蛙声爺の言葉の楽園

. 「許されざる者」(米)

 1992年公開のアメリカ映画の方である。リメイクされた邦画の方ではない。
 アカデミー賞の作品賞、監督賞などを獲得したこの西部劇は、観客の目を魚眼レンズ並みにしないと太刀打ちできない創りかもしれない。法も無法も、正義も秩序も、愛も友情も、勇気も臆病も、ヒーローも負け犬も、男も女も、富も貧困も、そして正当な報復も虐殺も、あらゆるものは、立場や視点しだいでどちらにも転ぶという冷酷かつ怜悧な論法を突き付けてくるからである。必然的に、どちらの立場で、どういう視点で、登場人物たちの行為につき、肯定・否定を導き出すかは鑑賞する側に委ねられる。言い換えれば、はなはだ面倒な映画である。

 爺はこんな言葉でこの映画を括ってみた。
「その銃を誰が撃とうが人は死ぬ。それなのにその殺人の意義・正当性を論ずる価値はどこにあるのか」
 そう、引き金を引くのがシェリフだろうがアウトローだろうが、殺人という結果は変わらない。この映画が、ヒロイズム満載の伝統的西部劇と異なる所以のものは、この「主張」があるからだ。だからこそ「最後の西部劇」というキャッチコピーが活きてくる。
 監督・主演のクリント・イーストウッドは、この映画の製作(資金集めその他全般)まで担っている。爺は、この映画のテーマはもしかしたら、犯人を許さないと言う「正義」のためなら自ら「犯罪」を犯すことも辞さないという『ダーティ・ハリー』シリーズで、彼のものに成ったのかとさえ思う。つまり、ハリー・キャラハン刑事とアウトローのウィリアム・マニーがダブって見えるのである。

 日本語訳でDVDを観て、嬉しいことがあった。声優があの山田康雄だったのだ。昔むかしのTV映画『ローハイド』のロディ・エイツ役のイーストウッドの声も、確か彼だった。
 この映画のクライマックスは、終盤の「銃撃戦」ではない。男たちに凌辱され続けた娼婦たちが、たった一人で腐りはてたそれら男たちを「処刑」してマニーが去っていくのを、畏敬にも似た目で見送るシーンがそれである。 
 ただし、マニーの報復が許されるべきものか否かは別問題として残されている。

 この映画は、観直すたびに新しいものが見えてくるかもしれない。

. 草刈りの心

 「これは写真要るだろ」という小さなお話を一つ。あいにくデジカメを持っていなかったのでご容赦。
 きのう箱根でのバイトの帰り、熱海峠に向かう途中のことです。路肩から2メートル程度の幅で草刈りをしている「軍団」に出遭いました。蒸し暑い中、しかも葉っぱにはまだ雨滴がくっついていますから、見た目以上に大変な作業なんです。私も雨雲を気にしながら2時間ほど庭の草刈りをしてきたばかりでした。「そういえば毎年今頃だよなぁ」と徐行。さらに伊豆スカイラインに入ってスイスイと気持ちよく運転。道路の路肩が左右とも雑草刈りが済んで、さっぱりとしていました。

 最初に「おっ」と思ってスピード落としたのは、路肩で揺れている一人ぽっちの山百合を見つけたからでした。土が露出するくらい丁寧に草刈りがなされた傾斜部に花が重たそうにお辞儀をしています。私は山百合そのものよりも、刈り残した作業員の「心」に癒されました。私も何年か前、彼岸花で同じことをしました。下手な俳句『草刈りが創りし島に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)』は、このときのもの。蛇足ながら、同じ漢字で「マンジュシャカ」と読むのは梵語(サンスクリット語)読み。そうです、山口百恵の歌では「マンジュシャカ」でした。「この歌、好きでしたねぇ」

 さらに進んで、停車してまで凝視したのは、野草の仲間に入るギボウシ(擬宝珠)の2株。長く伸びた花茎にフリージアに似た紫色の花の群れを付けて揺れていました。山百合なら「さもありなん」なのですが、これには感じ入りました。というより、心が温まりました。炎暑や蒸し暑さの中の重労働にもかかわらず、草刈りさんの「心」には十分な余裕があったんだなと。

 そう言えば、今よりかなり若かった頃、雑草刈りをしていた時のことです。黄色いタンポポの一叢(ひとむら)を、作業の流れで刈り散らしてしまいました。「お花、切っちゃだめーっ!」の声が背中にぶつかりました。草刈機の騒音の中でもはっきりと聞き取れる強烈な非難でした。スイッチを切って振り返ると、四つか五つぐらいの女の子が「半べそ」をかいて立っていました。
 それからというもの、やむなく野の花を同時に刈るときは、周囲を見渡すようにしています。

 梅雨が去り、美しい時期を終えた紫陽花も根元をきれいにしてもらって、風に身を任せ「花の余生」を満喫しているようでした。
 

. ああせい校正

 何かふざけたタイトルに見えるかもしれませんが、きょうは少し真面目です。
 以前の記事でも書いたショーン・コネリーの名台詞『情熱で書き、理性で推敲する』は小説執筆の原点ですが、今回は、誤字、脱字、誤植などを直す「校正」のお話です。パソコンで入力した際の誤変換直しもこの範疇です。

 この頃メールの誤変換をそのままにして送信してしまい、後で凹むことが多くなりました。「一文芸人」としてはずかしいことです。急いで用をしないといけなくなり、とにかくクリック送信。これがもっとも多いパターンですが、頭の中では目指した漢字に変換している場合が殆んどなんです。機械は文脈を無視して何らかの順位で変換して知らん顔ですから堪りません。受信者はきっと、こちらの誠意すら疑うに違いありません。『感情に激して書いた手紙は一晩寝かせろ』とは昔からの名言ですが、急いで見直しもできなかったメールも寝かせるべきでしょう。短いものなら、消してからその場を去る「勇気」が欲しいところです。これ、自戒の言葉です。
 先日など、誤変換そのままのメールを送ってしまった先の文芸同人に、「疲労」を指摘されてしまいました。「お大事に」という意味なのですが。恥じ入ったことは言うまでもありません。

 ブログの記事も同じ事が言えます。ただ、ブログは執筆途中で「保留」が利かないので、一旦アップするしかありません。用事が済んだ後で「記事の管理」を使って補追する方法を採っています。最後まで書いた記事も、「寝かせて」から一訪問者として読み直してみると、直したくなる場合があります。これはもう、推敲ですね。
 もっとも困っているのは「コメント」で誤変換をしたとき、アップ後に直す手立てがないことです。最近の例では「ユネスコ憲章前文」の「前文」を「全文」と誤変換してしまいました。引用するところなので「書き手失格」と言われても仕方がないミスです。

 小説、随筆などの校正は、「専ら物語の筋、の人たち」には不向きです。誤変換があっても、自分の頭の中だけで瞬時に「校正」を済ませてしまい、そのまま筋を追いかけてしまうからです。筋追いも一文字ずつのチェックも同時に行えるタイプの人に任せましょう。

 昔「自分の知っていることが全てだと思うな」という言葉を頂戴したことがあります。「これ違う」と直してしまう前に①作者に確認するか②複数の文献に当たるかを、必ずせよというのです。とくに専門的な作品や、古語、旧字体の漢字を使用している作品では要注意です。
 一つ恥をさらします。女優岸恵子の著作『わりなき恋』の紹介文に初めて接した時のことです。私はすぐに「終わりなき恋」の誤植(脱字)だと決めつけました。ところが実は「理無い」(わりない)からくるもので、「道理や分別のない」の意味から、終には「男女間の非常に親密な」へと意味が発展していきます。「わりなき」でも同様で恋にかかるわけです。古語辞典では「わりなし」で出てきました。そしてこの言葉、源氏物語の時代からあるのでした。
 「平成の恋」を書き綴るのに「わりなき」ねぇ。私はひどく落ち込んだものです。
 千年?早い「慢心」でした。

 
  

. 『岩漿(がんしょう)』同人の新刊本

 先頃伊東発信の文芸誌『岩漿』の同人で伊豆の国市大仁町在住の桜井祥行(よしゆき)氏が、『歌人穂積忠(きよし)』を上梓しました。この伊豆人穂積忠が、著名な斎藤茂吉、折口信夫(おりくちしのぶ)、北原白秋(はくしゅう)と文学上の交流があったことは、私も桜井氏の作品群の中で初めて知りました。穂積忠の子息で俳優の穂積隆信がその著書『積木くずし』などで全国的に有名であったのに比べると、伊豆以外ではなじみが薄いかもしれません。ちなみに私は「横浜人」です
 著者桜井氏は、「あとがき」の中で、小学生だった娘さんから「お父さん、大仁町出身の偉人は誰?」と聞かれて即答できなかったことがあり、しばらくして「穂積忠かな」と答えたと記しています。それが穂積忠研究の継続につながったとしたら、何か微笑ましいものを感じます。興味のある方はぜひお読みください。
 私のホームページでも紹介しています。下記のリンクからぜひお訪ねください。
 私やほかの同人の著作紹介もあります。
 なお「馬場駿」は私、蛙声爺のペンネームです。 
 
 馬場駿と岩漿文学会

 台風一過のひまわり畑
      太陽大好きのひまわりなので暴風雨が蹴倒して行きました。「ジェラシー、そうなんだ」。        

. むかわの里山へGO!

 早朝に伊東を発って、日野春から牧原へと下る坂道に9時過ぎに着きました。釜無川と大武川の合流点から、さらに先の甲斐駒ヶ岳を望むパノラマ。「また来たよ」と思わず口にしてしまう眺望です。

 南アルプス・甲斐駒ヶ岳を望む

 柳沢の里山に到着

 柳沢吉保生誕の地柳沢にある標高800メートルの里山に「たどりつき」ました。
 デミオを降り、歩いて兄の居る手造りの山荘へ。ここで2泊して兄と「共同作業」をするのです。

 
 里山の山荘

 石空川(いしうとろがわ)の清流は、さらに上流に位置します。

 石空川の清流

 冬になれば南アルプスの鳳凰三山を背にして、左方に甲斐駒ヶ岳、正面に信州の八ヶ岳が望めます。落葉樹が「裸」になり、山々に雪の白が映え、空気は澄んで青空が抜けるようになるためです。

 猿も鹿も間近に下りてきますし、野鳥の声もにぎやかなものです。
 近くの沢には産卵のためか、ヤマメもあがってきます。

 ただ、これだけは言えます。「景色のよいところは暮らしが厳しい」と。買物、通学、病院通い、この三つだけを想像してもお分かりになるでしょう。車と健康、この二つは必須です。私も1年半の間、1人で暮らしたことがありますが、「あこがれ」だけでは「生活」は出来ない環境だとつくづく感じました。

 到着したこの日、緑色がとてつもなくきれいでした。





 

. 活字三昧で眼精疲労

伊豆半島城ヶ崎海岸


 自由時間が増えてやりたいことが噴出したのはいいのですが、日経新聞、会社四季報、週刊誌、単行本、ブログ記事、自作小説再読、新規小説執筆、メール通信と目を酷使し、気が付くと、肩こり、眼のかすみ、眼精疲労と妙なことになっていました。あわてて散歩、遠出(遠足)、トレーニングと活字から離れる努力をして現在にいたっています。
 私はもともと四十肩、五十肩などとは無縁の人でしたから、昨今の肩こりはPCから出ている青色光とやらのせいだと思います。PCメガネなるものが出回っているそうなので今度こそ探してみるつもりです。
 体の諸器官が日に日に劣化していきます。「ああ、日暮れて道遠し」。
 でも、今が一番好きなことをしているようで、自分自身は気に入っています。
 あしたから3日間山梨。帰って来て翌日が箱根のバイト。4日ほど活字から離れますので、眼もきっと休まるでしょう。青い空と緑色だらけの山野を満喫する予定です。
 きょうの、完全に日記のまんまですね。
 すみません。ブログに写真を載せるテストをしたかったものですから。
 また失敗したら、「直し」は4日後に…。ちなみに写真はサムネイルです。クリックしてご覧ください。

. 「海街diary」

 「あーあ、出てくる人、みんないい人で終わっちゃったよ。英子何頼む」
『チョコレートパフェ、愛子は? 広瀬すずって可愛いね、瞳がきれい、ハンパない』
「アイスコーヒーだけでいいかな。でも演技はまだ硬いかなぁ」 
『おぬしゃ監督かい、デビューしたばっかだよ、まだ高校生だよ』
「ハイハイ、目が優しいのはあんたもだよ。でもね、是枝監督って『そして父になる』のときもだけど、悪役とかカタキ役いないのって言いたくなるほど弱いんだよなぁ、だから物語がコントラスト不足になっちゃう」
『しかたないんじゃないの、原作コミックだもの。それにヒロインやれる若手女優4人も揃えちゃったし、脇役もけっこう凄いし、憎まれ役やらせられないじゃん』
「おばあちゃん役の樹木希林とか、子ども3人預けて家出しちゃった母親役の大竹しのぶとか、もっとこうさぁ、尻軽で打算的とか、ネチネチとか、底意地悪いとか、そういう演技観たかったなぁ」
『前からそーだったっけ、愛子って。ネクラなんだね。いいじゃん映画なんて、きれい、エローい、楽しーいで』
「あんたはね。たしかに次女役の長澤まさみ、女子力あったわー、足長くて真っ直ぐだし。すずちゃんのバスタオルばっと広げて御開帳もサービスだったわね、後からで見えないけど」
『しっかりものの長女綾瀬はるかもちょっと新鮮。ひものおんなの役、長かったし、なんとなく目ぱちくりって感じ』
「あ、すいませんここ、アイスコーヒーにチョコレートパフェ」
『それにしても親戚関係が複雑でぞろぞろ出てきてよく分かんなかったなぁ、ストーリー追っかけてる頭で、この人誰で何だっけで混乱してた。愛子は頭いいから大丈夫だろうけど』
「うん、わたしが脚本家だったらナレーションつけたかも。ちょっとうっとーしいけど。続き柄がわからないと3姉妹とすずちゃんの心情が伝わりにくいから、たしかに大事だよね」
『あ、そうだ、見ながら不満だったことある。あれだけいい女使ってて、ファッショナブルじゃなかった。喪服、制服、部屋着でおしまいって感じ? それから、鎌倉の景色もっとはさんでほしかったな。単なる海と山で終わりじゃん、ほとんど』
「それと気づいたぁ? 極楽寺駅のショット、カメラアングル、キョンキョンと中井貴一が出てた『最後から二番目の恋』でさんざん使ってたのと同じ」
『ほんと? こまけーっ、愛子ってなんかメンドー臭い』
「わるかったわね。不満て言えば、いったいこの映画誰が主演なのかわかりにくい。一応すずちゃんだとは思うけど、エピソードの配分も均衡してて、それぞれに成就しない恋愛抱えてて、なんていうのかな総花的なのよね。だから共感とか、感情移入とかしずらいの。なんとなく観客が、4姉妹を垣根の向こうから眺めてるオバさんにしかなりえない映画、というのかな」
『わーっ、もういい。映画って娯楽でしょ、いいとこだけさがそーよ』
「じゃ、いいとこ言いなよ」
『カンヌに出た。4人そろってレッドカーペット歩いてたし』
「落ちたじゃん。批評家の一人につまらん映画だって言われたりして」
『グランプリに値するって審査員が複数いたってネットで。それと、スタンディングオベーションもらった…』
「涙だすなよ、こんな話題でぇ、もう。たしかにアメリカじゃ受けないかもしれないけど、カナダ、フランスなら評価されそうだ、うん」
『あ、きたきた。パフェ、わたし』
「今鳴いたカラス、まんまだね。いったいいくつだ、おまえは」

. この子だれの子

 報道によればまた「いじめ」が原因で男子中学生が線路に身を投げ自殺したという。
 爺の世代で子ども同士のいじめと言えばもう少し牧歌的だったような気がする。気になる女の子の机にガマガエルを置いて泣かせてみたり、相手の性別は関係なしだが言葉で囃(はや)し立てたりする類のもの。今使えば不適切な言葉と評されるが、指をさして「この子誰の子チンドンヤの子」とか、「おまえの母ちゃん赤でべそ、ヤーイ」とか、名前からからかって「みっちゃんみちみちウンコたれて」とか。男の子の取っ組み合いのケンカでさえ、ある種のルールと限度がきちんと存在していた。だからこそ「子どものケンカに親が出ていくもんじゃない」などと鷹揚(おうよう)に構えていられたのだった。

 ところが最近の「いじめ」と称される言動はれっきとした刑事犯罪であることが多い。侮辱、強要、暴行、傷害、脅迫、恐喝、窃盗、強盗。溺れるかも知れないと命の危険を認識してそれでもいいやと対岸まで「川を渡れ」と命じ、結果相手を溺れ死にさせた事例などは、むしろ「未必の故意による殺人」に近い。それでも報道は「いじめ」である。それらが集団で実行されても、である。しかも加害者は未成年であり、将来もあり可塑性もあるとして保護され、名前さえ出てこない。さらに社会正義から加害者の名を報道すれば、少年法を根拠にメディア側が指弾されてしまう。被害者の名前の方は公表され、生い立ちや家族のありようまで「暴かれ」てしまうのに、である。親は「いじめ」られていることなど「気づかなかった」。先生は見て見ぬふりだったのに「知りませんでした」。校長はとぼけてなのか「当校にはいじめの事実はありません」。監督機関は「あってはならないこと、あったとすれば遺憾です」。
 子ども社会も、おとな社会も、どこか狂ってしまった。そんな気がしてならない。すべてを一括(くく)りにして評すれば、こうなる。
 「護るべきものが違っていませんか」

 上記の「犯罪行為」が「いじめ」と扱われたとたんに「なんか」を後ろに付けて軽く片づけることが可能になる。「いじめなんかで大騒ぎするなよ」と。「たかが」を前につけても同じだ。「たかがいじめでこどもの将来をめちゃめちゃにする気か」などと。言葉のすり替えはほとんどの場合、広義の責任回避が目的で行われる。顕著な例を二つ挙げよう。窃盗罪を「万引き」。売春を「援助交際」。このすり替えが本当に「子どもの成長とその将来のために」なら幸いである。

 選択肢が「自殺」しかなくなってしまう前に子どもが父母に救いを求めなかったのはなぜだろう。追いつめられていることを相談できる友人が一人もいなかったのか。先生が日誌でそれを知りながら無視して逃げていたのはなぜ。よりによって、どうしてまた「鉄道で」自殺なのか(ここへ来て、ふと新幹線車内で焼身自殺をした老人が頭をよぎった。動機はもしかしたら「独り」。みんなに知ってもらいたかったのかも、と)。哀しすぎやしないか。
 爺の言葉では権威も説得力もなかろう。ここで哲人阿部英雄の『教育の目』(教育評論社・2008年)から一文を引く。これは「いじめ」の加害者の方に通じる言葉だが、被害者を救えなかった、相談すらしてもらえなかった「周囲」への警鐘でもある。
 
 『少年達とて人の子、生まれた初めより非行ではない。それが歳月を経る中に非行へ走ったまでで、その非行に走らざる歳月の時、「己れ其人に成る」の姿勢で彼らに接触しておれば、悪い結果はそうそう生まれる筈がない。父、両親、教師、隣人としての姿勢が、ひたぶるに「其人に成る」の真心を尽くすのであるならば、非行の芽は殆んど摘み取られてしまうだろう』

 言葉のすり替えの「罪」については、かつて最高裁判事を務められた団藤重光教授の「ことば」を紹介したい。
 『われわれは、法と道徳の区別を忘れてはならない。道徳はもともと自律的なものである。しかし、社会的に必要とされる最小限度の道徳規範は、法によって、これを強行することを要する』
 刑法に規定された犯罪行為、それは人間としてして守るべき「最小限度の倫理」を破った行為、と言い換えることができる。それを「いじめ」として軽く括ったのでは、子どもたちの「犯罪行為」のブレーキとして機能しないのだ。
 子どもを護っているつもりで、子どもを「危うく」しているのは、「おとな社会」ではないのか。そんな気がする。

 一昔前まで、「子は親の鏡」と言われていた。子どもを見ればその親がどういう人間なのか分るというのだ。また児童心理学者はこれを「子どもは親の言うとおりにはしないで、親のしているとおりにする」と表現していた。一方で「子どもは社会を写す鏡」と把握した学者もいる。爺はいろいろ読んだ後で思ったものだ。「社会は子どもを写す鏡」だと。そう自戒すべきだと。
 汚れ、曇り、ヒビの入った「鏡」では、子どもたちが前に立っても、自分たちの「姿」を正しく視ることができないからだ。そう、たとえ実際には醜くなったり、歪んだり、汚れたりしていても、「鏡」のせいにできる。
 「鏡」と子どもたち、どっちを先に磨くべきかは、書かずもながのことだろう。
 少子化が顕著になったいまだからこそ、子どもは「親の子」だけでなく「社会の子」なのだという認識が必要なのではないだろうか。


 

. この道はいつか来た道


 キナ臭い現今の国際情勢に鑑(かんが)みてもなお、国会審議が始まる前に米国でいわゆる安保法制採用を公式に確約した総理の言動は適切でなかったと思う。その段階で昨日の委員会強行採決が「政治スケジュール」に入っていたと解釈されても仕方あるまい。確かに衆議院での獲得議席数が圧倒的多数なのだから可能だろう。
 民主主義は相対主義を採り、互いの意見を尊重した上で、最終的に多数決でことを決めるものだ。してみると、今回の政府の動きはこれに外れるのではないか。もちろん「国民運動」一つ結集できない野党の力不足も否めないが。
 まともに話し合えない、議論を尽くせない「国会」とは一体何なのだろう。また反対意見を弾圧しかねない国会議員とは何なのだろう。
 一連の動きの中で最も寒気がしたのは、現政権に反対の立場をとる言論の「統制」気運である。昔、米国のジャクソン判事は判決の中でこう言っている。『異なる意見をもつ自由は、重要でない事項に限定されるものではない。もし、そうであるならば、それは自由の幻影にすぎないだろう。その自由の本質をなすものは、現存秩序の核心にふれる事項について、異なる意見をもつ権利なのである』。また、ヴォルテールは言う。『私はおまえの言うことには反対だ。しかし、おまえがそれを言う権利を、私は命をかけて守る』と。

 件(くだん)の「安保法制」も沖縄の基地移転も、まさに現存秩序の核心にふれる事項なのだ。 きょうの本会議でも、おそらく「安保法制の」強行採決は行われるだろう。
 爺は、法案の内容如何もさることながら、国民の理解と賛意を得ない「軍事法制」とは何かにつき、少しく戦慄する。憲法9条と戦後70年の不戦平和に大きな変化をもたらす法制である以上、少なくとも衆議院を解散し、総選挙でこの件を中心とした民意を問うべきであろう。これなら硬性憲法下でもできるはずだ。

 昭和55年4月、爺はある中央紙に投稿したことがある。内容が現在にもフィットするので引用したい。いわゆるタカ派、ハト派双方に共通する内容である。

 『防衛論議が盛んだ。面白いのは「この平和時に」おいて、自衛や軍備増強や核を語る側の人が、極悪非道の名を冠せられ、あらゆる方面からヒステリックに攻撃されていることだ。彼らは、飲み屋で戦時中をいたずらに懐古している人たちとは違い、現在以後に警鐘を鳴らしているだけなのに。平和の真っ只中で、平和を謳歌する言は耳に快い。多数意見だ。かつて「八紘一宇」の旗の下、戦争礼賛の言がそうであったように。戦時中、自由や平和や反戦を唱えた人は、「非国民」と呼ばれたと聞く。そして誰もが彼らを官憲の手から護りきれなかった。今はと言えば、平和時に有事を語るものが「非国民」視されている。確かに、平和は素晴らしい。愛という花、平等という草、自由という大木。それらは平和という土壌の上にある。しかし、だからこそ、眼前のそれらに酔う人たちに、土壌はやせていないかと、苦言を呈することも重要だ。むろん許される。
 時を隔てて「時局を弁(わきま)えぬ弁」が感情的な総攻撃にさらされる。本質は同じだ。何かが怖い。そう感じるのは私だけではないと思う。「この道はいつか来た道」、それは右にも、左にも、可能性として存在する』

 今回の問題では、国民への説明や国会での意見交換が不十分なことはもちろんのこと、反対、賛成の民意につき、どちらが多数なのかも明確にされていない。
 「分らないもの、見えないもの」に、人は必要以上に恐怖を感じるもの」。政権はそれを忘れてはいないか。
 「いまどきの民意」(選挙民の意思)を侮らない方がいいと思うのだが…。

. 「アメリカン・スナイパー」

 イラクの戦場で母親らしき女が男の子に対戦車爆弾を渡す。子どもが向かってくる米軍戦車と兵隊の方へと歩き出す。スコープを覗いている狙撃手クリス・カイルの静かな目。フェザータッチの引き金を引く指。スコープの向こうの子どもから血が噴き出ると、女が弾を引き継いで抱きかかえ、走り出す。その女も血を噴いてカイルの銃弾に倒れる。転がった爆弾が戦車の手前で火を噴く。後日、「お陰で助かった」とカイルの「腕」を手放しで称(たた)える兵士たち…。映画は女子どもを狙撃する「残虐さ」と、女子どもに爆弾を持たせて自爆させようとする「残虐さ」を、声もたてずに観客に提示する。
 2006年『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』で太平洋戦争というものの「本質」を、日米双方の視点で描いてみせたクリント・イーストウッド監督が、2014年に今度は、一人のネイビーシールズ所属の狙撃手を通してイラク戦争と人間の本質を暴いて見せたのがこの作品だ。

 主人公のカイルは実在した人物。2003年から2009年の間につごう4回派遣され、イラクに延べ千日滞在、狙撃した敵兵は160人を数えたという。驚いたのはその彼が退役後、イラクからの帰還兵の手で殺害されたこと。これも事実だとか。「病んでいないか何かが」と、観る人の目を閉じさせるラストだった。…誰もが皆、 心の底なし沼に沈んでいく。
 この映画は声高にメッセージを発信しない。怜悧な目で、無表情を装い、目の奥で「涙」を流しながら、たんたんと命のやりとりをする「戦場」というものを見詰め続ける。そう、カイルとイーストウッドはこの一点で同質化しているのかもしれない。
 砲弾の炸裂音や銃声の飛び交う中、観客の中で、この作品の音は消える。この静かさの本性は何なのだろう。

 爺の中の「戦争映画」の秀作はこれまで4作品だった。参考までに並べてみる。
 当時親友だった男と二人で観た超大型画面での『ディアハンター』(1978年・監督マイケル・チミノ・主演ロバート・デニーロ)。
 当時としては珍しいメイキング・フィルムまで観ている衝撃作『地獄の黙示録』(1979年・監督フランシス・コッポラ・主演マーティン・シーン)。
 観て絶句した記憶がある『プラトーン』(1986年・監督オリバー・ストーン・主演チャーリー・シーン)
 物語以上に製作費が気になった『プライベート・ライアン』(1998年・監督スピルバーグ・主演トム・ハンクス)

 今回の『アメリカン・スナイパー』は、これらの全てと異なる性格を持つ。もちろん私見だが、①不気味な「静かさ」の世界②被害加害や善玉悪玉を不明確なままにしている③戦争自体よりも戦場というものを一貫して描いている④エンターテインメントとしての「遊び」がどこにもない。
 うっかりすると天才的なスナイパーの腕前披露の作品と誤解するかもしれないがそれは違う。爺は、奥が深い「厭戦映画」だと理解している。なぜ人類は「戦争をしない」という選択肢を選べないのか。そのことを思う。

 最後にご紹介したい。上記『地獄の黙示録』を観たあとの黒澤明の「ことば」を。
『戦場で人間が、異常に勇敢になるのも、残虐になるのも、また、奇妙なことに熱中するのも、すべて恐怖から逃避するためだ。恐怖から逃れるためには、人間は、何を考え、何をするかわからない。戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では、時に、地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間というものが怖いのだ』(昭和55年「アポカリプス・ナウについて」)
 『アメリカン・スナイパー』は、黒澤のこの一文をしっかりと思い出させてくれた。
 
 
 
 

. つばめ返し

 寝苦しくて夜中に2度も起きたので、4時起きは少しきつかったのですが、習慣なのでノソノソと起きて5時には散歩に出ました。郵便局前のファミマまで歩いて、日経新聞とチョコドーナツを買って帰るのがパターンなんです。途中、マックスバリュの真ん前で足を止めました。燕が6羽以上ですかね、アクロバット飛行よろしく頭上を飛び交ったのです。見事というか綺麗というか。「ヒチコックの『鳥』かい」とつぶやく爺。もっともあれは恐ろしい映画でしたが。
 それはともかく、遠いところから日本に来て子育てとは「あんたも大変ねぇ」と。ま、佐々木小次郎はもうあの世なので心配はないだろうけれども。
 何を見ても文章化できるようにと、まじめに取り組んでいた時期に、「穴埋め」原稿が必要になってこの「つばめ」を扱ったことがあります。きのう撮って来た紺碧の海「ジオパーク城ヶ崎」の写真のアップロードに失敗したので、「おもひで」にすがることにしました。写真データに付いた拡張子がプロバイダーの仕様に合わなかったのが原因でした。ガックリです。兄からもらった「PC絵画教室」のアプリも、適合するのは7からXPまでで、「Windows8.1」には対応しませんでしたし、「やはりこのブログ、文字だけにしろ」という御託宣(ごたくせん)なのかもしれません。

「つばめ返し」

 毎年やってくる燕の夫婦が同じ奴らなのかどうか、背伸びして何度か確認を試みたのだけれど、尻尾が見えてるときは、こどもたちにミミズか何か与えているときでちっとも顔が見えないし、終わればすぐにピピッとかいって文字通り一直線に遥か彼方。しからば待ち伏せして、泥でこしらえた巣に降り立ったその瞬間をと手ぐすねを引いて待っていると、生意気に、「この辺に巣なんかないもんね」と言わんばかりに屋根の少し上あたりを旋回して、フェイントをかまして寄り付かないんだな、これが。そんなに人間が信用できないんなら、軒下なんか借りるなっての。だいいち、気に入らないならとっくに巣なんか叩き落としているはずじゃないの。なぜ、そこのところが分らないのか、恩知らず。昔から「オオヤといえば親も同然、タナコといえば子も同然」て言うでしょうにと、口を尖らせてふと車庫の愛車を見たら、何と三個の白いウンチ。オイオイ、川も田んぼも原っぱもあるだろうに、わざわざ「それはないだろう」。それとも、排泄は落ち着いて「わが家で」ってか。あーあ、撥水コートじゃなくて撥糞コート洗車しなくちゃ。

  (高島京の筆名で『岩漿8号』掲載・平成13年)

. 閉じた「夕餉の映画館」

 このブログで48回の記事を書いているカテゴリ「映画」の数が、最近伸びていないことに気付いた人がいるかもしれません。じつは我が家の夕食時にレンタルDVDで催していた「夕餉の映画館」を事実上閉じたのです。ツタヤさんも最近私に貸し出している本数が激減していることに気付いたかも。(まさかね)

 一種の職業病としての難聴が進んできたのです。もちろん加齢も手伝っていますが。横浜から伊豆に移って来てからの仕事は、観光ホテルの人事総務か設備管理。30年のうちの23年は設備担当でしたが、この仕事の「詰所」というか「控室」は、ほとんどが騒音の中でした。数台の沪過機のモーター音、6600ボルトの高圧電気室の重低音、複数台のボイラーや真空式温水機の燃焼音、コンプレッサ音などですが、知らず知らずのうちに聴覚に異常が生じ、ついには健康診断での「所見」が現れてきたのでした。
 つまり、食事時にかみさんの耳には大きすぎる音量でDVDを鑑賞することが「不適切」になったのです。むろん隣家、隣室への配慮もあります。結論から言えば、小田原のシネマ劇場で鑑賞した時にのみカテゴリ「映画」の記事が増える、それだけになったのです。少し寂しいのですが、これも歳月と環境のなせるわざで仕方がありません。

 まだバナーを貼れていない「ブログ村」のランキングなのですが、カテゴリから「映画レビュー」部門を外しました。そのときに想ったのです。「なぜこれまで千を超える映画に親しんで来たのか、いまなぜこんなに寂しい気持ちになるのだろう」と。応えはすぐに返ってきました。「恩師と別れるようなものだから」。映画評論家の故淀川長治氏ではないけれど、私は「あらゆることを映画から学んだ」のでした。貧しかったので国内のあちこちに旅行はできない。海外に関してはさらに、飛行機に乗れないので一度も外国に行ったことがない。各種の映画は自然、建築物、風俗習慣、文化など、まさに全てについてのガイドでした。小中学生時代、コミックとくに「劇画」で難しい漢字を習得したように、青年時代以降は礼儀作法から一般常識の多くにいたるまで影響を受けたのです。とくに人間の内面をえぐった作品には「感謝」すらしています。

 ということで、これからはたぶん、良くて、ひと月に1度程度のカテゴリ「映画」だと思います。
 もちろん自分自身が寂しいだけだとは、思いますけれど。

. なぜだろうはなぜだろう

 ここ2日間で、最近の私にはめずらしく、合計385頁に及ぶ読書をしました。「老眼鏡、命!」の世界に居るのでけっこうキツイのですが、2つの「なぜだろう」に突き動かされたのです。比較的小難しい内容なので、この「快挙」は、34歳以前の独学時代以来のことになります。

 以前からお隣の「韓国」の高官が、各国を回って「告げ口」をしているという報道に再三再四接して、不思議に思っていました。声高に、自分の言い分だけを、しかも胸を張って、かつ執拗に、もう一つ加えれば場所もわきまえずに、です。ルース・ベネディクトの『菊と刀』ではありませんが日本には、「恥の文化」があります。日本にもかつていろいろな内閣がありましたが、「告げ口外交」をしたという話は聞いたことがありません。日本文化から見ると格好の悪い「恥ずかしい」ことだからです。第一「外交辞令」という言葉に代表されるように、腹ではどう思っていようとも、自国や自国民のために、広義の「外交官」なら表面上は友好的な言動をするものです。いや、そうだとばかり思っていました。さらには、外務大臣同士が直接会って2国間合意で確認したことを2、3日後に公的な発言でひっくり返す。これには仰天したものです。なぜそういうことができるのか。また、彼の国の国内で「許されて」いるのか。それが知りたくなりました。

 時を同じくして起こったのが、中国の株式の暴落でした。報道では「バブルの崩壊」という煽情的な表現もありましたが、中国政府の資金投入という「下支え」措置も奏功せず、政府は上場会社の要請で多くの銘柄の取引を停止しました。法的根拠があるのだそうですが、他の国の「市場」概念からみて不思議なものでした。我が国にも「ストップ高」「ストップ安」というものがありますが、これは「一晩落ち着いて考えなさい」程度の、投資家の冷静な対応を促すもので、似て非なるものだと思います。この暴落、もちろん日本の株式市場にも影響を与えました。6月29日を含む2回の「ギリシャ・ショック」を冷静に乗り越えた投資家も、中国となると動揺は大きかったのでしょう、日経平均株価は2万円を割って、7月8日の取引終了まで大台回復をしませんでした。専門家の話では、そもそも株式バブルの可能性は、彼の政府において承知の上だったと言うのです。いまや、世界を2分しそうな大国になった中国が、なぜそうなのか。軍拡一途にみえることも手伝って、「唯我独尊」的に突っ走る中国につき、私の中の「なぜ」は一気にふくらんだのです。

 2冊の本を読み終えて、自分なりに「なぜ」が解けました。とくに韓国、中国の統治と文化の歴史から国民性を解析する1冊は説得力がありました。著者は台湾出身で現在は日本の大学の客員教授、日中韓の複雑な心理・精神構造を解きあかすのには適任者だったように思います。
 「ほとんど何も知らなかった」
 自分の中に産まれた「なぜ」を追及する「自分」に久しぶりに出会えて、ホッとしているところです。
 高齢になって一番失いがちなのは、こういうところだと思うからです。

 これをアップして数時間後、ネットで「企業の主要株主などの持ち株売却も中国当局が禁止した」との記事に接しました。短期的な株価暴落防止措置として仕方がないのかもしれませんが、「市場の信頼性」を考えると、やはり驚きを禁じ得ません。

 
 
 

. わざわいのもと

 千利休の高弟に山上宗二という人がいたのですが、この人、あるとき秀吉に向かって放った言葉が直接原因で命を落としてしまいます。天下人の自慢高慢をからかって「逆鱗」にふれたのです。その言葉がこれです。
 「わが仏となりのたからむこしうといくさのはなし人のよしあし」
 和歌の体裁をとっていて憶えやすいので、ぜひ記憶してください。世間を渡るときに口にしない方がいいことを、教訓的に羅列しています。信仰している宗教、宗派は何。ご近所や知り合いの経済状態如何。お婿さん(お嫁さんもそう)、お舅さん(お姑さんもそう)の出来不出来。ちいさな争闘を含む「戦」のこと。ふつう一番会話が弾む他人の悪口。思わず「あっ」と口を掌でふさいでしまいそう。
 宗二とはちがって命までとられはしないでしょうが、産まれなくてもよかった「他人との軋轢(あつれき)」が、のちのちまで尾を引きます。昔から「人の口に戸はたてられない」と言いますから、内緒話でもだめですね。大勢の人に広めたかったら、しゃべる前に「ここだけの話だけど」と、念を押せとさえ言われています。
 この教訓、守るのは至難の業ですね、省みてそう思います。
 爺はこのブログでもやっちゃいました。3回連続で論じた「憲法9条と安保法制」の話は、これだったのですから。
 でもこれは内緒話ではありません。
 1人1人が真剣に考えなければならないことだと思っています。

. 少しだけ老いて

 同人誌の編集をしていると、半ページとか丸々1ページとか誌面が空いてしまうことがあります。集まった作品をページ割りして、「とびら」「目次」から「奥付」までキッチリとはめ込んでいくのですが、作品の活字ポイントを変更したり、校正や作者本人の補正(とくに短縮)などに因って、急に「真っ白」なページが出来てしまうわけです。そんなときに必要になるのが穴埋め原稿「埋め草」です。エッセイとか、小噺(こばなし)が多いのですが、ときにはこんなのを創ってはめ込んだものです。きっと急いでいたんでしょうね、発行予定日からの日程を考えて。
 女性作者のふりをしていますが、創作自体は真面目です。
 いまは懐かしく、また恥かしくも思える編集上の「操作」です。ご笑読ください。


「少しだけ老いて」

 いまもときどき
 若い頃のあなたに抱かれる夢をみる
 終わったあとで手をつなぎ
 ベッドの上にならんだとき、わたしは
 つぶやくように訊(き)くの
 歳をとって、女の香りが無くなっても抱いてくれる?
 『うん」と、あなたは軽くキスをして
 決まってこう言うの
 『だって見つめているだけじゃ、辛いだろ」

 目覚めると、いつものように、あなたはいない
 部屋中の鏡という鏡を
 狂ったように壊してしまうのは
 そんな、朝。

  (高島京の筆名で『岩漿14号』掲載・平成18年)


 
 
 
 

. 続続・玉虫色の9条


 3回も続けて楽しくもない記事を書くのは恐縮だが、筆者のとる立場を明らかにしなくては閉められないので、ご容赦ありたい。

 日本の固有の自衛権まで否定していたアメリカは朝鮮戦争と冷戦の激化であっさり方向を変え「再軍備」まで求めた。「講和条約」「日米安保条約」「新安保条約」「国際連合加盟」を経て、実際上自衛権は国際的にも「公認」された。また文言の上では今回俎上に載っている「集団的自衛権」も含んでいる。
 ではなぜここにきて初めてのように政府は動き出したのか。いや、それよりいままで、なぜアメリカから「基地提供」や「後方支援」だけで良いと理解されてきたのだろうか。これが問題理解の糸口だろうと思う。

 ①安全保障条約を締結したもののアメリカは、日本が再び「軍事大国」になるのをよろこばなかったし、また「世界の警察」を自認するだけの財力、軍事力を併せもっていた。対共産圏のための軍事基地を確保し、その経費を日本にも負担させ、米国製の各種武器を買わせることができるだけで可としたのである。この方針に期せずして「合致」したのが、日本国民の「9条を護れ」に代表される平和憲法観であった。日本国民はアメリカが当初欲していた9条・全面的戦争放棄を熱望していた。日本政府の独自の軍拡願望は、もしあったとしても自国民によって抑止される。アメリカにとってこれ以上の好都合はなかったのだ。

 ②ところが、朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクなどアジアや中近東の「警察」役は自国民の「心」を傷つけ、広義の「戦費」は膨大となった。その「反省」の上に立って見直しを始めた途端、世界中で小競り合い(紛争)が生じた。特に中国の軍事的台頭は、漸次一つの「アメリカに対する脅威」になって来たのだ。こう解釈すると、アメリカが昨今、高速走行の戦車、水陸両用の上陸用舟艇、高性能潜水艦、最先端ハイテク機器満載の空母級軍艦等につき日本が独自に造ることを「許可」している事情が納得できる。戦闘機はまだだが、放っておけばこれも時間の問題かもしれない。

 ③要するに、何度目かの国際情勢の変化に伴い、東アジアの「平和と安定のために」日本の軍事的協力が必要になった。そういうことだろうと解する。アメリカにしてみれば「安保条約」の本音に合致する「まっとうな」要求なのかもしれない。

 ④別の言い方をすれば、「日本国民の反対」と「関係国の猜疑」に対応して積み重ねてきた「9条」に関する「行政解釈」が、「集団的自衛権」の国会審議の中で、「仇」をとられているのだ。とくに、「自衛隊は軍隊ではない」などと答弁した政府。世界中の政府が仰天するに違いない。いまや自衛隊は隊員の質、軍備ともに世界で十指に入る軍隊なのだ。「隊員の命のリスクは増えない」という答弁にも唖然とした。審議すべきは「万が一の場合の隊員と家族に対する名誉と補償」だろうに。リスクは増大するに決まっている。第一、自衛隊が軍隊でないとすると、派遣された戦地で「敵兵」を殺した場合どうなるのか。軍人ならば指令による軍務の実行だが、そうでないなら単なる「殺人」に堕してしまう。自衛隊員を「裸」のまま戦場に立たせ、あるいは刑事犯罪人にするような答弁は「言い逃れ」にしても、許されまい。
 「国民を護るため」「国を護るため」と言いつつ、政府が胸を張って答弁できないのはなぜなのか。
 真っ直ぐな答弁をせず、そこまでして法案成立をなぜ急ぐのか。
 いまはそれが問われていると思う。

 法制を整えるなら、「固有の自衛権」を全うするための、つまり実際に攻撃され侵略された場合に自衛隊が「国土と国民」を真に護りやすくする内容について、が先ではないだろうか。「国連軍としての戦い方」についても同様である。

 皮肉なことにいま、9条解釈の如何にかかわらず、マッカーサーが当初求めた9条「全面戦争放棄」厳守を日本国民が声高に叫ぶこと、それが政府の「暴走」を抑制する唯一の手段となっている。この緊迫した国際情勢の中だからこそ、である。かつての世界大戦も、比較的小さな「軍事的暴走」で戦端が開かれている。

. 続・玉虫色の9条


 日本国憲法の交付は1946年11月3日(発効は6か月後の1947年5月3日)、GHQが日本政府に草案を提示してから8か月余りで、明治憲法の改正手続きを経て「新憲法が生まれた」ことになる。
 この間に、日本の三人の法学者が、文言を変え、一項と二項の間を移動させ、「目的」の中身を変身させて、9条に将来のための「布石」を忍び込ませる。真の動機は神のみぞ知るだが、少なくとも独立国として「固有の自衛権」を解釈上復活させたいという想いは伝わってくる。三人とは、松本烝治(幣原内閣憲法改正問題担当国務大臣) 、金森徳次郎(第一次吉田内閣憲法担当大臣)、そして芦田均(衆議院憲法改正特別委員長)である。

 では彼らの工夫で、発効後の9条はどう解釈が変更されていったのか。
先ず、1項で放棄された(B)に掲げる各「戦争行為」は、(C)「国際紛争を解決する手段として」のものである。つまり「侵略戦争」が禁じられたに過ぎない(現在の通説・憲法学者の通説かは不詳)。第二に、これを受けて、(E)「前項の目的を達するため」とは、(A)から(D)の全てで、「侵略戦争を放棄するという目的」を意味する。したがって、放棄されていない「自衛のための」(F)「陸海空軍その他の戦力」は保持してよく、また、「自衛のための」(G)交戦権は否認されていない、となる。
 このお見事な(E)の文言付加は「芦田修正」とよばれている。
 
 もっとも工夫如何も、アメリカの当初の姿勢を無視しては活かされるはずがない。しかし、1950年、東西冷戦と朝鮮戦争がこれを可能にしたばかりでなく、積極的に「再軍備」まで求められることになった。吉田内閣は急激な復活を拒むも警察予備隊、保安隊を経由して自衛隊創設へと向かっていくのである。日本に駐留する米軍が朝鮮半島に出兵し、日本がその兵站(へいたん)を担ったそのとき、すでに日本は、国際法上の戦争当事国であり、アメリカの敵国から攻撃を受けても仕方がない「立ち位置」にいた。当時のアメリカと日本が「同盟国」と認定できるとしたら、さらに「集団的自衛権」も行使していた。そうは言えないだろうか。修正9条の立場をどんな形でも認めるとすれば、現在行われている国会審議の何と白々しいことか。

 さらに1951年の「サンフランシスコ平和条約」及び、いわゆる旧「日米安全保障条約」の同日締結で、当初アメリカが採っていた「9条は固有の自衛権も放棄する」という解釈は明白に消えたと言ってよいだろう。これは私見だが、「アメリカが再び脅威を感じる日本」が姿を消した日がこの日だった。「永遠に」かどうかは定かではない。
 自衛隊が創設され(1954年)、その後で日本の国連加盟が成ったとき(1956年)、日本の再軍備は、アメリカのみならず第二次世界大戦の戦勝国からも承認されたと解釈できる。なにせ国連軍への参加・協力は加盟国の義務なのだから。
 とすれば、たとえ外国へ赴いての戦闘行為でも、国連軍のそれであれば9条に違反しないことになる。つまり、9条が禁じていないのは固有の自衛権行使の戦争だけではなく、国連承認の戦争もということになる。そしてこれを是とするならばここでも「集団的自衛権」をすでに行使していることになる。いまごろ「集団的自衛権」は違憲とは、すこしく理解ができない。
 かつてイラクでの自衛隊は戦闘行為が9条で許されていないとして、後方援助にとどまり、他国の護衛まで受けていた。そうするしかないとすると、あの戦争は国連承認ではなかったのかもしれない。論理的に考えるとそうなる。しかしまた、未承認だったと仮定すれば、戦地へ赴いたのはなぜか。アメリカを見据えての「集団的自衛権」の行使か。これは政府に聞きたいのであって、自衛隊には「罪」はない。

 どちらを自身で好ましいと考えるかを抜きにして、思う。
 9条解釈の根幹部分で個別的・集団的双方の自衛権を採り、国際的にもそれを前提にして条約類を締結しているのに、なぜ国内的にというか、国会内でというか、枝葉末節部分で自説を危うくし、揚げ足をとられるような答弁に終始しているのだろうか。
 国会の審議を聞いている方が哀しい、と思うのは筆者だけだろうか。

 国際情勢の変化が法解釈を変えていくのは、ある意味当然だと思う。日本国憲法は改正しにくい硬性憲法なので尚更だ。
 「9条を護ろう」と連呼していれば日本の国土と国民は安泰などと、のどかなことをいえる情勢でないことは、日本国民の共通認識になっていると思う。持てる軍備を、侵略に使わないという国、国民であることに確信さえあれば、憲法9条は(A)のように輝くと信じる。

 総理総裁の地位を得た政治家は、後世に名を残す「仕事」をしていて、誰もが「自分も」と考えるのだとか。たとえば、吉田茂「講和条約」、池田隼人「所得倍増」、岸信介「日米安保条約」、佐藤栄作「沖縄返還」、田中角栄「列島改造・日中国交回復」、小泉純一郎「郵政民営化」。安倍晋三現総理が「誇れる何か」を残せるか否かは、今国会にかかっていると愚考するのだが如何に。


. 玉虫色の9条


 安保法制に関し政府与党は合憲と言い通し、野党は憲法無視に等しいとして抗(あらが)い、3人の著名な憲法学者は違憲だと見解を述べた。憲法とは法治国家の最高位の規律であり、これに反する法令は無効とされる。それなのに国会の場において、なぜここまで争われているのかという疑問が出ても不思議ではない。テレビのニュースは、この疑問にメスを入れることもなくいつも通り表面的で、3面記事的な事件を主に流しているだけである。これからの「世界の中の日本」を一変させてしまうかもしれないのに。
 ブログを使い、大きな活字を使って、憲法9条につき詳細に検討する余裕はないが、文芸人的な手法で、あえてこれに挑戦してみようと思う。1回で足りなければ数回に分けたい。

 最初に9条の条文を掲げるが、論を進める都合上記号を使わせていただく。
『(A)日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 (B)国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、 (C)国際紛争を解決する手段としては、 (D)永久にこれを放棄する
 ②(E)前項の目的を達するため、 (F)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 (G)国の交戦権は、これを認めない。
 
 日本は70年前に太平洋戦争を「無条件降伏」という形で終結した(1945年8月)。旧憲法下では陸海軍(空軍はなく、戦闘機等通常空軍に属するものは海軍が管轄していた)の統帥権が天皇にあったので、ソ連(当時)など連合国の中で天皇を処刑せよという主張が勢いを強めていた。昭和天皇は自分はどう処分されてもよいという趣旨の申し出を占領軍総司令官のマッカーサーに告げたが、軍人である総司令官は、処刑したとすれば占領に要する兵力は数倍必要になるだろうと判断していたので、天皇制を維持し、日本政府の悲願であった「国体の護持」をかなえた上で、「戦争放棄」を指示している。しかも占領するも間接統治を建前としていたので、民主憲法の制定にあたってはGHQの民政局長ホイットニーに委ねて日本政府(幣原喜重郎内閣)に伝えている。
 憲法草案に関する「マッカーサー原則」(1946年2月)での「戦争放棄」では、侵略戦争だけでなく自衛のための戦争も禁じている。しかし国土も国民も護れない「国家」というのは「国家」たりえない。第一彼は日本の防衛と保護はどうするつもりだったのか。彼は「今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる」というが、この理想は東西の冷戦により、日浅くして消え去るにいたる。
 
 いわゆる「基本的人権」が、人が人であることにより当然に、つまり誰の主張も待たずして賦与された権利だとすれば、「国家にも国家であることにより当然に賦与された自衛権」(いわゆる「固有の自衛権)が存在する。上記「原則」はそれさえも捨てさせたのである。これには「二度と日本がアメリカの脅威にならないように」という強いメッセージを感じる。
 この9条に関するマッカーサーの「原則」は、戦後日本に根強く残留する。「二度と戦争はしたくないという国民感情」と社会主義、共産主義を採る政党、団体、さらには成立過程を史料的にも熟知する憲法学者によって支えられてきたのである。
 つまりこの解釈により現行9条を読み解けば、(C)の条件は無視され、あらゆる戦力は保持できず、またどのような意味でも交戦権は否認される。また(E)にいわゆる「前項の目的」は(A)ということになる。

 さらに付言すれば、歴史的にみても「自衛のための戦争」と称して「侵略戦争が」行われがちだったのは否定できない。現在する軍隊が、「自衛」目的か「侵略」目的かを平時に色分けすることもできない。軍や兵器をどちらの目的のために使うかは、国民と統帥権者にかかっているのである。

 ところでマッカーサーから原則をもらったGHQは10日ほどで草案を作成し、日本政府に提示した。この速さから、モデルとなる憲法の存在と、総力を挙げての作業であったことがうかがわれる。


. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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