蛙声爺の言葉の楽園

. 「触っても壊れない彫刻」




     重岡健治

      

 このブロンズ像の作者は、伊東市大室高原在住の重岡健治、イタリアの彫刻家エミリオ・グレコに師事した高名な彫刻家である。
 雨上がりの塔が礎石に映っていたので、息を止めてシャッターを押した。

 朝日を浴びた像をじっと見ていると、作者の言「つながっている」が聞こえてくる。
 今回のブログ記事のタイトルは、彼が大事にしているというコンセプトである。

 この朝は、言葉を一つも発せずに5000歩も歩いている。

. 竹久夢二の世界にしばし留まる


 「なぜこの人の描く女性は儚(はかな)げなのだろう」
 展示会場のギャラリーのオーナーでもある市議の解説を拝聴しながら、私はうっかりそれを口にした。30数点に及ぶ作品に囲まれていると、うちの母が子どものころに生きていた大正時代のロマンが染(し)みてくるような気がした。
 嫋(たお)やかでためらいのない線とパステルカラーが活きる色づけ。ほとんどの婦人が真っすぐにこちらを見ていない不思議。顔と手が時として微妙にバランスを崩している妙。胸元を広く開けてみせる女も・・・彼女たちの色香のせいなのか、何なのだろう、この胸苦(むなぐる)しさは。


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       *湯の花通りのギャラリーヤマモトにて購入*


 明治17年に生まれ昭和9年、50歳という若さで逝った竹久夢二。画家にして詩人、童話作家、装丁家。ものの本によれば彼は、「日本のロートレック」とも称されるとか。
 「なんか違うな」と、今度は口に出さずに言ってみる。
 彼は千葉で或るとき19歳だった賢(かた)という名の女性に出会い1篇の詩を創る。のちに原詩は夢二自身の手で3行詩に変えられて発表されたという。
 『待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ  今夜は月も出ぬさうな』
 「賢」を待っての詩とも言われるが、たまき、彦乃、お葉と多くの女性と暮らした彼をみると、もしかしたら彼の一生に通じる想いなのかもしれない。同居歴がある3人の中で婚姻したのは「たまき」1人だという。その彼女でさえ離婚、その後も同棲、別居を繰り返していた。彼はついに「運命の人(ファム・ファタル)」には出逢えなかったのではないか。そう、ウィーンの画家グスタフ・クリムトのように。美貌、容姿では語れない理想の女を求める姿は痛ましく、だからこそ彼らの描く作品は美しい。

 さらに妄想をたくましくすれば、彼女たちは誰一人夢二を「直視」しなかったのではないか。直視できなかったと言っても夢二にとっては同じ。夢二は恋をしながらもいつもそれを感じていた。彼が描く女たちが揃いもそろって「同じ視線」であることが証左ではないか。
 そう思いたい自分が居るだけ。そうかもしれないのだが。
 ・・・久しぶりに「絵の世界」に浸(ひた)った。  
 


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. 或る視点のフォト5枚


 カメラを壊してしまい新しくしたところ性能が良すぎたのか「ファイルあたり5MBまで」というブログのアップ制限に引っかかり、ただいま善後策を講じています。で、今回は或る視点をもって撮った写真を5つ集めてみました。すでにどこかの記事で出しているものもあります。
 5枚に共通する「想い」は、「写真で絵を描いてみたかった」ということでしょうか。ご覧になって皆さんは納得なさるでしょうか。

 ①透視図法を連想しました。白熱灯の灯りが哀愁を帯びていました。終着駅は皆そうですよね。「出口」の掲示は意図的に入れました。
 
 
終着駅
           ①修善寺・虹の郷の終着駅

 ②マンホールの蓋は鉄製で、下はどうやら温泉排水のようです。冬の朝、のらの生活はきびしそうですね。駐車場の空間は、あえて広く撮りました。一人ぽっち感をだしたかったのです。

暖をとる野良猫
           ②伊東図書館近くの駐車場・暖をとる野良猫

 ③元旅館のこの施設は現在観光施設として伊東市が管理しています。松川の対岸からこの灯りを観たとき、観光旅館というものの厳しさを実感しました。私のデジカメではこの質が限界でした。

すでに公営施設になった東海館の夜景 
           ③伊東・木造の東海館の夜景


 ④朝の逆光という「悪条件」で像の周りをグルグル回り、撮影ポイントを探しました。著名な芸術家の作品で、三浦按針が帆船をこの地で建造した史実に因みます。受けた印象は「がんばれ!」でした。 

伊東海岸按針1
           ④伊東海岸にある帆船の像

 ➄真っ直ぐ歩んでも揺れて先細りになる「道」。下を見ないで上を見て歩くことにしましょう。
 撮影上の困難は、常に観光客が「画面」に入ってしまうことでした。肖像権というのもありますしね。実際の橋の幅よりも狭く処理してあります。
 
  
釣り橋
           ➄伊東城ケ崎海岸の吊橋


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. 昭和の爺がたのしむ「絵」とは?

 68歳の爺ですが、この年になっても「絵心」は消えないようです。誰々の長電話につきあっていて、ふと気づくと手元の紙に親父の変顔や比較的可愛い女の子の顔を描いていたという経験はしばしば。絵を鑑賞するのも好きでよく美術館に行きます。アニメやイラスト好きのブロガーを訪問するのも楽しみの一つ。ただ本格的に絵に取り組んだ記憶はないんです。確かに、ひ弱だった小学生の頃は体育の授業に参加できず、いつも「お絵かき」でしたが、これは「取り組んだ」とは言えません。
 絵はいつの間にか「運動コンプレックス」と繋がり、その反動で中学で運動が解禁されるとすぐ柔道部に入っています。こういうところ「変人」です。それでも消防庁主催の六大都市防火ポスターコンクールで特選になったので、絵を密かに「自慢」にはしていました。何か自分の中に持っていないと寂しいですから。あ、「六大都市」という言葉、いまの人たちは知りませんよね。東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸を指します。
 調子に乗ったわけではありませんが、美術の先生の推薦を受けて商業デザイン科に入ろうとしたことがあります。もっとも軽い赤緑色弱という「欠陥」を面接の先生に突かれて断念しましたが。これがかなりの打撃で、絵を描くことを止めてしまいました。
 話は飛びますが、カシニョールという画家がいます。この人自分のお気に入りの「彼女」を描きまくっているんですが、「赤緑色弱かも」と直感しました。くだんの工業高校の先生も「グラフィックデザインは無理だけど絵はいいんだよ、色弱でも」と言ってましたっけ。何の慰めにもならない台詞でしたが。
 伊豆に来て四半世紀ぶりに絵を描くはめになりました。文芸同人誌の編集を始めたのですが、童話が寄せられてきたのです。風の子「ヒュルルン」のお話でした。挿し絵が無くては寂しいので、ついつい手を出してしまったのです。

    
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          空を飛べるヒュルルン                   ヒロインの美里ちゃん 

  不思議なもので封じたはずの「絵」が私の中で蠢(うごめ)きだしました。とは言っても、あくまでも童画の「仲間」という狭い範囲で、でしたが。

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             田村春「ヒュルルンがとおります」(「岩漿2号」24頁・平成10年)

 同じ誌の4号には『けんちゃんのかさ、みーつけた』という童話が来ました。このときは編集上、物語に添って何枚も挿絵を描くというのは無理だと悟り、タイトル頁だけの挿絵にしました。こんな感じです。

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 画像の大きさがまちまちなのは、保存方法が異なるためで、大きさをいじると粒子がラフになってしまいます。なぜか原画が無くなってしまい、カラーではありません。ご容赦・・・。
 時間がいっぱいあるこの齢、自分の愉(たの)しみとして再々度「絵」の復活をと考えていますが予想以上に諸々忙しく、「パソコンで水彩画を描く」というソフトを兄からもらっているのに、なかなか勉強が進みません。
 いろいろ拝見しているブロガーのイラストがプロ並みに綺麗で精緻なので、気後れもします。 昔ながらの、つまり昭和の「絵のたのしみ方」でいいのかなと、そんなふうにも思っています。
 ではおしまいに「もういちまい」。

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. 美育に誘われて

 梅雨らしい雨も午後には止むと報じられて、熱海市桃山にあるMOA美術館に出かけた。
 2階入り口でチケットを買い入場したので、真っ先に出会った美術品が、ロビーに在るフランスの彫刻家マイヨール作の裸婦像『春』だった。マイヨールと言えば、爺の中では『地中海』しかなかったが、目の前に立っていた裸婦は、凛としてはいても艶やかさはなかった。あえて言えば熟していない裸体で「蒼い性」を感じた。しかし、それゆえ無限の美の可能性を秘めていると、言えるのかもしれない。

 「案内嬢」の掌に従って入った最初の展示室は、太閤秀吉が造らせたという『黄金の茶室』の復元のみ。躙(にじ)り口で身分の如何にかかわらず身をかがめて入ることを求め、有り合わせのものでもてなすことを至上としている利休の「茶の湯」に、真っ向から対立する構えになっている。秀吉から自慢げに見せられた利休の落胆と憤怒如何ばかりかと。説明役には気の毒だったが、耳を傾けることもなく退去した。時代劇風に言うなら、「茶を解せぬ猿秀吉の得手勝手な自慢高慢、実にくだらぬ」。

 岩佐又兵衛(1578-1650年)という名は初めてだった。旅の途中盗賊に襲われて殺された母常盤御前(ときわごぜん)の仇を討つ青年源義経の伝説を、彩色豊かな絵巻物にしている。言葉だけでなく本当に「巻物」なので少しく感動した。かなり長尺で、複数の展示室を費やしていたこの『山中常盤物語絵巻』は、今期の特別展示物に該(あた)るらしい。

 創立者岡田茂吉の名を冠した美術賞受賞作などを展示した室。着物などはまったく無知なので、ただ見るのみ。それが退出する直前に観た巨大な絵の前で硬直した。しばらく時間が止まる。「すごい感覚だ、これ」。植田一穂『夏の花』(2007年)。初めて出遭う名前だった。感動を呼ぶであろう未だ観たことも無い絵、「沢山あるんだろうな」。何の脈絡もなく自分の年齢を想った。

 国宝の、尾形光琳『紅白梅図屏風』は限られた期間だけ本物を展示するらしい。会場には、その旨が掲示され、いわゆる「写し」が立て掛けられていた。これは観たかったので残念至極。

 『美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯(たの)しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する』(解説文)という故岡田茂吉の、そして文化財団の信念は、正しいと思う。その上で、「美」の力を借りて、情操教育にとどまらず、『生きる力』そのものを養う『美育(びいく)』(同上)につなげる。これも素敵だ。
 爺が知る限り、従来教育は知育、体育、徳育で語られてきた。ここに「美育」が加えられるとき、これからの子ども、そして大人はどう変化していくのか。この日6月12日は、楽しみがひとつ増えた日になった。

 

 
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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