蛙声爺の言葉の楽園

. 枝垂れの競演

 春風に誘われて、と書くとそれだけで、何となく暖かくなる。松川のいつもの河畔路を歩いていくと、白と黄色の枝垂れの「競演」を観ることができる。
 しなやかな枝に白い小花が群れて咲き、あたかも雪が積もったように見える雪柳(ユキヤナギ)。時を経て風に揺れて微細な花びらが舞えば、それはまた山桜の散り際にも似て。頼りなげな総身に心惹かれる人も多いに違いない。薔薇(バラ)の仲間なのだが、棘がないだけ安んじて傍に居られる。好みの女性もかくあるべし、か。
 少し歩を進めると、黄色い小花を多数抱えた連翹(レンギョウ)に出会える。黄色い鳥の揺れる長い尾。連なる「黄」婦人の首飾り。小難しい「翹」の字の謎に迫れば、たしかに、そのイメージに膝を打つ。木犀(モクセイ)の仲間と聞かされ、花弁の形や咲き方かと、首をひねってみる。ほかの仲間に比して背が低すぎるからだ。
 両人とも、数を誇っての「繚乱(咲きみだれ)」という点で、昨今のAKBやら乃木坂やらのアイドルを連想させる。
 さらに小さな児童公園がある。幼児が入れないようにと網状の障害物があり、頬から微笑が消えた。急に現実の「いま」に引き戻されたのだ。幼児保護の目的に異論はない。ただ哀しく寂しいだけだ。こどもも子犬も遊んでいない公園はただの「空き地」。それはまた脇を通る人の心をも「空き地」にする。…そんな気がする。
 川の瀬音が心なしか高くなった。
 春は川まで賑やかにする。

. カンパネラ

 相模湾に沿い、真っ黒な海を左手に見ながら走り続ける。
 車が極端に少ない。昼間の往路とは雲泥の差だ。
 134号線の路面とデミオのスタッドレスタイヤが擦れる音だけが耳に入る。少し物悲しくなった。
 お気に入りの1242をオンして、…すぐに消す。
 髪の毛を左手で掻き毟って、路肩に停まり大黒摩季の『BEST OF BEST』を差し込む。ふだんなら、いやがおうにも元気が出てくる曲想だが、2曲と続かなかった。
 車が西湘バイパスに入ったころ、フジコ・ヘミングの『ラ・カンパネラ』を「哀しみの友」に選んだ。フランツ・リストの超絶技巧が必要なピアノ曲だ。イタリア語で「鐘」、なかんずく「小さな鐘」のこと。
 ラテン語で「カンパニュラ」は、(日本では)ホタルブクロ属の草花の総称になる。鐘と花の形が似ているので、原語は共通だろう。倉本聰脚本の「風のガーデン」で、こころの不自由な少年が一生懸命花の名前を説明している中にも、それはあった。そう、少し窓を開けて、風を入れたのだ。涙こそ浮かべてはいないが、明らかに心は沈んでいた。
 ピア二ストが奏でる高くて、不安定で、情緒的な響きが、旧友の通夜から還るロンリーロードにはお似合いだった。何度も、何度も、繰り返して聴いた。
「生死(しょうじ)のことは天命」、たしかにそうかもしれないが、61で逝くのは早すぎる。
 40年近くも前に知り合い、数年を経て職場という共通の土壌を失った私。ひたすら明るく、誠実で、真っ直ぐな青年。バスケットの名手。そういう好印象だけが残っていた君。数年前追浜で会合があり少し不自由になった脚にもめげず駈け付けてくれたとき、青雲の志をかなえられなかった私に「小説家になっちゃった」と微笑んでくれた君。その言葉にどれだけ、救われたことか。
 君がくれた小粒の花が咲くシクラメンの鉢。次の年には勢いが落ち、開花が危ぶまれた。「寒い季節にきれいに咲く花だ。たぶんもち直すだろう」と、妻に言った記憶がある。数株が漸く育って、咲いた。次の年も、また次の年も。栄養的には何の世話もしない、水やりだけのダメな我々にも花は微笑んだ。普通なら、あきらめる。早々に鉢の土を大地に返しただろう。「君がくれた鉢」、そうでなければ。
 片道100キロの、遠い、遠い葬儀。しかしその距離が、車で走ることが、逝ってしまった君との心の距離を縮める働きをした。かかった時間が、その間が、本当の意味での「通夜」だった。そう思えてならない。

. 頭とブドウ糖

 関東地方の山岳部で積雪1メートル以上を記録した豪雪のあと、3泊4日で職場に詰めたことがあった。臨時なので「テレビもねぇ、ラジオもねぇ.・・・」という懐かしい曲そのままの倉庫部屋だった。室内の温度は2、3度で明らかに氷点近くをウロウロしている。当然室内なのに防寒着にマフラーといういでたちだ。炬燵が唯一無二の暖かい「親友」だった。あまりの退屈さに「そうだ小説でも書こう」ということになったのだが、これがビックリ、思いのほか集中ができて筆がすすんだ。こうなると「小説世界」にどっぷり、寝る間も惜しくなった。夜半近く、雪掻きの疲れや寒さで、さすがに睡魔が襲ってきた。ついに頭が持っていかれるような症状に陥ったときだ。「考えるエネルギーの補給に。集中力スイッチオン!」の文字が目に入った。山に上がってくるときに、これ、面白いと言って買ってきた「ぶどう糖ミルクチョコ」だ。まぁ試しに食べてみようかと、口に放り込む。驚くなかれ効果はテキメンで、なんと午前2時まで頭が冴えわたった。
 周知の如くブドウ糖(グルコース)は、単糖で主に脳のエネルギー源になる。そうは言っても、ここまで迅速に効くとは。ここでため息が出た。この手のチョコが、半世紀前に存在していたら、と。
 なるほど箱にも、「受験生のために」と刷ってある。なんとニクタラシイこと!


. 日本アカデミー賞への蛙声

 このところ邦画の躍進が目覚ましく、洋画を凌いでいるのは何故かを考えていた。とくにハリウッド映画についていえると思うが、「人間」を描かなくなったからではないか。もちろん現地現場では創っているのだろうが、日本での配給にほとんど乗ってきていないような気がする。もしそうなら選択している側の問題かもしれない。3DとかCGを駆使したアクション映像に走り、観終えた後に心地よい余韻が残るといった往年の名作っぽい洋画が消えてきたのだ。翻って、今年一年の邦画を考えてみよう。
 先般「日本アカデミー賞」の受賞作が決まった。
 文字通り「とるに足らぬ者のいう言葉(蛙声)」で少し感想を述べたい。
 話の都合上ラインナップを記す。字数が増えて煩わしいので「最優秀」の冠は全て省略している。作品賞「舟を編む」、監督賞石井裕也(舟を編む)、主演女優賞真木よう子(さよなら渓谷)、主演男優賞松田龍平(舟を編む)、助演女優賞真木よう子(そして父になる)、助演男優賞リリー・フランキー(そして父になる)、アニメーション作品賞「風立ちぬ」、話題賞「真夏の方程式」、若林正恭、「ひまわりと子犬の七日間」
 流れで入力してみてハッと、今更ながら思ったのは、自分の映画好きだ。劇場・DVDを併せて、上記作品中鑑賞していないのは「さよなら渓谷」1作だけだったのだ。この作品も実はDVDを借りてきて、再生すら始めている。途中で鑑賞をやめたのは作品の出来云々ではない。正直に言えば女優真木よう子の迫真の濡れ場シーンを見ていられなかったのだ。そのときまで気づかなかった。「ファンだった」のだ。上野樹里、宮崎あおい、篠原涼子もこのブログでかつて語ったように隠れファンだったが、それとは少し性質が違うようだ。したがって(この接続詞、少しく意味不明だが)大竹しのぶ以来という主演・助演のダブル受賞は(ちゃんと観ていないのに)妥当で、じつに喜ばしい。フランキーの助演男優賞もうなずける。この人「七つの顔の男」かも。善人も極悪人も、ルンペンも富豪も、デカも死刑囚も、すべてオーライという「役者」だ。「こんなわけのわからない私」と自覚しているところが達人だと思う。プロの役者真っ青ではないか。
 わがままにもほどがあるとは思うが、引っかかるのは「舟を編む」だ。この1年で1番との判定となると、「そうかなぁ」という疑問がわいてくる。以前ブログでも書いたので詳述は避けるが、省略法の多様で、舟を編む喜びも悲しみも、いまひとつ伝わってこなかった気がする。三浦しをんの原作本は良かった。毎日使っている辞書に親しみすら感じるようになった。「ことば」に出会った時のそれぞれの付き合い方が目から鱗で、切り口が見事というほかはない。受賞作も良い映画には違いない。「でも一番だろうか」。
 アニメーション作品は、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーがため息をついたように、1年に巨匠二人の作品を公開したのが失敗だったかもしれない。爺はこのブログで宮崎駿の「風立ちぬ」も絶賛し、高畑勲の「かぐや姫の物語」も手放しで誉めちぎった。どっちが上とは決められない。まったく別の芸術だと思うからだ。もしそれでも一つを選べと言われたら、「かぐや姫・・」だ。いまや世界のどこにも、手作り感覚のアニメで、これほどの長編を創れるクリエーターはいないと思うからだ。美しすぎる映像だった。鈴木氏の苦衷が分かるような気がする。

. 『孤往記』本日発行

 恥ずかしい話だが、もうしばらくはまともな「創作日記」が書けない。かつてこれほど文芸関係の「事務」がたてこんだことは無かった。公休日の今日も、医者に行った2時間を除けば、おおむね『岩漿22号』の編集事務をしていた。ページの割り振りをしたり、「埋め草」というページ下段の空白防止原稿を3つ書いたり、会員原稿の入力をしたりと。そんな中、15時過ぎに『孤往記』がAmazonに載ったとの連絡が入った。予想よりも1週間も早い。「制作」をしている担当者の尽力のたまものだろう。ここで少々焦りが出た。いつもなら、自費出版で自分の手元に本があり、寄贈をする手続きだけですむのだが、今回はお知らせをしてAmazonで買ってもらうしか手だてがないのだ。岩漿事務を急遽離れて、友人知己に「本を発行した」旨のメールを送る事務を優先した。これも第一次のみで3時間かかっている。・・・。というわけなので、今回もただの日記になっている。ご容赦を。

. 『岩漿』三昧の日々

 病後に短い文を載せたきりブログ更新が途絶えていた。気にはなっていたのだけれど、同人誌『岩漿』の編集と、自分の掲載作品の執筆に追われて、結果的に「開店休業」状態になってしまった。書き手として少々恥ずかしい。
 岩漿の編集部はかつては爺1人だったが、現在は4人になっている。とくに今回はその全員に同時校正を、という基本方針を立てて実施した。作品の、というより誤字、脱字、漢字変換ミスなどを減らして編集の質を上げようとの試みだった。ところが予想を超えて、この取りまとめが実にきついことになった。校正済みの原稿が4種類集まってきて、それぞれを最初の本人原稿に反映させなければならないからだ。きょう時点での回収分を全て統合したので、このブログを書いている。実はこの後も、手書き原稿の入力や穴埋め原稿の執筆、目次の作成などがあり、3/9の編集会議を経てのノンブル打ち(各作品にページを割り当て、数字を入れていく)がある。さらに印刷屋さんに送るUSBメモリーへのデータ入れ、全170頁のプリントアウトと、作業は続く。もっとも、大変と言えばそうなのだが、無から有を生む楽しみは当然あるわけで、編集部全員が同じ気持ちだろう。活字離れが世の中の「風」だとは分かってはいるが、ささやかながらもこれに抵抗している所以である。
 なんとなく弁解がましい文で、味もそっけもないのだけれど、ご容赦を。
 詩、エッセイ、論文、小説と各種の作品を載せた『岩漿22号』は4月中旬の発行予定。
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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