蛙声爺の言葉の楽園

. 焼くに焼けない和のメザシ


 昨日、同人誌の現編集長の誘いで伊東松川湖先の山小屋風喫茶に行きました。
 絵の具の陳列の向こうに手作り額の展示などがあり、少し不思議な空間でしたが、奥の竹細工のコーナーにバターナイフと箸置きがあったので購入することにしました。
 ところで手作り、この言葉の「優しさ」が或ることを思い出させました。
 箱根の観光ホテルに施設管理で勤務中の頃の話ですが、横浜の中学時代の級友が夫人同伴で訪れてくれました。
 その夫人が「和の端切れ」で人形その他を創っていて、持参したものの中から1品をもらったのです。
 下の写真がその、「和製のメザシ」です。可愛いでしょう。
 彼女は、創ったものをフリーマーケットに出すこともありますが、本来の目的はいろいろな施設への寄贈だと言っていました。
 級友の方は長年竹細工を趣味にしていて、とくに長い靴ベラにこだわっていました。

 一番羨ましかったのは、旧友が仕事先で「和の端切れ」を見つけると夫人のために仕入れてくるということ。
 もうお互いに老夫婦の仲間入りですが、かくありたいものだと思ったものです。
 もらったのがメザシだけに、やけました。




     布地の目指し

       いまも我が家のキッチンにぶら下がっています、この「メザシ」


. 追憶の中の友と「語る」(1) 光を追った写真


  二十歳の頃、夜勤のアルバイト先でカメラマン志望の学生と知り合った。高額なカメラと附属機器を必要としていたらしく、精力的に働いていた。明るくて長身、前向きな男だった。
 写真や絵について語り合った記憶はあるが、直接撮影の手ほどきを受けてはいないと思う。私はただ、彼のとった写真から教わったに過ぎない。それは「光」の扱いだったような気がする。それとて、ブログ記事に添える写真を撮るようになって気が付いたにすぎないのだが。
 素人なりに景色を切り取る作業の面白さに興奮した。

 写真機が誕生していない時代、人物や景色を残したのは絵画だった。そう、歴史に残る名画の数々…。写実を極めようとしていたら突然カメラが出現したというとき、特に洋の画家たちは何を思っただろう。そんなことを想像してみる。
 世の中というのは不思議だ。優れたカメラが世に溢れ、デジタルカメラが一世を風靡してプロ並みの写真が誰でも撮れるようになったとき、今度は写真家が慌てただろうことは想像に難くない。
 かくして、写真は「絵」を目指すようになる。
 はたして写真と絵画はライバルなのだろうか(^^♪


     暗い川

       光を強調したくて真っ昼間なのに暗く撮ってみた




     月光になぞらえて

      月はいなかったが払暁の空の明りが助けてくれた


 その友人が、著名な写真家ジョニー・ハイマスのサイン入りの本を贈ってくれた。タイトルは『たんぼ(めぐる季節の物語)』1997年第8刷、整理を続けている書棚に、それは今も残っている。旧友も農村地帯を自費で訪ね続け、土地と人との自然な関係を撮り続けていた。現地でハイマス氏にも出会ったそうな。旧友は景色だけではなく人やその生活を絡めて撮る。しかし私は思った。肖像権が云々される昨今、発表自体に足かせがかかるだろうなと。
 先般、旧友に私の新刊『キルリーの巣窟』を送った。返信も届いた。
 ふと思ったものだ。「もう、つきあいが半世紀に近い」と。
        

     

. 宛先の無い手紙


 お元気ですか。僕も元気です。
 10代のころ、こんな出だしで便りを書いていたような気がします。相手に質問しておいて返事の内容が分からないのに「私も」って書いている不思議。でもそれは「元気に決まってるよね」という願いにも似た想いだったのかもしれません。手紙を受け取った相手も「元気」を前提にされては、否定的な返事は書き難いでしょうから「まいったなぁ」と笑顔になれますし。

 思い出の中のあなたの顔が年をとっていません。鏡の中の今の私は無残な年寄り(^^♪ですが。
 これでは「逢いませんか」などとは言えませんね。一緒に歳を重ねる相手というのはごく身近な人なんです。遠くなった人は、最後に会ったその時のまま心に仕舞われています。
 自分だけが戻れない歳月って綺麗です。もっともこれ、お互いさまかも(´・Д・)」

 じつは絵を描くの、やめてしまいました。もう半世紀にもなります。いえいえ反省期でなくて50年。あのころは年賀状に一人ひとり淡彩画的なカットを描くほど好きで、得意だったのにね。全国防火ポスターコンクールで特選になって六大都市で展示されたことがあって、勘違いしたのか工業高校のグラフィックデザイン科を希望したりして。美術の先生に連れられて受験先を訪問したら一言で門前払い。「赤緑色弱ではどんなに軽度でも駄目です」・・・以後絵はうらみの対象になったようです。
 この間孫に女の子の絵を描いてかみさんに手渡したら「これパソコンのを真似して写したの?」と。上手と言われたのかズルイと非難されたのか。いずれにせよオリジナルとは思わなかったようで( ̄^ ̄)ゞそう、彼女は私の絵心を知らなかったのです。

 最近頭が少しトンチンカンになっていますが、ものの本によると「自覚しているうちは軽度」だそうで少しホッとしています。でも、と私。「重度になると自覚もできない」なら苦痛も感じないでしょうから軽度のうちが一番本人としては「苦しい」わけで、「なんか納得いかない」のですが、どう思いますか?

 あ、そうだ、用件忘れていました。
 50年前に返すの忘れていたハンカチを郵送しました。複雑な柄があったはずなのに漂白してしまったのか白くなっていました(^-^)/ご容赦ください。
 万一私と同じ歳になっていたら、くれぐれもご自愛を。



      伊東大川

              遠くは輝いて見える

. 求職者も面接担当者をじっと見ている


 或るブログで、面接に行こうとした際に急だったのでパソコン打ちの履歴書でいいかと照会電話をいれたという話をしていました。読後に何のスイッチがどう入ったのかは解かりませんが、私の中で過去の面接経験が鮮明な形で蘇ってきました。その中で死ぬまで忘れられないという強烈な3件をご紹介します。それは人間対人間の「戦い」でした。

 作業服を着た中年の「面接官A」に『手を見せてみろ』と言われたので左手を差し出したところ、数秒後に掌をかなりの強さで叩かれました。『当社をなめてんのか⁉ こんなヤワな手で何ができるというんだ。職を転々としてる駄目さ加減がこの手に出てんだよ!』もう1人の面接官Bが目をぱちぱちさせて固まっているのが印象的でした。私はBの心情を察して怒りを抑えました。Aは勘違いも甚だしいのです、採用するまでは求職者とて「社員でも部下でもない対等な人間」なのだということを忘れています。「なにさまのつもりだよ」と私は静かに席を立ちました。Bが交通費が入った袋を伏し目がちに差し出します。東証1部上場自動車会社の期間従業員の面接。中身の500円が私の、この会社につけた「株価」でした。この程度の人に人を選ばせている時点で底が知れていると想ったのです。上野の街に吹いていた風がかなり冷たかったのを覚えています。

 静岡のリゾート分譲地管理会社の面接を受けたときのことです。職種は「宅地建物取引主任者(名称は当時のもの)の有資格者で営業マン」でした。『へーえ、これを見るとけっこう頑張ったんだな』褒めている顔ではありませんでした。横の2人も履歴書を読み始めましたが、ニヤニヤとしだします。此処で一番偉そうな人が、その笑いの理由を教えてくれました。『この分譲地、買うのは皆さん金持ちなんだよ。何十年もこうして貧しく頑張ってきた君が、そういうハイソな人たちに平常心で接するとは思えないんだよ、悪いな・・・』3人の嘲笑気味の口元が印象的でした。この後5分ほど彼の口から「面接官」3人の高学歴自慢が吐かれます。最後に私の履歴書が彼の手を離れテーブルの上を少し滑りました。私にできたのは唇を噛むことだけでした。心が嘔吐しそうになったのです。

 東京に本社がある不動産会社でした。私が受けたのは横浜支社。支社長には鄭重に断られました。会社が望む身元保証人を私が付けられないと知ったからです。人間は1人で生きているわけではないのですが、「独り」で生きなければならない境遇というものがあります。2、3日経った後でした。『再面接に応じていただけませんか』という丁寧な電話が来ました。なぜ?という興味も手伝って支社を訪れると『失礼をしました』と1転「採用」だと言うのです。身元保証人はと念を押すと、何の収入もない母の「私が産んだ」的な身元保証でいいとのこと。正直なところ仰天しました。理由は後日判明します。「県立高校を経済的理由により半年で任意退学。4年後文部省大学入学資格検定合格。翌年大学の通教部(法律学)に入学し4年後に卒業。無謀にも司法試験を受験しつつ職業欄的にはアルバイトばかりで浪々の歳月。結果論文式まで辿り着いたがそこで終焉」という履歴を、本社にいる支社担当重役が拾い上げてくれたのでした。1カ月後重役は笑顔で言いました、『調査はさせてもらった、履歴書に1点の曇りもなかったよ』と。いただいたお酒の味は最高でした。 



         人間の根っこってなんだろう…

       或る木の根



にほんブログ村

. 「ねばならない」を捨てねばならない


 産まれねば育たねばで来て、物心ついてすぐに生まれ落ちた家の環境を知り、
 学ばねば、成績を上げねば、合格せねば、卒業せねば、職に就かねば、貯めねば、結婚せねば、産まねば、育てねば、尽くさねばで、「ねばならない」の息詰まる闇の連鎖にはまり、
 いつの間にか老いて、退かねば、断たねば、捨てねば、離れねば、癒さねば、治さねばと己を責め続け、
 終には、なんとしても生きねばに落ち着く。
 そしてあるときフッと気づく…ほんとうにこれが「人生のすべて」なのかと。
 さらに歳月を経て確信する。
 「ねばならない」を捨てねばならないと。
 「ありのまま」は、「あるべき」よりもしたたかなはずだと。
 そう、「自分自身」という究極の美のためにも。
 


       金魚

       金魚の目なんて気にしないで、ときどきギョと思わせながら。生かされているのだから


ポチッは激励です、感謝します

にほんブログ村
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR