蛙声爺の言葉の楽園

. 或る日の松川の畔

 梅雨前線が停滞することで、小糠雨降るやや鬱陶しい早朝。いつもと違うコンビニを目指して、いつもの朝とは反対の方向に散歩道を選んだ。松川の流れは雨の影響か、少しく濁って水量もやや多め。後ろを振り返り車がゼロなのを確かめ、両腕をグルグル回して肩をほぐす。河畔に生い茂る高草(たかかや)で一番最初に目に入ったのはご存じイタドリ、次いでアオイ科の芙蓉。時季ならば朝(あした)に花開き夕べには凋(しぼ)む白やピンクの「1日花」が芙蓉だ。いまはまだ固い蕾を先端に置いて黙っている。あたらめて気づいた次の花は、なぜそこに居るのか有毒植物の朝鮮朝顔、別名ダチュラ。黄ばんだ白の大きな花を垂らして存在感を示している。さらに歩を進めると、橋の脇からガードレールに沿って密集している青紫色の琉球朝顔。ヒルガオの仲間で宿根品種だ。憂いを秘めた花弁の色が、そのおびただしい数と相まってシェアを誇っている。と、ここまで来て爺はニコッとした。琉球、朝鮮、と来て、もし最初の芙蓉が木芙蓉でなくて「アメリカ芙蓉」だったとしたら、この「河畔がなんとも国際色豊か」となるのだが、と。
 同じこの場所で思い出した人がいる。小柄な男性で高齢者だったが、名前も住いも知らない。道路の両脇に鉢やプランターを無数に並べ、多種多様な花を活けていた。ひとり水をやり、手入れをし、通る人に花を紹介し、求められれば花をあげていた好々爺。ある日姿が見えなくなったことを訝っていたところ、お亡くなりになった由。さらに数年後その方が、著名な旅館の板前さんだったことを知らされた。合掌。
 なぜ彼は公道の両脇に、いわば私物の草花を並べていたのか。当時笑顔の彼を見かけるたびに、そう思ったものだ。
 彼の死後、趣味を同じくする人に花たちは引き取られ、または撤去されて、いまは人工的な「鉢植えもの」は一切無い。
それを哀しんでか、川底に根を張る上記の花たちは、個人の遺志を継ぐかのように、いつのまにか自然の「花壇」を造り出した。雨季の水位上昇で、花たちが水没することがないよう祈らずにはいられない。
 爺は勝手に思う。彼にとっての花は「愛情の出口」ではなかったのかと。ペット、子、孫、そして骨董、盆栽、草花…、人は体内に不断に生まれる「愛情」の出口を必要とする。出口のない愛情は劣化し、腐敗し、有毒化する。どこにも見つけられず出口を己自身にした場合も同様だ。出口が入口となり「腐敗循環」に陥ってしまう。
 ただ自然に咲いているように見える草花も、大事に、愛情をもって接すると咲き方が違うという。近頃「そんなバカな」とは思わなくなった。野草でも大勢の人に愛でられれば嬉しかろう。より綺麗にもなろう。そう思う。
「いいな、こんな朝も」と、すこし雲が切れた空を、ゆっくりと見上げた。

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. ぶらり、本屋で

 或るテナントビルの明るいフロアにある本屋に立ち寄った。特別どの本を買いたいとか、ベストセラーを手に取ってみるとか、明確な目的は無いのだが、書店内に身を置くと不思議に心が落ち着くのだ。これは急に気が付いたことではなく、あらためての確認のようなものだが、店内の半分は雑誌とコミック、さらにその残りの半分は文庫本ということ・・・重厚な書籍が居ない。
 この日爺には珍しく、コミックの森の中へ這入った。近頃のTVドラマや邦画の原作のほとんどがコミックであることを知っていたからだ。数十万部から百万部売れたなどという人気コミックなら、映画化しても大きくは外れまい。読んだ人は観客の謂わば「基礎票」的存在だからだ。脚本や監督の力で名作にも化ける。「のだめカンタービレ最終章」や「テルマエロマエ」(1作目)などは好例と言える。少々製作費がかさむとは思うが森薫の「乙嫁語り」や、主演女優しだいだろうが末次由紀の「ちはやふる」などは出来たら映画で観てみたいものだ。そう思ったとたん、後者のKCコミックを手にしていた。レジで「お孫さんにですか」などとからかわれるかもしれないと思いつつ。前者はコンビニで入手している。余計なおせっかいだろうが、書店経営も大変な時代になったなと同情を禁じ得ない。コンビニも駅の売店も本のネット通販もみんな商売敵なのだから。
 それはさておき、昔コミックファンで、自分でも童画じみたものを描いていた爺は感心している、「ちかごろのコミックは総じて絵がうまい、きれいだ」と。一昔以上前は、雑で汚い絵のコミックが巷に溢れていたからだ。
 前回この書店を訪れたときには、「文藝別冊」の2冊、「いわさきちひろ--平和を願い、こどもを描きつづけた画家」と「手塚治虫--地上最大の漫画家」を購入している。爺にとっては宝物のような本だと言える。
 次いで新刊本のコーナーに回る。驚くなかれ伊東の同人誌が平積みにされていて、残部3になっていた。我が『岩漿』は郷土の本コーナーで平積みだったから、少しジェラシー。しかしまあ、こちらの方が売れ筋なのだろうと手にしてみる。執筆者がご多分に漏れず高齢らしいことと、その方々がこぞってインテリだということはすぐにわかった。「一度読んでおこう」とこれも購入、と決めた。そういえば昨今「同人誌」というと若い人の間ではコミックの、なのだとか。まさにこれも「時代だ」。  ところで、樹木に「木霊(こだま)」があり、言葉に「言霊(ことだま)」があるように、字や書物にも「霊(たま)」があるような気がする。古書店で特にそう感じるのだが、ピンピカな本屋の店先にも不思議な力があるように思えてならない。
 「言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)」日本。書店はその案内所かもしれない。

. 大女将と大根

 それは老舗観光ホテルの駐車場でのことだった。設備係として入社したての爺には、顧客に提供する沢庵を自前で作ること自体が驚愕の一事だった。まだなじみの人がいないどころか、だれが誰だかも定かでない時期で、不可思議な感じで現場を訪れると、フロント・仲居・内務などの従業員が十以上の漬物桶を取り巻いてがやがやと騒いでいた。

 一見無秩序に見えていたが、気が付いてみると1つの桶に2人ずつ、あたかもそれが定位置のように取り付いていた。たった1か所だけ1人足りない桶があり、爺は自然なかたちで桶の脇へと「誘導」された。パートナーは上品な顔立ちの老女だった。「こんな年になっても旅館勤めとは厳しいな」と内心同情をしたのをおぼえている。会釈だけはした。一斉に沢庵漬け用の干した大根を桶に入れはじめた周囲。爺は老女の顔を見た。静かに微笑しているだけ。「入れます」と声を掛け、桶の底に大根を「への字」に曲げて2本入れた。もちろん桶の断面は丸いのでそれに合わせてはいる。老女は爺の顔をチラと見た後で、多分米ぬかと塩を混ぜたものなのだろう、粉をササッと撒いた。「なんだ、これだけのことか」と2段目は手早く済ませた。ところが老女は桶の底を見つめているだけでアクションを起こさない。これ見よがしに首をかしげて底を覗くと、2本の大根の間に溝が出来ている。つまり太さが違うのだ。慌てて細い方を交換して太さと長さを均等にした。アッという間に敷かれる粉。3段、4段と太さ修正をしながら続けていき、6段目になったとき、真ん中が円形に空いた。桶の直径が長くなっていたのだ。老女はまた、ニコリとして動かなくなった。「まさか。この丸にピタッとはまる大根があるわけ?」と探す羽目に。円形を意識して細いのを差し込むと、またニコリで、不動。まさか、の大根を漸く見つけて「Uの字」に丸めると、折れもせず傷つきもせず形が整った。この大根の乾燥加減は半端じゃない技があると、いたく感心した。視線を落とせば、見事なまでに平らに敷かれた粉。この瞬間に気付いた。「試されている」と。大袈裟に言えば人間性や即応能力をだ。漬物作業に乗り気でなかった爺はやっと目覚めた。それからというもの、老女が動作を止めることは1度もなかった。「ありがとうございました」。おしまいのお辞儀は自然な形で出た。返ってきたのはまたまた笑顔。

 この老女が誰からも仰がれ、泣く子も黙る力をもつ大女将(おおおかみ)だということを、何日も経ってから知らされた。
 …もう18年近くも前の話だ。
 温かい笑顔を保ちつつ黙って突き放す「教育法」があることを、このときの記憶から学んだ。



. CAT、猫、ネコ、ねこだってば

 湖尻・元箱根間の道路で、センターライン上に立っている茶色いウサギを見た。食い物がないのだろう、痩せこけていて思わず「かわいそうに」と口走った。逃げ方も危険極まりなく、車の前を直線的に走り続ける。ようやく右折して藪に消えたときは、ホッとしたものだ。あ、「猫」なのに兎で出発してしまった。というのも、箱根峠・熱海峠間の道路で捨て猫を見かけることが多いからだ。この日も近づいて耳を確認するまでは「また猫か」と思っていた。一時は「猫可愛がり」していただろう飼い主も随分残酷なことをするものだ。民家の多いところなら「食べ物」にもそれほど困らないだろうに。 
 『岩漿22号』の編集時に「埋め草」として『野良の品格』を書いた。他所の家の地下室で産まれたばかりの子猫を守るために、母猫が爺の傍を囮になって警戒しながら遠ざかって行った話だ。幼いわが子を自らの手で殺す母親のニュースに接するたびに「鬼畜以下だな」と、この母猫の「愛情」ある行為を思い出す。どうもそのとき護られた子猫らしいチビに昨日出会った。地上に露出している塩ビ製の温泉分配バルブを抱くようにして眠っていたのだ。人間の心を癒すしか役割がないのに犬と並んで「ペットの双璧」になっているわけが理解できた。たしかにノラでも「愛くるしい」。パチッと目を開けて爺の姿は見たものの、寝ぼけていたのか、逃げ方がドジでのったりとしている。またまた少し考え込んでしまった。生れた事情・環境の差で、「飼い猫」との生活の差が気の毒なほど激しい。そしてつぶやく。「人間も、その点では大差ないか」と。快適な室温、フカフカの寝床、栄養満点のキャットフード、うっかりすると不妊手術さえ自腹ではない。ノラには全て無縁の世界だ。「オイ、なんにもしてやらないけど、頑張って生きろ。けっこう可愛い顔してんだから」。
 ところで猫は文化的にも、人間の社会に入り込んでいる。
 猫は殺してはいけない。いわく「猫を殺せば七代祟(たた)る」。執念深く、魔性の動物だからというわけだ。女性のダークサイドに擬(なぞら)える人も多い。英米の諺(ことわざ)では A cat has nine lives (猫には9つの命がある)、つまり、殺しても死なない、とある。恐縮だがこれも女性に準用されている。猫は魔女のお供をしていて、それゆえに魔力を持つとも。
 英語がでたところで、雄猫は tomcat だ。年配の方はご存知かと思うが、2005年ぐらいまで使われていた米軍のF14艦上戦闘機のニックネームがこの「トムキャット」。もっと年配の方の幼少のころアメリカのアニメでみたであろう「トムとジェリー」にも所縁がある。昨今では男性専科の美容院でも使われる由。で、雌猫は she-cat 。これは「まんまジャン」。つぎは少 し意外な気がするのだが子猫が pussy 。なんと俗語では女性器のこと、になるのだ。そういえば昔「What's a new pussycat (何かいいことないか、子猫ちゃん)」というハリウッド映画があったような気がする。
大相撲では「猫だまし」の元舞の海関。「猫じゃらし」ははるか遠い昔、野の道でくすぐりっこに使った野草。「猫舌」は爺そのもの。出来立ての料理がさめるのを待っていて「遠慮せずに早くたべなさい」と何度言われたことか。熱海にあった同人誌「土砂降り」で見かけた cats and dogs の文字は「どしゃぶり」感が満載の熟語だった。子供のころにお金持ちのお宅でいただいたお菓子のラングドシャ (langue de chat) は「猫の舌」。なにやらザラザラっとしたこのおいしい舌は、いまや日本中に広がっているとか。
 あちこちの工事現場には「ネコ」(猫車)という一輪車もあるしね。

. テルマエでひとっ風呂

 3か月ぶりになってしまったが、かみさんと映画鑑賞にでかけた。伊東から小田原までの間に映画館は無いので、最も近い上映館は鴨宮のTOHOシネマズ小田原ということになる。1本の映画のために車を使ってほぼ1日がかり。酔狂な話だが、映画もさることながら、部屋に閉じこもりがちなかみさんに「外」の空気を感じさせることも目的なので、我が家の恒例の行事になっている。爺が年間の話題作をほとんど観ているのはこの事情による。
 さて今回は「テルマエロマエⅡ」。何年か前の「テルマエロマエ」も二人して観ている。前回は温泉地のホテル・旅館が「協力態勢」に入っていて、職場にも映画のポスターが貼られ、さらに外国人向けの浴場マナー一覧にも登場していた。今回はこれといった動きは無く「静観」といったところか。ご存知の方も多いと思うが、「まんが大賞」を取ったヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」を原作とする。今回のはだから続編、「二匹目の泥鰌」狙いともとれる。個人的な印象で恐縮だが、長い映画鑑賞歴を振り返ってみても、「続編」が初回作の「質」を超えたためしがない。少し羅列してみるので映画ファンの方は「自問自答」をしていただきたい。『ゴッドファーザー』『ロッキー』『ジョーズ』『ジュラシックパーク』『エイリアン』『ダイ・ハード』『猿の惑星』…キリがないので止めるが、如何か。ただしここでの問題は「質」であって、続編たちの方が金がかかっているので「大規模」ではある。
 いわゆる「ネタバレ」は慎みたいので個人的な評価だけにしたい。
 浴場設計技師ルシウス(阿部寛)の仕事上の苦悩や葛藤が伝わってこない。上司に課題を突き付けられると、その都度ワープして「ひらたい顔の人間の国(現代の日本)」に通い、見聞きした浴場とその関連文化をローマに「再現」してみせるだけ。どちらかというと「できレース」的な「ワープ」に終始する。上映館内の笑いも1-2回と少なく、映画そのものではなく観客のレベルの高さが証明されてしまった感がある。テレビドラマ「仁」のようにワープを人間ドラマを濃厚にする「大道具」として、ここというときに数少なく使ってほしかった。ただ、日本の風呂文化とトイレタリーの水準の高さを紹介している点は買える。日本人にとっては当たり前になっているこれら「ドラマの借景」が、外国人には受けると思う。「興行」的にはいいのかも。
 今回のテルマエの入り心地は、私的には「星3.5」程度だ。ちなみに初回作は「星4.5」。したがって帰りの車中では、この映画の話題はほとんど出なかった。お口直しに、だいぶ前に書いた爺のエッセイを載せてみる。ご笑読を。
 風呂三昧
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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