蛙声爺の言葉の楽園

. 五七五に蛇の足

 陶芸家にして俳人である雲水氏から例会の句集がメール添付で送られてきた。ちょっと悪戯心を復活させて、短い言葉遊びをしてみる。とりあげた句は爺の好みで、それ以外に理由は無い。私は素人で選者ではないのだから。
 失礼だとは思うのだが、鑑賞する人の自由な味わい方を大事にしてくれる雲水氏なので甘えさせていただく。
 自由すぎて目がくらむかもしれないのだが。

「銀漢や夜は誰がために美しき」五線
 隣に居る人が妬くではないか。天の川は応えるだろう。手を繋いでお二人で観て。夜の帳はあなた方の味方と。
 流されてみましょう、一夜ぐらい。どうせ朝日が出るまでのこと。

「夏の夜の一人寝も良し雨を聞く」遊石
 「も」一文字の寂寥感。待つ女なら枕まで濡れようものを。男なら思い出を寝床にして一服か。
 いずれにせよ、心と家の火事にはご用心。
 

「炎天下今をどこかに置き忘れ」章子
 炎天下は灼熱の恋、今は現実の生活。そう解釈すると句は老女ではなく情熱的な女の「いま」を語ることに。
 五七五は魔性の文学かも。

「どこまでも無言の二人夏の月」豊春
 無言と書いて「しじま」と読める和の詞。無言の解釈は無限大だ。月は良い方の解釈だけを二人に与える。
 ただし二人が素直なら。

「鬼百合の雄蕊切られて尚香る」洋子
 切られたら尚更香らなければ雌蕊とは言えまい。一旦雄蕊を失ったらもはや百合とは言えないなんて無視。
 『そうじゃなくて何が鬼なのよ』

「水へこむ重さは軽きあめんぼう」歩智
 へこんでいる水は実は支えている。それが分からず遊び呆けているアメンボウは軽い。
 支えが日常的だと確かに忘れがち。

「合歓の花を抱く母若し」雲水
 母と子の歓びが合わさって合歓。自分を産んだ母親がいつしか年下になる。目の前の母も写真の母も母は母。
 生きた母と花が目の前で若ければ、それこそ最高。

. 美人がいっばい

 今回はお詫びの気持ちもあって「です・ます調」の文でまいります。
 ブログなのに間隔が空きすぎました。ひとえに酷暑と仕事が繁忙期だったせいで、爺の怠けではありません。
 やっと書けるお休みで「復活」。ここは一つ「美人」をテーマにあれこれ、あちこちで遊んでみましょう。
 ある文芸仲間からメールの暑中見舞が舞い込んだのですが、月下美人(メキシコ産サボテン科の花)が添えられていました。ちょっと事典を調べたらこんな俳句が。『月下美人は一夜の雌蕊(めしべ)雄蕊(おしべ)かな』。作者は楸邨(しゅうそん/ ひさぎの村の意)です。一夜だけ真っ白な美しい花を咲かせる姿からこの一句を生み出すとは、何と艶めかしく哀しいのでしょう。究極の妖艶といえば演歌の傑作『天城越え』ですが、この詞は可視化が図られていて、まぐわう男女の体位まで分かるようになっています。思わず瞑目してしまいますよね。
 ところで男女の愛を表現するのに最適なものは、果たしてベッドシーンなのでしょうか。そんな疑問を抱かせてくれた映画をご紹介しましょう。ハリソン・フォードとケリー・マクギリス主演の『刑事ジョンブック』がそれです。ある事件をきっかけに互いに惹かれるようになった二人が、女がアーミッシュという特殊な環境に居ることもあって何事もなかったように別れようというラスト。プラトニックで通した二人が感情を抑えきれずに女の家の外でする激しい抱擁とキス。魂を揺すられるような愛情表現でした。この女優さん、『告発の行方』では弁護士、『トップガン』では女教官を演じています。人の心まで傾けてしまう美人、とでも言うのでしょうか。
 傾けるといえば古来「傾国」「傾城(けいせい)」は超の付く美人のことでした。エリザベス・テイラーのクレオパトラなんかが代表格でしょうか。近作の『レッド・クリフ』でリン・チーリンが演じた小喬(しょうきょう)もすこぶるつきでした。神様をエコヒイキでイジワルだと思わせるに足る美形です。かつて美人かどうかは分からないけれど岡場所の女郎も「傾城」と呼ばれていました。体目当てに通う客と生きるために体だけを売る女郎の関係。そんなことは百も承知二百も合点のはずなのに「傾城に誠無し」と嘆くのは野暮というものでしょう。たぶんですが、いつからか「傾城」は高級な女郎、つまり花魁(おいらん)だけを指すようになりました。美人じゃなくちゃね、なにせ城を傾けるんですから、石垣が許しません。
 「花泥棒は罪にならない」と、他人の家の石垣から石蕗(つわぶき)を摘んだ熟女にその家の主が笑顔でいいました。「それを言うなら但し書きまでちゃんと憶えてね」。若くて美人に限る、と。たとえば、『ローマの休日』の頃のオードリー・ヘップバーンが来日して、たまたまあなたの庭の芍薬の花を鉢ごと持って帰ろうとしたら、咎(とが)めたりしますか。彼女はそのあとで「おしゃれ」だって「泥棒」するんですよ。
 ひさしぶりに手紙みたいに短文を書いたら、疲れました。
 最後に我が田に水を引くようですが、爺のホームページにある小説「ツール」に砂斗海(さとみ)という美人の学生が出てきます。怖い女ですが、興味のある方は是非会ってやってください。再見

 

. 「風たちぬ」ハヤオがいっぱい

 「噂」のアニメ「風たちぬ」を小田原のシネマまで観に行った。その余韻に浸るためもあり、ネットでこの映画のレビューを20-30人分読んでみたのだが、老若男女が入り混じり、世代も様々と分かっていても、☆と☆☆☆☆☆が交互に登場しているのには、正直驚いたものだ。私の採点は五つ星、観客の鑑賞能力やセンスを信じきった「省略法」の採用で宮崎駿は「自己主張」を貫いたと解釈している。省かれたものを補充するのは、観客一人ひとりの鑑賞眼とそれぞれが持っている人間としての想いだ。この立場で、少しレビューの批判に応えてみたい。

①「夢の部分が多すぎ」・夢と回想は全て『説明』を省く手段と見ればよい。限られた上映時間の中で詳細な説明は不可能。かつ煩雑に過ぎて白ける②「タバコの吸いすぎ」・小道具です。作品の中のあちこちでコミニュケーションに役立っている。二度三度と観て確認されたし。③「菜穂子がいいと言ったからといって、結核患者の恋人の近くでタバコをふかす二郎を描くのは意味不明」・じつは重要なシーンで、菜穂子は二郎の人生や生活パターンの邪魔はしたくないと思っている。それにこのまま二人だけの時間を大事にと思っている。菜穂子を気遣ってちょっと外して一服してくると言った二郎だが、菜穂子の想いに気づいてその場で喫煙をしたと解釈すべき。吸わないという選択もあるが、それでは彼女をみじめにしてしまうのだ。総括してみると、二郎と菜穂子双方がお互いの全部を受け容れた男女関係といえるだろう。④「キスシーンが多い」・愚にもつかない批判に応えていて恐縮だが、もう少しお付き合い願いたい。二郎と菜穂子のキスは普通のものではなかった。菜穂子は病気がうつると口にする。二郎は承知の上で唇を重ねる。ためらいがないのだ。これは喀血してからも同様で、二郎は病の恐怖を超えたところで菜穂子の「女の誇り」を大事にする。菜穂子はその二郎の想いに従って心を満たす。このところの菜穂子は怖い。自分の恋の命の短さを知った上でのエゴでもある。⑤「この映画に恋愛はいらない」・この作品は恋愛物なのだ。観た上でのレビューなのだから愕然とする。街に出て恋をしなさいと言いたい。⑥「ラスト近く、飛行機の残骸を二郎が見るシーンはひどすぎる」・一つの時代が終焉を迎える「場面」は、残酷で象徴的なものだ。黒澤明監督「影武者」の長篠の戦いのシーンを私は重ねてみていた。人馬もろとも銃に撃たれ戦場でうごめいていた武田軍を。

 もうよそう。文芸でも映画でも鑑賞者の感想・批評は自由で、奔放だ。このブログもまたその中の一つに過ぎない。最後に一つだけいいたい。「きれいなままでいたい、彼の前では」という菜穂子の想いを見事に表現してみせた作者に拍手をと。死を、その直前の醜い自分を予感した菜穂子は、突然サナトリウム(結核療養所)を出て二郎の許へと出発つ。二郎の上司夫妻の媒酌で婚礼。その離れで新婚生活を始めるが、或る日置手紙を遺して山奥のサナトリウムへと帰っていく。そして・・・死(さすがこの作者は死を直接的には描かなかった)。当時はまだ「不治の病」的だった結核。最新医療は戦後にようやく入ってきたのだ。

 劇中菜穂子が二郎に放った言葉の中でもっとも美しく哀しかったのは「ありがとう」。
 庭とバルコニーの間で紙飛行機をやりとりした二人。この映画の美の全ては此処に集約されている。
 美しかった。私見はこれに尽きる。

. 言葉狩り


 たとえば大臣が、議員が、あるいは市長が不適切な言葉を使用した場合、前後を無視して或る言葉一つを摘出して言わば揚げ足取りをするといった意味での「言葉狩り」もある。しかしここではマスコミや公共機関の発表する表現での言葉狩りを取り上げてみたい。差別用語・不適切用語といわれるものがそれだ。もっとも学術・文芸関係については除外されていると聞く。いまここで批判のためにそれらに類する単語を使ってもブログが削除されてしまうとは思わないが、万一自動的にボツになったとしたら、べつの意味でこの稿は活きたことになるだろう。
 最も一般的なのは身体の「障害」に関するものだ。めくら(盲)・つんぼ(聾)・びっこ(跛)などがこれにあたる。たしかにこれらは当事者に向けた差別、蔑視、攻撃にも使われた。この意味での不使用は正しいのだ。問題は文化に絡んだ故事、成語、ことわざなどがその矢面に立たされたということなのだ。即興で恐縮だが「盲」を使って短文を創ってみた。先ずはご笑読を。
『入社1年、「盲蛇に怖じず」の精神で社内公募に応じ「盲滅法」頑張って企画書を作成したが、いつもは「盲判」の課長がそれを熟読玩味。お前「明き盲」かとおカンムリ。結果的に私の努力は「盲の垣覗き」に終わった』
 この社員の失敗はおそらく情報に関して「つんぼ桟敷」に置かれていたためだろう。課長はどうせ企画など出せないと踏んで彼を除いていたのだ。しかしこれでは「片手落ち」ではないか。
 ところでこの「盲」を「めくら」と訓読みすると引っかかるが「もう」と音読みしての言葉なら許されるらしい。「盲目のピアニスト」「文盲(もんもう)率ゼロを目指す」「色盲検査」などは公認だと理解している。考えてみればこれも妙な話ではないか。
 いやらしい言い方をすれば英語にすればもっと「盲」は自由になれるのかも。ブラインド(blind)がそれだ。日本でもおなじみの言葉の英語版「Love is blind」。インテリア用語ではもっと闊歩している。
 色盲が出たのでお口直しに米合衆国ハーラン判事の言葉を引用して爺の「なぜ」を閉じよう。
「わが国の憲法は色盲(color-blind)であり、市民の間に(肌の色による)階級の別を認めない。人種について全ての市民は、法の前に平等である」 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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