蛙声爺の言葉の楽園

. 愛子とシゲルの『メアリと魔法の花』


『愛子、エンドロールを見たあとの感想を一言』
「うーん、まあ。シゲルここ入ろうよ、ケーキおいしそうだし」
『甘いものねえ、頭が疲れたってことだな、ご感想受け取りました、まかせるから何か頼んできて』
「その台詞いただきぃ、ここシゲルおごりね」 
    *ということで、『メアリと魔法の花』を映画館で観た二人はすぐそばにある小洒落た喫茶店へ。

「どうして独立1作目を魔女にしたのかなぁ、元ジブリがスタッフの8割ってことでしょ、観に行く私たちも元ジブリの作品と言うことで興味があったんだし不思議だよね、この選択」
『やっぱりそこか。宮崎駿の【魔女の宅急便】が強烈に残っている観客には酷だよな』
「それはないだろうって感じじゃない?」
『米林宏昌監督もこのプランを聞いたとき驚いたらしいよ。それでも撮ったっていうことは或る種の自信かな、違うものを創って見せるという。でも僕は仕方がないと思うんだ。興行つまりお金の責任を背負って長編アニメを創るの初めてな訳だし、製作側の意向に沿うしかないよ。ジブリという看板を掲げられない厳しさというのかな』
「なるほどね不本意ながら、プロとして積極的姿勢に転じてか。たしかに米林監督の【借りぐらしのアリエッテイ】も【思い出のマーニー】も職人芸を出せば良かっただけだと言えるかも。それにしても今日の観客、高齢者ばっかりで驚いた」
『平日の12時の上映じゃ女子供はキツイでしょ、それと期待が大きいのかスクリーン2つ使って1日10回近く上映するわけだろ、それよりこれ、大ヒットの予感する? 愛子的にはどう』
「はははは、君は日テレかい、東宝かい? だいじょうぶだと思うな、3連休から、すぐ来る夏休みと」
『いやいや、カレンダーじゃなくてさ、作品として。メアリは女の子だから是非聞きたい』 
「何をやってもうまくいかないし容姿もいまいちなメアリ、男の子も魔法待ちで、わたしにぴったりってか」
『そこまで曲げてとるな、声の杉咲花は可愛いぞ』
「ごめん。前の2作品はどちらかというと静的な、詩情溢れるものだったので大人は喜んだでしょうが、子どもたちはそもそも動的なものに慣れ親しんでいるので感受しやすいんじゃないかしら。その分、元ジブリの作風目当ての大人の口コミは期待でないかもしれないけどね。ちっちゃい子どもには大人がついてくるし、プラマイで中ヒットはいけるでしょう」
『ジブリで中ヒットなら興収数十億だよね。個人的にはヒットして欲しい。この監督が本当に創りたいものを創れるように。最初が興業側の期待に沿えないと、金も出すが口も出すという鎖がついてきて思うように創れなくなる。邪推はしたくないけどさっきエンドロール見てたら製作委員会に名を連ねた会社・団体が20近くもあった。もしだよ、みんながみんな、こうしてほしい、これはやめてくれ、こういう話にした方が客に受けるなどなど口を出したらロクなことにならない』
「まるで父親だね、シゲルは(^^♪」
『愛子のいうこどもが楽しめるという視点じゃなくてね、正直に言うと魔法のエンドア大学に入学した頃から観ているのが辛くなってた。無用な説明やガタガタ、ドンパチ、びゅんびゅーんに陥っていて、自分なりに創作意図を見つけ出そうとして興味を繋いでいたんだ。そこで見つけたのが、魔法の花はじつは、心を失った科学技術のことなんじゃないかということ。大きい方では原発から核兵器、小さい方では遺伝子組み換え、染色体いじり、再生細胞、人工知能なんかだよね、本当に人間のためになっているんだろうかという問いかけ。もしかしたらこの作品にはそういうメッセージが含まれているのかもって・・・』
「もののけ姫のときの宮崎監督も何か言ってたよね、確か。子どもはすでに何かを感じている、いま具体的にそれが何かは分からなくてもきっと後で解かる。子供たちに何をどう見せるかについて、ぼくたちは責任があるんじゃないか、だっけか」
『さすが愛子だね。おとなもそれを感じて鑑賞してもらえば納得がいく作品になるな、元ジブリスタッフの処女作も』
     *しばしの沈黙。ここでケーキとコーヒーを楽しんだ模様です。

『そう言えば久しぶりだな、デートみたいに外で会うのは』
「気がついた? いつもは狭い部屋でDVD、しかも観てるのがお子様アニメ?」
『映画館以外で会うのも、狭い部屋でアニメ以外の恋愛ものっていうのも、それはそれで問題だろ?』
「どこが? どう問題?」
『そうそうメアリが悪の校長や博士に捕まってしまったピーターを助けに戻るってシーンあっただろ』
「助けるって約束したって言ってね。それがどうしたの?」
『あの場面で、なぜか【走れメロス】を思い出した』
「はいはい、友は信じろってか。了解。ところで唐突ですけど、スタジオポノックのポノックって何?」
『ああ米林監督と元ジブリのプロデューサー西村義明が立ち上げた事務所という会社名の』
「またまた分からん名前を付けたもんだ」
『ちらっと何かで見たんだけど、真夜中の[午前零時]の意味らしい。ゼロからの出発ってことかもね』
「さすがシゲル。これさっきのお返しね。前にジブリの意味も聞いたっけね」
『ああ、サハラ砂漠に吹く[熱風]ね、有名な話なんだけど宮崎監督は[風]が好きなんだよ』
「そうなの。あ、じゃもう一つ。脚本のタイトルところに米林監督と並んでいた坂口理子ってどんな人」
『サトコじゃなくてリコな。ジブリつながりで言うと、高畑勲監督と【かぐや姫の物語】で共同脚本してるライターだよ』
「べつにテストしてるんじゃないからね♪ いろいろありがと、先生」
『そんなに持ち上げなくても、ご馳走しますよ、出ようか、そろそろ』
「こんどはさぁ、映画抜きで逢おうよ」
『たとえばどこ行くの』
「動物園とか。あははははは」


   

.  『聲の形』 

 
『君の名は。』ではシゲルが自分の部屋に愛子を呼んでDVDを鑑賞しましたが(このブログのカテゴリ「アニメ」)、『聲の形』ではシゲルが愛子の部屋に呼ばれました。どちらも創作上の設定ですので世間様の目は大丈夫です。では観終わってシゲルが、愛子の目が潤んでいるのを見つけたところから・・・

『めずらしいな愛子、というか初めて見た、映画で泣くなんて』
「まあ、ちょっとね。みっともなかったわね、でも実体験がある人はみんな引き戻されるかもね。失礼!」
『まさか、いじめる方じゃないよね』
「んな訳ないでしょ、硝子(しょうこ)の立場に決まってるじゃない、ばか」
『あ。ほじくらないから聞きたいんだけど。転校してきて将也(しょうや)にかなり酷いいじめを受けているのに筆談ノートに【ありがとう】って書いたり、、手話で《友達になりたい》って信号を送ったりして、それと常に笑顔ね、解かりにくかった』
「悪くもないのに《ごめんなさい》とかね。そうよね、これは私個人の感じ方なんだけど、ただひたすらもめたくないのよ、反論したり反撃したりしたくても自分がうまく言動で表せないことが分かっているから、いじめてくる子と仲良くするのが一番楽なのよ、あくまでもできれば、だけど。聞こえたし口もきけたわたしでもそうだったから硝子には他の選択肢はなかったと思う」
『で、愛子の場合うまくいったの?』
「とんでも・・よけいひどくなったわ。後悔したわ、いっそ戦えばよかったって、だいぶ経ってからだけど」
『でも硝子は爆発させたよね、過激ないじめが原因のブーメランで仲間はずれになった将也の、机の悪戯書きを硝子が拭き取ってやってた時だよ、【何やってんだ、いいやつぶってんじゃねーよ】と言われて組みつかれて、ついに将也の腕に噛みつき、さらに押して倒して将也の胸を叩き続ける。俺が一番好きなシーンだ、硝子それで当然なんだ、なぜ我慢してたんだ!ってね』
「シゲル、今回読みが浅いよ、硝子可愛さに(^^♪」
『ど、どこが』
「じゃ言うわよ、そのシーンでさ、将也は叩かれっぱなしで叩き返していないんだよ。体力差からいっても叩き返して硝子に暴行しまくり当然出来るよね」
『ああ、おぼえてる、それがどうした』
「この作品の見えないけど一番太い線じゃない、しっかりしてよシゲル君。硝子は結局健常者の学校から離れていって数年が経つのよね。将也が孤独に成長して懺悔をしようと硝子をさがして見つける。そのときよ、少し覚えた手話で《ともだちになりたい》って必死で伝えるわけ。このシーンが唐突に見えないのは、小6の時代、しつこいいじめの動機に硝子への興味があり、根底には魅かれるものがあったから。前の将也叩かれっぱなしのシーンは、数年後の二人の、いわば伏線なのよ、そう思う」
『貴重な見解ですが♪ そうだとしたら、20万もする硝子の補聴器を5か月で8個も捨てたり壊したりといういじめはありえないだろう、え? 愛子様』 
「うん、その件は認める。同感。ただ将也のママが硝子のママに賠償する金額が170万と決めたところから何となく予想単価で割り算しちゃったのかなと。まあ残念な設定だけどここはしらけるわね、確かに」
『問題提起しといて何だけど、それくらい多い回数、それほどの金額じゃないと、バイトして貯めて自分の母親に170万弁済した時点で自分は死のうなんて将也の自責や懺悔は、生まれないかもしれないね』
「なにさ、それなら揚げ足とるなって、このー」
『じゃあ次。この作品俺も基本的に高評価で、あと1回は観たいんだけどね、残念だったところをあと一つずつ挙げようか』
「そうね、じゃわたしから。せっかく大きな社会問題を扱って、しかも素敵な男女のキャラクターを創りながらよ、最後に関係者全員を良い人にしちゃって、日常的なハッピーエンドにしちゃったところ。考えさせるものをスクリーンに残しつつ締めてよ」
『ははは、同じではしかたないな。ラストでも使ってたから形でいくか。登場人物の顔に×印つけたのは最悪だった。観客は幼児じゃないんだから視覚化しなくても結構。それと誰から見ての×なの。①将也から見て? ②将也を見てる人から将也を見て? ①なら誰を見ても×に見えてしまう自分つまり将也の顔に×のはず。②ならみんなから見て×だとされてしまう将也の顔に×になる。結論として曖昧な記号は不要だと思う。第一素敵な絵もストーリーも傷付けてしまう』
「ま、好きだわよこのアニメ、二人とも批判がチンケになるのがその証拠。ところでシゲル、登場人物で一番気に入ったのは誰? わたしは硝子の妹の西宮結弦。まず可愛い、それに繊細、優しさが半端ない」
『なるほど。俺は硝子かな、【わたしが一緒にいると不幸になる】は泣かせる』 
「いままでの話でそうだとすぐ分かりました(^^♪ はいじゃ今回はシゲルがひとことでキャッチを」
言葉って不自由だ!』
「わたしも言うわね。いじめる人間の哀しさ、いじめられる人の寂しさ。はい、おしまい。うちはコーヒーじゃなくてギンギンに冷えたビール出しまーす」
『ラッキー』




      残花

                    「残花」 ≠  遅れて見に来てくれた人のために


 

. 難聴の爺が『聲の形』を観る


 大今良時原作山田尚子監督のアニメ『聲の形』(こえのかたち)。これはいわゆる障害者だけを取り上げた作品ではありません。世の中には、身体的な、目や耳などの障害者ではなく「心」の障害者なら山ほどいます。決して「障害」の中身を狭く解釈しないことです、たまたま耳(先天性難聴)になっていますが、この映画が扱っているのはまさしく「心」なのです。
 作品の解説でも言っていました。テーマは『人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさ』だと。
 内容も単なる「いじめ」問題ではなく、「人間というものの窮屈さ」が前面に出ているように感じられました。

 作者は「声」という漢字を使わず「聲」という旧字体を使った理由を、 「聲」という字は、声と耳と手をいっぺんに使っているからだと語ったそうです、人と人を繋ぐものは声・言葉だけではないということを表現するのにはぴったりだったのでしょう。
 少し説明を加えます。
 「聲」は「声」と「耳」と「殳(るまた)」の合成ですが、この「殳」の下の部分が「手」を表しています。「手話」はここにはまります。さらに上の部分が「矛(ほこ)」を表しているのです。『矛盾』の解義に出てくる『楚人ニ盾ト矛ヲ鬻(ひさ)グモノアリ』のあの人を刺す武器ですね。まさにこの「聲」の字だけで「心無い聲・言葉が人や人の心を刺し殺す」ことがあることを明らかにしているわけです。見事だと思いませんか。
 ちなみに言葉が不可欠と教えている漢字がありますので一言。旧字体の「戀」(恋)です。二人が「糸」を持ち「言」でつないで「心」を基礎に置く。「好き」とか「結婚して」とかはやはり言葉にしませんといけませんね。そう言えば、この映画で一番美しかった言葉は将也(しょうや)には『月?』としか伝わらなかった硝子(しょうこ)の一生懸命な告白『す、き!』でした。

 そうそうヒロインの硝子は「ガラス」とも読めます。私は原作者が数多ある「しょうこ」の漢字からこれを選んだ理由を考えてみました。笑わないでください。透明で、綺麗で、壊れやすい、そして割れたときは触れる人を傷つけてしまう、でした。

 実は掘り下げた感想は後日にしようと思っています。しっかりとヘッドホンを着けて登場人物の息遣いまで拾える鑑賞をしてからと。
 この作品は10代、20代の観客が主だとどこかに書いてありました。しかし実は父母や教師といった大人がしっかり鑑賞すべき作品だと思います。とくに10代は昔或る教育学者が「大人」でもなく「子ども」でもない『ことな』だと言いました。私はこれに漢字をあてはめました、『言無』です。それを聞き取る「耳」を「大人」が持つべきだと思います。

 この映画の一般的な紹介は、ネットやYouTubeに溢れています。
 重複するような記事はあまり書きたくなかったので、こういう記事の形になりました。
 考えさせられる映画でした。推奨してやみません。 


            


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. 日本のアニメは国際的なアートの域


 懸命に創れば必ずヒットする。今回のアニメーションに関する3つの話題はそれを確信させてくれた。実は嬉しくて仕方がない。個人的には、アニメとは手書きのマンガが動くもの、コンピュータが造る「ぬいぐるみ」が動くものではないという想いが根底にある。世界の潮流がコンピュータ・グラフィックスに向かうなかで、それを利用することはしても基本的に手書き感を重要視する日本のアニメは、すでに独特のアートになっているように思う。

 「ヒットするとは思えない」という理由で製作費捻出もままならなかったという『この世界の片隅に』(片渕須直監督)は、一般から資金を調達するクラウド・ファンディングでの短期間目標達成という結果を「武器」に再出発、6年を費やして昨年の11月12日に公開にこぎつけた。当初63館しかなかった上映館は漸次増え、この5月12日に「半年記念日」を迎えている。なんと再上映を含め、いまもロングランが続き観客数も間もなく200万人に達するという。 
 客数、興行収入(以下興収と記す)だけではない。映画評論家の多数が絶賛し、キネマ旬報ベストテン1位、日本アカデミー賞アニメ部門作品賞など数多くの賞を受けた。またこれからは、海外でも公開されるという。戦争や被爆を扱いながら市井の1女性すずが悲惨な状況下を心で乗り越える姿に焦点をおき、反戦を声高にしない分、強烈な印象を残した名作が、嬉しくも正当な評価を受けたのだ。
 次に述べる『君の名は。』(新海誠監督)が昨年度公開映画の興収トップの座に輝いたが、映画の「メッセージ性」では、『この世界の片隅に』が1位になったのだと理解していいだろう。

 去る5月8日東宝は、『君の名は。』の日本での興収が249億円に達したと発表した。時代錯誤的な驚き方をすれば、「たかがマンガ映画」が、である。また海外での邦画興収としては歴代1位になっている。韓国・タイ・中国・台湾が突出している由。
 この作品、男の子と女の子が入れ替わるストーリー部分が強調されているが、ただそれだけの作品ならこれほどまでに観客を呼ぶことはできまい。詳しい感想は、このブログのカテゴリ「アニメ」に譲るが、子どもから高齢者までのどの年齢層でも楽しめる物語と言える。前述の『この世界の片隅に』が《温かさ》がウリなら、この映画は《美しさ》がウリである。
 ただ、こんな指摘もあり私もこれは感じた。『秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』など、「いままでの新海作品との隔たりが気になる」と。この興収の数字がこれからずっと監督の創作の幅に影響を与え続けることを恐れるのだ。「稼げる映画作家」という評価に潜む「危険」と言ってもいいだろう。
 ところで東宝が言っている。歴代興収1位は無理だと。「次元が違う」作品があるというのだ。現在の位置は、254.5億円で3位の『アナと雪の女王』の次で4位。その上の2位は262億円の『タイタニック』。現在も上映中の所がある以上ここまでは無理とは言いきれない。ところが東宝が指さすのは、ジブリの『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)308億円なのだ。その差約60億はキツイ。この不動の興収1位の作品は米国アカデミー賞まで受賞しているのだ。

 しかし、と私は思う。宮崎監督が新海監督にとって「厚い壁」だとしても実は、この5月19日 に引退撤回の公表をし長編を創り始めた宮崎監督もまた新海監督が、厚さの中身はともかく「壁」だと言えるのである。だから観てみたい。3年後でも5年後でも、もし生きていたとしたら私は、この監督の作品を観てみたいと、そう思う。
 過日私は、DVDながらドルビーサウンドで『もののけ姫』(宮崎駿監督・1997年公開・興収193億円)を再び鑑賞した。久石譲の音楽は最高だった。実は私、難聴に高齢が重なっていて大きなモニターで鑑賞した過去の経験では、映画の良さが減殺されていたのだった。今回は質の良いヘッドホンで聴いている。まったく違っていて衝撃を受けた。公開直前ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが広義の意味の「宣伝」のためにこう言ったのだ。『黒澤明の「七人の侍」に宮崎駿が挑戦状を出した』と。この挿話はメイキングフィルムに近いDVD『もののけ姫はこうして生まれた』の中で知ったのだが、最初に作品に触れたときは「違うだろ」とこめかみを引っかいたものだ。それが今回「いや、確かに」と、どこか納得している自分がいた。この映画の米国公開は1999年。「アニメは子どものもの」というディズニーカラーになれていた観客は度肝を抜かれたのである。ここから本格的に日本アニメが北米に羽ばたいていくことになる。なにしろ『もののけ姫』は、興業でそのディズニーと手をつないだのだから。

 日本のアニメは世界中を飛び回ったし、アニメファンは増大した。オタクという言葉もいまや標準らしい。そんないまだから、と上述の鈴木プロデューサーは言う。「とにかくアジアの国々のアニメーターの技術がものすごい勢いで日本に迫っている。日本も安穏としていられない」と。



       東京五輪の新しい競技の名前、何て言ったっけ

      登ってる?亀



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. 美しくも切ない『秒速5センチメートル』

 
*映画オタクのシゲルと愛子が、大ヒットした『君の名は。』の新海誠監督がそれ以前に創った名作『秒速5センチメートル』(2007年・DVD)を観た後で、かなり盛り上がって話をしています。少しの間、付き合ってみましょう。この二人、久しぶりの登場です*

「えっシゲルがアニメを部屋で一緒にってさすがに驚いてさ、ネットたく゜って映画評いくつか読んでみたのよ。でね観終わって最初に聞きたいんだけど、遠野貴樹(タカキ)が初恋を引きずってウジウジしてるだけのアニメって書いてる人がいたんだけど、おなじ男としてどうみる?この作品」
『のっけから大上段に振りかぶったな愛子。うーん・・・だけど1人の女性を心の中で想い続けるのはバカとかだらしがないとかいう前提に立っての批評は次元の問題としてどうなのかな。この作品、人を、異性を想うということの実体を解析してるわけよ。そんなの1回じっと観てれば解かることだよね。俺も鑑賞後のコメントてやついくつか読んだけど、タカキから次の男に乗り換えて結婚て何?女は現実的に割り切れる動物だみたいに言って篠原明里(アカリ)を何となく責めてる奴もいて、少し引いたね俺は。そんな簡単な選択じゃなかったろ、アカリの選択は』
「へーえ、でもね、アカリは嫁ぐことを決めたあとでだと思うけど【1000回のメールを交わしても、心は1センチくらしか縮められなかった】って言ってたわけよ、タカキへのメールで。栃木の岩舟での最後の逢瀬、雪降る中でのキスと抱擁、寒さに身を寄せ合った記憶は何だったのかしらね。わたしなら数年会わなくたって忘れないわね、あの想い」
『それって別の女性だったと思うけど。ま、どっちでも通用するけど。忘れてなんかいないんだよアカリは、婚約指輪をしていても、たぶん式の前夜でも。もひとつ言えば口には出さなくてもタカキにも伝わってるんだ、アカリの気持ちは』
「もう少し説明していただきましょうか、シゲル先生」

『さっきの男の未練みたいな批評にもつながるんだけどね、女も同じだと思うんだ。もちろん人それぞれって突っ込みは甘受するけど、今はこの作品のタカキとアカリの話だからね。 中学1年3学期3月4日の雪の逢瀬の後、二人は共に相手の姿をネガに切り替えたんだ。写真で言う陰画ね、この反対は小学生の出会いから続いていたポジ、陽画ね、ちゃんと明暗や色彩がはっきり写っていて実物そのままの姿をしてる画像。つまり別れの直後からではないにしろ、ふたりはタカキ・ロス、アカリ・ロスの寂しさや空虚感の中で相手を見失わないように姿かたちをネガにしていたんだ。はっきり写っていては現実の寂しさに耐えられないからだよ。転校先の奄美大島でタカキは送信しないメールをアカリを宛名にして書き続けていたよね、書いては削除の繰り返し…。つまりふたりは成人してからも相手をポジに出来なかっただけなんだ、だから嫁ぐアカリも心に焼き付いたネガのままのタカキを連れていく。ウジウジしてると非難するならアカリも同じことになる。だからウジウジ作品じゃないと俺は受け取ったんだ。美しくも哀しい物語だよ』

「なるほどね、じゃタカキがさ、奄美で会った同級の女の子、一途にタカキに恋してた子に対する彼の言動は何なの、解説してよ」
『澄田花苗(カナエ)ね、健気だったねあの子。ところで何か怒ってるのか愛子、気のせいかもしれないけど』
「別にぃ、さ、はやく解説、解説。あのカナエを夢中にさせたタカキの思わせぶりは何なの」
『もともとタカキは優しいという設定なんだ。と、これじゃあ納得しないだろうから、いやだけど探してみるよ根拠』
「よしよし、いい子だ」
『アカリ・ロスの最中だったタカキにとってカナエはポジフィルムだったことは確かだよ。一緒にコンビニ、一緒に通学、遅くなれば家まで送るなどなど。周りも気づいてカナエは同級生にからかわれてもいる。カナエは言う【彼は優しい、時々泣いてしまいそうになる】』
「ほんとシゲルって台詞おぼてるわね。あ、ごめん、それで」
『好きだって告白できないで悩んだり泣いたりするカナエ可愛かったな。うん、ところがねカナエは気づいてしまうんだ。自分を見ていないタカキに。【遠野君は遠くを見てる】、このことば掛詞だったね、私を通り越して遠くにいる想い人、そして進学する東京の大学、つまり遠くを・・・。沁みたなあ、【お願いだからもう優しくしないで】』
「質問から外れてるわよ、ちょっと。このままだと浮気の1種で終わるよ、タカキ君の」
『カナエが自分に夢中な女の子と知りながら彼が、彼女にこう言わしめたものは何。タカキが一番彼女に優しかったのは、カナエをアカリの代用品にしなかったことなんだ。タカキは最後までカナエを下の名前で呼ばなかった、澄田(すみだ)と呼び続けている。だれだって自分に好意を抱く可愛い女の子には優しくする。だけどカナエはアカリじゃなかったんだ』

「罪だなあ、タカキ。だけど、カナエはいい女になるよ、きっと。人は異性という鏡に自分を映して初めて自分を知る。カナエにとってはタカキがこの鏡というわけだ。実はわたし、このエピソード【コスモナウト】の部分がいちばん好きなんだ」
『うーん確かに俺もかな。思春期の恋心の描き方がアカリを描いた【桜花抄】の部分より繊細なんだ。カナエが波乗りでサーフボードの上に立てたからと告白を決意、そのための「待ち伏せ」をする。好きと言えないでいるとタカキが【歩きたいんだ】と先になる。カナエがタカキの上着の裾を後ろからシッカと握る。振り返ってもらうがまだ言葉が出ない。感情があふれて泣き出すカナエ』
「シゲル、君も十分繊細だ」
『そうなんだ、このアニメ、正直なところストーリーは鈍くさいんだ。ありふれてるんだ。でもね、背景の美しさと精緻さで、自分がタカキやアカリやカナエになったような錯覚を起こす。青春にいる人はリアルに、年配の人は何十年もタイムスリップしてそこに。一緒にドキドキしたり、ためらったり、好きな人と歩いたり』
「抱き合ったりキスしたり?」
『さすがにそこまではね(^^♪』
「そこ狙いじゃなくて、まじめに創ってるからなおさらスクリーンの中に素直に入れるんじゃないかな、少し心や想いが錆びちゃった年代の人でも。だれだって青春のときめきは胸に仕舞ってあるだろうしね」

『なんか喉かわいたな、しゃぺりすぎ? どれ、ビールでも出すか』
「あ、わたしやる。それにしても中学1年の終わりごろのアカリ、よく長い時間寒いのに岩舟駅で待ってたね。恋の力はすごいや」
『愛子は待つのかな、雪で電車がめちゃめちゃ遅れて先が見えないあんなときに』
「待ち合わせた相手によるかな。このビールいつ冷蔵庫にいれたの」
『冷えてるよ、だいぶ前だから。愛子、俺が待ち合わせの相手だったら?』
「そのときのシゲルが恋人ならね、たぶんだけど待ってるかな」
『じゃあ、近いうちに遅れてみるよ』
「え、何それ、ちょっと」
『いいからいいから、ビールビール』

*********

『目の前を電車がかけぬけてゆく  想い出が風にまきこまれる  思いもよらぬはやさで
 次々と電車がかけぬけてゆく  ここはあかずの踏切り♪』 (井上陽水「あかずの踏切り」)
・・・・心の踏切りは自動的にはあかないよ、「遠野貴樹くん!」


    これ、何の連なりなの?  Q「カラス何羽隠れてますか」

     連なるもの
        *松川湖にて*
    

     


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蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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