蛙声爺の言葉の楽園

. 岩漿発行

 同人誌「岩漿22号」が本日4月20日付けで発行となる。
 17年に及ぶ編集歴で最も長く、熱の籠った編集となった今回。3人の編集員の方にお疲れさまと申し上げる。
 当初爺の予想では120から130程度の総ページ数だったが、このブログの「岩漿三昧」のあたりで170に変わり、最終的には206ページと、14号(212)、2号(210)に次ぐ岩漿歴代第三位の厚さになった。「厚ければいいのか」と大向こうから言われそうだが、手前味噌的にお応えすれば、内容もかなり濃くなっている。
 この岩漿とほとんど時を同じくして羽衣出版から『静岡と世界―静岡県国際化事始め―』を上梓した桜井会員が執筆している、伊豆に所縁の文学者穂積忠に関する二つの「論文」。傾倒し続けたニーチェを語った財津会員の論文「能動的ニヒリズムについて」。この両者の想いは熱い。
 また、今号の作品群の特色として「死」を扱ったものが多いということが挙げられる。高橋「ゆらぎ」は父の死の解析。馬場「くぐもり声」は自殺へと向かう心の階段。編集部馬場・深水の「追悼文」。馬場「或る小さな終活」は寿命の意識。椎葉「富有柿」は殺人の捜査。桂川「恋」は肉体ではなく心の死。佐木「冬の素描」は遺志の担い手の心の迷走。これらを編むうちに、「死」とは、「日常(いま)に対する警鐘」であり、「再生の大前提」であり、「自分の来し方の総括」であり、「生の意義の検証」だということを再確認した。眼前の「死」を見つめる。生が有限であることを突き詰めるに、これ以上に雄弁なものはないのだ。
 昨夜、ニーチェを論文にした女史から電話が入った。22号が手元に来るのが待ち遠しそうだった。待たれているのは、本来地味な同人誌としては望外の喜びと言える。たとえそれが作家自身だとしても。
 山梨の里山に一人住む爺の兄にも、「その岩漿」を持って行こうと思う。 

. 一枚のはがき

 状差しの封書を引いたら、一枚のハガキが付いてきて、ひらひらと床に置いてあった籠の中に落ちた。
 コメントが何もない便り。右に「早春の風」とあり、左下に「新潟県山北町」とある。声のない一枚の「写真」。調べてみると「さんぽく」と読む由、神奈川県にある「やまきた」とは読みの雰囲気も異なる。
 左手前に黄色い菜の花の一叢(ひとむら)。画面の左右に、刈り取った稲を乾燥させるための柵である背の高い「稲架(はざ)」。それが中空の一本の丸太で繋がっている。そのゲートの向こうには緑と水色の帯。さらに遠のいて小さくまた稲架。農家の屋根。バックには、春の空気を通して濃淡を四つに分けた北越後の山々。その上には蒼さを消した白い空。
 本を出した旨を通知したあと、何日か経って伊東まで来た旧友の葉書き。
 折に触れて何度か見つめ、彼が何をこの景色に託したのかを考えた。
 こういう意味だと書いてしまえば一度で終わるかもしれないハガキとの対面。
 それが二週間近く、机のそばにたたずみ、「もう一回見る?」と話しかけてくる。
 こんなに不思議な、人懐こい便りは初めてだ。
 ありがとう。もう少しそばに居てくれ。想いが、そう言った。

. 花は桜

 午過ぎにレンタルビデオのツタヤに行こうと歩き出した。花粉は気になるが、気温が最適、気分も最高、道端の花々を目で愛でながらゆらゆらと、フラフラと…。途中桜の木が並んでいる場所で、うん?と立ち止まった。ほとんど花弁が落ちてしまった枝が、こぞって赤みを帯びている。不思議な感覚だった。残っている蘂(しべ)が共働して華やかさを保とうとしているように見える。何と誇り高い花なのだろう。
 古来「花」とは桜のことだ。だから「花子」は桜子を意味する。確認のため辞書を引いたら「すべての花の代表」「平安のころに定着」したとある。平安時代といえば短歌は教養の象徴。恋多き有閑階級の相聞歌にはさぞかし「花」が多用されたことだろう。武士の時代になってもその鮮やかな散り際ゆえに愛されたらしい。「花は桜木、人は武士」と称されたことからも容易に想像がつく。
 「開花宣言」なるものが毎年あってマスコミで取沙汰されるのは、花の数多しといえども「桜」だけではないか。一輪みつけたと言っては騒ぎ、一分咲きから始まって五分咲き、八分咲きなどと「カウントダウン」もどきの扱い。そして満開。「花の雨」も風情あり。夜桜を見るならぜひとも「花篝(はなかがり)」。たとえ灯りが何もなくても「花明り」。できれば「花衣」の美形に同伴して心うきうき。機会を得ずして満開が終焉を迎えても、「花嵐」に散る姿は「花吹雪」。そう、この花はどこまでも綺麗に振る舞うのだ。土に落ちれば淡雪が積もったよう。川に落ちても連なって流れ、いわく「花筏(はないかだ)」。観ながら想いを漕ぐのは「あなた」だ。
 「まつり」が終わって、しばらくすれば命の躍動をみせて「葉桜」。この黄緑はけっして未練ではない。次につなぐ色なのだ。こうして、さくらは来年の「まつり」の準備を始める。「ニッポンていいなぁ」
 ところで、ビデオ屋にたどり着いた爺、着替えたときに財布を机の上に置いたままだったらしいと、つまり、お金を持たずに来たことに、はたと気づいた。「なぁに、も一度桜見て帰りゃいい。春だし、散歩だし」
 

. コミック天国

 いままさに「コミック天国」なのだが、PTAではないので嘆いたりはしない。何をかくそう爺は、幼少のころから中年にいたるまでの長きに亘って漫画、劇画、コミックのファンだった。いやもしかしたら、それらは国語と美術の先生だったのかもしれない。
 時間をかけて自分に影響を与えた作家・作品を掘り出してみた。

 手塚治虫。言わずと知れた巨匠で二三選べと言われたら唸ってしまうほど困るのだが、無理やり厳選すれば「ブラックジャック」と「きりひと讃歌」だ。「ブッダ」をどうするんだと、自分の中の誰かが騒いでいる。医学部を出た漫画家でなければ、かくも見事に人間の心にメスを入れられはしなかったろう。ピノコの存在は温かい救いだった。

 ちばてつや。これはもう「あしたのジョー」で私的に異論がない。ちようど文京区音羽の講談社の近くで牛乳配達のアルバイトをしていたとき、ジョーの宿命のライバル力石徹の葬儀が行われた。この物語の凄さは、丸ごと私見で恐縮だが、ジョーと力石、ジョーと葉子の間の「絶対信頼」だ。

 あだち充。「みゆき」もいいが、「タッチ」が一番だろう。きっちりタイプの兄の遺志をちゃらんぽらんタイプの弟が継いで甲子園。あったかい家庭がやさしい子供を創る。そのことにあらためて気づかされた。浅倉南が春の風のように爽やかで可愛い。当時「みなみ」ちゃんと名付ける親が急に増えたのもうなずけるというもの。

 白土三平。「カムイ伝」は衝撃だった。作者の史観もさることながら、人間というものの本質というか性(さが)というか、その各層、各種の抉り出しに吃驚した。これが「劇画」か。爺は掲載誌「ガロ」ではなく貸本屋の単行本で鑑賞したのだが、精神的な興奮はいま思い起こしても半端なものではなかった。

 たがみよしひさ。「軽井沢シンドローム」は最初、批判的に見ていた。批判するなら見なければいいのだが、何か新しいものを感じていたのだろう。登場人物の顔やスタイルが時折変わってしまうので、ストーリーまで混乱しがちだったのだ。コミックのルールに反すると感じたのを覚えている。耕平と薫や、ぞろぞろ出てくる若者たちの広義の「風俗」が衝撃的、彼らの恋やセックスが「ゲーム」なのだ。悪魔的な新しさだった。

 矢口高雄。「釣キチ三平」が美しかった。いや、人物もさることながら、背景がだ。大自然の描き方が精緻で躍動的で、言い換えればいつもキラキラしていた。釣りはまったくやらない爺だが、それでも鑑賞を続けた。まあ、ユリっぺが可愛かったということもある。

 さいとうたかを。「ゴルゴ13」はなぜ数十年たっても歳をとらないのだろう。まるで「マンガみたい」。そう、これはすでに「漫画」ではないのだ。そう思わせるに十分な脚本だ。ストーリーを創る人と描く人の分業。これを最初に始めた作品なのではないか(一番にかどうかは別)。いまはストーリー作家多数といわれている「ゴルゴ13」だが、当初は小池一夫一人だったのではないか。そう、あの「子連れ狼」の物語作家だ。探査・精査はしていないので確証はないのだが、双方のファンだった爺は、設定とストーリーに近似値性を感じた記憶がある。まちがったら「御免」。

 鳥山明。「Dr.スランプ」もちろん、「あられ」ちゃんだ。いまこれを書いているこのときに首を右に振るとなぜか、でっかい眼鏡をかけた「あられちゃん」人形が居る。かみさんに「あれ誰からもらったんだっけ」と聞いたら「知らない」と。はて? おそらく「んちゃ」とか言って飛んできたのだろう。変わった感じのアンドロイドだから。ちなみにこの作者がこの後でも大ヒットをとばすが「ドラゴンボール」は見ていない。爺はあられちゃんの「こどものまんま」の鳥山明がすきなのだから。
 






. この辺で、お茶しません?

春休み繁忙が終わって、やっと来た感がある休日の朝。森薫作の人気コミック『乙嫁語り』を買いにコンビニまで散歩をした。ブログがだいぶ空いてしまったのが気になっていて、歩きながら三つほどプランを立てた。今回のはそのうちの一つ。オタクを自認していながら、30年もの長きに亘ってご無沙汰をしていたコミックについてのお話は次回と決めた。
 初めて自作の小説のネット販売を経験したものの、買ってくれる人がいるのだろうかと不安だった。制作の方のお話では、どうやら少しは動きがあるようで、ホッとしている。
 この作品、文体が二種類ある。作品の地の文章とは別に、主人公の駿が「劇中劇」ならぬ「文中文」で硬くて暗い文章を書いているからだ。しかも、作品の冒頭で売血風景として披露される。ご存じのとおり、いまは「献血」と特定の人のために血を提供する「預血」はあっても、金で自分の血を売る「売血」はない。物語の舞台となる当時は、好ましくないとされながらも、言わば「必要悪」として存在していた。この駿の文中文が、物語の進行に伴って出番が減っていく。彼の心が健全化していく過程を、形のうえでも示したかったのだ。
 アルバイト先がくるくる変わっていくが、その作業内容がリアルなのはなぜと聞く人がいた。これは簡単で作者が、実に26種類のアルバイトを経験しているからだ。ただそれは下地になっているだけで、小説である以上虚構が全てと知ってほしい。駿が勉強と生活を両立させるために一番に選んでいた牛乳配達。もちろん住み込み。これも舞台となっていたころにはすでに、終焉を予期される仕事だった。日浅くして牛乳壜はテトラパックに、配達という手段はスーパーマーケットにと、安価で軽い紙パックによって駆逐されている。
 主人公駿のモデルはいるのとも聞かれた。いつもイメージモデルなら2人いると答えることにしている。駿の生い立ちをいれると3人になるが、「人格形成」だけを取り出すとそうなる。ただ駿の行動は虚構につきる。その作られた「駿」の中に作者はいるの、と問われれば居ると答えることにしたのは前にもお話ししたとおり。
 自伝と信じて疑わない人からよく「いい思いしましたね」と微笑を送られる。作中人物の、菜穂子、美和、克子、美紗子、由美子の5人から好かれることを言っているのだが、これも小説の中のこと。一人一人に役割を持たせた結果でしかない。著者の願望というか、青春時代の妄想というか、そういうものが出たのかと問い詰められれば、「そうかもしれない」。実際の作者の青春自体は、時代もいまとは違うが、「女戒律」のある僧侶同然だったのだから。、
 大検、つまり文部省大学資格検定試験は現在、「高校卒業認定試験」に変質して残っている。作中駿はこれを受けて合格するが、この受検経験は作者の経験に等しい。合格証も保存している。ただ、すでに半世紀前の記憶であり、文部科学省にも当時の担当者はどうかなという感じなので、自分で受けた科目選択とは一致していないかもしれない。科目数も、たとえば「保健体育」をとってみても、1科目と数えるか「保健」と「体育」として2科目とするか、「体育実技」もあったので、これを筆記と別枠で考えて3科目と捉えるか、と突き詰めていくと頭が痛くなる。作中で「科目枠」というやや曖昧な概念を利用した所以である。
 最後に学生運動だが、作中の駿と同様、筆者もわずかな収入で学費と生活費を賄うのに必死で、つまりバイトに精一杯だったので実活動はしていない。むろん関心は高かったし、友人に活動家はいたが、これも駿君と同様一定の距離を置かざるを得なかった。
 ナチスドイツのアウシュビッツだったと記憶しているのだが、その門か何かに「働け、そうすれば自由になれる」という意味の言葉があった。記憶違いでなければ『Arbeit und frei』だ。 いまならはっきり言える。経済的にはこれは「嘘」だ。
 そうそう学生紛争と言えば、爺は、カラオケで歌う羽目に陥った際に必ずユーミン作詞・作曲の「いちご白書をもう一度」を選曲するので、戦士だったのではと噂になったことがある。期待を裏切って何なのだが、当時コロンビア大学の学園紛争をモデルに創られた映画『いちご白書(邦題)』を見て、ヒロインを演じたキム・ダービーがあまりにも可愛かったから、というのが動機なのだ。因みにいまはこの映画、レンタルビデオでも入手困難になっている由。
 これらすべてが「閑話休題」。  
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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