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蛙声爺の言葉の楽園

. 或る意味「汚水処理水」を呑んでいる人生?


 人間関係から生じる「汚物」を水に流して「自らの処理場」に持ち込み、静かに「沈殿」させ、新鮮な空気で「曝気(ばっき)」し、質のいい「バクテリア」まで利用して無色透明に見える再生水を誕生させる。さらに殺菌のために液体塩素で浄化さえする。
 「飲めますよ、さあ、どうぞ」とささやかれたとして、
 あなたは飲むでしょうか。
 『ふつうは飲まない。飲んではいけない』
 けれど、「渇き」が生死にかかわる場合はどうでしょう。
 ほとんどの人が飲みますよね。死ぬよりはましですから。
 『そんな場面はめったにない。いや、あり得ない』
 そうでしょうか、死にそうなのが肉体ではなく「心」だとしたら?
 『分かったけど、その「再生水」の正体って何なの』
 ご自分に聞いてもらえますか。
 
 
    小さくても輝きたい

      一瞬でもいい、小さくてもいいから輝きたい。この花火がお気に入りです
    
 

. 医者と床屋は「馬が合う」を基準に選ぶ


 ほかのブログを訪ねたとき、理髪の話にコメントで参加しました。じつは私、伊東に住所を映してから三軒「バーバー」を換えたあと、現在の11年続いている店に定着しました。「浮世床」ではありませんが、床屋さんは話し好きが多い印象ですが、いまの女店主もお客と明るくおしゃべりをしながら仕事をします。それだけなら長年通ったりしないのですが、スピードが速く、且つこちらの「注文」にピタリと合わせてくれるのです。何でも彼女の亡夫が、生きていれば私と同じ歳なのだそうです。もっともそれで良くしてくれるわけではないでしょうが、とにかく感じがいいのです。チョキチョキやっている最中に、常連の人がちょっとした差し入れをしてくることも多々あり、彼女の人柄に対する周囲の好評価を実感したりします。
 余所はいざ知らず、とにかく伊東は理容店が多いらしく、「競争」もはげしいとか。娘さんと二人で住んでいますが、店は彼女1人で切り盛りしています。私も毛髪があるうちはずっと通う予定です。
 そうそう、いろいろ談笑しているうちに私が小説を趣味にしていることが話題になり、現在は上梓した4冊の単行本が小さな「待合所」に並んでいます。順番を待っている間に読んでくれるお客もいるそうで、挟まれている「栞」も確認できました。嬉しいものですね。

 「馬が合う人を選べ」とアドバイスをくれたのは同級生の医師で、床屋さんではなく「内科医」に関してでした。彼は横浜の開業医、私は伊東在住。「通院可能な範囲で馬が合う医者を探すのが一番」だというのでした。外科的な観察も処置もしない内科では、医師と患者の意思の疎通が不可欠です。問診、触診、打診、特に問診は最重要かと思いますので。いまも診察室から漏れてくる両者の会話を聞いていると、ほとんど他愛もない内容です。でも、その中にこそ「信頼」の共有があるのでしょうね。
 私も糖尿の治療でそういう医者を見つけました。もう7年目を迎えています。
 
 いずれにせよ、人と人との出会いはたいせつですね。



     付き合う?


       「つきあってみる?」 「はやく声かけろよ」


. どうすれば円満に? 席を譲る敬老マナーの行方


 あるコラムでお年寄りに席を譲ろうとしたのに断られ恥をかいた、なぜ善意でしたことが「トラブル」化してしまうのかという趣旨の問題提起がありました。社会常識としての敬老精神と、個人としての矜持や遠慮という美徳がバッティングしてしまうわけで悩ましいことではあります。
 じつは私も若いころ十回は経験しているのです。譲ったのにハッキリ断られたり、遠慮されたりで、周囲の失笑まで感じてその場を去ったということが。以来私はガラガラに空いているときを除き、車内で立っているようになりました。気まずい思いをするのは「もうたくさん」ということが動機でしたが、柔道部出身だった私はトレーニングにもなるからと悦に入っていた記憶があります。そんな「元気だった私」も何と71歳、譲られる側の人間になりました。もっともいままで譲っていただいた経験は1度もありません。もちろん「なぜ譲らない」と腹立たしく思った記憶もありません。まだ体力がそこまで落ちていないことを喜んでいる感じです。
 とはいえ、この間東京・横浜に出て行ったときはさすがに疲れ果て、立っているのがかなり辛くなりました。私もそろそろ、ですね。

 譲っている人の行為と勇気に想いをいたさず断っている人の理由は「そんな齢じゃない」「まだ元気だ」「すぐに降りるので」などいろいろでしょうが、一方では譲らない「若者」「自分より年下の者」に対して「優しくない」「マナーも知らんのか」「躾がなっておらん」と憤る人もいて、現場では小さいながらも「精神的な葛藤」があるような気がします。

 まったくの私見ですが、車における「高齢運転者標」と同様の観点から公的な「徽章」制度を創り、「譲ってもらえたら嬉しいマーク」として、付けたその人が高齢、妊娠、負傷、障害などで「譲られたい人」であることを任意で表示するというのは如何でしょう。現在でも電車やバスにはシートないしスペース、つまり場所として「譲られたい人」が優先であることを明確にしています。本来ならそこに座れば上述の徽章を付けたのと同様の「告白」になっているわけですが、問題はその場所が埋まっていたり足りなかったりしていることからも生じているようです。ただ、視点を変え「人としてのあるべき姿」から考察すれば、車内の全ての座席は「弱者優先席」なのです。そうなると「弱者優先の気持ちとして譲ったのに拒否された」は、1対1の問題ではなくなります。
 母の日に赤いカーネーションを胸に付けたこの国のこと、「思いやりを感謝します」として、例えば小さな黄色い花などを胸につける、それも受け入れてもらえるような気がするのですが。目で見て分かれば安心して譲ることができます。

 最後に。「席を譲られたら、いろいろあるでしょうが、受けてあげるのが相手に対する優しさ」ではないでしょうか。「次の駅で降りるから」そうだとしても。そうしないと善意の輪、マナーの輪は広がらないように思います。
 「笑顔で譲り、笑顔で感謝」「安心して善意を、安堵して着席を」、そうなることを願いつつ。
 えらそうに、失礼しました。



      松川湖畔

       伊東市内でホタルが棲む場所の一つ。白や黄色の「花」が「ほたる祭り」に協賛か


. 焼くに焼けない和のメザシ


 昨日、同人誌の現編集長の誘いで伊東松川湖先の山小屋風喫茶に行きました。
 絵の具の陳列の向こうに手作り額の展示などがあり、少し不思議な空間でしたが、奥の竹細工のコーナーにバターナイフと箸置きがあったので購入することにしました。
 ところで手作り、この言葉の「優しさ」が或ることを思い出させました。
 箱根の観光ホテルに施設管理で勤務中の頃の話ですが、横浜の中学時代の級友が夫人同伴で訪れてくれました。
 その夫人が「和の端切れ」で人形その他を創っていて、持参したものの中から1品をもらったのです。
 下の写真がその、「和製のメザシ」です。可愛いでしょう。
 彼女は、創ったものをフリーマーケットに出すこともありますが、本来の目的はいろいろな施設への寄贈だと言っていました。
 級友の方は長年竹細工を趣味にしていて、とくに長い靴ベラにこだわっていました。

 一番羨ましかったのは、旧友が仕事先で「和の端切れ」を見つけると夫人のために仕入れてくるということ。
 もうお互いに老夫婦の仲間入りですが、かくありたいものだと思ったものです。
 もらったのがメザシだけに、やけました。




     布地の目指し

       いまも我が家のキッチンにぶら下がっています、この「メザシ」


. 追憶の中の友と「語る」(1) 光を追った写真


  二十歳の頃、夜勤のアルバイト先でカメラマン志望の学生と知り合った。高額なカメラと附属機器を必要としていたらしく、精力的に働いていた。明るくて長身、前向きな男だった。
 写真や絵について語り合った記憶はあるが、直接撮影の手ほどきを受けてはいないと思う。私はただ、彼のとった写真から教わったに過ぎない。それは「光」の扱いだったような気がする。それとて、ブログ記事に添える写真を撮るようになって気が付いたにすぎないのだが。
 素人なりに景色を切り取る作業の面白さに興奮した。

 写真機が誕生していない時代、人物や景色を残したのは絵画だった。そう、歴史に残る名画の数々…。写実を極めようとしていたら突然カメラが出現したというとき、特に洋の画家たちは何を思っただろう。そんなことを想像してみる。
 世の中というのは不思議だ。優れたカメラが世に溢れ、デジタルカメラが一世を風靡してプロ並みの写真が誰でも撮れるようになったとき、今度は写真家が慌てただろうことは想像に難くない。
 かくして、写真は「絵」を目指すようになる。
 はたして写真と絵画はライバルなのだろうか(^^♪


     暗い川

       光を強調したくて真っ昼間なのに暗く撮ってみた




     月光になぞらえて

      月はいなかったが払暁の空の明りが助けてくれた


 その友人が、著名な写真家ジョニー・ハイマスのサイン入りの本を贈ってくれた。タイトルは『たんぼ(めぐる季節の物語)』1997年第8刷、整理を続けている書棚に、それは今も残っている。旧友も農村地帯を自費で訪ね続け、土地と人との自然な関係を撮り続けていた。現地でハイマス氏にも出会ったそうな。旧友は景色だけではなく人やその生活を絡めて撮る。しかし私は思った。肖像権が云々される昨今、発表自体に足かせがかかるだろうなと。
 先般、旧友に私の新刊『キルリーの巣窟』を送った。返信も届いた。
 ふと思ったものだ。「もう、つきあいが半世紀に近い」と。
        

     
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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