蛙声爺の言葉の楽園

. お盆の日々の東亜の情勢か?


 
     猫と鷺




 奇妙な光景だった。流れの中の石で身動きできない猫。揃って泳いでいたのに猫に対峙して凍りついた鴨たち。離れた石の上で視線を逸らせ、猫を警戒するアオサギ。
 まるで8月15日の国際情勢を思わせる配置で苦笑、シャッターを切った。ただ明るさが不足して、この捉え方にピントが外れているおそれは多分にある。また、どれがどの国なのかは見る人による。
 緊迫感にあふれているわりにはコミカル。三者ともひとときの「休暇」を楽しんでいるようにさえ見える。
 人々の暮らしと経済の流れに似た川は、猫を閉じ込め、鴨の身を浮かせ、サギの喉を潤して、たんたんと流れている。
 夏だと言うのになぜか暗く、空気は冷たい。


     猫と鴨



野良はどこから松川に下りたのか、なぜ石に渡れたのか全く不明。午前5時40分。   


. 「御巣鷹山」と飛行機に乗らない私


 TVの報道によれば、巷では長いお盆休暇ということでエアポートは、飛行機で海外に飛び立とうとする人で溢れかえっている由。そんな中で、520人が死亡した1985年の日航ジャンボ機墜落事故を知る人にとって今日8月12日は特別な日に当たる。32年も前の話だ。当日私は今は亡き母と二人でテレビの事故報道に釘付けになっていた。
 
 群馬県上野村の御巣鷹山尾根に墜落した飛行機事故は、機長をはじめ乗務員のミスが原因ではなく、外国業者の修理ミスが原因で飛行中に圧力隔壁、垂直尾翼などが破損したからだ(航空事故調査委員会推定)という。私は『ダッチロール』という言葉を初めて知った。墜落死に向かい真正面から恐怖に対峙した人たちの数十分という長さを想うとき、目を瞑らざるを得なかった。奇跡的生存者は4名、その中の1人12歳の少女が救助隊員に抱かれヘリに吊り上げられるシーンは、いまもハッキリと憶えている。
『あんなに重くてどでかいものを宙に浮かせることが間違いなのだ』
 長らく抱いていた疑問は私の確信になった。
 飛行機に誘われるたびにこれを口にすると、つねに「いまどき?」と失笑された。
 70歳になった私だが、まだ1度も飛行機に乗ったことが無い。乗ろうとしたことが無いと言う方が正確か。

 13年ほど前に、人事権のある上司から出雲大社へ行く慰安旅行に誘われたのだが、往路は「羽田から飛行機で」だった。丁重に辞退したことは言うまでもない。どう物理学的に説明されようが「浮く方が不自然なのだ」( ̄^ ̄)ゞ
 その後退職になったことも、これまた「言うまでもない」ヽ( ´_`)丿。
 このあたりは、TVドラマ『のだめカンタービレ』のフライト・トラウマ千秋先輩より重症だと思う。

 この事故に関しては数年前に横山秀夫原作の『クライマーズ・ハイ』を観て、想いを新たにしている。
 あえて救いを探せば、この事故から現在に至る歳月の中で、救助組織や救助機器が格段に充実したことか。当時はヘリによる夜間捜索のためのサーチライトも不十分だったらしい。
 遺族はいまも慰霊のために御巣鷹山に登るという。
 あらためてご冥福を祈りたい。



 【頭のリハビリ進捗度③】長編小説7/30-8/10 400字×69枚進む (到達度400字×170枚)
          読み返して校正・推敲する枚数が日ごとに増えていく「恐怖」あり。




      家族

          「家族」を創り続ける彫刻家 重岡建治作(伊東)


. 目指すのは「一罰百戒」か


 大手広告会社を「被疑者」とする「過労死事件」につき、東京の簡易裁判所が検察官から請求された略式命令を不相当として「通常の裁判」へと移行させた。これは刑事訴訟法463条に依るが、検察側に言わせれば被疑者側から「略式手続によることについて異議がない」(同法461条の2)にもかかわらず下されたもので極めて異例だそうな。
 もし略式で行われたとすると「百万円以下の罰金または科料」となるが、大企業にしてみれば痛くもかゆくもない金額だろう。ちなみに当然「執行猶予」も可能なのだ。
 この簡裁判事の判断には少しだが興味がある。

 労働基準法違反の事案は巷にあふれかえっている。特に中小零細の企業では「厳格なコンプライアンスは経営自体を危うくする」として、多くの場面で「無視されてもいる」。しかしそれらを逐一摘発し裁いていくのは事実上不可能だ。そんな事情下で今回は著名な大企業なのだ。おそらく裁判所側は「一罰百戒」を企図したのではないかと思う。人権派弁護士ならこれを「社会への良いメッセージ」ととらえるに違いない。少なくとも一つのリーディングケースになることは間違いないだろう。いずれにせよこの裁判の行方は注目に値すると言える。

 「対価」を気にせず文句も言わず「長い時間」働きさえすれば「良い従業員」。この仕事に関する経済社会的風潮は強固だ。ここには最低でも二つの問題が潜んでいる。①「超過勤務」に対して対価を支払わない②対価を支払いさえすれば制限なく労働させてよい、がそれである。過労死は、①はともかくとして②の問題提起と考えてよいだろう。生きるために食い、食うために働いているのにその結果が死では話にならない。かといって過当競争の社会、営利至上の会社であれば、頑張らない・我慢しない人間は外され捨てられていく。この両者の「要求」のはざまでバランスを取っていくのは誰なのか、何なのか。それが問われているように思う。
 自分自身、上司(中間管理職)、経営者という『人』なのか。
 保護法規、監督署員、検察官、裁判官という法制度と官吏なのか。
確かなのはこれらのすべての関係者に「広義の保身」が絡まるということだろう。しかしだからといって、これを責めうる人間が果たしているのかどうかは分からない。
 
 一行にも満たない『簡裁の略式から正式裁判へ』という見出しが訴えかける内容は濃くて、そのうえ重い。
 


      濁流

       量と勢いを増せば増すほど水は濁るものだ。 「経済も」、なのか。

. 総計と平均は嘘つきの始まり


 かなり正式な数字の発表らしい。敢て「らしい」を付けたのにはわけがある。
 「日本人が銀行・信用金庫などで貯蓄している総額が1000兆円を超えた」
 目を凝らしてほしい、「億」ではない「兆」なのだ。 

 「この数字どこかで?」は正しい感覚。「日本は世界一の借金大国」という「キャンペーン」で見た、いわゆる「国の借金」の総計も1000兆円超えだった。記憶が正しければ「国民1人当たり約870万円の借金になる」という脅しだった。「だから福祉を削り増税を」となるのだった。ところが多くの経済学者や元財務省官僚だった学者がこの主張の「嘘」を暴き始めた。①諸外国と異なり日本国の負債はほとんど自国内で自国民からものであること②日本の持つ「資産」を考慮に入れないで「負債」ばかり言い募っているが、有する資産でどんどん相殺していくと負債額は一気に健全な範囲になる(つまり脅しは「ためにするキャンペーン」にすぎない)③日本と日本銀行はイコールと把握でき、通貨発行権を有しているので諸外国の財政危機と同日に語るのは間違い等々。
 第一それほど日本が国家破産に近いなら、なぜ日本円がいまも「安全通貨」とされているのか。なぜ日本が世界一の「債権大国」なのか、負債を引いた国の純資産額がなぜずっと世界一なのか等々説明がつかない。

 つい話が逸れたが、日本国民の貯蓄額総計1000兆円超が、高額すぎて感覚的にとらえきれない。そこで爺は衰えた頭でもなんとか把握できる計算をした。まず日本人の数を1億人とする。1兆円は言わば「1万億円」、1000兆円は「10000×1000」億円、従って国民一人当たりの貯蓄額は1000万円と把握できる。これを1瞬で把握できる人が多いとは思うが、何分歳なのでご容赦。だいいち桁がでかすぎる。

 愚痴や弁解はともかく、こういう考え方自体が可笑しいと常々思っている。
 いま説明の都合上、「日本人」の総計を4人とする。そのうちの1人が貯蓄4000万円、残りの3人が貯蓄0だとすると、「日本人」の平均貯蓄額は1000万円になる。この総計とか平均とかいう悪魔のマジックは、貧富の差、格差など負の実態を全て覆い隠すことができるのだ。これが県別、男女別、年代別、業種別、職種別、学歴別などの比較平均ならば少しは意義が違ってくるのだろうが。
 このマジックは「サラリーマンの平均年収」とか「今夏ボーナスの平均支給額」とかみんな一緒である。どこをどう切り取っての「総計」であり「平均」なのか。
 多くの人の想いはこれだろう。わたしの、俺の「実際や実感と違い過ぎる」。
 「日本人て金持ちなんだね」
 「ふーん、じゃ私って外国人なんだ」
 



       カオナシはジブリ、クチナシはシニン、この清楚な花の名は・・・カオルちゃん

     クチナシ


. 将棋4段の少年の話題から「飛び級」へ


 14歳の男子生徒がプロの棋士を相手に26連勝を記録し世間をアッと言わせている。歴代の名人上手に臆することも礼を失することもなく「自然体」で対戦している姿は美しくさえ見える。正真正銘の天才である。
 将棋の素人の私が勝負の世界にあれこれ語るのも失礼なので、わが家での「質疑」について記してみたい。
 ①「徹夜で勝負したりしてるけど、年少者の深夜労働制限に違反しないのか」 
 ②「これだけ連日のように対局していて中学の必要出席日数は大丈夫か。つまり落第の心配はないのか」

  ①「労働基準法」はザックリ言うと「「労働者」を「使用者」から護るための法律なので、棋士が法にいわゆる「労働者」でなければ適用がないことになる。同法9条は労働者とは『事業又は事務所に使用されている者で賃金を支払われる者をいう』と定義している。棋士は労働者とは言い難いだろう。従って14歳ということで同法56条の「最低年齢」に該当し、中学生「児童」として20時から5時までの間の深夜業が禁止されている(同法61条)としても冒頭男子生徒には適用がないという結論になると思う。
 連盟は万一関係監督署が適用があるとした場合は誠実に対応したいとしているようだ。

 ②この将棋4段の中学生はこれからも対局を続けるだろう、もしくは続けさせられるだろうところ、卒業するに必要な出席日数が心配になる。「落第」はさすがに古いので『原級留置き』と言い換えよう。分類としては『当人の責に因る事由』と『当人の責に帰さない事由』に大別されるようだが、詳細は煩瑣になるので結論らしきものを記せば、その決定は『学校長の権限』ということになりそうである。確かに連盟も、学校と緊密に連絡をとっているらしい。配慮は怠らないという姿勢が素敵だ。

 この関係で昔、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が私立校を回り、その中で一番欠席させてくれる学校に子どもたちを入れたというエピソードを思い出した。彼は世界中を回るブロだったので可能な限り子供を同伴し、彼らの見聞を広めたかったのだ。彼独自の子育て教育観といえる。
 三浦氏の教育観は、子どもの将来のために役立つ環境を創るという点で示唆に富む。
 冒頭からの話は、その「子どもの才能」が将棋だった場合のものだが、このことは、文学でも、数学でも、科学でも、音楽でも美術でも否、各種スポーツでも同じではないか。「英才」は飛び立たせてあげるべきだろう。
 ゆとりをもって、みんな一緒に、点数は差別、競争は避けましょう、公平に、平等に、平均的に・・・いつか知らず知らずにこんな風潮に陥ってはいないだろうか。それでいて今も世の中は、学芸でもスポーツでも技術でも、いわゆる「ヒーロー」や「ヒロイン」が大好きなのだ。
 この内なる矛盾を取り去って、広い意味の「飛び級」を皆で応援できる仕組みにすべきではなかろうか。




      アカマツ

        松茸は主として赤松林に生える。しかし赤松林に松茸が必ず居るわけではない。
 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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