蛙声爺の言葉の楽園

. 愛する人の「婚姻届」

 30代前半といった感じの二人の女性が入ってきて、隣のボックス席に入りました。
「コーヒーでいい? わたしホットだけど」
『わたしアイスにする』
「アイスって言えばさぁ、見たぁ今朝のおはよん♪。愛する二人の婚姻を応援」
『見た見た。何言いたいかわかる。婚姻届の変わりようでしょ、書式さえきちんとしていけば用紙の空白部分に何が印刷されててもいいってやつ。イラストかわいいし、写真もきれいだったなぁ』
 別に聞き耳立ててはいないんですけど、傍らに人の無きがごとしで、声がでかいんです。
「ほんとかさって、ネットで調べたら100種類以上のデザインあるんだって、そのまま役所に提出できるんだからオドロキ」
『わたしなんかペラッペラの味気ない届用紙だった…何よその笑い』
「悪い悪い、味気ないのは婚姻の用紙だけかなぁって、ちょっと横切った」
『あんたもでしょ。愛の無い婚姻だったんだから』
「まぁね、しつこい元カレを切りたくてつい親の陰謀に乗ったわけだし」
『でも案外良くって、こどもまでできちゃった。流されれてるだけじゃん』
「ゆるす。そのとーり。でもさぁ、そんなもんかも結婚て。だから届なんか必要にしてしばったんだよ、きっと」
『へーえ、哲学してる』
 いいから早く珈琲たのめよ。注文を取りに来ない方もすごいけど。
「どこがぁ。それでもことし銅婚式。7年目だから」
『そんな半端な数で名前あるの、初めて聞いた。わたし5年だけど、ある?』
「15年目までは毎年あるのよ、バカみたいに。紙、綿、皮、花実、木…だから木婚式かな」
『皮ってエロいな。5年で木にしなくなって、7年で銅でもいいやか、おぼえやすいし、けっこう現実っぽい』 
「わたし出し直したくなった、きれいなので、婚姻届」
『離婚かぁ、動機がすげーな。あ、もしかしたら新しい男もいる?』
「なわけないじゃん、いまのでいいから、届だけ」
『ほー、じゃ問題なくできるじゃん。いったん真面目な顔して二人で離婚届出して、受理されたら何日もしないうちにまた二人して婚姻届出すのよ、きれいな用紙で。こんどこそ愛する二人の婚姻届ですって、この案いいわぁ』
「結婚生活の更新かぁ。ダンナに言ってみようかな。でも6か月たたないとダメなんでしょ」
『待婚期間の規定は直前の夫と再婚する場合は適用されないの』
「あんた法学部だったっけ」
『女のジョーシキでしょ。新しい男が出来たら必須の知識でしょうに、再婚の制限て』
「えぐいわぁ。でも、ま、こどもいるからやめとく」
『…それにしても来ないわねぇ。ここ出ようか?』
「うん。ばかみたいな喫茶店ね」

 二人は出ていきましたけど、この話、実体験じゃありませんから念のため。
 ちなみに私は、もうすぐ30年の真珠婚を迎えます。周囲から3か月ももたないと言われた結婚でした。不思議ですね、結婚とか友情とか、人のつながりというものは。
 さて私もそろそろ出ます。
 

. 蛙声爺のブログ記事の書き方

 唐突ですが、ブログ記事数220を超えたこの時期に、「創作日記」というカテゴリを選んだ結果として一貫して採用してきました、「た」「だ」「のだ」「である」などで締める硬い「である調」の文章を制限したいと思います。記事のテーマや内容によって自由な書き方をしたいのです。(=です、ます調)

 と言っても、歯切れのよい「である調」も残したい。少しばかり政治や経済や社会に関して語ったり、各種のニュース報道を引いてコメントを入れたりする際に便利だからである。取るに足らない言葉・意見を「蛙声(あせい)」と言うが、まさに爺の領域と言えよう。以前の作品を紹介する「おもひでのエッセイ」などもこれにあたる。(=である調)

 ここまで書いてた自分・A  もう一人の自分・B  
B「かっこつけてねーで、ホントのこと言えよ。何がどーしたんだよ」
A「疲れたんだ、おんなじ文体で220だぞ」
B「だって自分でかってに決めつけたんだろーが。文章の勘だのリズムだの守りてーとか言っちゃって。いまさらジロー、あしたはタローってんだよ」
A「そうだけど、正直こんなに長く続くと思ってなかった」
B「いいからやんな、いい人しか読んでねーし、すみっこのブログだから、誰も怒りゃしねーよ」
A「ありがとう」
B「なんでオレに、お礼なんだ。それで、いつからやんのよ」
A「今日の、この回から」
B「…相談でも何でもねーじゃん」(=会話体)

 けっこうむらっ気で我儘なブログなのに、ずっと訪ねてくださったあなたには感謝しています。何回か続ける気持ちが弱ったとき、あなたのコメントにどれだけ励まされたかわかりません。これからは、文体もスタイルも工夫し、写真なども取り入れていくつもりです。自分も楽しむ形の、メニューのある「喫茶店」にしたいんです。今後ともよろしくお願いします。
 とりあえずお知らせかたがた御礼まで。
PS 今回変な記事になってしまって、すみませんでした。(=手紙文)


『眠りこけて』

 あなたも眠っている
 私も眠っている
 社会も眠っている
 国も眠っている
 動いている「夢遊病者」も実は眠っている
 覚めている誰かがそれを見ている
 はずなのに、結局
 誰も起きていない

 (高島京の筆名で「岩漿5号」埋め草・平成11年) (= おもひで)








 

. 「こころの不思議」を追いかけて

 ブログのカテゴリで迷ったのがきっかけだった。しかしそれ自身は、「なぜブログをはじめたか」という原点に還ることでようやく解決した。二年以上も前、勤務に追われ健康も害してなかなか進まなくなった小説。そんな中で最低でも文章に対する勘のようなものを保存したかったからだ。ただ、やり始めれば別次元の愛着も出る。

 何と、夜中の1時に目が覚めて、眠りに戻ることができなくなった。30分ほど「努力」してあきらめ、寝床の上で胡坐(あぐら)をかいた。どんよりとした頭でフッと思う。「じぁあ、その小説を書きつづけている理由は何だ」と。伊豆に来て文芸誌の同人になり28年になる。ひたすらテーマとして追い続けているものは何。左右の踵(かかと)を合わせ、硬く鋭くなった足の爪を恐る恐るさわる。「人の心かな」と自分に応える。そしてまた何分か思考がとまる。「だよな」、それが無いとしたら小説を書いた上にページ割り負担金を払って同人誌に載せ、さらに、長いものは自ら制作したうえで自費で出版もする、そこまでできるはずがないのだ。
 東京・横浜という大都会での生活で、3つの大きな「傷」を負った爺の「心」。しかし相手もまた同じぐらいの「傷」を負ったのかもしれない。最近になって、しみじみと、そう思うようになった。付ける側の「傷」と付けられる側の「傷」の治癒に要する時間の差。それはあるだろうが。のそのそと起きて、台所で「湯冷まし」を飲む。

 主君に謀反の疑いをかけられ殺されるかもしれないのに、無防備に等しい形で主の館に出向き、子飼いの武将に湯屋で惨殺される軍師の心とは何(『小説太田道灌』)。両親に自殺され兄と二人世間の荒波にもまれた女が兄の子を身ごもったと信じ、その秘密をまもるために「有罪にならない罪」を犯し続ける心とは何(「夢の海」)。両親に捨てられ天涯孤独になった心身症の少年が、それでも大都会の中で真っ直ぐ生きていこうとする心は何(『孤往記』)。さらには『いりあいの鐘』『身一つ庵』『心の音』『冷川峠』『空に映る海の色』『やさしい姫鼠』『ツール』『傾いた鼎』『雪積む樒(しきみ)』…自作のタイトルを無言のまま挙げていく爺の中で、小説を書き続けている動機が明確になっていく。
 人は自分の「想い」というフィルターを通してでしか他人(ひと)を診(み)ることができない。さらには自分自身を診るにも同じフィルターを使い始める。この不可避で絶対的な「孤独」は、客観的には「哀しく」診える。この厄介な「想いというフィルター」の名こそ「心」なのだ。
 「傷つけた」「傷つけられた」の判定も実は、この「心」がしている。そう、恐ろしいことに。…不遜なことに。

 「だからお前は死ぬまで書きつづけなければならないんだよ、金になろうがなるまいが」 
 パソコン画面から、そんな声が聞こえる。
 3時25分。喉が渇いてきた。
 もう一度台所で、「熱さまし」を呑もう。
 「朝」まできちんと眠るために…

. 花が創った物語

 勤め先のロータリーに妙なものが植えられているのを訝(いぶか)しく思ったのは二年も前のこと。この花壇、中央にドウダンツツジが、一段下がってサツキツツジが、さらに下がってこの得体のしれない植物が、それぞれ円を描いている。しかしこの草、どこから見ても何の変哲もない野草にしか見えないのだ。いっぱしの庭師がこの場所にはこれと決めて配したのだから、何かわけがあるのだろうと思いつつ一年が過ぎた。
 だが、期待は見事なまでに裏切られた。初夏に、やや大振りの黄色い五弁の花が数輪咲き、それでお仕舞いだったからである。咲き方がそこらあたりの野辺の花以下ではないか。落胆は、いつか小さな怒りに変わった。枯れかかったこの草を見て、あわてて水をくれてやったことも一度や二度ではない。お礼に咲いたというにはあまりにも数が少ない。

 ヒペリカムカリシナム。名札を見れば舌を噛みそうだが、哲学者も真っ青な名前が付いている。オトギリソウ科だとも記してある。酔狂にも私は調べ始めた。しかし残念なことに厳(いか)めしい方の名前ではたどりつけなかった。ならばオトギリソウの方で接近を試みるだけである。中高生が使うような国語辞典にはさすがに無かったが、私が図書券を掻き集めて購入した八千円の大辞典にはカラー写真入りで載っていた。弟切草と書く。弟を切る草とは何と物騒な名前だろう。なぜこの漢字を当てるのか。ついに私は大部の山草事典を開いて解答に迫った。

 何でも、秘密にしていた鷹の傷薬を弟が他人にもらしたことに腹を立て、兄が弟を殺してしまったという物語に由来するという。この草の葉に無数の細かな黒点(油点)があるのは、切られた弟の血しぶきの名残だそうな。私は唸(うな)った。もしそうなら、弟の命以上の価値を持つこの草の薬としての効能や如何に。今度はそちらに興味が移った。全草を乾燥して小連翹(れんぎょう)と称し、止血剤にする。また、茎葉から抽出したオトギニンという成分は神経痛、リウマチ、関節炎の特効薬である。これは別の本に出ていた。なるほど、である。

 さて顛末だが、この草、丸二年目の今夏は三カ月の間、無数の黄色い花を咲かせ続けた。綺麗であった。ご褒美に水をくてやったことは言うまでもない。
   (本名で創作「同人誌・つみき31号」に掲載・2001年)

 
 ここ三日ほど、生意気に市場経済の「勉強」に没頭していた。聞こえはいいが、要するにお金の勉強に等しい。不思議なもので味もそっけもない世界をのぞいていると、いわゆるロマンチックな世界のことは遠のく。少しく浮世離れしたブログ記事など、頭で構成できなくなった。「おもひで」の助けを借りた所以である。乞う、ご容赦。
 ちなみにこのヒペリカムカリシナム、いま伊東の松川湖の「公園」でシッカリと咲いている。だからこのエッセイを懐かしく思ったのかもしれない。





. ちいさな花に脱帽

 コーポラス出口のコンクリートの裂け目に、ずっと佇んでいる、十数輪の黄色い花をつけた植物。その中の一本の茎の先にはすでに綿毛のような白い羽をつけている。背丈は10センチほどだ。健気で可愛いだけでなく、身の不運とあきらめないで根をはり、開花まで頑張った「あきれるほどの強さ」。なにせ1ミリ程度の隙間なのだ。羽を付けた種子が風に乗ってこの場所にたどり着き、うっかり「溝」にはまって定住。いわば風雪に耐えて、今年の春に芽を出したのだろう。調べたが野草の名前は分からなかった。
 文字以外使わず、絵も写真も未だ載せていない爺のブログだが、初めて写真が必要だと思った。
 嬉しいのは、この花が誰にも踏まれず、また引き抜かれもせずに、比較的通行量が多いこの場所で未だに生きているということ。住人、郵便配達員、宅配員、新聞配達員…大勢の人の「感動」と「見守る気持ち」が、確かなものとして伝わってくる。

 この花、じつは払暁に見たときは閉じた傘のようになっていた。ところが、午前10時頃雨が上がって空が明るくなったので、デジタルカメラを持って写真を撮りにいくと、花びらが全開状態になっている。どうやら夜間は眠っているらしい。初めて知った。
 丸に近い形の葉に付いているゴミを丁寧にどけて「記念撮影」。脇を通った若い住人が「へーえ」という感じで微笑した。
 部屋に戻って映像をパソコンに取り込もうとしたのだが、これがうまくいかない。解説書を読んだら、取り込む「環境整備」ができていないのだった。「文字だけのブログ」からの「脱皮」は、またも、おあずけになった。

. 「もののけ姫」はこうして生まれた。Ⅱ

 アニメーション映画のメイキングフィルムだから、当然と言えば当然なのだが、絵コンテから作画に進み、往復をかなり重ねていった後、最終的に完成画面ではどうなるのかを映像で示してくれる点は嬉しかった。スタッフが何を悩んでいたかを目の当たりにできるからである。ディスク1と2では、これが気が遠くなるほどに繰り返されている。何日もかけてものにしたシーンが、「実際の映像では何秒間」とナレーターは教えてくれる。『アルプスの山をお匙で崩していく』ようなものかもしれない。完成映像で2時間13分の長編アニメなのだから。その中に、色合わせに訪れた女性と宮崎駿が相談するショットがある。色見本の数は確か580色と言っていたような気がする。恐ろしい数だ。それを真剣勝負で念入りに打ち合わせる二人。これだけでも尊敬に値する「仕事」だ。

 可愛い、楽しい、美しいは子供向けのアニメの「常識」だろう。『パンダコパンダ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などがそうだ。さらに子供の成長が必ずと言っていいほど底流にある。『もののけ姫』が北米に渡ったときの記録が特典映像の20分だが、彼の国のインタビュアーが判で捺(お)したように、ここのところを攻めていた。腕が飛び首が飛ぶなどバイオレンス描写が多いが子供の観客に対していかがなものか、というのである。かなり執拗だった。宮崎は同じような質問に辟易しながらも真正面から応えている。主旨はこうだったと思う。子供はいま生きている環境がバイオレンスに満ちたものだということをすでに感覚でとらえている。観てすぐには解からないかもしれないが、それは必ず理解に結びつくと。爺は想う。「こども」のとらえ方が違うのだと。宮崎の想いは、子供の鑑賞眼や感性を信じた黒澤明の方向性と同じだ。そんな宮崎も「ほんとうの幼児にはどうか」と、全面否定はしていない。
 『もののけ姫』は、従来のアニメの常識や柵(しがらみ)を捨ててかかっている。観る側を信じてのことだろうと解する。
 おそらく従来の作品の「呪縛」を解かなければ、次に進めなかったのだろう。『もののけ姫』から4年を経て公開された『千と千尋の神隠し』が、その証左といえる。宮崎は「トトロ」と「もののけ」の世界を見事なまでに調合し、昇華してみせたのである。

 この長編アニメの骨組みを端的に解説した文章を見つけたので紹介しよう。
 『片や、神々の住む神聖な森を守ろうとする精神主義の一派。片や、森を切り刻み、鉄を作って人間生活のために役立たせようとするタタラ製鉄集団という現実主義の一派。かくして、この両者の間に壮絶な森の争奪戦が展開される』(西村雄一郎「黒澤明を求めて」キネマ旬報社2000年発行)。じつに簡にして要を得ている。とてもまねはできない。これは『宮崎駿と黒澤明/「もののけ姫」は「七人の侍」を超えられたのか?』という章の中にある。ではなぜ映画とアニメの両巨匠の作品が比較されているのか。興味はここに移る。じつは宮崎、『もののけ姫』の制作発表の席でこう言ったのである。『日本の時代劇は「七人の侍」に、呪縛されてきた。その呪縛から解き放つためにも、私は『もののけ姫』を作る』と。もちろん宮崎は黒澤作品とくに『七人の侍』と『生きる』の大ファンでもある。だからこそのコメントなのだが、爺は高揚したこの発言によって自分を崖の上に置いたのだと思いたい。『もののけ姫』」が興業的に、また映画批評のうえでコケれば「笑いものになる」類の決意なのである。

 結果はどうか。20億円の制作費で「193億円の興行収入、113億円の配給収入、観客動員1420万人」(数値はWikipedia)。20以上の国内各賞を受賞、さらにベルリン映画祭で上映され、米国アカデミー外国語映画部門にも出品されている。ただ、『七人の侍』との優劣は「土俵」と「ルール」が異なる以上、決めることは不可能だろう。もしコメントできるとしたら、外国人記者がインタビューで執拗に迫ったもう一つのこと、『もののけ姫』では善人と悪人がよく分からないのはなぜか、にかかるだろう。『七人の侍』が明確だったのと対照的になっている。しかしここが、超えたところなのかもしれないと爺も思う。善悪では定まらないテーマが『もののけ姫』全体の底流になっているからである。人間の文明はその規模の大小を問わず自然を破壊することによって「発展」してきたのだ。この自然に対する攻撃と防御のどちら側に立つかで「善悪」そのものの視点が変わってしまうのだ。

 蛇足ながら、「タタラ」は「踏鞴」と書く。ひらたく言えば、漢字どおりで「足で踏む大型の鞴(ふいご)」のこと。大量の水を使って砂鉄を選別して得、大量の木を伐って炭にし、両者を四角い炉に入れて炭を熾(おこ)し、タタラで空気を送り高熱にして鉄を作るのである。できた鉄は農耕具にもなるし、武器・兵器にもなる。してみるとタタラは「時代」を変えたのかもしれない。

 資料の中で宮崎駿がヒロイン「サン」とアシタカの関係を一言で括った文言が忘れられない。 『サンというのは、アシタカに突き刺さった棘(とげ)です』(『宮崎駿・風の帰る場所』ロッキング・オン2002年)。
 同様の「棘」を心に刺している人は、もしかしたら「人間として」幸せなのかもしれない。
 


 

. 「もののけ姫」はこうして生まれた。 Ⅰ

 どうしてここまで「心」が動いたのか。『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(スタジオジブリ制作)は、片面2層ディスク3枚組で、本編6時間40分、特典映像20分、計7時間のいわゆる「メイキングフィルム」である。「部屋にたまたま1人」をいいことに鑑賞し始めた爺は、昼食を挟んでかみさんと二人になっても観続け、特典映像でようやく全部を見終わった。呆れられたことは言うまでもない。それでも想いは残り、翌日ディスク3『記録を超えた日』150分を再度確認し、さらにDVD『もののけ姫』133分を追加で鑑賞した。本映画の鑑賞はVHS時代も含めれば4回目になる。ときには頬杖をつき、ときには正座してかしこまり、ときには安座して、最後には疲れ果ててグッタリとした。
  「なぜここまで」と問う自分がいる。箇条書きにしてみた。
 ◇「仕事」の意義と「中身」に囚われたこと。 仕事と苦難は抱き合わせだと再確認をした。
 ◇その「仕事」が、昔、自分が捨て去った「絵」だったこと。 嫉妬すら覚える羨ましさがそこにはあった。
 ◇作品そのものの「力」が凄いこと、すばらしいこと。 「ジブリらしさ」を壊して進む本気度に圧倒された。
 ◇故黒澤明監督に挑み、アニメで超えようとした宮崎駿の志が熱いこと。 ある意味超えていると思う。

 メイキングディスク1『紙の上のドラマ』は、想う→描く→動かす→生かすのサイクル工程が飽くことなく繰り返される。『もののけ姫』は、宮崎駿が原作、脚本、監督、絵コンテを担当している。換言すれば宮崎駿が延べ何万人ものアニメーターを駆使して創り上げた彼の「絵巻物」なのだ。途中何度となく悩み、ためらい、そして停滞をする宮崎。ハンディなカメラはそんな彼をも容赦なく撮り続ける。「産みの苦しみ」を隠そうともしない宮崎も大きい。実はこういう事態、鈴木敏夫プロデューサーは織り込み済みだったようだ。「宮さんの得意はファンタジーと空を自由に飛び回ること。今回はそれを一つ封じ手にしていることになるから」と。困ったときに一段と飛び上るのが宮崎監督、という鈴木の信頼がそこにはある。
 『創りたい作品へ 造りたい人たちが 可能な限りの到達点へと にじりよっていく その全過程が 作品を創るということなのだ。』(宮崎駿)

 仕事はときに苦しく辛い。だからその代償として金が支払われる。楽しくさせた上にお金までやるバカはいない。これは本で触れた達人の言葉だ。しかしもし、さらに完成に喜びが伴い、さらに更に大勢の人たちに勇気や感動を与えられるのだとしたら。アニメーターという仕事にはそんな「ボーナス」も用意されているのではないだろうか。アニメ映画鑑賞で爺は、誰だか知らないがそういう人たちのために、タイトルローリングを最後まで見るという「礼」はつくしたいと思う。
 『憂鬱を好む人間などいない。 しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。それに気づいた時、憂鬱は間違いなく仕事の糧になる。』『苦難と情熱はワンセットだ。』(見城徹・藤田晋「憂鬱でなければ、仕事じゃない」・講談社刊)ディスクを見ると、宮崎もまた、身をもってこれらと同様の理をジブリスタッフに示していた、と思えてくる。

 

. 夢の浮橋

 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』につき記事を書こうとして、丸2日、時間にして計13時間資料を漁っていた。やっと書き始められると思ったら、本日は勤務日。また「埋め草」に「思い出のエッセイ」を引くことにした。この記事のテーマが、爺の「夢」や「仕事」というものに迫る結果になっていたからである。

「夢の浮橋」

 百歳まで生きられるはずもない身で、齢五十にして「半生」は厚かましいのだが、とにかく杯など傾けながら顧みてみると、寝ても覚めても夢ばかり見ていたような気がする。
 夜の夢の方は「夢判断」の対象になる例のもので、別段目新しいものではないのだが、私の夢には少々特色がある。先ずはモノクロームではなくてカラーだということ。次に、途中で目覚めて寝直す度に必ず別の夢を見ること。つまり夢の二本立て、三本立て興業というわけである。これにはほとんど例外がない。それも一作ごとに筋立てがしっかりしていて、言わばシナリオの完成度が高い。下手の横好きとはいえ小説擬きをいじくる身、このまま夢の中に埋もれさせては残念と、再三メモを試みるのだが、そこは儚い夢のこと、いったん覚めてしまった 頭では再生できるものではない。どうやら現実の私は、眠っている私にかなわないらしい。まだまだ頭を使いきっていないと考えたらいいのかどうか…。昔、「夢で逢いましょう」というテレビ番組があった。本当に望む人に逢えるのなら、いっそ現(うつつ)を夢に、夢を現にと考えたい人は、案外多いかもしれない。『思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを』(古今集・小野小町)一億総小町状態になりそうである。

 昼の夢は厄介で、男のそれは下手をすると人生を棒に振るはめに陥る。女の場合も同じだとは思うのだが、生憎私は女ではないし、女が夢ごときに翻弄されるほど脆弱だとも思えないので、ここは敢えて男だけにしておきたい。私の夢は法曹就中(なかんずく)弁護士になることであった。それが貧しさから抜け出す唯一の道だと思っていた。目標は正木ひろし弁護士。しかし司法試験の壁は厚く、アルバイトと受験勉強を破線状に繰り返す異常な生活は、十二年で終止符を打つことになった。目的地が遠ければ遠いほど、辿り着けなかったときの心身の傷みは激しい。『希望は娼婦のようなものだ。すべてを捧げさせたあげく、無慈悲に捨てる」(高橋和巳)。虚脱状態は長期間に及んだ。しかし今は田舎道の側溝に咲く花を目標に、第二の人生を歩いている。次の夢を創るのもまた夢だと信じて。

 目の前にある可能性を一つずつ運び去られ、その代わりに自分を直視する鏡を一つずつ増やされていく男たち。天高くその身を揚げるには遠くとも、夢の詰まった風船で、重い足を少しでも軽くと考えるのは無理からぬことなのである。しかしその風船もいつかは凋(しぼ)む。
 女は現実を知ったうえで屈強だが、男は現実を知ったら最期矮小化する。それを避けようとすれば、風船が小さくならないように苦しくても吹いて、追加の夢を送り続けなければならない。それも、爆発させ日常を破壊することがないような力加減で。それでも駄目なら、街に出て酒でも飲もう。酔って帰って子供のように、昔はあった積み木を数えて眠ろう。『かへり来ぬ昔を今と思い寝の夢の枕ににほふ橘』(新古今集・式子内親王)と、夢でも目的を達する女性の強さにあきれながら。

 現世を去るそのときに、現世で見聞きし体験した全てを夢としてとらえれば、死ぬことは覚めること、しかも覚めてから見る夢はすでにない。だから現世の現実が夢で、後にも先にもそれが全てだと言うことができる。ここまであれこれ考えてきてハッと気づいた。私が浮橋を渡っているようにフラフラユラユラしているのは現世が夢だからた、と。
   (馬場驥一郎の筆名で「同人誌・羅第3号」1998年)

. 風呂三昧

 「風呂三昧」

  以前「小説太田道灌」を書いた折のことである。周知のごとく太田道灌は、相模の国糟屋庄(かすやのしょう)府第(ふだい)の湯屋で上杉定正の手の者に斬られて最期を迎えるのだが、その当時の風呂がどのような構造なのか分らず、ディティールを端折(はしょ)ってしまった。その資料が十二年を経て見つかる。テレビ・映画の時代考証家林美一氏の「時代風俗考証事典」がそれである。二段組み七百頁の労作で、積年の疑問が一気に氷解したことは言うまでもない。一言で括っては林氏に気の毒だが、要するに蒸し風呂であり、湯船に入るようになるのはずっと後になってからのことだという。私の作品の中では、別の場所で沸かした湯を運んできてもらい、それを体に浴びる掛け湯にしている。もっともそれも並行してあったそうだから、問題は府第の湯がどっちだったかなのだが。いずれにせよ、風呂一つとってもこれである。時代物を執筆するには相当の覚悟と時間が要る。

 さてこの風呂だが、なぜ「ふろ」というのか気になっていた。別の資料によれば、室(むろ)から変化したものだという。蒸し風呂式なら室が要るから何となく納得がいく。一説には風炉(ふうろ)からきたとも。茶の湯で湯を沸かす炉が風炉だから、確かに江戸以降の風呂の沸かし方に類似していて、これも説得力がありそうだ。とりあえず一っ風呂浴びて両説の優劣を考えたい。

 唐突だが、風呂は素っ裸ではいるものという常識が覆(くつがえ)りつつある。元凶の一つはテレビの入浴シーン。特に温泉宿の紹介番組では例外なくバスタオルを身に着けたまま湯に浸かっている。中には「ああ、それでバスタオルっていうんだ」と妙に納得している人がいるから恐れ入る。普通のタオルでさえ浴槽内に持ち込まないようにと注意されている以上、いわゆる勿論解釈で、それより大きいバスタオルは駄目でしょうが。もう一つは各所にできたスパが水着着用の混浴施設を設けていること。温泉を海水浴場並みにしてしまった罪は重い。もっとも、昔はユカタを着て湯浴みをしたというし(だから「浴衣」の字を当てる)、武士は下帯をつけたまま湯浴みをすることが多かったろうから「常識」と言っても些(いささ)か心許(もと)ないのだが。

 ついでにこの「スパ」、いつから蔓延(はびこ)りだしたのであろう。温泉や鉱泉あるいはそれらの施設自体を指すが、少し前まではホットスプリングスが温泉であった。熱いものが跳ねている感じが湧出する温泉をそのまま表現していたのに残念でならない。spaのsを大文字にするとベルギーの保養地になるというから、そこら辺りが語源かも。

 風呂の話題ならまだある。雨に濡れるから露天風呂に屋根をと騒ぐ人、豆粒程度にしか見えない距離からでも人に見られるのは嫌だという人。一々応えていると、ついには露天なのに、三方四方囲まれて内風呂と何ら変わらない構造になる。こんな我儘(わがまま)なお客さんに読ませたいのが、川端康成の『伊豆の踊子』である。「学生さぁーん」と全裸で露天風呂から手を振った少女にあなたもなってみませんか、と。ま、三浦友和クラスの美男子「学生」がゴロゴロいるはずもないけれど。逆に、やたら手を振られた方も迷惑千万か。

 というわけで、格調高く進めるはずのエッセイがあらぬ方向へ奔(はし)ってしまったが許されたい。英語でも「Go to Bath !」は「どこへでも行ってしまえ」だし、昔から「裸で物を落とす例(ため)しなし」というから、全裸の話で終えれば、これ以上「品」を落としようがない勘定だ。さて、長湯は禁物、そろそろ上がろう。
   (本名で執筆『小田原文藝12号』掲載。2002年)
 
 
 美術館の記事が1日ずれたので、番外ながら「埋め草」にはめ込んでみた。
 バスタオルで入浴の件、最近のテレビでは※印つきで「撮影のための着用」だと断り書きが入るようになっている。ただし、ほんとに小さなテロップで。
 興味のある方のために。『時代風俗考証事典』(1994年新装再版)の著者名「美一」の読みは「よしかず」、発行は河出書房新社である。爺は、川越市内の古書店で発見して購入、とび上るほどに喜んだ記憶がある。

. 美育に誘われて

 梅雨らしい雨も午後には止むと報じられて、熱海市桃山にあるMOA美術館に出かけた。
 2階入り口でチケットを買い入場したので、真っ先に出会った美術品が、ロビーに在るフランスの彫刻家マイヨール作の裸婦像『春』だった。マイヨールと言えば、爺の中では『地中海』しかなかったが、目の前に立っていた裸婦は、凛としてはいても艶やかさはなかった。あえて言えば熟していない裸体で「蒼い性」を感じた。しかし、それゆえ無限の美の可能性を秘めていると、言えるのかもしれない。

 「案内嬢」の掌に従って入った最初の展示室は、太閤秀吉が造らせたという『黄金の茶室』の復元のみ。躙(にじ)り口で身分の如何にかかわらず身をかがめて入ることを求め、有り合わせのものでもてなすことを至上としている利休の「茶の湯」に、真っ向から対立する構えになっている。秀吉から自慢げに見せられた利休の落胆と憤怒如何ばかりかと。説明役には気の毒だったが、耳を傾けることもなく退去した。時代劇風に言うなら、「茶を解せぬ猿秀吉の得手勝手な自慢高慢、実にくだらぬ」。

 岩佐又兵衛(1578-1650年)という名は初めてだった。旅の途中盗賊に襲われて殺された母常盤御前(ときわごぜん)の仇を討つ青年源義経の伝説を、彩色豊かな絵巻物にしている。言葉だけでなく本当に「巻物」なので少しく感動した。かなり長尺で、複数の展示室を費やしていたこの『山中常盤物語絵巻』は、今期の特別展示物に該(あた)るらしい。

 創立者岡田茂吉の名を冠した美術賞受賞作などを展示した室。着物などはまったく無知なので、ただ見るのみ。それが退出する直前に観た巨大な絵の前で硬直した。しばらく時間が止まる。「すごい感覚だ、これ」。植田一穂『夏の花』(2007年)。初めて出遭う名前だった。感動を呼ぶであろう未だ観たことも無い絵、「沢山あるんだろうな」。何の脈絡もなく自分の年齢を想った。

 国宝の、尾形光琳『紅白梅図屏風』は限られた期間だけ本物を展示するらしい。会場には、その旨が掲示され、いわゆる「写し」が立て掛けられていた。これは観たかったので残念至極。

 『美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯(たの)しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する』(解説文)という故岡田茂吉の、そして文化財団の信念は、正しいと思う。その上で、「美」の力を借りて、情操教育にとどまらず、『生きる力』そのものを養う『美育(びいく)』(同上)につなげる。これも素敵だ。
 爺が知る限り、従来教育は知育、体育、徳育で語られてきた。ここに「美育」が加えられるとき、これからの子ども、そして大人はどう変化していくのか。この日6月12日は、楽しみがひとつ増えた日になった。

 

 

. 「北風」につまずいて

 少し前、珍しい名前というのが話題になった。「北風」という姓は何と読むのかというもの。しかも爺なら知っていると「買いかぶられ」てしまったのだ。いわば「知的ピンチ」である。風の別名は東西南北の全てにあり、しかも地方、地域によってかなり異なる。東が「こち」、西が「ならい」、南が「はえ」と出たが、さすがに北はつまずいた。

 ふつうの人ならその場を離れれば気にもしないに違いないのだが、爺は「変人」なので、本棚のあちこちを見回して調べることにした。以下はその結果の「レポート」。字数が限られているので爺なりにまとめてみる。もっとも、誰一人興味がわかないかもしれないのだが。

 東風、西風、南風、北風は全て人名、地名として存在する。当然ながら示された方角は、○○から吹いてくる風であって、○○に向かう風ではない。ならば「方位」だけでいいではないかと思う。ところが古来風には複雑な名称が付されて、それぞれがその地方の生活に密着している。風の影響をまともに受け、命さえかかっている漁師、船乗りの間では特に重要なのである。季節の移ろいに敏感な歌人、俳人の風雅に資するためだけのものではない。

 「東風」は、「あいのかぜ」「あゆのかぜ」と詠ませる場合がある。ただ山本健吉によれば、この呼称は東の風と定まってはいなかったらしい。「こち」は、今日でも瀬戸内海地方で使われているという。もっとも上に言葉が付けば「ごち」となるので注意が要る。「鰆(さわら)ごち」「桜ごち」の類だ。同じ東風でもさらに細かく、吹く時季を特定しているわけだ。
 季語は「春」になる。
 『東風吹くや耳あらはるるうなゐ髪』(杉田久女)。
 ちなみに髫髪(うなゐがみ)は、女の子の髪を襟首(えりくび)あたりで切り、下げたものである。
 『東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな』
 この菅原道真(みちざね)の和歌は、「東風=こち」の読みを、お馴染みにしてくれた。

 「西風」に、文芸的に目立ったものが無いのには驚いた。「ならい」は海沿いの土地で冬に吹く強風をいうが、どうやら「西の風」に限らないらしい。
 『夕ならい一トきは月のほそりかな』(万次郎)

 「南風」はそのまま「みなみ」と呼ぶ地方がある。瀬戸内海では「まじ」ともいう。九州では「まぜ」とも。広範囲で著名なのは「はえ」の読みである。夏の季節風で、海で働く人たちにとっては一般的に「順風」になるが、一部の地方では荒天とされている。爺の居る伊豆の伊東が「はえ」読みの東の端らしい。舟で働く人たちの間では、梅雨の始めの頃の南風は「黒南風(くろはえ)」、梅雨明け近くでは「白南風」と呼ぶようだ。
 『和歌の浦あら南風鳶(とび)を雲にせり』(飯田蛇笏) 
 ちなみに、この俳人は「だこつ」と読み、「荒(あら)南風(はえ)」は、梅雨の中ごろの南風のことである。

 「北風」は驚くなかれ「あなじ」とも読む。北日本の風だけと思いきや、西日本で吹く冬の北西風だという。寒そう。もちろん冬の季語である。文芸的に引く和歌も俳句も見当たらないので、一気に飛んで、槇原敬之作詞の『北風』にいく。
 ♪『北風がこの街に雪を降らす
   歩道の錆びついた自転車が凍えている』 (部分抜萃)
 この自転車が主人公の男性。大好きなあなたのところへ走っていけない。僕の心は錆びつき、凍てついているから。
 リフレインから見て、そんな感じなのだろうか。
 「北風」を自分で呼んでしまっているってこと、無いのかなぁ。
  
 

. 何は無くても

 「何は無くても」

 年中美味(うま)いよという反論を覚悟で言えば、秋こそ酒の季節である。牧水ならずとも静かに杯を傾けたくなろうというもの。しかも酒には古来ご利益がある。「酒に十徳あり。百薬の長にして延命。旅に食あり、寒気に夜あり、推参に便あり。憂いを払う玉箒(たまぼうき)。位なくして貴人と交わり、労を助け、万人和合して、独居の友たらん」と何とも有り難い存在なのである。
 しかしそうであるがゆえに、高橋和巳云うところの「節度を超えて、過度へ、過度へと誘(いざな)う要素が不可避的につきまとう」。ここらあたりを自戒しつつ、絶対羽目は外さないという目標を立てた記念に先ずは一献(いっこん)。「一杯で人酒を呑み、二杯で酒酒を呑み、三杯で酒人を呑む」。クワバラクワバラなのだが、中江兆民級になると些(いささ)か違って、「更に飲めば、心身頓(とみ)に激昂し、思想頻(しき)りに坌湧(ふんゆう)し、身一斗室の中にあるも、眼は全世界を通観す」とくる。
 飲めば視野狭窄(しやきょうさく)状態に陥り、ご婦人の胸や臀部に酔眼を固定しがちな輩(やから)とは大分距離がありそう。ここはひとつ、恥など晒さぬよう、吉川英治の教えに皆して従おう。曰く「酒は舌を洗う程度がいい」。誰です? 「最初は」って付け加えた人は。
     (本名で執筆。同人誌「岩漿11号」掲載。平成15年)


 勤務3日目の早朝。
 昨夜9時に就寝し、午前2時半に目覚めたので「埋め草」を打ち込んだ。
 本日は「半日勤務」にする。「齢68」、見てくれは若そうだし、動きも短期なら40代台程度で通るが、「爺は爺」だと自ら納得をした。
 古来こういうのを「年寄りの冷や水」という。

 さてと出かけるか。伊豆スカイラインで、また小鹿に会えると、心弾むのだが。すでに2回も、なのだ。

. 忍び寄るのは何の気配

 要請があって3日連続勤務になった。エッセイの助けを借りたい。何年も前に創ったのに、いまの状況にそっくりな内容。歳月、まさに恐るべし。

「忍び寄るのは何の気配」

 最近ほとんど本を読まなくなった。新聞はそこそこ見ている。広告ばかりで記事が少ないなどと生意気を言いながら、追っているのは見出し、小見出しの類で、タテジマ模様にしかうつらない本文は飛ばす。政治面は茶番劇案内でしかない、経済面で右往左往するほどの小金も無い、社会面は殺伐としすぎているなどなど、怠ける口実には事欠かない。しかし本当の理由は老眼だ。ついこの間までウイルスまで見えそうな威力を感じていたレンズがもう目に合わない。聞けば年に二回は検眼して度を変えないといけないらしい。ため息の二乗である。目で思い出したが、目ヤニには気を付けたい。女性のように鏡で自分の顔を見まくる習慣がないのでウッカリしていると、年齢以上にくたびれた印象を与えてしまう。

 記憶力の減退も情けないことの一つだ。努力して活字に向かったとしても脳味噌に記銘できない。数分前に読んだ興味のない数値の再生を試みたところ(つまりその方が純粋に記銘力テストができる)予想をはるかに超えた惨敗。終日落ち込むことになった。あの優れていたはずの頭はどこへ行ったのだろう。次に気になるのは、昔憶えた事柄を再生する力である。高齢者も若い頃のことは昨日のことのようによく憶えているという、あれである。ところが、感激した映画のあの監督、あの俳優の名前が出てこない。通算十回は観た作品でこれである。完全に忘れたわけではないことは、あとでヒョイと思い出すので確か。してみると脳の機能がすこぶる弱っているということらしい。またこれで半日は憂鬱に過ごす。
 ついうっかりカミさんに話そうものなら、これが自慢話に変質するから不思議。『頭の良かった人はいいわね、悩みが多くて』。最初から悪い人への嫌味だというのだ。

 眠りも浅くなった。小便の勢いは衰え、尿切れも悪くなった。妻に縁遠くなった分、爪楊枝が食事時の伴侶になった。昔忍び寄るものと言えば、良くて女性、普通で春とか秋、悪くても失業だった。それが今は…。
 そうそうこんな『標語』があった。『こどもを叱るな来た道じゃ。年寄りを笑うな行く道じゃ』。
 この言葉の奥深さに乾杯。ああ、そうだ、酒も弱くなった…。
     (本名で発表。同人誌『つみき31号』2001年)
 

. 「ボーンコレクター」

 アンジェリーナ・ジョリーがまだ大女優でなかったころの主演女優作品である。役名はアメリアで、下級警察官。一方の主演男優はデンゼル・ワシントン。現場捜査の最中に落盤事故に遭って半身不随になり、死に至るかもしれない発作にも悩まされている捜査理論の泰斗(たいと)的存在リンカーンとして登場する。或る日アメリアが猟奇殺人の現場に偶然出くわし、その現場保存のセンスをリンカーンに認められるところから物語は始まる。

 この作品はいわゆる「ネタバレ」厳禁の作品なので、数種の連続殺人につき順を追って何かを語ることは避けたい。恐縮だが、ラストまで観た後での、印象を綴るにとどめる。
 アメリアは初心者、リンカーンは身体障碍者というハンディキャップを背負って犯人に「対峙」し、さらに後任の愚昧な上司チェイニーという「捜査妨害者」を抱えたかたちになる。自分の保身や出世しか興味のない上官は、日本の刑事ドラマでお馴染みの設定である。
 ただ、リンカーンの元部下のスタッフは優秀で、アメリアはその中に組み込まれていく。
 
 ラストで猟奇連続殺人犯は、病院でチェイニーと献身的な看護師セルマを殺したあと、殺害目的のリンカーンに迫る。これはキャスティングの問題でもあるのだが、この華奢な肉体の犯人に、連続殺人を遂行する「パワー」があるのかという疑問が生じる。「ボーンコレクター」という小説通りの殺害法で実行するのは、映像で見た限りでも、単独犯では無理だと言わざるを得ない。
 また、犯人の「知的ゲーム」を見ていると、最後まで頭脳戦の「勝利」だけでいいはずだという気持ちが抜けないのだ。捜査手法がリアリティーに富んでいただけに残念でならない。
 この映画での「副産物」は二つ。尊厳死の問題をドラマの底流としていたこと。そして反面教師的ではあるが、「組織(チーム)というものは指揮官の資質以上のものにはならない」ことを描いてくれたこと。
 アメリアの捜査官としての成長を、「隠蔽配線」的に組み込んだところも嬉しい。殺伐とした中で、何よりの救いになっている。

 『ボーンコレクター』はフィリップ・ノイス監督1999年の作品だが、不思議なことに爺が勝手に選んだ猟奇殺人映画の3大傑作が、この90年代に集まっている。参考までに記すと、1991年『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督。ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス主演)と、1995年『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督。ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン主演)である。
 この3作品は、偶然だろうか、本来「知的であるべき人間」の、人格とモラルの崩壊を描いている。
 犯人が「インテリ」でなければ犯罪映画は「名作」たりえない。
 乱暴な形で、そう言われているような気がする。 

. 毒にも薬にも

 新しい「カテゴリ」を設けた。広い意味でのスケジュールが詰まっていたり、心理的に余裕がなかったりしてブログ記事が創れないときがある。かと言って、日時を空けてしまうのも何となく気になる。そんなときに、限られた読者にしか「発表」していないエッセイを載せたいと思ったのだ。「おもひで」ブームなのであやかることにしたい。作者名は本名もあれば、馬場駿という筆名もあり、さらには「埋め草」専門の筆名高島京も使っていたので、あらかじめ同一人、つまり爺であることを告白しておきたい。第1回のタイトルに掛けるわけではないが、みな毒にも薬にもならない「お話」である。

「毒にも薬にも」
 消防士の活躍を描いたロン・ハワード監督の「バックドラフト」を見た人は、トリクティコラレイトという耳慣れない薬品名に戸惑ったのではないかと思う。犯人はマグネシウムを食うこの妙な薬を使い、密閉した室内で緩慢な燃焼をさせて中の酸素を極限まで奪い取っておく。ターゲットにされた人物が何も知らずにドアを開ける。死にかけていた炎は急激な酸素の供給を受け、爆発的に巨大化してその人物を吹き飛ばし、死にいたらしめる。バックドラフトそのものは防火管理者講習でも再三登場するので、フラッシュオーバーと共に割合知名度が高い。このドラマの主役は、だからこの妙な薬である。

 こういう使い方を真似される恐れはないのだろうか。心配性な僕などは映画を見てすぐにそれが気になった。潜在的な犯罪者に知恵を付けてやるようなものではないかと。もっとも舌を噛みそうな名前が禍(わざわい)して? 憶えてもらえないかも知れないのだが。

 このことに関連して常日頃不思議に思っていることを口にしてみたい。それはドラマで殺人に使われる毒薬がなぜ青酸カリばかりなのかという、恥ずかしいほど単純な疑問である。人を死にいたらしめる毒物は山ほどある。作家たちが無知なはずがない以上、何か訳がありそうである。もし、青酸カリよりも強力で入手しやすい毒薬を作品で一般に紹介したとしたら、そしてそれが実際に使われて殺人が行われたら、そう考えてのことだろうか。ちなみに青酸カリがシアン化カリウムのことであり、白色の個体で水によく溶け、致死量も極僅かで嚥下(えんげ)してすぐに「効果」が出ることは知られている。これが青酸カリを「毒薬の王」たらしめている理由なのかもしれない。著名な分、作品の中で使っても殺人者に知恵を貸した気にはなりにくい。したがって罪の意識も生まれない。

 一時砒素(ひそ)が小説やドラマによく登場した。微量を継続的に服用させると死因がわからないと言うのがこの「薬」の売りであった。松本清張が嚆矢(こうし)だと思うが、全盛期には時代劇にまで登場したのでびっくりした。いつの間にか一線から身を引いたが、新しい毒薬として「期待」されたことは事実である。不謹慎ながら毒薬のニューフェイスが待たれる。

 昔、横山光輝の漫画「鉄人28号」でクロロホルムという麻酔薬を知って胸を躍らせたことがある。現在はほとんど使われていないとものの本で見たが真偽の程は分らない。なんでもクロロホルムを使ったところ死亡した例が二、三出てしまったからだという。探偵物にはぴったりの語感だっただけに残念である。

 僕は以前、青酸カリを凌ぐ毒性をもった農薬を使って小説を書こうとしたことがある。しかし前記の恐れから断念している。だからここでもその薬品名は伏せるが、小説の世界で常に密室殺人が誰かに見破られ、完全犯罪が必ず覆されるのも、どこかに共通するものがありそうである。
 それにしても毎度毎度青酸カリで毒殺では読者に飽きられるのではと、つまらない心配をしている今日この頃である。
 万一新しい毒薬を小説で使う場合は、やはり警察に届け出た方がいいのだろうか。「殺人教唆」や「殺人幇助」の嫌疑をかけられないように。小説を書くのも結構大変である。
       (本名で執筆「同人誌・羅第2号」1997年掲載)

. 「風の帰る場所」へと

 早朝散歩の途中、思わず足を止めた。修善寺街道の伊東郵便局の前で。真っ直ぐな道が数百メートルも続いていて信号機の赤が三つ重ね。濃墨色の雲が、居並ぶ建物が創る三角形の突き当り近くで終わり、そこから白い空が輝くように、横に広がっている。車も人も全く見えない「街」が、黙ったままで目の前に居る。
 「まるでアニメ映画の導入部みたいだな」と、手の甲で鼻をこすった。

 昨日は終日雨で、部屋の中に閉じこもっていた。ネットを使っての「アルバイト」を数時間。あとはハードカバーの1冊の本と「格闘」していた。宮崎駿著『風の帰る場所』(2002年ロッキング・オン発行)がそれだ。発行者でもある渋谷陽一が宮崎駿にインタビューをした、そのままの記録である。当然テープ起こしだろうから、「 」の中身は生のままになっていて、爺は、まるで渋谷という人の隣に座って宮崎駿の声を聴いているような錯覚に陥った。好きだから描いているという1人のアニメーターに過ぎなかった彼が、なぜそこに「所属」し、誰に出会い、何を感じ、どこを目指して監督になり、巨匠になったのか。宮崎アニメのファンであり、研究者であり、理解者であったインタビュアーが、控え目ながらもリード巧みに引き出していく。この場合、知性はインバータ機能を持った「吸引機」だと言える。

 そもそも最初に手にしたのは、宮崎駿著『続・風の帰る場所』(2013年ロッキング・オン発行)の方だった。大部分を占めるインタビューの聞き手は渋谷陽一で同じである。『崖の上のポニョ』『風たちぬ』から引退宣言に至るまでの5年間が語られていた。2002年版では『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』が俎上に載っている。本の帯にある『宮崎駿が自作を語り尽くす12万字』は嘘ではない。
 ちなみに前著は349頁、続編は324頁、通すと673頁に及ぶ。

 裏話では包み隠すこと無しの真正直、理解者に示す饒舌という「顔」、自作に対する目標値の高さに因る「自己批判力」、隣り合い複雑に絡む「矜持(きょうじ)と韜晦(とうかい)」。自分の創作を規制する経営(営業)というものへのある種の「憎悪」。とにかく大変な「職人」さんと言えるだろう。故黒澤監督が「最後まで残る独裁者がいるとしたら、それは映画監督だ」というようなことを記している。推測だが、制作に携わったアニメーターにしてみれば巨匠宮崎駿は、まさにそうだったのではないか。
 そうでなくして彼が、1作ごとに100億円以上の興行収入を「義務付けられて」、その重圧に耐えられるわけがない。また、それを可能にする作品の質を保ち続けられるわけがない。そう思う。

 完読して爺は、人として圧倒され、畏敬の念を抱き、感覚としてはある種の感動を覚えた。これだけ分厚い本を短期間で完読したのは十数年ぶりになる。
 もっともこれは、昨日の、降り続いた雨のお陰かもしれないのだが。


 
 
 
  


 

. 幾山河越え去り行かば

 私事ながら6月1日はいわゆる「結婚記念日」だった。かみさんは「氷結」、爺は「いいちこ」のお湯割りで、とりあえず乾杯。「何年になる」と口にして、二人で指折り数えたら28年だった。歳月とは不思議なもので、その間の日々は、あれこれ、いいことも悪いことも、「笑う」ことも「泣く」ことも、荒波もさざ波も凪(な)ぎすらあったのに、過ぎてしまえばただの数字でしかなくなる。それでもその「数字」のうえに今がある。「記念日」とはその確認、そんなものかもしれない。

 一夜明けた今朝、なぜか寝起きで、それでなくとも最近精度が落ちた頭で、若山牧水を諳(そら)んじてみた。
『幾山河越え去り行(ゆ)かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日(けふ)も旅ゆく』
 人生とは「漂泊」そのもの。何を求めて高くしすぎた「山」を越えようとし、何を憂えて見えざる「河」に身を浸して渡るのか。きりがないから「おやめなさい」との、声が聞こえる ようだ。食べられる。排泄もできる。手足が動く。外も歩ける。それすら「幸い」と思える「齢」。無いものを探すな、在るものを見詰めていればいい。まだ薄暗い床の中で、そんなことを想った。
 半世紀も前のこと、たしか、すぐ上の姉がカール・ブッセの詩を暗誦していた。爺の頭も若かったので、知らないうちにシッカリと、記銘している。

『山のあなたの空遠く
幸(さいわひ) 住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
幸住むと人のいふ。』
 
 これは上田敏の邦訳だが、自分で創った「ムービングゴールポスト」にとらわれて漂泊する人間の「哀しさ」が伝わってくる。何を隠そう「爺」の人生もまた同じだった。いまだから素直に、そう、唇も噛まずに言える。
 ちなみにこの詩、ドイツ語の原詩で確認すると、行の末尾が、n - ck, n - ck, n - ck,  と「韻」をふんでいる。 発見して、ちょっと嬉しかった。
 老婆心ながら(爺なのに?)『涙さしぐみ』は聞きなれないが、意味は単純に「涙ぐみ」で差支えないと思う。

 キーボードを打っていたら、牧水とブッセが山口洋子の詞にオーバーラップした。五木ひろしが唄ったこの曲が好きだったせいもある。

『行きすぎてきた愛の日々
通りすぎた風の街
ふと振り向けば人はみな
旅の途中のちぎれ雲 …』
 二番、三番もそれぞれに、さらに。

 取り上げた短歌と、外国の詩と、歌謡曲の歌詞、そこには人の心に内在する絶対的な「寂しさ」「哀しさ」の「系譜」が存在するように思えるのだが、的外れだろうか。
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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