蛙声爺の言葉の楽園

. 日々もらう退屈しない「古希の証明」


 絶望的でスリリングで、どこか間抜けな「古希証明」が毎日のように胸元に届きます。かなり重いので受け取る時に衝撃が走ります。
 何の話か、ですって? 
 羅列したエピソード、もしかしたら同年齢の人に笑いと「仲間意識」を与えられるかもしれませんので「GO!」します。

 ある朝、姿見を見たら仰天。右の頬がむくんでいました。両頬がそうなら何とか福々しい感じになっているでしょうに、片側だけでは言わば「こぶとり爺さん」。原因はおそらく右上の奥歯の亀裂から歯茎を通って黴菌が侵入したのでしょう。昔、尊敬する歯医者にこう言われたことがあります、「歯医者はいいね、命にかかわらないからというのは嘘だ。特に上の歯は脳の中枢部に近いから治療を誤れば致死もある」と。恐る恐る容疑者たる奥歯の歯茎を触ってみると激痛、恐怖心が襲ってきたものです。
 腫れが引くまで4日もかかりました。

 早朝のコンビニでまたまた財布を落としました。ウエストバッグのチャックを開け眼鏡を取り出して新聞の棚を見始めたのが災いしました。店内を回っているうちに大きく口を開けたバッグから飛び出て床に落ちたようです。お金以外のものがたくさん詰まった財布のこと、大きな音だったでしょうに全く聞こえませんでした。もはや難聴に近いようです。そして今回も他のお客さんに教えてもらったのでした。日本て、とてもいい国です。いい人が圧倒的に多いからです。

 リハビリを兼ねて長編小説を書いています。これは一昨日のことですが、2時間ほど集中して物語の中に入り、400字詰め原稿用紙で7枚分を打ち込みました。脳に送られるブドウ糖が激減したのか頭がボーッとしてきまして、ハッとしたときには異変が起こっていました。どこをクリックしてしまったのか、7枚分の文字のすべてが消失していたのです。「え?」と茫然自失。書く人ならご存知でしょうが、同じシーンは再度書けても同じ文章表現はできません。この日はその後、何も書く気がしませんでした。
 翌日は「書き直せ」と頭の中の「編集長」に駄目出しされたと思えばいいと気を取り直し、倍の15枚をクリアしましたが、いまだにどこを押してしまったのか思い出せません。

 昨夜のことです。22時に眠りに就いたのですが何と23時に目覚め、その後も0時半、1時半、3時と目覚め、いつもの4時過ぎに起床しました。みた夢は5本、もちろん筋はしっかりしていたと思いますが、起きてすぐに忘れました。頭も体も重く、散歩に出てようやく「目覚め」ました。はやりの「無呼吸症候群」を疑いましたが、医者に行って症状を訴えても「ま、歳ですから」で終わりだろうと止めました。昼間机に向かっていて睡魔に襲われた回数は3.。座布団を並べて横になると気を失うように眠りに入れるのです。もちろん5分か長くても10分の睡眠で済むのですが。何かアブナイ感じがします。

 以上掛け値なしの「ダメオ」くんでした。



     あんた誰

         「ちょっとあんた誰?」  「あなたもわたしもサギですが、それが何か?」


. 近況と言う名の記事にてご容赦


 メールチェックをしていたら中学時代の同窓サークルから「ゴルフコンペ」の連絡が入っていた。私はゴルフをしたこともないし当然サークルにも入っていない。何かの手違いなのだろう。それにしても、「老人格差」を目の当たりにしたようで思わず「フッ」と笑った。人生には自分の道と他人の道の二つしかない。その都度の選択を否定したら過去にさかのぼって「自分」そのものが消失してしまう。肯定して「いま」を生きようと、想いを再確認した。

 昨日で、執筆しだした長編の原稿が400字詰め101枚に達した。13日間の進捗度ということになる。日々の執筆時間と前日までの原稿再読時間がほぼ同じくらいになっている。結果、1日の「自由時間」の大半が小説のために費やされることになった。少しでも頭のためになるだろうとアルコールも完全に断った。
 「情熱で書いて理性で推敲する」 あれこれ悩まないで心が命ずるままに、とにかく書き綴る。プロットは2年もの間、迷いながらも創り続けていた作品なのだ。
 日々実行度がバラバラだった散歩と筋トレが綺麗に整った。
 目の健康のためにパソコン画面を見詰めるのを必須のものに限定し始めた。結果としてブログの更新度は、やはり減ってしまった。

 5000から10000という歩数の多い散歩はできるだけかみさんと行く。仲が良いからではなく(^^♪お互いにだが、途中で体調が崩れたときのことを考えてのこと。あれこれ話し合うことで、会話能力の減退を遅くする効果も期待している。
 それにしても、進む「カレンダー」の速さが怖い。
「老い」とはこの「時を失う速さ」のことなのかもしれない。



     木の根

               人の根も老いて露わになるという

. アスファルトの上に咲く


 ほんとに近くの、いつもの道
 ある朝、ガードレールの下のアスファルトの割れ目から
 この、名前も知らない花が顔をだしているのに気づいた

 和の野草とは雰囲気が違う
 言ってみれば「異邦人」の雰囲気だった

 しばし対面した後で「あ、そうだ」と膝を打った
 振り向けば、かつて収容千人超を誇った観光ホテルがいまも寂しく聳え立っている
 たしかここの板前さんだった人
 花が好きで道路の川沿いに鉢を並べ
 四季折々の花で、道に彩を添えていた

 かたいことを言えば道路占用許可が要るケースだが
 たぶん誰一人として責めたりはしていない
 水をやったり剪定をしたりしている彼と談笑している近隣の人たちを
 何度となく見かけている
 もちろん私も心温まる想いの笑顔で

 ところが花の鉢がある時を境に減り始めた
 彼の死を耳にしたのはだいぶ経ってからだった
 花と彼を愛でた人たちの持ち去り行為の意味は、どうやら「形見分け」だったらしい

 「七月のお盆が近いからかい?」と
 シャッターを切る前に、目で聞いてみた
 写真が少しぶれていたとしたら
 それはきっと二輪のこの花が、風のせいにしてうなずいたせいだ  



     花よ、君の名は

        目を細めて見てみると。ふたつの目でニコッ


. 生きて活きるということ


緑内障で視野が4分の1未満になった兄を検査日なので市民病院まで送った。
手伝いで韮崎駅に降り立った姪を拾い、検査後3人で兄の山小屋に戻る。
昼食後に始めた作業は、鹿や兎といった野生動物から山野草を護るための柵作りだった。
100坪以上の土地の周囲だからかなり長いものになる。
里山は人間と動物が共に生きる空間だ。
彼らに悪気は無い、おいしそうな草があったので食べた、それだけのこととも言える。
ただ、野草も生きていて、葉を出し花を咲かせ種につなげている。
柵はこの中の草は食べないでとのメッセージなのだった。

夕食で食べ残しがあると「食堂」の外に出しておく。
野生の誰かが夜の間に食べていると兄は言う。
私も早朝5時過ぎに、それが誰かを知った。
もとは飼い猫だったと思われる白黒まだらの美形と、
「先客」の権利を侵害されたと怒ったのかネコを追い払う小柄な狸と。

私が帰る日の朝。
道の駅まで車を走らせた。
目的の「農民の直売所」もスーパーも開店は午前9時。
天然素材で手造りの日除けの下で兄と二人で休む。
兄弟とも耳が遠いので会話はさほど弾まない。
尾白川の天然水が湧出する水場に次々と容器を持って水を汲みにくる地元の人たち。
お爺さん、お婆さん、お嫁さん? おいしい水を飲む家族の姿が後ろに「見える」
それを飽きずにじっと見ている私たち二人。
初夏の風が爽やかで心地よかった。
開店後直売所で兄が買ったのは案の定、山野草の苗たちだった。

里山に戻っての別れ際、次は灯油を買う12月でいいよと兄。
1ケ月置きの市民病院往復は、なるべく1人でやってみると言うのだ。
目に悪いのでブログも長期休止にすると自分のブログで「宣言」もしていた。
気丈な配慮が心に痛かった。
『老人道』なるものがあるとしたら彼は、その道を極めようとしているのかもしれない。 




      輝きすぎる罪

        レンズは言う、輝きすぎると周りの景色が沈むよと。

. 白装束の本たち


 また古紙回収の日が来る。昨日は意を決して3回目の選別をしていた。
 ブックカバーがある本は、カバーを裏返して真っ白にしてから元に戻す。書名と著者名を回収場所で晒さないというせめてもの配慮だが、作業をしている自分は知っているわけなので、自分自身の、本に対する気持ちからは逃げ出せはしない。時間がかかるのはそのせいだ。
 「終活」の一つとして1年ほど前からやっている。その以前の引越しのたびに行う廃棄を含めて考えれば、すでに数百冊になると思う。真新しいものや、古書店で引き取ってくれそうな「売れ筋」の本は第1回のときに「処分」している。ただ、人気がありそうなものでも、書き込みやアンダーライン、蛍光ペンでの塗り込みなどがあれば引き取ってはくれない。

 選別だが、人からの寄贈本は「最後まで」として残す。次に3年間見も読みもしなかった本を一次選別し、これからの執筆資料にもならないものだけを廃棄候補として取り出している。
 今回の処分で部屋にある高さ1メートル80センチの本棚1つ分の書籍が消えたことになる。
 なぜそんなことをと、言われそうだが、70歳になった私に万一のことがあれば、これらの本を「片付ける」のは老妻だ。負担は軽くしておくべきだろう。そう思ったのだ。ふつうなら怖い発想だが、特別不安でドキドキするわけでもない。
 唯一動揺することがあるとしたら、最後の長編と捉えている小説の完成を「そろそろ急ぐべきだ」という、そのことか。
 「・・・もうそういう歳になったんだな」
 まだ残っている歳月に感謝している自分がいる。



 
     白装束の本

       手に入れた本はその時々の「自分」の姿。それを捨てているのはいまの自分。


. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR