蛙声爺の言葉の楽園

. 自費出版は終活の一里塚(4)『キルリーの巣窟』


 数年前からの構想で、すぐにでも執筆できたはずが、二年間もストップしていた。「もう書けないかもしれない」、その恐れが確かなものとして実証されてしまったら、これから先、何をして、何を目標にして「老い」を生きていけるというのか。自分の中で、行きつ戻りつの葛藤が続いた。正直なところ、前頭にあり短期記憶をつかさどる海馬がこれほどまでに重要な「器官」だとは夢にも思わなかった。高齢化による自然な劣化はあるだろう。しかし症状の悪化は数回の事故による頭部強打に原因があることは確かなのだ。記銘したことを再生できないという障害ではない。見聞したものを一時的にでも脳に記銘する機能が極度に劣化してしまったのだ。

 今年の七月、ぐずぐずしている自分に飽きが来た。「だめならハッキリさせよう」と覚悟を決めた。人物関係図を作りパソコンの先に貼り、プロット一覧を巻物にしてパソコンの脇に置いた。エクセルに記録している日々の記録欄は、その後の三カ月間『キルリーの巣窟』の執筆、読み直し校正、執筆という記述で埋まった。大辞典、資料、法律関係図書はパソコンの周囲に積んだままになった。「こんなことを覚えられないんだ」「きのうここ書いてるじゃん」…衰えた記憶力を毎日、これでもかとばかり突き付けられた。三十人以上いる登場人物の氏名を散歩の際に復唱した。氏名が出てこなければその人物につき繰り返し手書きをして記銘を図る。眠れない日が続いた。情けなさに焼酎のお湯割りをあおった日も多い。脳の劣化とはこれほどまでに辛いものなのか。それは実感だった。

 四百字詰めで五百二十二枚。「完」となったときは、実際目頭が熱くなった。まだ全文の校閲や第三者に依頼する校正、さらには版下作りや表紙作りが残っているのに、数日間ボーッとしていた。
 自分との戦いには勝ったが、海馬の改善は成らなかった。そもそも、文章作成力は海馬とは違った脳の部位が担当する力なのだそうな。スタート時に医者の話として知ってはいたのだが、それでも大いに落胆をした。

 12月の上旬、各方面に寄贈として本を送付をしながら、「この先どうするんだ」と自分に問い続けた。心臓の停止は別として、「健康年齢の終末」は目に見えて近くなった。ウジウジしながら「そのとき」を待つことだけはしたくない。
 師走も半ばを過ぎて、ようやく何をすべきかを決めている。
 『キルリーの巣窟』を「最後から二番目の本」にすべく次回作に取り掛かると。
  


      キルリーの巣窟

 キルリーとは羽ばたいても後ろにしか飛んでいけない伝説の鳥。表紙の絵は筆者の姉の作品。
 この作品も引き続き伊東市のサガミヤ書店で扱ってもらうことにしました。
     

. 自費出版は終活の一里塚(3)『孤往記』


 あと四か月ほどで六十七歳になるという晩秋に、自費出版をした二作品を「ネットで販売できる途があるがどうか」という話が入って来た。結論から言えばペンディングにしたのだが、「制作」担当者が私の関連作品を縦書きで読むためにと、ホームページ蛙声庵からデータをとってPDF化したものを寄贈してきた。二百六頁に及ぶ『弧往記(こおうき)』がそれだった。作者のくせに恥かしいのだが、同人誌『岩漿(がんしょう)』に連載という形をとっていたせいで、全編を通読するのは初めてだった。公休日に五時間を費やして精読した私は、知らず知らずのうちに「校正」もしていた。「自伝ではないが、たしかに私は小説の中に居る」とかつて語ったこの作品。いつしか一読者として目頭を熱くしていた。「何だ、この感覚」。私の人生を決定づけた青春時代が否応なしに蘇えった。

 真直ぐな主人公が味わった孤独、囚(とら)われた悩み、求めた人のぬくもり、突き進んだ遠い夢。もしかしたらこの奥底にあるものは普遍的なものかもしれない。我田に水を引いた私は、第三の上梓を決意した。
 もともとこの作品は、親族、友人知己など縁(えにし)を結んだ人たちに遺すメッセージとして考えたもので、『岩漿』初出は平成十一年、連載の終わりは平成二十三年、東日本大震災の春に当たる。こじつけではなく、実は『岩漿』もこの年で終焉を迎えると思っていた。それから丸三年の春、小説『孤往記』がネットを使って一つになった。

 こうしてみると、上梓に向けた行為は進めていても、理由は区々だが躊(ためら)いがあって、歳月がいたずらに過ぎていったようにも見える。もう一つ。この障壁を乗り越えるための「引き金」は、比較的小さな「きっかけ」という点も共通である。このカミングアウト的なエッセイを書き終えて、ふと思った。私の上梓は「終活」の色彩を帯びていると。
 


       misakiblog 0583

 おびえて縮こまった子犬にも見えるこのパン。この程度のものさえ口にできなかった青春という名の過去がある。
 『孤往記』(平成26)が載ったネットはAmazon。私にしては珍しい一里塚になった。


. 自費出版は終活の一里塚(2)『夢の海』


 東日本大震災と津波、さらには原発事故をみて、自分の人生までもがほとんど終わったような気がした。事実、生活を極限まで縮小しようと試みた。それから一年経った頃、受けた衝撃と多少の余裕を回復した心が複雑に絡んだ末、「もう一冊出したい」との結論に達した。選んだのはラブサスペンスの『夢の海』。ただ、この作品には入力済みのデータがなかった。まずはベタ打ちを岩漿会員のY氏に依頼、帰って来たデータを版下までもっていく自らの作業がさらに半年近くかかった。コツコツと積み上げていく中で、迷いも生じた。齢六十五、老後の貴重な蓄えを印刷代に回してよいのか、それほどの意味が「上梓」にあるのかと。日々の労働と蓄積する疲労が漸(ようや)く作業ペースを落としていく。ではなぜ数十頁に及ぶ追補作業まで可能になったのか。

 皮肉にも原動力になったのは、日々摩耗を続ける精神そのものだった。それでも揺らぐ心。ところが或る日、大きな力が働く。三人の旧知の「友」が職場に来て泊まったのだ。彼らは、私が「受験時代」に中学校の管理員をしていた当時、新任の教師として赴任をしてきた。美術を、部活を、教育を、真剣に語り合った人たちだ。聞けば三人とも学校長まで昇りつめて定年を迎えたという。ただそれだけの話だが、これで二回目の「上梓」は、私の中で確定となった。

 『夢の海』の評価は結果的に二分された。途中で読むのをやめた人にとってはゲテモノ作品、最後まで読んだ人にとっては愛憎を深く抉(えぐ)った文芸作品と。批評文を寄せてくれた数十人の読者は後者だった。藤沢市在住の常連読者は言った。作品としては良い、「あとは好き嫌いの問題」だ。

 二回目の上梓が私に教えたもの。それは、小説は出版を経て、作者の想い如何にかかわらず一人歩きをする数が爆発的に増えるということだった。だからといって、風当たりを恐れて表に出なければ、温かい日差しを受けることもない。この理はきっと胸に仕舞っておきたいと思う。



     img1041.jpg

装丁は姉と私のコラボ。大きな写真は残っていない。
因みに『夢の海』(平成24)は、いまも伊東市のサガミヤ書店に在庫がある。嬉しいやら哀しいやら。


. 自費出版は終活の一里塚(1)『小説太田道灌』


 『小説太田道灌』の場合、創作自体ではなく本にする動機に限って言えば、死後に遺すものが欲しかったからと断言できそうだ。対物で済んだが、交通事故に遭(あ)った。以後、運転中に対向車と正面衝突する可能性に怯(おび)え始めた。いつ死ぬかもしれないのに、自分には生きて来た確かな証が何もない。まだ「息」をしている間にできることはないのか。今にして思えば特異な心理状態だった。しかし契機はともかくとして、上梓(じょうし)するための「版下」作りに没頭している間に、「還暦の記念に」という健康的な動機付けに変化してはいる。素人が自分で未熟ながらも本を編むのだ。多少の異常性は必須条件かもしれない。

 同人誌は、言うなれば仲間の作品を載せるものだ。文章の巧拙や内容の誤謬(ごびゅう)についても、多少の甘えは許される。だが、上梓となれば違う。歴史に絡むとなればなおさらのこと。刷り上がり、図書館に寄贈し、友人知己に送り、ネットで販売し、さらには書店に並べたあと、戦々恐々とした日々が続いたことを告白する。
 結果は、本は完売し、数十通の批評・感想のお便りを頂戴した。太田道灌の末裔の方々との誼(よしみ)も生まれた。望外の喜びとはこういうことだろう。

 しかし、道灌研究家の方々から拝受した資料の数々は、筆者の身を竦(すく)ませるには十分なものだった。唯一の救いは、それらが私の『小説太田道灌』執筆時には書籍化されていなかったという事実。逆に言えば、当時存在していれば、あれほど史料収集に苦労はしなかっただろう。いずれにせよ流通させてしまった本は、銃から発射された弾丸と同じなのだ。
 単行本『小説太田道灌』は私に、上梓する喜びと怖さを同時に教えてくれたことになる。



      太田道灌

       神奈川県伊勢原市 太田道灌像

 江戸城を築城した稀代の軍師太田道灌は、主君の命を受けた自らの部下の手により、この地で暗殺される。
 300冊刷ったこの本『小説太田道灌』(平成18)は全て配本。私のホームページ(左最下段)に全文PDFがあるのみ。



. やっと印刷所に「原稿」を送れました。ふぅ(^^♪


 昨日、印刷屋さんの督促電話を受けて、郵便局にすっ飛んで行きました。
 7月中旬から執筆していた『キルリーの巣窟 (小糸菜穂子が独り往く)』の原稿最終確認が終わったのです。表紙カバーのデザイン画は姉に依頼しました。
 先に送付予定日を業者に告げてしまったので焦りました。業者校正は無しで見積ってもらいましたので、400字522枚、ページにして267を最終チェックしたのですから堪りません。忙しい中、儲からないだろう私依頼の印刷製本作業をはめ込んでくれているのですから遅れは禁物だったのです。
 心底ホッとしています、いま。
 この脱力感は、半端がない感じです。何かホワーッとしていて。昨夜焼酎のお湯割りを2杯飲んだところ、疲れと眠気が襲ってきてすぐに横になりました。「なんか体力落ちたなぁ」と、しみじみ感じた次第です。
 「ブログ記事、ずいぶんまばらに書いてたなぁ」、これも反省でした。
 でも、言いたいです、「やっと終わったぁ!」と(^^♪。



     のどか

      「おまえ、声かけろよ」「自分でやれよ、オレ、この子タイプじゃないもん」
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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