていない」と。一層気にして見るようになった子猫の姿。何かをかじっているので近づき、「彼女」が逃げたあとを見ると、枯れた木の根っこがあった。さらに数日後、また何かをなめているので近づくと、跡には錆びてちぎれたトタン板があった。ひもじいのだ。
 私は野良の子の生命力に衝撃を受けた。たぶん他の2匹は飢え死にしている。子猫の「死んでたまるか」という強い意志を感じた。
 後日「彼女」は、憐憫(れんびん)の情にかられた猫好きの老婆に引き取られた。何日か後でその老婆に出会ったので様子を聞くと、少しは餌を食べるが、なかなか警戒心を解かないとのこと。子猫も、にわかな環境の変化に順応できないでいるのだろう。
 この、幸せになったはずの子猫は、獣医に診せ、不妊手術もし、諸々配慮をつくしたものの、ひと月足らずで突然死をした。拾ってあげたときと、ほとんど同じ大きさだったという。

    (み)という編集者名で執筆『岩漿21号』の埋め草(平成25年)


 下の写真は、伊東市松川の川底に根付いた芙蓉(ふよう)の一叢(ひとむら)です。大雨の時季に、必ず一度は濁流に呑まれ水没してしまうのに、くじけずに毎年立ち上がり、沢山の花を咲かせます。
 ちなみに青い花は琉球朝顔。「この子たち」も水没と復活を繰り返し、あちこちで繁茂しています。
 生きていくための強さとは、いったい何なのだろう。
 人間の心を寄せ付けなかった野良の子猫は、強かったのだろうか。
 たまにはこんなこと、考えてみたくなります。

   川底の芙蓉

 
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. 按針祭伊東太鼓合戦

 8月9日伊豆新聞の記事を読んで、夕方6時半からの催し物「第38回伊東太鼓合戦」を観に行った。場所は8月10日の花火大会を控えた「なぎさ公園」。15分前に到着するとすでに300人近い人たちが園内に陣取っていた。比較的出無精のかみさんも和太鼓となるとついてくる。熱川にあった観光ホテルで毎夕ロビーの浮き舞台を使い30分間創作太鼓のショーをやっていた頃、総務でもあり御伊豆太鼓事務局長をしていた関係で私は、「桶胴(おけどう)」という大太鼓を打っていた。
 そのホテルも保存会もすでに無いが、それだけに和太鼓への想いはかなり強い。

   太鼓合戦・伊東囃子
               太鼓合戦でトップを切った「伊東囃子保存会」

 鑑賞したのは「伊東囃子」、「豆州網代太鼓」(熱海市)、「伊達の黒船太鼓」(東北石巻市)、「鳴神流雷神太鼓」(八王子市)、「天城連峰太鼓」(伊豆市)まで。あと2つあった太鼓は残念ながらあきらめた。補給水、トイレ事情もあるが、すでに芝の上に座っての1時間半はきつい状態だった。
 それぞれの太鼓には特色があり、期待以上に楽しめた。見習い中の子どもたちの「一所懸命さ」にも心打たれた。太鼓の設置を共にする指導者の方の笑顔が嬉しい。子どもたちの表情は舞台の緊張でこわばってはいたが。太鼓を打つときにほとんど腰が入っていないので、たしかに初心者だと分かった。
 胸を打ち、腹に響き、頭を「砕く」太鼓の音。とくに眼を皿にしてみたのは網代太鼓と天城連峰太鼓だった。
 途中で思ったのは、これは甲乙を付けるのではなく、結局聞き手の「好み」だな、ということだった。
 で、爺の好みで言えばやはり、連峰太鼓になる。なんでも公演が2つ重なったそうで、6人のみの構成になったとか。そのお陰と言っていいのかどうか。こういう場合を想定しての特殊な演奏法なのか。のっけから舞台に1人立った大太鼓の打ち手は、「みごと」の一言に尽きた。ため息が出た。音の「強弱」「大小」、奏法としての「緩急」、「間」、「振り」、腰の入れ方や背中の筋肉の動きにさえ「メロディ」を感じた。横笛とのセッションでは、おそらく「ここでこう叩く」などとはあらかじめ決まっておらず、笛の音に呼応して寄り添うだけではないかとさえ感じられた。さらには締め太鼓5台での曲打ち。その「美しくも激しい狂演」。
 「あれは音楽だし、もう芸術だよね」
 爺の感動と興奮は帰り道の、物静かな「東海館」の灯を見ても鎮まらなかった。

   すでに公営施設になった東海館の夜景
               松川河畔の夜の東海館。すでに公営施設になっている。

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. 核抑止力の落とし穴


 今日は8月9日、70年前に長崎が被爆した日である。
 高校野球応援歌『栄冠は君に輝く』で知られる作曲家古関裕而(こせきゆうじ)が創った『長崎の鐘』は、この原爆犠牲者への鎮魂歌だったという。もう数十年も前になるがTV番組で彼が、「戦時中自分は国策に従い若者たちを戦地に送り出す曲をたくさん創ってしまった。この曲はそれを悔いて」というようなことを言っていた。哀しくも美しいメロディだ。『こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ』。爺はこの歌を十代の頃、現地の観光バスの中で心打たれながら聞いた。投下当日、上空の雲の間から見えてしまった長崎の街、「目視不能投下中止」の米兵の判断は覆ってしまった。青空の哀しさはここにあるような気がする。
 …… 
 人類史上初めて使用された広島・長崎への原子爆弾。第二次世界大戦後の東西冷戦は、この恐るべき核兵器の軍拡競争に発展し、いまはすでに英、仏、中をはじめ9か国が保有しているという。「相手に使わせないために、こちらも持つ」。これを核の抑止力と呼ぶそうな。
 昔、原子核物理学者豊田利幸の『核戦略批判』(岩波新書・1983年)を読んだことがある。この人は湯川秀樹とともに核兵器廃絶を訴えた名大教授だった。中身を詳細には記憶していないが、「核は戦争抑止力にならない」という結論だけは憶えている。

 上記の「抑止力理論」でいくと、自分の持てる核兵器は相手のそれよりも優れていなければならなくなる。ここでいう「優れている」の意味は「より大きい破壊力とより大勢の虐殺力」となる。のちに「より小型化する」が入ってくるがこれは後述する。さて、相手より優れたものを保持したとして、先制攻撃で核兵器を使われたのでは何にもならない。大国は仮想敵国の大陸間弾道弾発射基地を全て把握し、これに向けて相手と同様に射程におさめるようになる。これを可能にするために軍事偵察衛星は、漸次進化を遂げた。いまでは衛星から一人の人影までとらえ、さらには個体認識まで可能だという。またもう一方で、相手に発射基地を事前に把握させない手段も考案した。核弾頭を装着したミサイルを海中から発射できるようにしたのである。ここから原子力潜水艦の建造数増と、核爆弾の小型化、潜水航続距離の競争、そして探査困難性の追求競争が生じた。これは先制攻撃をされても、必ず報復できることを示して抑止力とする考えにほかならない。

 世にいう宇宙開発も、現在はいざ知らず冷戦当初は、軍拡競争の一環だったと理解する向きもある。いまは気象衛星を筆頭に人工衛星の平和利用が前面に出ているが、監視衛星は基本軍事目的だろう。
 ちなみに、日本の「はやぶさ」が気が遠くなるほどの距離を旅して、地球からの通信制御が不可能になったにも拘わらず、自力で帰還した時、某国はすぐに「軍事転用」を考えたという。ガセネタかもしれないが、自国が全滅させられても報復したいならそれもありなのかもと、ゾッとする。これも抑止力発想か。それにしても日本の技術のレベルの高さはどうだ、各国が疑心暗鬼になるのも分るような気がする。

 核兵器発射基地の兵員が何らかの理由で一人もいなくなったらどうなのか。抑止力の担い手が、そういう場合に、理性ではなく信号で自動的に動くシステムができているとしたら、こちらもかなり恐怖だ。
 もう一つ、前記「抑止力理論」の骨格は効果判断、価値判断、時機判断などの集合である人間の「理性」だ。だとすると、「自ら(自国)の死(滅亡)」も辞さない昨今のテロリズムに対する抑止効果は薄い。どう対応するのだろう。

 もろもろ考えていくと、「抑止力理論から核廃絶」は絶望的に思えてくる。否、哀しいかな核軍縮ならぬ核軍拡しか見えてこないのだ。一説によれば、経済小国の軍備で最も安価で最も効果的なのは核兵器保有らしい。
 各国が猜疑心を捨てない限り核軍縮は無い。先に自国を「丸腰」にしてしまう指導者がいるわけがないので、保有国が一斉に廃棄しなければ実現しないのだ。この担保の難しさは、半端ではない。
 国と言っても担い手は「人間」、「人は恐怖と欲で動く」、であるからして国も同様だとなるのである。

 原爆投下のこの日に、爺らしくもなく、まじめに考えてみた。

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. 「ジュラシック・ワールド」

 これは「新しく記事を書く」でどこかを「クリック 」したために起こった偶然の「事故」です。記事を書いてアップしたら「本文」がありませんでした。(やってしまったことは何か、解かりました)

 一番下にある <続きを読む> をクリックして映画「ジュラシック・ワールド」を観た私の、風変わりなレビューをどうぞ。

 何でしょうね。一時私自身、キツネにつままれたようになりました。1時間もかかって書いたのに「本文はありません」となったショックはこの映画以上のものでした。「ああ、よかった。どこかの箱に閉じ込められただけだったんだ」
 パーク内のダイナソーたちの「悪戯」でしょうか。寝苦しかったせいでしょうか。
 
利益だけを追求していくことがどれだけ危険なことかは、スピルバーグ映画の普遍的なテーマなので、この作品にもたっぷりと描かれています。これはお伝えしたいと思います。

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. 死に至る病

 キェルケゴールの哲学書のタイトルではありません。ですので「絶望」とも関係ありません。今夏全国的な炎暑が引き起こしている「熱中症」のことです。報道によれば同症に因りすでに51名の方がお亡くなりになったとか。いたましいことです。おそらく高齢者が多いのでしょう。暑さ寒さに対する感応力、適応力が衰退しているからです。これは68歳の私ですら、そうですから、80,90歳代の方なら推して知るべしです。これも報道で恐縮ですが、エアコンが無い、または有っても節約のために使用を控えている、さらには体温上昇、脱水状態を感応できないなどが原因だといいます。

 数日前の猛暑日の午前中、私は「実験」を試みました。冷房を切り、サッシ戸を開け放って窓際にあるパソコンの前に座り続けたのです。9時を過ぎたころから手の甲や前腕から汗が噴き出てきました。傍らにタオルを置いてその都度拭き取り、30分ごとに湯冷ましをコップに半分ほど入れて飲み干すことは忘れませんでしたが、11時近くになると頭が何やらボーッとして、事務に集中できなくなりました。汗は着衣に広がっています。33℃程度でこの状態、しかも炎天下でもなく体は殆んど動かしていないのです。これが午後だったらどこまで体調は変化したでしょう。

 天気予報で言う「気温」は百葉箱の中でのものです。ところが実際は直射日光があり、アスファルトの輻射熱あり、体の運動による熱の発生もありなのです。38℃台の「気温」の中で、がどれだけ肉体を傷めるか想像しただけでもゾッとします。
 8月2日午後2時半ごろ伊勢原で私は、期せずしてこの炎天下、舗装路上の暑さを体験しました。伊勢原駅に向かうバス停がどこか分らないままかなり彷徨(さまよ)ったのです。歩行者は無く、店もなく、タクシーの空車も通りません。ふらつきが起こり、間隔をおいて心臓が自己主張をはじめました。ドコドコッという感じです。私はバス停よりも先に自動販売機を探してスポーツドリンクを飲み、ひかげを選んでしゃがみこみました。「ああ、これが熱中症初期の<警告>か」と。
 4日もバイト先で高温環境下の労働を8時間行いましたが、これは万全の予防措置を講じながらでしたので、難無くクリアでした。ところが昨日5日にガクッと来ました。トレーニングもせず、涼しくして、株の勉強をしただけで終わったのです。
 若い人であっても危険な炎暑なのですから、高齢者はより一層気を付けましょう。

 今朝は気持ちも新たに伊東の海岸まで歩きました 。体調はだいぶ良いようです。
 もうすぐ伊東の夏の祭典「按針祭」が始まります。
 
   伊東海岸按針1
                伊東海岸のモニュメント・按針と帆船
   伊東海岸按針2

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. 太田道灌の集い

     太田道灌
                    伊勢原市役所近くにある狩装束の太田道灌像

 8月2日猛暑の中、神奈川県伊勢原市の市民文化会館で催される「太田道灌(どうかん)の集い」に参加しました。かつて何度も機会を逃していましたので、初参加となります。今回のテーマが「太田道灌公を大河ドラマに!」になっていたこともあり、ぜひとも行かなければと思っていました。実はNHKの2020年の大河ドラマをこちらにという運動は各所にあるのです。だいたい5年前からスタートするという大河の準備、最終決定はすぐそこなので「誘致」競争は熾烈です。私も『小説太田道灌』の著者として微力ながらも協力しなければなりません。

 太田道灌(どうかん)は江戸城を築城した室町時代後期の武将です。時期としてはいわゆる戦国時代の少し前にあたります。
 式典でも道灌ゆかりの区市町の代表の方が挨拶をしましたので、この観点から少し説明をします。先ず江戸城は現在皇居(所在は東京都千代田区)になっています。学問をしたのは鎌倉、特に英勝寺はゆかりの寺として有名です。道灌は当時の関東管領上杉家の家宰(いわゆる家老職)にして軍師。戦上手であり30数度の戦で不敗を誇り、戦乱の関東を平定しました。、足軽を戦力とした初めての武将としても知られています。その主君が上杉定正(さだまさ)で居城は川越城(埼玉県川越市 )でした。父親は太田道真(どうしん)といい隠居して越生(おごせ・埼玉県越生町)に住んでいました。では伊豆熱川(静岡県)はなぜとなります。道灌は統制上、上杉の本家顕定(あきさだ)の軍師でもありました。当時伊豆はこの顕定の所領だったのです。当然道灌も訪れたでしょう。熱川の温泉発見伝説が生まれても不思議はないのでした。

 と、ここまで来ると神奈川県伊勢原市が運動の拠点なのは「はて」と、だれでも思います。
 じつは道灌、主君定正に謀殺されます。主命で直接手を下したのは道真・道灌父子の子飼いの武将曽我兵庫でした。これも悲劇性を高めます。定正は相模の国(おおむね現神奈川県)を治めていましたが、その居館は糟屋(現伊勢原市)にあったのです。関東が平穏を取り戻すと、本家顕定と分家定正は対立関係に入り、分家内部でも川越と江戸の両家臣団は反目の度を増していきます。危機状態で団結し、平穏に戻ると分裂するというお定まりの人間社会そのままに。堅固な江戸城を居城とし、最強軍団を統べる道灌を定正は恐怖し、猜疑心の虜になります。そしてついに、糟屋庄「相陽府(そうようふ)」に道灌を招き、いわば非人間的な企てで暗殺するのです。太田道灌享年55歳。関東はまた戦乱の世に戻ってしまいます。
 伊勢原市には道灌の胴と首で墓が二か所あります。曹洞宗洞昌院(胴塚)と臨済宗大慈寺(首塚)がそれです。市民の道灌に対する愛着はかなりのもので、今回の運動の発端も伊勢原なのです。

 私も今回の参加を意識して道灌研究家尾崎孝先生の『道灌紀行』と自著『小説太田道灌』を読み直しているところです。
 「太田道灌公を大河ドラマに!」
 応援して頂ければ幸いに思います。

    開幕前
             式典開始20分前の会場。「まだ本番の幕は開いていません」

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道灌を大河に、印刷署名用紙

. 観光ホテル受難

 「ここ10数年ほどの間にずいぶん様変わりしたなぁ」と嘆息しきりなのが、温泉地の観光ホテルだ。廃業が相次いだり、外見営業を継続はしているが経営主体が替わっていたり、宿泊サービスの中身がガラリと変わっていたり。
 爺がまだ県の社会保険労務士会に登録をしていた頃、「旅館さんガンバッテ」という本を書こうとしたことがある。ホテル勤務の経験だけではなく、理論武装もしなくてはと横浜の著名な大型書店に赴き、観光ホテル経営に関する本を探したことがある。かなり時間をかけたが1冊も無かった。シティホテルの経営論の本は沢山並んでいるのに、である。
 きっと必要とする土壌が無いのだと肩を落とした。需要のないところに供給は生まれない。祖父母、父母の代から承継した家業としてのホテル、旅館業で、役員はほとんどが親族。建物が大型化し、収容人数が数倍に増えても「企業統治」の考え方は薄かったのではなかろうか。伝統を守る。暖簾を護る。それだけでは如何ともしがたい激変が起こっていたのに。
 傾いた観光ホテル・旅館を各地で十も数十も取得し、潰すどころか年々拡大していく「企業」「ファンド」の存在を知るたびに、従来型経営に無かったものは何か、を確かに感じるのである。
 論ずれば数多出てくるだろうが、爺は浅学なので一言で括りたい。
 「かつてはホテル・旅館が客を選び、客に要求をしたが、いまは客がホテル・旅館を選び、さらに要求もしてくる」
 この流れを軽視ないし無視すれば、結果は見えている。

 もちろんホテル・旅館側が努力してもどうにもならなかった観光産業を取り巻く環境の変化もあった。いわゆる外部要因である。
 1.急速に身近になった海外旅行。強烈な「ライバル」の登場である。
 2.インターネットの普及とその取扱い範囲の拡大。ホテル、旅館は、旅行代理店と顧客の双方から「叩かれる」ことになり、自前の営業はその分制約を受けることになった。
 3.レジャーの多様化、多目的化。観光客は賢く遊び始めたのだ。これを可能にしたコンビニ、ファミレス、日帰り入浴施設の存在も大きい。一般的にOKになった「素泊まり」「バイキング」「朝のみ、夕のみの食事」はこれへの対抗策とも言える。
 4.官公署の取り締まり強化がもたらす経費の増大。これはもちろん顧客と従業員を護ることを目的とするが、一方でホテル・旅館の経費増に直結する課題でもある。。代表的なものを羅列したい。建物・設備の安全性に関する県建築課の要請。防火・防災に関する消防の監督。食中毒やレジオネラ症防止、衛生的な宿泊施設保持のための保健所の規制。労働環境に関する法令順守の監督。
 5.そして最後に、団体客の激減。政治家の後援会旅行や社員旅行などが稀有になって久しい。350人以上宿泊できる団体客目当ての観光ホテル営業ほど経営は難しくなっている。閉じている施設はこの規模のものが多いのである。

 朝、散歩の途中で、解体中のホテルと、解体作業を終えて更地になった他のホテルの敷地を、あらためて見詰めた。なぜか寂しさを感じた。

      解体される観光ホテル
                      廃業後数年を経て解体となった観光ホテル


   
 
 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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