蛙声爺の言葉の楽園

. 心の「新年度」

 4か月近く、サイト破損で送信不可能になっていたのだが、本日、新しいビルダーに乗り換えて、早朝から「引っ越し」をしていた。(だいぶ経って分かったのだが、送信がうまくいっていない。やっとその原因を掴んだときは夕方だった)結果は、トップページで『岩漿23号』の案内を載せるのがやっとだった。
 今後は、もろもろ忙しいけれど、「おう、新しいのも入れたじゃん」と言ってもらえるように、「更新」作業に精を出そうと思う。

 この29日だったか、気分も新たにと、ブログのテンプレートも明るい感じのものに変えている。
 今日で「今年度」は終わる。
 明日からは気持ちも新たに「老人業」に勤(いそ)しもうと思う。「健康は数百万の貯金に勝る」ので、人一倍気を付けなければならないが、増える自分の時間を有効に使い、「どれだけ人のために自分の時間を費やせるか」を物差しにして毎日を過したい。
 ブログも、ホームページも、小説・文芸も、パートタイマーなどの「仕事」も、全てこの「目標」に合わせたいものだ。
 学者によれば、そのほうが体内に「幸せホルモン」が分泌されて、楽しく健やかでいられるそうな。

 この「幸せホルモン」は当初赤ちゃんに授乳する母親の中で見つけられたようだが、その後老若男女を問わず、程度の差こそあれ分泌されることがわかったそうだ。セロトニンとかオキシトシンがこれに該当するらしい。ちなみに、これらを語る「コマーシャル」はほとんど女性向けである。

 

. 縁起がイイの、これ。

 終わりが近づいたころに、圧倒的な頻度で訪れたピンチヒッター出勤。そんな中での昨日の早朝、出勤路の伊豆スカイラインで観た、富士山と海側の赤すぎる朝焼け。まるでアニメーションの背景画のよう。さらに去年や一昨年も同じ場所で見たオスの雉(キジ)の雄姿。まさか同じ「奴」だとは思わないが、富士見たさの無防備状態、なのかどうか。朝っぱらから踊る心。「一富士二鷹三なすび」ならぬ「一富士二雉三朝日」だが、これは吉兆なのか、それとも何か「わるいことでも?」なのか。ま、良い方にしておこう。

 そう解釈していたのに、午前中少しく体調の乱れを感じて、午後半休に切り替えた。やはり爺は爺だった。
 帰宅するや、横になって1時間ほど眠った。素人判断だが、症状からして一時的に血圧が上がったためと推定している。夜も8時半と早々に就寝している。
 というわけで、楽しみにしていた伊勢原行きは取りやめることにした。体をゆっくりさせるしかない。本日午後から伊勢原市シティプラザ1階ふれあいホールで、「太田道灌公を大河ドラマに」をスローガンにした「太田道灌サミット(仮称)」が開かれるのだが、爺も『小説太田道灌』を執筆・発行している関係でお誘いを受け、参加したいと思っていた。もっとも予約はしていない。体調や勤務日程があらかじめ分らないためだ。

 体調不良でも早起きは不変で、朝からおとなしくDVDでビートたけし主演の『点と線』を観ていた。松本清張の原作(小説)は、遠い遠い昔に読んでいる。現在氾濫している鉄道を使った推理小説の嚆矢(こうし)はこの『点と線』だと言っても過言ではない。鑑賞は2度目なので、事件の解決よりも、母子、夫婦の愛情の描き方を中心に細部を確認した。
 シーンによって涙腺が緩んだのは、やはり歳のせいか。 それとも体調?
 いずれにせよ「秀作」である。
 感想を詳しく綴る「余力」がないので、ここで終える。
 予報では雨なのに、サッシ戸の向こうは晴れ、外を窺ったかぎりでは松川対岸のソメイヨシノは6分咲き…。
 

. 「岩漿」の春

 ここ10日ほど、職場の「ピンチヒッター」としての勤務が続く。そんな中で同人誌『岩漿』(がんしょう=マグマ)のゲラ刷りが届き、いよいよ発行の「春」が間近に迫った。
 
 いつもだと、編集段階で全編を読んでいるので、個人的には「発行」の喜びの「比重」は比較的小さい。ところが今回は、雑誌の形になってくるのが待ち遠しい。なぜだろうと自分の中で突き詰めてみると、「ほんとの同人誌になったな」と心底感じたからだった。書き手のほとんどが筆名になったのは、プライバシー的な手械足枷(てかせあしかせ)を超えて、書きたいテーマで書きたいままに創作を試みたからだろう。それでも広義の意味で周囲への配慮は要る。本名が消えていくのはある意味で寂しいが、作品自体がもつ躍動感は否応なしに増していく。

 プロの作家の作品はいざ知らず、同人誌作家の作品レベルでのもっとも恐ろしい「誤解」は、『作者の中にないものは作品の中に出てこないでしょ』というものだ。例示をすれば、ストーカーや変質者を描けば作者も異常者、残虐な場面を挿入すれば作者をも危険視、性的なシーンを描けば作者も欲求不満といった具合だ。こういう発想は、「虚構に始まり、虚構で決着をつけるのが小説」という根本をご存じないからだと思う。たとえ知ってはいても、巧拙は別として目の前にいる「普通の人」が作家と同じ「作業」をしているということが信じられないのだ。
 今回ここで、あえて取り上げたのは、『23号』の作品の多くが、いろいろな意味で「危険なもの」を取り扱っているからだ。しかし、そこにこそ「文芸」の意義があると爺は理解している。

 かくいう爺が、読者の立場で上記意義を確認したいので、「本」になった『岩漿』が待ち遠しいのだ。
 発行日は4月の上旬、だろうか。


 
 

. 来し方行く末の「旅」2

 中央自動車道韮崎ICの少し先に双葉というサービスエリアがある。兄の山荘を訪問する際必ず立ち寄ることにしている。帰路でも同じだ。土曜日のせいか、午前8時と比較的早い時間だったのに、駐車場は満杯寸前、レストハウスの食堂もほぼ満席だった。やむなく自販機でブラック珈琲を買い、表に出た。目の前を、幼児や小学生を連れた夫婦が次々に通り過ぎていく。呆としてそれを見ている爺。
 『いい時代だな』。
 ボロ家の縁側で鉋掛け(かんながけ)をしている親父が見えた。昆布を削ったときのような、あの薄さでシュルシュルと鉋屑が宙を舞う。真っ黒に日焼けて、白の混ざった無精髭の、明治生まれの男がそこに居る。『旅行なんて、一度だってなかった』
 お金が無いと母は幼かった爺を連れて、横浜市内でも当時はあった田圃道を歩いた。芹(せり)、野蒜(のびる)、はてはタンポポまで摘んでいく。「おひたし」にしてオカズにするためだった。『おふくろとお出かけなんてのも無かったな』
 時系列とは関係なしに浮かぶ、あの世にいる父母の在りし日の姿。
 ドンッとドアを閉めて『さて行くか』と、「ブラックブラック」を食(は)む。

 毎度のことだが壮観だ。下に釜無川と、支流の大武(おおむ)川が流れ、真正面に甲斐駒ヶ岳、その左側に南アルプスの鳳凰三山を丸ごと望む。中央線日野春駅からの道との合流点からの眺めだ。春三月の大気が景色全体をソフトフォーカスにしている。頂き近くの残雪の白も、麓近くの青緑色も、淡々(あわあわ)として温かい。シフトダウンをして、さらにブレーキを踏んでいる。後ろから車が来るまでは、巨大な水彩画を堪能していたかった。

 一旦兄の住む里山に入ってから二人で須玉に買い物に出た。昔から「景色の良い所は生活が厳しい」と言われている。標高800メートルの山荘に独り暮らすには車が不可欠なのだが、高齢が進めばいつかは運転が不可能になる。土地や建物の広さにもよるが、こういう環境では大家族的な構成の方が、相互支援ができるのでベターだと言えるだろう。爺も40年近くも前、同所に1年半ほど独り住んでいた。当時電気はあったが、電話はなく、テレビもなく、郵便も局留め扱いで、まさに「陸の孤島」に近かった。ケータイやインターネットはその影も形もない頃の話だ。
 「独り」、その言葉の重さを、あのときほど知らされたことは無い。
 当時とは異なり宅配便まで届く環境になったとはいえ、何と30年近くも耐えている兄。流石に体力は落ちたが、自分を律し、正気を保ち、認知症に罹ってもいない。否、今もなお、学習に余念がないのだ。この暮らしの過酷さを知る爺は、兄に敬意を表さざるをえない。
 ここでハタと気づいた。高齢による「独り」は、大都会でも起こるのだと。

  煮詰まって来た「老い」を生き抜くのは凄絶だ。だからこそ、傍目(はため)にどれほど惨めに、また貧しく見えようとも、「心の背筋」を伸ばし、凛としていなければならない。激動の昭和と、温(ぬる)い停滞の平成を生き抜いてきたプライドを保ちながら。
 来る途中、何度もかけ直したCDにこんな歌詞がある。
 『誰でもいつか年をとる  当たり前じゃないかそんなこと  大切なのは胸の炎  燃やし続けていること』(さだまさし「座・ロンリーハーツ親父バンド」)

 山荘に1泊した翌日の午後、日差しを体いっぱいに浴びて「草刈り」をした。季節的にも落ち葉ばかりの広い敷地内では、本来の意味の草刈りは無い。50センチほど伸びた篠竹を刈るのだ。この時期ならまだ弱弱しく、刈り込み鋏で処理できる。ついでに植木の、無駄で醜い枝を剪(き)り取ったりもする。
 福寿草の黄色い花の群れがあり、固まって顔を出している水仙の緑の芽がある。
 腰をいたわって背を伸ばせば、間近に迫る高い山々。
 「でっけーな。これなら小さな自分なんか吹っ飛ぶわなー」
 まだ鳴かない野鳥が2羽、背の高い木の小枝で追いかけっこをしていた。
 「番(つが)いかなぁ、あれ」
 経験したことでもあるが、独り言も里山に籠(こも)れば、重要な「作業」になる。   


 

. 来し方行く末の「旅」1

 今回の記事は執筆途中に、都合で切れても何回かパソコン前に戻って続けるという特異な書き方になる。ご了解ありたい。
                      ※

 3月14日土曜日の払暁( 午前5時)に伊東の家を出た。
 車は、前日に買い揃えた荷物の数々や着替えから少し大きめの草刈機まで積んであって、とにかく「満員」だ。草刈機などは助手席まで占領してふんぞり返り、あろうことかシートベルトまでしている。その「腕」の下に挟みこんだティッシュペーパーボックスは、言わずと知れた花粉対策だ。
 市内の、いつものセルフスタンドでガソリンを満タンにした。走行メータを0に戻す。往復410キロ、山梨県の武川(むかわ)行きの「旅」が始まる。

 伊豆スカイラインを箱根峠に向かって走る。仙石原までは、何のことは無い通勤路と同じだ。現地に単身赴任をしていた7年間を含めれば、ちょうど10年ここを通ったことになる。いまでは濃霧に閉じ込められたとしても、「現在位置」を確知できる。右手に見える相模の海。その彼方の空がゆっくりと白んでくる。熱海玄岳(くろだけ)付近では左手にうっすらとした富士が丸ごと姿を現した。「スカイライン」とは言い得て妙ではある。 もう少しでこのパノラマとは無縁になると思うと、感慨無量なものがある。

 湖尻から乙女峠にいたる途で、勤務先のホテルの前を通過した。そのときフッと想った。『ここに限らず、過去のどこの勤務先も、人生の通過点だったな』と。また何社か前の会社の上司は言った。『退職したとたんに会社はただの「建物」としか見えなくなる』と。社内の人間関係のあれやこれやも、交渉した業者との取引上の通信も、会社との雇用契約関係上の折々のいきさつも、建物や設備機器との「ふれあい」も雲散霧消して、全ては何事も無かったように、見えてはいる「外壁」の中に収まってしまう。その現実を「寂しさ」としてとらえるのか、「安堵」として抱きしめるのか。おそらく、すべての職業人が「最後」に味わう複雑な心境だろう。いまの爺も御多分に漏れない。

 最も不得意と思われるサービス業で30年、この長さは決して「仮」ではなかろう。むしろ、考えようによっては「天職」だ。数か所の観光ホテルに勤め、人事総務や設備管理を職務としてきたのだが、この期間を振り返ってつくづく想う。
 「どこの経営者にも仕事の上で頼りにはされたが、決して好かれはしなかった」
 だからこそ、「1社」では済まずに「数社」なのだ。
 しかしこれも、爺の不徳の致すところと言えないこともない。
 とまれ、最後の会社勤めが、穏やかな「ソフトランディング」になるのはとても嬉しい。それというのもオーナーと文芸的な「人間関係」を創れたおかげかもしれない。とくに爺の拙い小説『夢の海』を、「いい作品だから」といって1年近くもフロントカウンターに置いてくれたことは、死ぬまで記憶に残るだろう。

 乙女峠からは、見ただけで気後れさえする富士の雄姿に向かってアクセルを踏む。
 とにかく「でかい」山だ。しかもこの日の姿は、雪を戴き、春霞にも似た淡い幕を隔てているので、晴れているのにおどろおどろしい風情だ。「霊峰富士」の面目躍如といったところか。
 富士急ハイランド横から大月ICに至る自動車道に入ると、ようやく「旅」気分が高まってきた。もしかしたら爺自身の中では、ある種「卒業旅行」と位置付けていたのかもしれない。 何からの「卒業」なのか、つまり何を「業」としてきたつもりなのかが問われる。この「旅」の中で突き詰めてみよう。そう思った
 

. 金太郎飴文化?

 朝テレビを視ていたらファミマとサークルKサンクスが合併を目指していると伝えていた。全国のコンビニ店舗数は5万に達し「飽和状態」だとも。確かに増えていることは伊東や箱根の道を通っているだけでも実感できる。爺は何の脈絡もなく、どこを切っても同じ絵が出てくる「金太郎飴」を想った。

 買い物はスーパーマーケット、コンビニ、百均、食事はファストフード、ファミレス、フランチャイズの居酒屋、それぞれの店主の人柄で個性的だった小売店はシャッターを閉じ、妻や母親の手で創られていた家庭料理は衰退の一途をたどっている。高齢者の独居、包丁も俎板も無い若夫婦の「家」、共働きの常識化もこれに拍車をかけている。時代の趨勢、「生活」からの要請。作るから買うへの大きな流れ。味覚は次第に一定方向へ人を導き、文化さえ変えていく。

 見聞も同様で、テレビ、パソコン、スマホ、ケータイと視覚(実写・色彩)から入る。文字から得て、独自にイメージを結び、これを積み重ねて「自分の精神世界」を築くことは難しくなった。
 コミック、アニメ、コスプレは日本発で、欧米のみならず発展途上国をも席巻していると聞く。この流れのキーワードは「カワイイ」だと断定する識者も出てきた。この言葉、かつては「カワイイー」とお尻の一文字が高く引かれたと記憶している。そういえば、服飾、化粧でも同様かもしれない。これらの出来不出来、好き嫌いという「評価」は「カワイイ」かどうかで決まるようだ。この基準はついに、タレント、俳優からお菓子、お弁当の「飾り付け」にまで及んでいるらしい。

 「俳優」で思い出した。生前の黒澤明が自作時代劇のリメイクを許さなかった理由だ。たしか、「侍をやれる顔がもういないだろ」だった。確かにイケメンは数多いるが、揃って平和で、優しい顔をしている。目や表情で相手を叩っ斬ることが出来そうもない。例外はいても大勢用意できなければ映画にならないだろう。イケメンでも納得できた例は『武士の一分』で盲目の侍を演じた木村拓哉だ。彼は剣道をやっていたためか、見事にはまった。これからの時代物は、パロディ的なものか、コミカル路線になるか、どちらかだろうと思う。『蜩ノ記』の岡田准一は、そんな中での救いか。

 気がついたら「カワイイ」を否定しているような感じになったが、すこし違う。
 上記「カワイイ」文化が、海外に「輸出」され、伝播したことによって、日本人の和(やわらか)さや温かさが理解されたことは大きいからだ。若者がいい意味で柔軟になり、娘さんたちが綺麗に着飾って笑顔で街を歩けるこの文化は、願ってもそう得られるものではないだろう。ネットを見ると外国から相当に羨ましがられてもいる。
 近くの本屋でコミックのコーナーを見て回ったことがある。物語は読んでいないのでわからないが、表紙絵だけでも作品のレベルは見当がつく。ひところ氾濫した粗悪なコミックはおよそ見当たらず、可愛いだけでなく絵としても美しいものが殆どだった。うっかり買って読んでしまった『乙嫁語り』や『ちはやふる』などもこの証左だ。
 おかずで絵を描く「お弁当」文化もいい。母と子の微笑みのコミュニケーションがみえる。
 そうそう、近くの大型店舗ですれ違った小学生の3人の女の子に、爺は仰天したことがある。小顔や上下肢の長さのせいもあるが、全員が頭から靴にいたるまで素晴らしいコーディネートだったのだ。 「うーむ、小学生、恐るべし」

 人も物も作品も、画一的な面もあるが、確かに可愛くて楽しい。
 「じぁあ、いいじゃん? ハイ」
  

. 洋画離れ

 爺の洋画離れが進んでいる。
 原因は複数ある。
◇レンタル店の棚で新作を見回すと、CG駆使のもの、アクションもの、近未来とかタイムスリップものの氾濫。人間の心を中心にして描く作品が少ない。ハリウッドでは創っているはずだから、日本の配給会社の「仕入れ」方針のせいだけなのだろうが、なかなか文藝作品に逢えないのだ。
 したがって、洋画を鑑賞するなら「懐かしい作品」を、となる。

◇DVDで観ようとしても、画面下の字幕の2段目が全く映らない。これは爺の液晶モニターの縦横比が4:7になっているのが原因なのだろうが、これでは耳で原語(雰囲気)、目で日本語(理解)という洋画の楽しみ方ができないのだ。
 ちなみに昔の映画のDVD再生では、2段目もきちんと出てくる。

◇字幕といえば、画面上で台詞が10回近く交わされているのに訳が1回も字幕として出てこなかったことがある。これは極端にすぎるが、マイナーな作品に顕著な傾向だ。戸田奈津子女史などが翻訳を担当している著名な作品では1度も経験したことが無いのだが、これではストーリーすら分からない。

◇やむを得ず日本語訳で観たとしよう。何か違和感がある。声優の声と俳優のイメージが合致しないのだ。そういえば昔は、主役級の俳優のアテレコは同じ声優が担当していたように思う。念のため調べたら「フィックス制度」というらしい。アラン・ドロン、ポール・ニューマン、スティーヴ・マックイーンなどが例として浮かんでくる。また声優では若山弦蔵、滝口順平、黒沢良、大平透、野沢那智などが強烈な印象を残している。いまの声優事情はまったく違うのだろうか。

 かくして爺は、とくに新作について洋画から離れてしまったのだ。
 それでもアカデミー賞にノミネートされた作品群ぐらいは、いずれDVDで観てみたいとは思っている。
 読み返してみたら、何のことはない 『これって、グチだよね』。

. 「くちびるに歌を」

 合唱は、「隊員」の1人1人が或る意味「自分」を殺して「全体」の調和(ハーモニー)を積極的に図る歌唱法だと爺は思っている。この映画『くちびるに歌を』(三木孝浩監督)は、その理(ことわり)を言葉ではなく、物語全体を通して再確認させてくれた。

 正直に言えば、作品の礎(いしずえ)になった『手紙~拝啓十五の君に~』のアンジェラ・アキをよく知らなかった。観ようという動機は主演の新垣結衣(ガッキー)にあったのだ。容姿端麗で女性というよりは「女の子」という面立ち(おもだち)、透明感溢れる女優だが、それだけに笑顔を封印しなければならない役をどう演じるのか、興味があった。
 それというのも、彼女が生田斗真と共演した青春映画『ハナミズキ』(土井裕泰監督)での好演が印象的だったからだ。複数の恋愛を俎上に載せ、自らの中に産みだし育ててしまった愛情の出口を求めてさまよう人間の心を、静かにとらえて見せてくれた秀作だった。今回も名曲を敷衍(ふえん)させて創り、元歌を超える作品にしたのかどうか。
 少々カビの生えた言い方をすれば、期待に胸をふくらませての「東宝シネマズ小田原」行きだった。

 産むこと、生まれてきたこと、死んだこと、死のうとすること、遺したこと、遺されたこと、生死に関するそれぞれの重さと意義を観客に訴え続ける内容は、「青春映画」、「アイドル映画」の括りを忘れさせてくれるものだった。自分が原因で恋人を死なせたと悔やみ「わたしのピアノは人を幸せにしない」と、ピアノ演奏を捨てたヒロイン柏木ユリ(新垣)が縦糸。父子、兄弟、生徒間などそれぞれが抱える問題が横糸。双方の糸が絶妙のタイミングで紡がれ、カラフルでも大柄でもない出来だけれども、大勢の人の心まで包める大きな温かい布になっていく。そんな映画になっていた。
 頑張ったのだが、入賞はできても合唱コンクール地区「優勝」はできなかったというラストもいい。ここで観客の期待におもねれば、遡って作品全体が漫画チックになってしまうからだ。
 かれらが勝ち取ったものは、「優勝楯」という物理的な代物ではない。もっとずっと大きなものだ。

 映画を観て、少し若返ったような気分になった。
 それにしても本当に1回も見られなかったなぁ。
 何がって、「ガッキー」の笑顔。

 

. 万歩計

 新しくした携帯電話に万歩計の機能がついているのに気付くのに数か月を要した。「ケータイ」はもちろん「ガラケー」だ。「できたら受話器を腰にぶら下げるだけの機能のがあれば、いいのだけれど」と、ソフトバンクのオネーサンを困らせての購入だったが、良くみてみると便利な機能が満載だった。もっとも爺は、それらにほとんど興味が無い。メールが来ても「了解」しか打てない。パソコンなら長文で応対できるが、あの、こちょこちょした操作が苦手なのだ。いつも操作をしくじってはひとりイライラしている。
 そんな中で見つけた「万歩計」が、便利この上ない。特に設定もしていないのに「自己判断」で記録しているのだ。

 爺は、能力・体力の低下と68歳という高齢を理由に自ら課長職を辞し、同時に昨年の8月末日付けの「退職届」を出した。現在広義の引継ぎをするために、週2日程度出勤している。
 
 出勤日の数値は、ほとんど1万歩以上なのだが、記録を遡(さかのぼ)り、「ランキング」を試みた。
 1位 3月3日(つまり昨日)19,933歩
 2位 2月28日       19,020歩
 3位 2月4日        18,027歩
 4位 2月20日       17,761歩

 この数字は意味深い。おそらく過去10年間の計測していなった日々も同様なのだろう。
 勤務日数が激減しているいまとは違い、1か月20数日これを続けていた歳月を想うと、とくに65過ぎの3年間の、身体的な負担が今更ながらに理解できる。
 『お前が自ら退こうとした判断は、「正解」だった』
 口をきかない「万歩計」が、優しく肩を叩いてくれたような気がする。

 

. 私選「日本アカデミー賞」

 2月27日発表となった「日本アカデミー賞」、公式選出の主要最優秀各賞の右隣に、爺の「勝手で賞」を並べてみるという「遊び」をしてみた。ご笑覧を願う。
 昨年の対象作品もそうだったが、本年の対象作品も劇場やDVDで、爺はほとんど鑑賞している。

以下 「最優秀」の文字は省略する。

 作品賞    「永遠の0」→  「蜩ノ記」
 監督賞      山崎貴→   小泉堯史 (蜩ノ記)
 主演男優賞  岡田准一→  岡田准一 (永遠の0)
 主演女優賞  宮沢りえ→   池脇千鶴 (そこのみにて光輝く)
 助演男優賞  岡田准一→  伊藤英明 (WOOD JOB)
 助演女優賞  黒木華→    黒木華 (ちいさいおうち)
 アニメーション作品賞 「STAND BY ME どらえもん」  
        → 「思い出のマーニー」 (スタジオジブリ)
 新人俳優賞   6名/最優秀は特に選出せず
        →爺は選出 能年玲奈 (ホットロード)

 上記作品の中で「蜩ノ記」、「思い出のマーニー」、「ホットロード」については、このブログに別稿がある。
 興味のある方は、若い№のブログへ遡ってみてほしい。
 「永遠の0」は、映画鑑賞の後、原作の小説を読みたいと思った。岡田准一の背負った「役」は、かなり難しいものだったと理解している。
   


. 眠れぬままに

 よく爺のブログを訪ねてくださる方が、ご自身のブログ更新が多忙で1週間ほど不可能になる旨「予告」なさっているのを見て、「これいいな」と感じた。
 今回爺が同じ状況になったので春3月の朔日の今日、記すことにした。
 週2日の出勤だったのだが、職場の事情で2月27日から3月6日までほとんど毎日箱根に行くことになった。ほんとうなら最低でも「日本アカデミー賞」について語りたいのだが、この間は余裕が無い。通勤は車で往復3時間にもなるのだ。
 出勤2時間前の、午前3時に「日記」そのままの記事を書いている所以だ。

 昨夜は22時に就寝したのだが、なぜか午前2時に目覚め頭が回転し始めてしまった。こうなると起きてしまうしか手立てがない。箱根での「単身赴任」時代でも同様で、眠れぬ夜はやむを得ず?趣味の小説を書いていた。
 ある年のこと、定期健康診断で「糖尿病」であることを知らされた。BMIが22程度でメタボとは無縁の爺は納得できず、それでも自主的食事療法と運動療法を開始、72日ほどこれらを続けてから横浜の信頼できる医師(中学の同窓生)のもとを訪ねている。診断はいわゆる「予備軍」だった。その後、「強いストレス」の連続や恒常的寝不足によっても高血糖症状に陥ることを知って、原因が納得できたのを憶えている。

 幼少期は「ひ弱」な体質だったが、中学以降は大病もせずに人生を送って来た爺。不整脈とか高血圧とか、年をとれば何かと心配事が増えてくる。若くて丈夫だったころの自分と比較して、日々落ち込んでいる人も多いと聞く。このごろつくづく思う。高性能のポンプでも10年20年と使っていれば不具合が出る。廃機器にも「転落」する。ところがどうだろう、爺で語ればすでに68年も心臓というポンプは休むことなく動き続けているのだ。不満を言う方が可笑しい。むしろ感謝をすべきなのだと。

 上記の医師は言う。
「1病息災、2病息災。もう無病息災はない。病気と闘うのではなく、病気とつきあうこと。そういう年齢なんです」。
 数年前に聞いたときは「闘病中」でもあり、慰めとしか受け取れなかったが、最近は、ほんとうにそう思うようになった。「つきあう」なかで、できるだけ楽しく生きていこう、とも。
 いったん生じた「糖尿病体質」は「一生のお友だち」なのだそうな。
 よろしく「病(ヤマイ)」君。

「それにしても今日の睡眠4時間は、キツそうだなぁ」


 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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