蛙声爺の言葉の楽園

. 太田道灌の集い

     太田道灌
                    伊勢原市役所近くにある狩装束の太田道灌像

 8月2日猛暑の中、神奈川県伊勢原市の市民文化会館で催される「太田道灌(どうかん)の集い」に参加しました。かつて何度も機会を逃していましたので、初参加となります。今回のテーマが「太田道灌公を大河ドラマに!」になっていたこともあり、ぜひとも行かなければと思っていました。実はNHKの2020年の大河ドラマをこちらにという運動は各所にあるのです。だいたい5年前からスタートするという大河の準備、最終決定はすぐそこなので「誘致」競争は熾烈です。私も『小説太田道灌』の著者として微力ながらも協力しなければなりません。

 太田道灌(どうかん)は江戸城を築城した室町時代後期の武将です。時期としてはいわゆる戦国時代の少し前にあたります。
 式典でも道灌ゆかりの区市町の代表の方が挨拶をしましたので、この観点から少し説明をします。先ず江戸城は現在皇居(所在は東京都千代田区)になっています。学問をしたのは鎌倉、特に英勝寺はゆかりの寺として有名です。道灌は当時の関東管領上杉家の家宰(いわゆる家老職)にして軍師。戦上手であり30数度の戦で不敗を誇り、戦乱の関東を平定しました。、足軽を戦力とした初めての武将としても知られています。その主君が上杉定正(さだまさ)で居城は川越城(埼玉県川越市 )でした。父親は太田道真(どうしん)といい隠居して越生(おごせ・埼玉県越生町)に住んでいました。では伊豆熱川(静岡県)はなぜとなります。道灌は統制上、上杉の本家顕定(あきさだ)の軍師でもありました。当時伊豆はこの顕定の所領だったのです。当然道灌も訪れたでしょう。熱川の温泉発見伝説が生まれても不思議はないのでした。

 と、ここまで来ると神奈川県伊勢原市が運動の拠点なのは「はて」と、だれでも思います。
 じつは道灌、主君定正に謀殺されます。主命で直接手を下したのは道真・道灌父子の子飼いの武将曽我兵庫でした。これも悲劇性を高めます。定正は相模の国(おおむね現神奈川県)を治めていましたが、その居館は糟屋(現伊勢原市)にあったのです。関東が平穏を取り戻すと、本家顕定と分家定正は対立関係に入り、分家内部でも川越と江戸の両家臣団は反目の度を増していきます。危機状態で団結し、平穏に戻ると分裂するというお定まりの人間社会そのままに。堅固な江戸城を居城とし、最強軍団を統べる道灌を定正は恐怖し、猜疑心の虜になります。そしてついに、糟屋庄「相陽府(そうようふ)」に道灌を招き、いわば非人間的な企てで暗殺するのです。太田道灌享年55歳。関東はまた戦乱の世に戻ってしまいます。
 伊勢原市には道灌の胴と首で墓が二か所あります。曹洞宗洞昌院(胴塚)と臨済宗大慈寺(首塚)がそれです。市民の道灌に対する愛着はかなりのもので、今回の運動の発端も伊勢原なのです。

 私も今回の参加を意識して道灌研究家尾崎孝先生の『道灌紀行』と自著『小説太田道灌』を読み直しているところです。
 「太田道灌公を大河ドラマに!」
 応援して頂ければ幸いに思います。

    開幕前
             式典開始20分前の会場。「まだ本番の幕は開いていません」

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道灌を大河に、印刷署名用紙

. ⑧上梓に向かって

 道灌暗殺の場である伊勢原市の相陽府跡に佇んだこと、主君定正の居城だった川越城の跡に行ったこと、林美一著の『時代風俗考証事典』を埼玉県の古本屋で見つけ当時の浴室の構造を調べることが出来たこと等々、改訂補筆を重ねる動機は限りなくあった。しかし単行本にして頒布販売をしようと決めた最大の契機は、突然やってくるかもしれない自分の死を強く意識したことだった。数年前に交通事故に遭った。メタボには程遠い体型なのに糖尿予備軍だと知らされもした。何かを遺しておきたい、自分が生きてきた証のようなものを。その思いは還暦を迎えてより強くなった。
 冊子の「蛟竜の角」ではなく、生原稿の「太田道灌」を開いて大規模な見直しを開始した。そこで得た結論は、「捨てる」部分があまりにも多いということだった。先に入力原稿にする必要が出た。早速に藤沢に住むY.I女史に「ベタ打ち」を依頼した。数日で終わって戻ってきたときには、さすがに驚いたものだ。ブラインド・タッチとは何と素晴しいものなのか。説明に過ぎない部分を切り取り、道灌亡き後の供のものの動きなどは全てカットした。誰が主人公かを明確にするための削除・校正と、人名・地名・難読漢字についてのルビ振り作業は、「お匙でアルプスを削り取る」ような根気が必要だった。「死」に備える行為は、それでも爺を突き動かし続けた。それが終わると版下に相当するものをページごとに作り、ノンブルを付ける。要するに印刷屋はデータを使って印刷し製本するだけでよい状態までもっていくのである。それらを全て終えて読み直した『小説太田道灌』は同人誌「碧」に載せたものとは別物のようにすっきりとしていた。発行予定日は平成18年12月25日のクリスマスと決めた。
仕事に追われながらも何かに憑かれたように取り組んだ上梓への準備。300冊が刷り上ったときは、胸にこみ上げるものがあった。いままでの人生でお世話になった人たちへの寄贈100冊。44の図書館への寄贈89冊。文芸関係への寄贈25冊。書店販売45冊。メールや電話による注文に応えた販売35冊。あっという間に在庫は少なくなった。
 寄せてもらった感想文は30に及び、その真摯な激励に文字通り頭を垂れた。
 

. ⑦再び道灌に会う

 様々な叱咤や激励を受けて十年以上が経った。自分の中でわだかまっていたものが前向きなものに変質しつつあることを感じた私は、道灌が暗殺された相陽府跡に出かけた。さらには川越城址にも。このあたりの想いや探索の結果についてはエッセイの『以訛伝訛』に詳しいので当って欲しい。

 

「以訛伝訛」

. ⑥「蛟竜の角」が残したもの

 調査開始から約3年の歳月を要した「道灌秘録 蛟竜の角」380枚は、1991年7月、東伊豆町の同人雑誌「碧3号」に全編掲載された。19ページからラスト171ページまでを1作品で占めたこの号は、同人誌としては異例といえる。私は小さな興奮の中に居ながら、一方では未熟なまま活字が「世間」に出ることに、或る惧れを感じていた。それはとくに次の点が引っかかっていたからである。
 時代考証に自信がもてない箇所がいくつかあったこと。特に暗殺の場でもある当時の風呂の形状がどうしてもわからなかった。その分シーンの迫力が減じていたのだ。
 道灌と早雲の年代合わせに苦慮して、結局曖昧になったこと。
 序章部分が小説の中身ではないのに、あたかもそうであるような体裁になってしまったこと。
 終章の漢文の読み下しにもう一つ確信がもてないままで載せたこと。
 これらは後の10年でつぎつぎに解決していくのだが、このときの不安は半端ではなかった。
 この同人誌は狭い地域で販売ルートにのった。伊豆稲取の2軒の書店で店頭に出たのである。のちに「完全版」ともいうべき「小説太田道灌」を上梓したいま、どなたかに買っていただいたその店頭の数冊が自分の中では紙魚になっている。
 いずれにしろ、このあと何年か経って、暗殺の場となった神奈川県伊勢原市の上杉定正の府第跡や定正の居城川越城跡を実際に訪れるまで、私の中の太田道灌は何物かに覆われて、その姿を見せることはなかった。もしかしたら、或る種の重圧から逃れるために、忘れたかったのかもしれない。
  

. ⑤3分の1書き換える気はないか

 2週間ほど経ってから会いたいと電話があった。

 私を書斎に招じ入れると、合評会で見る好々爺から「文学者」の顔に変わっていた編集長F氏。
「茶話会にする前にちょっといいかな」
 そう言う氏の表情はそれでも穏やかだった。
 応接テーブルの上に置かれた私の原稿用紙。挟まれた色とりどりの付箋には、小さな文字が躍っている。
「読ませてもらったよ、よくここまで書いたね」
 心地良いねぎらいの言葉は長くは続かず、容赦のない批評、細部にわたる「改善勧告」が私を襲ってきた。
 
 「暗殺」は再考したらどうか。この作品、道灌の人間像にまで迫っているし。
 目次にある十数個の章のタイトルは、一定の方針の下で統一しなさい。これは読者を導く大事なものだから。
 時代考証を時間をかけてやってほしい。当時の衣装、部屋の構造、家具調度、武具、馬具にいたるまでだ。
 主人公と脇役をはっきりとさせて、記述の濃淡を図りなさい。誰の何を描きたいのかを明確にすることだ。
 地の文でも台詞でも、当時は存在しないと明確にわかる言葉は使わないこと。たとえば「平和」、これは現代になってからの言葉だ。ほかにもあるから捜してみて。
「何と言い換えればいいんですか」と、ここで私は氏を試しにかかった。完膚なきまで痛めつけられてたまるかという心の狭さが露だったが。
「甘えてはいかん、自分で調べて自分で悩みなさい、これは君の作品だ」
 完全にへこんだ。その通りだと思った。
 台詞の中にいま様の言い回しが散見されるが、これは時代物の要請にあわせること。
 城の位置などの理解のために簡単な地図が要るかも。人物関係図も欲しいな。
 人物の名が難しいね、いまの読者には。ルビはふれないだろうか。
 ・・・・・
 私はようやく気付いた。氏は批判も非難もしていないのだ、よりよい作品にと力を貸してくれているのだと。そうでなければ、これほど丁寧にビギナーの小説を読みはしないと。
 以心伝心なのだろう、奥さんが茶菓を持ってきた。遠慮なくいいだく私。お茶は心なしか苦かった。
「ところで、この原稿、3分の1ほど書き換える気は無いかね」
 菓子を落としそうになった。小説や脚本を書く人なら知っている。それは「全部書き直し」と同義だということを。
 何分かして、私は口を開いた。「わかりました、そうします」
 師が嬉しそうに微笑した。
. プロフィール

蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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