蛙声爺の言葉の楽園

. 億だの兆だの、このごろ「めまい」がして


 地政学的リスクを抱えて何かと穏やかでない世相ですが、このところ全く別のところで頭がくらくらするようになりました。うちのかみさんなどは重傷で「また億のニュース? チャンネル変えてくれる」と耳を覆うばかりの仕草。
 国家予算額の97兆超はいいとしても、超1流企業の減損処理が2500億、準国営会社の3月連結期赤字が400億、プロ野球の選手某が年俸2億、何とかいうジェット戦闘機が1機116億、ガンの特効薬何某の国の負担が1兆5千億…
 いえね、この辺りまでは「そうかな」程度だったのですが、銀行の駐車場での白昼強盗が約4億、海外への不正現金持出しが約7億ときて「もう勘弁かんべん」なのでした。そうそう、ロト何とかで10億なんてCMもありましたっけ。
 「このごろキュウリが高いわねえ」とか「あのスーパーのポイント、きょう5倍だから」なんてのが日常生活の庶民にとっては、精神的な劇薬でしかありません。兆と億への拒絶反応はすでに生理的なものになっています。「みなさんは違います?」
 いまは廃されていますが『億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ』を思い出しました。もっともここでの「億兆」はお金ではなくて「万民」の意味でしたが。はは、「億兆」が「万」に等しいというのもかなりの皮肉になっていますね、貨幣価値、軽くなっていますから。…「さて景気付けに水でも飲むか」(^^♪




      1輪が群れた花より人の目を惹きつける。そんなことがあるのだろうか。

      つつじ


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. 相撲レスリングを相撲道に戻してくれそうな稀勢の里


 千秋楽、新横綱稀勢の里が優勝するためには、大関照ノ富士を本割(ほんわり)で破り、かつ優勝決定戦で勝利する必要がありました。日馬富士戦で負傷した「左肩悪化のリスク」と闘いながらです。力士生命を大事にして休場するよう勧められていたはずなのに彼はそうしませんでした。その理由は今場所の最終結果を見れば想像に難くありません。横綱は4人になったのにモンゴル出身の3人のうち1人は早々に休場、あとの2横綱は揃って10勝5敗という成績でした。ここで彼が休場したら「恥ずかしながら今場所は崩壊」となってしてしまったに違いありません。
 この日の2戦の勝利に場内はどよめきました。テレビの向こう側で誰かが、「こんな歓声は初めてですね」と仰天。
 彼の今回の言動は、貴乃花親方がよく口にする「相撲道」を思い出させてくれました。稀勢の里への観客の激励と驚喜はそれを証明しています。

 偏見や人種差別ではなく率直な想いを言わせてもらえば、10数年続いたモンゴル相撲上位の流れは、伝統的な、国技としての相撲道から外れていました。「横綱相撲」という概念が消失したと言っても過言ではありません。一言でくくれば「勝てばいいだろ、文句を言うのは差別だ」となりましょうか。立ち合いで格下の力士に対しても醜く横に跳ぶ、どっしりと胸で受け止める器量に欠けるといわれても仕方がない姿勢です。「横綱」が3役を超越した別格の地位だということの意味を理解していないのです。勝ち負けもさることながら「相撲内容」が問われる存在なのです。下位力士の模範となるべき地位なのです。軽量力士の真似をして猫だましを使ってみたり、前に出ず引きまくって醜く頭を押さえこんだり、すでに土俵を割らせて勝っているのに相手力士の胸をドンとついて土俵下に落としてみたり等々「道」を失った相撲は美しさも失ったように思います。一番のマイナスは、こういった上位力士の相撲が番付の下方へと伝搬していく流れでしょう。上がそうなら当然下もそれに倣っていきます。
 仕切りが大事、前へ前へと出て引き相撲はしない、脇を固める、擦り足が基本…中学校の相撲部でも教わる内容ですけど、来場所で結構ですから確認してください。現状はかなりひどい状態だと思います。

 爺ですからご勘弁願いたいのですが、あの「栃錦・若乃花時代」「大鵬・柏戸時代」「千代の富士全盛時代」そして「貴乃花・若乃花の2代目時代」が懐かしいのです。水入り相撲・ガチンコ相撲の数々、度肝を抜かれた大技小技、小兵が巨漢を下す相撲の醍醐味、倒れた力士に手を貸す勝者、寄り切って勝ったあと相手力士が土俵下に落下しないよう支える横綱たち…そういう相撲道が返ってくることを切に願います。
 今場所の稀勢の里は、その相撲道復活の予感を与えてくれました。



  こういう「何様よ、エラソーに」と突っ込みを入れたくなる記事がお好きな方にお勧めの過去記事20発を、新しく設けたカテゴリ <「偉い人」気取り?> に集めてみました。興味のある方は左下のカテゴリ欄の一番上から入ってください。容赦のない口撃、歓迎です。



     城ケ崎海岸に現れたキングコング? 「シン・ゴジラも海からでしたね」 

      岩の顔


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. 自分という「檻(おり)」の中で「世界」をいじるな


 ここ1年ほどの国際的なニュースに接してつくづく想った。

 もう「国際政治」とか「グローバル経済」とか、そういう抽象的な言葉では語れない。
 現れた「事件」のすべては、各国の指導者たちの「心のカオス(混沌)」が起こしたものだ。
 普通ならそれは、個人の問題で済む。
 しかるにいま世界中の人の「こころ」が傷つき、生活や人生までが侵されようとしている。
 いまさらだが聞きたい、『誰が「いま(現状)」を、未来を救えるのか』と。

                          ****

 『人々の中で、人々の意見に従って生きるのはたやすい。孤独の中で、自分自身の意見に従って生きるのも難しくない。群衆の中で、孤独の独立性を快く保っていける人こそ、真の偉人である』 (R.W.エマーソン)
 


       

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. 「赤ちゃんポスト」は「国の宝」を生かすため


 この2月に入って神戸市北区の助産院が記者会見を開き、『命を救う最後のとりで』(神戸新聞NEXT配信)としての『赤ちゃんポスト』の設置計画を発表した。実現すれば熊本市に次ぎ全国で2番目となる。
 世界的にはすでに10か国以上に同様の施設があり、ドイツでは何と100か所に達しているらしい。
 同様の設備を熊本市の慈恵病院は『赤ちゃんポスト』ではなく『こうのとりのゆりかご』という名称にしている。実績は『2016年3月までの9年間で計125人を受け入れた』由である。この数字を「たった」と捉えるか「そんなに」と憂えるかは受け取る側の姿勢によるだろう。
 設備の目的はひとえに、赤ちゃんを堕胎、遺棄致死、殺害から守ることにある。この視点で言えば熊本の上記施設は125人の命を救ったことになる。この赤ちゃんが成長して子を生(な)し、さらにその子が孫を産む・・・と命が続いていくことを考えれば、いったい何人を「保護」したことになるのだろう。また、この施設が命を保全している間に親が思い直して引き取りに来ることも大いに考えられる。さらには施設があれぱ母親が上記刑事犯になることもある程度抑止できるに違いない。
 ちなみに慈恵病院は設立目的や設備につきドイツを参考にしたという。
 こうみてくると、いままで日本に1施設しかなかったことの方が不思議である。

 こういう制度・施設・設備を取り入れようとすると、必ずと言えるほど「人権」「倫理」「違法」「前例」など耳に快い「正義」を大上段に振りかざす「抵抗勢力」が大挙して出てくる。それでいて「もっといい制度や施設」など創りもしないことが多い。『赤ちゃんポスト』のように「理想」論と現実論が真っ向からぶつかる事例での解決策は、「何を守るか」という所期の目的に返ることだろう。
 つまり、【いまそこに在る赤ちゃんの命の危機を救う】という価値以上の否定理由はあるのかということだ。とにかく救っておいて、出てくる問題点を、立法・行政や病院や既設保護施設や世間の善意で解決すればいいと、そう思う。その最初の具体的方途(施設)が『赤ちゃんポスト』でなぜいけないのか。
 今回の神戸市の助産院の会見は、きっと良い方に勢いをつけてくれるだろう。   


 左下の「続きを読む」をクリックすると私の新聞寄稿『親の子から社会の子へ』が出てきます。


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. 不寛容の時代がすぐそこまで来ているのだろうか


 朝一番のネットサーフィンで愕然とさせられました。
 ニュースによれば、滋賀県の介護施設でのこと、71歳の男が咳がうるさいと切れて同室の75歳の男性を車椅子ごと引き倒し、さらに頭を数回踏みつけて脳内出血させ、結果死亡させたというのです。司法解剖の結果で確認されれば容疑者に適用される罰条は「傷害致死」になるでしょう。もちろん一連の行為に殺意があれば「殺人」ですが。
 「逮捕」じたいは1月5日だそうな。なんと、新年の松の内・・・
 「被害者が犯人にしたこと」はただの「咳」ですよ、二人は介護施設で同室の高齢者ですよ、痛まし過ぎます。
 朝からどんよりとしてしまいました(すみません、この記事も同様かも)。

 二人の日常に何があったのか詳細は分かっていませんが、私は、だんだん追い詰められていく「人の心」を、漸減していく心の「余裕の値」というものを考えてしまいました。
 『閾値(しきいち)』という言葉があります。『ある反応を起こさせる最低の刺激量』あるいは『生体の感覚に興奮を生じさせるために必要な刺激の最小値』と定義されています。現代社会、管理社会ではこれが下がっていると説明されています。上記の例で言えば、簡単に怒る、切れる、それがすぐに反社会的な行為に直結してしまう、というわけです。

 覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、昔もありました。後ろの車からクラクションを鳴らされてイラつき降りてその運転手を殺してしまったという「クラクション殺人」、この事件以後私は、感謝のサインとしてのクラクション以外、全く鳴らさなくなりましたっけ。
 さらに隣室の風鈴がうるさいとイラつき隣人を襲った事件もありました。あの風鈴ですよ。将来、セミの声がうるさいと近隣の樹木を勝手に伐り倒す人も出るのではないでしょうか。羽のあるセミの殺戮は難しいでしょうから。
 「昔」だけではありません。最近の、刑事事件に発展はしませんでしたが大晦日の除夜の鐘がうるさいとお寺に止めるよう抗議をしたという「事件」、行政が保育園を造ろうとしたところ一部近隣住民が幼児の声がうるさくて居住環境が悪化するのでと反対した「問題」なども、何か「根っこ」が同じような気がします。
 『不寛容』ということです。それがさらに「利己的な行為」に結びついていきます。
 万一この傾向が拡散していけば、「内向きな社会」に一瀉千里のような気がするのですが、いかがでしょうか。杞憂だといいのですが。

 『やさしさ(寛容)は心の健康の証』だと賢人は言いました。
 自戒も含めて肝に銘じたいと思います。
 


    「注意」喚起するにしてはイノシシ可愛すぎ(^^♪ 出会いたくしてどうするの

       イノシシ
        *伊東市内の、とある公園にて*



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蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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