FC2ブログ

蛙声爺の言葉の楽園

. 閉院する病院の患者という貴重な経験


 私なりに数か月前から予測はしていたのですが、地元新聞に期日を明確にした閉院に関する広告記事が出て確かなものになりました。医院ではなく「病院」と分類される市内でも数少ない医療機関が閉じられるのです。私は6年ほど前から高血糖の患者として通院していました。担当医は昨年9月まで院長先生でした。
 郷里横浜で中学の同窓生が内科医として開業しているのですが、彼曰く「内科の場合、馬が合う医師に巡り合うことが最良」とのこと、そういう意味でも最高の先生でした。少々癖のある患者の私に合わせてくれたのですから(^^♪ 28年ほど前に1日だけ入院したことのある病院ということでも記憶に残る場所でした。これからもずっと、でしょう。
 院長先生も人間、1年前頃に診察現場を離れられ、だいぶ経ってから病魔に侵されてと原因を知りました。

 2年ほど前でしたか、自分の病状と服用している比較的高い特効薬の効果の関係を実証すべく、先生には理由を知らせずに4カ月ほど通院せず該薬品も使用しなかったことがあります。その自分の体を実験台にした結果を確認するために再度患者として復活したときも、実証実験だったと正直に話せました。結果はヘモグロビンA1cの数値が1カ月に0.2ずつ上昇した勘定になり、7.6となりました。 「参考になったよ」と笑顔で接してくれた院長。これもかなりの好感度でした。皮肉の1つも言われると覚悟していたのです。後日談的にいえば、その復帰直後から1カ月ごとに0.2数値を下げました。どういう栄養の摂り方をすればどう数値が変化するのか、散歩や負荷運動との関係は如何にと、私の「自分自身の実験」は続いています。因みに数値を安定させるコツも知り、現在はお酒も少々頂戴しながら6.6になっています。ご参考までに身長は169センチ、体重は63キログラムです。これもほぼ一定に保っています。先生によれば、いま服用している薬を続けつつ、食生活で数値をどんどん下げていくのは、高齢者なので脳のためによろしくないとのこと。服用しないですむなら別だということでした。「このくらいがちょうどいいのでは」と。

 話がそれましたが、事実上最後の診察では採血を見送りました。院長は病状からもちろん不在でしたが、診察室を出るときには現在の担当医にいつもより丁寧なお礼の言葉を口にしました。いつも血を抜いてくれた看護師さんにはお別れのお辞儀を。
 最寄りの薬局も同時に余所へ移転するとのこと。私も次の内科医院を探さなければなりません。はたして「馬が合う」先生が見つかるかどうか。自分では普通だと思っていますが、私はかなり変わった患者なのだそうで・・(^^♪
 またまた今日は妙な記事になってしまいました。このあたりで、 「失礼します」

 あ、そうでした。病院や医院が閉院したあと、患者のカルテはどうなるのでしょう。もしご存知の方がいらしたら教えてください。
 本当は食事療法と運動療法のみで一定の数値になるのが一番理想的ですが、自身の実験で駄目だと分かってしまいましたから、この先ずっと「薬服用」ですね。
 



   
   すすき

       逆光でしか絵にならない不思議。それでも花です、尾花



   太陽と芒

      

. もの思いの秋の中で


 やっと大自然が静かになりました。
 そんな気になったのは、25号が列島から遠のいて台風という名前を捨ててからです。
 タオルケットを掛けて寝ていた日々が、夏掛けとはいえ布団に変わったときから、あれほど寝不足に陥っていた自分が熟睡できるようになりました。それでも「眠っている」我が身の器官があります。短期記憶をつかさどる前頭にある海馬です。しだいに勢いを増していく忘却力。さらには忍び寄ってくる認知症の恐怖。
 朝、目覚めるとひそかにホッとしています。まだ、昨日までの自分だと。

 長編と短編を書き終えた後に襲ってきた、何をするでもなく、何が出来るわけでもない毎日。時折、誰か小さな畑を貸してくれないかななどと非現実的な妄想に陥ります。土を耕し種をまき、あるいは苗木を植えて育てる。体を動かすことも然ることながら、植物の生長を見つめ続けることは、老いた心にも健康をもたらすに違いありません。しかし実際は狭い部屋に身を閉じ込めて日暮れを待つことになってしまいます。
「さて、また挑むか」と自ら励まし始めるのはそんなときです。

 海馬が衰えると、新しい資料を記憶し、それが最重要な作品は創れなくなります。まったく不可能とは言えませんが質的なことを考えれば挑める分野ではありません。高齢になり現役を退いたら一筋にと想い続けていた小説『疎石と虫』を諦めた理由がそれでした。書籍以外にネットで集めたプリント資料だけでも厚さ5センチに達していました、まさに夢のテーマでした。造園の才にも恵まれていた高僧で国師でもあった夢窓疎石と当時虫けら同然の地位でしかなかった庭造り現場の男たちとの心の交流を描こうとしていた記憶があります。いわば『小説太田道灌』の次に予定していた「ライフワーク」でした。しかしそれもいまは醒めた「夢」、資料も先日半分は捨てました。あとの半分は未練がましさ…かつて志したという、思い出の一品?

 さて挑みだした次の小説のために動き出して5日ほど経ちました。机の周りに積んである本を見ると面白いです。新たに記憶するのではなく、かつて積み重ねて大脳に刻んでいたもろもろを引き出すのは海馬の機能とは少し違うので、それを頼りに執筆をするのですが、書いたことを校閲し検証するための資料を取り揃えておくわけです。 国語辞典、漢字辞典をはじめ辞典の類はもちろんのこと、プリントしたウィキペディアの記事、新聞の切り抜き、はては参考になる写真までが積まれることになります。
 いま自分の横にあるもの、『野山の木』、『きのこ』、『こけの世界』、『山菜』、『秋の花』、『植物名の由来』、『先端医療講座』・・・これらは最初に創った登場人物関係図とプロットから導き出された「資料」です。また1か月以上、「老いに追い詰められた自分」と戦うことが出来そうです。
 これを「逃避」ととらえるか「挑戦」ととらえるかは自分次第です。
 「老いの挑戦」に関してようやく気付いたことがあります。「他人の失笑」は気にしないこと、がそれです。だいいち、その「挑戦」の目標は、他人様が評する「結果」ではなく、「自らを鼓舞する日々自体」にあるのですから。

 手元に「高齢者割引乗車証」という市役所発行のはがきがあります。閉じこもらずに出かけてくださいというのです。
 私はいま、ほとんど市内に限定してですが、車を運転しています。ですが、もう少し経ったらそれも止めて、免許証を返納するつもりです。家内が不便をするかもしれませんが、公私の安全のためです。
 サッシ戸を開けたら、入って来た風が完全に秋でした。
 私の方はとっくに「秋」に入っていますが(^^♪
 「さて、少しあるいてきましょうか」 

 

     「伊豆」が始まった街

   温暖な気候、綺麗な空気、体に良い温泉、その全てが第二の人生を可能にした環境でした
  

 

. 心という謎の部分


  愚にもつかないことだけど


  首の痛みが2日も続いた
  筋肉痛や寝違えなのか、それとも重大なあれの前兆なのか
  異状の区別は、何とかメタシンのパップを貼ってみればわかる

  機嫌よく首の左右の付け根に貼ってくれた妻が、
  求めた3時間後の貼り替えを拒んだ
  ふつう10時間ごとに、ぐらいだよと
  何度頼んでも聞かなかった

  小さな怒りをようやく膨らませた自分
  それでも静かに引き下がった
  その数分後に想ったこと・・・それは
  制御が利く、俺ってまだ壊れていない

  翌朝、テレビでニュースを視ていたら妻が言った
  いま貼り替えよう2枚とも
  そうこうして、幸いにも痛みは遠ざかった



          **************

柄にもなく詩集を読んでいたら、目から鱗の詩文に出会った。10分近く見つめていた3行。

   あなたが三分で忘れることを
   わたしだって三日で忘れるのだから
   永遠の中ではたいしてちがはない

    吉原幸子「泣かないで」より  (井坂洋子編著『詩はあなたの隣にいる』所収)
    



    我慢と従容の違い

        食べちゃダメ、その子葉っぱはあなたの子

. お盆の松川の流れに想う


 『明治は遠くなりにけり』とは、昭和世代がまさに元号「昭和」のころ、幕末の慶応は含めず、明治、大正、昭和を3つ並べて、次第に「昔」が消えていくことを、良い意味でも悪い意味でも「嘆息」するときに使った言葉です。来年の春、今上天皇の生前退位に伴って元号が変われば、その時は上記の「明治」と同じ立場に「昭和」が立たされることになります。
 団塊の世代を『いわれなき非難』を受ける代表格に今の高齢者はほとんどが昭和生まれ、『昭和は遠くなりにけり』、それが現実のものになっているようです。

 『欲しがりません勝つまでは』『一億火の玉』から『焼け跡闇市派』『一億総懺悔(ざんげ)』。『日本国憲法』『再軍備』『安保闘争』『東京オリンピック』『一億総白痴化』『学生紛争』『新幹線』『大阪万博』「もう戦後ではない』『公害列島』『企業戦士』「日本列島改造』『高度成長』 『日本・アズ・ナンバーワン』「バブル』そしてその崩壊から失われた20年へ。ふと気が付けば平成。『I・T社会』『少子高齢化』『福祉大国』『災害列島』『老人破産』『無縁社会』『孤独死』エトセトラ。激動の「昭和」といわれ、飛び交い続けた世相を表す言葉や標語。その中で馬車馬よろしくひたすら走り、また翻弄され続けた人々。
 世の中はまさに『行く川の流れは絶えずして元の水に非ず』でした。それでも、いまさら『老害』、『邪魔になった』といわれても昭和世代は困惑しきりでしょう。

 ではこの「素晴らしき現代社会」には『食糧難』も『飢餓』もなく、『倒産』、『失業』も『就職難』も『貧乏』や『自己破産』も、『離散』、『自害』もないのでしょうか。どうやら実際は違うようです。
 いくらお盆でも、支離滅裂な回顧はやめにして、ぼんやり橋の上から流れる水を眺めていました。川面に光る陽の子供たちの元気なこと、青空を映している水もいれば、水底の岩の色を取り込んでいる水もいて面白いものです。

 学齢に達する前、潮干狩りに連れていかれ、アサリ掘りに夢中になって上げ潮に気づかず溺れそうになったこと。
 道端のたんぽぽを母と摘みに行きお浸しとしておいしく食べたこと。
 ひ弱な『もやしっ子』で小学5年まで体育の時間が自習だったこと。
 父親が倒れて県立高校を退学し、牛乳配達をしながら文部省の大検を通ったこと。
 引き続きお金が無くて、アルバイトをしながら4年間通教部で法律を学び卒業したこと。
 世の中に大卒として扱ってもらえず、パートタイム労働を続けて司法試験を受け、論文式にまで辿り着いたこと。
 そして30歳を過ぎた1文無しが、そこで哀しくも力尽きたこと。
 71歳になる爺が、思い出す「昭和」を漢字一文字で表すならば、迷いなく「貧」を選ぶことになります。
 あ。そういえば『苦学生』って言葉もいまは死語ですね、きっと。

 それでも、波瀾万丈、たぶん息を引き取るときは「でも、面白かったよ」と言えるような気がします。
 ここは本気で、そう思います。
 来年はきっと『昭和は遠くなりにけり』が流行語大賞になる、そんな気がします。
 




     何想う、松川の流れに

      盆の終わりに橋の上から松川の流れを見詰めていたら   
  
 

. 心身ともに盆休みで、それが何かの日々


 きのう朝一で内科に行ったら、待合室の患者の数が皆無に近いので驚きました。何のことはないお盆だから。前回採血したヘモグロビンの数値は6.8、特に頑張って食事療法をしていないのでマア良いのではないかと自己評価しました。医者も薬剤師も気持ちよくうなずいてくれています。8年も高血糖症と付き合っているとプラス・マイナス0. 4ぐらいは数値を苦も無くコントロールできるようになりました。この場合プラス方向へは良くないのですが(^^♪
 このところ、頭がぼーっとしたときは、低血糖になったときのための予防として処方されているぶどう糖100%を5グラムほど服用します。小説を4時間ぐらい書き続けていると頭が動かなくなるので、飲むとスッキリとします。TPOさえ押さえておけば、この方法はかなり有効だと思います。

 そうそう今朝の散歩はなかなか変化に富んでいました。松川遊歩道の叢に1輪の百合の花が立っていました。痩身で花も半開き、きっと1年目の百合なのでしょう。しばらく見下ろしていましたが、デジカメを持っていたのに撮らなかった私。なぜなのかは分かりませんが、ただ見ただけにしておきました。
 街中の路に回って戻るとき、前方薄墨色の雲のところに大きな虹がかかっていました。数分間虹に向かって歩いたのですが、あることに驚きます。虹の七色の輪が切れていたところが青空との境だったことです。まるで青空がかかっていた虹を消し去ったかのように。
 あと500メートルほどで散歩が終わるという頃、陽がさしているのに俄かな雨、多少あわてました。子どものころに聞いた「狐の嫁入り」です。たしかに嫁入りするときの想いは人でも狐でも不安定なのかも。名付けた人を讃えましょう。

 ゆっくりしました、このお盆。文芸は放っておいて、パソコンで、テレビで、書籍で、スポーツものばかりを鑑賞していました。大谷翔平、伊達公子、甲子園…恒常的寝不足が起こしていた絶不調も和らいだ気がします。
  

     琉球朝顔

     川底の浚渫で仲間の半分は消えました、私、遠い島から来た朝顔です


. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

. 最新トラックバック
. 2015年9月26日からのご訪問
. フリーエリア
. フリーエリア
. 検索フォーム
. ブロとも申請フォーム
. QRコード
QR