蛙声爺の言葉の楽園

. 見えない「風」が見えてしまうとき


 イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティに『風』という作品がある。『誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない けれど木の葉をふるわせて 風は通りすぎていく』という詩で、小学校か中学校で習った記憶がある。
 唐突に思い出したのにはわけがある。今日メモ用紙に、こんな文章を書きなぐった所為なのだ。


  この1年が、というのではなく
  このところ、などという曖昧なものでもなく
  「今日」というこの1日が、わけもなく心寂しいときがある

  この歳になっても
  いや、こんな歳になったから

  そんな日は、風が見える
  動かされている葉っぱや枝ではなく、
  風そのものが、目に見える
  
  ・・・わたしを見知らぬところへと誘う風



     風が見える

        風が見えると枝葉は止まる。「風が心の目の方を動かすからだ」

. 同人誌『岩漿25号』、感慨無量にて


 のっけからギャグもどきの話だが、ある雑誌の広告で「クロワッサン」のロゴが目に入った。ちいさく踊っているようで可愛いのだが、「ッ」が「シ」に見え「クロワシサン」と頭は捉えたらしい。「苦労わ資産」、隠された深い意味に勝手に感激する自分がいた。これから先、あの三日月型のパンを見かけるたびに思い出すことだろう。

 先日、新・編集長のK氏から同人誌『岩漿』の25号が送られてきた。毎年発行は2月から3月なので少し遅れてはいる。慣れない校正から版下までの作業、さぞかし編集部4名の方は大変だったろうと、苦労のほどがうかがえる。
 私が創刊から20年間、24号まで編集に携わっていた文芸誌だが、昨年高齢などを理由に役を退き、同時に退会という選択もさせていただいている。実は昨日発送事務を編集部で行った由で、私は一足先に作品群に触れていたことになり、少しく申し訳ないと感じてはいる。
 丸1日をかけてほとんどの作品を鑑賞した。感慨は一入である。
 全くの私見だが、近いうちにこの雑誌の同人の中から広義の作家が出そうな気がする。
 「・・・ここまできたんだ」
 目頭が熱くなるのを感じた。



     岩漿25号

       岩漿(がんしょう)とはマグマのこと、だから『岩漿』は心のマグマ

. 『何がめでたい』って、「・・・さあ」


 うっかりまた本屋さんに立ち寄ってしまい、ひょいと佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』を手に取り、パラパラッと覗き読みをしただけで買ってしまいました。これは作家の名に対する信頼でもあります。そのくせ、何度も終活としての断捨離で書物を処分していながら、「なんと方針がぶれていることか」と嘆く自分がいます。
 それはさておき、著者は1923年生まれの93歳、今年の11月5日には94歳になります。大阪生まれの直木賞作家、団塊世代にはお馴染の詩人サトウハチローは彼女の親戚筋です。家に帰ってから本の帯を見ると83万部売れたとありました。笑ったのはその周りの言葉で、『なぜこんなに売れてるの?かって―買った人に訊いてくださいよ!』
 なので、買った人「私」の読後感です。福山雅治の『ガリレオ』先生の名台詞ではありませんが、『じつに面白い』。
 「どこが?」ですか、それは「買って読んでくださいよ」と言いたいところですが、ここでは「文に芸があるところ」とだけ申し上げておきます。

 90と言えば「卒寿」ですが、これ90を漢数字で縦書きすると「卆」になるからですよね。ちょっと駄洒落の香りがしますので、点検しました。じつは70の「古希」までは論語などの古典に由来しています。問題はそれ以上の高齢の祝いで、ほとんど同じパターンなのです。77歳の「喜寿」は「喜」の略字「㐂」からきています。777歳ではありませんので念のため。「昔パチンコでいっぱい出てきて玉げたところから」などは妄想です。80の「傘寿」も傘の略字「仐」から、88の「米寿」は米を分解して八十八。99の「白寿」は「百」から上の「一」を取って「白」という字に、と言った具合です。うがった見方をすれば、『古来希なり』の70から先はもうシャレでしかないということなのでしょう。こじつけ感さえ覚えます。

 そういえば、60の「還暦」を別の言い方で「華甲(かこう)」と呼びます。70の祝い以前は古典が云々と褒めておいて何ですが、文字分解パターンでした。「華」は「十」が六つと「一」でできていて61なのでした。数え年61は満年齢で60です。私、酔狂な人間なので実際に「華」を分解してみました。「正解」、まるで漢字パズルでした。
 みなさんもお時間がありましたらお試しください。
 あ、「華甲」の「甲」は何?ですか。「干支(えと)の1番目」をいいます。

 『人は人、我は我ですよ』(佐藤愛子)、この言葉、とても意味深くて好きです。

 



     石の風格

        岩の風格はついた苔によって語られる




. 早合点には本音がチラリ


 日本語の同音意義語はユーモアの親。漢字練習に飽きてつい遊んでしまいました。壊れ気味の「言葉の楽園」です。


同好会にて  『もう行きましたか』
         「まだ生きてるよ、いまも飯食ってる、どんぶりで」
         (心)『この前言ってた映画だよ、親父さんの生き死にじゃねえや』

ご近所にて  『また歯医者ですか?』
         「負け犬だってか、バカにすんな」
         (心)『ひがむな、話も噛み合わねえ』

職人の師弟  『はやく食ってかかれ!』
         「べつに親方のこと恨んでませんけど」
         (心)『バーカ、午後の仕事だ』

文学部の学生『手書きで候(そうろう)文いけますか』
         「それほど早くねーよ、実際彼女に困ってもいねーし」
         (心)『あぶない危ない。決して触れてはいけません』

 ・・・よい週末を。雨模様ですが。




      どこでも生きていける、繁殖力抜群の外来種。その名はナガミヒナゲシ

      ナガミヒナゲシ

  (蛇足ですが) 早合点の原因になった言葉は上から順に「逝く」「敗者」「食ってかかる」「早漏」でした。


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. 行くところも無くて「言葉」のサーフィン


 ブログタイトルが「言葉の楽園」ですので時折「ことば」で遊びます。365連休の身ではGWなど自身歯牙にもかけない感じですので、『ヤケのやんぱち』風に戯れてみました。
 7歳になった孫が「じいじ」・「ばあば」と私たちを呼びます。これには笑顔で返せます。この字数と使用文字が全く同じなのに、誰かに「じじい」・「ばばあ」と言われたらどうでしょう。腹が立ちますよね。1字順が入れかわっだけなのに不思議です。

 それが自分の子でも孫でも何となく言いそうなのが「勉強しなさい」ですよね。中学の頃から疑問に思っていました。「強いて勉めろ(しいてつとめろ)」、何て嫌な「励まし」でしょう、強制の臭いがプンプンします。同じ語義なのに「学習」(まなび、ならう)は少し違います、言われる側の自主性が尊重されているからでしょう。面白いものですね。少し跳びますが昔、『ケイコとマナブ』という本でしたか何でしたか、流行りました。女の子の名前と男の子の名前のようで漢字にすれば「稽古と学ぶ」、何ともオシャレでした。

 似た言葉を使ってギャグのように説くこともできます。教育学者(この言葉自体何かヘン)がこんなことを言っていました。「いまは社会とか秩序とか善悪とか、そういったものを教え伝える役割をもっている父なるものが存在していない」と。異論はたくさんあると思いますが、ここでは広げないことにします。この現象をこんな風に言えるかもしれません。「いまの子にはママ(母)とマァマァ(父)しかいない」つまり、曖昧な「温かさと優しさ」に包まれているだけなのでは、と。

 カタカナにして言葉で「対立」を弱める手もあります。セクハラ気味の上司がいたとしましょう。「すけべ(助平)!」と言っては強すぎて角がたちます。とりあえずまだ言葉だけのいやらしさだけなのですから。これを「エッチ!」と発すれば、小さな寛容を含む可愛い非難ですむわけです。いやいや、この上司をかばう気は、さらさらありませんが。

 或る言葉に小さいという「小(こ)」を付けただけで大きな変化が出ることも、言葉の不思議です。まず『悪魔』ですが、これは男女ともに使えますし、かなり凶悪なイメージになります。ところが『小悪魔』はどうでしょう、性別は女になりそうです。しかも美しさとか妖艶とか何かドキドキするイメージを連れてくるのです。もう一つ。『憎らしい』より『小憎らしい』の方がより強く感情が揺すぶられませんか。同様に『汚い』と『小汚い(こぎたない)』にも感じ方の大きな差、ありますよね。
 では長くなりますので、この辺りで。
 



     楓
 
       重層的なものって「きれい」ですよね。ついシャッター押してしまいます


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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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