蛙声爺の言葉の楽園

. 久しぶりに絵の世界の中へ


 かみさんがいそいそと孫のところへ遊びに出かけたので、一人市内の街に出ました。ローカル紙のイベント案内に『イラスト絵画展』がふれあいセンターで開催されていると載っていたのです。
 まずは「こんにちはぁ」とアットホームな感じの会場に入り、来場者名簿に住所氏名を記しました。

 入口に立っていっぺんに全てが見渡せる程度の展示場でしたが、掲げられた絵の数々はなんと細密なものでした。絵のサークル会員と言うことでしたが、とてものこと素人とは思えません。いわば「目がテン」でした。
 この展示会の正式なタイトルは『内田進と17人の仲間たち』。私はうかつにもと言いますか、恥ずかしながらと言いますか、この内田氏という画家を知りませんでした。会場の一番奥に掲げられていたのは、まさにその人の絵。すべて魚ですが、ただの写実画とは違います。それぞれの魚の目が、顔が、性格まで表わしているかのように活きています。ミニアクチュール(細密画)を通り越して『スーパーリアリズム(超細密)』なのでした。ため息が出たものです。
 
 こういう人が伊東市在住なのに、自分は毎日「文化の探索」もしないでと、帰路はヘコミがちな足取りでした。
 帰宅してネットで『内田進』で検索し、記事数か所を読んで、ようやく彼の凄さが解りました。
 検索するためのURLもご紹介しておきますね。

       内田進の世界

 


     

. 「自分」三昧で選ぶブログフォト

 
  ブログのために撮った写真の中で、少しこだわったもの6枚を選んでみました。
  「自分が好きな写真」の第2回になります。
  コメントの2段目は関連「ダジャレ」です。




      和風2

     ほんとうは路地の石畳を撮るつもりでしたが、目線を低くしたら竹が綺麗で、つい浮気。
     竹が干されて割られて縛られて一言、「チクショウ(竹生)」




      冬木立
 
     同じところを何度も通りましたが、日差しが入って日本画風に見えたのはこの時だけ。
     「日本がーっ」は日本ファースト、それともあの国カンコク?





      太陽と芒

    真昼の月とススキがイメージできました。太陽の位置と周りの淡い雲が創った不思議。
    ススキは薄と書いて薄い、じゃあ濃はどんな草なの、答えは「NO!」




      亀

     石と亀の「絵柄」は数種ありましたが、三匹の絡みが一番面白かったのはこの石の上。
     虫を三つ重ねた蟲もムシ、亀は三つ重ねても「かめへん」(但し関西)




      光と水

     現場ではもっとキラキラ。川底と水面のどちらにピントを合わせるかで迷い、この程度。
     映るのは川底で決まり。ソコまで気づかずウロウロ




      水鏡

       雨水が作った水鏡。落ち葉と樹々と雲と、どれが欠けても困る「絵」。
       手かがみ、水かがみ、合わせかがみ、前かがみ。顔が映らないのはどれ    
    
 

. 「触っても壊れない彫刻」




     重岡健治

      

 このブロンズ像の作者は、伊東市大室高原在住の重岡健治、イタリアの彫刻家エミリオ・グレコに師事した高名な彫刻家である。
 雨上がりの塔が礎石に映っていたので、息を止めてシャッターを押した。

 朝日を浴びた像をじっと見ていると、作者の言「つながっている」が聞こえてくる。
 今回のブログ記事のタイトルは、彼が大事にしているというコンセプトである。

 この朝は、言葉を一つも発せずに5000歩も歩いている。

. 竹久夢二の世界にしばし留まる


 「なぜこの人の描く女性は儚(はかな)げなのだろう」
 展示会場のギャラリーのオーナーでもある市議の解説を拝聴しながら、私はうっかりそれを口にした。30数点に及ぶ作品に囲まれていると、うちの母が子どものころに生きていた大正時代のロマンが染(し)みてくるような気がした。
 嫋(たお)やかでためらいのない線とパステルカラーが活きる色づけ。ほとんどの婦人が真っすぐにこちらを見ていない不思議。顔と手が時として微妙にバランスを崩している妙。胸元を広く開けてみせる女も・・・彼女たちの色香のせいなのか、何なのだろう、この胸苦(むなぐる)しさは。


     DSCN1182.jpg
       *湯の花通りのギャラリーヤマモトにて購入*


 明治17年に生まれ昭和9年、50歳という若さで逝った竹久夢二。画家にして詩人、童話作家、装丁家。ものの本によれば彼は、「日本のロートレック」とも称されるとか。
 「なんか違うな」と、今度は口に出さずに言ってみる。
 彼は千葉で或るとき19歳だった賢(かた)という名の女性に出会い1篇の詩を創る。のちに原詩は夢二自身の手で3行詩に変えられて発表されたという。
 『待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ  今夜は月も出ぬさうな』
 「賢」を待っての詩とも言われるが、たまき、彦乃、お葉と多くの女性と暮らした彼をみると、もしかしたら彼の一生に通じる想いなのかもしれない。同居歴がある3人の中で婚姻したのは「たまき」1人だという。その彼女でさえ離婚、その後も同棲、別居を繰り返していた。彼はついに「運命の人(ファム・ファタル)」には出逢えなかったのではないか。そう、ウィーンの画家グスタフ・クリムトのように。美貌、容姿では語れない理想の女を求める姿は痛ましく、だからこそ彼らの描く作品は美しい。

 さらに妄想をたくましくすれば、彼女たちは誰一人夢二を「直視」しなかったのではないか。直視できなかったと言っても夢二にとっては同じ。夢二は恋をしながらもいつもそれを感じていた。彼が描く女たちが揃いもそろって「同じ視線」であることが証左ではないか。
 そう思いたい自分が居るだけ。そうかもしれないのだが。
 ・・・久しぶりに「絵の世界」に浸(ひた)った。  
 


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. 或る視点のフォト5枚


 カメラを壊してしまい新しくしたところ性能が良すぎたのか「ファイルあたり5MBまで」というブログのアップ制限に引っかかり、ただいま善後策を講じています。で、今回は或る視点をもって撮った写真を5つ集めてみました。すでにどこかの記事で出しているものもあります。
 5枚に共通する「想い」は、「写真で絵を描いてみたかった」ということでしょうか。ご覧になって皆さんは納得なさるでしょうか。

 ①透視図法を連想しました。白熱灯の灯りが哀愁を帯びていました。終着駅は皆そうですよね。「出口」の掲示は意図的に入れました。
 
 
終着駅
           ①修善寺・虹の郷の終着駅

 ②マンホールの蓋は鉄製で、下はどうやら温泉排水のようです。冬の朝、のらの生活はきびしそうですね。駐車場の空間は、あえて広く撮りました。一人ぽっち感をだしたかったのです。

暖をとる野良猫
           ②伊東図書館近くの駐車場・暖をとる野良猫

 ③元旅館のこの施設は現在観光施設として伊東市が管理しています。松川の対岸からこの灯りを観たとき、観光旅館というものの厳しさを実感しました。私のデジカメではこの質が限界でした。

すでに公営施設になった東海館の夜景 
           ③伊東・木造の東海館の夜景


 ④朝の逆光という「悪条件」で像の周りをグルグル回り、撮影ポイントを探しました。著名な芸術家の作品で、三浦按針が帆船をこの地で建造した史実に因みます。受けた印象は「がんばれ!」でした。 

伊東海岸按針1
           ④伊東海岸にある帆船の像

 ➄真っ直ぐ歩んでも揺れて先細りになる「道」。下を見ないで上を見て歩くことにしましょう。
 撮影上の困難は、常に観光客が「画面」に入ってしまうことでした。肖像権というのもありますしね。実際の橋の幅よりも狭く処理してあります。
 
  
釣り橋
           ➄伊東城ケ崎海岸の吊橋


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. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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