蛙声爺の言葉の楽園

. 「柊の花」再び

 連日「爆撃」「人質」「殺害」「脅し」などの単語が飛び交うニュースを見ていると、胸塞(ふた)ぎ、心冷え、身震いがする。何かを言葉にしたいと思いながら、何一つ正確に著わすべき言葉が見つからない。
 ふと書棚を見ると、懐かしい1冊の本があった。西伊豆の老婦人相原ゆう氏の作品を集めた『柊の花』(2004年発行・相原ゆう詩・歌集編集刊行委員会)がそれだ。新婚3年で夫を戦争にとられ、遺骨も帰らない日々を半世紀も過ごした作者が、魂を震わせ怒りを抑えながら「文芸作品」に昇華させた秀作である。
 爺は、平成20年8月10日付伊豆新聞日曜版に寄稿し、この本を紹介した。
 今回のブログは、この寄稿を全文を引くことで、いまの想いを伝えたいと思う。ファイルを挟む形に、とも考えたのだが、HTMLファイルだけだったので、あらためて入力をする方法を採った。

『 柊(ひいらぎ)の花」を読んで
             岩漿文学会代表 木内 光夫

 本書は、戦死という形で夫を失った相原ゆう(一九一七年生まれ・二〇〇四年本書発行当時八六歳)の詩・短歌・各種寄稿を網羅した珠玉の折々の記である。彼女は太平洋戦争開戦の昭和十六年、相原昭夫と結婚し、大仁町で開拓した畑の一角に六畳一間の新居を構えた。だが新婚生活はたった三年で終わる。昭和十九年、夫は召集されて満州に赴き、「渇(えつ)病に因り八月十日に死亡した。遺骨はついに帰らず、彼女は戦争寡婦(かふ)としてのその後を、夫に「会えず」に過ごした。
 「ひとひらの骨無き墓に花供え水供えつつ五十年経し」
 思うに本書には、内容として不即不離の関係にあるものの、本来全く異質な鑑賞法がある。①先ずは刊行の目的にもなっている、戦争を否定し平和の大切さを知ることに重きをおくもので、この立場では彼女の「戦争否定の生き証人」という側面が重要視される。ピュリッツァー賞に輝くジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」第一章の中の「破壊された人生」での相原ゆうの扱いはその最たるものであり、本書でも冒頭で紹介されている。この狙いから本書の格調高い編み方が生まれ、彼女の作品の資料価値も上がっている。反面、親しみ易さが減じ、次に述べる「愛」の側面がやや後退した。これは戦争を知らない世代にも読んでもらおうとするならば、少々損な側面と言えなくもない。

 私は、②時代の束縛のために公然夫に愛情を示せず、また、極めて若くして夫を失ったにも拘わらず、戦争未亡人であるがゆえに次の愛に移行できず、娘や孫の成長と彼らの笑顔の中に、自らの宿命を昇華させるほかは無かった一人の女性の、愛情物語としての側面に重きを置いて、本書を鑑賞した。次に掲げる数首は、②の解釈の礎になったものである。
 「征(い)く夫を赤子のごとく抱きし姑(しうとめ) われは指だにふれず別れぬ」
 「興安嶺(こうあんれい)に果てたる夫よその際(きわ)に われを呼びしや姑を呼びしや」
 そのいずれかを問うのは、単なる妬心の表白ではない。つぎの二首にも繋がる魂の籠(こも)った抗議だ。
 「再婚は戦争寡婦の罪とされし 三十二歳の日の恋」
 「子育てに追われし頃は夢にだに 見ざりし夫の夜毎(よごと)かなしき」

 出征を見送ったときの姿で「輝く」夫の残像が、相原ゆうの詩歌の中にはある。独り齢を重ね、老いていくだけの自分は、そのまま贖罪の姿なのか。死んでしまった愛=夫への「憾(うら)み」、生き残った女の「地獄」、二つの極限を彼女は文字に刻む。
 「玉砕の日は廻りきぬ 黙祷を捧げるだけの妻長らえて」
 私はこの作品集を文学作品として読んだ。史料としてでもなく、反戦を声高に叫ぶ政治的作品としてでもなく。それなのに、戦争は地上最も忌むべきものだと、心に確かに残った。

 「とげの葉がくれに黒曜石の
 イヤリングのような実がいっぱいつく頃
 出稼ぎの人らは帰ってくるけれど
 あの人は還ってこない
 私は一人で畑を耕して
 町まで種を買いに行く
 くる年も くる年も
 こうして柊の木には大きなコブができ
 私の髪はこんなに白くなったのに
 あの人はまだ還らない」
            相原ゆう・詩・「柊によせて」から

 ここ何年も、これほどに心が揺さぶられたことは無い。 』

 戦争で殺される人は「一瞬」かもしれないが、哀しみ悼む人は「一生」続いていく。


※注) そのまま引用した「渇(えつ)」は実は、漢和辞典にはある「暍」(えつ)だと思う。暍死は「熱さで死ぬこと」である。もちろん当用漢字には無い。

. 『岩漿23号』へ始動

 今朝は午前5時半に起きた。昨日は昼食休憩1時間半を挟んで午前7時から17時半までパソコンに向かい自宅で事務を熟(こな)した。「まだこれだけの時間、集中できるのか」と、自分でも驚いている。嬉しい誤算とでも言うのだろうか。老いた頭はさすがに疲れ、8時間たっぷりと、通しで睡眠ができた。

 今朝は最初から散歩を試み、2500歩いてから、この春発行予定の同人誌『岩漿23号』に向けて、編集事務にとりかかった。編集委員間の通信、入力済み到着原稿のページ設定統一、フォントの統一と進んでから、自分の小説のまとめに入る。今日現在で到着しているのは5人の原稿。これは常連書き手の約半分にあたる。

 岩漿編集部は4人、その中の誰に送られてきても全員に回して校正をする。手書き原稿の入力は担当を決めて行う。校正をするのだから当然作品は完読することになる。それから編集会議を開いて、次号の誌面をどうするかを決めるのだ。例えば、巻頭小説をどれにし、巻末小説(トリ)に何を選ぶか、詩をどこに挟み、短文の「ひろば」作品をどう散らすかなど。表紙デザイン、とびらデザイン、目次カットの選定も同時に行うことになる。

 爺の役目は、それをエクセルで「ページ割り表」にし、ページ設定統一された作品にノンブル(ページ番号)を入れて、いわゆる「版下」類似のものを作成する。ページ下段が丸々空いた場合の「埋め草」も配分することになる。
 これをプリントアウトし、かつUSBメモリにデータを入れて印刷業者に送るまでが「仕事」である。
 ちなみにここまで自前でやると、印刷と製本だけが業者の作業となるので発行費用が半減する。これから同人誌を起こそうとする方には、ぜひにとお勧めしたい。

 いつの間にか、『岩漿』の編集活動の説明になってしまった。
 いずれにせよ、これが始まると「春」間近ではある。
 

. 創作和太鼓

25日日曜早めの昼飯を摂ったあと、伊東市内松川藤の広場に出かけた。第21回伊東温泉めちゃくちゃ市が開かれている。徒歩で向かい近づくうちに何やら太鼓の音が聞こえてきた。広場は食べ物販売用のテントで一杯だったが、分け入ると特設舞台で和太鼓のショーが行われていた。和太鼓ファンの爺はズット前へ。すると驚いたことに打ち手は「御諏訪(おすわ)太鼓」の方々(5名)だった。

 周知のごとくこの創作和太鼓の雄「御諏訪太鼓」は、古くは武田信玄の太鼓21人衆にまで遡(さかのぼ)る由緒ある太鼓で、初代小口大八(おぐちだいはち・故人)氏が昭和26年に再現・復活させ、発展させてきたものだ。この太鼓は、邦楽や交響楽団との協演も果たし、NHKの大河ドラマにも縁が深い。神事に関係するらしく、「振り」の中で撥(ばち)先を天に向ける特色がある。残念ながら後半2曲のみの鑑賞になったが、ラストの「諏訪雷(すわいかづち)」は圧巻だった。複式複打の組太鼓の傑作なのではないか。噂だけで実際に観るのは初めてだったが、難曲だと直感した。
 腹にも心にも響き渡る太鼓音、無意識に爺の足先も調子をとっていた。

 実は爺、20数年ほど前に伊豆熱川のホテルで総務をしていたころ、板前の打ち頭(うちがしら)の要請で、会社公認の「御伊豆太鼓」の事務局長をしていたことがある。打ち手が足りない時期があって急に、事務だけではなく打ち手にもなってくれと打ち頭が言い出した。もちろん創作太鼓は難しい。一朝一夕に成るものではない。成り行き上承知したのだが、前打ちのスターは打ち頭と若い女性2人。そこで桶胴(大太鼓)専門の担当に決まった。それからというもの休憩時間は太鼓練習一色となったこと、言うまでもない。ロビー舞台での無料ショー、宴会場での有料ショー、文化祭や神社での催し、老人会慰問など、引く手数多だったこの和太鼓も、保存会ができないうちに解散となり、いまはない。
 なぜ急に思い出の糸を御諏訪太鼓にたぐられたのか。御伊豆太鼓が御諏訪太鼓の指導で生まれたからだ。演目が「飛竜三段がえし」「勇駒(いさみごま)」など同じだった所以である。もっとも独自性を出すためか作曲の才もあった打ち頭が演出を変えた部分もあった。変更は大太鼓の「初っ切り」の部分に多かったと記憶している。

 当時の伊豆には、御伊豆太鼓のほか、稲取にどん太鼓、熱川に道灌太鼓などがあり、かなり活発だった。現在もっとも活動している創作和太鼓は、天城連峰太鼓だろうか。数度観る機会をもったが、素晴らしい技術でため息が出た。
 
 30分打ったあとの、背中に流れた滝のような汗が懐かしい。いま流せるのは冷や汗ぐらいか(微笑)。

ちなみに『御諏訪太鼓』『道灌太鼓』『天城連峰太鼓』は、それぞれ太鼓の名そのままで検索でき、公式サイトにたどり着ける。御伊豆太鼓が無いことは上記のとおり。
 
 

 

. 『引退しない人生』

 久しぶりのカテゴリ「老境」だと思う。金曜日が出勤日で、設備上の作業の一環としていわゆる「土方作業」を半日行った。日ごろから散歩や筋トレを実施しているので当日は難無くこなしたのだが、翌土曜日は少し疲労感が出た。ちなみにこの日の万歩計は14,489を表示している。特別「腰が痛いとか、膝がとか」老人特有のものではない、文字通り全体的な、心地良い(?)疲労感。
 山梨の里山に一人住む兄がブログで時折「なにもしなかった」と記述しているが、昨日の爺もそれに近いかもしれない。しかし言葉通り何もしないで過ごすには24時間は長すぎる。

 結局朝からのそのそ起きだして、こんな時でないと観られない3時間の長編「影武者」をDVDプレーヤーに入れた。3杯のコーヒーを必要としたが、なんとかラストのタイトルローリングまで。「影武者の見た夢のシーンが長すぎる」とか「高天神城攻めの暗すぎる画面は失敗」とか、「身内の愚痴」みたいにブツブツ言いながら、またコーヒーカップを手に。ところが流石に1回前の珈琲の残党が、「使い番」よろしく食道を攀(よ)じ登ってきて「もう十分かと存じます」と口中に苦味をばら撒いた。あきらめて白湯で胃袋に押し返している。

 まだ昼飯には時間があると、ネットで経済記事をサーフィンした。「この先は会員限定」「ここからは有料」!%:#?「じゃあ最初から誘うな」とイラついて理不尽なスイッチOFF。「あ」と後悔してまた立ち上げる。すでに気が遠くなるような「大昔」の若い頃、サミュエルソンやケインズの経済学を読んでいて思ったことがある。どんな経済学説も「人の心」が省かれていると。卑近な例が株だ。資本主義経済で「市場(しじょう)が動く」とか「市場が判断する」とか表現するが、ここでいう「市場」とは投資家の心・判断の集合体のこと。機関投資家といってもその機関を動かしているのも同様に人の心・判断。それをどけて数値だけをいじっても「学問」以上にはならないのではと、首をひねったのだ。そう、生意気に。もし、「心」無視で数字だけでいいなら経済学者は、みんな億万長者になっているはずではないかと。
 
 昼食後、また少しどんよりとした。炬燵に足を突っ込み座椅子に座っていたら、そのままの姿勢で5分ほど眠ってしまった。いや、もしかしたらこれは、「意識を失っていた」のかも。ちょっと恐怖(^^♪。

 執筆中の同人誌小説『傾いた鼎・翔の章』に取り組む。一昨日までのところを推敲してから先へと進む。全身麻痺やその先の死を高率で「約束されている」男子学生の心理にどこまで迫れるかが課題だが、書き手もある種「狂う」べきだろうと思っていて、その分「執筆環境」に制限が生じ、どちらかというと筆が遅くなっている。これは、例えばかみさんが洗濯機を使っている日常的な音の中でやれと言われた場合を想像するだけでお分かりだろう。 ほんとうなら払暁前の午前3時頃からがいい。

 その証拠に午後3時から錦織圭のオーストラリア・オープン3回戦を観てしまった。この「浮気」は罪が重い。健康的なテニスの鑑賞後に「狂気の世界」に戻れるわけがない。この人のプレイは観ていて楽しい。海外なのに会場の声援の大半がニシコリなのは、大いに納得できる。

 結局、読みかけの本、曽野綾子著『引退しない人生』(PHP文庫)に入り込んだ。この本偶然にファミマで見つけたのだが、ほぼ完読という段階でも言い切れる。「高齢者必読の書」である。その昔、山岡荘八著「徳川家康」が経営者の必読書として推奨されたが、この本も対象者限定としては同様である。曽野綾子の著書7冊の中からの抜萃本だが、その分中身が濃くなっている。老いに悩み、また、それゆえに背中を丸め始めた人たちには「目から鱗」の世界が広がっているはずだ。爺も常日頃持論として抱いていたものが、この本によっていくつも是認された。つまり「独りよがり」の見解ではなくなったのだ。力をもらって、嬉しかった。

 「あしたはもっと行動的になれるだろう」と思った。つまり日曜日の今日だ。
 このブログもその一つ、なのかな。まさかね。

 

. 「魔女の宅急便」

 何度も味わえるアニメというのがある。ストーリーや絵はもちろんのこと「描き方」が好みに合っていることが条件になる。特に主人公の心の成長を温かい目で見つめ、これを「隠し味」にしている作品に爺は弱い。ジブリで言えば『となりのトトロ』、『耳をすませば』、『おもひでぽろぽろ』、『千と千尋の神隠し』などが挙げられる。
 13歳になり、掟によって一人前を目指さなければならなくなった「子魔女」キキを描く『魔女の宅急便』(1989年)も例に漏れない。アニメを何度も観るなんて良くないと、この作品の脚本・監督担当の宮崎駿は別の本で語っていたが、本音というか、含意はというか、言葉通りではないと爺は受け取った。

 この作品、「史上初 全米で放送された 日本のアニメ映画」(スポーツ報知スタジオジブリ特別号)だそうで、この実績が後の「『もののけ姫』全米2500館以上でロードショウ」につながったようだ。
 大人の鑑賞眼に耐えられるアニメなどというレベルではない。スケールがでかいのだ。ちいさなキキが、まだほかの魔女が「占有」していない街を探して旅に出る。お供は魔女に寄り添うことになっているクロネコ。街を見つけ、泊まるところを探し、「起業」を考えるキキ。パン屋のおばさんの好意でやっと決まった住居は屋根裏部屋だった。

 おっと、ストーリーを語るつもりはなかったのだが、つい。この作品で特筆すべきは、「鳥瞰(ちょうかん)」、つまり空を飛ぶキキが見下ろすショット、ショットの素晴らしさ。それと「圧倒的なスピード感」、つまり高い所や地上すれすれのところで、箒(ほうき)やデッキブラシに乗って飛び回る数々のシーン。この二つの「完璧」を期して、一体どれだけの人と時間と枚数を費やしたのだろう。想像するだけで眩暈(めまい)がしてくる。前二者の数値はわからないが、上記特別号は枚数を教えてくれた。67,317枚だそうな。全編、可愛さ、温かさ、優しさ、まじめさに溢れていて、面白い上に教育上というアングルでもお奨(すす)めである。
 製作に徳間書店、日テレのほかヤマト運輸が入っているので、ニヤッとしたが、この映画の当時、今日(こんにち)の「宅急便」の隆盛、社会的地位を想像しえただろうか。そんなことも考えた。

 昨夜、爺にしては夜遅くまで小説を書いていて、朝はゆっくり起きた。サッシ戸の向こうは風になびくキキ、いや木々。そのはるか向こうには雨雲に頭を押さえられた山々が見える。
 何となくどんよりしているので、「美魔女」ならぬ「子魔女」の話をしたくなっただけ。
 ではまた。

. オハグロトンボの歌

 ふっと心が溶けそうなとき、なぜか口遊(くちずさ)む歌がある。
 十代の頃、同じ年格好の男子が住込み先の牛乳店に居たのだが、その子は配達が終わって休憩に入ると、毎度同じ歌を口遊んでいた。『雪が降ってきた ほんの少しだけど 私の胸の中に 積もりそうな雪だった♪』たしかそんな歌詞だ。さみしそうに、小さく揺れながら、ここまで来て歌唱が終わる。途中で切るわけを彼は、ついに口にしなかった。

 爺もまた、心に引っかけたまま、この年まで連れてきていることになる。タイトルすら憶えていないのに。
 『オハグロトンボのとぶ道は おせどのおせどのやぶの陰 子ガニがぴょこりとハサミ出し♪』と、ここで終わる。この先を忘れているのだ。題名が不明だからネット検索は初めから無理なのだが、かなり粘ってみた。…結果、あきらめた。
 もう59年も前のこと、爺は生来病弱だったので、学びながら療養をする学園に半年間入っていた。そこの教諭たちは全員が親身で教育熱心だった。「音楽担当」の先生はそんな雰囲気の中、合唱で療養児童の成長を企図したらしく、何と合唱コンクール入賞をめざし始めた。そのときの曲がオハグロトンボなのだ。
 もしかしたら先生のオリジナル曲だったのかもしれない。

 横浜といっても昭和30年代初めのこと、学園の近くには真っ黒な土の畑も、雑木林も、ススキ野もあった。たまたまそこでは会わなかったが、オハグロトンボもいたことだろう。後年になって歌詞のままの「背戸(せど)」で「現物」を見つけている。水路や日陰をこのみ、細い胴で翅(はね)は黒。5,6センチの大きさで、トンボのくせにスゥーイとはいかずパタパタとまるで蝶のように飛ぶ。少しく可笑しみがあって可愛いトンボだ。

 学芸会での浦島太郎の役があり、安静時間に聞いた先生朗読のヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」があり、はしゃいだ遠足があり、突然起こった火事の際の女子先生の勇気があり、それら思い出が詰まったタイムカプセルを開ける鍵として、この合唱曲があるのだろう。そんな風に想う。
 いずれにせよ、当時の爺は、こうして68年も生きられる自分だなど、夢想だにしなかった。
 大人になれるだろうかと、心配をしていた。
 いまはもう消えて久しい、あのときの学園、…「ありがとうございました」。

. 寒中見舞い

 昨日遠方の学友から寒中見舞いをもらった。高齢者の場合、さらに年嵩の親族に弔事が生じることが多く、これから年賀欠礼は多くなる傾向にある。新年を賀することができないので寒中見舞いで消息を伝えあうのだが、最初にこれを考えた人は誰だろう。感謝したい。
 年賀状を書くときにすでに逝ってしまった人を偲ぶことはよくある。取り出した古文書のような住所録で、氏名の前に「故」の字があるところで、手が止まるのである。
 『心こめて年賀はがきを書き終えぬ友の二人は今は亡きかな』(山田茂雄遺歌集『「星霜譜」その後』から)
 だからこそ寒中の見舞いには特別な想いがある。
 「来ては知る寒中見舞い知己の無事」(蛙声)

 下手な句を書いてしまったので、名句でお口直しをしてもらおう。
 『去年今年(こぞことし)貫く棒のようなもの』(虚子)
ちなみに「去年今年」は、新年の季語である。
 新旧の年をまたいで眠ってしまえば、ただの「一夜(ひとよ)」に過ぎないが、この句の大きさは想像を絶する。
 数え年は新年を迎えると1つ年をとる。大晦日に誕生した人は翌日に2歳になるのか。忙しい話だが、新しい出発の仕方としてはすぐれていると思う。わざわざ法律まで作って「満年齢」を普及させた理由も十分解かるけれど。なにせ全国民が一斉に1つ年をとるのだ。このロマンは壮大だ。
 『命継ぐ深息しては去年今年』(波郷)

 

. クヌギ

 1月13日東京地裁で栩内被告人に対する覚せい剤取締法違反事件の判決が下った。懲役2年執行猶予3年の有罪である。かつて法律を学んでいた爺なのだから、ふつうならこの有罪無罪に興味がいくところだが、傍聴もしていないし、事件の内容を精査したわけでもないので、これを云々する資格は無い。
 文芸人らしく疑問を持ったのは判決ではなく、被告人の姓「栩内(とちない)」だった。この「栩」がなぜ「とち」と訓ずるのか。こちらにこだわった。事件がマスコミで報じられるたびに気にはなっていたのだが、今回判決も出たので「けじめ」をつけたくなった。

 小さな辞書にはないと思う。ネットで「とちない」と打てば出てくるが、それは事件があったためで「既出」の漢字だからだ。
 角川漢和中辞典で調べると、「栩」は音読みで「ク」または「ウ」、訓読みで「くぬぎ」(木の名前)だ。「栩栩」と二つ並べると「クク」と読み、「喜ぶさま」という意になる。そこで今度は小学館の大辞林で「くぬぎ」を引く。出てきたのは「櫟」だったが、「橡」も出てきた。漢字ではなく国字では「椚」も現れる。ブナ科の落葉高木でドングリでも有名である。疑問なのは漢字として「栩」が出てこないということ。しからばと「とち」で当たる。「栩板」(とちいた)で現れ「屋根を葺(ふ)く板」と説明されていた。これで全てつながったことになる。
 ちなみに「野山の木」というガイドブックでは「クヌギ」と片仮名表記で一貫していた。
 やっとすっきりした爺ではある。
 文字通り小さなお話で、恐縮。

. 「フライトゲーム」

 このところカテゴリ「文芸」と「映画」が競争しているように見えるが、爺本人はほとんど意識していない。むしろ数字的な結果を不思議がっている次第。とまれ、この映画、ほとんど外れが無いと言われる航空パニックの一つである。ラストシーンを観て、それらの類似性に微笑ましさを覚えた。もっとも結果が悲劇的な航空映画は創れないのではないか。日本で言えば、かつて御巣鷹山に墜落した飛行機内のパニックを描いたドラマを創ったとして、誰が観に行くだろう。助かって何ぼの世界の映画ではある。例示した飛行機事故を扱った映画『クライマーズ・ハイ』はあるが、こちらは取材する側の人間を描いた映画だった。
 のっけから「余談」になった。ご容赦を。

 この『フライトゲーム』の原題は『Non-Stop』、文字通り目が離せない「運び」で2時間余りを飛びまくる。従来のように物語を略記するのは、さすがに遠慮したい。また、出来るものでもあるまい。むしろ一言で全編を表現したい。
 「関係者全員が見ている中での密室連続殺人」である。
 飛行機が「密室」で、事件が起こる「室内」に居るのが乗務員・乗客という特異性が光る。新機軸と言っていいだろう。

 主演の航空保安官ビル役はリーアム・ニーソン、その彼が真犯人扱いをうけるという展開も秀逸。ただ、しかたがなかったのかもしれないが、殺人と彼のそれへの対応が「ご都合主義」的な部分もある。「うん?」と不満が出かかってもご心配なく。次々に「問題」が発生するので、それへの観客としての対応が忙しくなり、産まれたはずの「不満」自体を忘れてしまうからだ。20分ずつ殺人予告がリセットされていくのも、ありふれているようで憎い手だ。

 原題はこの映画にピッタリだと思う。
 爺が最近鑑賞した映画の中でノン・ストップ映画といえば、リュック・ベッソン製作・脚本の「コロンビアーナ」だが、この種の映画は、基本的に「もう一度観たい」という気持ちになりにくい。換言すれば、細部まで「全編ネタバレ」の映画を観に行くだろうか、ということである。二度味わえるミステリーやアクション映画などそうあるものではない。☆4
 

. 黒澤明と「味噌帳」

 爺の書棚に『味噌帳』(みそちょう)と背表紙に書かれた分厚い「大学ノート」が2冊並んでいる。ちなみにお味噌の研究ノートではない。本を読み、新聞を広げる際に、また映画を家庭で観るたびに、手元に紙とボールペンを置いておく。そして重要なことがらや胸に響いた言葉を書きとめておき、出典とともにノートにしたためておくのが、この帳面である。この「味噌」は、「手前味噌」や「そこが味噌」などで使われるのと同じ意(いい)。
 しかしこれは爺が編み出したものではない。

 世界に冠たる映画作家黒澤明の「アイデア」をそのまま使わせてもらっている。
 黒澤はいう。『自分の経験や、いろんなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造ができるはずがない。だから若い時、ノートを片方において本を読んだものです。そこで感じたもの、感動したものを書き留めておく。そういう大学ノートがずいぶんあって、シナリオに詰まるとそれを読んでいく。すると、どこかに突破口がある。…創造というのは記憶である』。

 爺は『椿三十郎』を観てからファンになり、『七人の侍』に触れて驚愕し、『赤ひげ』で尊敬を深めた。映画専門誌『キネマ旬報』を読みだしたのは確か、それから。以後白井佳夫の「評論」に傾倒して、黒澤明にぞっこんになった自分を褒めてやったものだ。転居の途中で紛失してしまったので今は無いが、黒澤明著『蝦蟇(がま)の油 自伝のようなもの』も読破した記憶がある。佐藤忠男著『黒澤明の世界』も買って読んだ。現在本棚にある関係書は、次の通り。西村雄一郎著『黒澤明を求めて』、文藝別冊『KAWADE夢ムック・黒澤明』、土屋嘉男著『クロサワさーん(黒澤明との素晴らしき日々)』 

 いまにして思えば汗顔の至りなのだが、プロ・アマ不問の『影武者』のオーディションに参加しようとして、準備をしていたこともある。当時は多少なりとも侍的な顔をしていた(ような気がする)。思いとどまって正解ではあった。
 誰かのファンになったということで68年間を振り返ってみても、爺には黒澤明しかいない。好きという程度ならコッポラやベッソンがいるが、作品の分野が違うように思う。

 こういう『味噌帳』、あなたも試してみませんか。
 「娯楽」に没頭できないという難点はあるけれど。でしょ?
 

. おのぼりさんⅡ型

 昨日1月12日、東京慈恵大学病院に入院中の次兄を見舞うために、久しぶりに大都会東京へと出かけた。かつては東京・横浜で勤め暮らしていた爺も、その後30年余を地方の伊東市で生活していたので、日進月歩して大変容を遂げた現在の両大都市では完全に「後天性おのぼりさん」と化していた。横浜駅で待ち合わせ、都会暮らしの姪と一緒に行動したので事なきを得たが、自分で自分を笑ってしまった。
 横浜駅構内にゴミ捨て箱がないのに慌て、トイレが少ないのと場所が分かりにくいのに腹を立てた。趣旨は理解できるが、とにかく不便なのだ。姪もふくめてほとんどの人は「スイカ」だか何だかいうパスでスイスイ動くが、こちらは「裏が黒い」とやらの切符をその都度買って動く。また、地下鉄御成門駅を出て、小洒落た軽食堂に入ったはいいが、説明書を読まないと「システム」が分からない。姪が気づいてサッサカ動いてくれた。21階建ての病院内部もしかり、若い者を見失わないように後ろについていくしかない。もっともこれらは考え方を変えれば「介護老人」になった場合のシュミレーション。まかせっきりの快感と割り切って、「頼り切れば」楽しい。
 老人といえば、我が兄弟姉妹も、65, 66、68、71、74、77、83 と全員が65歳以上の高齢者となった。爺のくせで、自分だけが年をとり、周りの人はそのまま老いないと把握してしまう関係で、時折話が妙なことになる。気を付けたいものだ。「3つ違いの君と僕、3年経ったら同い歳」というなら、洒落にもなろうが。
 見舞った後、近いので日比谷図書文化館に向かった。太田先生から、「太田道灌コーナーにあなたの『小説太田道灌』も入れておいた」と連絡を受けてから実に、2年も経過している。見つけたが、資料扱いなのでか、『禁帯出』になっていた。
 東京は気分的に「遠くなった」。
 自宅を9時40分に出て、帰宅したのは18時半だった。
 この1日、地下道の中を含め、とにかくよく歩いた。
有意義な日だった。

. 爺は「愛国者」

 自分はけっこう「愛国者」なんだなと、いまさらながら感じている爺のお話。
 伊東市内の書店で『だから日本は世界から尊敬される』(マンリオ・カデロ著・小学館新書・2014年)という本を購入。帰宅するとすぐに読破した。この著者はサンマリノ共和国特命全権大使で、駐日外交団長の肩書をもっている。読み進むうちに親日家を超えた日本文化研究家だということが解かった。序章で「なぜ日本人は日本の魅力を知らないのか」と本書の執筆動機を直截に語っている。いま世界中が「クールジャパン」(カッコイイ日本=米語的表現?)と「大騒ぎ」をしているのに、肝心な日本人が欧米文化に憧れ、自国の素晴らしさに目を向けていないのは不思議だと指摘するのだ。
 いや「日本が一番」と、飛行機に乗ったこともない爺はひとり息巻いている。一昨日まで読んでいた『続・風の帰る場所』はアニメの世界的巨匠宮崎駿のインタビュー収録本だった。アニメを青少年向けの娯楽から芸術へと高めたのは日本のアニメ作家たちなのだ。

 いまに始まったことではない。爺の「日本贔屓(にほんびいき)」は青年時代から一貫している。日本は自著にいわゆる『ゆたかな社会』になったと評したガルブレイスや、日本的経営を評価し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著したエズラ・ヴォーゲルに感謝したのもその頃。難しかった経済学説の内容は殆んど憶えていないが、日本を外国の学者がほめたたえてくれて、日本て凄いんだと、単純に喜んだ記憶がある。
 国の防衛でも同じで、おそらく当時の分類によれば「右」なのだろう。小気味よく自衛のための軍備を語る文人・政治家を心の中で推していた。識者は「左」、が流れのような時代に逆らっていたことになる。ただの「若さ」かもしれないのだが。

 たとえばネットで「国際」を選び或る1項目を閲覧していると、中国や韓国のブロガーやツイッターが日本をどう見て、どう評価しているのかが垣間見えるリンクが並んでいる。それらが「(日本最大の中国情報サイト)Record China」や「FOCUS-ASIA」につながっていき、次々に興味ある記事に移れる。爺の最高はリンク連続1時間で、この間ずっと「外国人の日本評」に触れていた。こうなると「オタク」に近い。ここで得たのは、「反日」「抗日」を標榜している国々の人たちのほとんどが、「いまの日本」の情報を得ていないのだという感想。来日した観光客の「日本発見」と驚愕・礼賛のブログの数々がそれを物語る。
 TV視聴でも爺の志向は変わらない。お気に入りの番組は、「和風総本家」「イッピン」「こんなところに日本人」「YOUは何しに日本へ」などなど。外国人が日本国、日本人、日本製品、日本の文化・芸術を称賛するたびに、上機嫌で「そうだろう」の2乗で、むやみにうなずいている。

 やはり、なんとなく「爺さん」ポイ。
 うーん。何を書こうとしたのか、疑わしくなってきたのでここらへんで閉じる。

. 『孤往記』から1年

 新たな年が始まってから拙著『孤往記』2冊を伊東図書館に寄贈した。2014年3月16日発行、準備開始日から数えれば1年以上も経っている。前2回の発行『小説太田道灌』、『夢の海』ともに発行後すぐの寄贈だったので、少しく心が痛んだ。もっとも今回は自費出版は同様でも制作会社とAmazon経由の販売であり、図書館に寄贈しようとすれば自分でAmazonから購入しなければならないので、事情が違う。ちなみに図書館寄贈は今回、伊東1館のみである。
 この作品については昨年冬季にこのブログで触れたが、いまの段階で思うのは「予想通り」「恐れていた通り」だったということ。フィクション(小説)ではなくノンフィクション(「自伝」)として捉えられれば「反響」はないだろうという予測だ。本がただの「自慢話」に堕するからだ。1年で1通にとどまった。口頭でのそれを入れても5指に余る。前2回の上梓では20ないし30の感想・批評文が寄せられたのと好対照の結果である。

 ただ視点を変えてみると、それでいい、となる。小説は小説なので、どう受け取られてもそれは動かない。自伝的に迎えられることは織り込み済みのはず。さらにこの小説は爺の人生の確認、あるいは解析の書でもあり、どうしても書かなければならなかったものだ。まだ終わっていない人生の「道標」、必死に生きた青春への「鎮魂歌」という意味で。そのこと自体には「人の感想、評価」は要らないのだ。
 願わくは、1人でも多くの「共感者」が出てほしい。そうは思う。

 昨日、最後まで書けなかったので補足する。
 「口頭での感想」からだが、主人公駿の「ラストシーン以後を早く知りたい」というのがあった。この本が未完だと踏んだのだ。続きを期待されたのは嬉しかった。反対に「突き放したようにあそこで終わっていていいんだ」という人もいた。爺は迷いながらも後者を採った。おそらくハッピーエンドとして読み終えた人が多かったのではないか。締めが甘くて普通すぎると感じて。作者としてはアンハッピーで終わらせたつもりでいる。駿と美和は結婚をあきらめたがゆえに「いまこのときを」一緒に暮らそうとしたのだ。言わば幸せそうで哀しいラストだ。二人の立場にたって読み解くとそうなると想う。もっとも「一緒になれて良かった」という解釈は、別の意味で嬉しい。このラスト、二人とも失業してしまったのにハッピーな二人という『アパートの鍵貸します』(米国アカデミー賞受賞作・ジャック・レモン&シャーリー・マクレーン主演)のラストと真逆になっていると解すると、納得してもらえると思う。

 「読んでくださった40人近い方々、ありがとうございました」。
 

. 夕餉時の「映画館」

 爺が勤務日でない日の夕食は一般の方よりだいぶ早くて、午後5時から5時半の間に始まる。どちらかというと「病院の夕食時間」に近い。食卓に食べるものが出揃うとメインの灯を消して、周囲の薄明かりだけにするのが通例だ。そう、食べながらDVDで映画を鑑賞するのだ。
 ここでは年末年始にこの「映画館」で上映した数作品につき短評を試みたい。
 『マレフィセント』を除けば、すべて再鑑賞ないし再々鑑賞になる作品である。

『おもひでぽろぽろ』(スタジオジブリ)監督・脚本は高畑勲。
 27歳のタエ子が「自分探しの旅」に出る。縁戚に当たるベニバナ農家に行き、その家のトシオ青年との接触で淡い恋が芽生えるという話だ。「旅」の「添乗員」が小学5年の頃のタエ子自身というのがミソである。手書き感覚満載の背景が見事で、ため息が出る。今井美樹、柳葉敏郎の声もピタリで、良かった。27歳の独身女性の微妙な心理が随所に見られた、温かい感じがする作品。☆4

『地震列島』(東宝)新藤兼人脚本。
 新藤兼人はパニック映画の「最中」でも人間描きに重点を置く。俳優さんは誰でもいいといったら語弊があるが、この作品を見る限りそのレベル。M7.9の直下型地震が首都圏を襲うという状況は、現在きわめて「近未来」な設定だ。こうなるという概略を知るためにも観ておいた方がいいとは思うが、少々ちゃちな特撮と相まって、被害規模の想定が甘すぎはしないか。そんな気がする、男女2組の愛を描いた半端な作品。☆3
 でもまぁ『ボルケーノ』も『ポンペイ』も半端は同様なので、☆3は辛すぎるかもしれない。

『もののけ姫』(スタジオジブリ)監督・脚本宮崎駿。
 21億をかけ193億の興収を勝ち取った画期的なアニメーション映画。人間対人間、人間対動物、動物対動物、霊と生き物、大自然と人間の産業等々、複雑な対立構造をもつ超絶なアニメ芸術。途中トイレにも行かさないといいたそうなテンポの良さと画像のスピード感。さらに『カムイ伝』を彷彿とさせる底流、諸行無常。何度観ても圧倒される作品である。☆5

『マレフィセント』(ディズニー)
 ご存じ『眠れる森の美女』を、アンジェリーナ・ジョリー演ずるマレフィセントの視線でとらえてリメイクした作品。大ヒットとのことだが、眼を覆いたくなるストーリーの杜撰さには毎度呆れる。『もののけ姫』を観てからだったので、その落差が激しい。こどもの興味さえ惹けば保護者はゾロゾロついて来るという安易さなのだろうか。名子役とされているオーロラ姫役のエル・ファニングも全く活かされていなかった。CG駆使はいいが、問題はそれで何を描くかだろう。☆2

『戦争と人間・運命の序曲』(日活)山本薩夫監督。
 本当に久しぶりに観直した。1970年公開、上映時間3時間17分の大作であり、途中に「休憩」が入る。柳条湖事件の前後の中国大陸と軍部・財閥が暗躍する東京が舞台。戦争の足音が聞こえる中で、善人悪人ともにごった返す姿が描き出される。製作当時考えうる著名俳優をすべて動員したともいえる傑作である。この映画は、戦争というものが誰によって、何のために起こされ、結果誰が被災するのかを端的に呈示している。☆5
  

. 何もない今日1月6日

 昨日5日は勤務日で箱根行きだった。
 払暁に目覚め雨天でないことを確認して朝食を摂る。
 メールとネットのチェックを重ねた後、ひとり散歩に出る。松川沿いに競歩のように真剣に歩き海に出た。さすがに曇天、日の出は望めない。帰途、同じ道は避けようと回り込んで「東海館」前の細い通りに入る。館の隣にユースホステルがあるのを初めて知った。エスニック料理の店やうなぎ屋まである。車で動き回っては決して見つけられない「景色」だ。さらにスクランブル交差点を渡ってキネマ通りから左折する。戦前の小屋を思わせる構えの映画館を見て立ち止まる。美空ひばりの『伊豆の踊子』や若い吉永小百合の『キューポラのある街』に、何と『紅孔雀』まである大看板。顎に手をやり、ついつい笑ってしまった。いや、侮蔑ではなく懐かしさで。そしてまたエスニック料理の食堂。楽しすぎて歩を緩めたので、また「競歩」よろしく急ぎだした。まさに「初めて歩いた的な発見」の数々ではある(こういうのを「初歩的発見」というのだろうか)。約3.5キロの行程だったが、帰宅した時はうっすらと汗をかいていた。

 戻るとすぐに、ネットサーフィンの続き。世の中の動きをみるのが目的だが1時間はかかる。
 昼食は外に出て「蕎麦定食」を頼んだ。11時と早すぎたので、広い店内にかみさんと二人きり。店の珍しい柱時計の時を刻む音が、遠慮がちに響いていた。ついでに郵便局とスーパーマーケットで用事を済ます。会社で「スーパー老人」と称されていたので「スーパー」の意味が「超」ではなくなったことを自覚して大笑いした。「徘徊しているこっちのスーパー」。
 帰宅後さらに続けて経済の「勉強」。これはネットと書籍の両方になる。
 ドライアイになりそうなので次は葉書を7枚ほど仕上げる。
 もひとつ飛んで、自作小説のプロットの確認作業。
 これが3時過ぎには、畳の上でできる静的トレーニングに変わる。
 最後がブログ記事執筆。
そう、これが何事もない、ふつうの爺の1日。
 一つ忘れていた。夕食時に合わせて観る、DVDでの名作映画。
 今夜もまた就寝は、農民や新聞配達員並みに早そうだ。 

. HP現状のままに

 新年を迎えて少しホームページの記事更新を図ったところ、なんとまた、更新ページをパソコンから先方のサーバーに送信する機能が故障していた。サイトの自然消失。前2回までは先方指定の各種データをビルダー所定の場所に入力すること自体はできた。ところが今回はその入力欄が壊れている。一文字も入らないのだ。数回あれこれトライしてみたが、結局修理業者の方の言う通り、「ビルダーソフトの一部に欠陥があるようだ」。
 さすがの爺もこれには匙を投げた。結果、いまアップされているホームページの内容で「固定」される。もちろんその範囲でHPは活きている。ただ、更新はとりあえずできない、入力ミスがあっても直せない、となった。

 落胆する一方で、「身の周りに起こることは自分にとってみんな意味がある」と考える自分がいる。すぐにとは言えないが、別のビルダーを購入し、たとえば春4月ごろまでにと「ゆったり」構えて創り直しておき、あるとき一発で総入れ替えをすればいい。そうそう、何か月か前に実施したように。時間は惜しいが、頭のためには良い。

 「それにしても参った」
 めでたくもあり、めでたくもなし。
 3月末までに350枚以上の応募作品を創らないといけないのに…。
 春は春でも入れ替え時期の目標は5月あたりにしておこう。そう思いなおした。

 木内光夫のホームページ

. 「バンクーバーの朝日」

 お正月なので高評価からカテゴリ「映画」を始めたかったのだが、そうはいかなくなった。押し詰ってから小田原で観た石井裕也監督『バンクーバーの朝日』がそれだ。丸太ん棒のように一言で紹介するなら「戦前、差別や貧困に苦しみ過酷な労働を強いられたカナダ移民の日本人が、野球を通して纏まり白人にさえ好影響を与えたという実話にもとづく映画」ということになろうか。

 細かなことはさて置き、作品全体について筆を進める。後でノベライズしているところをみると原作本が無いようだ。脚本家は調査・取材したことを平等にシナリオに散りばめたつもりなのだろう。「資料と創作の関係」なので十分気持ちはわかるが、それが「映画」には落とし穴だ。2時間20分程度の「尺」で、時代背景や移民全体の外国での立ち位置、「おとな」の移民個々の人生、移民チームの地元野球での活躍、若者達の喜怒哀楽、はては太平洋戦争までを描き切れると本気で思ったのだろうか。オープンセットをはじめ労作であることは認めるにしても無謀に過ぎる。
 平坦な配分で重点がどこか不明。クライマックスの欠如。観客にドラマの躍動感を伝える「運び」の弱さ。
 小さなご飯茶碗(2時間程度の映画)に盛るのは、白米でもいい、玄米でもいい、経験させたいなら稗や粟でもいい、とにかく一種類の主食品にすべきだ。無理やり粗い十三穀米では「旨い」と味わいようがない。
 石井監督に言いたい。『舟を編む』でも淡々と進めるだけだった。辞書創りの地味な努力と完成した時の喜悦の落差が十分に伝わってこなかった。小説にはあった「心」の部分が重要視されていなかった。これも受賞し、今度の作品も日本アカデミー賞の候補になると思うが、観客を惹きこむ「創り」はすべきだと思う。
 戦争や焼跡を体験した世代にも、それらを全く知らない世代にも「不親切」な結果だろうと推測する。
 爺もそうだが団塊の世代は、映画史に残るふたつの映画を経験している。五味川純平原作、小林正樹監督の『人間の条件』(6部作約9時間半・松竹配給)、同じ原作者で山本薩夫監督の『戦争と人間』(3部作9時間20分・日活)がそれだ。大きなテーマで描くなら、それだけの「尺」と費用が必要だと思う。もちろんこの2作品のすべてを鑑賞したうえでの感想である。

 登場人物個々のエピソードも、いつかどこかで観たような「既視感」にあふれていた。移民が味わう苦難はどこでも同じということもあろうが、そうなら短い尺の中で無理をせずに「移民の野球」に特化してほしい。バントと足で体力・技量に劣るのを克服したまではいいのだが、その後優勝を争うほどになったのなら、投・走・打ともにまともになる過程を省くべきではないからだ。その後の「快進撃」が(事実なのだろうに)嘘っぽく見えていけない。
 ついでに言えば本物の野球を知る上地雄輔は「野球指導と監修」としての参加で、キャストではなかったのだろうか。まったく存在感が無い「立ち位置」だったので首を傾げた。彼を登用した意味は何。
 何、といえばワンショット的に何回も出てくるきれいな「オべべ」の女性(宮崎あおいと本上まなみ) の、この映画での意味は何なのか。想像はつくが「有名な女優」を配しているのに、それすら直接に伝わってこない。

 DVDを待っていればよかったかな。
 小田原からの帰途、そんな気持ちになった。
 それでも☆4つは付けられる。上記「酷評」は期待が大きかった「反動」と理解されたい。
 決してうるさい批評家ではないかみさんが、よほど退屈したのだろう最初の方ですでにスヤスヤと20分ほど隣の席で眠っていた。
 『映画鑑賞』の場合も、シロウトほど怖いものは無い。
 

. 年賀状

 フランスの作曲家エリック・サティのピアノ曲「ジムノペディ」を聴きながら年賀状を再読した。元日に見ているのだが、なぜか一枚一枚をじっくりと鑑賞したくなったのだ。
 CDについていた解説書によると「ジムノペディ」は 『若者たちが神々の像の前で裸で踊り合唱する儀式』だそうな。もちろん古代ギリシアの話だが、曲そのものは物静かできれいだ。

 毎年元日着の年賀状は20枚から30枚で、今回もほぼ同様だった。去年までの自分がそうであったように、12月25日までに書いて投函すれば元日に届くと知っていても師走で気ぜわしい中、これはかなり難度が高い。爺も引退して初めて可能になった。

 全27枚の印象は、カラフルでプロの印刷と見紛うばかり。パソコンの普及やアプリの充実を感じた。爺自身もその双方を使って基本部分を印刷している。今回爺の賀状の表が手書きなのは、新しいパソコンに住所録を入力できていないためで、もし入力済みならば表も印刷したに違いない。
 コメントが短いのは「年賀」だからだ。昔、たっぷり文章を入れて出したところ、何人かの知人から「これ、年賀状だよね」と確認をされたことがある。頭を掻いたこと、言うまでもない。
 年賀状の重要な役割は、「まだ無事に生きているよ」と「まだこの住所に住んでいるよ」なのかもしれない。昨今は子や孫の可愛い写真を載せて「いまの家族構成はこうだよ」が入る。
 直接文字や画にはしなくても、「まだ気にかけているよ」が伝わるのも立派な「賀状の機能」だと思う。
 こう考えてくると、「手書き賀状」礼賛という流れも少しく変わってくるような気がする。
 最近画像アプリにある図柄の選び方にも個性や好みがあることが分り、そちらも楽しみになってきている。

 そうだ。正月の松が取れた後で、連絡をいただいた6人の方の年賀欠礼にも応えたいと思う。 
  
 

. 爺の元日

 午前4時10分に目覚め、布団の中で手足を伸ばして爺の元日が始まった。
 2015年、平成27年の幕開けだ。あと3か月ほどで満68歳、数え年で69歳になる。明けたのはそういう「年」に当たる。
 頭を振って記憶を呼び覚ませば、元日を自室で過ごすのは約29年ぶりになる。

 昨夜の紅白歌合戦視聴も久しぶりということで感慨深かったが、夫婦そろって午後9時半には就寝した。司会が吉高由里子ということで「とんだ事態」になるのを心配してみていたが、『私、失敗しないので』なのか、無事平穏。なんとなく『フツー』になって退屈したせいもある。福山雅治を『マーちゃん』と呼んでしまったのが唯一の「救い」だった。いわゆる「ドジ」を踏んで絵になる女優は、綾瀬はるかとこの人が双璧といえるので少々残念だった。

 さて元旦。のそのそ起きて『お膳で顔を洗う』。
 テレビをつけたら「朝まで討論」的な番組をやっていて、安全保障とか集団的自衛権とか戦争とか、なにやら「物騒」な論争だったので、最後まで視てしまった。爺は20代の頃、防衛庁(当時)の論文募集に応じて憲法9条や防衛を論じたことがある。最終的に投函したかどうかは忘れたが。相変わらず人の主張に耳を貸さずに自説を展開する有識者たちに呆れながら、それでも参考にはなった。
 野菜ジュース、ヨーグルト、パン、コーヒーという朝食はいつもと変わらない。
 「何も足さない、何も引かない」というコピーで有名なCMになぞらえて言えば、「何もしない、何も悩まない」元日にしたいと心に決めた。これほど「贅沢な正月」は無いと。

 そう言っておいて何なのだが、夕飯前に雑煮だけは作ろうと思う。具の数は3,5,7と奇数がいいので5種に決め、餅、鶏、椎茸、大根、人参は昨日揃えておいた。「男の料理はこだわりが強くて金がかかる」と、爺の場合禁じられ(?)ているのだが、雑煮程度は高が知れている。第一料理は、気分転換になり、ボケ防止にもなるのだ。

 静かな元日だ。テレビ番組で京都御所の建物や庭園の素晴らしさを鑑賞したあと、窓辺でこうしてブログを書いているのだが、ほとんど音がしない。もっとも難聴気味なので、ただ聴こえないだけなのかもしれないが。
 もう少し陽が昇ってきたら散歩に出て、「街の音」でも探しに行くか…。

 あらためまして。『あけましておめでとうございます』
 

. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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