蛙声爺の言葉の楽園

. 久々に見入ったドラマ『ブラックペアン』


 「昔」と言ったら局に叱られるかもしれませんが、「ドラマはTBS」と言われたことがあります。同じころ「民放のNHK」と評されてもいましたっけ。今はだいぶ様変わりしていますけど。その同局が放った「問題作」に触れてみたくなりました。日曜午後9時『ブラックペアン』がそれです。ご存知の通りペアンとは止血用の鉗子のこと、タイトルを見ただけで医療現場が舞台だと判ります。ちょうど、昔、米アカデミー賞の各部門でたくさん受賞した映画『クレイマー、クレイマー』の原題に、同じクレイマーの間に「バーサス: vs」があって、夫婦同士の裁判の話だと予測できたのと一緒です。

 名優や「怪優」がたくさん出ています。若い人たちは、竹内涼真(研修医)、葵わかな(新人看護師)、小泉幸太郎(新任講師)などに目が行くかもしれませんが、年配の人たちは内野聖陽(外科教授)、市川猿之助(他院の外科教授)、加藤綾子(治験コーディネーター)に注目でしょうか。爺の場合はこの二人でした。主演の二宮和也(外科医)、セリフも少ない脇役趣里(看護師猫田)。二宮は「嵐」のメンバーという顔も持っていますが、米国クリント・イーストウッド監督も認めた名優です。今回は得体の知れない悪魔的な「手術職人」としてドラマを引っ張っています。「困難な手術」的には「1話完結」ですが、この謎めいた彼の存在自体が「連続ドラマ」足りえていると言っても良いでしょう。猫田役の女優が、水谷豊の娘とは知りませんでした。個性的な風貌と謎めいた医局でのポジションにぴったりでした。二宮演じる医師渡海の腕に心服しているらしいことしか、4話までの間に知らされていません。解明はこのあとの展開でしょう。

 原作は海棠尊の小説『新装版ブラックペアン1988』 (講談社)の由、この作者『チームバチスタの栄光』の人でもあります。爺が「誰? このライター」と首を傾げたのは脚本家丑尾健太郎でした。失礼ですよね。耳が遠いせいで、最近よほど興味をそそられない限りテレビドラマを視ないものですから。この『ブラックペアン』も見逃し系のネットで、しかもヘッドホン使用でした。この人の以前の作品、レンタルビデオで観てみたくなりました。もっともこれほどのドラマでも「原作と違う」と非難と言いますか、ガッカリ感といいますか、出ています。これは私見ですが、原作(小説やコミック)Aとドラマ(映画も)Bは全く別の表現手段なのです。AからB、 BからAという流れの中で、たくさん見かける比較論はあまり馴染めないというのが印象です。

 このドラマの肝は手術シーンの圧倒的な臨場感です。それもそのはずで、医療の監修を2つの大学、2つの大病院が担当しているのでした。普段見ることができない特殊な空間に、また素人でも難しさが分かるようにと配慮され可視化された解説に、創る側の意気込みを感じたものです。

 連続ドラマの中で忘れられないシーンがありました。同時に実施された困難な手術、さらに早急に対応しなければその患者は死ぬというのも同じです。しかもこれに対応できるのは渡海医師のみ、彼は片方の手術の手を休めることなく周囲に言います。助けたい患者の命は2つ、こっちの体は1つ、「どっちを殺す?」と。究極の選択です、それを、手を下す技量のない医師たちに向かって吠えるのでした。「俺なら両方助ける」。渡海にはどうすればいいかが解かっていたのです。この2つのセリフはもしかしたら「医療の神髄」なのかもしれません。
 視点を変えて視ると、このドラマの人間たちは、それぞれに醜い。それゆえ真実に近いと感じるのです。不思議なことにだからこそ、突き詰めると「美しい」のです。デテール(細部)の正確さや医療現場のリアルさはあくまでもサブで、この醜悪な人間のドラマに奉仕しているだけ。そんな気がします。
 このドラマ、「アンナチュラル」に引き続き、全力でお勧めです。
 
 

     人間はみんな着ぐるみ

       可愛いぬいぐるみの中に「悪魔」がいるなんて「嘘」です



. どう観る「ペンタゴンペーパーズ」


どうやらデートのようですね、8つの映画を公開している「ムービル」からシゲルと愛子が出てきました。欅の大木の下にあるカフェに入りましたので、後を追ってみましょう。
愛子がコーヒーとモンブランを注文しました。今日はどんな話でしょう。

シゲル『ちょっと疲れたかなあ』
愛子「うん、この手の作品は予備知識がないとのめりこめないものね、あ! わたしだけだよ、シゲルは別」
『同じだよ、ベトナム戦争なんてリアルタイムで見聞していない年齢なんだから』
「そうね、一つの作品として鑑賞する。もしかしたらそれが目を曇らせない一番の鑑賞法かも」
『観る人の年齢や政治思想、職業なんかでも180度印象が違うと思う』
「あー、たしかに国会での文書バトルに関連付けて使われそう」
『日本の国会のとベトナム戦争の機密文書とは問題のレベルが違いすぎるよ。なにせ4代にわたる米国大統領が30年にも及ぶ間、ひた隠しにした国防総省の機密文書だからね、この映画の対象は』
「ね、ね、最初から総括、総評みたいになってるけど、正直なとこどうだった?」
『愛子らしくないアバウトな質問だな(笑)』
「わたしから言うわ、じゃあ。2時間じゃ無理なテーマだと思う。なんか散らかっちゃった感じがしたのね、とくに前半。ナレーションで説明みたいなのが要ると感じたけどな。メリル・ストリープ演じるポスト社主のキャサリンがメインになっているからでしょうね、国家権力対新聞社という緊迫した対立構造が最後の方にしか出てこないの。裁判所関係でも現場での緊迫したやりとりが出てこなかったし」
『なるほど、顧問弁護士に説明させて終わったね。問題の大きさに比して緊迫感が予想外に薄いって感じたのは事実。キャサリンと編集主幹のベン(トム・ハンクス)との激しい論争があるかなと身構えてというか、楽しみにしていたんだけど案外静かで困った(笑)』
「スピバーグ監督の創作スタイルかもしれない。おとなの映画というか」
『お互いに相手の信念や苦衷を理解したうえでの理性的な対立構造として描いているってことか』
「面倒な言い方するわね、だけど、うん、そんな気がする」
『アマチュアに近い社主にジャーナリズムの意義を実践で教える海千山千の編集主幹』
「黒澤明も大好きだった師弟関係ベースの映画、たしかスピルバーグは黒澤を師として仰いでいたとかいうし、そうかも」
『面白いアングルだね、さすが映画通』
「のせても何にも出ないよ」
『おっ、コーヒーとケーキ来た。なんとタイムリーな』
「わたしがおごってもいいよ」
『いやいや、姫。そういう意味では、決して』
(二人の笑い)
『スピルバーグって反戦作家なんだなと思う』
「露骨には出さないでしょ、でも」
『うん、ちょっと拾っただけでも『リンカーン』『プライベート・ライアン』『シンドラーのリスト』、それに今度の。みんな名作だし、監督じゃないけど製作で絡んでる『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』と、いろいろ』
「なるほどねー、すべてデート向きじゃない」(愛子、ケーキを頬張る)
『悪かったよ、色恋沙汰の映画じゃなくて』
「でも71歳とは思えないパワーだよね、イーストウッド監督もそうだけど、年取ってるのにいい顔してるのよ」
『恋する瞳だね、潤んでる』
「花粉だって。ばか」
『(コーヒーを飲み干して)なんだか辛口批評になったけど、さすがオスカー3回受賞のメリルと2回受賞のトム・ハンクス、うまいね。この作品を原語で理解できたらもっと印象が違うと思う。もちろん良い方へ傾く』
「いつかシゲルが言ってたもんね、実際のセリフの3分の1ぐらいしか字幕にできないって」
『うん、こういう作品は日本語吹替版で鑑賞したいような気がする』
「きょうはシゲルがまとめてください」
『君は、時の政権を敵に回し投獄されるとしてもそれを記事にできるか』
「よ! その君とはジャーナリストと呼べる人たち」
『行くか、そろそろ』
「まっすぐ我が家に送ったら怒るからね」
『そんなもったいないことしないよ、ほれバック持って立って(笑)』

*****ちなみに「私」の、この作品に対する満足度は5つ満点で ☆☆☆☆ です。今回もネタバレは避けています。


      伊東の海

 『政府から独立の報道機関が、社会のあらゆる部分から集めた多様な情報を国民に提供し続けることの方が、たまたまにぎった犯罪に関する情報を国家に提出させ、報道機関を捜査機関の下請け化するよりも、長期的に大きな公共の利益となる』
(米連邦最高裁判所少数意見・1972年)



. 「アンナチュラル」が教えてくれた女性ライターの時代


 のっけから何ですが、衝撃を受けたテレビドラマがあります。石原さとみ主演で法医学者を扱った「アンナチュラル」がそれです。もっとも今回は、可愛い容姿の女優がなんと化粧無しのスッピンで演じたとかいう嬉しい話題ではなく、ドラマ脚本がオリジナルで、掛け値なしに素晴らしいということなのです。すでに全10話のうち9話まで放映済みで、今週の金曜日夜の分が最終回なのですが、ぜひ見ていただきたいので書きたくなりました。というのも、過去の放送分はネットで遡って、オンデマンドで鑑賞できるからです。
 私設不自然死司法解剖施設(実在はしていないそうです)のスタッフの活躍がメインですが、それぞれが重い過去を背負いながら、死者の言葉を懸命に聞き出そうと努力していきます。一方で「犯罪」は究極の人間性の表出。そこにもスポットを当てて、仕立てたドラマを飽きさせません。原則1話完結なのですが、最後まで引きずる犯罪の糾明がそれらをつないでいくのです。

 「ねたばれ」は犯しません。ご容赦ください、興味のある方に鑑賞していただきたいので。 
 じつは私、そこそこ意地悪な目で、各回とも昼間にネットで「見のがし」を利用して鑑賞していました。意欲的な設定、キャスティングの妙、高度なメッセージ性、軽妙かつ的確なセリフの数々、テンポの良さ、絶妙の場面転換、親切な医学的テクニカルタームの解説、真実味のあるデテール(細部)、適度なミステリー性、さらにはイメージソング米津玄師(よねづけんし)の「Lemon」にいたるまで、
完全に惹き付けられたことを告白します。これほど濃密なドラマを視たことはありません。
 
 一番驚いたのはこのドラマの脚本が、原作のないオリジナルで、ライターが野木亜紀子、女性だったことです。刑事もの犯罪ものドラマで、個人的に、本作以前に最高だと評価していたのは竹内結子主演の「ストロベリーナイト」でした。しかしこの作品には誉田哲也(ほんだてつや)『ストロベリーナイト』という原作がありました。
 誤解しないでください。女性を侮って驚いたのではありません。扱った作品のジャンル、題材なのです。これも私見ですが、女性ライター3傑というのを決めています。この人たちの脚本なら、それだけで視聴しますし、見逃がしたらレンタルビデオでも鑑賞することにしています。失礼ながら羅列しますと、北川悦吏子(「ロングバケーション」他)、井上由美子(「きらきらひかる」他)、中園ミホ(「ハケンの品格」他)の方々です。
 「アンナチュラル」は、この3人に野木亜紀子を加え「女性ライター4天王」とするよう私に迫ったのでした。




      川面

      川に落ちながら撮ったのではありません。そんな感覚ではありました



. 映画はお友だちというお二人さん、「空海」と「ドリーム」


 「シゲル居るぅー?」『(ドアを開けて)愛子、何か月ぶりだぁ、ま、入れよ』「(踏み込みでコートを脱ぎながら)ちょっと仕事に集中してた」『うそだろー(^^♪』
 というわけで、久しぶりにシゲルの部屋を訪れた愛子との間で、映画中心のおしゃべりが始まりました。ふたりの間がちっとも進展しないのは、以前のブログ記事のカテゴリ「映画」でもご存知のとおり・・・

『愛子、ココアでいいか、ポットのお湯だから少しぬるいけどな』
「うん、コーヒーはウチで2杯も飲んじゃったから、助かる」
『先週、話題の空海、観てきた』
「なに、一人で? ずるいじゃん」
『基本一人だから俺、映画鑑賞は。お前は別だけどな、連れがいると疲れるから』
「何より美味しいお茶うけだわ、そのセリフ」
『(マグカップを卓上において)ま、ほかに連れて行く女もいないし』
「(^^♪さびしい話はいいからさ、どうだったの、日中合作の超大作とやらは」 
『一口で言っちゃうと壮大なる駄作。いつものことだけどこれ、あくまでも個人の感想な』
「いいわよ、テレビショッピングの米印※みたいなコメントなんて、個人の感想を聞きたいんだし」
『では遠慮なく。主役の空海が何の活躍もしないでお飾り。空海の染谷将太だけじゃないんだ、阿倍仲麻呂役の阿部寛や端役に収まった松坂慶子の扱いも最低で、日本での客寄せを考えての起用なのが明々白々だった。ここんところはトム・クルーズ主演のラスト・サムライとは大違いさ。大金を投じてのオープンセット、8世紀の長安の街並みもさらっと映しただけ、あれなら手書きのマット絵でもいいだろと見ながら唖然としたよ。いやいやそれよりなにより、シナリオが全然だめで、物語が胸に迫ってこない。(ココアを啜る)だいいちこの映画の主役は空海じゃない、人間でもない。なんと黒猫だよ』
「まあ、よくそこまで話題作をぶっこなしたわね。たしか原作、夢枕獏よね、おもしろいはずだけどな」
『まさに、はずな。いいんだった猫で、結局。原題確認したら【Legend of the Demon Cat】つまり【妖猫伝】だった。なにが空海、美しき王妃の謎だよ、まったく』
「つまり日本市場向けのタイトル、サブタイトルってわけね、日本の有名俳優起用と動機は一緒と」
『一番気になったのは楊貴妃役の女優かな、たしかに綺麗かもしれないけど、城を傾け国を傾けるほどの美人、つまり【傾城(けいせい)】のイメージには程遠いと思うんだ、見た限り』
「ほほ、誰ならいいの、シゲルは。キャスティングマネージャーになりきってどうぞ」
『レッド・クリフで薄幸のヒロインを演じたリン・チーリンだな、初日に観たあと彼女は夢にまで出てきた』
「はいはい、でも確かもう42歳か3だよ、台湾の才色兼備のモデルさんね、たしかに女でもめまいがするほど綺麗だった、レッド・クリフのとき。シゲルとは別の意味で眠れなかったわ」
『はいはい、ジェラシーは時として最良のエネルギーですよ、頑張って。ところで愛子はなんにも観なかったのか? 映画中毒だから絶対観てるよな、いそがしくても』

「シゲルも観てると思うけど、アメリカ映画のドリーム。1960年代NASAの宇宙開発を支えた影の立役者たちの物語」
『去年のアカデミー賞で3部門獲得したやつな、観たよ俺もDVDで。黒人女性3人がメインだったけど、残念ながら名前全然わからなかった。で、同じ女性の目でどうなの感想は』
『うん。途中にね、カラードに対する不当な差別を直接上司にぶつける強めの台詞があったのよ、管理職志望のドロシーかな、長台詞でね。あれは映画によるメッセージ性を減殺するような気がしたの、わたし少し白けたかな。あんなふうに失職覚悟で言えるくらいなら、トイレひとつ白人と一緒に利用できないなどに代表される屈辱と忍耐の歴史が長くはないわけで、それまで所内で様々な差別に耐えてきたシーンは何だったのかと感じちゃって」
『でも、高評価だったわけだ、愛子の中では』
「え? なんで解かったの、そのこと」
『いまの言い方だよ、何年こうやってふたりで映画のおしゃべりしてると思う。愛子の気持ちの解釈はできるよ』
「ありがと」
『ん? ここ、お礼言うところか』
「なんだ、大して気持ちの解釈できてないじゃん」 
『(空の咳一つ) 3部門の中で脚色賞も受賞しているから原作本があるんだろうけどさ、黒人たちが白人の研究所員の作成した書類の検査・検算ともいうべき仕事をしている、その仕組みのところが物語的には飛ばされているような気がしたんだ。だから最後まですっきりしなかったな』 
「高度な検算をした、つまり大いに貢献したのに上司たちに功を独占されるシーンがたくさんでてくるのね。黒人差別だからって訴えているけど、これって、大きな職場環境では、上司の部下に対するキャリア・アップ妨害なんて日常茶飯事的にあるじゃない、白人同士だろうと、もちろん日本人同士だろうと、描き方に、ちょっと違和感をもったんだけど」
『こうやって話をしていると、いい映画だとは思えるよね、あれこれ観た人が批評したり討論をすること、それ自体考えさせられたってことだもんな、うん。それと観たあとで、つい思ってしまった、いま日本の宇宙開発もどんどん欧米に追い付いているんだなって。生意気に感慨無量になってさ』
「ははっ、まとめていただきました(^^♪」 
『何にもないな』
「えーっ、わたしの?」
『俺んちのこと、食い物がさ。外出て何か食べようよ、もっといろいろ話したいしさ』
「うれしい。あ、シゲルおごり(^^♪」
『はいはい。誘った方が払うのは常識だからね、恋人じゃなくても』
「恋人でもいいよ」
『・・・俺も、そう思ってるけど」

(ここからのシナリオは勝手にしてもらいましょう、さよなら) 



     流れ

   水も恋も、ときどきどっちを向いて流れているのか分からなくなるよね、 激しさと穏やかさの向きのこと


. 「この目で見ている」は、本当に見えているのかな?


 『私はただみなさんのために・・・』と、視覚障害者のバリアフリー活動をしている音声ガイド制作者の若い女美佐子(水崎綾女)が言うと、弱視の元著名カメラマンの雅哉(永瀬正敏)が苦笑して彼女に斬りこみます。台詞をメモしきれていないので、ここでは彼の主張の主旨だけを爺なりに「翻訳」しておきます。『他人(ひと)の「ために」なんて思い上がりだよ、誰でも自分自身のために創作しているんだ。「ために」なるかどうかは他人が決めることだ』と。爺もまた、あらゆる創作に対する印象や評価は、鑑賞者それぞれのものでいいと思っています。さらに『いまのあなたの音声ガイドでは観る人の邪魔になるだけだ』と雅哉。言われた美佐子は内心憤り、方向を見失います。爺は観ていてこう思いました。美佐子さん、あなたは自分のためにやっているんですよ、それでいいんだ。ただ、やるなら質を高めないとね、やっている「自分自身のために」と。

 カンヌの常連になっている映画作家河瀬直美監督の『光』は、次のような特色がありました。①ほとんどの場面が暗い②台詞が少ない③顔(表情)のクローズアップが多い④説明らしきものが無い。②と④の特徴については樹木希林、永瀬正敏主演で元ハンセン氏病患者の社会復帰を扱った『あん』でも同じでしたね。①は光を失いつつある世界を描いている点③は人の目を扱っている点から納得しました。
 美佐子がやっているバリアフリーの映画ガイドは「ディスクライバー」というのだそうですが、これを前面に出して創ったこの作品は、2017年カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞しています。
 映画は①面白い②美しい③ためになる、のどれかに該当しなければ、爺は観たこと自体を後悔するのですが、この作品は、声を大にして③で、非常に良かったです。

 観ていくうちにいくつかの考えさせられる言葉がありましたので、爺なりの解釈でご紹介します。
 『見ていると見えない。見ていないと見えてくるものがある』
 自分が見えている人だという立場で映像のガイドをしていくと、視覚障害のある鑑賞者の邪魔になることがあるというのです。爺はこの言葉の後で自分なりに味わってみました。「目」って一体何だろう、映像を結んでいるのは、網膜ではなく実は、脳という名の心なのかもしれないと。そうでなければ映像の音声ガイドそのものが成り立たないからです。

 「失うことの美学、消えていくことの美学」とは、ある評論家の映画『光』のテーマ論。
 『生きたいと思っても死んでしまうこともあるし、死にたくても生かされてしまうことがある』
 どちらも「美」なのかもしれない。
 『老いてくるとね、生と死の境界がわからなくなるんだ』
 この二つは、音声ガイドの対象になった「劇中劇」としての映画の中から。俳優は藤竜也でした。
 境界がわからなくなってはじめて、人間は従容として逝けるかもしれません。

 ラスト近く、走り寄ろうとした美佐子に、ほとんど失明してしまった雅哉が叫びます。
 『俺は追いかけなくても探さなくても大丈夫だから。ちゃんとそこ(君の居るところ)に行けるから!』
 このときは既に、二人は心の目でつながっていたのでした。
 ちなみにこの作品、脚本も河瀬監督です。

 『説明はしない。(映画は)それでいいんだよ』(黒澤明)
 昔、北野監督との対談での北野映画への評の中で。 
 

. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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