蛙声爺の言葉の楽園

. ハウツーものを読んでから書くとエンスト起こすんじゃない?


 若いころ『文章作法』という「ハウツー」ものの存在を知って、「へーえ、文章にも作法ってあるんだ」と口走ったことがあります。中学生の頃から好き勝手に「膨大な量」の日記文を書いていたからで、その後小説を書く際に何冊かを手に取って読んでいます。もちろん『文章作法』とは銘打っていないものですが、中野好夫、丸谷才一、伊藤整・・・ええ、到底理解できませんでした。すぐに諦めてそのまま。
 30代に入ると、シナリオに興味を持ち、また何冊か通読することになりました。こちらは小説と違って、映画やテレビドラマの台本ですから、スタッフ、キャストへの伝達ルールが定まっていて「ハウツー」ものが必須です。特に型の順守は最低限の要請で、ノートにメモを書き込み、かなり真面目に取り組みました。
 ここで小説の文章作法にも通じるものを感じ取れたのは幸いでした。

 1例として『台詞のチェックポイント』を引いてみます。これは舟橋和郎の「作法本」ではなくて鬼頭麟兵の「教科書」だと思いますが、なにしろ1970年代のテキストですから残っているメモだけが頼りなのです。14項目あります。

 □冗漫でないか
 □人物に「差別」をもたせているか
 □登場人物に作者の代弁をさせていないか
 □横道にそれていないか
 □雑駁すぎないか
 □魅力があるか
 □説明になってないか
 □ストーリーの運び以上に出ていないのではないか
 □リズムがあるか
 □散文的過ぎないか
 ■視覚的表現を忘れ、台詞に頼り過ぎていないか
 □話し言葉としてこなれているか
 □個性はあるか
 ■手垢のついた言葉を使い過ぎてはいないか

 すごいアドバイスなのですが、もし執筆中にその都度チェックをしていたら、物語の推進力が削がれ気持ちがエンストを起こしてしまうような気がします。やはりこれは推敲段階ではじめて行えるものでしょう。『情熱で書き知性で推敲する』と言うではありませんか。
 道路の案内や標識が多いと運転しづらいでしょう。ちょっと似ています。
 ちなみに小説で一番取り入れたかった助言は■印の「視覚的表現」と「手垢のついた言葉」のところでした。


 なぜ鯉は滝を登れるか。急流を縦にしただけだからです。ただ滝の高さが鯉の泳ぐ能力を超えていれば無理でしょうね。そう簡単に龍になれないのは世の定め。

       瀧
        *熱海梅園にて*


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. 私のホームページを更新「馬場駿と蛙声爺」へ


 今年の初夏、20年間事実上主宰してきた文芸同人誌『岩漿(がんしょう=マグマ)』を退きたい旨を主要会員に伝えた。事故による脳の海馬劣化が主原因だが、新編集部体制への「引継」で協力を約束し、その限度での残留をして11月に至った。それもほぼ終わり、「リハビリ」も効薄いところから早期完全引退という道を選ぶことにした。
 次号25号の原稿締切も近く、また忘年の定期会合も間近だったこともあり、雰囲気を壊したくないので大騒ぎはせず、静かに去った。
 思ったのだが、すべからく或る職を辞するときは短時日で完遂すべきで、たとえ惜しまれたり引継ぎの全うを頼まれたりしてもズルズルと残るのは結果的に良くはない。端的に言えば「後任者」の改革プランを「善意」で阻害するからだ。「相手」にしてみれば一応依頼した以上「もういいですよ」とは言いにくい。これは言われる前に、去る側が推し量って身を処すべきなのだ。そう思う。

 それはともかくとして、完全引退に伴い私個人のホームページだった『馬場駿と岩漿文学会』から文学会関連の記事、頁を一掃してリニューアルを図った。あたかもまだ会の主宰者のような体で会の情報公開をすること自体、失礼だからだ。またその「任務」の継続を押し付ける資格も権限もない。自分のホームページを使って会の活動情報を公にしていたのは私の判断と負担だった。換言すれば「現状回復」ということになろうか。

 ふと傍らの本棚に並んでいる24冊の同人誌『岩漿』と関連書籍に目をやる。1列に並んでいて50センチはある。
 感慨無量というのは、こういう感覚なのかなと、しばし黙り込む。
 これからは一人、劣化した海馬を励ましながら長い、長い最後の「小説」を書くことになる。

     リニューアルしたホームページ『馬場駿と蛙声爺』


 「鳥インフルが流行ってるってね」 「どう(銅)でもうつしたいのかな」

       鳩たち
        *松川の遊歩道にて*



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. 年末を笑い飛ばそうゲスなギャグ


 師走ですよ、歳末ですよ、あんまりいいことなかったよ1年、しかも流行語大賞「金」だってよ、やだねー、いっそ上に昇れない私たちで、下らない(つまり上る)言葉遊びしちゃいましょう。3連休の真ん中だし、365連休も間もなく終わりの1里塚だし。
 
 というわけで、まずは「ダジャレ(駄洒落)」の意義から。おおむね平仮名で表記すると同じだという2つの言葉を短い台詞やセンテンスの中で使って、少なくとも本人が喜ぶ芸ですね。いいかえれば同音異義語遊び(以下この手の解説は個人の見解であり、学問とは無縁です)。
 事実の摘示風に 『これ内臓が無いぞう』 最近のアンドロイドがこれですね、ハイ。
 断定的、恫喝的に 『ウランは売らん!』 政策的には成功しませんでしたが、どっかの中国がレアアースでやりましたね。
 疑問・質問の体で 『この味、魚の差かな?』 このタイプ一番創りやすいですね、『冷やし中華は冷し中か?』もこの類。「このカレー、辛えか?」も。あ、止めましょう(^^♪
 事件発生でも 「スイカ泥棒、誰何(すいか)されてる」 でもこれはぁ、高齢者と法学生相手にだけ使ってください、言葉古過ぎ。

 この「ダジャレ」、なんとメリットがあるんです。
 ◆相手に使われて ①言葉への観察眼が育つ。突っ込みを入れるには言葉に敏感になる必要がありますものね。
 ◆自分で考えて ②語彙(ボキャブラリー)が増える。とくにスピードは命です、熟考したあとでのダジャレではシャレになりません。万に一つうけることがあるとしたら3つ以上関連語を重ねることです。
 即興の駄作で1例。「ニワトリってさぁトリエないよね、チキンと鳴けない奴もいるしエッグいね」
 ◆実際に使ってみて ③おのれを低くして(笑われて)その場を和らげる術を身に着けられる。嘲笑に耐える姿は美しい。
 現実に洗剤の『アリエール(あり得る)』とかTV番組の『そこまで言って委員会(良いんかい?)』などあちこちで応用されているまことに素晴らしい(?)文化(分化)なのです。

 分化といえば、これを実際に居そうな会社員に当てはめてからかう(もしくは嘆く)ことで「イベント」化したのが『貝社員』シリーズでした。最初お気に入りのTOHOシネマズでの「幕間」で見て、最近はTVの朝番組『ZIP!』でもお目にかかっている亜流ダジャレです。最初が貝の種類で、後がどんな社員かとの短い解説です。すこし例を読んでいただければ何故「亜流」としたかをわかっていただけると思います。
 「あわび」 お詫び(アワビ)すれば済むと思っている社員
 「マテ貝」 いつも「待って(マテ)」で後回しにする社員
 「ムール貝」 周りが被害をこうムール社員
 ・・・だそうです。

 『おやじギャグ』に移りましょう。特におやじ世代が好み、昨今では若者もマスコミもからかい半分で使用するようになった『ダジャレを含んだ安直なギャグ』です(安直でないギャグって見たことも聞いたことも無いような気がしますが)。
 馬鹿にされてますが、「世の中」でけっこう氾濫しています。泡も重ね次第でクッション、ですかね。
 この流れは、一世を風靡したあの、あのねのねの『赤とんぼの唄』からかもしれません。『あのねのねをアンネに替えたらアンネがね♪』(大変)というあれですね。笑えました。ただ、あぶらむしの足とったら柿の種という歌詞には参りましたっけ。色と形からイメージしたのはチャバネゴキブリなので、ツマミにできなくなりまして(^^♪。
 あ、それはさておき、オフィスオートメーションの走り出しのころ見た『ドットコムって、どこが混むの』には笑った。きっとちょび髭の年配課長さんのギャグでしょう。『残暑がきびしいザンショ』は、高齢の方はトニー谷という芸人?を思い出しそう。最後に生徒におもねる先生の定番です。『ここに居ない人、手をあげて』、朝礼台が凍ったことでしょう。

 もうネタはおしまいですが、自分でも創ってみませんか。もうレジェンドになった?『ころばないのに転倒虫(テントウムシ)』みたいなやつ。では私から・・・と言ってもあえて女性バージョンで
 姑さんに押しつけられて私 『えらんでないけど選択機(洗濯機)』
 やな男に下の名前ばかりで呼ばれてイラつき 『名前ばかりで蛆虫!(氏無視)』
 ブラックな残業を抗議して私 『夜なべ(鍋)なのに夜食釜めしって何よ!』
 思いたって穏やかに 『あさくさで平和祈念の戦争時(浅草寺)』 ・・・ん?
 おやじギャグじゃなかったぁ? あ、おやじギャルね、はいはい納得(^^♪
 「きょう、おだやかでヒマだわ」
 


 暗いところにいると輝くものって余計眩しいよね。え、これ再登場だとツッコミ? 「陽はまた昇る」

      明ける



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. 空に映る海の色、「海」にツンデレ


「誘拐犯か。なってもいいかな」
 そう思わせる魅力が、傍らで海を見ているこの男の子にはある。
「おじさん」
 急に男の子が呼びかけてきた。
「うん?」
「おソラの色がうつってるのウミだけだよね」
「ボク、それは反対だ。海の色が空に映ってるんだ」
「ウソだぁ」
「空より海の方が偉いんだ。その証拠には、空には魚がいないだろ。大将が家来に色をつけてやってるってところかな、ウン」
「でもおソラにはトリがいるよ」
「海にだって鳥はいるさ、ほらあそこ」と、小松は沖のカモメを指さした。
「あの波乗りしている白いのはなーんだ」
「トリ」
「ほらね、海の方が偉い」
「でもね、ヤマのほうにいってもおソラはあるけど、みどりいろはおソラにうつってないよ」
「そうきたか。うん、そうそう、山と空だと空の方が偉い」
「でも、おソラがあおいときでもヤマはみどりいろだよ」
「あっ、と」
「へんなの」
 こんな小さい子に負けていれば世話はないと、小松は唇を尖(とが)らせた。

 これはだいぶ前の拙作『空に映る海の色』にある1シーンで、子どもの問いかけにいい加減に応じていると大人がへこまされるというお話だが、小説自体は「海礼賛」でまじめに取り組んだ記憶がある。この作品を同人誌小説の評論者は、「作者はきっと海好きで、海そのものを描きたくて小説を創ったんじゃないかな」と書いた。当たっている。
 じつは筆者、学齢までにつごう3回、遠浅の潮干狩りの海で溺れかけている。幸いこのすべての回で、親ではなくよその人に助けられて、今もこうして生きている。ただこの経験が一種のトラウマになり、「泳ぐ」ということができなくなった。もちろん海だけではなく、川でもプールでも同じだ。
 「泳げない人は溺れない」とは至言だ。水際でさえ体が「恐怖」のために避けようとするのだから。
 その背負った恐怖感の重さだけの憧れがあるのも事実で、海で泳ぎ、遊ぶ人たちが羨ましくてしかたがない。
 海はその実際の姿以上に、私の目には美しく魅力的に映っているらしい。

 誰ですか。
「ああ、それで世の中も上手に泳げないんだ」なんて言う人は。
「下手なのは・・・確かにそうなんだけど」


  船の赤いお尻だけが叶えてくれた。映している海の方を大事に撮りたかったのだが。

       朱いお尻の舟
        *伊東マリンタウンのヨットハーバー*


ありがとうございます

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. ボケ防止になるのか「漢字検定」


 『漢字検定』という名の200頁前後の問題集がある。このタイトルの言葉、意外にも登録商標だという。
 当初この問題集の私の中での立ち位置は、通常使われる漢字を反復練習して忘れないようにという言わば「同人誌小説家」としての基礎トレーニングだった。その証拠に少し前に使用済みになった『2級』はなんと4冊目、大いに役に立っている。もっとも最後の1冊だけは、役割が1つ付加されている。ボケ防止の「常備薬」というのがそれだ。「まだ古い記憶起こし」は大丈夫だという試験紙、「精神安定剤」でもある。『2級』ならまだ正答率85%は保持できている。

 それはそれでいいのだが、新しい記憶の試験紙にはならないと、最近気が付いた。飛んで行って近くの書店で『準1級』を購入した所以だ。このクラスは、正直言って日常的な文章にはなじまないものが多い。難読漢字、高度な当て字など、一種漢字オタクの世界だからだ。しかしそこには「再生」ではなく「新しく記憶」しなければならないという新課題がある。これが試験紙になるのだ。採点で誤答なら正答を書きだして頭に「記銘」する必要が出てくる。全くわからない。間違えた。どちらも悔しいからだ。気が向けば「意味」も調べるだろう。『準1級』はきっと爺の高慢など完膚なきまでに叩き潰しにかかるだろう。リタイアして刺激が激減した脳味噌を直視して、そこに期待をかけたのだ。

 ここで爺が早速つまずいた漢字の一部を羅列してみたい。
 赫怒(かくど)汀渚(ていしょ)釜中(ふちゅう)弘誓(ぐぜい)巽言(そんげん)牝牡(ひんぼ)。
 本来つまずかなくても、つまり意味が不明でも読みだけはなんとかなったはずのものを挙げてみた。「赫」は威嚇(いかく)を思い出せばすぐに出たはず。同様に、「汀」も「渚」も(みぎわ)(なぎさ)だが部首を取って「丁」と「者」で音にすれば何ともない。「釜」をどう音ずるかが勝負なのに地名の「釜山」(ふざん)を想起出来なかったのが致命的だった。京浜急行の駅「弘明寺」(ぐみょうじ)と「誓約」の音で、この仏教用語「弘誓」も何とか読めたはず。ただ何をどうしてもたどり着けないだろうというのが「巽」(たつみ)を(そん)と音ずること。「巽言」の意味が『やさしく柔かで人に逆らわないことば』というのも皮肉に近い。最後の「牝」は競馬好きならすぐ「牝馬」(ひんば)でわかるはずで花好きなら「牡丹」(ぼたん)が頭に浮かぶはず・・・・この反省と後悔が頭を刺激してやまないのだ。
 ちなみに訓読みの失敗を2例。「泥む」(なずむ)と「忽せ」(ゆるがせ)。
 特に前者はボケだった。武田鉄矢の『贈る言葉』の「暮れなずむ街の光と影の中♪』を出すまでもなく、即答しなければならなかった類だから。私にとって後者は「忽ち」(たちまち)しか無かった。忽ち間違えた、はシャレにならない。

 最後に、上記の『準1級』のとっかかりに等しい部分での得点が、残念ながらというか予想通りというか、65%の正答率にとどまったことを「告白」しておきたい。負け惜しみに「お楽しみはこれからだ」と言いたい。
 脳学者によれば、画数の多い手書きの漢字練習は、頭にとても効く妙薬だそうな。
 「パソコンは変換の手間だけだものね」何年やっても。 

 時間を空けて校正したら、「訓ずる」を「音ずる」に、また「返還」を「変換」に、それぞれ直すことになりました。
「うーん、やっぱりきてるなぁ」というのが実感です。編集、下りて正解でした。自分の頭を責めずに、自分を責めることにします、 はい。13:32


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Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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