蛙声爺の言葉の楽園

. 憂いを忘れる物

 師走の忙しさに常の心を忘れていた日々。昨日ふと、漢字二つ「忙」と「忘」の関係を通勤路でまさぐっていたら、「亡」を真ん中にして左に心(りっしんべん)、下に心というつながりを見つけた。頭の中で「亡」の上と右に心の付く漢字はないかと探してみる。無かった。悔しさが産まれてきて心ばかりに囚われずに何か別の感じで言葉にならないかを模索しだした。夢中になると運転が覚束なくなるので時間無制限のクイズに切り替える。何のことはない京都竜安寺の蹲(つくばい)にある『吾唯知足』(われただたるをしる)がこの「遊び」のヒントだ。この有名な言葉では真ん中が「口」(四角い穴)だが、爺の出題は真ん中が「亡」になる。ただ嵌め込めばいいというのではない。文になっていてしかも、ちょっとした「ふぅーん」がもらえるものが欲しい。これは車の中でとはいかなくなったこと、お察しの通り。先ずはお見せしよう。『芒氓忘忙」(氓は広く人民のこと:移民の意もある)『ススキに民、忙しさを忘れる』と読ませようと思ったのだが、漢文では「忘」と「忙」の間に返り点が付くので、『吾唯知足』に倣えば「亡」の上、右、左、下と読むことになって、爺の「回答」はルール違反になってしまう。時計回りに読めば正解なのだが、それではモデルに倣えないということになる。「ああ、鬱陶しい!」
 そうお嘆きの貴兄に(とは、お酒のコマーシャル)タイトルに因むお話を。多忙、忙殺とくれば酒だ。タイトルの「憂忘物」(ゆうぼうのもの)とは実は酒の別名、そのまんまではないか。気に入ったので使ってみた。古来酒と言えば日本酒のことだが、加齢と共にこれがビールになり、その本数が減り、ついには栄養分が少ない焼酎しかも清涼飲料水もどきのチューハイとやらに変化した。健康上の理由とはいえかつては一升酒でも酔わず会計もこなし酔いつぶれた仲間を家まで送っていけた自分が、こんなあまったらしいものをと、毎日「一日のケジメ」と称してそれでも飲む。その嘆かわしさにもう一缶・・・もしかしたらアルコール依存症か?などと首をひねっている昨今ではある。友は裂きイカ、三角チーズ、名前からして出所知れる南京豆。ピーナッツとの違いなぞをあれこれ考えれば眠気を起して座椅子でズルッ。「酒だけは避けて通れと叫んでも裂け目も見えず今日も酒咲け」休肝日は必須と知るべし。
 そうだ。冒頭の頭の痛い課題、紙に書いてみるといいかも。誰も書いたりしないよね、忙しいし。
 あしたからまた忙殺されそう。この「殺」だけは何回も襲ってくる不思議、に乾杯。
 あ、「ススキに民・・・」なんだか箱根の仙石原のススキかも。それにしても何が哀しくて芒が観光地なのか。
 酒に関する「たわごと」がお好きな方に、爺が昔書いた「埋め草」をご紹介する。

※新しいパソコンにしたら「氓」の字が出てきたので一部書き換えをしている。2014/2/2


何は無くとも

. ⑧上梓に向かって

 道灌暗殺の場である伊勢原市の相陽府跡に佇んだこと、主君定正の居城だった川越城の跡に行ったこと、林美一著の『時代風俗考証事典』を埼玉県の古本屋で見つけ当時の浴室の構造を調べることが出来たこと等々、改訂補筆を重ねる動機は限りなくあった。しかし単行本にして頒布販売をしようと決めた最大の契機は、突然やってくるかもしれない自分の死を強く意識したことだった。数年前に交通事故に遭った。メタボには程遠い体型なのに糖尿予備軍だと知らされもした。何かを遺しておきたい、自分が生きてきた証のようなものを。その思いは還暦を迎えてより強くなった。
 冊子の「蛟竜の角」ではなく、生原稿の「太田道灌」を開いて大規模な見直しを開始した。そこで得た結論は、「捨てる」部分があまりにも多いということだった。先に入力原稿にする必要が出た。早速に藤沢に住むY.I女史に「ベタ打ち」を依頼した。数日で終わって戻ってきたときには、さすがに驚いたものだ。ブラインド・タッチとは何と素晴しいものなのか。説明に過ぎない部分を切り取り、道灌亡き後の供のものの動きなどは全てカットした。誰が主人公かを明確にするための削除・校正と、人名・地名・難読漢字についてのルビ振り作業は、「お匙でアルプスを削り取る」ような根気が必要だった。「死」に備える行為は、それでも爺を突き動かし続けた。それが終わると版下に相当するものをページごとに作り、ノンブルを付ける。要するに印刷屋はデータを使って印刷し製本するだけでよい状態までもっていくのである。それらを全て終えて読み直した『小説太田道灌』は同人誌「碧」に載せたものとは別物のようにすっきりとしていた。発行予定日は平成18年12月25日のクリスマスと決めた。
仕事に追われながらも何かに憑かれたように取り組んだ上梓への準備。300冊が刷り上ったときは、胸にこみ上げるものがあった。いままでの人生でお世話になった人たちへの寄贈100冊。44の図書館への寄贈89冊。文芸関係への寄贈25冊。書店販売45冊。メールや電話による注文に応えた販売35冊。あっという間に在庫は少なくなった。
 寄せてもらった感想文は30に及び、その真摯な激励に文字通り頭を垂れた。
 

. 向学の『ニーチェ』

 先日岩漿会員のK.Z女史から22号の原稿が届いた。タイトルは『能動的ニヒリズムについて/ニーチェの「権力の意志」より』だ。どうしてもこの作品を残しておきたいという彼女は、50の半ばを過ぎてから向学心に燃え、慶応大学の通信教育部に入り6年の歳月をかけて卒業、哲学を修めている。もちろん夫君の理解がなければ不可能だが、なによりも本人の学ぼうという意志の強さが肝要だろう。独学というのは「孤独な戦だ」。更に言えば「戦場からいつ引き返してもいい」という戦でもある。結果を得なくても、結果を掴んでも、世間の毀誉褒貶とは無縁という側面もある。この作品、500字2段組みの岩漿1ページで換算すると20ページ分に当たる。丁寧に書かれた手書きの原稿を見詰めて爺は、「すばらしい」と感嘆の声をあげた。
 爺は40年も前のこと、哲学や社会思想史に詳しい友人をもっていた。バイトで稼いだ金を持って居酒屋に入り、ふつう飲んで語るべきではないとされる薀蓄を肴にグラスを傾けることが多かった。たしかニーチェの『ツァラトストラかく語りき』もその中の一つ。『われらは幸福というものを案出した』と『der letzte Menschは、かく言う。そうして瞬きをする』。この訳は文庫本であったかどうか、もう遠い過去のことだ。古文書のようになった手元の大学ノートに黒インクで丸々1頁分記録されている。そう、爺にとってのニーチェの全てが1頁・・・。
 いま岩漿会員のY.I女史に入力を依頼していて、活字になった姿で読むのを楽しみにしているところだ。編集をしているのだから、たぶん真っ先に読むということになる。役得かもしれない。
 独学という言葉を使ったので、「高校卒業認定」という制度を思い出した。かつて伊豆新聞に寄稿した原文があるので紹介しておきたい。文部科学省の関係部署にもリンクしている。
 新聞寄稿・向学
文中「非開業社労士」とあるが、爺は平成23年3月に静岡県社労士会を退会している。念のために記す。
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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