蛙声爺の言葉の楽園

. いじわる爺ちゃんの「テレビの番人」?


 うっぷん晴らしではないけれど、日ごろテレビに向かってブツブツ言っていることを少しだけ並べてみたくなりました。

 早朝4時からやっている某テレビ局の番組なんですが、時計代わりに視ていると首を傾げることがいくつかあるんですよ。いえね、この時間帯に幼児は起きていないと思うのですが、どう見ても学齢前の子ども相手と思われる超短編のクイズアニメをやっていました。たぶん穴埋めの再放送なのでしょう。それと真逆になるかもしれませんが、1分間のトレーニング枠があって、どう考えても高齢者が指示通りにためしたら膝などが痛みそうな「レッスン」をどうぞと進めています。「けっして無理はしないで」とか、そういう「注意」も無しにです。この雑な感じ、番組そのものが局の1日単位でみての穴埋め枠なのでしょうか。

 各局の昼間のワイドショーに多いのですが、男女のキャスター(MC)や居並ぶゲストのバックになる「壁」の装飾類とその色彩のゴチャゴチャ感が半端ではありません。画面の中心はこれらの「人」のはずで、「背景」はそれを活かすためにあるべきでしょうに。MCの後ろの花が無駄に豪華で、可哀想に手前の若い女性は霞みがちです。色使いも極端な時はまるで「色盲検査」の図柄のよう。「仕事」をしすぎないという「仕事の妙」、「思いやり空間」という考え方も必要ではないでしょうか。どこそこに限らず何か担当の人が「空白恐怖症」なのかなと思うことがあります。
 これは映画やドラマで最初から最後までBGMを流している音楽担当さんにも言えることです。かえって「邪魔」をしているんですね。みなさんは、こんなこと感じたことはありませんか。

 ワイドショーだけでなく食レポ「専門コーナー」とも言うべきものが頻繁に登場します。「食べる」という行為が、これだけ大量に画面に出る「時代」ってあったでしょうか。世の中のニーズの変化に各局が対応しているだけなのかもしれませんが。文字通り食傷気味です。ろくにコメントも出せず、ただお腹を満たしているだけというゲストもチラホラ。低予算番組の必要性、無尽蔵にある取材対象、簡易な制作など、局側のメリットはいっぱいあるとは思いますが、「ちょっとねえ・・・」
 昔読んだ雑誌のコラムにこんなのがありました。彼は言います、食べることと排泄することはどちらも人間の欲望と生とに直結するがゆえに本能的にも極めてプライベートなもの、だからこそ男女の親密さのスタートが一緒に食事をすることになるわけですと。大口を開けたテレビの食レポ番組は、視る人の微妙な「羞恥心の開放の効果」を減殺させてしまうのではと憂えるのですが。
 「ちょっとこの爺ちゃん古すぎー」っていわれそうでいけどね(^^♪

 ニュース番組についてはこれだけは言いたいですね。いつも感じています。日本国、日本人、日本政府にとって良いこと、嬉しいことは簡単に扱い、さらには報道をスルー。この逆の場合は詳細に、拡大して、反復継続してと至極「ご丁寧」。隣国のことはさして知りたくもないのに毎日毎日扱い続けて、誰かさんではないけれど「いったいどこの国のマスコミだよ」。
 3月17日でしたかね、国産ロケットH2A33の発射が成功したことをネットで知りました。宇宙科学の先端を走るこのニュース、どこかの局でやっていましたかね。すくなくとも爺は見つけられなかったのです。まあ、打ち上げ成功率97パーセント以上を誇る日本の場合、たとえ海外で騒がれようとも、ニュースにするほど大したことではないのでしょうか。それなら、また「地味にすごい」とは思いますが。
 もうこの辺りで止めておきますね(^^♪


  春の証拠は「柳に風」。 実際の世間では「さらりと受け流す」のは難しいけれど
 
      柳


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. ハゲマゲドン-それは或る日突然に


 『冬の或る日、海辺のファミレスの階段を上がっているときに喜劇は始まった。「ちょっとその髪どうしたの」と妻が慌てて、手梳きで私の髪を撫でた。人目をはばからぬ仲の良さ。外目にはそう映ったらしく、見上げるとガラス越しに大勢の人が笑っていた。一時間後に自宅の鏡で「引導」を渡される。後頭部に「巨大な」円形の脱毛があったのだ。しかも二つ。幼い時からの海苔好き、今もワカメサラダ狂、ヒジキの煮物など永遠の晩酌の友という私が、こともあろうにハゲ? 「髪は長いお友だち」、私にとっては裏切らない友だった。それが何故。齢六十四にして激変する日常。日に何度も見る鏡。手放せない櫛。洗髪時の恐怖。職場でも、街を歩いていても、テレビ画面でも、心なしか探している「仲間」、つまりハゲの人。あるは居るは心因性らしい禿髪。今まで感じたことがないこの連帯感、安心感。これは心理学的には何なのか。もう旧知の誰とも会えないと深刻になってみたものの、進歩なのかヤケなのか、いつしかあるがままの自分にハゲ増された私。嗚呼』

 仕事の強いストレスとイライラから実際に起こった「事件」を笑い飛ばそうと創ったエッセイ。この地方では有名な「ハゲ薬局」の店主は「心因性ですね、間違いなく」と冷めた口調で言うと、かなり高価な2種類の塗り薬を出して見せてくれた。「治るんですか、これで」と私。「心因性ですから、貴方しだいですね」と、さすが薬剤師。聞かずもがな、とはこのこと・・・納得。
 結局薬で、ではなく気持ちを入れ替えただけで産毛が生まれ、順調に育って完治。要半年の「治療」だった。 


   「もう春だね」『そうカモ』。のどかすぎて眠くなりそう。

     春カモ
      *小室山公園にて*

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. 『3.11』に頭を叩かれた3月11日


 世界保健機構の定義だったと記憶している。「健康」とは精神的、肉体的かつ社会的に健全であること。老いれば、これらの全てが衰え損なわれる。それは生物として仕方がないこと。高き者にも低き者にも、富める者にも貧しき者にも、等しく迫ってくる「死」の前触れでもある。せめてこのことが心の救いか。
 ところが、そんな「生」の平等性も、「若さ」の特権も無関係に突然かつ無慈悲に襲ってくる死がある。
 すぐる3月11日土曜日、私は何か強い力にでも引かれるように『東日本大地震』の記録画像の中に入った。「YouTube 東日本大震災」を検索し、なんと3時間も見続けたのだ。報道カメラ、固定カメラ、個人の撮影機器、それらでとらえられた被災の映像は凄まじかった。

 2011年3月11日14時46分、最大でマグニチュード9という3つの巨大地震が東日本近海で発生した。恐怖の360秒とその後に襲来した大津波。15000超の死者、2500超の行方不明者。海水にもてあそばれる車、陸にあげられる船、浮かんでは砕かれる家屋、逃げ惑う人と車。高台で『はやく! 逃げろ‼ 』と必死に叫ぶ人たち。重油による大火災 、液状化、そして原発事故。『だめだあーこりゃ、壊滅だよ』『ああ、あの人だめだぁ…』東北訛りが胸に迫りくる。
 気が付いたら、何年ぶりだろう、涙が流れ出ていた。悲しさとはあえて言わない。大自然の前では為す術が無い人間。育てた知恵も築き上げた科学技術も粉砕する圧倒的な、力。「命ってこんなにかんたんに奪われるのか」 は目の前の真実。

 さらに被災後の日本人の姿と言葉。海外の報道はこぞって讃えた、地獄絵に近い被災現場の中でも自分を抑え、ルールに順い、他者をかばい労わる国民性、民度の高さを。
 合計3000億を超えたという国内外の支援金。地震と津波を「敵」とみなして編成され大活躍をしてくれた米国の「オペレーションともだち」と各国の救援隊の動き。SNSでの内外からの激励。そして復興への道・・・。
 再び私の目を潤ませたのは被災した婦人の、この言葉だった。
 『わたしたちは、他人の幸せをねたむほど落ちぶれてはいません』
 そしてこの老人の言葉。奥が深すぎる。
 『日本人で良かった、ほんとに良かった・・・』

 私が視た大震災関係の記事の中で最も再生回数の多かったものは6129万回だ。世界がどれだけ関心を持ったかが分かる。
 集中豪雨、洪水、台風、豪雪、地震、津波・・・。
 日本を取り巻く大自然は災害発生装置をもっている。そう、日本人と日本という国を試し鍛えるために。
 迷惑な話だが、そんな気がしてくる。

 いまさらながら突然襲われ来る命の終わりを想った。大自然だけではない、自分の肉体の中にも「発生装置」は常設されているのだ。いつ動くかは知る由もない。
 と、すれば「備えよう。やり残したことをやる、これを生活の中心に据えよう」
 あらためてそう思った。「3.11」に頭を叩かれたような気がする。
 終わりの備えが最優先とは皮肉なことだが、老境とはまさにそういうことかもしれない。



 老木に明日はあるのか。そんな木がする、何をする?

       老木
         *この写真すらぼけている。小室山にて*


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. すこし不調にてご容赦

 
 木の芽時には早いのですが、少し体調不良にて「記事空間」が6日になりました。
 自薦で恐縮ですが既出ながら、自分自身が気に入った写真をご覧ください。
 寝込んではいないという証です。


       電柱に蔦
        樹木と間違えて登った粗忽な蔦。 *四季の花公園近くにて*



       ヒガンバナ
        出処進退を決して間違えない曼珠沙華。 *近所の空き地にて* 

       

       カンナ
        必死に輝くことで朝日を讃えるカンナ。 *伊東市街の小さな公園にて*
        


       大室山と花
        昔火を噴いた山を「落ち着け」と宥めるのかラベンダー。 *大室山さくらの里にて*



       ヒペリカムカリシナム2
        薬効あった弟切草(オトギリソウ)の仲間か、群れて支えあう黄色。 *松川湖畔にて*


  以上、自然の中で暮らしている生活に感謝しつつ、自画自賛5枚のお気に入り写真でした。        
         



  
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. 春。動き出した街に


 春3月。ようやく日の出が早くなり朝そこそこの時間に外に出られるようになった。
 土曜日なので日経新聞を買いに近くのコンビニに向かう。往復で2000歩の勘定だ。

 真っ先に出会う「よねわかの足湯」、利用開始時間前なので排水溝だけから白い湯気が出ている。おそらく地上でコックひとつひねれば温泉が浴槽に流れる仕組みになっているのだろう。時間外はその温泉が直接に排水されているのではと推測した。温泉の街らしくていい。伊豆半島で最も温泉井戸数が多いとされる伊東なのに、揚泉してすぐに配管経由でホテルなどに行ってしまう温泉。街全体に湯気がたなびく伊豆熱川や別府、草津などとは趣が違う。これも温泉の温度が45℃から55℃と比較的低いためで熱損失を惜しむ工夫なのだから仕方がない。排水溝のグレーチングから出る湯気なのでさすがに胸いっぱい吸ってみることはできないが、これだけでも湯の街の雰囲気は感じられる。

 しばらく進むと、由緒は正しそうなのだが小さな神社がある。竹箒で地面を掃く音。チラッと見ると痩身の好々爺然とした人が脇道に散らかった桜の花びらを集めている。うっかりだが「朝の挨拶」を忘れた。「ああいう人に日々護られているんだ神社」と、通り過ぎて数分経ってからしみじみと思った。神社の周囲はきっと、空気まで清しくなるに違いない。

 コンビニで新聞のほかに色の濃いどら焼きを2個買ってから家にもどり始めた。同じ道は避ける。そよ様の庭の木の花や道路脇のプランターにひしめく花を観賞しながら歩を進める。こんなときの私の「仕事」は名前を思い出すことだ。咲いていたのは10種類。ほぼ半分しか出てこなかった。もっとも名前をしらなくても綺麗はきれい。これは都会ですれちがう女性でも同じ理だろう。

 松川沿いに出て、河畔の緋桜をじっと見る。8分咲きか。ほぼ満開に感じられる。少し離れたところに2本ある染井吉野の花芽はまだ固いので、種が違うのだろう。年配の女性が路地から顔を出したが、ちょうど私がデジカメを取り出したのでかどうか、すぐに引っ込んだ。
 桜はすごい。蕾の間でも人々は期待を抱き、少しでも開花すれば大騒ぎになる。 満開で「雪積む木」、舞って「花吹雪」、川に落ちて「花筏」、地に落ちてさえ積雪初めに例えられる。今朝見た種は色が色だけに「雪」のイメージはないが、そのかわりに艶めかしさがただよう。柄にもなくしばらく花の下にたたずんで楽しんだ。
 いよいよ待ちに待った「春」だ。 


 もしも蟻になったなら花びらに乗って海に出る。アリえないけど。

       桜2
         * Q「水鳥は何羽いますか」*
 


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蛙声爺

Author:蛙声爺
文芸同人誌編集をしています。
考えるフクロウが理想。
木内光夫のHPもよろしく。

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