蛙声爺の言葉の楽園

. 「小説家を見つけたら」

 癌疾患で死期を意識しマンションの一室で「引き籠もり」生活を送っている老作家ウィリアム・フォレスター(ショーン・コネリー)とバスケットの名手で文才のある16歳の黒人男生徒ジャマール(ロブ・ブラウン)との間の、人種・年齢・社会的地位を超えた「相互に才能を信頼しあう関係」の顛末を描き切る。原題は「Finding Forrester」だから、これだけでフォレスターがいかに高名な人物なのかが判る。

 ひょんなことでフォレスターに自分の文章を見せることになるジャマール。添削の適正さに舌を巻いた少年は、生意気な口をききながらも得体の知れない老人に魅かれていく。二人の関係のルールはこうだ。①無礼を云々するような上下関係は無し。②質問・回答は文章・文学上の関係だけに限る。③互いのプライバシーは厳守。ここからフォレスターの部屋で創った文章を室外に持ち出さない、というルールが派生する。そこまでしなくてもと観客は思う。ところが後半、フォレスターに師事したジャマールが書いた応募原稿をクロフォード教授が「盗作」部分があるとして、少年を糾弾し始める。数人の教師たちに囲まれ、不正を働いたとして奨学金すら不支給にされかねない事態に陥っても、約束を守ってフォレスターの名前を伏せる少年。そう、文は人なり。部屋から持ち出せば誰の影響を受けた文章かが分かり、終にはフォレスターがどこにいるかも分かってしまう。唐突に見えたルールはここに繋がるのだった。

 14年も前の作品なので、ネタばれを承知で紹介している。事情を知ったフォレスターは、信を貫いた「友人」のために自らの禁を破ってジャマールのいる学舎へと向かう。「彼の作品は彼自身が創作した」ことを証言するために。
 ラストでジャマールは訪ねてきた弁護士からフォレスターの死を知らされる。
 「死」で終わる作品が、これだけ爽やかなのは珍しい。

 136分はたしかに長尺だが、そのお陰か、玄人、素人を問わず文章を創る人たちの心に沁みる言葉は多かった。
『書くための最高の鍵は、書くこと』
『情熱で書き、理性で推敲する』
『ためらうな、もっとしっかりキーを打て!』

 今の爺にも向けられた言葉だと、勝手に解釈をした。

. 同人の小さな集い

 9月27日の土曜日夕方の6時から2時間の小さな集いだった。いつもは市内の老舗喫茶での会合なのだが、今回は「遅れ暑気払い」ともいうべきもので、駅前の居酒屋を使った。この時期に実施する一番の目的は、『岩漿23号』の作品を執筆する内なる「熱源」を刺激することだ。ただ、始まってしまえばそこは「宴会」のこと、諸々の話題で「ワイワイがやがや」になる。めったに会うことがないのに、「同人」とは良く言ったもので、会話が途絶えて「お通夜みたい」ということは1回も起こらない。49から80と、「人生いろいろ」の中をシッカリ駆け抜けてきた人たちなので、発言の下地には常に温かいものが流れている。もちろんユーモアもたっぷりとある。
 
 「岩漿文学会」という大そうな名前で産まれたのは平成9年のこと、今年で「17歳」になる。発足時5名、途中会員数45名以上に膨らんだが、景気低迷や、関係者の高齢化、読み手会員の漸減などにより、20名前後に絞られてきた。書き手の熱意により19号発行の年で会の「更新」が成り、早3年が経つ。見方を変えれば本来の同人誌「経営」になったとも言える。加えて同人誌存続の危機が、現同人の結束を強めたとも言えよう。小中学校の同窓会などを別にすれば、「気のおけない仲間」を作るのが甚だ難しい時代に、書くこと読むことが好きというだけの共通点でつながり 、長年に亘ってこれを保持していること自体稀有というしかない。その仲間の輪の中に身を置けている嬉しさに改めて気づかされた「うたげ」だった。


 

. 「爺」にしておいて良かったぁ

 正直なところ「まいった」。ブログの読者がどれくらいいるのかと、ガラにもなく気になって、アクセスカウンターを貼り付けたくなった。「日常作業の合間に」などと生意気なことを考えてトライしたのはいいのだが、「カウンターの編集」という段階でタイトル欄にブログのタイトルをそのまま入れてしまった。極小の字でゴチャついている「タグ」なるものをやっとの思いで記入し、クリックして確認のためにブログを開いてみて驚愕。ブログの本文のすべてが消失していたのだ。ヤフーのトップページで「蛙声爺」を入れて検索。つまりほかのルートで入れば正常に出るのかの確認。いつもなら10に近い項目でブログが紹介されているのに、これもすべて消失していた。『103回分のブログ記事が一瞬にして、パーかよ』。さすがに青くなって思いつくままに「トライアンドエラー」を繰り返すこと1時間。消えてしまった一つ前の操作結果を「無し」にすればいいとようやく気づいた。パニックは人の頭を遠回りさせるらしい。原状回復したときは、椅子から転げそうに力が抜けた。「簡単にできます」が常套句のパソコン人だが、「爺」にしてみればまさに皆さんは「宇宙人」だ。そして本日、一時でも落ち込んだ自分が許せなくて、再びトライ。比較的簡単そうなランキングを貼り付け、余勢をかって今度はたしかにフリーエリアにカウンターを登場させることができた。(とは言っても、本当に間違いないのかは数時間経たないと不明だが)

 カウンターの「12」という数字に今度は落胆。1年前にブログを始めたときからの積算で出ると、勝手に想像していたのだ。無知と音痴は「こわい」。
 気を取り直して、貼り付けたランキングの下の案内に従い、上位のブロガーの「お宅」を次々に訪れてみた。親しみやすいタメ口、ソフトな口調、甘えるようなお願い、と会話体が主流だ。写真の多用、アニメキャラにも匹敵する可愛い貼り付け。文章の字数が基本的に少ない。難しい漢字は極力使わない。扱う話題は身の回りの興味深いもの。感心しながら行脚をしていて「これらのすべてが、自分のブログには無い」と気づいた。
 ただどうなのだろうと、冷静になる自分がいた。ブログを始めた動機が違うのだ。続ける目的も特異と言える。大勢の人に見てもらう。楽しんでもらう。得難い情報を教えてあげる。確かにそれは大切で、素晴らしいことだが、この「爺」に、いまの「爺」にできることではない。また、向いてもいない。たまたま立ち寄ってくれた人が、ひょっとして何かを想い、何かを感じてくれたら。それでいいのではないか。たとえで言えば、古びた原稿用紙に向かい、ちびた鉛筆を更に短く削りながら、芯を舐めなめ、自分の言葉て゛由無しごとを綴る。「誰か読んでくれるといいな」と、そんな感じ。
 識者には識者でなければ書けないブログが、若くて明るい人には持ち味いっぱいのブログが、それぞれあるように、爺には「爺」でなければ書けないブログがあるように思う。
 と、落ち着いたところで「コーヒー」にしよう。
  

. あれもよし、これもよしの心

 とてもよい塩梅の日射しに誘われて、いつもとは違う海の方へ歩き出した。嘱託で出勤する日以外の日々を、自分の健康状態を見つめながら、まるで文人のようにゆったりと生活している。人々の保養の地である伊豆・箱根で28年、背中にナイフでも突きつけられてチクチク押されているような日々を過ごしてきた自分が、ホーッと深呼吸でもしているような、そんな気がする。

 伊東図書館そばの散歩道から松川を覗き込むと、鴛鴦(おしどり)が髪ならぬ羽振り乱して喧嘩をしている。「あれ、仲のいい夫婦の代名詞みたいな鳥なのに?」と不思議に思っていると、どうやら同性の争いらしいと気づいた。ちょっと見死角になっている場所にもう1羽いたのだ。「良き哉、良き哉」

 川上に顔を向けて緋鯉がゆらゆらと揺れている。橋を左手に見て真っ直ぐに進んだ先でのことだ。成川美術館所蔵の日本画の鯉5匹は絵なのに泳いでいるように見えたが、眼下の鯉は静止して水の中にいる。死んでいるなら腹が上、生きているから背が上なのだ。鯉にも夜、昼があろう。「おまえ、ずっとそうしている気か?」

 歩を進めると、竹箒で落ち葉を処理している小柄な老人に出遭った。「お疲れさまです」と声をかけてすれ違うと、背中で「誰も挨拶一つしねえ、ダメんなったもんだ、この国も」と声がした。振り返ると「あんたが初めてだよ」と言い、そのあと10分以上に亘り「ぼやき」節で公憤をあらわにした。原因は「戦後の教育の失敗」「親の躾の欠如」と手厳しい。その内容にはほぼ同感だったが、なにやら爺が直接叱られているようで、うっかり「すみません」と言いそうになった。年齢は問わず語りで82と教えてくれた。終始笑顔で対応していたが、最後の一言で即「辞去」することにした。そう、笑顔で。「教養が高すぎて意味が通じなかったろうけどな」が問題の「ワード」だ。彼が繰り出したジョークの数々の出典が戦前の「教育勅語」であることは早々と分かっていたからだ。高いところから大勢の通行人をさげすんでいたことになる。「なんだ、いままでのは結局公憤じゃなくて私憤か」と冷めたのだ。「人の振り見てなんとやらだな?」。最後は自戒につなげた。
「それにしても、誰にでもできる奉仕じやないよな」、とは思う。

 川の流れを見ながら歩いていると、自分と同じ速さで動いているように錯覚する。水にすれば、笑止千万な話だろうが。1年かけたのでドラマはラストシーンまで出来ている。容器に栓をしたままでは中身は出てこない。この栓の部分が小説の出だしにあたる。「最初の1行」とも呼ばれる。このところの散歩は、これを捜す作業も兼ねていた。読者がスッと日常的な感覚で入れて、物語を暗示するような冒頭の1ページ分の文章。これさえ決まれば実質14日程で90枚は走れるだろう。1年も待った応募だからと、とりあえず腹に力は入っている。

 新しいビルダーとの「相性」が悪く、「ホームページ蛙声庵」の入れ替えプランが全く進まなかったここ数か月。退職後の自由時間の拡大が、それを可能にしそうだ。「なぜこんなことが発想として出てこなかったのだろう」。イライラや焦りは頭に「ぼかしフィルター」を掛けてしまうようだ。或る朝、スルッと「迷いの洞窟」を通り抜けた。
 もうここまで来たのだ。「頭も、心も自由にしてやっていいのではないか」

 川面に落ちた枯葉が、あっち向き、こっち向きしながら流れていった。
「海に出ればお前も、ゴミの一つにも数えてもらえないな、きっと」


 

. 元箱根の絵の城

朝早く伊東を発ち、会館時刻の9時ぴったりに成川美術館に着いた。訪問は今回で確か6度目になる。芦ノ湖、箱根神社、外輪山(晴れていれば彼方の富士も)を一望したあと、「館内独り占め」で日本画を鑑賞した。人声も靴音も咳払いもない空間が重い。絵やデザインの世界で生きたいなどと夢を見た中学時代の自分が、いまこのときの肉体を全て奪い、頭だけで徘徊しそうな気がした。堀文子と山本丘人(きゅうじん)の作品が主の展示だったが、巨匠たちの名が連なる素晴らしい「会場」になっていた。

 世俗的な疑問で恐縮だが、いつも思う。個人の美術館だというが、日本画所有4000点とも言われるその規模。文化勲章受章者山本丘人作品だけでも所蔵数150におよぶ由。成川氏は一体どれほどの資産家なのだろう。「戦後の日本画の素晴らしさを広く知っていただく」ためという設立目的も、ある意味自信に満ちている。
 資産、金と言えば日本画の顔料も高価だとか。岩絵具(いわえのぐ)を固着剤としての膠(にかわ)で溶いて描くのが本来の日本画。とくに、ジブリアニメの「耳をすませば」でも登場したラピスラズリ(瑠璃・るり)は有名だ。旅館の顧客名札に用いる白い「胡粉」もこの仲間だろうが、こちらはすこぶる安価だ。単純に絵具の値段で「階級」を付けるとすれば、デッサン、水彩画、油彩画、日本画の順になるだろう。貧しかった若い頃の爺が水彩までしか経験できなかったことは言うまでもない。

よく語られることだが、投資目的ならいざ知らず、絵画は結局好き好きだ。たとえば1億円の絵だとしても、好みだけで評価するなら、「飾りたくもないし、欲しくない」ということは多々ある。「観るだけで満足」レベルで好きな日本画家といえば東山魁夷だ。若い頃奈良の唐招提寺で観た壁画・襖絵などは深く心に刻まれている。二番目が平山郁夫。今回も売店で「ガンジスの夕」が刷り込まれた一筆箋を購入している。こちらは1億、2億ではなく「机上に置く」で済む。ところでこの平山画伯の大作「平成洛中洛外図」は現在、どこに展示されているのだろう。願わくば、遥かに遠い広島県の平山郁夫美術館でないことを祈りたい。

 アウトしてすぐに空を見上げた。同じ青でも、秋そのもののだと感じた。

. 「モンタナの風に抱かれて」

物語の終盤に村のパーティの場面がある。アニー(クリスティン・スコット・トーマス)とトム(ロバート・レッドフォード)が見つめあい、誘い誘われてチークダンスを始める。周囲も「ダンサー」たちでいっぱいだ。二人はその衆を頼むかのように、身も心も寄せ合う。二人の下半身の微妙な動きをカメラは捉えて離さない。当然着衣なのだが、全裸の絡み合いを凌ぐエロチシズムだ。誠実一本のアニーの夫(サム・ニール)もその会場で確かに気付く。レッドフォード監督がこのドラマの主題を集約させたショットでもある。

 この映画を「素晴らしいモンタナの自然の中での汚い不倫」と断じたレビューがあった。それを未熟で一方的と反論したご婦人の意見もあった。前者はきっと若い男性だと思う。ここである提案をする。何か映画を観たあとで、ネットの素人映画評を見てみると良い。「こうも感想、つまりものの見方が違うものか」と驚かされる。年齢・性別・未婚・既婚・人生経験・読書家か否か等々、批評の中にその人自体の「姿」や人生が垣間見られて参考になる。さらに言えば、真の映画作家は観客におもねって自作を汚したりはしない。結果的に観客の一人一人をリトマス試験紙にすることはあっても。

 話が逸れた。読者にこの作品を味わってもらいたいので、少しだが「ネタばれ」を試みる。
 優秀な雑誌編集長のアニーには温和で仕事もできる弁護士の夫と、明るくて可愛い13歳の娘グレース(スカーレット・ヨハンソン)がいて、さらには娘の愛馬だがピルグリム(意味は巡礼者。この一家の象徴としての名前だと爺は理解)もいる。或る冬の朝、友だちの少女とグレースは馬に乗って外出しトラックと「交通事故」を起こす。友だちは死に、愛馬は瀕死の重傷を負って「暴れ馬」と化し、グレースは片足を切断して「生」を得る。以後グレースはいわゆるPTSD(心的外傷後のストレス障碍)に陥り、家族全員に異状が生じてくる。アニーは「娘の心の治癒にはピルグリムを直すことが必須」と考え、その道の専門家ホースウィスパラーのトム・ブッカーに依頼、断られると彼を追って娘とその愛馬を伴い数千キロも離れたモンタナの牧場にたどり着く。トムとその一族、村人そして雄大な自然の中で、アニーは次第にトムに魅かれ、グレースはトムに終には心を開く。ピルグリムも訓練で快癒。仕事を片付けて迎えに来た夫に複雑な想いを感じるアニー。もう止めておこう。アニーが決断した「遠征」は、結果的に家族3人と1頭の馬を「リセット」して終わる。

 ラスト近く、夫は、トムに熱い心を残しているアニーに言う。心をきちんと決めてから戻っておいでと。心が広いといえば広い、冷たいと言えばこれ以上は無いという「冷たさ」。ここら辺りは「文芸作品」としての真骨頂だ。妥協の「キス」で済む話ではない。
 仮にいま女を「X」、男を「Y」としよう。X2乗+Y2乗=22という公式が成り立つ。つまり女の事情に男の事情を足すと「夫婦」になる。ところがX2乗-Y2乗=0なのだ。女の事情から男の事情を引くと「無」になる。離婚が嫌ならつまり、男の事情は棚上げにして、そのままにせざるをえない。弁護士でありアニーを愛していた夫の言動は、この理(ことわり)に基づく。こういう場合男にできるのは心の「因数分解」だけだ。 (ちなみに性別と符号は男女の染色体XXとXYに因る)

 最後に。映画は観客にある種の混乱を与え、提示したテーマについて考えさせる重要な使命を持っている。「不倫」という手垢のついた単語を使っての「カテゴリー態度」で斬って捨てては、映画作家に対して失礼だと、思う。

. カムバック「アラレちゃん」

本当はずっと前からなのかもしれないが、爺が食事時に某局のテレビを見ていて「発見」したのが極最近なのでご容赦ありたい。あの、一世を風靡した鳥山明の「アラレちゃん」が突然画面に描かれだしたのだ。ご無沙汰してました。このTV-CMは、車の「SUZUKI- HUSTLER」。どんな車かは試乗していないし、実物を見てもいないので分らないが、きっと元気で、愉快で、ワクワクするような車種なのだろう。そう思わせるものが、アラレちゃんにはある。

 かつて人気を争った「サザエさん」「アンパンマン」「キティちゃん」たちが、キャラクター商品としてもずっと生き続けてきたのに、なぜか姿を消していた彼女。以前書いたように我が家にも何故か「アラレちゃん人形」が居るので、少しく不公平感を持っていた。確かに上記の先輩たちの「在職年数」には敵わない。キティちゃん一つとっても、爺が中学生の頃から、つまり半世紀も前からスターだった。それでも単位年数当たりのヒット量で比較すれば全く遜色は無いのだ(なぜこんなにもチカラコブを入れての応援なのか自分でも不思議だが)。「ゆるキャラ」タイプのものは、すべからく「可愛く」なければならない。サザエさんよりワカメちゃんが、アンパンマンよりバイキンマンが、アトムよりもウランが、それぞれカワイイようにだ。幼児は時を超えて何度も「再生産」される。情操教育にも役立つ「彼ら」は、ぜひ公平に扱ってほしい。今回のSUZUKIさんのご英断に拍手!
今回のブログは何かヘン? かも。
 いや「かも」は要らないだろう。ではまた。「んちゃ」

 ちゃっかり「自白」を逃れるところだった。実は爺、当初「Dr.スランプ」(アラレちゃん)の価値を認めなかった。「ずいぶんふざけた内容だ」と感じたのだ。数年ほど経ってから単行本で何巻か連続して読む機会があった。そのときも斜に構えた「姿勢」で臨んでいたのだが、或る処まで来て、したたか頬を叩かれた。「この作者、こどもに斬新な発想の必要性と楽しさを教えようとしている」と。ふざけた評価をしていたのは自分だった。常識的・画一的な物差しでしか作品を「測って」いなかったのだ。それゆえ鳥山明は爺のいわゆる「先生」である。
 以後、作品の第一印象に溺れず、多角的に鑑賞しようと自戒を重ねている。

. ファミマのテディ・ベア

散歩の途中で度々立ち寄るコンビニ「ファミマ」。前回、入り口のドアの右側に、どっかりと椅子に座っているはずのテディ・ベアが居なかった。朝食用の買い物をしてからレジの小父さんに「ちょっと肌寒いですものねえ」と藪から棒に言葉を送った。「はい。短そうですね、今年の秋」「いや、外のぬいぐるみ、居なかったので」「夜雨降ったので、濡れちゃうと可哀想だから」「やさしいですね」「晴れたら出します」。愚にもつかない会話なのだが、何となくホンワカ温かい気持ちで店を出た。小洒落(こじゃれ)た会話になったので満足もした。

 あれから一週間は経ったろう。今朝も5時半頃に店頭に立った。
 オレンジ色の帽子に前掛けをして、ゆったりとしているテディ・ベアが居る。もしかしたらと、近づいて確かめてみると、やはりハロウィン用だった。小さなカボチャのジャック・オー・ランタンのプリントが為されている。ヨシヨシという感じでオデコをなでてやったら、少し湿っぽかった。前回の急な雨で取り込むのが間に合わなかったのかも、などと想像してみる。
 帰ってからネットで値段を調べてみた。「ヒマだなあ」と言うなかれ。こういう姿勢が、素人ながらも「物書き」の性癖で、とても大事なのだ(と思う)。驚くなかれ2,3万は予想していたのに同じ身長で5千円前後だった。もちろん材質はアクリル・コットン・ポリエステルなどで、モヘアとかアルパカではないのだが。

 ところでこの「テディ」の名が高評価なセオドア・ルーズベルト大統領(米国第26代)に因むことは有名だ。熊狩りの不首尾を心配したお付きの者が、捕らえた負傷熊を出して大統領にどうぞ撃つようにと勧めたところ、これを良しとせず撃たなかったという例の逸話だ。美談というよりも、爺などはこの段取りをしたお付きの者の、大統領を侮辱したとも言える「不明さ」の方が「光る」話だと思ってしまう。にもかかわらず、この逸話から「テディ・ベア」が創られ、後にあまねく世界に広がることになった。
 日本では歴史の教科書にも出てくる32代大統領フランクリン・ルーズベルトの方が有名だと思う。4選大統領・身障者・第二次世界大戦・ニューディール政策。何十年も前の教科書ですら顔写真を載せていた。
 因みに若かった爺が大統領の名セオドアを知ったのは、ぬいぐるみの謂(いわ)れとしてだった。もちろん自慢にもならず、自分の浅学菲才を告白しているようなものだ。それでもあえて言えば、日本ではフランクリンの名は受験期だけ、セオドアの名は「テディ・ベア」ある限り、一生ものだと思う。

 最後にひとこと。モンチッチの方が、ぬいぐるみとして愛くるしい。
「コンビニさん、またお色直しする10月31日過ぎに必ず見に行くね」

. 「北都物語」の絵梨子

ヒロイン絵梨子に魅かれたのは、きっと彼女のつく嘘のせいだろう。彼女は実にさまざまな嘘をつく。いや、彼女の生き様そのものが、嘘なのかもしれない。その不可解に映る言動は、思慮深いはずのおとな達を黒い嘘の世界へと誘ってゆく。それによって彼らは、惑わされ、翻弄される。或る者は浄化され、或る者は二度と癒えないだろう傷を負う。
 嘘は或る意味では優しさである。絵梨子は親には黙っていた。どのような証拠を見せられても、どのように詰問されても、知らない、していないと言い通す。人が真の自分と異なる自分を信じ、その信頼の証を求めているとき、あえて真の自分をその人の前で晒して見せるのは、かえって「罪」とは言えまいか。嘘はこの場合において優しさである。なぜなら迫る相手方は嘘を求めており、真実こそ嘘と思いたいだろうから。

 絵梨子は決して弁解しなかった。誤解されても仕方がない言動を指摘され、客観的にはとうに逃げ場を失っていてもだ。彼女は弁解というものが、相手の不信を溶かすとは思わなかった。むしろ相手の猜疑を強めるということを知っていた。沈黙による「否定」はこの場合優しさである。絶対的とも言える証拠で固められた裏切りの姿も、それを信じたくない人にとっては、未だ絶対的ではない。そんなはずはない、彼女は違う、猜疑と憎悪の谷間に、哀しいまでの希望がある。彼女の「自白」がない限り、相手はその僅かな糸をたぐって自分を支えることができる。それを熟知するゆえか、彼女は黙す。それは女の狡(ずる)さ、魔性のなせるわざ。

 絵梨子は、思うがままに言動し、人の指図を好まなかった。虚無的でもあった。若い血の流れに抗し、不遜だった。厭世的でもあった。彼女は自虐的であることによって、他者に対して加虐的だった。彼女は、自分によって人が傷ついたとしてもそれは、相手が脆弱だから、という姿勢をとった。思いやられるのを欲し、思いやるのは不得手だった。
 愛は究極的には相手を独占し、支配し、羈束(きそく)することをもって、その宿命とする。そういう代物「愛」にとって絵梨子の全ては、否定的に機能した。彼女は、独占されながらも「独占」し、支配されながらも「支配」し、羈束されながらも自由でいる術を知らなかった。絵梨子は、そういう「優しさ」だけは持ち合わせていなかった。
 絵梨子は全てを失うだろう。彼女の魅力はもしかしたら、その一事に因っているのかもしれない。その予感のゆえに、いま彼女は輝いているのかもしれない。

 この「北都物語」を書いた渡辺淳一は物故して、もう居ない。黄泉の国で「絵梨子」をよりいっそう妖艶な魔女に仕立てているのだろうか。このヒロインは作者が一番好む「女」なのではと、いま爺は確信している。
 

. 行きつくところは監督①

ここひと月の間にクリント・イーストウッドの映画を2作観た。いずれもDVD、我が家のミニミニシアターでだが、少し「お喋り」をしたくなった。
 「人生の特等席」(2012)は監督ではなく主演者になっている。もっともロレンツ監督はイーストウッドの影響を多々受けた人らしいので、彼の「作品」と言っても過言ではなさそうだ。こどもの頃父親に「捨てられた」と思い込み、立派な社会人(弁護士)になったいまもある種の「トラウマ」を抱える娘のミッキー(エイミー・アダムス)が、痛々しいほどに「可愛い」。口論が絶えず、意地の張り合いをする父と子。どこにでもありがちな話なのに、その「運び」はため息がでるほどにうまい。つまるところ二人の想いの断層は、「あるべき父親像」の違いから来るのだが、父親の武骨、不器用さがそれをことさらに複雑にしている。『この脚本、うまいなぁ』と鑑賞中に何度かつぶやいた。ラスト近くは「無理やりハッピー」の臭いがするが、観終わった後の爽やかな風のためと、許してしまおう。実の父親でありながら「父親」であり続けることの難しさ。この作品が爺の心に沁みた理由は、それだ。

 イーストウッドが気になりだしてビデオ屋から「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)を借りてきた。こちらは彼自身がアカデミー作品賞とともに監督賞を取っている。ヒロインのマギー(ヒラリー・スワンク)が貧民の出でボクサーとして這い上がっていくというストーリー部分は、スターローン演ずる「ロッキー」の女性版と言ってもよい。コーチ(フランキー=イーストウッド)が重要なポジションにいるのも同じだ。ではなぜ受賞に値したのか。
 最後の20分間にそれはある。他殺はもちろん禁止だが、自殺をも「神との契約違反」ととらえるキリスト教文化の中で、安楽死(mercy killing)・尊厳死(death with dignity)を真正面から扱ったからだと、爺は思う。タイトルマッチでマギーは対戦相手の違反行為で頚椎を損傷、症状が進行して片足も切断、行きつく先は「植物人間」と「知らされる」。やっと見舞いに来た親族は弁護士同伴で彼女名義の財産をいまのうちに譲れと迫るだけ。ラスト。マギーの再三の懇願でフランキーは、彼女を薬で眠らせたあと致死量以上のアドレナリンを投与して、静かに去っていく。トレーニングの過程で、「父と娘」同然の心を共有することになった二人の「末路」は、あまりにも哀しかった。
 つまりイーストウッドはここでも「父と娘」を扱っていたことになる。

 爺がイーストウッドを知ったのは、数十年も前のアメリカのTVドラマ「ローハイド」だった。ローハイドはカーボーイが履いている革製の作業用カバーのようなもの。若々しかった彼の役は、エリック・フレミング演ずるところのボスのもとに来たロディ・エイツという一本気な新米カーボーイ。かなり人気があった。「再会」したのがマカロニウェスタンの「荒野の用心棒」(1964)、言わずと知れた黒澤明監督「用心棒」のイタリア版コピーだ。これが日本でも大ヒット。一躍スターダムにのし上がった彼はその後 本国に帰ってプロダクションを創り、以後数々の作品を世に発表し続ける。

 心の機微に触れる作品が主になってから彼が、黒澤監督が事実上の「恩人」というような発言をした由。爺は「ダーティ・ハリー」シリーズのハリー・キャラハン刑事を観た頃、どこかで「椿三十郎」の影響を感じていた。もっともそれがなくとも、被害者よりも「犯人の人権」を護りがちな刑事司法に対するアンチテーゼとして、少々極端ながらこのハリーを評価をしていた記憶がある。
 名優は最終的には、自ら創りたいものを創りたいように創る。そう、映画監督として。
「リバー・ランズ・スルー・イット」「モンタナの風に抱かれて」のロバート・レッドフォード。「ガンジー」のリチャード・アッテンボローなどがそうであるように。


 

. 元船員のお刺身

もう20年以上も前のことになる。その当時の爺は伊豆熱川の観光ホテルで総務課長として働いていた。ある日爺が自ら面接し採用した元船員のNから、自分の船員保険の被保険者期間について記録も記憶もないという相談を受けた。55歳をとうに過ぎていたのだ。彼が船員として過ごした間の法制では、船員保険は一般の厚生年金保険とは別建てで「1航海1保険」とも言える仕組みだった(昭和61年4月1日改正法から漸次統合が図られている)。つまり彼は「何年何月から何々丸で遠洋航海と」いう形が何度も何度も繰り返されていたのだが、自分でメモすらしていなかったらしい。
「社会保険事務所(当時の名称)に行って相談してきなさい」と励ましたが、一向に腰をあげない。何度目かの面談で爺は自分の甘さに気付いた。一般の人にとって役所は心理的にかくも遠いところなのだと。

 日を決めて彼を伴い上記「役所」を訪ねた。もちろん被保険者たる彼は何一つ資料・証書の類を持参していない。彼に代って事情を説明すると、ソフトな感じの女性所員は、「あなたはどういうお立ち場の方ですか」と問うてきた。当時は県の社会保険労務士会会員で、いわゆる企業内社労士でもあったが、それは言わずに「この人の勤務先の総務課長です」と答えている。
 彼女は納得して目の前の端末機に彼の氏名と生年月日を入力した。もちろんこちらからは覗けない。
「いくつでもいいですから、乗船した船の名前を言っていただけますか」と優しい眼差し。
 彼が2隻思い出すと「それどちらの船が先ですか」と進み「おいくつ頃だったか分かりますか」と続ける。
 2つの船が確認できると、その前後を思い出したらしく船名を2つ追加する彼。
 所員の顔がほころびた。どうやら「本人確認」が成ったと、爺も破顔。
 あとは所員が船名を告げ、「この船はいつごろ?」と新たな質問法での検証が続いた。
『これで大丈夫』と、彼の背中を軽く叩いた爺。

 結論として、受給申請は無事に終わった。
 それから何十日かした或る日。近くのスーパーマーケットにかみさんと食品を買いに行ったときのこと。偶然くだんの寡黙な元従業員に出くわした。屈強な体つきで長身な彼が、文字通り小さくなってお辞儀をする。爺も「よかったね」と笑顔で応えたのだが、何分後だったか、彼が寄ってきて白いトレーに載った刺身を差し出した。お礼だと言う。「いやいや、仕事でやったことだから」と固辞し続ける爺。そのうちに刺身をじっと見つめだした彼。自分のお礼の品が不十分だったのかという彼の懸念の「声」が聞こえてくる。そう、彼にとって爺のしたことは、「絶対仕事ではない」のだろう。だから「お礼」となるのだ。「じゃ、今回だけお気持ちをいただきます。もうしないでね」。
 彼の目がようやく和んだ。

「なぜ刺身って発想したのかな」と、帰りの車の中で爺。書かずもながだが、生魚が苦手だった。
 かみさんが「品物の良し悪しが分かる一番が、魚だったんでしょ、元漁船の人だから」と、事も無げに言った。因みに彼女にとっては大好物、となる。
『人に喜ばれる。こういう仕事がしたいんだよな、俺』 
 
 結果的には実現しなかったものの、この出来事は爺にあらためて「開業」を夢見させることになる。

. 女子高生の虹

嘱託として出勤する早朝のことだ。道路には降り続いていた雨の跡がはっきりと残っている。宇佐美の海の遥か彼方から、濃淡を分けたオレンジ色の雲をかき分けて朝陽が昇ってきた。さざ波の音にのってか、それは水平線の上にあっという間に飛び出す。脇見運転はそこそこでやめて、亀石峠に曲がる交差点で停止する。どこから出てきたのか、急にジャージ姿の女子生徒が赤信号の真下に群がった。目を丸くして見ていると、全員が峠の方向を見上げてそれぞれが指を差し、白い歯をたっぷり見せた笑顔で騒ぎ出した。中にはピョンピョン飛び跳ねている子もいる。
「いいなぁ、若いって」などと、こちらも引かれて頬を緩ませた。
 それにしても、全員が手放しで喜んでいるのはなぜだろう。青信号に変わるまでの時間が長く感じられた。
 ハンドルを左に切って数秒進んだところで爺も声を上げた。家並みの向こうの深緑の丘陵と濃墨色の空をバックに、巨大な虹が掛かっていたのだ。しかもその曲線が単なる弧ではなく、極限まで円に近い。雨上がり。低い位置にいる太陽。見ている角度。それらのすべてが可能にした「夢の輪っか」だった。

 七色。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。紫に近づくほど光の波長は短い。たしか「この順番、どうやっておぼえよう」と、首をひねった記憶がある。いまの爺なら、それは「赤だ、きみは青を編(あ)む」と語呂でいくだろう。
 ありがとう女生徒諸君。おかげで爽やかな朝をもらった。笑顔になれた。
『僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ』(森山直太朗「虹」から)

 青春とは七色の光の束、はかなく消えるときめきのひととき。
 路肩に車を停めて振り返り、街の切れ目から、海の上の輝く空をあらためて見てみた。

. 引き算はかけ算


子供の頃、マイナス掛けるマイナスがプラスになるという説明に納得がいかなかった。マイナスよりも「大きい」ゼロにゼロを掛けてもゼロなのに、と。

 いまここに1から15までの数字が入った正方形の小片(駒)がある。これに0と記した同型の1小片を加える。もちろん無地でも良い。さらに数字をバラバラにして枠の中にきっちりと閉じ込める。これらの小片は会社員、「枠」は課でも部でも会社でもいい。もう少し穿(うが)った見方をして「人件費」でもいい。4掛ける4で全く動かない。いや動けない。個々人の「数の大きさ」も「立ち位置」も「序列」さえもが整理されずに硬直しているのだ。そのときたった一つの0が抜け出る。産まれたスペースが組織を可動的にしていく。手間はかかるが序列も操作で整えることができる。昔、こんな「ゲーム」が文房具屋で売っていたような気がする。上級生がかなり複雑な「作業」をして「完成」させていたが、ずっと1人きりで頑張っていたと記憶している。そう、執行責任者(COO)単独でできる改革なのだ。

 慌ててナンバー16の小片を作って嵌めてはいけない。但しもう一つ抜き取って同じ番号を付けるのは差支えない(可動性が保たれるからだ)。もうお分かりだろう。「抜けた」はその「駒」の自主的な判断による。またそうでなくては少しく支障が出る。強制的な排除(解雇)だとすると、残った駒は「次は自分か」と疑心暗鬼になり、改革への積極的協力が減殺されるからだ。全社員に活力を出させるという所期の目的が果たせない。但し書きの2駒目の排除はただの異動と映るので衝撃は少ない。良い意味での「激動」が収まったとき、「枠」は変形しつつも正しく小さくなっているはずだ。
 組織の実質的強化と人件費節減は、これを繰り返せば足りる。
 自主的に見える「早期退職制度」や上手に仕組まれた「自己都合退職」などは、このお伽噺(はなし)の亜種である。
 動かない、動けない部課や会社に「未来」はない。

『少数にすれば必ず精鋭になる』(日経ビジネス「経営語録」佐藤博から)

. トリックスター

昔、生まれ故郷に大量のヘドロの上に少しの澄んだ水が載っている「流れない小川」があった。学齢前の爺自身がそこに落ちたので記憶は鮮明だ。自分の子が落ちたと勘違いした近所のオバサンに引き上げられ、命拾いをしている。応急的に洗ってもらい汚泥の残りと悪臭を身に着けて家に戻ると母に「汚いねえ、早く洗いな」と一喝された。何があったのかなど一向に気にしていない。昭和20年代の、ビンボー人の子沢山の家など、そんなものだった(らしい)。話があらぬ方向へ逸れたが、この事故で問題の「小川環境」が改善に向かって動き出す。「もし我が子だったら」と深刻に受け止めたオバサンが積極的に動きだしたのだろう。

 この一見綺麗で安全に見える「流れない小川」が、在る一定の範囲の人間集団であるとき、たとえば会社、小区画の地域、親族などだが、それらの底には汚泥が溜まっていることが多い。構成員にはそれが分っているのだが、あえてそれを掻き回そうとはしない。遠慮、しがらみ、損得勘定がそうさせるのだ。ときにはそれらを優しさや温かさと称してはばからない。確かに「嘘の安定」も安定なのだ。そこにたった1つの何かが入る。それが「事件」ではなく「人」であるとき、そして周囲を掻き回し、偽りの「秩序」を破壊し、事態を好転させてしまったとき、その人を「トリックスター」と呼ぶ。「ペテン師」とも訳されるが、爺の記憶が正しければ歴とした「心理学用語」である。学ぶことに必死だった若い頃、河合隼雄教授(当時)の本で知った。その本人に「トリックスター」という自覚が不必要なのも特色だ。険悪な親族の中に1人の赤ちゃんが産まれたときの好結果を想像してもらえれば足りる。このスターは秩序を「破壊」して新秩序を創造する。旧秩序にいわゆる「悪」を為して善の新秩序を産み落とすのだ。いかがだろう。待ち望んでいる人は案外多いのでは。

 河合教授の本で記憶に残っている文章がある。もう歳なので正確には無理、主旨でご容赦願いたい。
 金がないこと、社会的地位が低いこと、体が不自由なことなど、ある種「劣等の認識」を本人が行い、その上で人格の尊厳を失わずに自らを保つのは大変なことだ。だからこそ最も大事なのは、それを援ける教師や医師が、金や地位や名誉などとは無関係の「人間存在の尊さ」を自ら確信していることなのだ。
 先生たちだけでなく、助けてあげようとする「周囲の人」についても言えると思う。

. 大忙しの「新しい」出発

またまた「日々是好日」のような日記然とした内容になる。
 念願の、と言っては少しく語弊があるのだが、定年を迎えてからこの方ずっと希望していた「退職」を、67.5歳のこの8月31日付で 成した。もっとも翌日からしばらくは嘱託として週2日のお手伝いをするのだが。以前このブログに書いた「いのち有限会社ロウジン」のスタートとなる。早い話が文字通りの「老後の生活」だ。

 まずは9月1日の早朝、山梨の里山に一人住む長兄の山荘へと向かう。「同乗者」は職場に置いてあったパソコン、テレビ、健康機器スリーミーローラなど、「少人数」。往復410キロのドライブになる。現地で兄の冬ごもりのための灯油を買い出ししたあと、パソコン技術、アプリの操作などの「講習」を受ける。そう75歳になる彼は、ブログやホームページの先輩でもあるのだ。パソコンで「水彩画」を描けるアプリ一式も頂戴している。あとは飲み食いとおしゃべり。たのしいひとときを過ごした。

 9月2日8時半に山荘を出発。往路の雨とは打って変わっての快晴。秋色の空に浮かぶ千切れ雲、爽やかな風、遠く近く姿を変える富士。車の流れ、ススキの波。箱根乙女峠の近くまで帰ってきてから立ち寄り風呂に入り、カチカチになった筋肉をほぐした。
 帰宅後体を休めてから、「これからを活きる」ための「現状の把握」に精を出す。
 夕食時は、かみさんと「おつかれさま」の乾杯。肩の荷をドサリと落とした。

 翌3日、クルクルと車で日常の用事を消化。午後は落ちた体力の程度を確認するため、負荷運動、柔軟体操、静的トレーニングをやってみる。結論は「改修可能」だ。節制と努力、それが必須条件だが。

 4日は前日の日常の用事の続き。これからの各方面の計画と方向づけ。エクセルに「現状の把握」結果を踏まえての記録表5種を作成。ホームセンターに自転車を見に行く。そう、これからは市内での自分の用事は徒歩と自転車と決めたのだ。車は健康と経済のためにできるだけ使わないと決めた。

 5日、嘱託になって初めての勤務日。4時起床5時出発、6時半から19時まで仕事。20時過ぎに帰宅。現役の頃と何ら変わらない凄まじい1日を過ごした。

 そして今日。4時半に起きた爺は、同人誌『岩漿』の会報原稿を書き、修理されて戻ってきたプリンタをセットし、やっと、このブログに手を付けた。
 ここに来てアッと気付いた。今回のブログ、紛れもなく、時間に余裕ができたのに更新しなかった「言い訳じゃん」。
 失礼しました。…「日々是口実」
 それにしても、老人にしてはよく動いたとは、思う。
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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