蛙声爺の言葉の楽園

. 「梅雨空(つゆぞら)」の反対が「空梅雨(からつゆ)」だと気づいたとき


 早朝五時、気持ちが良いので散歩に出た。歩道から松川を覗くと鯉たちが我先にと寄ってくる。人が上に見えたら食べ物をくれるのだと条件反射的に捉えているらしい。残念ながらコンビニに行く途中だ。冷たくその場を離れる。民家と商家の間の道、かわいい凌霄花(ノウゼンカズラ)が頬に迫った。少し身を離してお辞儀をしてみる。奈良の鹿ではあるまいし、返礼のお辞儀は無いに決まっている。花びらをちょんと突いて先を急ぐ。広めの路地に目をやると、3匹の地域猫が顔を突き合わせて何やら話し込んでいる。止まって見ていたら1匹が「行けよ」と言わんばかりに首を横に振った。ヤンキーかもしれない。猫パンチが怖いのでサッと目を逸らした。

 コンビニの駐車場に足を入れた時、前方から小太りの中年男が顔を赤くして走ってくるのに出くわした。楽しいのか苦しいのか分からないがたぶん、帰りに甘いもの欲しさにここに立ち寄ると予想した。中で新聞と赤のボールペンとブラックブラックを買おうとレジのところに居たら、やっぱり入って来た。失礼なので何を買うのか確認するのは避けた。外に出たとたんクスッと笑ったことは笑った。

 信号機もなく、めったに車も来ない時間なのに横断歩道を小走りでわたる。「歩道」であって「走道」ではないのに。そういえばネットで『海外の反応』を見ていたら、『車が全然いないのに信号が青になるのを待っているバカな日本人』というコメントがあった。確か「どいつ」だ。他人さまは知らないが自分はまさに「バカ」が当てはまる。早朝でも、信号や横断歩道は避け何もないところで、安全を確認してから道路を横断する。どこがどう違うのか。「信号無視を万一子どもに見られたら…」と、それが癖になっているのだ。

 アユ釣りの人はまだ誰も居ない。いつも見ていたサギもどこかへ去ったようだ。心なしか川面が寂しい。
 前から来た巡回のパトカーが左折して消えた。訳もなくホッとする自分がいる。はっきり言って人相がいい方ではない。顔だけで無慈悲に職務質問を受けては、平凡な爺としては立つ瀬がないからだ。
 そうこうしているうちに終わった散歩。歩数は3000程度だった。
 悔いがひとつ。「あんこも欲しかったな」
 
 



    動と静


       懐かしいので「再録」: この子もたしか独りだった


. 小さいけれど「科学の罪」?


 人間て科学で自然を支配できると思ってるのでしょうか。もし出来るとしたら何だか味も素っ気もなくなってつまらないですよね。第一これからの人間の感性や判断力、大丈夫かな? おおきなお世話ですが。
「ねえ、まだ3月なのにチューリップ満開だよ」と驚く子どもに係の人、「球根を冷蔵庫に入れて勘違いをさせてるんだよ」
「いまは胡瓜の旬じゃないだろ」と知ったかぶりをするとかみさんは、「スーパーに1年中出てるから旬なんて無いの」
「これ古くないかな、臭うぞ」と助六寿司を掲げたら仲間が、「大丈夫、賞味期限の日時確かめたから」
「こんな山林の中に工場は無いよな」と不安を口にしたら助手席の友人、「カーナビだとここだよ、間違いないって」 
「きょうは折りたたみ傘を持ってお出かけください」とお天気お姉さん。俺「どんな傘持っていくかは自分で決めるよ」
「明日どこで待ち合わせる」と男の子。すかさず女の子は「スマホ見て、おすすめデートスポット出てる」

『菜の花や月は東に日は西に』(蕪村) この17文字の大パノラマも、科学で説明しますかねぇ。味気ないな。「月にウサギなんかいないよ、クレーターの影じゃないかなぁ」と子ども。童話もあぶないな、きっと。
 「今日の午後4時ごろから強く降る恐れ」と知らされて実際降った雨を『にわか雨』とは言えません。急に話を飛ばして何ですが「ゲリラ豪雨」など美しい日本の雨の種類に比して恥ずかしいネーミングです。「小糠雨(こぬかあめ)」「霧雨(きりさめ)」「驟雨(しゅうう)」「時雨(しぐれ)」「五月雨(さみだれ)」と比較してみて。「雨」の読み方がみんな違うという奥深さに感嘆します。「篠突く雨(しのつくあめ)」もいいし、「遣(や)らずの雨」なんて色っぽいのもあるんですから。アニメファンの人は新海監督の『言の葉の庭』にでてくる雨にちなむ万葉の和歌(相聞歌※)を思い出してください。
 宣言までされて入ったはずなのにちっとも降らない。「カラ梅雨」はじつは『梅雨』ではないのです。桜の「開花宣言」もそうですが「自然がすることをいちいち宣言するなって」。当たった、外れたは「自然」概念に反するでしょうに。

 朝、サッシ戸の向こうのどんよりした空を見ていたら、つれづれにと言いますか無計画に書き始めてしまいました。
 今度、梅雨らしい弱弱しい雨が降る朝にでも、この続きを書きたいと思います...


 ※『鳴神(なるかみ)の少し響(とよ)めてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ』
 

    風のせいで

         風のせいで穏やかな湖はぶれて波立つ
     
 

. 出せるなら夫婦で出そうゴキちゃんを


 昨夜のゴキ騒動がなかなか面白いので「小さなお話」として。
 このブログを始めたころ、ゴキブリの記事を力を入れて書きました(^^♪
 さかのぼるのも面倒でしょうから、要点だけをもう一度ご紹介します。
 ①ゴキブリは厳格な「一夫一婦制」を採っていて、片方が死んでも「再婚」はしないと言われています。昔は、台所をウロウロする旦那を「ゴキブリ亭主」と、ある意味軽蔑したものです。これはきっと、『男子厨房に入らず』という旧時代の亡霊のせいだと思いますが、これからの時代は違います。浮気をしない貞淑な夫を、敬意をはらって「ゴキブリ亭主」と呼ぶのです。
 誤解のないよう申し上げます。この意味でも「ゴキブリ妻」という言葉はありません。
 ②ゴキブリは不潔と罵られていますが、「学説」によると、彼らの体そのものには人間に害になるものはもっていないそうで、ただ、生息している場所が不潔なところが多いので、「手足」にウィルスや菌が付いてしまうのだとか。「じゃ、やっぱり不潔なんじゃん」

 この素敵な?ゴキブリが、何を勘違いしたのか、ほとんど食品カスの無い「我が家」の白壁に張り付いていました。夜の8時ごろです。さっそく駆除要員のかみさんが、円筒形のゴミ入れとはたきを持って立ち向かいます。え? 男がやらないのかとの非難ですか。私が担当するとゴキを殺処分にしてしまいます。だから担当しないのです。ゴミ箱に収容するためのヘルプは口でも手でもしますが。
 まず1匹、捉えました。心なしかすばしっこさが足りないのでした。ここからがかみさんの神対応なのです。玄関のドアを開けて「ほら、出ろ」と言って無傷で逃がすのです。得意げな彼女に私は冷たく一言。「もう1匹居るよ」と。10分ほど経ったころでしょうか。「あっ!」とかみさんが丸椅子を手にしました。天井近くの白い壁にゴキの相方がへばりついていたのです。「つれあい」の姿が見えなくなったから出て来たのでしょう。今度は手間取りました。多少すばやい奴だったようです。やっと捕らえて同じように、かみさんは外へ放り出しました。何十年と一緒にいますが、ぜったいに殺処分しません。ゴキブリだけではなく、クモもアリもトカゲも、招かざる「客」は平等に扱っていますね、驚いたことに。

 さて今朝になって私の出番です。締め切ったこのうちの一体どこからゴキは「ふたり連れ」で侵入してくるのか。この現場調査がミッションです。ほとんど夜に入られると踏みました。サッシ戸はほとんど開けませんので。開ける時は網戸側にしますし。つぎにダクトの存在です。ダクトは3つ。A:トイレとB:バスとC:ガス台の上から外廊下へとつながっています。
「そんなに詳しく聞いてません」と言われそうですが、文の締めの都合上、記します。
  3コースとも、排気ファン→スパイラルダクト→ベントキャップ→外 と空気は動きます。3つともベントキャップには虫よけネットは着いていませんでした。つまりゴキは通れます。ところがAとBのファンには、しっかりとファンの前にフィルタがあって外から侵入はできません。ということでファンの前にフィルタが無いガス台用のダクトがゴキの侵入通路と確定しました。
「はい? それがどうした」ですか、いえ、ただの「小さなお話」です。失礼しました。 

『空腹かゴキブリ初夏の壁徘徊』 (蛙声)



     城ケ崎海岸



. ネットの漢字クイズにコーフンしました


 実は毎日漢字検定の問題集をやっているのです、頭の体操を兼ねてですが。現在は日常的に最も必要と思われる「二級」で、このほど全ページ全問、完了しました。少し同本に飽きてきましたので、ネットで偶然見つけた漢字のクイズに挑戦しだしたのが1週間前。通常の漢字から植物名の読みに移り、今回はなんと人名の難読に挑んだのです。
 ところが、もう大変で、ぜひ皆さんにもお知らせしたくなりました。
 ちょっと表示に工夫をします。問題の漢字『 』の後ろに私が解いてみた読みを ( ) の中に、続けて正解を「 」内にと。

 最初は数字だけの人名です。『九十九』が「つくも」さんというのは有名ですね、『百』が「もも」なので、そこにくっついているという発想でしょう。この謎解きモデルで頭をひねったのですが、さてさて、です。
 『一』 →私(はじめ) →正解「にのまえ」
 『二』 →(つぎの) →「わかる」 一が二の前なら二は三の前と分かる? たしかに。
 『五五五』 →(みつご) →「ごごもり」 ええ盛ってありますね、はい。
 『七五三』 →(いわいだ) →「しめ」  これは「注連」と同じで辞書にもありました。子どもの成長の一括りの意味があるのかもしれませんね。
 『九』 →(くいち) →「いちじく」 
 数字はこのあたりでやめて、「ええっ?」というのをいくつか。何だか私が解けなかったのものばかりですがご容赦ください。
 『雲母』 →(きら) →「きらら」 
 『春夏秋冬』 →(しき) →「ひととせ」
 『海千山千』 →(したたか) →「ふるて」 これ、爆笑しました(^^♪
 『眼目』 →(ねらい) →「さっか」 たしか『属』も「さっか」でしたよね。
 『百千万億』 →(もちづき) →「つもい」 私はこれだけ金があったら満月だわなと解釈しましたが、こうなるともはや「なぞなぞ」。

 お後がよろしいようですので失礼します。
 そうそう、下の写真ですが、かなり思い切ったネーミングなので看板をパチリ。じつは中の清潔さに相当の自信ありとみました。

     ある公衆トイレの看板

       

. 手と爪のお話


 またまた早く目覚めてお気に入りのブログを訪ね手と爪に関する繊細な文章に出会いました。すると不思議なもので、すぐにいろいろ思い出すんですね、手と爪に関する過去の出来事や歌詞の数々を。

 年配の方ならご存知だと思います、次の二つの歌。どちらも壊れやすいおとなの恋を切なく表現していました。
 大塚博堂『めぐり逢い紡いで』はこんな歌詞でした。『はじめてつけたマニキュアが もろい割れるはがれる』 この時代はレコードなんて買えませんでしたので、初めて聞いたのはラジオでした。それから何十年も経って、テレビの音楽番組でふたたび。艶消しで申し訳ないのですが、いまの私の場合、「もろい割れるはがれる」は爪本体への危惧です(^^♪
 ペギー葉山『爪』は男の癖を扱っていました。平岡精二作詞作曲ですから、なんとなく男の寂しさのほうに心がシンクロしてしまいます。心を残しつつも去っていく女が言います。『もうよしなさい悪い癖 爪を噛むのは良くないわ』

 60歳ぐらいのことでしたか、歳月を経ている私の手に「酷評」が突き刺さりました。当時18歳だった部下の女の子ですが、ある日、そうそう、当日の作業の説明をしているときでした。私の手の甲をジッと見て「年をとるとこういう手になるんだぁ」と言ったのです。無邪気な率直さに、つい手を引っ込めて、それでも笑顔を作った私でした。
 その子もどこかで暮らしていて今は28歳のはず。そのうちさらにさらにと歳を重ねて、いつかきっと自分の手を見て「こんなになっちゃった」と嘆息するんでしょうね。賢人曰く『子どもを叱るな来た道じゃ 年寄りを笑うな行く道じゃ』


 
     
     松川河畔遊歩道

        桜は化粧の達人、いつもの散歩道なのにうきうき感も出る

. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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