蛙声爺の言葉の楽園

. サイト、消失

 このところずっと、木内光夫のホームページ『馬場駿と岩漿文学会』の「増改築」に時間を割いていた。半分は会のためのHPにしている。
 昨日も会員のアドバイスを受けて、読みやすいように、印刷しやすいようにと作業をしては、一区切りごとにサーバーに向けて発信をしていた。つまり「更新」だ。余勢をかって、同人誌『岩漿』の空きページの穴埋め役をしてくれている「人」のページ「高島京の喫茶店」を完成させた。
 ところが、送信するのための「サイト」が消えた。「公開」が、「更新」ができなくなった。何の前触れもなく。どこかに隠れたのかと、ビルダーの中をクリックの連続。どこにも居なかった。前兆は午前中からあった。相当数あったページが少しずつ、サイトツリーから減っていき、夕方頃にはindexとsub5以外subもnewpageも見えなくなっていたのだ。
 それならと、気を取り直して「新しいサイト」を作ろうとした。 
 何回トライしても、入力したデータが消え、サイト作成画面は応じてくれない。

 深夜の1時、いったん目が覚めた後、眠りにつけずにパソコンに向かう。「パソコンめバカにしやがって」と。
 ゆっくりと、冷静に…。根気よく。
 午前3時にあきらめた。
 HPBアプリが原因かどうかはわからない。爺の未熟さもあるだろう。しかし「突然に」は無いだろう。そう思った。
 機械には心が無い。情が無い。家計への配慮もない。
 変換ミスをしたり、ウイルスに感染したり、突然さぼってフリーズしたりと、人間的な面が多々あるくせに、だ。
 ま、見ず知らずの人に「通知」「表現」を観てもらえる貴重な「ツール」ではあるのだが。

 たしかに、HPはほとんど基本形ができた。もうそろそろ計画している小説へ向かってもいい頃だ。
 そういう「忠告」かもしれない。そう受け取ろう。
 爺はため息ついて、文字どおり肩を落とした。
 またプロの手で治し、だな…

 

. 「あなたへ」

 2014年11月10日に逝去した高倉健の遺作である。
 爺はDVDで2度目の鑑賞をした。

 富山の刑務所で定年後に嘱託の指導専門官として働いている倉橋英二(高倉健)が妻の洋子(田中裕子)の死後、「遺言サポート」の婦人から洋子の絵手紙をもらう。故郷の長崎県平戸の海に散骨してほしいとある。最期の1枚は白い灯台をバックにして「さようなら」。「なぜ生前、直接に言わなかったのか」。なぜ散骨なのか。倉橋の疑問は観客のそれにつながる。

 退職届を出し車で山陽を経由して平戸へ向かう倉橋。途中で出会うのは、心に哀しい「荷」を詰めて「独り」生きる人たちばかり。妻の不倫を疑いながらも確かめられず無理に出張を繰り返す田宮(草彅剛 )、「山頭火」を口にしながら放浪の先々で車を盗む自称教師の杉野(ビートたけし)、妻子を捨て漁船での危難失踪を図った南原(佐藤浩市)、その南原を海難で亡くしたと思っている妻と娘(余貴美子と綾瀬はるか)等々。表面上淡々と彼らに接する倉橋は、訪れる先々で亡き妻との思い出に浸る。それさえ倉橋の、自分は妻のことを本当に解かっていたのだろうかという「悔い」につながる。
 全編明るいエピソードがほとんど無い。それなのに観終わったとき、心が優しく温かくなるのはなぜだろう。

 日々仕事に没頭し、受刑者に「手に職を」と思い続けた倉橋。完成した子供神輿(みこし)を受刑者とともに喜ぶ姿が、その解答なのだろうか。
 爺は想う。刑務所の壁の中と外、人間の心の問題としてとらえれば、じつは同じなのだ。この作品はそれを語っているのではないかと。自由を奪う塀の有る無しは、ここでは物理的なものに過ぎないと。
 名作の話題に拙作を引くのは気がひけるが、爺の岩漿処女作となった小説『色あせたデコイ』のラストに、こんな文章がある。出所後再び罪を犯したヒロイン菜美が、雪を戴く山々を見ながら想う。
 『刑務所の中も外も人間の中身は同じに見えた。たぶん空から見れば塀そのものが無意味だろう。ただ、人間の背丈のまま塀の中に入れば、外のこの大きな景色が見えない。それだけのような気がした』

 妻の洋子は、絵手紙を遺し旅に誘うことで、そのことを実体験として倉橋に知らせたかったのではないか。
 爺はそんなふうに想う。



. 心静かな日々を

 畏敬の対象である中学の同窓生(現在医師)が言った。この年齢になれば「一病息災、二病息災で、無病息災はない。病気と上手に付き合うことだ」と。この1年、といっても自覚症状が出てきたのはいつからか、それさえもはっきり覚えていないのだが、内臓、とくに消化器系に異状があると自分自身で看たてた。同時にちゃんとしていられる「余命」について考えた。3.11以後ずっと申し出ていて受理されなかった「退職」を急いだ所以である。すると、透明感のある自分が見えてきた。
 蓄財にも出世にも縁がないことは、遥か昔に解かっていた。それでも…

 7人の兄弟姉妹の全員が中学卒業で終わるほどに貧しい家庭だった。自分で言うのも何なのだが、成績優秀であった爺はそれでも県立高校に入った。大工で長患いを「仕事」にしていた父が病床で「義務教育は終わったんだ。働いて金を入れろ」と言ったのを聞いて、「任意退学」をしたのが、1年の2学期、高校の取得単位はゼロということになる。アルバイトと独学の日々はここから始まった。殆どが肉体労働。いつも腹を減らしていた。ようやく「文部省大学入学資格検定」(当時)を受ける段階まで学習が進んだとき、受験前の5月に父が死んだ。葬儀費用は男兄弟3人の分担。夜勤をして少しばかり貯めた金は、このときに消えた。直後に受けた大検は1発合格。しかし大学受験費用も入学費用も無い。食うこともできない状態だった。とりあえず食えて住める牛乳配達を選び東京へ。紆余曲折を経て、学費の少ない通教で法学を修めようとした。法務省、東京高検、銀行、県庁などに勤める仲間と「央雄会」をつくり、会員のほとんどが4年で卒業をした。これがどれくらい凄いことかは後になって知らされた。

 「大学は出たけれど」世間は大卒だとは認めてくれなかった。ここが役所勤めの仲間との根本的な違いだった。爺はやむなく、在学中に取った宅建主任の資格を使って不動産会社に入社する。ここで知ったのは「正」必ずしも「正」ならずの理(ことわり)だった。世の中が「損得」最優先であることを思い知らされたのだ。世間知らずの露呈。爺は正論を吐いて常務とぶつかり、会社を去った。「何のために法律を学んだのか」。一時奈落の底に落ちた爺には、法曹を目指すしか選択肢がなかった。それからの8年もまた、アルバイトと独学だった。日本経済が高度成長のころと重なる。定職に就かない爺を、区役所税務課の職員は罵倒したものだ。「あんたまともじゃない、人間じゃないね」。
 3年以上中学校で管理員をしてから里山に籠り、二次論文式を受けられるまで進めたが、何度か目の「無一文」の中、爺の「青雲の志」はここで、こと切れた。
 
 サッシ戸の向こうが真っ黒だったのだが、空が分離され「曇り」と知れた。『何を書きだしちゃったのか』。フッと嘲う自分がいる。小さい頃は「日陰のモヤシ」で病弱。学齢に達するまでに40度の高熱を出して死に損なったことが3度もあるという。小学6年まで体育の時間は見学だった爺。絵を描いていた記憶もある。それが現在67歳と8か月。年配になっても大きな病気もせずに来られたのは、伊豆に30年近く住んでいるからに違いない。山紫水明、澄んだ空気、温泉…。もし、郷里横浜や、首都東京のビジネス社会で日々「欲得の暗闘」を繰り返していたら、おそらくここまで生きられなかった。そう思う。

 それでもこの地で資金を貯め、すでに取得していた「社会保険労務士」で開業しようと本気で思っていた時期がある。いつでも相談にのれるよう十数冊の加除式専門書を本棚に並べていた。この「経費」3年間で30万に達している。しかし、この「田舎」の地でも「学歴」にはシビアなのか、専門家的に使ってくれたのは最初に勤めたホテルだけだった(総務課長職)。いや、「不徳の致すところ」と解すべきだろう。「正しい」は爺の中で「闇」に入ったのだから。
 いまならそう思える。とにかく「何々せねばならぬ」という「背中に刃物を突き付けられた」想いは捨て去ろう。

 突然に、それこそ走馬灯のように、昔を思い出すのはなぜだろう。

 いま、これからの時を、静かに生きる。そうしようと思う。
 本を読み、映画を観て。ブログを書き、ホームページを創って。何か人のために動けることを探して。なるべく笑顔で。
 「心の糧」を食べ漁りたい。

 雲の合間にほんの少し、青い空が顔を出している。
  
  

. 「クリムト」美と狂気の世界

 数年ぶりにラウル・ルイス監督がオーストリアの画家グスタフ・クリムトを描いた「クリムト」を自室で一人鑑賞した。偏見かもしれないがヨーロッパ製作の映画は比較的難解なものが多い。この作品も物語性を重視し「スクリーン」に感情移入したい方にはお勧めしない。観ても☆は1か2で終わると思う。

 死に臨むクリムトが自らの人生のあれこれを幻想的に回想する形をとる。またもやマズルカ方式の脚本である。挿入されるエピソードは、夢うつつの中で、エロチックであり、「暴力的」でさえある。底に流れるのは真っ白い「死」。飛び散るのはクリムト自身の中の輝ける破片だ。よくも「R15」指定で済んだものだと思う。
 
 1900年のウイーン。いまから114年も前の「景色」や「風俗」がまぶしいほどに美しい。衣装・美術にどれだけのお金と時間をかけたのか。ため息が出そうだ。パリ万国博当時の絢爛たる世界を堪能できる映画ではある。

 クリムト(マルコビッチ)は女性モデルに「触れないと描けない」。結果彼の子が街中に数多いることになる。これを非難する母親もまた「正気」ではない。「こどもは神の贈り物だ」として意に介さないクリムト。そんな彼が唯一触れない女性がミディ(ヴェロニカ・フェレ)だ。「運命の女性」(ファム・ファタール)と理解される。「劇中映画」の画面から出てくる美女レア(サフロン・バロウズ)とは簡単に寝てしまうのに、ミディは彼の中で「別格」なのだろう。

 触れればたちどころに溶けてしまう「氷の裸体」、ファム・ファタールはそれに似ている。抱いて「氷のぬくもり」を奪えば、真の恋の対象は消えてしまう。体だけが燃えている女を日々抱いていれば、自分はいつも冷めていられる。1人だけには守り続ける究極のプラトニック・ラブがミディなのだ。
 名画の裸婦が「氾濫」する。詩的で、淫ら、粗野なのに、気高い。クリムトの絵は、一生涯現実に抱くことができない恋の墓碑のような気がする。

 レアは惜しげもなく裸体を見せて言う。「着衣なのに裸に見える肖像画」と「裸なのに裸に見えない肖像画」を描いて、これはあなたにしか描けないと。彼の絵の総括かも知れない台詞だった。
 当時裸体画は流行だったのか。映画の中でも誰かが言う。「芸術の歴史はヌードの歴史でもある」と。
 鑑賞の途中で、次元は低いが思い出した。少年の頃に見たドミニク・アングルの「泉」という古典的名画のこと。暫くの間瞬きすら忘れた「裸体の美しさ」だった。そう、クリムトの裸婦とは全く異質の、エロスの無い透明な「美」。

. 全国の高齢者よ、団結せよ


 衆議院が憲法7条により解散され、何と12月のせわしい時期に総選挙となった。と、こんな風に書きだすと、「おっと、このブログってそういうんだっけ」と違和感が溢れること、想像に難くない。たしかに映画を含む文芸一色のノンポリ・ブログだったから。でもご心配なく、爺のはあくまでも広義の「文芸」に過ぎない。
 
 平成26年9月15日現在、65歳以上の高齢者は3296万人、人口の25.9%、過去最高だそうな。そのうちの8人に1人が75歳以上だ。さらにこの4分の1以上を占める高齢者の内、就業者は主要国で最高となる636万人で、その70%強は非正規雇用だという。もっとも、そういう勤め方をしたい動機は「都合のよい時間に働きたいから」だそうで、経営者のセイとは言えない。この現象は将来も漸増し続けるのだが、ここへ来ての急激な増加は、昭和22年から24年までの間に「大量生産」されたいわゆる「団塊の世代」が65歳を超えたからだと分析されている。

 総選挙から妙な方向に向かったなとおっしゃるにはまだ早い。
 政府が何と詭弁を弄そうとも「上記高齢者」の暮らしが先細りになることは確実と言える。年金は漸減して税金と物価は上昇、収入を得たくともすでに高齢で求人は無い。戦後の食糧デモのプラカードに真似て言うなら「汝老人飢えて死ね」、の世界は、近い将来の象(かたち)として見えてくるのだ。

 そこでタイトルのような「提案」となる。日本の人口の4分の1と言うが、選挙に関して言えば3296万人全員が有権者だ。実際的には有権者人口の半分に近い「圧力団体」となりうる。しかも「会社」も「官公署」も「卒業した」あとで、投票行動につまらない柵(しがらみ)も制約もない。自分たちの「いのち」を守る候補者を国権の最高機関たる国会に送り込めば良いのだ。動けない高齢者は周囲が車で運び、介護して投票をさせればいい。もはやそこまできていると思う。激しい言葉で訴えるとすれば、『座して死を待つならば起(た)ち、討って出よ」となる。徒党を組むことも、政党を創ることも不要だ。高齢者1人1人が、「自分は国政すら変えられる」と信じて動けば足りる。資金など一銭も要らないのだ。
 選挙行動の1は、高齢者の生活を脅かす法令を可決に導いた政党には票を入れない。2は、高齢者の福祉に尽力した候補者、政党に票を入れる。これだけで足りる。3296万票の動向は必ずや世の中を変える。

 次にまだ働ける高齢者のための組織・制度を考えてみた。
①シルバー人材センターの全国組織を創る
②全国の高齢者のジョブ登録の実施
③勤労高齢者相互扶助無尽組織の創成(法整備を含む)
④最低賃金法の高齢者特例条項の制定

 ①は調べたところすでに存在していた。「公益社団法人・全国シルバー人材センター事業協会」がそれだ。厚生労働大臣の指定を受けている。「定年退職者、その他高年齢退職者の能力の積極的な活用を促進するための全国唯一の団体」である。まとまっての選挙活動はし難いだろうが、心の団結は自由なはずだ。世界に冠たる町工場の技術力は、その多くが高齢な熟練工によって担保されていることを忘れてはならない。

 ②統計によれば65歳以上の高齢者が居所を移動している率が高いという。技術、職種、勤務条件などを含む個人情報を登録し、全国どこへ行っても仕事に就けるようにする制度がこれだ。ハローワークの職業紹介は、事実上65歳で終わってしまう。

 ③昔の相互扶助制度「無尽」は「相互銀行」に変わり、さらに「第二地方銀行」となってしまった。年金などで暮らしている高齢者が、入院、手術、転居、借家の更新など一時的に資金が必要になったときに「無尽」を落とし、その後長期の「弁済」でこれを始末する制度だ。高齢者1人が毎月500円を拠出したとしよう。これに3296万人を乗じたらいくら集まることになるのか。数が大きすぎて間違っていないか不安だが、何と、ひと月で164億8千万円の基金ができるのだ(どなたか検算を乞う)。

④高齢者を雇いたいが、最低賃金法が気になって実現できないということがある。また高齢者の側もその額までもは望まないということがある。現行法は、全産業を対象とした「地域別」と、「特定(産業別)」の最低賃金を規定しているが、水準より高い方の規定はあっても、低い方の特例は無い。平等は嬉しいが、それが故(もと)で職を得られないとなれば話は別だ。ここらあたりも一考が必要だろう。

 頭をぶつけたせいか、夢のような話をしてしまった。
 爺の「ほら話」はここまでにしたい。
 それでもなお、「瓢箪から駒」で、実現出来たら「すごい!」と思う。

 

. 「宮本武蔵」という映画

 ビデオレンタル店の「おもひで映画館」的なコーナーで、内田吐夢監督の『宮本武蔵』5部作を見つけた。長い間これらが無いのを不思議がっていた爺は、すぐに飛びついた。青春の真っただ中で観た衝撃の作品群でもある。1961年から5年間にわたって公開されたこの東映映画のタイトルは第1作の『宮本武蔵』をすべて前に冠して以後『般若坂の決斗』、『二刀流開眼』、『一乗寺の決斗』、『巌流島の決斗』と続く。
 爺はあえて第1作を借りてこなかった。粗野でがむしゃらなだけの「武蔵」が嫌いで、その内容からほとんど教わるところがなかったからだ。
 このブログ一つで日本映画の傑作を評するのは不可能なので、例によって思いを飛ばすことにする。

 周知のことだろうが本作は、宮本武蔵(中村錦之助)の剣だけではなく「精神の成長記録」でもある。しかもそれを可能にしている「師」が各巻ごとに登場していてそれぞれに魅力的なのだ。1作では沢庵(三國連太郎)。武蔵を千年杉に吊るして戒め、姫路城の天守に3年間籠らせて万巻の書を読ませる役だ。この人、実在した臨済宗の僧侶である。2作では日観(月形龍之介)。、宝蔵院を尋ねた武蔵が、好々爺然として畑を耕す老人を見て飛び退くが、実は彼は無であり、自分の殺気の跳ね返りで避けただけなのだと教えられる。3作では柳生石舟斎(薄田研二)。武蔵を相手にしないところに意味がある。4作では本阿弥光悦(千田是也)と吉野大夫(よしのたゆう・岩崎加根子)。5作では長岡佐渡(片岡千恵蔵)かとも思うが、爺は佐々木小次郎(高倉健)の「存在」そのものがこれに当たると理解している。

 「師」の中で傑出しているのが、官許の遊女最上位の吉野大夫だ。光悦や書家烏丸光弘らとともに大夫の音曲を聞いた武蔵だが、その間くつろげもせず、楽しむ余裕もなかったことを「未熟」と評されるシーン。気色ばむ武蔵に大夫は、楽器を割って見せ、「心技一体」の重要性を説く。たとえこの場で武蔵に斬られてもよいとするその迫力と愛情に満ちた諫言に、武蔵はうなだれるしかなかった。この場面が吉川英治の原作『宮本武蔵』でどう描かれているかを知りたくて、結局小説全体を読んでしまった記憶がある。小説では確か、大夫はこんな和歌も披露する。
 『咲きつつも 何やら花のさびしさは 散りなんあとを おもう心か』
 また同じく烏丸は、戴文公の詩を引いてこういう。
 『忙裏 山我を看(み)る 
  閑中 我山を看る
  相看れど 相似るにあらす
  忙は総(すべ)て 閑に及ばず』
 いずれも想いこそ違え、刀は持たずとも武蔵に対して『寸鉄人を殺す』役目を果たしている。

 この作品は「青春」映画でもある。そう思って観て初めて、ヒロインお通(入江若葉)との「恋」が納得できる。修行中の身として禁欲的に生きる武蔵。肉体が触れ合わない分、思いを募らせ武蔵の影を追い続けるお通。不自然にさえ思えたこの二人の「プラトニック・ラブ」は、いまも爺の中で解決されていないが、昨今の五輪クラスのアスリートのストイックさをみれば、あるいは、「受験に恋はタブー」という過去の現実を思い起こせば、「目的優先なら、そうかもな」と理解すべき「不自然」なのかもしれない、と。

 ところで、一乗寺下がり松で吉岡一門と対決した武蔵が、幼少の名目人を斬ったとして「非難」されるが、爺は武蔵の判断は正しかったと思っている。吉岡の後継者というだけの理由で、こどもを果し合いの名目人にするほうが姑息なのだ。名目人を斬らなければ勝負は永遠につかない。「卑怯」というが、たった一人の武蔵に数十人の吉岡方の助っ人武士、どちらが卑怯かこどもでも分かる。この「卑怯」という非難、巌流島での小次郎との戦いでもついて回る。故意に遅刻して相手を苛立たせる戦法を指しているらしいが、その程度のことで常軌を逸するのも未熟なことだ。そもそもこの試合には根本的なアンフェアがある。使う刀の長さだ。剣技を競うなら同じ条件で行うべき。武蔵は古い木製の櫂(かい)を細工して、刀身のハンデを無くそうとした。視点を変えれば武蔵は、知恵で「戦」の条件を対等にしたのだ。
 悩みや悔いが残るとしても、それは「人間としてのもの」であって「武士としてのもの」ではない。そう思う。

  
  

 

. アナログ世代の足掻きか

 やっとホームページを新しくすることができた。以前のHPビルダーは旧パソコンの廃棄とともに消え去り、更新が不可能になったので、1年も前に大枚をはたいて新・ビルダーを購入した。そこまではよかったのだが、10から18へのバージョンアップとあっては、以前のようには操作できず、まとまった時間もとれなかったので、何か月も停滞をし続けた。「WordPressテンプレート」は採らない、「フルCSSテンプレート」では思ったように構成できないと、 「テンプレートを選んで簡単に公開」とうたっている方の制作では、文芸系の当方としては勝手が悪い。あるとき、真っ白画面から自由に創れると知って、これに挑戦。急にはかどり始めた。この秋、嘱託に移行してからは、まとまった時間もとれ、ついに一次公開が可能なところへと辿りついた。

 問題はそこからだった。何をどうやっても送れない。つまりHPの新旧交代が成らないのだ。重い余った爺はとうとうプロに頼むことにした。創ったトップページ(index.html)をとにかく「向こうのサーバーまで連れて行って」と。業者さんも爺がさんざんいじった後なので閉口したようで、自分の店へ持ち帰った。何かアプリにも問題があったらしいのだが、そこはプロのこと、別ルートで解決を図ってくれた。
 ただ、創ったページをすべて[HP-holda]に集め、「サイト」を作って送るのはこちらの仕事。本日朝からガンバッテ、ようやくアップにこぎつけた。すると何と、「sub1.html」という「小説太田道灌」のページだけが、旧画面という不思議に出遭ってまた、思案投げ首。仕方がないので、同番号に予定していたページを「sub7.html」にして、狂っているページを削除した。関連ページのリンクを変えたことは、言うまでもない。

 かくて「まだ工事中」なのだが一応の公開を見た。
 若い人がこれを読んだら笑うだろうが、この「達成感」は、アナログ世代の爺だからこそのもの。今夕の一杯はたぶん、相当に美味しい。
 それにしても長い。なんとも疲れた。
 「さぁ、これから内容を充実させていこう!」 なんてね。

 ちなみにこのブログのリンク欄からも入れます。


. 「阿弥陀堂だより」

 映画の始め数十分の間、爺は不思議な感覚に襲われた。この作品、もしかしたらシナリオがないのではないかと。「村」の自然と、そこを訪れた夫婦、阿弥陀堂に居るお婆さん、純朴な「村人」たち、そして人懐こい子供たち、ただ時間の流れに沿ってカメラを回しているだけではないかと。
 陽射しはあたたかく、風はやさしく、流れる水は清らか、空気は澄んで、山も森も静か。その中のゆったりとした人の動きが、寒々とした心で、焦り、いらだち、汚れ、欲得がらみで日々足掻いているこちらの人間を気の毒がっている。そんな感覚…。爺が変なのだろうか。

 原作は医師でもある南木佳士(なぎ・けいし)。監督・脚本は小泉堯史、撮影は上田正治、美術は村木与四郎。3人ともかつては「黒澤組」の映画スタッフだった。とくにこの作品では『影武者』以降ずっと黒澤映画の撮影班だった上田の、一つ一つの絵が美しかった。さすがの名優さんたちもこの画面からうかがえる素晴らしい自然美に、対抗しようとはしないだろう。主演の寺尾聡も樋口可南子も、ただひたすら溶け込んでいたように思う。

 ほとんど家具什器が無い阿弥陀堂で一人暮らすおうめお婆さん(北林谷栄)は言う。
 『質素なものばかり食べていたので、長寿につながった…貧乏はありがたいことです』
 爺も30歳ぐらいのとき、ある目的のために標高800メートルの里山に、月3万円の生活費で1年半近く籠ったことがある。野草を貴重な食糧とみる暮らし。そこで学んだのは「自然の凄さ」と「自分の小ささ」だった。
 この映画は問いかけているように思える。
「人間は自然と一体となって、自然の恵みに感謝して暮らしてきたはずだ。いつの時代からだろう、いつからだろう、自然に敵対し、自然を壊すことを、進歩だと勘違いしだしたのは」と。「戻そうよ、気持ちだけでも」と。

 悪いことがほとんど起こらない。
 こういう作品も、すてきだ。


. 「夜叉」

 よりによってこの映画を、夕食時に、晩酌をしながら鑑賞した。今回は2度目になる。初回鑑賞は遥か昔のことだ。未鑑賞の方のために数行で語ってみよう。
 大阪ミナミで「人斬り夜叉」と呼ばれたやくざの修治(高倉健)が妻の冬子(いしだあゆみ)とともに漁村で堅気として暮らしている所へ、ミナミから蛍子(田中裕子)が流れてきて居酒屋「蛍」を始める。さらに、その蛍子を追ってヒモの矢島(ビートたけし)が来てシャブ絡みの事件を起こす。矢島が借金トラブルからミナミのやくざに捕らわれる。蛍子と男女の仲になった修治が蛍子の頼みを聞いて矢島を助けるために再び修羅場「ミナミ」に還る。
 この作品の印象は、下記のように、爺としては空に「飛ばす」しかない。たぶんまともなレビューにはならないと思う。

 ダメな人間ばかりを登場させてうごめかせている物語。それを絵的にキレイに撮っている。冬の寒村を、日本海の荒海を、大漁船を、修治の夜叉の刺青を、蛍子の妖しさを…。これは「撮影木村大作」の勝利だ。『駅―ステーション―』(倉本聰脚本)を撮った降旗康男監督はこの映画には居ない。やはり映画は脚本(ホン)で決まるものらしい。
 確認はしていないが原作本がないのではないか。脚本家が「売らんかな」の方針にあれこれ突かれて不本意に創ったとしか思えないのだ。 

 美しいといえば、秀逸だったのは木場で修治と蛍子が言葉を廃して情を絡み合わせる場面。大きな材木の木口が居並ぶバックで降りしきる雪。傘はひとつ、体はふたつ、心は危険なニアミス。その傘がひらりと風に舞う。昔、デビット・リーン監督の『ライアンの娘』で、崖の上を歩く娘がやはり傘を飛ばしてしまう綺麗なシーンがあったが、それに勝るとも劣らないものがあった。殺伐とした画面が多い中で、ある種メルヘンに浸れるひとときだった。

 おとぎ話といえば、あまた人を殺傷し、乱暴狼藉の数々、そしてシャブの蔓延。それなのにドラマの中に1回も警察が出てこない。ミナミでも漁村でもだ。駐在さんぐらい出てきてほしかった。

 画面手前に夜叉の刺青で満たされた修治の背中がある。その肩越しに、男物の大きな黒いトックリで行為の後の裸体を隠した蛍子が、きれいな足だけを見せて座っている。その後のアップも含め、この作品は蛍子の、つまり旬な田中裕子の妖しさと可愛らしさで満杯だ。高倉健のファンには申し訳ないが、「主役」は田中裕子だと思う。

 蛍子がイヤイヤをしながらもヒモの矢島に「抱かれる」シーンは、直視に堪えないものがある。金が目当てだと分っているのに。心はとうに修治に傾いているのに。「人間て、男も女も、哀しい」

 耐える女冬子と燃える女蛍子、同じ笑顔でもその質も意味もまったく違う。観る人に提示される「日常性」と「非日常性」。どちらを男は愛と呼ぶのか。いや、男女双方に、「あなたはどっち」と問うているようにもみえる。

 ラスト近く、結局矢島の命を救えなかった修治がミナミから村に戻る場面。バス停に駆け寄る冬子の笑みの意味は何か。あきらめなのか、安堵なのか。妻よりも、自分の子供たちよりも、あの女(蛍子)の頼みで捨てたはずの世界へ命がけで戻ることの方が大事だったのか。
 それにしても「よく平気で家族のもとに帰れるね」。さすが健さん。いや単なるシナリオだった、これは。 

 これもラスト近く、村を出ていく蛍子の、電車の中でのツワリ。瞬間絵の投げ込みで、修治の子だとこちらに知らせてくる。1度の「逢瀬」で懐胎したことになる。このドラマ、修治・蛍子の「男女の関係」は1回でなければならない。そうでないと人間関係の「美しさ」が一つもなくなるのだ。
 女には、これがあるのだった。「男」を取り込んで、心ではなく「体」の中で「想い」を育む能力が。蛍子のこのときの笑みが、意味もなく「怖い」。
 『外面似菩薩、内心如夜叉』(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)。『女人(にょにん)は地獄の使(つかい)にして、能(よ)く仏の種子に断ず』(「岩波仏教辞典」) に続く言葉だ。女の色香に迷う男への戒めとして説かれている。
 この作品のタイトル『夜叉』は刺青だけを指しているのではない。
 爺は、そう思う。
 



 
   

. 頭わややな散歩

 妙なタイトルをつけたら出だしが決まった。ここ一、二年のことだが、かみさんが就寝前に、爺が翌日に必ずやらなければならないことを紙に書いて食卓の上に置くようになった。たとえば「ガソリン」というように。むろん毎日ではないのだが、『博士の愛した数式』かなんかで観たような気がする(笑)。詩誌の編集長に出す封書とツタヤに返すDVDが今朝の置き土産だ。起床してメールを一つしたためた後、午前七時に散歩に出た。これも老人の御仕着せ的な行動と言える。

 昔は歳をとってボケが始まると「じじい、モーロクしたか」などと評していた。漢字では「耄碌」と書く。ボケていてはとてものこと書けない画数だ。ちなみに「耄れる」と表記すれば「おいぼ・れる」と訓ずる。片方の「碌」は訓読みが無い。意味は「役に立たないこと。人につき従うこと」だと漢和辞典にはある。なるほど凄まじい単語だ。「ボケ」の方が花の名にあることからも少しは可愛い。そうそう爺はかつて「小田原文藝」という同人誌に『耄老(ぼうろう)の海』という小説を載せたことがある。老いて落ち果てた男を、医者の母になっている昔の恋人が援けにいくという何やら暗い話だった。いずれにせよ万人に約束された老化と死を扱った文芸作品は数多い。一例を挙げれば有吉佐和子の「恍惚(こうこつ)の人」がそうだが、この「恍惚」は快感の絶頂にも使われるので「耄碌」よりは美しい。「いや、耄碌はもしかしたら快感なのかも」
 とりあえず爺の場合、「ボケ」の「初心者」あたりの評価ということで、勘弁してほしい。

 訳もなくそんなことを考えながら、道路脇の地味なポストに封書を投函し、国道135号線旧道との交差点に着いた。
 ふとお寺の掲示板を見るとこんな文章。
『深いようで浅いのが知識。浅いようで深いのが欲望』
 後段は爺には当てはまらないが、前段は胸が痛んだ。昨今は「昔の知的貯金の取り崩し」で生きているようなもので、それも再生力が危うくなってきた。話相手は前段を感じるに違いない。ちなみにこの文章はメモなしに記憶できている。やはり、文芸に繋がる言葉は、記憶に関して言えば別物なのかもしれない。それとも短文だからか。 合掌。

 スクランブル交差点で一秒ほどの違いで、信号待ちになった。4分ほど立ち尽くすことになる。顎を挙げて、電線で汚された空を見続けた。この間目の前を通過した車は2台。「老人ていいな。急がなくていいんだから」

 DVD袋を夜間返却口に放り込むと、松川沿いの散歩道に入る。どこぞの年配者が体操を兼ねて枯葉を掃いていた。朝の挨拶を交わす。「朝のあいさつ」って曲、無かったっけと頭をかき回した。(戻ってから調べたら、エルガー作曲の『愛のあいさつ』だった) ま、これも連想できただけでも「めっけもん」か。
 松川の水が淡い青緑色で、澄んでいた。名前は知らないが、純白の羽を寒そうに畳んで、流れの中に足先を浸けている鳥が一羽。何と静かな空間なのだろう。「田舎っていいな」

 30分ほどの一人歩き。本日も無事帰還。
 さて「愛のあいさつ」でも聴くか。奥村ちよ、ではなくて奥村愛のヴァイオリンで。 

. 「ヨコハマ物語」

 サッカー場の芝管理の職を退いたその日に妻の薫(市毛良枝)を亡くした田辺(奥田暎二 )は、ひょんなことからアマ・バンドのマネージャーをしている極貧の若い娘七海(北乃きい)を助けて自宅に住まわせることになる。発想が飛んでいる七海は数室もある田辺の家を勝手にルームシェアリングしてしまう。男の子を連れたシングルマザー、高学歴で無器用な生き方しかできない女子社員、そして歌手の卵と七海。全部で5人も抱え込んだ田辺。擬似娘と擬似孫に囲まれた生活の中で田辺は、亡き妻を思い出しながら、自分がいかに家庭的でなかったかを知らされる。一方で「報われない若さ」に沈んでいた女性たちはこの共同生活の中から、生き抜き戦い抜く強さを身に着けていく。七海は関係者全員の「フィクサー」的な役割を果たす。ドラマの途中、親に反抗して家出をしている息子の裕也が急に訪れて田辺をなじる。この場面は、すでに「心の家族」ではなくなった息子が「血族」として亡き母のためと称して他人の女だらけの中にいる父親を責める重要なものだ。なぜならこの時点ではすでに、家の中は「心の家族」として形成されていたからだ。悪態をついて去る息子。終わり近く、この息子を呼んで父と子を和解させるのも七海だ。この父子関係に関して七海は「トリックスター」の役割を果たす結果になる。田辺ではなく七海が、この映画の主役の位置にいる所以だ。

 田辺に内緒でなぜ七海が息子裕也に連絡がとれたのかなど細部を突くと、いろいろ「ご都合主義」的なのだが、観終わって爽やかなのは「いい映画」と言ってよい。

 昨今、血のつながった親子の間での殺傷事件が頻発し(正確に表現するなら、頻繁に報道され)、また肉親間の心の他人化が進む中での原作、そしてこの映画、決して無視はできない。製作者がこの企画を選んだ狙いが奈辺にあるかがしのばれる内容だった。

 主演の北乃きいは、2008年の映画「ラブファイト」を観て初めて知ったが、そのときの積極的で明るい印象そのままの役で、ある種の懐かしさを覚えた。ちなみに「ラブファィト」は、近くのレンタルビデオ屋では見つからなかった。

 蛇足を一つ。一緒にこの作品を見ていたかみさんが、「家出息子はもう出てこないでいい」と息巻いた。爺は「あの息子の始末をしないと、この映画が何を言いたいのかがぼやけてしまうから、必ずもう一度出てくる」と返している。
 本当に出てきて、ホッとした。映画評論家(?)の「権威」のためにも。

. 詩に想うこと

 今回の「小説世界」が終わった。1日平均400字詰め10枚で9日間。この間は他の創作がほとんど進まなかった。不思議なもので、ホッとしたころに著名な詩の同人誌が送られてきた、まるで終わるのを待っていたかのように。107号という歴史を誇る誌で、作品は30と「百花繚乱」だった。何か安らぎでも求めるように、鑑賞を始めた。ところが胸が詰まり、息が苦しくなった。愛や恋、幸せや充実を謳歌する詩がほとんどなかったからだ。作品の質を云々する資格はない。言えるのは好き嫌い。自分の感受性やいまの気分に合致した作品かどうかだ。いつものように3作品を、好みとして選んだ。それらでさえ、内容は重かった。

『―未練―という言葉で括りたくはない
 役に立つことがまだある
 生きていれば と
 信じている
 哀しいけれど』 (高木瑞穂)

 載っていた『信じる』という詩の最後の5行。 おそらく高齢になった人はほとんど、一度はこういう心境になったろう。万人に不可避な現実だからこそ、重いのだ。すくなくとも甘い蜜で加工した虚ろな言葉の羅列ではない。だから詩なのだ。それでもと思う。誰か、この重さから救い出してくれないだろうか、と。

 昨今、目にする詩のほとんどが散文詩になった。行間を読み取る。言葉の選び方で作者の心をさぐる。そんな楽しみ方ができなくなっている。分野は違うが、演歌の詞もまったく魅力を失っている。一昔もふた昔も前の歌詞には、言葉少なな中に哀愁が漂っていた。想いが隠れていた。メロディと歌詞の乖離もようやく甚だしくなっていく。若者のヒット曲も、歌詞は話し言葉で饒舌。歌詞と言わずに「ワード」と記すものもあり、語数に追いつけない音符♪があわただしく駆けまわっている。

 著名な詩人に師事した友人に質してみた。
「いまは詩なんてと、けっこう相手にされなくなっているかもね」
 昔、詩に憧れをもっていた爺などは哀しく思う。
 詩人茨木のり子は著書「詩のこころを読む」の中でこう言う。
『言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とは言えません』
 この著者が推している詩の中に、こういう4行詩がある。

『一生おなじ歌を 歌い続けるのは
 だいじなことです むずかしいことです
 あの季節がやってくるたびに
 おなじ歌しかうたわない 鳥のように』 (岸田衿子)

 この詩の解釈は多岐にわたるだろう。何に擬(なぞら)えていると感じるかが、人により区々だからだ。 
 爺が前に「重い」と口走ってしまったが、同じ重さでもこういう詩もあった。抜粋で恐縮だが、記したい。

『どんなにうめこうとも
 心を痛めるしたしい人もここにはいない
 三等病室のすみのベッドで
 貧しければ親族にも甘えかねた
 さみしい心が解けてゆく、

 あしたは背骨を手術される
 そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
 死んでもいいのよ』 (石垣りん)

 その昔、「詩的」は、素晴らしいこと、魅力的なことの形容だった。
 いまも、だと嬉しい。



. 鹿と左様か

 10月31日の午前5時半頃、通勤途上で野生の牡鹿に遭遇した。伊豆スカイラインのカーブの多い区間はヘッドライトを下向きにして走る爺。対向車が来るたびに上向きから下向きへと切り替えるのがわずらわしいからだ。スピードも40キロ程度を維持する。これは安全のため。カーブを切ってすぐに進行方向右側に何か出たのを感じた。ブレーキペダルを踏む。停車と鹿がフロントガラス一杯に見えたのが、ほとんど同時だった。立派な角を持つ彼は顔をこちらに向けもせず、ゆっくりと後ろ足を揃えると、ふわりとガードレールを跳び越えた。息をのむほどに美しい跳躍だった。しばし呆然とする爺。「何なんだ、いまの」。そんな感じだ。その後で「交通事故寸前だった」ことに気づき、身震いがした。鹿も傷つくだろうが車も大破する。もちろん爺の体への衝撃も激しかろう。それほど大きな体躯だった彼。数年前には帰宅途中に成獣になっている猪で同様の想いをしている。
 「田舎だなぁ」とため息をついて、アクセルに足を運んだ。

 そういえばいつか、職場のテニスコートに牡の鹿が出現、「写メをしまくった」という話を同僚がしていた。冬になれば猪が、車が往来する県道にさえ出没する。人間と野生動物の観光地での共存は可能なのかを、まじめに検討すべき時が来ている。そんな気がする。地元の猟友会が猪の駆除を始める。これもその対策だ。しかし人家の近くや観光施設の周囲で発砲はできない。猪はこれを「知って」、むしろ人間の生活エリアに逃げ込んでくる。そして集荷場の生ごみを一家で漁り、各ホテルの庭で好物のミミズを掘りまくる。そうなると両者の遭遇は不可避だ。

 何日か前テレビで、人家の周囲を逃げまくる牡鹿が安全上の必要から処分された様子を放映していた。そのすぐあとでどこぞの場所で猪が同様の理由で射殺されたニュースもあった。昔は「野生の山」と人家の集まっている「里」との間に「里山」という言わば「緩衝地帯」ができていた。獣は自らと家族の安全ために、食糧難の冬季でも里山までで下りるのを止めていたのだ。いま、その自然界の「ルール」が破られつつある。
 野生動物は餌をもとめて下りて来るだけで他意はない。故意や過失という概念も知らない。ただ「偶然の危機」には本能的に反応する。その結果が「人間を殺傷」となるのだ。この「選択不可避な情況」をつくらない対策を考えられるのは、もはや人間だけだ。動物は理屈抜きで、食べ物を求めて下りてくる。
 個々に殺処分をしたり、捕えてただ山に帰してやるだけでは抜本的な解決にはならない。
 走りながら、そんなことを思った。

. ボケ日記?

  推理小説を1日あたり10枚から12枚と「佳境」に入った翌日が勤務日。その後の土日で同窓の集い1泊の旅。さらにその翌日月曜から昨日の31日まで例外的な5日連続の箱根勤務、と「小説環境」でも「ブログ環境」でもない日々が続いて、やっと今日、「おひさしぶり」的なブログを打っている。

 10月25日朝9時に徒歩で伊東駅に向かい、先ず伊東線の上り。記憶が正しければだが、宇佐美、網代、伊豆多賀と3回も待ち合わせ待機をした。単線なので、運転士がイラついて走り出せば下り電車と正面衝突するので致し方ないのだが、「田舎だなぁ」と爺はその都度ため息。生まれ育った横浜の京浜急行なら「2.5分に1台だぞ」と、妙な郷土自慢。熱海で東海道線に乗り換え、やっとのことで小田原に着いた。ところが、待ち合わせ駅の小田急線伊勢原まではせいぜい30分とふむと、いかにも時間が余りすぎる。古本屋でも探して時間つぶしと決め込んだはいいいが、これが「命とり」、グルグル市街を回っているうちに1つ角を間違えてアタフタ。このロスが災いして12時半の集合時刻ギリギリの到着となった。当然全員が揃っている。
 そのせいかどうか居並ぶ同窓生はドン引きの体だったが、じつは諸氏、爺の「都会風の?」いでたちに呆れたのだった。大山参り、阿夫利神社までの「登山」ともなれば、最低でも 山歩きの格好は不可欠。それなのに、荷物はゼロ、黒のジャケットに黒のズボンに黒の革靴。「なんだろ、この子」状態だったらしい。そういえば以前横浜の居酒屋で同窓の集いにスーツ姿で参加した時も幹事から、「もっとカジュアルでいいんだよ」と苦笑されたことがある。そのときも思った。『作業着とお出かけ用のスーツしか持ってないんだよ、俺は』と。つまり、センスの問題でもTPO音痴でもないのだと。もっともこのことが、若干自信が無かった急峻な山歩きでのガンバリにつながったのだから不思議と言えば不思議である。
 一度でいいから「予算」のことなど心配しないで、上から下までコーディネイトしたい。これでも若い頃の一時期デザインを志した身なのだから(笑)。もし今回「山ガール」の男版みたいな格好をすべく諸々を購入したら、おそらく参加費の2倍以上の予算は必要になっていただろう。『それができるくらいなら苦労はしない』のだ、爺は。

 こじんまりとした、それでいて雰囲気のある山麓の旅館が貸し切り状態になったので、宴会、二次会、三次会と大変な「騒ぎ」で、もはや「旧交を温める」などというレベルではなくなった。20人以上の高齢者が「飲むわ、しゃべるわ、笑うわ」で言わば炎上。懐かしさだけでは続かないと言われている同窓の集い。この一期生仲間は何かが、どこかが、違う。この印象は参加者の全員が持っているのかもしれないのだが。爺もふだんの4倍以上は飲んでいる。しかもいわゆるチャンポンで。翌日、何人かの女性参加者から「何だか元気なかったみたい」と言われたが、それは勘違い。二次会、三次会と進むうちに酔いと眠気で、飾らずに言えばボーっとしていただけ。それでも翌朝、宴が終わり部屋に戻って眠るまでの一切を憶えていた。珍しいことで、『えらい』と自分を褒めてやった。ま、それがフツーか。

 幹事が前夜の参加者の深酔いを心配してか、伊勢原市にある雨降山(あふりやま)阿夫利神社までの上りをケーブルカーにした。生来「ばちあたり」なので、神社仏閣を見ても宗教的なものは意識せず、建築美術的に鑑賞してしまう。この意味では改装部分が目について、正直なところ魅かれるものはなかった。下りは徒歩。自然石を使った階段がイヤというほど続く中、それでも面白がって革靴で遊んだ。ときどき応えてくれる山ガールたちの「こんにちは」に「助け」られながら。
 半ほどのところに「雨降山大山寺」がある。大山(おおやま)全体をご神体とみた場合、その中腹にお寺があるのが不思議だったが、「神仏習合」とか「神仏合体」の考え方なら「あり」かな、つまり神宮寺(じんぐうじ)か、などとゴチャゴチャ思いながら歩いていたら、何とはなしに舗装された元の道に戻れた。つまりケーブルカーの始発駅の近くへ。
 我が膝を、撫でながら褒めてやったのは言うまでもない。
 それにしても昼食でまたビールを飲んだのには、さすがに驚いた。
 『麒麟(きりん)も老いれば駑馬(どば)に等しい』とは「ことわざ」だが、老いてなおキリンをドバッと呑むうちの仲間たちはどうやら「麒麟」を超えているらしい。
 


 


. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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