蛙声爺の言葉の楽園

. 『タッチ』のみなみちゃんは団塊世代のアイドルか


 まず表紙のイラストを見てください。「おー、なつかしい!」と目が点になったあなた、もしかしたら団塊世代でしょうか。はい、あだち充(みつる。本名安達充)の大ヒットコミック『タッチ』のみなみちゃんと達也くんです。

     タッチ1
      *我が家の炬燵板の上にて撮影。小学館『タッチ』ワイドバージョン第9巻の表紙*

 このコミック、1巻あたり410頁から435頁程度と分厚く、しかも11巻もあります。本棚に並べると31センチもあるのです。少なめの410頁に11冊を掛けると総頁数は何と4510頁ですよ。「それがどうした?」と言われると「いや、べつに」と頭を掻くしかないのですが、ここ数年続けている身の周りの整理に関係するのです。

 じつは2週間ほど前に地域のテナントビルの「屋内広場」に掲示しました。ア〇マゾンで購入した中古本で11冊全部を無償でお譲りしますと。この掲示板、「譲ってお願い」と「有償譲り」「無償譲り」の3種あるのですが、無償のコーナーはペットの子猫が多いですね。
 猫はさておき、親なら「こんな娘がほしい」「女の子が生まれたら名前はみなみに」「息子の嫁にはこんな女の子がいい」、学生・生徒なら「こんなカノジョほしい」と大騒ぎになったヒロイン朝倉南を「資源ごみ」にしたくはないとの想いからの掲示ですが、予想に反して反応がないのです。「きっとすぐに連絡入るぞ」と、綺麗めの、しかも重い本を入れても破れないと信ずるに足る紙袋に押し込めて、上には埃よけの風呂敷までかけておいたのに・・・。

 この一世を風靡した『タッチ』は『少年サンデー』に連載されてブームになり、1982年には第28回小学館漫画賞を受賞しています。その後TVアニメにもなり、あだち充自身ファンだという岩崎良美が歌ったテーマソングも流行りました。と、ここまで来て「ん?」と計算しました。受賞はすでに35年も前、もう「過去」の作品なのかもしれないと。確かに地元で1番大きな書店にも並んではいませんでした。見かけなかったから欲しい人がきっといる。それも今回の動機だったのでした。
 「やさしさ」と「気づき」にあふれ、心の機微とユーモアにも触れられるこの名作が「過去のものねえ」。
 「でもまあ、3月下旬の掲示期限までそのまま諦めないで出しておこう」と決めました。

 それと明日2月の9日はたしか、あだち充の66歳になる誕生日なのです。
 「ふーん、俺より4つも若いのかぁ」
 

       タッチ2
         *半端に我が家が明るいのでフラッシュしないなあ*



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. 定価600円の「手塚治虫」

 先日ファミマに入ってすぐに『明日、人に話したくなる10本の手塚治虫』と題したコミック誌を見つけた。「2014年9月10日初版発行」とあるから出たばかりだ。発行所は、爺の子供のころから存在していた秋田書店。価格は何と600円だった。購入したのは言うまでもないが、『興味をそそる漫画を収録』で厚さ3センチ超、400ページ超の手塚治虫がねえ」と嘆息。この人、若かりし頃の爺の「神様」だった。医学博士で、コミック界の巨匠、常に扱う題材が異なり、自分自身の手で直接描く。ストーリー作家と絵描きの分業が盛んになっても、ひとり自ら物語を創ることにこだわる作家で居続けた。「はやり」に迎合することを嫌い、作品の裏には常に、強い背骨に支えられた明確な「主張」があった。
 『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『三つ目がとおる』、『火の鳥』、『ブラックジャック』、『ブッダ』…そのどれもこれもが爺の心を揺さぶった。大人になったつもり、教養はつけたつもり、目は肥えたつもりと、いくら胸を張っても、この人の作品は爺の自慢高慢の鼻を圧し折ってやまなかった。おかげで鑑賞眼も変貌を遂げている。手塚作品で衝撃を受けた作品を、いま挙げてみれば判る。『シュマリ』、『ばるぼら』、『奇子(あやこ)』、『きりひと讃歌』など、なのだから。

 昨日、例によって「見る価値がないようなテレビ番組の中でも少しは」というものを探していたら、「NHKアーカイブスシリーズ1964」なる番組を見つけた。『ガロ』を扱っている。とすれば白土三平が絡んでくると踏んで見入った。ここで手塚治虫でさえ「もう終わった」との世評があったことを知る。たしかに『カムイ伝』に代表される「劇画」の勢いは凄かった。物語よりも感覚重視の作品も氾濫した。しかしそれは、手塚治虫の世界とは「土俵」が違うと、当時から思っていた。ましてや当の巨匠が白土三平や後の水木しげる、矢口高雄にある種の「嫉妬」を感じていたとは思いたくはない。
 復活した巨匠、『ブラックジャック』で再生した手塚治虫をみれば、それさえ「とりこし苦労」にすぎないのだが。
 ちなみに手元の資料『手塚治虫­―地上最大の漫画家―』(河出書房新社)の中で手塚は、白土、水木両氏を「今でも通用するものを書いたカリスマ」と、評価している。

 最後に、冒頭の『10本の手塚治虫』を読み終えたところで、昭和新山誕生秘話とも言える『火の山』が一番心に残ったことを言い添えたい。短編10作それぞれに「へーぇ」と驚きはあるが、この選択には爺の中で「御嶽山」の噴火が絡んでいるかもしれない。

. カムバック「アラレちゃん」

本当はずっと前からなのかもしれないが、爺が食事時に某局のテレビを見ていて「発見」したのが極最近なのでご容赦ありたい。あの、一世を風靡した鳥山明の「アラレちゃん」が突然画面に描かれだしたのだ。ご無沙汰してました。このTV-CMは、車の「SUZUKI- HUSTLER」。どんな車かは試乗していないし、実物を見てもいないので分らないが、きっと元気で、愉快で、ワクワクするような車種なのだろう。そう思わせるものが、アラレちゃんにはある。

 かつて人気を争った「サザエさん」「アンパンマン」「キティちゃん」たちが、キャラクター商品としてもずっと生き続けてきたのに、なぜか姿を消していた彼女。以前書いたように我が家にも何故か「アラレちゃん人形」が居るので、少しく不公平感を持っていた。確かに上記の先輩たちの「在職年数」には敵わない。キティちゃん一つとっても、爺が中学生の頃から、つまり半世紀も前からスターだった。それでも単位年数当たりのヒット量で比較すれば全く遜色は無いのだ(なぜこんなにもチカラコブを入れての応援なのか自分でも不思議だが)。「ゆるキャラ」タイプのものは、すべからく「可愛く」なければならない。サザエさんよりワカメちゃんが、アンパンマンよりバイキンマンが、アトムよりもウランが、それぞれカワイイようにだ。幼児は時を超えて何度も「再生産」される。情操教育にも役立つ「彼ら」は、ぜひ公平に扱ってほしい。今回のSUZUKIさんのご英断に拍手!
今回のブログは何かヘン? かも。
 いや「かも」は要らないだろう。ではまた。「んちゃ」

 ちゃっかり「自白」を逃れるところだった。実は爺、当初「Dr.スランプ」(アラレちゃん)の価値を認めなかった。「ずいぶんふざけた内容だ」と感じたのだ。数年ほど経ってから単行本で何巻か連続して読む機会があった。そのときも斜に構えた「姿勢」で臨んでいたのだが、或る処まで来て、したたか頬を叩かれた。「この作者、こどもに斬新な発想の必要性と楽しさを教えようとしている」と。ふざけた評価をしていたのは自分だった。常識的・画一的な物差しでしか作品を「測って」いなかったのだ。それゆえ鳥山明は爺のいわゆる「先生」である。
 以後、作品の第一印象に溺れず、多角的に鑑賞しようと自戒を重ねている。

. コミック天国

 いままさに「コミック天国」なのだが、PTAではないので嘆いたりはしない。何をかくそう爺は、幼少のころから中年にいたるまでの長きに亘って漫画、劇画、コミックのファンだった。いやもしかしたら、それらは国語と美術の先生だったのかもしれない。
 時間をかけて自分に影響を与えた作家・作品を掘り出してみた。

 手塚治虫。言わずと知れた巨匠で二三選べと言われたら唸ってしまうほど困るのだが、無理やり厳選すれば「ブラックジャック」と「きりひと讃歌」だ。「ブッダ」をどうするんだと、自分の中の誰かが騒いでいる。医学部を出た漫画家でなければ、かくも見事に人間の心にメスを入れられはしなかったろう。ピノコの存在は温かい救いだった。

 ちばてつや。これはもう「あしたのジョー」で私的に異論がない。ちようど文京区音羽の講談社の近くで牛乳配達のアルバイトをしていたとき、ジョーの宿命のライバル力石徹の葬儀が行われた。この物語の凄さは、丸ごと私見で恐縮だが、ジョーと力石、ジョーと葉子の間の「絶対信頼」だ。

 あだち充。「みゆき」もいいが、「タッチ」が一番だろう。きっちりタイプの兄の遺志をちゃらんぽらんタイプの弟が継いで甲子園。あったかい家庭がやさしい子供を創る。そのことにあらためて気づかされた。浅倉南が春の風のように爽やかで可愛い。当時「みなみ」ちゃんと名付ける親が急に増えたのもうなずけるというもの。

 白土三平。「カムイ伝」は衝撃だった。作者の史観もさることながら、人間というものの本質というか性(さが)というか、その各層、各種の抉り出しに吃驚した。これが「劇画」か。爺は掲載誌「ガロ」ではなく貸本屋の単行本で鑑賞したのだが、精神的な興奮はいま思い起こしても半端なものではなかった。

 たがみよしひさ。「軽井沢シンドローム」は最初、批判的に見ていた。批判するなら見なければいいのだが、何か新しいものを感じていたのだろう。登場人物の顔やスタイルが時折変わってしまうので、ストーリーまで混乱しがちだったのだ。コミックのルールに反すると感じたのを覚えている。耕平と薫や、ぞろぞろ出てくる若者たちの広義の「風俗」が衝撃的、彼らの恋やセックスが「ゲーム」なのだ。悪魔的な新しさだった。

 矢口高雄。「釣キチ三平」が美しかった。いや、人物もさることながら、背景がだ。大自然の描き方が精緻で躍動的で、言い換えればいつもキラキラしていた。釣りはまったくやらない爺だが、それでも鑑賞を続けた。まあ、ユリっぺが可愛かったということもある。

 さいとうたかを。「ゴルゴ13」はなぜ数十年たっても歳をとらないのだろう。まるで「マンガみたい」。そう、これはすでに「漫画」ではないのだ。そう思わせるに十分な脚本だ。ストーリーを創る人と描く人の分業。これを最初に始めた作品なのではないか(一番にかどうかは別)。いまはストーリー作家多数といわれている「ゴルゴ13」だが、当初は小池一夫一人だったのではないか。そう、あの「子連れ狼」の物語作家だ。探査・精査はしていないので確証はないのだが、双方のファンだった爺は、設定とストーリーに近似値性を感じた記憶がある。まちがったら「御免」。

 鳥山明。「Dr.スランプ」もちろん、「あられ」ちゃんだ。いまこれを書いているこのときに首を右に振るとなぜか、でっかい眼鏡をかけた「あられちゃん」人形が居る。かみさんに「あれ誰からもらったんだっけ」と聞いたら「知らない」と。はて? おそらく「んちゃ」とか言って飛んできたのだろう。変わった感じのアンドロイドだから。ちなみにこの作者がこの後でも大ヒットをとばすが「ドラゴンボール」は見ていない。爺はあられちゃんの「こどものまんま」の鳥山明がすきなのだから。
 






. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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